聖書こそ真理と確信している者です。
神はいるのか?聖書は神の言葉か?聖書は何を教えているのか?議論しませんか。
神はいないと思います
てんかんのことをまだ理解できていない時代
てんかん患者の特異な行動を神聖なもの特別な人として見ていた時があったらしい
未知な行動や幻覚の話が人から人へと伝わる時に話が盛られたり、間違って伝わったことにより
神というものができていったんだと
シャーマンと呼ばれていた人がてんかんだったとか
元は脳が錯覚させたものがよく理解できずに特別なことと思われそこに無理やり理由付けようとして神とういう偶像が発生したのだと思います
聖書にはこう書かれています。
ローマ1:19-20
神について知りうる事柄は彼らの間で明らかだからであり,神がそれを明らかにされたのです。というのは,神の見えない特質,すなわち,そのとこしえの力と神性とは,造られた物を通して認められるので,世界の創造以来明らかに見えるからであり,それゆえに彼らは言い訳ができません。
創造物を通して神を知ることが出来ると書かれています。例えば種を地面に埋めると芽が出てきます。見慣れた光景ですが、これは奇跡ではないでしょうか。パチンコ玉を毛布に埋めても何も起こらないのとは大違いです。
また、こうも書かれています。
ヘブライ3:4
言うまでもなく,家はすべてだれかによって造られるのであり,すべてのものを造られたのは神です。
飛行機を見て、設計者がいないと考える人はいないでしょう。それが風が吹いてガラクタが集まって出来たとは考えません。では、蝿を見て、それが自然に出来上がったと考えるのは理に適ったことでしょうか。蝿一つとっても、その飛行制御やエネルギー効率は、今日の飛行機を凌駕しているのに、です。偉大な設計者がいると考えるのは理に適ったことでしょう。
神はいないですね
神が救ってくれる!とか人々に安心させるための幻想でしょ(自信なし)
いると思えばいる いないと思えばいない
信じるものは救われるが真理やろ(適当)
>>1
最近私も中川健一牧師の動画を観てて、キリスト教はやはり興味深い話だと思う。
創造物を通して神を知ることが出来ると書かれています。例えば種を地面に埋めると芽が出てきます。見慣れた光景ですが、これは奇跡ではないでしょうか。パチンコ玉を毛布に埋めても何も起こらないのとは大違いです。
なぜ地面に種を植えるとみたいなことの仕組み、原因が理解できていない状況の時にはそれが奇跡みたいに感じて必要以上に神格化してしまう
脳というのは都合よく補完しようという機能があります
虫食いの画像とかに脳が想像でこんなんだろうと補完してそれっぽく作り出してしまう機能
そうやって何かに対して仕組みを理解できない時に奇跡だとか、神がだとかで都合よく補完をしてしまい
奇跡だ神がとかになったのだと思います
幽霊とか、UFOとかもそういう類なのかと
一昔前では映像の技術的なものでアナログ的なこととか偶然できた映像や、画像を幽霊、UFOとして勘違いしてしまう人が多かったですが
技術的なことが進むにつれ明らかにそういうものを見る人が減っている
「理解出来ないこと」故に、神が存在すると結論するのは早計である、という意見が多い様に思います。全くもっともなことだと思います。
しかし「理解出来ていること」については如何でしょうか?
例えば飛行機を見る時、そこにデザイナーやエンジニア、投資家や製造者が関わっていることを私達は知っています。言いかえると、想いや知識、思考、目的や意志などが必要だと言うことです。そういったもの無しには飛行機が出来上がらないと私達は理解しています。
一方で蝿はどうでしょうか。滑走路を必要としない瞬間的な離着陸、直角的に曲がることも出来る高度な飛行能力、素晴らしいエネルギー効率を誇ります。飛行機よりも遥かに高度です。その飛行機よりも高度な蝿が、想いや知識、思考や目的、意志無しに出来上がったのでしょうか?そこにもまた「高度な知識や意志を持った設計者」がいると考えることは論理的ではないでしょうか?
色々な方に参加して頂き、感謝致します。
その設計者がいるという論理的な根拠はあるのでしょうか?
10:カーリー:2019/01/25(金) 11:05 ID:mAY 蝿が存在する→エネルギー効率が飛行機よりも高度である→飛行機は設計者がいる→蝿も高度な設計者がいるだろう
が、蝿に設計者がいるという主張と根拠、論拠ですよ。
全ての宗教は“後世の使徒たち”によって体系化されてますよね。
別に聖書だけが特別なモノでも無い。
>>11
聖書が特別な理由、それが神の言葉と信じられる理由の一つとして、具体的な預言とその成就があります。一例を挙げてみます。
以下の預言は、今日の米国の様に、バビロンが大国であり、キュロスという人物さえ生まれていない時に、バビロンの滅び、そして誰がどの様に攻めるかの状況を預言しています。
◼預言
イザヤ44:27-45:2
水の深みに,『蒸発せよ。わたしはあなたのすべての川を干上がらせるであろう』と言う者,キュロスについてこのように言う者,『彼はわたしの牧者であり,わたしの喜ぶことをすべて完全に成し遂げるであろう』と。すなわち,エルサレムについて,『彼女は建て直されるであろう』,神殿について,『あなたはその基を据えられるであろう』と言うわたしのことばをも」。エホバは,その油そそがれた者キュロスにこのように言われた。わたしはその右手を取った。それは,彼の前に諸国の民を従えるため,わたしが王たちの腰の帯を解くためである。彼の前に二枚扉を開いて,門が閉じられないようにするためである。「わたし自らあなたの前を行き,地盤の高みをまっすぐにする。わたしは銅の扉を粉々に砕き,鉄のかんぬきを切り落とす。
◼成就
その預言が書かれてから約200年後、西暦前539年10月5日の夜、ペルシャ王キュロスがバビロンの近くに陣営を張ります。その夜、バビロン人は堅固な城壁の中、安心して宴会を開いました。キュロスは市内を流れる川の進路を変え、川の水位を下げ、部下達が川床を渡って城壁に近付ける様にしました。城壁に近付くと、不注意にも門は開け放たれていました。こうしてキュロスはバビロンに侵攻し、滅ぼしました。
預言と成就を比較してみて下さい。キュロスという人物がバビロンを滅ぼす。その時に川の水は減り、城門は何故か開いている。かなり具体的に聖書預言の通りです。その預言は成就の200年前に記録されました。
現代に例えるならば、大国アメリカの200年後の滅亡を誰がどの様に行うか、それを具体的な預言として書物に記録することに匹敵します。
因みに、その夜のバビロンの宴会の様子が聖書の別の箇所に記されています。
ダニエル5:1
王ベルシャザルに関して言うと,彼は自分の大官一千人のために大きな宴会を催し,その一千人の前でぶどう酒を飲んでいた。
ダニエル5:5
まさにその時,人の手の指が現われて,燭台の前,王の宮殿の壁のしっくいの上に文字を書いていった。そして王は文字を書くその手の甲を見ていた。
ダニエル5:27-28
「テケル,あなたは天びんで量られて,不足のあることが知られた。「ペレス,あなたの王国は分けられて,メディア人とペルシャ人に与えられた」。
ダニエル5:30-31
まさしくその夜,カルデア人の王ベルシャザルは殺され,メディア人ダリウスがその王国を受けた。ダリウスはおよそ六十二歳であった。
神がご自身でバビロン滅亡に関与されたことを明らかにされました。
更にバビロンのその後につき、再建されることも、その場所に別の都市が建つこともなく、荒廃がいつまでも続く、と預言されています。
◼預言
イザヤ13:19-22
そして,もろもろの王国の飾り,カルデア人の誇りの美であるバビロンは,神がソドムとゴモラを覆されたときのようになるのである。彼女は決して人の住む所とはならず,また,彼女が代々にわたって住むこともない。そしてアラブ人はそこに天幕を張らず,羊飼いもその群れをそこに伏させない。そして,水のない地域にせい息するものが必ずそこに伏し,彼らの家々には必ずわしみみずくが満ちる。また,そこには必ずだちょうが住み,やぎの形をした悪霊たちもそこで跳ね回ることであろう。そしてジャッカルがその住まいの塔の中で必ず遠ぼえし,大きなへびが無上の喜びの宮殿にいることであろう。そして,その時期は間近に到来し,その日が延ばされることはない」。
◼成就
この預言は今日に至るまで継続して成就しており、バグダットの南約80キロの所にバビロンの遺跡があり、そこには人が住んでいません。聖書預言が現代に至るまで継続的に成就し続けていることに注目して下さい。
これは聖書が他の書物と異なる一例に過ぎません。
>>12
聖書どおりに事を起こそうとすることも可能である以上、一定の狂信者がわざと聖書に書かれていることを引き起こした可能性もある。
王自身が狂信者だったら?
なお、その時間が起こる具体的な日付までもが聖書に記載されていたなら聖書のパワーも半信半疑程度には信じるが。
あとは、
例えば聖書に宇宙人が攻めてくると書かれていて、本当に攻めてきた場合は、地球側の何者かが通謀して宇宙人に攻めこませるのは実現不可能な可能性が高いので、信じるかもしれないね。
でも、あれだ。
狂信者がやらかすことまでもを想定していたとすれば、起こったことは事実なわけで聖書どおりとも言えるね。