雪の記録 ‥ 限りある大切な日々の記録 U
( 他者の書込禁止です‥ すみません)
書込禁止‥
病気のことなども書いて記録しておきたいため
レスを頂いても返信できません、ごめんなさい
自分の日記として書き留めておきたいと思って‥
独り言としてスルーで流して下さい すみません
3年前のスレ‥読み返すと新鮮だなぁ♡
今よりもこの頃の方がKと仲が良い感じがする♪
この3年間、色んなことがあった。
今は安定してて、無増悪期間っていうのかな。
ひょっとしたらこのまま完治するんじゃないかな
なんて期待してしまうほど♪
‥とはいっても
Kの癌はステージ4だし、しかも肝臓には16個もの転移性悪性腫瘍があって (全て切除できた♪)
その後に肺転移が4個 (全て切除できた♪)
その後また肝臓に1個 (同箇所。切除できた♪)
でも、その後、もうずっと再発が無い。
再発がないまま2年を超すとかなり期待できる。
無再発で5年を超すと寛解と言う。
大腸癌ステージ4の5年生存率はかなり低くなる。
10年生存率も低いけど、5年生存率と変わらない
5年生存率と変わらないという事は5年生存すれば
10年だってそのままずっともあるってことだね!
頑張るよ!
私が付いているからね!
例え、生存率が低くても。
あのとき、死の淵から逃れて
ここまで生き延びれたんだもの!
2016年の6月‥以前のスレを書いてたとき、
この時一度 死の淵に近づいてしまってたのかも。
今にして思えば‥あのときはヤバかった (~_~;)
問題の2016年6月を振り返ってみる‥
5:雪 hoge:2016/06/02(木) 20:15
今、救急外来に居る
今日は○記念日だから夜は2人で花火を見に行く予定だったんだけど
病院の待合室から私独りで音のしない花火を見た
今は点滴していて先生の診察中…
*‥この日は○記念日だったから覚えてるよ
私1人でも花火を観れたのは唯一良かった♪
この救急外来で入院してれば良かったんだよね‥
6:雪 hoge:2016/06/02(木) 21:18
熱が39度6分もあって顔が赤い…
しゃっくりも止まらない
でも明日は仕事が休めないらしい(>_<)
心配だよ
* この状況下で明日は仕事が休めないって‥
仕事熱心なのはいいけど命縮めてるねw
周りの人への責任を感じるんだろうけど
何かあったら逆に責任が取れないんだよ
行動が違ってるよw
9:雪 hoge:2016/06/06(月) 21:38
いま、また救急外来の待合室にいる…
顔が赤いし40度の発熱。
* ‥毎日のように救急外来に来てるけど
癌の専門病院じゃないから救命の医師では
癌患者に何が起こっているのか解らないんだよ
マニュアル通りに、高熱だから解熱剤の点滴、
じゃあ治らないよ
10:雪 hoge:2016/06/08(水) 02:42
今回は高熱の他に発疹もあった
とても具合が悪そうで心配
抗癌剤の副作用がこんなに辛いなんて…
それなのに抗癌剤が効いてないみたいで更に辛い
6月に入ってから急に病気っぽくなった感じがする
○記念日にはちゃんとデートしておけば良かったなぁ
急にご飯も食べられなくなってしまって…
とても心配
* ‥抗がん剤の最中で、胸部の体内にポートを
埋め込んでて、40度の高熱と発疹、顔面も身体中も真っ赤で見るからに具合が悪いのに、
血液検査で基準を満たしてないから入院できないと
救急担当の新米医師が言い張るw
(後に、この時点ですでに敗血症になっていて
命が危険な状態になっていたことが判る。
後から主治医から「具合が悪くて救急に来たんだからせめてこの時点で入院していれば‥」と言われる)
17:雪 :2016/06/10(金) 01:34
今日また緊急入院をした
* ‥正確には6月9日に緊急入院をした。
入院するまでがとても大変だった。
定期診察で主治医に言われれば入院できるけど
主治医の定期診察じゃないと対応が難しい
6月8日に救急外来に行って「見るからに絶対に状態悪いので入院させてくれ」ってあれほど頼んだのに「血液検査で基準に達してないと入院を希望しても入院はできないんです」と新米医師が言い張って入院できなかった。
(後から考えるとこの対応は非常に怖い。この時点で既にポート感染からの敗血症になっていて命の危険があったはずなのに‥)
入院できなくて帰宅した後も不安だった。
抗がん剤の最中に40度近くの高熱が出てて、脚全体に薬疹も出てて、顔も身体も真っ赤だし、すごく具合が悪いので、このままじゃ‥と思って病院に電話したら、主治医は水曜日のS先生なので、次の水曜日の午前中に診察に来てくれなんて悠長なことを言う。
一生懸命に頼んで、とても具合が悪くて水曜日まで持たないかもしれないと話して、頼み込んで、特別に主治医のS先生に連絡を取って貰い、今から病院に来てくれという話になった。
総合病院だから普段は大勢の人だけど夕方だからガラガラで。
いつものS先生の診察室前で私達だけ座って待って、S先生の診察で直ぐに緊急入院になった。
(この時点で既に命の危険があると言われた)
18:雪 hoge:2016/06/10(金) 02:00
昨夜はしゃっくりが酷くて1時間も眠れない状態だった。
38度位の熱も続いているし体調が悪いまま仕事の時間に。
急に休む事はできないから仕事へ行って午後に早退して
病院へ行き、そのまま入院になった。
体調が悪いからご飯もあまり食べられなくて少し痩せた。
ポートを入れる処置の時、担当医師に緊急手術が入って
代わりの先生が処置したので処置部に腫れがあり感染かも。
なんだか色々な不運が重なっているような気がしてしまう。
自分の意思で変えられることと、動かせないことがある。
自分ではどうすることもできないこと変えられないこと、
そういう事を含めて運命というのかもしれない…
どんなに辛くても受け入れることしか術がないから。
34:雪 hoge:2016/06/19(日) 17:31
今日は顔色が悪かったなぁ…
先週行った時は、若い看護師さんが
「今日はご主人いつにも増してカッコイイと思いません?」
なんて言ってて、シャンプーして髭も綺麗に剃って髪型も整えて
「お世辞言って貰えるうちが花だよね」って笑っていたのに…
先週よりも痩せた感じで、今日の様子だと少し心配になるよ…
* ‥痩せてしまってビックリした。
今だから言えるけど、死相ってこういうのかって思ったくらい‥頬とか背中とか足とか‥
この時点で既にポート感染からな敗血症でヤバい状態だった。
S先生に「とても心配で‥」と言ったら「私もです!昨日.一昨日は病院中で全員が心配していたんです!」とかなり強く強く言い返されて驚いた。
そんなに状態が悪かったんだなぁ‥とは思うけれど、病院中が心配してただなんて、救急外来に来て入院を希望したのに入院させなかったから訴訟でも恐れてるのかなって一瞬思ったくらい。
家族に「私だって心配してたんだ!」と強く言い返す先生なんて青いなぁって思うけどw
でもS先生は嫌いじゃない、20代で若いし正直な先生だよね。
大腸癌を切った時も手術後にイレウスになってしまって‥手術の影響ですか?って聞いたら、手術の影響と言わざるを得ないって認めていたし。
もし訴訟になったら不利になることも言うから、まぁ私は訴訟なんてしないので舐められてるのかもしれないけど信用されてるんだとも思う。
この時点の敗血症になったときがKは1番具合が悪そうだったし実際に一度死に近づいた時だったんだろうと思う。
私はS先生を信頼していたけど、今から思うと
この病院で肝臓の手術をしてたら今Kの命は無かったんじゃないかと思う。
S先生はよく「最後までこの病院で診てあげたい」って何度も言っていたけど、死ぬと思っていたんだろうなぁ
今の時点でKが元気にしてるなんて思ってもいないだろうね。
S先生も今はこの病院に居ないし、今のA病院からも恩人のM先生は3月で転院しちゃったし、先生が転院していなくなると寂しい。
今までの経緯を振り返ってみる。
大腸癌の告知は2015年10月だった。
このとき、私はKから何も言われてなくて。
会社の定期的健診で貧血気味と言われたから病院で再検査をするように言われたらしいんだけど、
Kは車通勤で全く歩かないし日頃から運動不足だからメタボ気味ってくらいに思ってて‥
Kからは「今日は検査の結果説明だから雪も一緒に来る?」って聞かれたから保護者気分でなんとなく一緒に行っただけなので、消化器内科の担当医師から「奥さん、御呼び立てしてすみません」なんて言われて「えっ⁈」と思った。
突然の癌告知には椅子に座っていたのにも関わらずフラついてしまって看護師さん達から私の方がとても心配された。
「初期ですよね?」と聞いたら「初期ではありません」と言われて、倒れそうになってしまった‥
腫瘍の大きさと深さから告知時の診断は「ステージ3」という予想診断を受けた。
その後、同日に同病院の消化器外科に周り水曜担当のS先生の診察をして、2週間後に大腸癌切除手術をすることにした。
私は悪性の原発腫瘍は一刻も早く切除して欲しかった。
もっと早くに手術して貰えたら‥
私はS先生に少しでも早い日程で手術をして貰えるように頼み込み、上司と相談して後日その返事を貰える予定になったのに、なのにKがS先生の前でS先生に良い顔をしたから前にはならなかった。
もしあと数日手術が早ければステージ2で治まったのかもしれない。
手術当日の朝、初めての大量の出血があったので、もしあと1日でも切除手術が早ければ転移しなかったかもしれない。
私は今でもそう思っている。
癌といえば私が結婚したばかりの頃、
職場の上司だったIさんから電話があって、今M病院の特別室に癌の手術のため緊急入院していると言う。
今は香港に駐在しているため日本には2週間しかいられないらしく特別室に入院する条件で緊急手術をして貰えることになったらしい。
Iさんは日本を代表するような大企業の社員なので一般的にはエリートというのかもしれない。
私の独身時代の直属の上司で、温厚な人柄で社内のムードメーカーで、私のことをとても気に入ってくれていた。
私が入社してから毎日会社に来ることが楽しくなったらしい。
当時の私は華やかで会社のアイドルだった♪
Iさんからは毎週有名店でご馳走して貰っていた。
私と食事できることが嬉しいらしい。
ある時はNaさんの提案で2万円もする懐石料理を両隣のIさんとNaさんの2人からご馳走して貰ったりした。
しかも毎日Niさん(女性)が私を車で送り迎えをしてくれていた。
今考えると随分甘えちゃってるね (^_^;)
Iさんは、私が入社したときはかなり太っていたのに、急に私が入社した途端に急にスマートになりだした。
元々太ってたから痩せた方が健康的な体格になった感じなんだけど、100kg近くあった体重が20kg位痩せて、出ていたお腹もスッキリしてお腹は出ていなくなり、急に姿勢も良くなった。
ウエストも閉まって細くなったから新しいスーツをコナカで3着買ったらしく、急に10歳くらい若く見えるようになった。
Iさんは久々に会う人ごとに「どうしたの?見ない間に急にカッコよくなっちゃって」と言われていた。
私の入社した頃から痩せてきたため、私が入社したから急にお洒落になったんじゃないかと周りから笑われていたっけw
私がKと結婚を決めたとき、社内の女子は「どこの課の人と結婚するの?」「なんだぁ社内の人じゃないの?」「何でこの会社の人と結婚しないの?」と聞いてきた。
一流企業だと女子は社内結婚を狙うものなんだね。
確かに、収入が高いと生活に潤いが出るもんね。
でも当時の私は、結婚するなら私と合う人!っていう条件になっていないような条件を一途に思っていたんだよね。
‥でもこれは今でも一番大切な事だと思う。
Kと私の結婚式は銀座の結婚式場で挙げた。
Iさんを含めて職場の上司達も全員が来てくれた。
でも結局、Iさんも癌だったんだなぁ‥
Iさんには結婚式にも出席してもらったし、スピーチもしてもらったけど、あの時は健康そうだったのになぁ‥
私の結婚式の後すぐ香港に駐在になったらしい。
2週間の帰国の間に癌の手術っていうのも大変だけど、その後またすぐに香港なんだね。
やっぱり海外勤務って大変だね‥
今はどうしているんだろう、元気なのかな?
【 突然だけど、結婚式と新婚旅行の記録♪】
JUNEブライド 6月の花嫁は幸せになれるんだって♪
銀座で結婚式‥♡
純白の白無垢、豪華な色打掛、鮮やかな紫色のカクテルドレス、真っ白なウェディングドレス、私は4着もお色直しをした♪
ハートのキャンドルに点火した瞬間にシャボン玉が溢れて‥この日、私は幸せいっぱいだった♡
新婚旅行は「アメリカ周遊+ハワイ」すごい♪♪
《1日目》‥結婚式の翌日、ロサンゼルスへ出発。
成田からシアトル、日付変更線なので朝にロサンゼルスに到着してロス観光をして、午前中はユニバーサルスタジオ、午後はアナハイムのディズニーランドへ♪
(予定では一日中ロサンゼルスのディズニーランドの予定だったが添乗員の仕業でユニバーサルスタジオにも行くオプショナルツアーを取らされた)
《2日目》‥ラスベガスのグランドキャニオン。
ロサンゼルスからキャリコ(砂漠)を通ってラスベガスへ。途中、砂漠で蜃気楼を見たよ。
ラスベガスでは小型のセスナをチャーターしてグランドキャニオンを周遊した。
(独身のときにグランドキャニオンに行きたくなって‥これがメインかなっ♪)
ホテルはフラミンゴヒルトン!
地下にカジノも付いている豪華なホテル♪
全食事つきのツアーなんだけど、夜はオプショナルで豪華なディナーショーを付けたため、ぶ厚いステーキのフルコース料理をいただきながら豪華なアイススケートのディナーショーを閲覧して♪
なかなかリッチな夜だった♪
ラスベガスってお金持ちの街だからわりと安全なので外に出て外国人夫婦に写真を撮って貰った♪
カジノにも行ったんだけど(ラスベガスにはスロット用に1ドルコインがある)素人が勝てるわけもなく。
私達は子供に見えるらしくてバニーガールに相手にされなかった‥
《3日目》‥サンフランシスコ
ラスベガスから飛行機でサンフランシスコへ。
ゴールデンゲートブリッジを観た。
前日のラスベガスで私だけ個人行動をしたため
Kが怒っていて少しだけケンカになったので
サンフランシスコの写真は景色だけしかない。
全日程全食事付き(しかもフルコース♪)のツアーなので食事内容は良かったんだけど(ラスベガスのディナーが一番良質で厚いステーキだったけどね)そろそろ洋食に飽きてきた所だったので、ホテルのディナーが舌平目のムニエルだったのと予約席の私達のテーブルにKIKKOMAN醤油の瓶が置かれていた事が思いがけず嬉しかった♪
でもフルコースディナーなのでラストに重厚なケーキがデザートに出るんだけど、私でさえこの上ケーキ?もう充分です‥って食べられなかった(^^;)
《4日目、5日目、6日目、7日目》‥ハワイ!
サンフランシスコからまた飛行機でハワイへ。
ラストのハワイだけでなんとハワイ3泊4日!
せっかく行くんだからと延泊3日追加した。
ダイヤモンドヘッドからの夕日やアラモアナビーチで食べるソフトクリーム♪
延泊したからハワイでゆっくり過ごせたけどね。
でもね、今までのロサンゼルスやラスベガスが良過ぎてしまって‥♡
ハワイはなんか印象がイマイチだったんだよね。
それに、紙袋にお土産として買った各地の絵葉書と、大量に持ってきた念のための薬類を入れておいたら、紙袋ごと無くなってしまった。掃除の人かと思うんだけど、英語が話せないからフロントに言おうにも‥で、諦めるしかなかったなぁ
あと、Kが室内金庫を開かなくしてしまって、専門の人に来て貰う羽目になったりもした(^^;)
でも、お天気にも恵まれ、まぁ体調にも恵まれ(私がなせか結婚式前日から新婚旅行最後まで日程外の赤い日になっちゃったんだよね。精神的なものかしら‥)、ケガも無かったし、とても良い思い出になったんだから大成功だよね!
この新婚旅行はすっごく良かった♡
ロサンゼルスのユニバーサルスタジオとディズニーランド♪
ラスベガスのグランドキャニオンとディナーショーとカジノ♪
サンフランシスコのゴールデンゲートブリッジ♪
ハワイでのゆったりとした優雅な日々♪
ロサンゼルスまで飛行機で片道10時間以上
行きと帰りの日付変更線もあったからトータルは11日間かなぁ?(11日間だと旅行用保険が高かった)
新婚旅行じゃないとこんな長期間の豪華な旅行はなかなか出来ないけどね!(*´∇`*)♡
私は本当は癌なら専門医が良いと思っている。
でも原発の癌腫瘍は転移をする前に切除した方が良いため一刻も早く手術して貰いたかった。
そのために私はS先生に早い日程で手術をして貰えるように頼み込んだのに、Kが私の思惑や話の趣旨を読まずにS先生に自分だけ良い顔をしたから前にならず2週間後の手術予定になった。
KがS先生に自分だけ良い顔をしていなければ、私は帰宅後に県立癌センターに電話しようと思っていたんだけど‥なんだか気乗りがしないしKがS先生をそこまで気に入ったのならこの病院でいいのかなぁ、今から他の病院となると日程がまた遅くなりそうだし‥なんて思って他の病院には電話せずにそのままS病院で手術をすることにした。
手術の日は私独りじゃ心細いからYに来て貰うことにした。
私は朝から病院に行ってKと一緒に手術室まで行ったけど、Yは途中で手術中待っている間に来ることになったのでモスバーガーとコーヒーシェイクを2個づつ買ってきて貰った。
エレベーター前の窓のあるホールのテーブルでYと2人で一緒に食べた。
Yは手術後に切除した臓器を見るのは嫌だと言っていたから私は「それを見るのは私だけでいいよ」とYには言ってたのに、手術後の説明で応接室に通されて2人で座っていたら、S先生は手術着のまま来るなりドカッと切除した大腸をテーブルに置いたので突然すぎて面食らった!
S先生は「脂肪が厚くて切除が大変だったけど手術は無事に終わりました」と言った。
手術後のKはとても寒がっていた。
体がとても冷たくて(冷蔵庫に入ってたように冷たい)掛けてある電気毛布の温度も最高の40度に設定されてて。
初めは寒い寒いと電気毛布にくるまってて、しばらくすると40度の電気毛布を熱く感じるようになったので温度を下げたんだけど。
最高温度の40度の設定にして掛けてあるなんて、もしかしたら手術中は体を冷たく保つのかもしれない。
とにかく、手術が無事に終わって良かった♪
(その後にこの手術が原因の術後イレウスになる)
手術後の入院時は順調だった。
術後には歩いた方が良いらしいので2人で病院を何周もぐるぐる歩いた。
大腸癌手術後、組織の病理検査でリンパ感染を調べたらリンパ感染は0だったようで、ステージ3まで行かないステージ2bではないかという報告があり、病室のカーテンの陰でこっそり2人でバンザイして声を抑えて喜んだ٩(^‿^)۶♪
ほっとして本当に安心して退院の日を待ってた。
退院するまでは順調だったんだよね
(翌日に術後イレウスで緊急入院になるんだけど)
本当なら癌の切除手術は2週間入院しただけで退院になるんだけど、退院した翌朝に術後イレウスになり、また緊急入院してレントゲンでも腹水やイレウスが映り、その後20日間また再入院になった
(退院は半日だけで結局2ヶ月間の長い入院生活になったw)
S先生からステージ2ではあるけど2bだから念のために抗がん剤治療を勧められて「UFT」を飲むことにした。
UFTは抗癌剤といっても経口の飲み薬で、私もネットで調べてこれが良いと思っていたから。
薬代は高額で月に85000円位もするんだけどね。
でもできることは全てやりたかったので即決で決めた。
月85000円は高額医療費の限度額よりも少しだけ低くて‥w
限度額を4カ月連続で越せば5ヶ月めから限度額が下がるのに‥
それをKに話したけど、Kが私の話をちゃんと聞かずに理解出来ずにキレて「じゃあもう抗癌剤やらない!」と怒鳴りだすので喧嘩になったww
でも12月は私が薬を貰いに行って何とかクリア♪
9月、10月、11月、12月の4ヶ月連続で限度額突破だから1月から高額医療費限度額が半額になる。
これなら毎月のUFTが続けやすいね、フコイダンとメシマコブを飲んでいたからか抗癌剤の副作用もあまり無いから、それなら、もしかしたら数年続けようか、とか話していたのに‥
‥それなのに、5月に「肝臓に転移がある」と言われた。
それも6個。
ステージ2なのに念のためにと勧められたUFTもやってるし今の時期はまだ大丈夫だろうと安心しているときだった。
S先生も診察で普通に「体調はどうですか?」なんて雑談してから、さて、といった感じでCT画像を見ながら「実は肝臓に影がありまして、転移だと思います」なんて軽い調子で言われた。
肝臓に転移ってことはステージ4っていう事になるんだね。
ステージ2でも念のためにUFT(抗癌剤)もやったのに‥ステージ4の最終ランクになっちゃったんだね。
このときの私は、まだ事態の深刻さを理解していなかった‥
このときは病院近くの亀の池の公園に行って‥
Kは転移にショックを受けていたけど、私はよくわかっていなくて普通に歩いていた。また手術で取れば良いと軽く感じてて‥。
私はKの言葉によって、他臓器への転移によってステージ4 になってしまったこと、ステージ4はもう治らないから延命治療になるってことを思い出して、公園に向かって歩きながらやっと事態が理解できた。
亀の池でたくさんの亀や、指差すと逃げる小魚を見たり、小さな滝を見たり、静かな時間が経って。
ベンチに座って‥私は大きな声で泣いた。
誰も居なかったから、わんわん思い切り泣いた
そしたらKも「お前が泣くから‥」と2人で泣いた。
S先生の治療方針では、UFTより強い抗がん剤で癌を叩いて小さくしてから手術するらしい。
UFTをやっていたにも関わらず転移があったためKの癌にUFTは効かないのかもしれない、ということでUFTは即刻中止になり、もっと強い抗癌剤をやることになった。
そのために体内にポート(点滴をする機械)を埋め込んで、体内中で点滴を3日間連続で点滴を続ける形を2週間ごとに行う形式の抗がん剤に変更になる。
S先生は医者としてはペーペーなので(若いし)、ポート埋め込み手術の日程などは患者優先ではなく先生の立場優先になってしまう。
早く抗がん剤治療を開始したい私の顔を横目でチラッと見てバツの悪そうな顔で日程を伝えてきた。
薬が届くのは1週間から2週間後、薬はたぶん1週間で届くと思うがもしまだ届いていなかったら手術日の変更を上司に報告しないとならなくなるため、それを避けるために確実に届いている日に後づれさせた日にしたことが分かってしまう。
患者のことを1番に考えたら予定日は早く入れておくべきなんだけど‥S先生が自分の立場を優先するのは仕方がないよね‥そういう時に立場が上の先生が担当ならこういう思いはしなくて済むのに‥
抗がん剤のためのポートを埋め込む手術の日、当日にS先生に緊急手術が入ってしまい、代わりにC先生がポート埋込手術をすることになった。
私は嫌な予感がして‥廊下でずっと泣いてた。
私が処置室前の廊下でずっと泣いてたからか100kg位ある太った看護師さんが私の側に来てずっと慰めてくれた。
結局は奇しくもこの嫌な予感が当たってしまい‥
このC先生の埋込手術が未熟だったためにポート感染し、抗がん剤は中断してポートを体内から取り外すことになる。
やっぱ外見や雰囲気からも未熟先生って分かるもんだよね。
S先生は若いけど器用で優秀そうだったからまだ良いけど、C先生は私は初めから未熟さが見えて不信だったよ。
どの先生が担当になるかって重要なことだなぁ。
抗がん剤を胸に埋め込んだポートから点滴する。
S先生は3ヶ月後にまたCTをすると言ったけど、その間に癌が大きくなってしまってるんじゃないかって、私はずっと心配だった。
6個もあるんだよ。1個は7mm位だと言っていた。
抗がん剤の副作用は点滴した日から2〜3日の間ずっと大きなしゃっくりが止まらないこと。
手足の感覚が無くなったりもあったけど、しゃっくりが苦しそうで尋常じゃない感じがした。
結局、髪の毛は今もフサフサで一度も禿げていない。
抗癌剤で髪が抜けると聞くから前もって似合うカツラを用意しておこうと思ってたんだけど必要なかった。
Kが癌になってから、「フコイダン」と「メシマコブ」を買って飲んでいる。
あと、DHCマルチビタミンとエビオス錠。
玄米に抗がん作用があると聞いてファンケルの発芽玄米にしていたり、人参ジュースを8箱くらい箱買いしたり。
フコイダンとメシマコブがわりと高い。
メシマコブは初めて買った時に1個だけ安く買えたんたんだけど、韓国で正式に抗癌剤に認定されたとかで入手が難しくなって2個目からは1カ月分5000円位で見つけたら即買ってる(ファンケルでもメシマコブは1ヶ月分2万円位するから)
フコイダンとメシマコブだけでも1ヶ月分1万円する。それ以外も飲んでいるから月に1万円は軽く超す。
もうこれを3年続けている。
私としてはフコイダンよりもメシマコブが良いように思う。
抗がん剤の副作用もメシマコブを飲むと軽くなるらしいし、ステージ4の大腸癌の生存率はとても低いのに今は順調だから効果があったのかもしれないし‥♪
2016年6月2日は3クール目の抗がん剤点滴の日で、
〇〇記念日だから夜はKと2人で花火を見に行こうかと思ってたのに夜Kの高熱で夜間救急病院に行った。
Kは1人で治療されてて私は待合室でずっと待機だから、私1人で病院の窓から音のない花火を観た。
エレベーターで上階に上がってドアが開いたら真っ暗なのね。
もう消灯?でも廊下なのに?って眼を凝らしたら真っ暗の中に大勢の人が居る。
エレベーター前のホールには大きな窓があってテーブルとソファがあるんだけど、電気を消して大勢で花火を見てた。
私も加わって花火を観た。実際には大勢で花火をを観たんだけど、Kが一緒じゃないから誰とも話さないし私1人で花火を観たって感じだったけどね。
花火が終わって救急外来に戻ったらKはまだ治療中だったので花火を見れて良かったと思った。
そのままその時に入院すれば良かったんだけど、入院出来ずに何度も夜間救急に行くも中々入院させてくれずに、もう少しで手遅れになるところだった(>_<)
総合病院の夜間救急って癌に関しては素人だよね
緊急時の応急手当という位置なのかもね。
何回も救急外来に行って入院を希望したのにできなくて、でも状態がどう見ても普通じゃなくて、消化器外科の外来に電話して看護婦さんと話して、初めは水曜日の午前中のS先生の診察に来て言ってくれなんて言われて。
「でもそれまで持たないかも、ポートから抗がん剤点滴の最中なのに高熱が出ていて発疹もあって身体中真っ赤で、どう考えてもおかしいのに担当医師に診て貰えないから緊急入院したい!今日緊急入院すれば明日は入院時診察でS先生に診て貰える。このまま何もせずに後悔したくない」と一生懸命に話して、やっと、S先生に連絡を取って貰えた。
S先生に連絡を取って貰い「私が診ますから今直ぐ病院に来てください」と言われ、直ぐに病院に行った。
いつも混雑している総合病院の消化器外科の診察室の前に2人で座って。
S先生が来て、診察室で診察をして直ぐに
「これは‥何で直ぐに病院に来なかったんですか⁈」
「来ましたよ。何度も入院したいとお願いしました」と話して直ぐに緊急入院になった。
2016年6月9日に緊急入院できたのでやっと高熱等の原因が分かった。
Kがポート感染してしまい血管から菌が全身に巡ってしまい敗血症になったための高熱だった。
私が「とても心配した」と言ったら「私もです!」とS先生から強く言い返された。
「6月2日の高熱が出てすぐの時点で入院していれば、あと6日入院が早ければ‥」と主治医のS先生は何度も言ってた。
既に命に関わるような敗血症で、けっこう危険な状態だっただったらしい。
この時はKの状態が非常に悪くて、急に痩せて顔色も悪くて、なんか死相が出てきたんじゃないのかなっていう感じで私はすごく不安だった‥
敗血症になってしまっため抗がん剤は3クール目で中断となった。
癌が命に関わる重大な事なのに‥抗癌剤を中断することになってしまいとても残念だけど‥
先ずは敗血症の治療に掛かる。
敗血症により肺などに黄色ブドウ球菌が蔓延していることが確認できたため抗生物質の点滴。
両足がパンパンに腫れ上がっていたのは血栓ができたためなようで血栓を溶かす作用の血液サラサラにする薬も同時に点滴に追加することになった。癌のため血液サラサラの薬は弱い物しか使えないため半年位で考えるらしい。
1ヶ月くらいして敗血症と血栓治療が落ち着いたころ、S先生からKと私は別室に呼ばれ、Kの体重が減っている、と相談があった。
病院食では一般男性の必要カロリーが足りないから缶のカロリー飲料2本を食事時に追加するように勧められた。
そのため食事時に缶2本づつ追加をお願いした。
(でも、後に、癌が爆発的勢いで増えた原因はこの缶飲料じゃないのかなぁって思う)
S先生は正直だから私は気に入っていたけど、後に肝臓の三分の二を切るという話をされたとき、
「3分の2? そんなことして大丈夫なんですか?」
と言ったら「文献上は最大三分の二まで切っても大丈夫なはず。その手術に耐えられたら‥」
なんて言われて、しかも手術時にS先生は研修でいなくなるから他の先生の手術になるという。
しかも「私じゃない方が却って安心」「こんな大手術はこの病院じゃ誰もやった事ないから、この方法で正しいか、セカンドオピニオンを受けてきて欲しい」なんて言ってくるんだもんなぁ‥
私はS先生のこと信頼していたけどね。
入院して敗血症になってしまったことが判明し、残念ながら癌の治療が中断となった。
ポート感染のためポートも体内から除去することになった。
私は早く癌の治療を始めて欲しかったんだけど、どうすることもできないし‥
そんな中で、私もKもいつも落ち着いていた。
理由はS先生を信頼していたからだと思う。
脳に転移していないかCTやMRIをやって調べたり、幸い脳には転移していなかった。
ところが、しばらくして、6個だった癌が9個になりすぐに10個に増えた。
私が心配していたらS先生は「抗癌剤を続けていれば‥」なんて言う。
一度中断してしまうともう同じ事は出来ないらしい。
酷いじゃん!!
肝臓に癌腫瘍が増え、S先生から別室(いつも治療説明は小さな別室でする)で、「実は、肝臓の手術に当たってセカンドオピニオンを受けて来て欲しい」と言う。
セカンドオピニオン?それは患者側が病院の治療方法を確認したくて患者自らの希望でやるんじゃないの?
手術前に医師から言われたりするものなの?
と思い、「私はS先生を信頼していますから、セカンドオピニオンを考えたことはありません」と言った。
手術の方法を聞いて、動揺した。
肝臓の三分の二を切って、肝臓を三分の一にすると。
「三分の二? そんなに切って大丈夫なんですか?」
「文献上は三分のニまで切っても大丈夫だとなっているから成功例があるはず」
「じゃあ文献上の可能範囲ギリギリまで切るんですか? そうすれば治るんですか?」
「この手術に耐えられれば希望があるかもしれない」
「この手術に耐えられればって‥癌で死ぬよりも先に手術で死んじゃうかもしれないってことですか?」
「命の危険がある手術なんですか?」
「この手術で死んじゃうかもしれないんなら、この手術をしないとどうなるんですか?」
「このまま癌を放置すれば一年半くらいかと」
「えっ⁈ 急にそんな‥手術はどういう方法になるんですか?」
「肝臓は2つに分かれている。均等ではなくて、大きい方が三分のニ、小さい方が三分の一なんだけど、Kさんの肝臓もこの割合でした。
癌腫瘍がこのどちらかに集中していれば良かったんだけど、両方にあるから、始めはこの大きい方の肝臓をスパッと切り落として門脈塞栓術をする。
肝臓は1ヶ月位で6割くらいまで戻るから、門脈塞栓術で癌が新しくできた肝臓に行かないようにして、1ヶ月後に肝臓の大きさが戻ったらもう一方の肝臓の腫瘍を手術する」
「先生が手術をしてくれるんですか?」
「1度目の手術は2週間後だから自分が出来るけど、自分は夏に研修でしばらく他の病院に行ってしまうからニ度目の手術は他の先生がすることになる」
「他の先生なんて嫌です。この前のポート手術も急にC先生になったから感染しちゃったんじゃないですか。そんなに危険な手術ならS先生が手術をして下さい」
「私じゃない方が安心」
「えっ、先生は同じような手術はしたこと無いんですか?」
「この病院の医師はここまで危険が伴う手術はしたこと無いと思う。でもY先生なら肝臓の手術経験は多いから、その方が安心」
「とにかく私じゃない方が安心」なんて言う。
動揺はしたけど、Kが助かるためにできるだけのことをしたいから手術をするしかない。
「私はS先生を心から信頼しているから手術をお願いします!」と伝えて、2週間後の手術を決めた。
家に帰って考えた。
わざわざ医師から「セカンドオピニオンを受けて来て欲しい」と言われたってことは、
S先生としてはセカンドオピニオンを受けて来て欲しいのかな?
‥でもセカンドオピニオンを受けるとなるとまた手術日程が遠のく。
私は癌が大きくならないうちに少しでも早く手術をして欲しいし。
それにセカンドオピニオンって健康保険が効かないから2万円位かかるって聞くし。
それでも、医師からセカンドオピニオンを言われたんなら、それが必要なのかもしれない。
後から、あのときやっていればと後悔するのは嫌だから、そう思って一応セカンドオピニオンを調べることにした。
そうは言ってもどこに連絡すれば良いのか?
県のがんセンターと癌で有名な双璧ぐらいしかわからない。
先ず、県の癌センターに電話したら、セカンドオピニオンは予約制で、曜日が決まっていて週に一度しかやっていなくて1日に6人限定なので、既に予約で埋まっているためセカンドオピニオンの予約が取れるのは1ヶ月以上先になると。
次に双璧に電話した。A病院に電話したら今の状態や今までの治療が判る資料と画像データCDと紹介状がいると言う。
明後日なら予約できるらしい‥が、電話が途中で切れてしまった。
K病院に電話したら、今の病院で紹介状を書いてもらい医師からセカンドオピニオンの予約を取って貰う形だけになりK病院から折り返し指定来院日の連絡がある。と言われた。
今急いでセカンドオピニオンの予約を入れたい場合にはA病院しかない。
でも、今までの治療が判る資料や画像と紹介状を貰うためにまた次の水曜日の外来で頼んでその次の外来で貰っていたら2週間後の手術には間に合わない。
S病院に電話をしてS先生をお願いしたら今日は休みだと言う。
相談係に電話を回して貰って、S先生からセカンドオピニオンを受けてくるように言われたけど、A病院で明後日ならセカンドオピニオン予約ができるらしい。でも紹介状と今までの治療が判る画像と資料を含めた紹介状か必要らしいが明日1日でS先生からそれを貰うことは可能かを相談した。
その後 A病院に電話をしたが何度掛けても通じない。
そしたらなんとA病院から電話があった。
さっき途中で切れてしまって心配してたらしい。
その女性がさっきの明後日の枠を取っておいてくれたので、急だけど、A病院にセカンドオピニオンに行くことになった。
翌日、S先生はA病院にセカンドオピニオンに行くことを快くというか率先して賛成して協力してくれた。
更に、A病院がどうだったか何と言われたか、この治療方法で良いのかを確認して来て欲しい。
念のために手術方法をもう一度確認したいのでA病院からの話を詳しく聞きたいから翌日にKの診察枠で私だけでいいから来院して欲しいとS先生から言われた。
この様子だとセカンドオピニオンに行くことにして良かったなと思った。
A病院にはKと2人で車で行った。
駐車場が時間制なので時間が長いと高額になる。
セカンドオピニオンは大体2万円位、22000円位だったかな、一律料金みたいだった。
教授によるセカンドオピニオンで1時間に1人づつ入れる。
初診だったから結構待ったけど。
S病院での経緯と診療歴、現時点の状況の画像、
(肝臓に転移性腫瘍が10個あり)、手術方法の確認。
手術を二回に分け、1度目の手術で肝臓の右葉(肝臓の三分の二)を切除して左葉(肝臓の三分の一)だけにする。門脈塞栓術を施し、1ヶ月後に肝臓の大きさを確かめてから二回目の手術で残りの左葉部分に有る腫瘍を切除する。
この手術方法についての意見を求めた。
手術方法に問題は無いらしい。
腫瘍をもう少し小さい区分で切除することは可能だが、肝臓は毛細血管が密集しているから手術には高度な技術が必要になるため、右と左の堺目の肝鎌状間膜でスパッと切った方が肝臓内の血管を損傷せずに済むらしい。
また、肝臓は1ヶ月位で9割復活するとも。
(S先生は6割と言ったが違っているらしい)
こちらのA病院で手術するとしてもこの方法になるのかと聞いたら、A病院で手術をするなら2回に分けずに1度の手術で腫瘍全てを切除する方法を取るらしい。
どこの病院で手術をするとしても、かなり難しい手術になると言っていた。
A病院に転院して手術して貰うことは出来るか聞いたら承諾してくれた。
セカンドオピニオンの最中にも名前が出ていたM先生は水曜日担当の先生なので、その日の午後に診察を受けて、なんと診察中に手元の電話でS病院に電話をしてS先生を呼び出し転院の許可を取った。
そういう経緯があって、
突然、A病院で、M先生によって肝臓切除手術をしてもらえることになった。
今にして思えば、これが生死の境目だったと思う。
M先生はKの命の恩人だ。
正直なところ、S病院では駄目だっただろう
M先生の手術じゃなければ助からなかったと思う。
ステージ4、16個もの転移性悪性腫瘍。
M先生は命の恩人だ。
数パーセントしかない生存率を今生き延びている。
2016年7月下旬-8月上旬
この頃、Kの肝臓にある転移性腫瘍は勢いをつけてどんどん増えていった。
4月に転移が判ったときは6個だった腫瘍は、6月にも6個のままだったが、7月には9個になり、すぐ10個に増えた。
A病院に画像を持っていく直前に撮った画像では腫瘍が12個に増えていた。
更にA病院の術前検査で腫瘍は16個にまで増えてしまっていた‥
しかも 実際肝臓手術をしてみると、肝臓には19個もの悪性腫瘍が有った。
ものすごい勢いで腫瘍が増えていく‥
この1ヶ月間だけで6個だった腫瘍が急に16個?
いま腫瘍がいくつあるのかも覚えられないほど。
多くなった上に、大きくなってしまった。
こんな短期間で。
手術が決まった時点で肝臓に16個もの腫瘍。
よく16個も腫瘍があるのに手術してくれたなぁ。
一般的には腫瘍が6個もあれば手術をしてくれないらしいと聞くのに‥
結果的に19個もあった肝臓の悪性腫瘍を
M先生は神の手によって全て切除してくれた!
2016年8月、手術の日は良い天気だった。
Yも朝から一緒に来てくれた。
その日は病院の近くでイベントをやっていたから駅がとても混雑していて、マクドナルドも全て特別なセットのみ販売で普通のバーガーは売っていなかった。
この日もYにモスバーガーを買ってきて貰った。
手術が終わるまでの時間、A病院10階の日当たりの良い角のテーブルにYと2人でいた。
手術が終わりM先生から面談室に呼ばれた。
「手術は予定通りで無事に終了しました」
Yと一緒に、銀色の四角いトレーに置かれた
切除した肝臓を見た。
大きく切り取った肝臓の部位1つと破片部位。
肝臓はレバーのような赤黒いどろっとした肉塊で、そこに真っ白な円い癌の腫瘍が目立った。
赤黒肉片に真っ白で大きな‥カビみたいな感じ。
直径は、2cm位のとか、1cm位のとか、7mm位のとか、真っ白い丸い斑点がいくつもあって。
切ったら粉っぽいのかな? 胞子で繁殖しそうだ。
癌の腫瘍って真っ白なんだ。
臓器に癌があるって肉眼でこんなに目立つんだ‥不自然な白い斑点なので はっきり癌だと分かる。
Kの強い希望があったので、
切除した臓器の写真をiPhoneで撮らせて貰った。
私は気持ち悪くて画像保存したくないよ(>_<)
M先生との会話で、
「今ある癌は全て切除できたんですか?」
「実際には19個、今目で見えている癌は全部切除しました。
ただ‥癌の勢いが凄い。 必ず再発してきます」
と言われた。
後で、Yは「S先生は若すぎて病院の先生って感じじゃなかったけど、今度のM先生はちゃんとした病院の先生っていう感じがする」とか言ってた(^^;)
「必ず再発してきます」の言葉は引っかかったけど、突然悪性腫瘍が増えだして6個から19個にまで癌が増えちゃったんだからそう思うよね。
とにかく無事に手術が終わって良かった。
この手術、
後から考えても本当にここでやって良かった!
このときA病院のM先生に手術をして貰えたこと、今でも心から感謝している。
昨日は3ヶ月毎の診察の日だった。
良かった、再発していない。
もしかすると このまま治る可能性もある!
ステージ4ではあるけれど、
生存率はものすごく低いはずだけど‥
無憎悪期間なんだろうけど
それでも大丈夫 期待してしまう。
M先生は今年2019年の4月から別の病院に行ってしまった、とても悲しい‥。
私はM先生を医師として尊敬し、全面的に信頼していた。
こんなに信頼できる先生で良かったと心から思っていたから、M先生が担当じゃなくなる事がとても残念で‥(/ _ ; )
去年の暮れ、M先生が別の病院に行くと聞いた時には驚いたけれど、とにかくM先生にお礼が言いたくて、それを事務に伝えて再度診察室に通して貰った。
「M先生、今主人の命があるのは、M先生のお陰だと思っています、本当にありがとうございました!m(_ _)m」
M先生は笑顔で受けてくれた。
「腫瘍 19個でしたね、本当に良かったですね」
たぶんM先生自身も自分でなければ助からないパターンだったことを知っている様で、お礼の言葉を笑顔で素直に喜んでくれた。
私はM先生がとても好きだった。
外科手術の腕も超一流だし素直で真っ直ぐな先生だ。
M先生はKの命の恩人だから当然なんだけどね。
M先生は、はじめの肝臓手術をした直後、
「実際の腫瘍は19個でした。腫瘍の増え方が凄い勢いだ。必ず再発してきます」と言った。
正直な先生だなと思った。
手術直後に家族にそんなことを言うなんて。
あのときは確かに、凄い勢いだった。
凄い勢いで腫瘍が増えていった‥
2015年10月に原発切除したS病院ではリンパに転移が無かったことで初めはステージ2と言われていたけど念のために抗がん剤の経口UFTを飲むことにした。
それなのに、念のためにと経口UFTもしている最中にも関わらず2019年4月に肝臓への腫瘍転移が発見され‥腫瘍転移によってステージ4 になった。
経口UFTを中断してカテーテルによる抗がん剤に変更になるが感染により高熱が続き敗血症になり命を落としかける。
感染によって抗がん剤も中止になってしまった上に敗血症の治療期間が長く続いた。
その間4ヶ月ずっと再発時に発見された最大7mmの腫瘍は6個のままだったのに、肝臓手術時には10個に増え、セカンドオピニオン時には12個になり、術前検査で16個になり、実際の手術では19個‥敗血症治療後の僅か2週間余りの短期間の間に恐ろしい位の勢いで癌細胞が増えていった。
6個あれば切除手術はしてくれない医師も多いと聞くのに‥私達はなんて幸運だったろう!
19個もあった癌腫瘍を、M先生は神の手で全て切除してくれた‥
その後の診察で、診察の最後に私はM先生の目を見て「もしまた再発したら先生が手術してくれますか?」と言った私に、M先生はちゃんと話の目を見て「はい」としっかり答えてくれた。
心がジーンとした。
自信のある誠実な返事だった。
私はM先生の前では言葉が少ない。
質問に対しての答えが的確なので、
余計な言葉が必要ないからだ。
信頼とはこういう事なのだろうと感じる。
肺に転移があったとき、
私達の診察順位は朝9時で1番だった。
朝の診察前にM先生は外廊下で私達のテーブルの脇を通って行って、少し行き過ぎてから何故か私達を振り向いて挨拶をしてきた。
Kは「なんで振り向いたんだろう、これから再発を伝えなきゃって思ってたからかなぁ」なんて冗談を言ってだけど、本当になった。
一番初めに診察室に呼ばれた。
M先生は真面目で優秀だから、診察前に結果に目を通していて、診察で再発を伝える事が分かっていたのかもしれない。
次にまた肝臓に再発があったとき、
‥少し苦い表情で「同じ箇所なんですよね」と言った。
「同じ箇所だと何かあるんですか?」
「同じ箇所だと前回の切除部が癒着しているので、それを剥がすのが大変なんです」
その時はそれほど大変か判らなかったんだけど、
M先生は術前にも重ねて言っていた。
私が思うより癒着部を剥がすのは大変らしい。
「丁寧に時間を掛けてやります」と言っていた。
手術直後にも「思っていた通り癒着がかなりありましたが想定していた事なので想定通りということで時間をかけて丁寧に剥がして腫瘍は切り取りました」
もし次に同じ所に再発があれば、今度はもっとキツいんだろう‥
神様、どうかこれで終わりにしてください!
M先生は転院時に、
もしまた再発したときにはM先生が手術をしてくれると言ってくれて、4月から行く病院名も教えてくれた。
J病院は名前は聞いたことあるけど全個室の金持ち病院なんだね。
「検査はどこの病院でやっても同じだから検査はこのままここの病院でいいと思う。
もし再開したら私宛に紹介状を書く様に病院内にも伝えておくから。」と言ってくれた。
再発しなければ‥。
もし、これで終わってくれれば‥。
でもでも、
ステージ4 だし‥
大腸癌のステージ4の10年生存率は凄く低くて1桁なんだけどね‥。
ステージ4ったってピンキリで1個の人もいるのにその中でも、Kは肝臓に転移19個、肺に転移4個、肝臓に再転移1個‥転移した腫瘍の数も多いし、
抗がん剤も効かないみたいだし‥
それでも1桁の10年生存率をくぐり抜けたい。
今は、最後の手術から2年経った!
希望はある。
大丈夫! そう思う。
今のA病院に来たことでKの命は繋がっていると思ってはいるけど、
そういえば、A病院に来る前の担当医S先生も好きだったし信頼していたなぁ‥
年齢的には未熟な先生なんだろうけど、
顔も整っていて優秀そうなだし、なによりも
正直なところが信頼できると思っていたから。
(K先生はなんか信頼できなくて嫌いだった。
ポート手術の時もK先生に変更が不満で泣いた)
癌の担当医を信頼できるって大切だし幸運だね。
S先生はKが敗血症になったときも、
「手術前のレントゲンには無かったんだから手術が原因と言わざるを得ない」なんて自分側が不利になることまで言ったり、
私が「(Kの体調を)心配しました」と言ったら、
「私もです!」と言い返してきたり(家族に言い返しちゃダメでしょw笑)
念のためにUFTを勧められ、すぐにやると答えているのに、延々とUFTを勧めてきたり(自分が推進派で勧めたい気持ちが強いから)w笑
素直なんだと思った。
話し方が分かりやすくて正直な先生だった。
でも、優秀で且つ正直な先生だったから、
自分の立場が下のため一々上司の許可が必要だからそれをしなくて良い日程を選ぶような所もあって、
ポート入れる日程とかは患者よりも自分の立場を優先した日程にしていて、それを伝える時に一瞬横目でチラッとバツの悪そうな顔で私の顔を見たりとかもあった。
患者よりも自分の立場を優先っていうのは、残念ではあるけど、所詮は他人だし、優秀だからこそ仕事としてはそうなるよね、だから仕方ないことだよね。
肝臓の腫瘍切除術の説明をするときも、肝臓を3分の1にまで切除すると言って、「3分の1⁈ そんなに切っても大丈夫なんですか?」と心配する私に、「文献上は最高3分の1までは切除しても大丈夫な筈なので‥」「私はそこまで危険な手術をしたことは無いけど、でもこの病院では誰もこの手術はした事ないから‥」なんて言う(^^;)
その上、「限界まで切るってことなんですね‥大丈夫なんですか?」「わからない、でも手術が乗り越えられれば‥」「執刀は私じゃない方が安心」「セカンドオピニオンを受けてきて欲しい」
良くも悪くも正直で、適当な事を言って患者を安心させるって言うよりも正直な先生だった。
でも、S先生は、Kが死ぬと思っていたと思う。
だからしきりに「最後までこの病院で」と何度も言われた。(最後までって?)
あのときはS先生を信頼していて、命を預けようと思っていたんだよね。
でもそのS先生がセカンドオピニオンを勧めてくるので、医師から言われる位なんだから行っておいた方が良いかと思ってセカンドオピニオンの予約を取った。
今思うと、あのときA病院にセカンドオピニオンに行って良かった。
A病院のM先生に手術して貰えて良かった。
少なくても3年、命を貰った。
あと、希望も‥(*´ー`*)
>>30 訂正
× > S先生はKが敗血症になったときも、
⚪> S先生はKがイレウスになったときも、
私の人生に、もしもKが居なくなってしまったら、
とても寂しいだろう‥
Kのことを思い出しては、
私はことある毎にずっとずっと泣いているだろう‥
Kほど、私を大切にしてくれる人はいない
私のことを心から必要としてくれている
あのまま、Kが居なくならなくて良かった。
一緒にいられる「今」を大切にしよう
よくわからない‥
Kが癌だなんてピンと来ないしいつも忘れてる
もう治ったんじゃないかって頭では感じてる
でも違うのかな?
ステージ4の癌は完治はなく延命になると聞く
ってことはKの癌は今は無増悪期間ってだけで
近いうちにまた再発してくるってこと?
とりあえず3年再発が無いことを目指して
次に5年再発が無いことを目指していく
今は2年再発がないって時期になるのかなぁ
発覚からは4年?
最後の手術は2018年の1月。
肝臓に転移した悪性腫瘍摘出)から2年になる。
最後手術から3年再発無しなら見込みは大きい。
原発を取ってからは4年になる。
5年間再発が無ければ見込みは大きい。
いつも通りにしているからか
Kが癌だなんてピンと来ないしいつも忘れてる
だけど‥
ネットを見ると、再発や転移した腫瘍が1個か2個の場合に全部取りきれるケースとかって書いてあるよ?
腫瘍が6個もあれば手術も難しいみたいだし
(それはM先生に感謝しかないけれど)
原発1個、肝臓に転移19個、肺転移腫瘍が4個、同箇所の肝臓転移腫瘍1個、合計何個だろってくらい多いのに、これで完治なんてあるのかな‥?
どちらにしても、かなりレアな良ケースかも。
命があるだけでも感謝しなきゃならないね
・2015年10月‥大腸癌告知、腫瘍摘出手術
(11月 イレウスになり再入院)
・2016年4月‥肝臓転移発覚
(5月 CVポート増設し抗癌剤投与)
(6月 ポート感染し敗血症)
(7月 腫瘍10個に増、A病院セカオピ
(肝臓65%切除セカオピ依頼、転院)
・2016年8月‥転移性肝腫瘍摘出(転移19個)A病院
・2017年3月‥肺転移発覚(4個 以前からあった)
・2017年6月‥転移性肺腫瘍摘出(4個)
・2017年10月‥CTで肝臓と肺に影を指摘
(12月 肝臓手術決定、肺の影は消失)
・2018年1月‥転移性肝腫瘍摘出手術(再1個)
メシマコブが良かったのかな?
1ヶ月分5000円位で高かったけどね。
フコイダン1ヶ月分3500円やDHCマルチビタミンとかと合わせると1ヶ月13000円位毎月掛けてたし
初めの頃は宅配ヤクルトとか人参ジュースとか色々やっていたなぁ(^^;)
age
35:匿名:2020/11/19(木) 04:01 「 限りある大切な日々の記録」が消えてしまった‥
ちょっと悲しい
個人的な記録のために書き留めていたから
消えてしまって残念だけど‥
ときどきは、age ないと下がりすぎちゃうね‥
38:雪 hoge:2020/11/24(火) 06:29 もうすぐ3年…
最後の転移から3年転移が無ければ完治の希望が持てる。
すごいね、今2020年だから、2021年の1月で3年!
2016年の6月は敗血症で危うく死ぬ間際までいった…
2016年8月の手術では悪性腫瘍の肝臓への多数転移。
癌腫瘍の転移は19個もあったのに…奇跡だね!
今の先生は20個だと記録があると言っていたけど、
2018年1月の再転移の分も含めてってことかなぁ
今、Kは全く元気だから結果は良かったけれど、
癌ってステージ4でも完治するのかな?
一般的には完治ではなく延命だと聞くけど
5年大丈夫なら完治というとも聞くし…
原発の手術が2015年10月だから5年経つね。
2021年1月には最後の転移から3年経つから
一応、完治と言って良いのかもしれない。
本当に良かったね(^_^)
過去レスを読むと当時の気持ちを思い出す。
純粋で必死で愛情に溢れた想い…
自分で言うのもだけど、
Kの病状が良くなったのは私のお陰だと思う。
2020.12.17
Kが仕事を早退し、車でKと一緒に病院へ。
結果は良かった♪
これで、もうすぐ3年が達成だね♪
先生からも「素晴らしいです。ステージ4で、
肝臓に19個、肺にも複数、肝臓再転移ですからね。同じ状態の人は今もう亡くなっている人も多いのに、これならとても良い状態と言えると思いますよ」と言われた。
確かにあの状況からだもんね、奇跡みたいだ。
でもでも、しょうがない事だけど、
M先生じゃない(>_<)
私はM先生を心から信頼していたから‥
でも、もう会えない方がいいんだよね。
M先生に会うということは、
また転移があって再手術が必要のとき。
そんな日は来て欲しくない、だから。
このままで‥ずっとこのままで‥
最後の転移から3年、本当に良かった!
これで今後は半年に1回の通院になる。
あと2年転移が無ければ、寛解になる。
ステージ4 は完治しないなんて言うけど、
きっと完治する。
先生は楽観的に「たぶん大丈夫でしょう」と仰った♪
でもなぁ…ステージ4の場合には、
5年生存率とか、10年生存率とか、
すっごく低いんだよね…(><。)。。
だから今後も気を抜けないね。