正直、やれることは全てやったと思う。人生。
だからもう、手放してもいいよね?
私だからここまで耐えられたんだよ?
他の人だったらとっくに家族に先駆けているところを。
胸糞悪いもんだ。
自分の人生を悲劇だとは思わない。
悲劇というのは、オーディエンスの感動を誘う叙情的なストーリーラインやギミックで構成されている。
そんなたいそうなものは私の人生にはなかった。
裏切りと軋轢の連続。カタルシスなんてない。
グランギニョル(19世紀から20世紀にかけて、快楽殺人や拷問などをテーマに、血糊などを大量に用いた特殊効果付きで演じられた芝居のこと)だとしても少々見応えが足りない。
胸糞悪いもんだ。
私は二本目の煙草に着火した。
蒙昧なガス体が肺腑を満たす。
胸を占めていた不安が和らぎ、代わりに空白が入り込んでくる。
「聴衆に告ぐ。あたしの人生は見世物じゃない。」
「面白くなければ、今すぐ立ち去るといい。好きにしろ。」
回れ右をして、一斉に立ち去っていく聴衆たち。
壇上の人物は、それぞればらばらの方向を向いて喋っている。
一貫したテーマはなく、思い思いの台詞を吐く。
ある者は
「それはそれでありだと思わない。だって一周回って物凄く滑稽よ。それも一つの神様の諧謔心だと思えば、何だかもうどうでもよくならない。あたしは、馬鹿でさグズでさ救いようのない木偶の坊でした、無秩序に降る雨に濡れながら。もうどうでもよかったのです。電燈は所々消えていて、大通りの一角では玉突き事故が起こる。そんなしょうもない、秩序も信念もない街。まるで私の心の縮図ね、とほくそ笑んだ。あなたはそして死骸になる。それはどうでもいい街の一角の出来事で、世界は知らん顔して回る、朝日はきっと私の心を見て見ぬふりしてるんだわ。だからあんなに、無神経に輝いていられるのよ。東京には無数の列車が走るし、200万人の人たちは僕が死んだことなんて露ほど知らずに各々の
ああもう寝る。とにかく僕の人生はきっとスバラシイものになる。
それは高校怠学時代の僕すらも遥かに超えるだろう。
もう過去をなぞる私じゃない。過去を超える私なんだ。」
と言い、
またある者は
「僕は芸術的良心を始め、どう云ふ良心も持つてゐない。僕の持つてゐるのは神経だけである。」
と言う。
ある者は
「シラノ・ド・ベルジュラック!」と叫び、
ある者は
「寝すぎて口腔が乾いた。水を沢山飲んだ。その後大判焼きを食べた。熱すぎて舌を火傷した。」
と語る。
***
そんなしょうもない文章を書いていたら
時間だけが経っていきますね。
もう16時ですか。
はは。今日も何もできなかった。
オルタナティブスクールには行かなかったし、ママの作ってくれた弁当を無駄にした。
今日も一歩も外に出なかったし、パジャマのまま過ごした。
したことと言えば、洗顔と保湿、コンタクトレンズの装着と、朝食の摂取。
あとは一日中、わーきゃー叫んだり、泣いたり、家財を破壊したり、不安でいっぱいになって手首から溢れてきそうになったり、天井に向かって怒号を叩きつけたり。
「そう。かまってちゃんなのね。」
「そうです。かまってちゃんなのです。僕は。ふふふ。あはは。」
日記を見返すと、あっという間に一ヶ月経ったことを思い知らされる。
垂直に設置した流しそうめんのように、あっという間に流れていった。
最後に流しそうめんをしたのはいつだっけ?
手足、末端が冷える。血流が悪いのかもしれない。
そういえば、流しそうめんもそうだけど、銭湯にももう随分行ってないな。
痕も目立たなくなってきたし、そろそろ行きたいな。
この一ヶ月何もできなかった。
僕は、地面に叩きつけられた無惨なそうめんを見つめている。
「洗えばまだ食べれるかな?」
あと、もう少し、もう少し逃げさせてください。
年の瀬迫る、12月。俺たちの”悪あがき”は、まだ終わらない。
悲劇にしては荒唐無稽すぎるし、ポエジーを欠いている。
グランギニョルにしてはスプラッタ要素が弱すぎる。
何物にも例えようのない人生。