詩学 〜「shi」学 (散文詩であり、同時にエッセー)
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ローマ字だと、死も「shi」になります。
ただの、音としての、「し」でしかなくなります。
死にまつわる、変な想像力というか、迷信というか、そういうものが、
ローマ字にすると失われて、
それが妙な、からりとしたオプティミスムになると思うんです。
この異化作用こそが、ローマ字詩の真骨頂だと私は考えます。
2
それではひらがなで「し」と書くのと、ローマ字で「shi」と書くのと、
どう違うのでしょう。
「し」よりも、「shi」の方が、より記号的になると思うんです。これは
あくまでも、ひらがなや漢字でできた文章を基盤に置いての、話ですが。
日本語が、いつか完全にローマ字に移行してしまう、ということはまずない
でしょう。だから、ローマ字詩の影響力は、半永久的に存在することになり
ます。
死とshi。詩とshi。美しいものも醜いものも、皆nobodyに変換されるこの
ローマ字詩というジャンルの魔力は、もっと研究されてもいいはずなのです。
3
ここでローマ字ではないにせよ、はからずともこの効果が表現されている詩を
いくらかあげておきましょう。
まずは、何と言っても、石川啄木の「ROMAJI NIKKI」です。これはBOOK OFF
とかで岩波文庫で見つかるかもしれません。
これは、そもそも日本語を、西洋みたいにアルファベットで表そう!という運動の
産物ですが、結局それが実現しなかったことは、今わたしたちが日頃目にする文章から
あきらかなはずです。ところが、それが上手い具合に、上で私が言った「異化作用」を
起こしている。
また、ローマ字ではありませんが、宮沢賢治が、「修羅の朝」という詩の中で、
ora shitori de igumo(私は一人で死んで行きます)
と死んで行く妹に言わせています。これは「世界共通言語」という賢治らしい壮大な
言葉を詩の中でまぜて、これもまた「死の世界の妹」をよく表す異化作用を実に美しく
表現しているのです。
これらはあまり取り上げられないことですが、よく見てみれば、日本の詩の歴史の中に、
このような傑作が或ること自体、これからのローマ字詩の可能性を証明しているのでは
ないでしょうか。
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soredeha watashi wa kono hennde!
soredeha watashi wa kono hennde!
興味深いですね!谢谢!