>>633
海「律」
律「はい」
海が不意に律の名を呼んだ。
海「私に初めて話しかけたとき、君言ってたよね? 私から微弱な電波を感じるってさ」
律「はい」
どういうことだろう。たしかあのときの話は、海が朝に食べたシリアスの中に誤ってICチップが入っていてそれを飲みこんだっていう結末だったはず。どうして今になってその話に?
海「あれの本当の意味、教えてあげるよ……」
本当の意味⁉
海は僕らに背を向けて、肩あたりまである髪をまとめて持ちあげた。
そこに、あったのは……。
渚「何、それ……」
半径3センチほどの小さな円盤が、海の首にはまっていた。よく見ると、液体が入っている。
海「0.001ミリリットル」
奥「?」
海は円盤の正体が何かを言わず、謎の数字を言った。
海「……この中にある液体はね、触手細胞」
殺「⁉」
海「これが1日0.001ミリリットル、脊髄を通して流れ込む……。私の体はね、いわば半分触手持ちで半分人間ってとこかな」
僕らは信じられない思いで海を見つめた。
海「ねぇ、律。これでしょ? 微弱な電波の正体って」
律「はい。間違いありません」
律の単調な言葉に、僕らは衝撃を受けた。
海「これの本来の役割はね、発信機なんだ。……柳沢が、私に対してした、とんでもない贈り物……。あいつ、私が逃げたときにすぐに居場所がわかるようにしたんだ!」
渚「逃げたとき、って?」
僕の声は、きっと震えていた。自分では、どうして震えていたのかよくわからない。12月の寒さのせいか、それとも。信じられない真実を明かされたためか。
海はやはり、自嘲的な微笑みを浮かべる。
海「これが、私が話す、最後の真実……。私の、さいごの物語……」
☆(海side)
ここ、どこだ? 時計もないから正確な時間もわからない。頭を殴られたときの衝撃がまだ残っているから、そんなに時間は経っていないはず。
私はゆっくりと起きあがった。
部屋を見渡すと、そこは畳・10畳ぶんくらいの部屋。狭い……。
そこへ、ドアが開く電子音がした。
海「誰?」
私は腰にまだウェストバッグがあることにほっとしながら、そこのファスナーに手をかけた。
?「あれ、もしかしてまだ小学生?」
入ってきたのは、私をさらった男とも、または殺し屋らしい雰囲気も持ち合わせていない。女の人だった。
海「誰だ、あんた」
?「えーっと、雪村あぐりっていいます。あなたの監視を任されているのだけれど……、まぁ監視らしい監視はしないのだけどね。あなたのお名前は?」
曖昧な発言に首をかしげながら、私もとりあえず名乗った。
海「本郷海」
あぐ「良い名前だね」
海「………」
雪村あぐりはにこりと微笑んだ。警戒する必要のない微笑み方だった。どうやら、本当に殺し屋ではないらしい。
気になるのは、1つ。
海「そのシャツ、気持ち悪い……」
あぐ「え、いきなり⁉」
雪村あぐりはショックを受けたような顔をした。
私が連れてこられた場所は、国で非公式の研究所。そこで私はモルモットとして過ごすらしい。
柳「ただ、本命はお前じゃない。本命の研究をする前に、お前で実験をするんだ」
海「本命の研究をする前ってことは、本命よりつらい目に遭うってことね……」
柳「わかっているじゃないか」
もし、仮に私がここで拒否すれば私の大事な人間に危害が及ぶ、か。
柳「安心しろ。本命の奴は監禁状態の予定だが、お前は週に一度くらいは外出を許可してやろう」
こいつの狙いが読めない。
私が部屋に戻ると、雪村あぐりが来ていた。
あぐ「お疲れ様」
彼女は小さな丸テーブルの上で教材やノートを広げていた。
海「どうも」
私はベッドに腰かけて、ウェストバッグから文庫本を取りだした。
あぐ「何読んでるの?」
海「……『友情』」
あぐ「えーっと……」
海「武者小路実篤が書いた小説。代表作は『お目でたき人』、『愛と死』」
あぐ「あ! あの難しい字がたくさんある人ね!」
海「そうだよ」
雪村あぐりは、冷たい態度をとる私によく話しかけてきた。私がいくらうざがろうと、彼女はめげずに何度も何度も話しかけてきた。
海「何、この首のやつ」
柳「発信機だ。お前が逃げ出そうとしてもすぐに居場所がわかるようにな」
その日から実験は始まった。正直に言ってしまうと、とても過酷だった。毎日のようにこみあげてくる吐き気。慣れない薬品が投与されたりするたびに辟易としてしまう。それでも、私の大事な人を守れるのならそれでもいい。それに、仮にここをでたところで行くあてもないし。
あぐ「大丈夫?」
海「……平気」
こみあげてくる吐き気をなんとか飲みこんで、私はベッドに横になった。
あの研究所へつれてこられて半年がたった頃、私はやっと初めて外にでる決心がついた。1月の寒さは体にしみた。
海「さっぶ……」
あぐ「どうぞ」
研究所をでたとき、後ろからコートがかけられた。
あぐ「今日は雪が降るそうだから、温かくしないと駄目よ」
海「ありがとう、ございます」
私は貸してもらったコートを着ようとして……、
海「着物の上にコートっておかしくない?」
あぐ「あれ?」
海「ま、いいけど」
私はコートを着て街中にでた。どこへ行くでもなく、仮にどこか遠くへ行こうとしても、首の後ろにある発信機が私を追いかけてくるだろう。
海「……チッ」
書店に行って本を買い、私は前に住んでいたアパートに寄ることにした。けれど、すぐに鍵を忘れてきたことに気づいた。
海「あーあ、結局。帰る家もなくなったってわけか」
私は研究所への道のりを歩いていった。
あぐ「あ、おかえりなさい」
海「………」
いや、帰る家がないなんて嘘だな。たとえ、つれてこられた場所でも。
海「ただいま」
☆
柳「やはり本郷海は戸籍を持っていたか」
研究員A「どうしますか? このままでは行方不明扱いを受けてしまいます。この研究は非公式ですし、バレてしまったら……」
柳「何、大丈夫だ。俺に考えがある」