本来、「やりたくないこと」で「やる必要がないこと」なら「やらなくてもいいこと」だ。
主さんのお母さんが言ったのは「やる必要があること」かな、でそれは主さんも「やらなきゃいけないこと」だと分かってる。宿題とか授業がそれに当たる。
でも集団は個人に多かれ少なかれ協調性を求めてくるから、「特にやる必要はないけどみんなでやろうってなったこと」まで「やらなきゃいけないこと」にしようとする。
しかもその「みんなでやろうってなったこと」の意思決定に少数派である私の意見は反映されていない!
特に日本はその同調圧力がクッソ強い!!
なんで「やる必要がないこと」までやらなきゃいけないのか。
レクとか、親睦会とか、打ち上げとか、飲み会とか。
それは集団の団結力を上げるためであって、団結の強い集団ほど生き残るっていう経験則から来てるんだろう(曖昧)けど、そんなもん興味のない個人からすれば邪魔でしかない。
情報の共有と意思の疎通さえ正常に行われていれば、仕事には何ら支障はない!(業種によってはあるかも。)
社会においてもメンバーシップ型雇用の限界からジョブ型雇用に移行しようとしている。
しかもそれはこのコロナ禍のせいで大幅に進んだようであーる。(学者然)
主さんが「やる必要がないこと」だと思うんだったら、その「やる必要性」を他の人に問うてみるのは悪いことじゃないし、自分の中で「これは本当にやる必要があることなのか」って問うことはとても大事なことだと思うよ。(奨励)
でも「やってみてもいいこと」や「やってやってもいいこと」を持つぐらいの寛容さもあると、思わぬ出会いや成長があったり、より快適に生きやすくなるかもしれないね!(アドバイス)
そういえば個人主義と全体主義って似たような話をこないだ「ここは今から倫理です。」でやってたよ。(番宣)