聖書こそが真理か?

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1:伝道者◆zc:2019/01/24(木) 07:25 ID:lE2

聖書こそ真理と確信している者です。

神はいるのか?聖書は神の言葉か?聖書は何を教えているのか?議論しませんか。

68:サビぬき。◆ps:2019/03/20(水) 22:21 ID:a92

>>67

つまりアナタは「輸血・献血」を全否定する立場におられる方である…という解釈でよろしいのでしょうか?

69:十六夜◆YU:2019/03/20(水) 22:53 ID:Nj2

エホバの証人じゃん。

70:ぬこ hoge:2019/03/21(木) 16:03 ID:MfM

>>63
御返事ありがとうございます
私は特にキリスト教を信じていたり聖書の内容を信じていたりする訳では無いのですが、確かにあなたの言う通り『言葉は抜き出すだけでなく、何故その言葉を言ったのかが重要である』と言うのは正しい事だと思います

71:伝道者◆zc:2019/03/22(金) 07:48 ID:29A

>>68

>つまりアナタは「輸血・献血」を全否定する立場におられる方である…という解釈でよろしいのでしょうか?

>>67では、血に関しての聖書的な見方を説明しました。私が、ではなく、聖書が輸血を否定していると理解出来ます。

私は聖書を神の言葉として受け止めています。それ故に、輸血や献血は聖書の神の言葉に反する行為だと考えています。

何を「血」と考えるかは、また別の問題です。血液分画を行った後、どの成分までを血と捉えるか、ということです。例えば血漿の9割は水分です。水は血ではありません。そういう観点から、「全否定」という表現が適切かは分かりません。しかし、血液の四つの主成分である赤血球、白血球、血小板、血漿は血と捉えています。

72:伝道者◆zc:2019/03/22(金) 08:05 ID:29A

>>69

十六夜さん、コメント下さり、ありがとうございました。

>エホバの証人じゃん。

確かにエホバの証人は輸血を拒否しています。エホバの証人は聖書研究に熱心で、聖書の教えを真剣に適用しようとしているからです。

手術中の出血量を最低限に抑えるには高度な医療技術が求められます。また、輸血を生理食塩水で代用することが可能なこともある様です。輸血には未だ多くのリスクがある為、無輸血治療を求めることは最良の医療を求めることでもあります。

しかし、どうしても輸血を行わないと助からない局面もあるでしょう。それはキリシタンの踏み絵の様なものかもしれません。

1.信仰に反すること行って、命を繋ぐか。
2.或いは信仰を貫き、この命を失い、そして信仰を貫いた故に復活した後に永遠の命を得るか。

聖書中の事例はどうでしょうか。ダニエル、ダビデ、イエスは後者を選ぶことを教えています。

73:伝道者◆zc:2019/03/22(金) 08:22 ID:29A

>>65

>悪く言えば、ヤハウェは三重人格というべきでしょうか。

アーリアさん、聖書から考えてみましょう。

ルカ22:42
こう言われた。「父よ,もしあなたの望まれることでしたら,この杯をわたしから取り除いてください。しかしやはり,わたしの意志ではなく,あなたのご意志がなされますように」。

イエスのご意志ではなく、父のご意志がなされる様に、とイエスが仰っています。

マタイ24:36
「その日と時刻についてはだれも知りません。天のみ使いたちも子も知らず,ただ父だけが知っておられます。

父が知っていることを子は知らない、とイエスは述べておられます。

確かに「三位一体ありきの考え」では、神が多重人格者の様に捉えざるを得ないでしょう。

しかし本当に三位一体の前提は正しいのでしょうか。

フィリピ2:5-6
キリスト・イエスにあったこの精神態度をあなた方のうちにも保ちなさい。彼は神の形で存在していましたが,強いて取ること,つまり,自分が神と同等であるようにということなどは考えませんでした。

例えばイエスご自身は、自分がエホバと同等だとは考えていなかった、と書かれています。

三位一体説は聖書の教えではなく、異教の由来です。

カトリック教会に異教の由来など無いと思われますか?例えばクリスマスのサンタクロース、イースターのウサギはどうですか?聖書に由来があるでしょうか?異教に由来があります。

74:伝道者◆zc:2019/03/22(金) 08:25 ID:29A

アーリアさん、もう一つ、聖書からイエスの言葉を引用させて下さい。

ヨハネ14:28
父はわたしより偉大な方だからです。

どう思われますか。イエスご自身は三位一体を肯定されていますか。

75:伝道者◆zc:2019/03/22(金) 12:48 ID:29A

>>60

>さて、イエス様はなんなのでしょうか?
すなわち神社の中でも極めて格の高い神様即ちヤハウェでございます。 何故なら人類の罪に赦しを与えた荒業はヤハウェでなければ不可能だからです。

ヨハネ6:38
わたしは,自分の意志ではなく,わたしを遣わした方のご意志を行なうために天から下って来たからです。

アーリアさん、上の聖句はイエスの言葉です。イエスは贖いを実現しました。エホバに遣わされ、それを実現しました。遣わした方エホバ、遣わされた方イエスが何故同じ一人と解釈されるのでしょうか。別の方だと解釈すべきではないでしょうか?

76:伊藤誠一:2019/03/22(金) 16:05 ID:cBY

歴史的な間違いについて


>そのころ、皇帝アウグストゥスから全領土の住民に、登録をせよとの勅令が出た。
シリア州で住民登録が行われたのは紀元前8年ごろ。時期が合わない。
また、アウグストゥスは名前ではない。

>これは、キリニウスがシリア州の総督であったときに行われた最初の住民登録である。          キリニウスが総督であったのは紀元前6年ごろ。時期が合わない。      

77:伊藤誠一:2019/03/22(金) 16:15 ID:cBY

神の存在だって絶対ではないしね。

ノアの箱舟はギルガメシュ叙事詩の盗作。

他にも、ソロモンについて矛盾がある。

列王記上 4:26(マソラ写本 5:6)
ソロモンは戦車用の馬の厩舎四万と騎兵一万二千を持っていた。(新共同訳 5:6)
ソロモンはまた戦車の馬の、うまや四千と、騎兵一万二千を持っていた。(改訂版 4:26)

歴代誌下 9:25
ソロモンは馬と戦車のための厩舎四千、騎兵一万二千を有した。


列王記上 5:16(マソラ写本 5:30)
そのほか、ソロモンには工事の責任を取る監督が三千三百人いて、工事に携わる民を指揮した。(新共同訳 5:30)
歴代誌下 2:17
そのうち七万人を荷役の労働者、八万人を山で石を切り出す労働者、三千六百人を民を働かせるための監督とした。

列王記上 7:26
「海」は厚さが一トファ、その縁は、ゆりの花をかたどって、杯の縁のように作られた。その容量は二千バトもあった。
歴代誌下 4:5
「海」は厚さが一トファ、その縁は、ゆりの花をかたどって、杯の縁のように作られた。その容量は優に三千バトもあった。

列王記上 9:23
ソロモンの工事に配置された監督は五百五十名で、工事に従事する人々の指揮をとった。
歴代誌下 8:10
ソロモン王の配置した監督は二百五十名で、人々の指揮をとった。

列王記下 8:26
アハズヤは二十二歳で王となり、一年間エルサレムで王位にあった…。
歴代誌下 22:2
アハズヤは四十二歳で王となり、一年間エルサレムで王位にあった…。

78:伊藤誠一:2019/03/22(金) 16:18 ID:cBY

まだまだあるよ、聖書の矛盾点。

ヨヤキンの即位について
列王記下 24:8
ヨヤキンは十八歳で王となり、三ヶ月間エルサレムで王位にあった…。
歴代誌下 36:9
ヨヤキンは八歳で王となり、三ヶ月と十日間エルサレムで王位にあった…。


ヨシャファトについて
列王記上 22:49-50
ヨシャファトはタルシシュの船を数艘造り、金を求めてオフィルに行こうとしたが、船団はエツヨン・ゲベルで難破し、行くことが出来なかった。そのとき、アハブの子アハズヤがヨシャフトに、「わたしの家臣たちとともに船に乗り込ませればよい」と言ったが、ヨシャフトはそれを望まなかった。
歴代誌下 20:35-37
ユダの王ヨシャフトはイスラエルの王アハズヤと協定を結んだ。この王は悪を行った。彼らはタルシシュ行きの船団を造るために協定を結び、エツヨン・ゲベルで船団を造った。そのとき、マレシャ出身のドダワフの子エリエゼルがヨシャファトに向かってこう予言した。「アハズヤと協定を結んだため、主はあなたの事業を打ち壊される。」こうして船は難破し、タルシシュに行くことは妨げられた。


捕虜について
サムエル記下 8:3-4
ダビデは次に、ツオバの王、レホブの子ハダドエゼルがユーフラテスに勢力を回復しようと行動を起こしたとき、彼を討ち、騎兵千七百、歩兵二万を捕虜とし、戦車の馬は、百頭を残して、そのほかすべて腱を切ってしまった。
歴代誌上 18:3-4
ダビデは次に、ハマト地方のツオバの王ハダドエゼルが、ユウフラテスに覇権を確立しようと行動を起こしたとき、彼を討ち、戦車一千、騎兵七千、歩兵二万を捕獲し、戦車の馬は、百頭を残して、そのほかはすべて腱を切ってしまった。

戦闘員の数
サムエル記下 24:9
ヨアブは調べた民の数を王に報告した。剣をとりうる戦士はイスラエルに八十万、ユダに五十万であった。
歴代誌上 21:5
ヨアブは調べた民の数をダビデに報告した。全イスラエルには剣をとりうる男子が百十万、ユダには剣を取りうる男子が四十七万であった。

死亡した戦車兵の人数
サムエル記下 10:17b-18
アラム軍は戦列を整えてダビデを迎え討ち、戦ったが、彼らはイスラエルの前から逃げ去った。ダビデはアラムの戦車兵七百、歩兵四万を殺し、軍の司令官ショバクもその場で打ち殺した。
歴代誌上 19:17b-18
ダビデは戦列を整えてアラムを攻撃し、戦った。彼らはイスラエルの前から逃げ去った。ダビデはアラムの戦車兵七千、歩兵四万を殺し、軍の司令官ショファクも殺した。

79:伝道者◆zc:2019/03/22(金) 21:15 ID:29A

>>76

伊藤さん、興味深い投稿を下さり、ありがとうございました。

私は歴史に強くありませんが、一つずつ確認し、回答してみたいと思います。

>そのころ、皇帝アウグストゥスから全領土の住民に、登録をせよとの勅令が出た。
シリア州で住民登録が行われたのは紀元前8年ごろ。時期が合わない。 また、アウグストゥスは名前ではない。

>これは、キリニウスがシリア州の総督であったときに行われた最初の住民登録である。          キリニウスが総督であったのは紀元前6年ごろ。時期が合わない。

聖書の以下の箇所ですね。

ルカ2:1-2
さてそのころ,人の住む全地に登録を命ずる布告がカエサル・アウグスツスから出た。(この最初の登録はクレニオがシリアの総督であった時に行なわれたものである。)

アウグスツスの治世は西暦前27年から西暦14年まで、ローマ元老院の議員クレニオはシリアで総督を二度務めており、1回目はウァルスの後任としてですが、ウァルスの任期は西暦前4年に終わりました。一部の学者は総督としてのクレニオの1回目の任期を西暦前3‐2年としています。特に時期の問題は無い様です。

アウグスツスは尊厳者を意味する称号ですが、この称号が名前として用いられる場合にはローマ帝国の初代皇帝オクタウィウスを指すそうです。

80:伝道者◆zc:2019/03/23(土) 06:59 ID:Srs

>>77

>ノアの箱舟はギルガメシュ叙事詩の盗作。

類似点は多くあれど、異なる点も多くあります。

時系列として、
@史実としての大洪水があった。
Aギルガメシュ叙事詩に大洪水が書かれる。
B創世記の大洪水が書かれる。
となっていても、盗作とはなりませんよね。

例えば
@大地震が起こる。
A新聞社Aが報道する。
B新聞社Bが報道する。
の時系列の場合、新聞社Bは自動的に盗作となりますか?ならないでしょう。記事に異なる点も多々あれば、尚更でしょう。

>他にも、ソロモンについて矛盾がある。

列王の四万が誤写の様です。誤写や誤訳はあり得ます。研究すれば原本の内容が明らかに出来る為、特に問題では無いです。

81:伊藤誠一:2019/03/23(土) 12:26 ID:cBY

>>79
ヘロデ大王の没年は紀元前4年ですから、紀元前三年以降では聖書の記述と矛盾してしまいます。また、住民登録の時期とも合いません。

>>80
ノアの箱舟とギルガメッシュ叙事詩では書かれた時期が全然違う。細かいところまで一致しているうえ、時期も大きく違うのですから、新聞の報道に例えるのはナンセンスです。
作詞や作劇のほうが近いと思いますが。常識的に考えて、盗作ではないでしょうか。異なる点があっても同じような記述が多数あれば盗作では?


それは聖書の記述にも間違いがあり得るということですよね?

82:伝道者◆zc:2019/03/24(日) 08:00 ID:Srs

>>77

>列王記上 5:16(マソラ写本 5:30)
そのほか、ソロモンには工事の責任を取る監督が三千三百人いて、工事に携わる民を指揮した。(新共同訳 5:30)
歴代誌下 2:17
そのうち七万人を荷役の労働者、八万人を山で石を切り出す労働者、三千六百人を民を働かせるための監督とした。

>列王記上 9:23
ソロモンの工事に配置された監督は五百五十名で、工事に従事する人々の指揮をとった。
歴代誌下 8:10
ソロモン王の配置した監督は二百五十名で、人々の指揮をとった。

代官の分類の仕方が異なっているようです。歴代下は非イスラエル人の代官3,600人とイスラエル人の代官250人を区別しているのに対して、列王記上は現場監督3,300人と、もっと高位の長たる監督550人を区別しているものと思われます。どちらの場合も代官を務めた人の総数は3,850人でした。

>列王記上 7:26
「海」は厚さが一トファ、その縁は、ゆりの花をかたどって、杯の縁のように作られた。その容量は二千バトもあった。
歴代誌下 4:5
「海」は厚さが一トファ、その縁は、ゆりの花をかたどって、杯の縁のように作られた。その容量は優に三千バトもあった。

別の訳では、この様になっています。

歴代下4:5
そして,その厚さは一手幅であり,その縁は杯の縁の造り,すなわちゆりの花のようであった。入れ物として,それに入ったのは三千バトであった。

原語のヘブライ語では次のように理解する余地があるのです。歴代下は神殿の水盤の最大容量、すなわち入り得た水量について述べているのに対して、列王上は、その水盤に日ごろ入っていた水量を記録しているということです。つまり神殿の水盤に最大容量いっぱいまで水を入れることはなかったのです。容量の3分の2だけ水を入れるのが習慣だったようです。

>列王記下 8:26
アハズヤは二十二歳で王となり、一年間エルサレムで王位にあった…。
歴代誌下 22:2
アハズヤは四十二歳で王となり、一年間エルサレムで王位にあった…。

一部写本に見られた誤写の様です。シリ訳の22が正の様です。

>>78

>列王記下 24:8
ヨヤキンは十八歳で王となり、三ヶ月間エルサレムで王位にあった…。
歴代誌下 36:9
ヨヤキンは八歳で王となり、三ヶ月と十日間エルサレムで王位にあった…。

同上で、シリ訳の18が正の様です。

83:伊藤誠一:2019/03/24(日) 13:43 ID:cBY

>>82
容量の話をしているのだから、入っていた量の話だという解釈は無理があるのでは?

結局、聖書には間違いがありますよね。神の言葉によって導かれたものであればミスはありえないはず。にもかかわらずミスがあるということは神は真理ではないか、聖書は神の言葉によるものではないかのどちらかです。
しかし、神が真理でないということは、キリスト教における神の存在と矛盾するので、ありえない。よって聖書は神の言葉によるものではなく、人間から出たものだといえる。
人間から出たものなので、真理ではない。

84:サビぬき。◆ps:2019/03/24(日) 20:01 ID:a92


お見事、チェックメイト!‥っぽい気がする。

85:伝道者◆zc:2019/03/24(日) 21:21 ID:Srs

>>81

>ヘロデ大王の没年は紀元前4年ですから、紀元前三年以降では聖書の記述と矛盾してしまいます。また、住民登録の時期とも合いません。

ヘロデの死の年代につき、諸説ある様です。詳しくはこちらをご参照下さい。
https://wol.jw.org/ja/wol/d/r7/lp-j-rb/1200002000?q=%E3%83%98%E3%83%AD%E3%83%87+%E6%AD%BB%E3%81%AE%E5%B9%B4%E4%BB%A3&p=par

>ノアの箱舟とギルガメッシュ叙事詩では書かれた時期が全然違う。細かいところまで一致しているうえ、時期も大きく違うのですから、新聞の報道に例えるのはナンセンスです。
作詞や作劇のほうが近いと思いますが。常識的に考えて、盗作ではないでしょうか。異なる点があっても同じような記述が多数あれば盗作では?

確かに大洪水が史実で無ければ、盗作と考えることが出来ます。

つまり、ギルガメシュ→創世記

しかし大洪水が史実であれば、史実に基づき、別々の書き物が書かれたというだけで、盗作にはなりません。

つまり
史実→ギルガメシュ
史実→創世記

類似の大洪水の話は、ギルガメシュより古いシュメール神話にも登場します。更に中国やアステカ族、インカ族、およびマヤ族の神話にも登場します。これは史実として世界的な大洪水があり、人類の記憶に刻まれたことを示唆しています。

更にこれらの話に類似点が多いことは、元々同じ土地にいた人々が世界各地に散っていったという聖書のバビロンの塔の記述に、むしろ信憑性をもたらしています。

>>83

>容量の話をしているのだから、入っていた量の話だという解釈は無理があるのでは?

訳に踊らされてはいけません。英文欽定訳では2000バトが入っていた、と書かれています。容量という語は出てきません。

And it was an hand breadth thick, and the brim thereof was wrought like the brim of a cup, with flowers of lilies: it contained two thousand baths.

>結局、聖書には間違いがありますよね。神の言葉によって導かれたものであればミスはありえないはず。にもかかわらずミスがあるということは神は真理ではないか、聖書は神の言葉によるものではないかのどちらかです。

神の言葉である聖書とは、厳密に言えば神からの霊感であり、その霊感により記された「原本」です。

写本には誤写はあり得ます。訳本には誤訳があり得ます。今、例えば私が写したり訳したりすれば、無意識でも意図的でも間違えかねない。同じことです。

原本は失われているが、残された写本や訳本から原本を見定めています。これだけしかエラーが見つからないので、かなりの精度で写本され、原本の内容が保持されていると逆に考えられます。

その原本に誤りは無く、神の言葉だと信じています。

86:無論:2019/03/24(日) 21:25 ID:/FY

素朴な疑問なんだが…
神は「必ず間違ってはいけない」という考え方は正しいのか?
そこ崩れるとチェックメイトじゃないよな?w

神は真理であり間違いを起こさないなら…
そもそも地球を破壊するような暮らしをする人間なんて創作しないと思うよw

87:伊藤誠一:2019/03/24(日) 22:13 ID:cBY

>>85
その記述は確かWikipediaで削除されていたはず。

まず、BC4年前後のエルサレムで月食が確認できたのはBC5、BC4、BC1のみ。
ここでヘロデの没年はこのうちのどれかだといえるだろう。
さて、BC1がヘロデの没年だった場合、彼の息子の在位年と矛盾する。
アルケラオス(在位期間10年間<『古代誌』第XVII巻13章2節>で紀元後6年解任。

第一、キリニウスが総督であった時期と住民登録の時期とは矛盾する。

>確かに大洪水が史実で無ければ、盗作と考えることが出来ます
事実であっても内容が酷似しているなら盗作ですよ。新聞記事だって他紙の記述を勝手に使ったら違反ですしね。盗作かどうかに史実であるかどうかはそこまで関係していません。

>これは史実として世界的な大洪水があり、人類の記憶に刻まれたことを示唆しています。
余談ですが、ギルガメシュはシュメール神話に登場しますwあくまで一説ですが
残念ながら、世界大洪水説は疑似科学の域を出ていませんよ。局地的な洪水と考えるのが現実的です。当時の人間の知り得る世界なんてちっぽけなんですから。

containerの意味は容量だったはずだからcontainedもそんな感じだと思うのですが、後で辞書引きますね。

>その原本に誤りは無く、神の言葉だと信じています。
間違った点があるかもしれませんよね。第一、神は存在するとは言えないんですよ。

88:伊藤誠一:2019/03/24(日) 22:16 ID:cBY

>>86
キリスト教では絶対神ですから。

ちきうを破壊する人間を作ったのはちきうに試練を与えるためだと反論されるだけだと思います。彼らは都合のいいことは恵み(ほとんどない上にしょぼい)と言って、不都合なことは試練(多い上にキツイ)というのです。要するにドMです。

89:ヤキソバ:2019/03/24(日) 23:33 ID:vwM

別に聖書に書いてあることが真実か正しいかなんてのは重要じゃないと思うんだけどなあ 人の宗教観を否定するのはよくないし
スレ主さんが真実かどうかを検証する目的で立てたんだったらごめん

90:カレー:2019/03/24(日) 23:58 ID:7RY

聖書が真理だとしてもそれを布教したり伝える術が貧弱だと、その真理の数パーセントも活かせない結果となる。だから聞かされる側としてみれば真理として聞こえないわけよ。自分から真理として聖書を位置付けている人なら別だけど。

91:ヤキソバ:2019/03/25(月) 00:06 ID:vwM

>>90
確かに布教したいなら別問題だったね
最後の一文を言いたかった

92:カレー:2019/03/25(月) 00:19 ID:7RY

ある個人が考える位置付けとして聖書を真理として取り扱うって話なら分かりやすいんだけど、
その位置付けを自分以外にどこまで拡大できるかが問題で、こうなってくればもう布教する技術に依存する。めちゃくちゃ布教の上手い奴がいたら『聖書が真理』となる日もくるんじゃない?いろんな宗教あるからライバルも多くて、いつになるか分からないけど。

93:伊藤誠一:2019/03/25(月) 00:28 ID:cBY

人によってとらえ方が変わる時点で真理ではないね。多分。

94:カレー:2019/03/25(月) 00:33 ID:7RY

>>93
まぁそうなんだけどさ、一応真理として扱ってる人もいるから>>92で言ったぐらいに留めとけば問題はないかと、あとは頑張って布教してくださいってとこ。

95:伝道者◆zc:2019/03/25(月) 20:53 ID:OJg

>>86

無論さん、投稿をありがとうございます。

>神は真理であり間違いを起こさないなら…
そもそも地球を破壊するような暮らしをする人間なんて創作しないと思うよw

神は人間を完全に造り、自由意志を与えました。サタンに唆された人間は、その自由意志により、神に反逆する道を選びました。自由とは反逆出来るという自由も含みます。そして現在、人間は地球に害を与えています。

この自由意志はとても深いテーマで、掲示板で説明するのは結構難しいです。面着で一時間位個別に話さないと伝わらないかもしれません。

96:伊藤誠一:2019/03/25(月) 20:55 ID:cBY

>>95
反逆されたということは自由意志を与えたことが間違いになる。

97:伝道者◆zc:2019/03/25(月) 21:02 ID:OJg

>>88

>ちきうを破壊する人間を作ったのはちきうに試練を与えるためだと反論されるだけだと思います。

伊藤さん、実際のところ、聖書には何と書かれているでしょうか。見てみましょう。

伝道の書1:4
代は去り,代は来る。しかし,地は定めのない時に至るまで立ちつづける。

詩篇37:29
義なる者たちは地を所有し,そこに永久に住むであろう。

詩篇104:5
神は地の基をその定まった場所に置かれました。それは定めのない時に至るまで,まさに永久によろめかされることがありません。

つまり地球が滅びることはない、と聖書は教えています。

ヤコブ1:13
試練に遭うとき,だれも,「わたしは神から試練を受けている」と言ってはなりません。悪い事柄で神が試練に遭うということはありえませんし,そのようにしてご自身がだれかに試練を与えることもないからです。

神は試練を与えない、と聖書は教えています。

これが聖書の本当の教えです。

98:カレー:2019/03/25(月) 21:14 ID:7RY

俺思うんだけどよ、仮に聖書が真理だとしても現実に起こる現象にその真理を適応させるまでに時間がかかってしまう。その結果真理として認知されないと言う問題が常に付きまとうんじゃないか?
だから聖書を人間に近づけるんじゃなくて、人間の方から聖書に近づいてきて来てもらうといった手法でないと多分、真理として位置付けるのは無理なんじゃないかと思いますね。

99:伝道者◆zc:2019/03/25(月) 21:15 ID:OJg

>>93

>人によってとらえ方が変わる時点で真理ではないね。多分。

どうでしょうか。1+1=2は真理ですか。二進法の世界では1+1=10が正解です。赤ちゃんに問えば、答えはバブー、犬に問えば答えはワンです。1+1=2が2になるのは、公理でそう前提を決めたからに過ぎません。そう決めたからそうなるだけです。例えば睡眠中、夢を見ている人間には論理などどうでも良いのです。

少し脱線しました。。。

聖書に関して言えば、真剣に研究しない人、真剣に考えない人、真剣に感じようとしない人、真剣に適用しない人には真理が見出せない様に作られています。真理は貴重なものですので、受ける側も試される様に作られています。万人が真理を見出せるわけではありません。

マタイ6:13-14
「狭い門を通って入りなさい。滅びに至る道は広くて大きく,それを通って入って行く人は多いからです。一方,命に至る門は狭く,その道は狭められており,それを見いだす人は少ないのです。

マタイ7:7-8
「求めつづけなさい。そうすれば与えられます。探しつづけなさい。そうすれば見いだせます。たたきつづけなさい。そうすれば開かれます。だれでも求めている者は受け,探している者は見いだし,まただれでもたたいている者には開かれるのです。

100:伊藤誠一:2019/03/25(月) 21:25 ID:cBY

>>97
>つまり地球が滅びることはない、と聖書は教えています。
ちきうは滅びます。恐らく、うちうの動きによってです。


>神は試練を与えない、と聖書は教えています

そうでしょうか?

 あなたがたのあった試練はみな人の知らないようなものではありません。神は真実な方ですから、あなたがたを耐えることのできないような試練に会わせるようなことはなさいません。むしろ、耐えることのできるように、試練とともに、脱出の道も備えてくださいます。

とコリント信徒への手紙にあるのですが。乗り越えられる試練は与える可能性がある。

101:伝道者◆zc:2019/03/25(月) 21:28 ID:OJg

>>96

>反逆されたということは自由意志を与えたことが間違いになる。

ヨハネ4:24
神は霊であられる

コリント第二3:17
さて,エホバは霊です。

まず、神は霊者です。

創世記1:27
そうして神は人をご自分の像に創造してゆき,神の像にこれを創造された。

では上記の聖句をどう理解すべきでしょうか?人間は霊者ではない。

つまり人間は身体的に神に似せて造られたのではなく、神の特質に似せて造られた、と理解出来ます。例えば自由意志も神の特質の一つです。これは本能で生きる昆虫には無い特質です。

本当の信仰、本当の愛は、自由意志を得て初めて可能になります。自由意志には自発性、積極性が必須だからです。

神は過分のご親切により、人間に自由意志を与えました。人が本当の信仰、本当の愛を与えることが出来る様にです。

例えば毎朝7時に「愛しているよ」とアラーム音を発する様にプログラムされた目覚まし時計があるとします。その愛の表明に何の価値があるでしょうか。自由意志に基づくからこそ、本当の愛が実現するのではないでしょうか。

自由意志は自由ですので、当然誤用することも可能です。神に反逆することも可能です。それでも神は人に自由意志を与えました。自由意志という素晴らしい贈り物を誤用せず、正しく用いていきたいと思います。

102:伊藤誠一:2019/03/25(月) 21:34 ID:cBY

>>99
>どうでしょうか。1+1=2は真理ですか。二進法の世界では1+1=10が正解です。赤ちゃんに問えば、答えはバブー、犬に問えば答えはワンです。1+1=2が2になるのは、公理でそう前提を決めたからに過ぎません。そう決めたからそうなるだけです。例えば睡眠中、夢を見ている人間には論理などどうでも良いのです。
真理ではない。東条英機に言わせてみれば1+1=80だからね。

>受ける側も試される様に作られています。
それを試練というのです。多分。


では、真理とはなんでしょう。

マルコやルカが酒飲んで
一杯機嫌でほら吹いた
でたらめなんか知るものか
嫌な宗教じゃ

103:伊藤誠一:2019/03/25(月) 21:46 ID:cBY

>>101
>つまり人間は身体的に神に似せて造られたのではなく、神の特質に似せて造られた
単細胞の生物だったものが、進化の過程でこうなったにすぎません。創造論は非科学的です。人間である黒人が人間でないとキリスト教国家に見なされてた時期があったのはなぜでしょうね。

>神は過分のご親切により、人間に自由意志を与えました。
他には与えなかったのですか。随分と酷い神ですね。
第一に、人間ですら自由意志を持つと言えるかわからんのです。我々の思考というのは幾度もの世代交代によって培われてきた経験の基にあるのですから。

>自由意志は自由ですので、当然誤用することも可能です。神に反逆することも可能です。それでも神は人に自由意志を与えました。自由意志という素晴らしい贈り物を誤用せず、正しく用いていきたいと思います。

では自由意志を持つ神も過ちを起こす可能性があるのでは?

104:アーリア◆GM:2019/03/25(月) 21:47 ID:NIs

>>102.
貴方がスレ主をキリスト教徒であると断定した記述はないから指摘すべきではないかもしれないが念のために言う。
三位一体を否定なさってるから少なくともスレ主はキリスト教でない。

あと三位一体論(キリスト論)でかなり私が劣勢だけど、ちょっと色々疲れちゃったので待っててほしい。
このスレが賑わっている間に返信するよう努める。

105:伊藤誠一:2019/03/25(月) 21:53 ID:cBY

>>104
では、ユニテリアン、エホバの証人、モルモン教、統一協会、クリスチャン・サイエンス、イエス之御霊教会、キリストの幕屋あたりですかね。

106:カレー:2019/03/25(月) 22:11 ID:7RY

何の聖書か知らないけど制約多すぎだろw
美味しいけど料理にメチャクチャ時間がかかるメニューみたいなもんで、出来上がる頃には食べる気が無くなってそう。美味しいのはいいけどさー時間かかりすぎってなとこじゃん。
それに真理があるって仮定して話してるうちはいいけどさ、実際問題真理が無いってなったときの絶望よ。

107:ヤキソバ:2019/03/25(月) 22:36 ID:vwM

これって正直議論する意味もあんまりなくない…?

108:カレー:2019/03/25(月) 22:39 ID:7RY

>>107
それを言ったらよwww

109:伝道者◆zc:2019/03/26(火) 06:01 ID:Srs

>>100

>とコリント信徒への手紙にあるのですが。乗り越えられる試練は与える可能性がある。

先の聖句の続きです。

ヤコブ1:14-15
むしろ,おのおの自分の欲望に引き出されて誘われることにより試練を受けるのです。次いで欲望は,はらんだときに,罪を産みます。そして罪は,遂げられたときに,死を生み出すのです。

悪魔サタンの支配する現在の世で、不完全な罪深い人間は、自分の世俗的な傾向により試練を受けます。試練は神から来るのでなく、自分の肉的な傾向から来ます。

神は試練を取り除きはしませんが、肉的な欲望と闘う力を与えて下さいます。

110:伝道者◆zc:2019/03/26(火) 07:55 ID:SZQ

>>103

>単細胞の生物だったものが、進化の過程でこうなったにすぎません。創造論は非科学的です。

科学者が無から単細胞の命を造りだせた事例がありますか。現時点では未だだと思います。

では、設備の整った実験室で、知識を持った科学者が、単細胞の命を造りだそうという意志を持っても未だ出来ていないことが、整っていない自然環境下で、知識も意志も無く達成されたと考えることは果たして本当に科学的ですか。

科学とは論理、観察、実験による検証を重んじることではないでしょうか。この条件を進化論は本当に満たしていますか。満たしていないのであれば、進化論こそ非科学的ではないでしょうか。

長い時間を掛ければ色々な偶然が起こる、それだけが論拠でしょうか。その理屈であれば、長い時間を掛ければ神でさえ偶然生まれると言えてしまうのではないでしょうか。つまり「長い時間を掛ければ、あらゆる偶然は可能」説は、創造論さえも擁護してしまいます。

さて長い時間を掛ければ、に関して、観察は何を示すでしょうか。観察によるとこうです。例えばログハウスがあるとします。長い時間を掛けると、日焼けし、草が生え、風化し、朽ち果てていきます。それが自然に高層ビルに変わることはありません。しかしメンテナンスするなら、ログハウスは持続するでしょう。改築するなら高層ビルにも変わるでしょう。しかしメンテナンスにも改築にも「意志」や「知識」や「力」が必要です。意志や知識や力、こうしたものが作用しない限り、長い時間は創造や進化ではなく、破壊や退化に向かう傾向があります。これが観察の示すところです。

私は科学は否定しません。果たして進化論は本当に科学的ですか、と問うています。

>人間である黒人が人間でないとキリスト教国家に見なされてた時期があったのはなぜでしょうね。

当時、創世記9:25が論拠とされていた様です。しかしカナン人は黒人ではありませんでした。意図的な聖書の誤用、或いは聖書の研究不足の結果です。真のキリスト教徒でなく、偽のキリスト教徒の「聖書に基づかない」行いです。魔女狩りにせよ十字軍の侵略にせよ、そういった人々は聖書の権威を「悪用」し、「非聖書的」な行いをしてきました。

聖書は予めこうしたことが起こると預言し警告していました。

マタイ7:15
「羊の覆いを付けてあなた方のもとに来る偽預言者たちに警戒していなさい。内側では,彼らはむさぼり食うおおかみです。

ペテロ第二2:1-2
しかしながら,民の間には偽預言者も現われました。あなた方の間に偽教師が現われるのもそれと同じです。実にこれらの人々は,破壊的な分派をひそかに持ち込み,自分たちを買い取ってくださった所有者のことをさえ否認し,自らに速やかな滅びをもたらすのです。さらに,多くの者が彼らのみだらな行ないに従い,そうした者たちのために真理の道があしざまに言われるでしょう。

聖書は実際に何を教えているでしょうか。以下の聖句の通り、聖書は人種差別をしていません。

ガラテア3:28
ユダヤ人もギリシャ人もなく,奴隷も自由人もなく,男性も女性もありません。あなた方は皆キリスト・イエスと結ばれて一人の人となっているからです。

>>神は過分のご親切により、人間に自由意志を与えました。
>他には与えなかったのですか。随分と酷い神ですね。

与えられたものは本当に沢山あり、自由意志はその一つです。例えば公正さを求める神の特質も人間に与えられました。昆虫は公正さを求めません。しかし人間は求めます。神の特質を受け継いでいるからです。

>では自由意志を持つ神も過ちを起こす可能性があるのでは?

言葉に流されてはいけません。神は最高度の知恵を持たれる方です。過ちは犯しません。神が過ちを犯したと思われる事例がありますか。過ちでないことを聖書を用いて、論理的な説明が可能だと考えています。

111:伝道者◆zc:2019/03/26(火) 08:07 ID:SZQ

>>98

>俺思うんだけどよ、仮に聖書が真理だとしても現実に起こる現象にその真理を適応させるまでに時間がかかってしまう。その結果真理として認知されないと言う問題が常に付きまとうんじゃないか? だから聖書を人間に近づけるんじゃなくて、人間の方から聖書に近づいてきて来てもらうといった手法でないと多分、真理として位置付けるのは無理なんじゃないかと思いますね。

カレーさん、投稿ありがとうございます。

ごめんなさい。分かりませんでした。もう少し説明して頂けますか。

或る人が聖書を真理として受け入れられるかどうかは、伝える側の技術と、受ける側の心境(タイミングを含めて)がマッチする必要がある、ということでしょうか。それであれば、その通りだと私も思います。

112:カレー:2019/03/26(火) 17:52 ID:.BA

>>111
聖書の中に真理があると信じてもいいけど、それをどうやって取り出すか。
布教する必要がある。実際に起こる現象に聖書が追い付けない。
こういった制約が付きまとって。
結局は真理があるかどうかは、信じる側の是非に頼らざるを得ない。ってとこが弱い部分だな。

113:伝道者◆zc:2019/03/26(火) 19:15 ID:SZQ

>>112

カレーさん、ごめんなさい。未だ仰っていることが分かりません。実際に起こる現象とは?制約とは?宜しければ例えでご説明お願い出来ますでしょうか。すみません。

114:カレー:2019/03/26(火) 19:20 ID:.BA

>>113
聖書が真理だとすると、その真理がどこまでの範囲で通用するのかってことかな簡単にいうと。
まぁ聖書の中では真理としてつうようするんだろうけどさ。
問題は実際の現実にその真理を適応できるのか?
 人生のカーナビとして聖書は通用するのか?

115:伝道者◆zc:2019/03/26(火) 20:22 ID:SZQ

>>114

カレーさん、ご説明下さり、ありがとうございます。

>問題は実際の現実にその真理を適応できるのか? 人生のカーナビとして聖書は通用するのか?

世の教会の背教した教えでなく、聖書の「正確な知識」、その知識を当てはめる真剣さは必要ですが、本当に人生に役立ちますよ。

私自身、毎日大小様々な形で救われていますし、人生に絶望していた凶悪犯罪者が喜びに溢れた宣教者に変わった例など、沢山あります。

家電製品を正しく使うには、メーカーの書いた取説を知り、当てはめる必要があります。メーカーはその製品を知り尽くしているからです。これと同じことです。人間が正しく生きるには、人間の創造者である神の教えに従えば上手くいきます。

116:カレー:2019/03/26(火) 20:52 ID:.BA

>>115
絶望して気が狂って変なことやらかすより確かに宣教者として生きる方がいいでしょう。

117:伊藤誠一:2019/03/26(火) 22:37 ID:cBY

>>110
まず、リンク先を見てください。
https://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q12180945837
ここのgalなんちゃらという名前の人の論理を見てください。創造論者なんて所詮この程度です。

>科学者が無から単細胞の命を造りだせた事例がありますか。
ありませんし、今の科学力では無理です。ただしアミノ酸の生成には成功しています。

>整っていない自然環境下で、知識も意志も無く達成されたと考えることは果たして本当に科学的ですか。
理論的には可能だと思います

>この条件を進化論は本当に満たしていますか。
捏造などもあったりするが証拠は存在しているためある程度は科学的。

>長い時間を掛ければ色々な偶然が起こる、それだけが論拠でしょうか。その理屈であれば、長い時間を掛ければ神でさえ偶然生まれると言えてしまうのではないでしょうか。つまり「長い時間を掛ければ、あらゆる偶然は可能」説は、創造論さえも擁護してしまいます。
新発見された生物に神と名をつければ生まれたことになりそうですね。また、神が生まれる確率も否定できない。でも絶対の神であるならば、神が生まれた時点で神が複数存在することになるのでは?

>意志や知識や力、こうしたものが作用しない限り、長い時間は創造や進化ではなく、破壊や退化に向かう傾向があります。これが観察の示すところです。
淘汰や適応などの力によって進化していますが。人工物と生物を比べることはナンセンスでは?まず人工物と生物の関連性を示すべきでは?

>与えられたものは本当に沢山あり、自由意志はその一つです。例えば公正さを求める神の特質も人間に与えられました。昆虫は公正さを求めません。しかし人間は求めます。神の特質を受け継いでいるからです。
なぜ人間のみに与えたのかということです。意思の有無で差別化したかったのでしょうか?

>神は最高度の知恵を持たれる方です。過ちは犯しません
全知全能ならば人間が反逆しないようにすることぐらい容易でしょう。サタンなんていう唐変木すら取り払えない無能のどこが最高の知恵の持ち主なのでしょうか。

>>109
神は全知全能のくせにサタンを追い出せないのですか?

118:伊藤誠一:2019/03/26(火) 22:46 ID:cBY

ただし、進化論はまだ不完全ではある。

119:カレー:2019/03/26(火) 22:57 ID:.BA

こういう宗教関係の話ってさ、自分においては必要ないって言うだけでいいから容易いんだけど、問題は自分を取り巻く人たちがそれに染まっていってしまったときがまずい。相手趣向には口だせないからな。そして染まった人たちが過半数越えたらもうだめだな

120:虹鱒◆8s:2019/03/27(水) 00:40 ID:dzw

>>119わかるかも知れん
今までそ○か学会なんて知らなかったが母の姉の夫が学会員でね…
母の姉も学会に入っちゃったからかなり怖くなってきた

121:ヤキソバ:2019/03/27(水) 01:19 ID:vwM

一応キリスト教はちゃんとした宗教だからそこだけな

122:伝道者◆zc:2019/03/27(水) 07:55 ID:Mq.

>>117

伊藤さん、メッセージ下さり、ありがとうございます。

>ここのgalなんちゃらという名前の人の論理を見てください。創造論者なんて所詮この程度です。

リンクを読みましたが、イマイチですね。以下の二つのシリーズ記事の方が良いと思います。進化論と創造論が本格的に比較検討されています。

https://www.jw.org/ja/%E5%87%BA%E7%89%88%E7%89%A9/%E6%9C%AC/%E7%94%9F%E5%91%BD%E3%81%AE%E8%B5%B7%E6%BA%90-5%E3%81%A4%E3%81%AE%E8%B3%AA%E5%95%8F/

https://www.jw.org/ja/%E5%87%BA%E7%89%88%E7%89%A9/%E6%9C%AC/%E7%94%9F%E5%91%BD-%E3%81%A9%E3%81%93%E3%81%8B%E3%82%89/

>でも絶対の神であるならば、神が生まれた時点で神が複数存在することになるのでは?

どの様な理屈でそう思われるのですか?

>淘汰や適応などの力によって進化していますが。人工物と生物を比べることはナンセンスでは?まず人工物と生物の関連性を示すべきでは?

確かに例が最適ではありませんでしたね。失礼致しました。

適応や小進化はあると思いますが、大進化は信じていません。

猿はいる、人間もいる、両方共に沢山います。それなのに進化論が正しければ色々な段階で沢山いる筈の中間種は全く見当たらない。

純血種同士の犬よりも雑種犬の方が強い傾向があります。犬と犬を掛け合わせると、強い遺伝子が受け継がれる。しかし逆に犬と猫を掛け合わせると失敗する。超えられない境界線がある。以下の聖句の例の通り、聖書の創世記1章には「種類にしたがって」という表現が何度も何度も何度も登場します:

創世記1:25
そして神は,地の野獣をその種類にしたがい,家畜をその種類にしたがい,地面のあらゆる動く生き物をその種類にしたがって造ってゆかれた。

私は識者ではありませんが、素朴に進化論(大進化)はおかしいと思います。

>なぜ人間のみに与えたのかということです。意思の有無で差別化したかったのでしょうか?

聖書から回答します。人間は動物の愛ある管理を神から委ねられたからです。

創世記1:26, 28
神は言われた,「わたしたちの像に,わたしたちと似た様に人を造り,彼らに海の魚と天の飛ぶ生き物と家畜と全地と地の上を動くあらゆる動く生き物を服従させよう」。
神は彼らを祝福し,神は彼らに言われた,「子を生んで多くなり,地に満ちて,それを従わせよ。そして,海の魚と天の飛ぶ生き物と地の上を動くあらゆる生き物を服従させよ」。

>全知全能ならば人間が反逆しないようにすることぐらい容易でしょう。サタンなんていう唐変木すら取り払えない無能のどこが最高の知恵の持ち主なのでしょうか。
>神は全知全能のくせにサタンを追い出せないのですか?

多くの方々が同じ疑問を感じています。以前の私もそうでした。

しかし神が全知全能であるならば、全知全能ではない私達が思いつくよりも、より良い判断・対応をされる筈です。それがどの様な対応かは
>>46
で聖書に基づき詳しく解説しました。

神は公正を重んじ、独裁者的に対応するよりも、一時的にサタンを忍耐し、全てのことが公正に証明されることを選ばれました。

>>118

>ただし、進化論はまだ不完全ではある。

以下の理由より、進化論はとても危険で有害な考え方ですので、仮に進化論を信じるのであれば、徹底的に検証し、相当慎重になるのが賢明と思われます。

進化論によると、生命は偶然に発生した為、生きることの絶対的な意味、人生の客観的な目的が失われます。

進化論によると、勝てば官軍です。より繁殖した種が正です。つまり利己主義が推奨される基盤になります。

進化論によると、進化が正です。原理主義的には、劣性種や弱者は抹消する方が種全体の為になるとも言えてしまいます。

この様に、進化論がもたらす影響はかなり有害です。学校で教えられたから、皆が信じているからだけで進化論を信じるのでは、それは盲目であり洗脳です。先にご紹介した二つのシリーズ記事を読んで頂き、皆さんが真剣に進化論vs創造論を考察し、各自が自分で納得いく答えを見出されることを希望します。

123:伝道者◆zc:2019/03/29(金) 21:32 ID:ICg

>>66
アーリアさん、未だご返事が頂けておりませんが、
>>61
のぬこさんの疑問に対し、私の説明を書きます。

先ず議題の箇所を確認してみたいと思います。この聖句です。

マルコ15:34
そして第九時に,イエスは,「エリ, エリ, ラマ サバクタニ」と大声で呼ばわられた。これは,訳せば,「わたしの神,わたしの神,なぜわたしをお見捨てになりましたか」という意味である。

イエスにとって、杭の上で苦しみながら処刑されることは、意外な事どころか、既にご存知の事でした。そして三日後に蘇ることも確信していました。以下の聖句の通りです。

マタイ16:21,24抜粋
イエス・キリストは,ご自分がエルサレムに行って年長者・祭司長・書士たちから多くの苦しみを受け,かつ殺され,三日目によみがえらされねばならないことを弟子たちに示し始められた。それからイエスは弟子たちに言われた,「だれでもわたしに付いて来たいと思うなら,その人は自分を捨て,自分の苦しみの杭を取り上げて,絶えずわたしのあとに従いなさい。

つまり全ては想定内であり、しかも前途には復活の希望がありました。と言うことは、この局面で神に見捨てられたとイエスは考えていなかった筈です。では、どの様にイエスの言葉を解釈すれば良いのでしょうか。

次回に続きます。

124:伝道者◆zc:2019/03/29(金) 21:34 ID:ICg

一つ目に神が「イエスの保護を解除された」ことをイエスが感じ、この言葉を発したという解釈が成立すると思います。

そもそも贖いとは何でしょうか。完全な人間アダムが犯した罪により、罪や死が子孫に継承されました。それを贖うには、もう一人の完全な人間イエスが徹底的に義に生き、イエスを信じ従う人に再び永遠の命をもたらすこと、それが贖いです。以下の聖句の通りです。

ローマ5:18-19
一つの罪過を通してあらゆる人に及んだ結果が有罪宣告であったのと同じように,正しさを立証する一つの行為を通してあらゆる人に及ぶ結果もまた,命のために彼らを義と宣することなのです。一人の人の不従順を通して多くの者が罪人とされたのと同じように,一人の方の従順を通して多くの者が義とされるのです。

さて、徹底的に義を証しする為には、神からの保護が完全に解かれる必要があります。ヨブに関して以下の聖句で、サタンが神に疑問を呈した通りです。

ヨブ1:9-11
サタンはエホバに答えて言った,「ヨブはただいたずらに神を恐れたのでしょうか。あなたが,彼とその家と彼の持っているすべてのものとの周りにくまなく垣を巡らされたではありませんか。彼の手の業をあなたは祝福されたので,その畜類は地にふえ広がりました。しかし逆に,どうか,あなたの手を出して,彼の持っているすべてのものに触れて,果たして彼が,それもあなたの顔に向かってあなたをのろわないかどうかを見てください」。

サタンの言い分は、神から受ける祝福の故に人が神を崇拝するならば、それは利己的な崇拝であり、利他的な無私の愛や信仰ではない。その様な利他的な無私の愛や信仰など存在しない、ということです。

イエスが徹底的に義を証しする為には、サタンへの反証を提示する必要があります。以下の聖句の通りです。

箴言27:11
我が子(イエスのことです)よ,賢くあって,わたしの心を歓ばせよ。わたしを嘲弄している者(サタンのことです)にわたしが返答するためである。

つまり最後の最後でエホバはイエスを保護することを止める(見捨てる)必要がありました。保護が完全に解かれ、イエスが処刑されるままにされたことを感じ、イエスが「わたしの神,わたしの神,なぜわたしをお見捨てになりましたか」という言葉を発したという解釈が可能です。

まだ続きます。

125:伝道者◆zc:2019/03/29(金) 21:36 ID:ICg

しかし、どうしてイエスは「なぜ」という言葉を用いられたのでしょうか。上記の通り、神の保護が完全に解かれる必要があることを、イエス自身良くご存知だった筈です。そもそも、この言葉はイエスが初めて発したのではなく、以下の通り、遥か昔、既に旧約聖書に書かれていました。イエスは以下の聖句を思い出され、「引用」しておられたのです。

詩篇22:1
わたしの神,わたしの神,なぜあなたはわたしをお捨てになったのですか。なぜわたしを救うことから,わたしが大声で叫ぶ言葉から遠く離れておられるのですか。

つまりイエスは詩篇の聖句を成就させていました。この究極の試練の瞬間の真っ最中でさえ、救世主に関するメシア預言を正確に成就されていました。

更に、引用したのであれば、イエスご自身が、引用元である詩篇筆者ダビデと同じ気持ちであることを示しておられました。

少し長いですが私は感動を憶えますので、先の言葉で始まる詩篇22篇全て引用します。つまり、これが正にその瞬間のイエスの心情です。

次に続きます。

126:伝道者◆zc:2019/03/29(金) 21:37 ID:ICg

詩篇22篇
わたしの神,わたしの神,なぜあなたはわたしをお捨てになったのですか。なぜわたしを救うことから,わたしが大声で叫ぶ言葉から遠く離れておられるのですか。わたしの神よ,昼間わたしは呼びつづけます。ですが,あなたはお答えになりません。そして夜もです。わたしが沈黙することはありません。しかし,あなたは聖なる方であり,イスラエルの賛美を住まいとされます。わたしたちの父はあなたに依り頼みました。彼らは信頼し,あなたはいつも彼らを逃れさせてくださいました。彼らはあなたに向かって叫び,安全に逃れました。彼らはあなたに依り頼み,恥を受けませんでした。しかし,わたしは虫です。人間ではありません。人びとにとってはそしりであり,民にとっては卑しむべき者なのです。わたしを見る者は皆わたしをあざ笑います。彼らは口を広く開け,頭を振りつづけます。「彼はエホバに身をゆだねたのだ。その方に逃れさせてもらえ。その方に救い出してもらえ。その方は彼を喜びとされたからだ」。あなたは母の腹からわたしを引き出された方,わたしが母の乳房に抱かれていたときに,依り頼むようにさせた方なのです。わたしは胎からあなたの上に投げ出されました。わたしが母の腹にいたときから,あなたはわたしの神でした。わたしから遠く離れないでください。苦難が近くに迫っており,ほかに助けてくださる方はだれもいないからです。多くの若い雄牛がわたしを取り囲み,バシャンの強力なものたちがわたしを取り巻きました。引き裂き,ほえたけるライオンのように,彼らはわたしに向かって口を開きました。わたしは水のように注ぎ出され,わたしの骨は皆はずれてしまいました。わたしの心はろうのようになり,わたしの内なる奥深い所で溶けてしまいました。わたしの力は土器のかけらのように干からび,舌は歯ぐきにくっついています。あなたは死の塵の中にわたしを置かれます。犬がわたしを取り囲み,悪を行なう者たちの集まりがわたしを囲い込みました。彼らはライオンのようにわたしの手と足に攻めかかります。わたしは自分の骨を全部数えることができます。彼ら自身が見つめ,わたしをじっと見ます。彼らはわたしの衣を彼らの間で配分し,わたしの衣服の上でくじを引きます。しかしあなたは,エホバよ,遠く離れないでください。わたしの力よ,急いでわたしを助けに来てください。わたしの魂を剣から,わたしのただ一つの魂を犬の手から救い出してください。ライオンの口からわたしを救ってください。あなたはわたしに答えて,野牛の角から救ってくださらなければなりません。わたしはあなたのみ名をわたしの兄弟たちに告げ知らせ,会衆の中であなたを賛美します。エホバを恐れる者たちよ,神に賛美をささげよ。ヤコブのすべての胤よ,神の栄光をたたえよ。イスラエルのすべての胤よ,恐れおののけ。神は苦しむ者の苦悩をさげすむことも,忌み嫌うこともされなかったからだ。神はみ顔をその者から覆い隠されたこともなく,彼が助けを求めて叫ぶとき,聞いてくださったのである。大きな会衆の中にあってわたしの賛美はあなたから出ます。わたしは神を恐れる者たちの前でわたしの誓約を果たします。柔和な者たちは食べて満ち足り,神を求める者たちはエホバを賛美します。あなた方の心が永久に生きつづけますように。地のすべての果ては思い出して,エホバに立ち返ります。そして,諸国民のすべての家族はあなたの前に身をかがめるのです。王権はエホバに属し,神は諸国民を支配しておられるからです。地の肥えた者たちは皆,食べて,身をかがめます。塵に下る者は皆,そのみ前に体を折り曲げ,だれひとりとして自分の魂を生き長らえさせる者はいません。胤がこれに仕えます。エホバについて次の世代に告げ知らされます。彼らは来て,生まれて来る民に神の義について語ります。神がこれを行なわれた,と。

127:伝道者◆zc:2019/03/29(金) 21:37 ID:ICg

何という素晴らしい信仰の表明でしょう。
(また余談ですが、この22篇だけでも、衣のくじの件など、沢山の他のメシア預言も成就しています。)

つまり、イエスは神に見捨てられたと感じたのではなく、必要な手順として神の保護が完全に取り去られたことを感じ、その極限の試みの中にあってさえ、メシア預言を忠実に成就させながら、神を賛美し、忠実な信仰を宣明されていました。これこそがイエスの真意です。

さて、犠牲を払ったのは子イエスだけだったでしょうか。この瞬間、更に多くの犠牲を払われた方が別にいました。投稿が長くなりましたので、そのことは次回書きたいと思います。

128:伝道者◆zc:2019/03/29(金) 21:38 ID:ICg

この瞬間、イエスよりも多くの犠牲を払われた方は一体誰でしょうか。それは父エホバです。

例えで考えてみましょう。自分が死ぬことと、自分の愛する子が目の前で殺されるのと、果たしてどちらが辛いでしょうか。後者だと思います。

実際にはその処刑を阻止する力があるのに、阻止を踏み止まらなければいけないなら尚更一層辛いでしょう。

以下の聖句で、エホバの辛さが分かります。

マタイ27:50-51
イエスは再び大声で叫び,それからご自分の霊をゆだねられた。すると,見よ,聖なる所の垂れ幕が上から下まで二つに裂け,地は震い動き,岩塊は割れた。

次の聖句の通り、神は本当に私達を愛して下さり、ご自分の独り子イエスさえも犠牲にして下さいました。

ヨハネ第一4:8-10
愛さない者は神を知るようになっていません。神は愛だからです。わたしたちの場合,これによって神の愛が明らかにされました。すなわち,神はご自分の独り子を世に遣わし,彼によってわたしたちが命を得られるようにしてくださったからです。愛はこの点,わたしたちが神を愛してきたというよりは,神がわたしたちを愛し,ご自分のみ子をわたしたちの罪のためのなだめの犠牲として遣わしてくださった,ということです。

129:伊藤誠一:2019/03/29(金) 22:30 ID:cBY

もはやカルトにしか見えない

130:伊藤誠一:2019/03/29(金) 23:11 ID:cBY

・イエスの復活なんてありえない。

(証明)人間は蘇ることができない→イエスは人間である→よってイエスは蘇ることができない

科学的には、完全に死んだ人間の蘇生は今のところ不可能です。イエスは恐らく替え玉を使ったのでしょう。卑怯な男です。

・神は存在しているとは言えない(ネタです)
まず前提、
@人が(形而上のもの除いて)認識できないものは存在も不存在も証明できないとする
A神は完全であるとする
B神は最も格の高い存在であるとする

神が人によって認識できる場合、神は不完全な者に姿を曝け出していることになる。又、認識された場合、科学的研究が可能になる。これによって神の神秘に包まれた部分が減る。よって神の格が落ちる。しかし、認識されない場合は神秘性は保たれる。
これらを比較すると神秘性において後者の方が完全である。よって神は認識できない。
ここで、@より神は存在も不存在も証明できない。(証明終了)

131:ヤキソバ hoge:2019/03/29(金) 23:15 ID:vwM

信仰すると楽しいしいいことあるからね
(自分の心の中に)神はいるってことでいいんじゃないかな

132:アーリア◆GM:2019/03/29(金) 23:34 ID:NIs

私、エホバ(ドイツ又はソ連)と反キリスト(ソ連又はドイツ)に挟まれたカトリック(ポーランド)なんだけど⁉

133:アーリア◆GM:2019/03/29(金) 23:39 ID:NIs

>>130
イエスは人であると同時に神なんです。それ故に復活できたのです。

つまりイエスは人であると同時に神であることを信じることによって救われるのです。

尚、恐らくスレ主様はイエスが神であるとは主張しないとは思いますが。


相変わらず反論できてないので、どうしようかね。これ。

134:サビぬき。◆ps:2019/03/29(金) 23:41 ID:a92


絶対神のお言葉(?)の解釈の違いだけで血で血を洗う諍いさえも生ずる西欧・中東の宗教なんかと違って
我らヤマト民族の奉ずる“八百万の神々”達はユル〜くフレンドリーだからねw

やっぱ「無駄に縄張り争い的なケンカをしない神様たち」ってのが好きだなーオレはw…♡

135:アーリア◆GM:2019/03/29(金) 23:44 ID:NIs

>>134
私もカトリックとか言っておいて神道的思想に基づくカトリックです♡

136:伊藤誠一:2019/03/30(土) 00:24 ID:cBY

>>134
全ては自然現象と割り切った方が楽よ。すくなくとも僕はそう考えている。

137:伊藤誠一:2019/03/30(土) 00:25 ID:cBY

>>133

>>130の通り神は認識できてはいけないのだ。イエスはただのおっさんである。

138:伊藤誠一:2019/03/30(土) 00:27 ID:cBY

いや、しかし陛下は現人神であるから、やっぱ神はいますw

139:ヤキソバ hoge:2019/03/30(土) 01:48 ID:vwM

まあ神の定義も人それぞれやからなあ

140:伝道者◆zc:2019/03/30(土) 09:20 ID:Srs

>>133

>イエスは人であると同時に神なんです。それ故に復活できたのです。

アーリアさん、聖書にはこの様に書かれています。

使徒2:32
このイエスを神は復活させたのであり,わたしたちは皆その事の証人です。

使徒3:15
一方では,命の主要な代理者を殺しました。しかし神はこの方を死人の中からよみがえらせたのであり,わたしたちはその事の証人です。

イエスは死んでいたので、自分からは復活出来ませんでした。別の方、つまり神がイエスを復活させました。父なる神、子なるイエスは別々の方です。

これが聖書の教え、聖書に基づく理解です。

141:無論:2019/03/30(土) 09:47 ID:9xk

神はイエスの他にいて死人の中からイエスを選んで復活させた?
神は複数居るのか?
聖書はどの神の御告げなんだ?

142:伝道者◆zc:2019/03/30(土) 16:54 ID:Srs

>>130

>科学的には、完全に死んだ人間の蘇生は今のところ不可能です。

現代科学では、無から命を作ることも出来ませんが、それでも私達はこうして生きています。神が命を作られるなら、神には死者を復活させることも可能です。

考えてみて下さい。家電メーカーは家電を作ることが出来ます。当然、メーカーは壊れた家電を修復することも出来ます。作るよりも、むしろ直すことの方が容易いでしょう。

>イエスは恐らく替え玉を使ったのでしょう。

聖書によると、そっくりさんではありません。

贖いの為、イエスの肉体は完全に滅ぼされました。よって以下の聖句の通り、むしろ復活後のイエスは見た目が違い、知人にも直ぐに見分けがつきませんでした。

ヨハネ20:14-15
こう言ったあと,彼女が振り返ると,イエスの立っておられるのが目にとまったが,彼女はそれがイエスであることを悟らなかった。イエスは彼女に言われた,「婦人よ,なぜ泣いているのですか。だれを捜しているのですか」。彼女は,それが園丁であると思って,こう言った。「だんな様,もしあなたが主を運び去ったのでしたら,どこに置いたのかおっしゃってください。わたしが引き取りますから」。

ルカ24:15-16
さて,彼らが語り合い,論じ合っていると,当のイエスが近づいて来て,一緒に歩きはじめた。ところが,彼らの目はイエスを見てもそれとは見分けられずにいた。

ヨハネ21:4
しかし,ちょうど朝になりかけたころ,イエスが浜辺に立たれた。もとより弟子たちは,それがイエスであることを悟らなかった。

>神が人によって認識できる場合、神は不完全な者に姿を曝け出していることになる。又、認識された場合、科学的研究が可能になる。これによって神の神秘に包まれた部分が減る。よって神の格が落ちる。しかし、認識されない場合は神秘性は保たれる。 これらを比較すると神秘性において後者の方が完全である。よって神は認識できない。

以下の聖句の通り、確かに神を見た者は一人もいません。

ヨハネ第一4:12
いまだだれも神を見たことがありません。

しかし被造物など、神の成された業(存在の証)を通して、その存在を知ることが出来ます。

ローマ1:20
というのは,神の見えない特質,すなわち,そのとこしえの力と神性とは,造られた物を通して認められるので,世界の創造以来明らかに見えるからであり,それゆえに彼らは言い訳ができません。

143:伝道者◆zc:2019/03/30(土) 17:03 ID:Srs

>>134

絶対神のお言葉(?)の解釈の違いだけで血で血を洗う諍いさえも生ずる西欧・中東の宗教なんかと違って 我らヤマト民族の奉ずる“八百万の神々”達はユル〜くフレンドリーだからねw

サビぬきさん、以下の通り、「聖書の教え」は平和です。

詩篇34:14
平和を見いだすように努め,それを追い求めよ。

マタイ26:52
イエスは彼に言われた,「あなたの剣を元の所に納めなさい。すべて剣を取る者は剣によって滅びるのです。

ヘブライ12:14
すべての人に対して平和を追い求めなさい。

聖書の教えに反して戦争を行う偽キリスト教徒は大勢います。「聖書の教え」と、その権威を乱用する「偽キリスト教会の教え」を混同してはいけません。

聖書の教えは平和です。

144:無論:2019/03/30(土) 18:53 ID:9xk

イエスは人間
神とて無からは人間は作れない
イエスの死体を蘇らせて神にする
イエスは神となり聖書で真理を説く
イエスの御告げは神の御告げであり真理だ

で?神の起点は?神は何処から来た?
神とて無からは生命体を作れないんだろ?
どなた様が神1号を作ったんだ?
そのどなた様なら神1号を無から生み出せたのだし、神1号という仲介業者を挟んでジャンク品のイエスくんをわざわざ修理しなくても新品神2号を製造出来たんじゃねーーの?

145:サビぬき。◆ps:2019/03/30(土) 21:59 ID:a92

>>143

なるほど…聖書ではそのように教えられているのですね。

>平和を見いだすように努め,それを追い求めよ。

で、ちなみにこの言葉はどのように理解して実践すれば良いのでしょうか?

@数多の衆生を教化して我の教えを頒布せよ。

A平和を乱す者を悉く誅殺し尽くせ。

上記のどちらがそれに近いのでしょうか?

それとももっと別のサプライズな裏ワザみたいなのがあるのでしょうか?

ご教示いただけると助かります。

146:伊藤整一:2019/03/31(日) 15:16 ID:cBY

>>142
>現代科学では、無から命を作ることも出来ませんが
あなたは生命の誕生が無からのものだと本当に思っているのですか?それは間違いですよ。
0→10(生命)ではなく散らばっている1(有機物など)が集まって10になったと言う方が近いです。なお、1を作ることは成功しています。

>神が命を作られるなら、神には死者を復活させることも可能です。
止まった臓器を再び動かし腐った体を元に戻し、失ったものを元に戻したり、どういった原理でできるのですか。

>作るよりも、むしろ直すことの方が容易いでしょう。
あなたが電化製品に例えたので、私は軍艦に例えてみましょう。軍艦における故障などは小破とか大破とかでしょう。小破は突き指程度、中破はちょっとした骨折、大破は重病ですかね。大破したサラトガや座礁したネバダは数ヶ月や2年程度で復帰していますが、これらは軍艦にとって死ではない。死とは沈没です。
オクラホマは沈没しましたが、引き上げ及び修理が考えられていましたが、引き上げが約2年後、結局修理もできず解体されました。日本軍もサルベージを計画したことがありますが、無理でした。軍艦の世界では死んだ船を生き返らすことは困難です。
電化製品だってグチャグチャに壊されたら修復は困難です。そこらへんは場合によるのです。

>むしろ復活後のイエスは見た目が違い、知人にも直ぐに見分けがつきませんでした。
ちゃんと歴史背景を見てください。聖書を研究するなら当然のことですよ。当時は写真も動画もなく、人の顔を正確に伝える手段は無いに等しい。弟子とは言えど、常に顔を見ているはずがない。弟子は大勢いたはずでしょ?遠目から見たぐらいでしょ。普通、覚えていませんよ。
よってイエスは替え玉を使ったペテン師です。

>しかし被造物など、神の成された業(存在の証)を通して、その存在を知ることが出来ます。
世界は神が作った? では、神は光速では動けませんね。ターディオンな筈ですから。

147:伊藤整一:2019/03/31(日) 16:06 ID:cBY

>>122
読みました。いっぱい突っ込みます。
>進化論は,幾つもの幸運の連続によって生命が始まったという考えに基づいています。それを基盤にして進化論者は,さらなる偶然が連続し,驚くほど多様で複雑な生物が生み出された,と論じます。
嘘です。ダーウィンもこんなことは言っていません。累積的な淘汰を考えると、タンパク質は決してアミノ酸をいちいちランダムに並び替えているのではないのです。詳しくはドーキンスの「盲目の時計職人」を読んでください。
複雑だから云々は彼らの感性によるもの。

>人間は作れるでしょうか。作ろうとしても,大きな壁にぶつかるでしょう。ヒトのゲノムとその機能の大半は,まだほとんど解明されていません。
ゲノム編集は発達していますけどね。人体に対してやった国もありますよ。ちうごくです。成功しています。

>ダーウィンの理論に否定的
ダーウィンの進化論は粗が多いのです。現代進化論と比べると愚論です。

>カンブリア爆発
カンブリア紀の化石が多く見つかったのは、当時の生物の多くが硬組織を獲得したからです。観測的な問題なんですね。詳しくはパーカーの「眼の誕生」をどうぞ。

>5コマのほうを根拠に,最初のイメージは正しかったと言い張る
これはおかしい。我々は、例えれば高尾山には蝶がいると論じているのである。高尾山に蝶がいることを示すには、そこから蝶を取ってくればいいのだ。同じで、進化論も進化の証拠を持って来ればいい。

>脳の大きさに基づいて“猿から人間”の順に化石を並べるのでしょうか。
それは印象論に過ぎない。例えば、ホモ・サピエンスの直前の先祖とされていたネアンデルタール人はホモ・サピエンスより脳が大きい。

>“ネアンデルタール人”というヒトに似た化石についてはどうでしょうか
彼らはヒト科のはず。

>どの様な理屈でそう思われるのですか?
神が生まれる可能性があるから創造論が正しくなるのでしょう? では、神が生まれたのも創造でないといけないから神が二匹になるのですよ。
あと、進化論の根拠が偶然だけとか大間違いですよ。科学をバカにしているのですか?

>適応や小進化はあると思いますが、大進化は信じていません。
では、メガ進化は?おっと、なんでもありません。

>猿はいる、人間もいる、両方共に沢山います。それなのに進化論が正しければ色々な段階で沢山いる筈の中間種は全く見当たらない。
像や馬の中間種は見つかっています。人間の中間種と言えるものも見つかったという話がある。

>純血種同士の犬よりも雑種犬の方が強い傾向があります。犬と犬を掛け合わせると、強い遺伝子が受け継がれる。しかし逆に犬と猫を掛け合わせると失敗する。超えられない境界線がある。
科が違いますから。同じ科なら理論上は可能です。

>私は識者ではありませんが、素朴に進化論(大進化)はおかしいと思います。
そうですか。

>聖書から回答します。人間は動物の愛ある管理を神から委ねられたからです。
全知全能の神ならわざわざ人間に任せる意味がない。人件費の無駄。そっrに、管理だけなら自由意志はいらん。

>神は公正を重んじ、独裁者的に対応するよりも、一時的にサタンを忍耐し、全てのことが公正に証明されることを選ばれました。
おかしい。サタンの挑戦されるまで手を打たなかった無能じゃないか。孫子曰く、上兵は謀を伐つ。謀は未然に防ぐもの。それをできない神()は無能も無能ですね。

>>118

>進化論によると、生命は偶然に発生した為、生きることの絶対的な意味、人生の客観的な目的が失われます。
それは化学進化説のことですね。

>進化論によると、勝てば官軍です。より繁殖した種が正です。つまり利己主義が推奨される基盤になります。
何が悪いの?

>進化論によると、進化が正です。原理主義的には、劣性種や弱者は抹消する方が種全体の為になるとも言えてしまいます。
いいえ、正しいと思います。無知無能は罪です。

148:ヤキソバ hoge:2019/03/31(日) 17:49 ID:FRs

これって聖書が理論的に合ってるかって話?

149:伊藤整一:2019/03/31(日) 18:15 ID:cBY

>>148
教えが正しいかどうかだと私は解釈している

150:伝道者◆zc:2019/03/31(日) 19:26 ID:Srs

>>135

>私もカトリックとか言っておいて神道的思想に基づくカトリックです♡

アーリアさん、聖書によると、神は信仰に混ぜ物を許さず、全き専心を要求される方です。以下の聖句は訳によっては、嫉妬深い神とも訳されています。

出エジプト20:4-5
あなたは自分のために,上は天にあるもの,下は地にあるもの,また地の下の水の中にあるものに似せたいかなる彫刻像や形も作ってはならない。それに身をかがめてはならず,さそわれてそれに仕えてもならない。あなたの神であるわたしエホバは全き専心を要求する神であり,

アロンが民の圧力に負け、偽りの崇拝を真の崇拝に混ぜてしまったことがありました。それで良いのでしょうか?

出エジプト32:3-4
彼は人々の手からその金を受け取り,それを彫り道具で形造って子牛の鋳物の像に仕上げた。すると彼らは言いだした,「イスラエルよ,これがあなたをエジプトの地から導き上ったあなたの神だ」。アロンはこれを見て,その前に祭壇を築きはじめた。最後にアロンは呼ばわって言った,「明日,エホバへの祭りがある」。

何が起きたでしょうか?神はそれを良しとされませんでした。

出エジプト32:5
そしてエホバは,子牛を作ったことのゆえに民に災厄を下してゆかれた。アロンがそれを作ったのである。

ソロモンもエホバを崇拝しながら、別の神々の崇拝も行ってしまったことがありました。それで良いのでしょうか?

列王第一11:4-5
そして,ソロモンが年老いた時,その妻たちが彼の心を傾けさせて,ほかの神々に従わせたので,その心は父ダビデの心のように,その神エホバと全く一致してはいなかった。そして,ソロモンはシドン人の女神アシュトレテと,アンモン人の嫌悪すべきものミルコムに従って行くようになった。

何が起きたでしょうか?やはりエホバはそれを良しとされませんでした。

列王第一11:9-11
それで,エホバはソロモンに対していきり立たれた。彼の心が,イスラエルの神エホバ,二度も彼に現われてくださった方から傾いてそれたからである。そして,この事に関し,ほかの神々に従って行ってはならないと命じておられたが,彼はエホバの命じられたことを守らなかった。そこでエホバはソロモンに言われた,「このことがあなたに起こり,あなたはわたしが命じて課したわたしの契約と法令を守らなかったので,わたしは必ず王国をあなたから裂き取り,それを必ずあなたの僕に与える。

イエスは何と言われたでしょうか?

マタイ4:10
その時,イエスは彼に言われた,「サタンよ,離れ去れ!『あなたの神エホバをあなたは崇拝しなければならず,この方だけに神聖な奉仕をささげなければならない』と書いてあるのです」。

イエスも神は専心を要求されることを「この方だけに」という言い方で示されました。
(更に言えば、誰かがイエスご自身を崇拝されるのも間違っているということです。)

さて、こんなにこだわる必要はあるでしょうか?信仰はもっと緩い方が良いでしょうか?聖書にはこう書かれています。

啓示3:15-16
『わたしはあなたの行ないを知っている。あなたは冷たくも熱くもない。わたしは,あなたが冷たいか熱いかのどちらかであってくれればと思う。このように,あなたがなまぬるく,熱くも冷たくもないので,わたしはあなたを口から吐き出そうとしている。

151:伝道者◆zc:2019/03/31(日) 19:40 ID:Srs

>>141

>神はイエスの他にいて死人の中からイエスを選んで復活させた?

以下の聖句の通り、聖書によると、イエスは神ではありません。

フィリピ2:5-6
キリスト・イエスにあったこの精神態度をあなた方のうちにも保ちなさい。彼は神の形で存在していましたが,強いて取ること,つまり,自分が神と同等であるようにということなどは考えませんでした。

>神は複数居るのか?

神は只一人エホバ、これが聖書の教えているところです。例えば以下の聖句の通りです。

イザヤ45:18
天の創造者,まことの神,地を形造られた方,それを造られた方,それを堅く立て,それをいたずらに創造せず,人が住むために形造られた方,エホバはこのように言われたからである。「わたしはエホバであり,ほかにはだれもいない。

イザヤ44:6
イスラエルの王,これを買い戻す方,万軍のエホバ,エホバはこのように言われた。『わたしは最初であり,わたしは最後であり,わたしのほかに神はいない。

>聖書はどの神の御告げなんだ?

聖書はエホバが霊感を通し、複数の書記に記させた書物です。

テモテ第二3:16
聖書全体は神の霊感を受けたもので,教え,戒め,物事を正し,義にそって訓育するのに有益です。

152:伝道者◆zc:2019/03/31(日) 20:11 ID:Srs

>>144

>神とて無からは人間は作れない

その根拠は何でしょうか?

>イエスの死体を蘇らせて神にする

先の投稿の通り、聖書によるとイエスは神ではありません。

>イエスは神となり聖書で真理を説く

旧約聖書はイエスが地上に生を受ける前に書き終えられました。

>で?神の起点は?神は何処から来た?

以下の聖句の通り、聖書の教えでは神が起源です。

啓示1:8
エホバ神はこう言われる。「わたしはアルファであり,オメガである。今おり,かつており,これから来る者,全能者である」。

>神とて無からは生命体を作れないんだろ?

その根拠は何でしょうか?

>どなた様が神1号を作ったんだ?

神が起源です。

153:伊藤整一:2019/03/31(日) 20:13 ID:cBY

神が起源って……定常宇宙論かよ。

154:伊藤整一:2019/03/31(日) 20:15 ID:cBY

聖書の解釈とは高度の柔軟性を維持しつつ、臨機応変に対処することが必要かと思います。

155:伝道者◆zc:2019/03/31(日) 20:26 ID:Srs

>>145

>で、ちなみにこの言葉はどのように理解して実践すれば良いのでしょうか?
@数多の衆生を教化して我の教えを頒布せよ。
A平和を乱す者を悉く誅殺し尽くせ。
上記のどちらがそれに近いのでしょうか?

聖書は平和の教えです。

現在、@に近いですが、強制ではありません。それを真理として受け入れるかどうかは各自の判断に委ねられています。

神は一時的に悪を忍んでいます。「最終的には」不義な者達は滅ぼされます。その点ではAにも近いですが、裁きを行うのは神であり、人ではありません。

ルカ6:37
裁くのをやめなさい。そうすれば,あなた方が裁かれることは決してないでしょう。また,罪に定めるのをやめなさい。そうすれば,あなた方が罪に定められることは決してないでしょう。いつも放免しなさい。そうすれば,あなた方も放免されるでしょう。

156:恋する厨二病◆go:2019/03/31(日) 20:31 ID:fzs

内容ほぼ読んでない中の質問失礼致します。
聖書の内容を云々議論する前に宇宙の理、世の中の真理について議論すべきでは(もう出てたらスマソ)。
あ、スレチだったらROMります

157:伝道者◆zc:2019/03/31(日) 21:26 ID:Srs

>>146

>あなたは生命の誕生が無からのものだと本当に思っているのですか?それは間違いですよ。0→10(生命)ではなく散らばっている1(有機物など)が集まって10になったと言う方が近いです。なお、1を作ることは成功しています。

0→1→10でも、それは過程の話で、結果としては0→10であり、私の論旨は影響を受けません。

>止まった臓器を再び動かし腐った体を元に戻し、失ったものを元に戻したり、どういった原理でできるのですか。

私は神ではないので分かりません。

>電化製品だってグチャグチャに壊されたら修復は困難です。そこらへんは場合によるのです。

一から作るより直す方が難易度が低いという私の論旨は一般論であり、勿論、壊れ方によっては一から作る方が楽なこともあるでしょう。

>ちゃんと歴史背景を見てください。聖書を研究するなら当然のことですよ。当時は写真も動画もなく、人の顔を正確に伝える手段は無いに等しい。弟子とは言えど、常に顔を見ているはずがない。弟子は大勢いたはずでしょ?遠目から見たぐらいでしょ。普通、覚えていませんよ。

これらの人々はマリア・マグダレネ、シモン・ペテロ、トマス、ナタナエル、ヤコブ、ヨハネなどです。彼等はイエスと個人的にも親しい知人でした。

>しかし被造物など、神の成された業(存在の証)を通して、その存在を知ることが出来ます。
世界は神が作った? では、神は光速では動けませんね。ターディオンな筈ですから。

物理法則を定めたのは神です。

ヨブ38:4-5
わたしが地の基を置いたとき,あなたはどこにいたのか。わたしに告げよ。もしあなたが確かに悟りを知っているのなら。

ですから、神が物理法則に縛られることはありません。

158:伊藤整一:2019/03/31(日) 21:44 ID:cBY

>>157
>0→1→10でも、それは過程の話で、結果としては0→10であり、私の論旨は影響を受けません。
一般的に言われる生命の起源が言わんとしていることは1→10なのです。0→1とは別の話です。

>私は神ではないので分かりません。
合理的説明がない限り納得するわけにはいきません。

>勿論、壊れ方によっては一から作る方が楽なこともあるでしょう。
死ぬ場合は酷い壊れ方のことなのです。

>これらの人々はマリア・マグダレネ、シモン・ペテロ、トマス、ナタナエル、ヤコブ、ヨハネなどです。彼等はイエスと個人的にも親しい知人でした。
どこに記述が?また、イエスは死んだと思われているので似た人が居てもまともな神経していたらイエスが復活したとは言いませんよ。思いませんし。

>物理法則を定めたのは神です。
偉大な科学者たちですよ。無能な神にはできない技です。

159:伊藤整一:2019/03/31(日) 21:50 ID:cBY

神はなろう系ラノベの主人公かなんかなんですかねえ

160:伝道者◆zc:2019/03/31(日) 22:05 ID:Srs

>>147

読んで下さり、ありがとうございます。

私は科学者ではないので、私に答えられる範囲での回答となります。ご容赦下さい。

>神が生まれる可能性があるから創造論が正しくなるのでしょう? では、神が生まれたのも創造でないといけないから神が二匹になるのですよ。

先の投稿の通り、聖書の教えでは神が起源とされています。よって神は生まれません。

>像や馬の中間種は見つかっています。人間の中間種と言えるものも見つかったという話がある。

猿が1、人が10としましょう。何故、1も10も沢山いるのに、3や5や7は見当たらないのですか?進化論が正しければ、あらゆる進化段階が沢山いる筈ではありませんか?

>科が違いますから。同じ科なら理論上は可能です。

創世記の通りですね。種類を超えることは出来ません。つまり猿は人間にならないということです。

また続きます。

161:アーリア◆GM:2019/03/31(日) 22:25 ID:NIs

>>150
そこは中川健一牧師(プロテスタント)も仰っていましたね。

しかしながらね、折り合いが付かんわけですわ。

162:伊藤整一:2019/03/31(日) 22:49 ID:cBY

>>160
>先の投稿の通り、聖書の教えでは神が起源とされています。よって神は生まれません。
先の投稿とはこれですか?
>>その理屈であれば、長い時間を掛ければ神でさえ偶然生まれると言えてしまうのではないでしょうか。

>猿が1、人が10としましょう。何故、1も10も沢山いるのに、3や5や7は見当たらないのですか?進化論が正しければ、あらゆる進化段階が沢山いる筈ではありませんか?
中間種が残る暇もなく進化が起こることもあります。特に小集団ならば。また、中間種も必ず化石になって見つかるとは限りませんからね。それと、像や馬の中間種が見つかっている事実は無視ですか?

>創世記の通りですね。種類を超えることは出来ません。つまり猿は人間にならないということです。
人間の直系の先祖はですね、猿ではなく類人猿ですよ。チンパンみたいなやつです。猿というのはあくまで猿でもわかるように説明されたにすぎません。チンパンなどはヒト科ですから、類人猿との交配は出来ます。
第一、交尾と進化の関連性は?

ちなみに、人間は今でも進化しています。
https://www.nytimes.com/2006/03/07/science/07evolve.html

163:伝道者◆zc:2019/04/01(月) 07:33 ID:9WY

>>147

>全知全能の神ならわざわざ人間に任せる意味がない。人件費の無駄。そっrに、管理だけなら自由意志はいらん。

「動物の管理の為」に人間が造られたのではなく、「人間の為」に動物が造られたというのが聖書的な考え方です。

動物を観察することで神の英知を身近に感じ、動物の世話を通して愛や勤労の喜び、仕事のやりがいを学び、また動物から益を得る為です。益とは例えば農耕の際の助け、癒し、また後代には衣服や食料などです。

創世記1:29-30
神は言われた,「さあ,わたしは,全地の表にあって種を結ぶすべての草木と,種を結ぶ木の実のあるあらゆる木をあなた方に与えた。あなた方のためにそれが食物となるように。そして,地のあらゆる野獣と,天のあらゆる飛ぶ生き物と,地の上を動き,その内に魂としての命を持つすべてのものに,あらゆる緑の草木を食物として与えた」。そしてそのようになった。

動物は人間に与えられた、と聖書には書かれています。地球も植物も動物も、人間の為に神が創造して下さいました。

創世記2:19-20
エホバ神は野のあらゆる野獣と天のあらゆる飛ぶ生き物を地面から形造っておられたが,人がそれぞれを何と呼ぶかを見るため,それらを彼のところに連れて来られるようになった。そして,人がそれを,すなわちそれぞれの生きた魂をどのように呼んでも,それがすべてその名となった。それで人は,すべての家畜と天の飛ぶ生き物と野のあらゆる野獣に名を付けていた

名前を付ける為には観察が必要だった筈です。バリエーションに富んだ様々な動物の観察から、楽しみ、神への感謝や敬意を学んだことでしょう。

>おかしい。サタンの挑戦されるまで手を打たなかった無能じゃないか。孫子曰く、上兵は謀を伐つ。謀は未然に防ぐもの。それをできない神()は無能も無能ですね。

世俗の軍事に於いては、徹底的な洗脳はむしろ好ましいかもしれませんが、自由意志を重んじる公正な神にあっては、教育はあれど洗脳はありません。

自由意志を重んじるならば、反対意見を予め潰す操作もありません。

以下の聖句の通り、神は導きますが、自由意志により決めるのは各自です。

申命記30:19
わたしは今日,天と地をあなた方に対する証人として立て,あなたの前に命と死,祝福と呪いを置いた。あなたは命を選び,あなたもあなたの子孫も共に生きつづけるようにしなければならない。

洗脳ではなく自由意志の中での選択ですので、その結果につき、良くも悪くも責任を負います。

ガラテア6:7-8
何であれ,人は自分のまいているもの,それをまた刈り取ることになるのです。自分の肉のためにまいている者は自分の肉から腐敗を刈り取り,霊のためにまいている者は霊から永遠の命を刈り取ることになるからです。

コリント第二5:10
こうして各人は,それが良いものであれ,いとうべきものであれ,自分が行なってきたことにしたがい,その体で行なった事柄に対する自分の報いを得るのです。

>何が悪いの?

利己主義が推奨されてしまうと道徳は被害を被ります。進化論者であっても、人間が集団生活を営む上で、道徳は必要なものだと考えるのではないでしょうか?しかし進化論は本質的に利己主義を推奨する為、論理的なジレンマに陥ってしまいます。このジレンマは今の世の中で顕著に感じることが出来るのではないでしょうか?

>いいえ、正しいと思います。無知無能は罪です。

障害者や社会的弱者、病弱な人を抹消すべきだ、と本気で主張されているのですか?

164:伝道者◆zc:2019/04/01(月) 08:00 ID:9WY

>>154

聖書の解釈とは高度の柔軟性を維持しつつ、臨機応変に対処することが必要かと思います。

聖書に基づき、解釈には以下の姿勢が求められるでしょう。

先ず、聖書の一部でなく、全体を踏まえて解釈する必要があります。

テモテ第二3:16
聖書全体は神の霊感を受けたもので,教え,戒め,物事を正し,義にそって訓育するのに有益です。

聖書を勤勉に学び、注意深く確認する必要があります。

使徒17:11
さて,ここの人たちはテサロニケの人たちより気持ちがおおらかであった。きわめて意欲的な態度でみ言葉を受け入れ,それがそのとおりかどうかと日ごとに聖書を注意深く調べたのである。

聖書の正確な知識と識別力が必要です。

フィリピ1:9
そして,わたしはこう祈り続けています。あなた方の愛が,正確な知識と十分な識別力に伴っていよいよ満ちあふれるようにと

訓練された知覚力も必要です。

ヘブライ5:13-14
乳にあずかっている者はみな義の言葉に通じておらず,その人は赤子なのです。一方,固い食物は,円熟した人々,すなわち,使うことによって自分の知覚力を訓練し,正しいことも悪いことも見分けられるようになった人々のものです。

マタイ15:3
イエスは答えて言われた,「あなた方も自分たちの伝統のゆえに神のおきてを踏み越えているのはどうしてですか。

伝統や慣習、特に異教に基づく考えや祭、式典の影響を受けてはいけません。

啓示22:18-19
「わたしは,すべてこの巻き物の預言の言葉を聞く者に証しする。これらのことに付け加える者がいれば,神はこの巻き物に書かれている災厄をその者に加えるであろう。また,この預言の巻き物の言葉から何かを取り去る者がいれば,神は,命の木から,また聖なる都市の中から,すなわち,この巻き物に書かれているものから彼の分を取り去られるであろう。

聖書自体が完成された教えなので、聖書に足したり引いたりしてはいけません。

ヘブライ12:2
わたしたちの信仰の主要な代理者また完成者であるイエスを一心に見つめながら。

イエスは信仰を完成させたので、イエスの信仰や教えを進化させようとしてもいけません。

最後に、祈りの内に以下の聖句も考慮したいと思います。

箴言2:1-9
我が子よ,あなたがわたしのことばを受け入れ,わたしのおきてを自分に蓄え,そして,耳を向けて知恵に注意を払い,心を識別力に傾けるなら,さらに,理解を求めて呼ばわり,識別力を求めて声を上げるなら,銀を求めるようにそれを求めつづけ,隠された宝を求めるようにそれを尋ね求めつづけるなら,そのとき,あなたはエホバへの恐れを理解し,まさに神についての知識をも見いだすことであろう。エホバご自身が知恵を与えてくださるからである。そのみ口からは知識と識別力が出る。そして,廉直な者たちのために実際的な知恵を蓄えてくださる。忠誠のうちに歩む者たちのために,神は裁きの道筋を見守ることによって盾となってくださる。また,ご自分の忠節な者たちの道を守ってくださる。そのとき,あなたは義と裁きと廉直さと,良いことに関する行路全体を理解するであろう。

165:伝道者◆zc:2019/04/01(月) 08:07 ID:9WY

>>156

>内容ほぼ読んでない中の質問失礼致します。
聖書の内容を云々議論する前に宇宙の理、世の中の真理について議論すべきでは(もう出てたらスマソ)。 あ、スレチだったらROMります

聖書に絡めてであれば、反対意見も含め、宇宙の理や世の中の真理も大歓迎です。聖書は幅広く適用出来ます。しかし全く聖書と無関係な話題であれば、スレ違いです。

166:伝道者◆zc:2019/04/01(月) 08:39 ID:9WY

>>158

>一般的に言われる生命の起源が言わんとしていることは1→10なのです。0→1とは別の話です。

0→1→10には、1→10さえも含まれていますので、やはり論旨に影響はありません。

>死ぬ場合は酷い壊れ方のことなのです。

肉体の破損状況の話でしたら、死そのものではなく、死に方や状況のことではないでしょうか。

>どこに記述が?

例えばマリア・マグダレネです。以下の流れから、イエスを見分けなかった女性はマリア・マグダレネだと分かります。

ヨハネ20:1
週の最初の日,マリア・マグダレネは,朝早くまだ暗いうちに記念の墓に来た。そして,石がすでに記念の墓から取りのけられているのを見た。

ヨハネ20:11-15
しかしながら,マリアは外で,記念の墓の近くに立ったまま泣いていた。そして,泣きながら,記念の墓の中をのぞこうとして前方にかがむと,白衣の二人のみ使いが,イエスの体の置いてあった所に,一人は頭のところ,一人は足のところに座っているのが目にとまった。すると彼らが言った,「婦人よ,なぜ泣いているのですか」。彼女は言った,「人々がわたしの主を取り去ってしまい,どこに置いたのか分からないのです」。こう言ったあと,彼女が振り返ると,イエスの立っておられるのが目にとまったが,彼女はそれがイエスであることを悟らなかった。イエスは彼女に言われた,「婦人よ,なぜ泣いているのですか。だれを捜しているのですか」。彼女は,それが園丁であると思って,こう言った。「だんな様,もしあなたが主を運び去ったのでしたら,どこに置いたのかおっしゃってください。わたしが引き取りますから」。

そのマリアは病気を癒され、イエス達の世話をしていました。

ルカ8:1-3
その後まもなく,イエスは,都市から都市,村から村へと旅をされ,神の王国の良いたよりを宣べ伝えまた宣明された。そして十二人は彼と一緒におり,邪悪な霊たちや病気を除いてもらった女たち,七つの悪霊が出て来た,マグダレネと呼ばれるマリア,ヘロデ家の管理人クーザの妻ヨハンナ,そしてスザンナおよびほかの多くの女たち,これらの者が自分の持ち物をもって彼らに奉仕をしていた。

マリア・マグダレネはイエスの処刑にも立ち会っています。

ヨハネ19:25-26
イエスの苦しみの杭のそばには,その母と,母の姉妹,そしてクロパの妻マリアとマリア・マグダレネが立っていた。それでイエスは,自分の母と,自分の愛する弟子がそばに立っているのをご覧になり,母にこう言われた。「婦人よ,見なさい,あなたの子です!」

しかし彼女は復活してきたイエスを当初は見分けられませんでした。双子などの替わり玉ではないということです。

>また、イエスは死んだと思われているので似た人が居てもまともな神経していたらイエスが復活したとは言いませんよ。思いませんし。

マリアはイエスを信じていました。救世主の復活は古から預言されていましたし、イエスご自身も仰っていたことです。

>偉大な科学者たちですよ。無能な神にはできない技です。

科学者は物理法則を発見し、命名しましたが、物理法則自体を作ったわけではありません。例えば重力の例でお考え下さい。

167:伝道者◆zc:2019/04/01(月) 21:35 ID:9WY

>>161

>しかしながらね、折り合いが付かんわけですわ。

アーリアさん、何との折り合いが付かないのですか?それは聖書の教えよりも優先されるものでしょうか?


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