聖書こそ真理と確信している者です。
神はいるのか?聖書は神の言葉か?聖書は何を教えているのか?議論しませんか。
>>198
>定まった場所は軌道とも解釈が出来ます。
それって…“詩”という形式をとる事によって無限の拡大解釈が可能な聖句(?)とやらを用いた詭弁に過ぎませんよね?
これをダウンサイジングして例えれば、運行中の山手線の車輌内で仁王立ちした乗客が
「私はこの場所を一歩も動いていません。」と言い張るが如き、無意味な主張だと思います。
>>196
>言葉を誤りました。すいません。
構いません。人間ならば誰にでもあります。
>私の論旨は同じです。別の言い方をします。ネアンデルタール人なり北京原人なり、それらは高度な進化と適応の結果であれば、チンパンジーより強い種の筈です。何故、全く生き残らなかったのですか?
チンパンはチンパンで独自に進化しているのです。森で暮らすにはチンパンの方が向いています。北京原人などは草原で暮らすように進化しているのですが、現生人類のような優秀な種が出てきたので淘汰、吸収されたのです。
進化の方向性が違うのですから大きな淘汰も起こらなかったということです。
>最新の進化論では人間の先祖、またその先祖は何ですか?
原始的なホモ属はハリビス。ヒト科ならアウストラロピテクス・アフリカヌス(直接)、アファール猿人(アウストラロピテクスのもと)など。今後新たな化石が見つかる可能性もあります。
>「私自身が」進化論を否定しています。
小進化の積み重ねが大進化になるだけという考えの人がいるだけです。
小進化では科を含めたり含めなかったりします。基準はあいまいです。僕は交尾できるか否かで境界線を引きました。
>更に深掘りしましょう。太陽は偶然そこにあるのですか?或いは設計者の意志によってですか?
量子的なゆらぎにより、質量が大きくなった所にガスが集まって太陽になりました。理由があるのです。
>論旨は「特徴を捉えれば、より適切な命名が出来る」ということです。ユニコーンという命名は、特徴に基づいています。
何をもって適切と言うのですか?
>>197
>神が公正な証明に十分な時間を掛けていることに関して否定的であり、さっさとサタンを処理した方が良いというご意見の一方で、大洪水は強引だというご意見もお持ちの点に矛盾を感じました。
過去に強引なことをしたのだから、やればいいではないかということです。
>確かに自由主義は聖書が読める環境を守ってくれて、有り難いです。しかし聖書が絶え間無く続き、拡散出来たのは、信仰によるものです。
それはそうです。よく長い間信仰を保てたものだとは思います。しかし、悪用された事実などに変わりはありませんし、信仰を集めていても、その時点で正しいとはなりません。
>サタンは洗脳を含め、手段を選びません。対してエホバは公正な手段でのみ対応します。その文脈で「洗脳や嘘などを使う相手にはそれなりの対応をしてもいい」と仰ったので、「洗脳返しもあり」と仰っていると理解しました。
サタンを言い負かせばいいのです。サタンにとっては恥でしょう。でも正当な論争に洗脳も嘘もつく必要がありますか。
>姥捨山に肯定的ですか?
治安が低下するなど社会的不利益が大きいので反対です。
>一人の人間を殺し、その五つの臓器を移植することで五人の人間が救えるならば、その殺人は正しいでしょうか?
治安が低下するのでアウトです。治安を守ったほうが快楽が多いはずです。
>スズメのヒナは直ぐには歩けません。ではスズメはニワトリよりも高度なのでしょうか?
飛び立つまでの期間、すなわち成長期間に大きな差がないので変わりません。
>それは本来4mスペックでない人間が4mに生まれたら、の話ですよね。二足歩行の恐竜スペックはあり得るのに、骨密度の高い4mスペックの巨人は何故あり得ないのですか?
見つかったとされる巨人の骨格が人間のそれと変わりないからです。恐竜と人間では骨格が違います。
>いつか人間が命を作り出せるようになったとしても、そこには意志があって実現したことだからです。
それは意志によって生物を作れることの証明になりますが、意志なしで作れる可能性を否定するものではありません。
>>198
>地球が真空に浮いていることが、肉眼で観察出来なかった時代に記されました。
星を見れば何かに浮いていると感じることは可能です。古代ちうごくの宣夜説も似たようなものですが、これも肉眼での観測の結果ですので肉眼で導き出すことは可能です。
さらにちきうは真空に浮いておりません。うちうは真空ではありません。
>上記聖句の誤解釈から生じた説でした。定まった場所は軌道とも解釈が出来ます。この聖句の論旨は地球の恒久性であり、太陽と地球の位置関係ではないと解釈の調整がありました。
軌道は将来的に変わる可能性がありますけどね。
>>199
>物理的に視界が遮られてはいません。目の前のイエスがイエスだと気付かなかったのです。
そうですね。そこは私の誤解釈でした。
>以下の聖句の通り、イエスの肉体が完全に滅びず、復活したのであれば、贖いは成就しません。
イエスの死後の処理からして肉体が無くなるとは思えません。火あぶりにされたわけでもないでしょう。
>聖書の教えに反している教会が沢山あります。些細な点ですが、クリスマスのサンタクロース、イースターのウサギなど、聖書ではなく異教に基づく習慣を見れば分かりやすいです。
了解です。
>極論は推測かも知れません。しかし殉教者には強い信仰心があったと考える方が、信仰心が無かったと考えるよりも遥かに妥当でしょう。
人の感じ方はそうでしょう。私はどちらにもつきません。答えはわからない。だと思います。
>>200
お気遣い頂き、ありがとうございます。
>>201
>それって…“詩”という形式をとる事によって無限の拡大解釈が可能な聖句(?)とやらを用いた詭弁に過ぎませんよね?
聖書は神からの音信であり、科学書でも百科事典でもありません。その音信の中で、箇所によって科学に触れる内容の記載が登場しますが、場合によっては必ずしも明瞭でない場合もあります。そもそも聖書は科学を説明する意図で記された書物ではないからです。
例えば小説で置き換えてみると分かります。その中には科学に触れる内容が登場することがあります。しかし科学的には明瞭でない場合もあるでしょう。その小説が書かれた意図は科学を説明する目的ではなく、科学的記述は副次的なものだからです。
>>202
>北京原人などは草原で暮らすように進化しているのですが、現生人類のような優秀な種が出てきたので淘汰、吸収されたのです。進化の方向性が違うのですから大きな淘汰も起こらなかったということです。
進化論の理解が深まりました。ありがとうございます。
>量子的なゆらぎにより、質量が大きくなった所にガスが集まって太陽になりました。理由があるのです。
しかし量子的な揺らぎも何故か、と深掘り出来ます。つまり偶然か意志があったのかを確認したいです。私には意志や意図、設計者がいる様にしか思えません。
例えば以前ご紹介した記事をどう思われますか?
https://www.jw.org/ja/%E5%87%BA%E7%89%88%E7%89%A9/%E6%9C%AC/%E7%94%9F%E5%91%BD-%E3%81%A9%E3%81%93%E3%81%8B%E3%82%89/%E5%9C%B0%E7%90%83%E3%81%AF%E7%94%9F%E3%81%8D%E3%81%A6%E3%81%84%E3%82%8B/
また以下の記事もどう思われますか?
https://wol.jw.org/ja/wol/d/r7/lp-j-rb/1978523
>何をもって適切と言うのですか?
一角獣をユニコーンと呼ぶのとマルチコーンと呼ぶのと、どちらが適切でしょうか?アゲハ蝶をアゲハ蛙と呼ぶのは如何ですか?白樺を赤樺と呼ぶのは?ナマケモノをハタラキモノと呼ぶのは適切でしょうか?
特徴を捉えて命名することは、特徴を考慮せずに命名することよりも適切だと思います。
あの…不思議に思ったのですが…キリスト教を(イエス様)を信じれば死後復活し、永遠の命を得る(不老不死になる)と仰っていますが、それを考えると
永遠の命を得た人物が増える→死なないから人間は増え続ける→食料不足、住宅不足、用水不足等の問題が発生
とはならないのでしょうか?
それに、
人から出るもの、これが人を汚すのです。内側から、すなわち、人の心から出て来るものは、悪い考え、不品行、盗み、殺人、姦淫、貪欲、よこしま(ねじけた考え)、欺き、好色、ねたみ、そしり、高ぶり(傲慢)、愚かさであり、これらの悪はみな、内側から出て、人を汚すのです」(マルコの福音書七・二〇〜二三)
と、ありますが他は兎も角『貪欲』である事がなぜ罪なのでしょうか?
欲。特に三大欲求は人が生きて行く為には必要ではないのでしょうか?
仮に人が食欲を失えば食物を口にせずに餓死してしまいます
睡眠欲を失えば、眠れずに不眠症となり疲労が取れず精神をやんでしまいます
性欲がなければ繁殖は行われず神のお言葉である『産めよ増やせよ地に満ちよ』に背く事となりやがて絶滅し滅びます
このことについてはどう思いますか?
>>209
にゃんごろさん、ご参加下さり、ありがとうございます。以下、聖書から回答しますね。
>キリスト教を(イエス様)を信じれば死後復活し、永遠の命を得る(不老不死になる)と仰っていますが、
信じれば救われる、というのは誤解です。以下の聖句の通り、信じることで自己変革を遂げ、神のご意志を生き方で体現する必要があります。
マタイ7:21
「わたしに向かって,『主よ,主よ』と言う者がみな天の王国に入るのではなく,天におられるわたしの父のご意志を行なう者が入るのです。
>それを考えると 永遠の命を得た人物が増える→死なないから人間は増え続ける→食料不足、住宅不足、用水不足等の問題が発生 とはならないのでしょうか?
先ず永遠の命を得るものは少数です。
マタイ7:13-14
「狭い門を通って入りなさい。滅びに至る道は広くて大きく,それを通って入って行く人は多いからです。一方,命に至る門は狭く,その道は狭められており,それを見いだす人は少ないのです。
復活後の生活について、今は全て分かりませんが、人口増加しないかもしれません。
マタイ22:30
復活のさい,男はめとらず,女も嫁ぎません。天にいるみ使いたちのようになるのです。
いずれにしても「宇宙を造られた方」ですので、神にとっては不可能はありません。
ルカ18:27
イエスは言われた,「人には不可能な事も,神にとっては可能です」。
>>203
>サタンを言い負かせばいいのです。サタンにとっては恥でしょう。でも正当な論争に洗脳も嘘もつく必要がありますか。
論破しても、万人が納得するでしょうか?実際、世間でもその様なことは少ないでしょう。
しかし反対者の思うやり方で、時間を掛けて実際にやらせてみて、それが失敗するならば、それこそ反対者が間違っているという完全な証明になるでしょう。
>治安が低下するなど社会的不利益が大きいので反対です。
治安が主な理由で寝たきりのお婆ちゃんの存在を肯定するのは悲しいと思います。功利主義では道徳は只の必要悪なのでしょうか。私はむしろ道徳こそ大切なもの、例えば効率や繁栄といった事柄よりも優先されるものだと思っています。
>飛び立つまでの期間、すなわち成長期間に大きな差がないので変わりません。
未だ懐疑的です。スズメと比較し、イルカはどうですか?直ぐに泳ぎだしそうな気がします。
>見つかったとされる巨人の骨格が人間のそれと変わりないからです。恐竜と人間では骨格が違います。
骨格が同じでも骨密度が高ければ可能でしょうか?
>それは意志によって生物を作れることの証明になりますが、意志なしで作れる可能性を否定するものではありません。
https://wol.jw.org/ja/wol/d/r7/lp-j-rb/1978523
先日ご紹介した上記記事にもありますが、矢じりを発見して、これは人工物だと結論するのに対し、より複雑な生命体に対し、何故、意志も設計者も無く自然発生したと考えるのでしょうか?
>>204
>星を見れば何かに浮いていると感じることは可能です。古代ちうごくの宣夜説も似たようなものですが、これも肉眼での観測の結果ですので肉眼で導き出すことは可能です。
>>27
でお話しした水の循環は如何ですか。
また以下の聖句はDNAの採取を思わせますが、記述時の科学者には知られていないことです。肉眼とは程遠いと思いますが如何ですか?
創世記1:21-22
そこでエホバ神は深い眠りを人に臨ませ,彼が眠っている間に,そのあばら骨の一つを取り,次いでそこの肉をふさがれた。それからエホバ神は,人から取ったあばら骨を女に造り上げ,それを人のところに連れて来られた。
>>205
>イエスの死後の処理からして肉体が無くなるとは思えません。火あぶりにされたわけでもないでしょう。
今回の件は神が直接関与しているので、何らかの方法が取られたと考えられています。
以下の通り、モーセの場合でも、天の関与がありました。
ユダ9
み使いの頭ミカエルは,悪魔と意見を異にし,モーセの体について論じ合った
申命記34:5-6
エホバの僕モーセは,エホバの指示のとおり,そのモアブの地で死んだ。そして神は,ベト・ペオルに面するモアブの地の谷にこれを葬った。今日に至るまで彼の墓を知っている者はいない。
>>212
>論破しても、万人が納得するでしょうか?実際、世間でもその様なことは少ないでしょう。
論理に説得力があればいいのです。それとも、神の論理の説得力は大したことがないと?
>しかし反対者の思うやり方で、時間を掛けて実際にやらせてみて、それが失敗するならば、それこそ反対者が間違っているという完全な証明になるでしょう。
そうでしょうか。例えば大東亜戦争で、陸軍は島嶼防衛において、水際防衛を採用していました。しかし水際陣地は、圧倒的★火力と物量を持つアメリカ軍にあっさり粉砕され、本来の目的を果たせないことが多発しました。これを参考にして硫黄島などでは縦深陣地を採用し、長期の足止めに成功しました。沖縄戦では同じく縦深陣地を採用しましたが、精鋭の第9師団が引き抜かれたから採用したのであり、計画では水際作戦でした。このように、失敗から学ぶことは容易ではありません。
>治安が主な理由で寝たきりのお婆ちゃんの存在を肯定するのは悲しいと思います。功利主義では道徳は只の必要悪なのでしょうか。私はむしろ道徳こそ大切なもの、例えば効率や繁栄といった事柄よりも優先されるものだと思っています。
理想だけでは守るべきものも守れません。力が必要です。力をつけるには効率や繁栄が必要です。無論、道徳も治安維持の観点では必要です。
>未だ懐疑的です。スズメと比較し、イルカはどうですか?直ぐに泳ぎだしそうな気がします。
イルカは胎内で成長しています。成長期間はスズメの方は短いです。
>骨格が同じでも骨密度が高ければ可能でしょうか?
バランスが悪いので難しいかと。
>矢じりを発見して、これは人工物だと結論するのに対し、より複雑な生命体に対し、何故、意志も設計者も無く自然発生したと考えるのでしょうか?
矢は今でも使われており、それは人工物として存在します。生命は少なくとも人工物ではない。その違いではないでしょうか。
>>213
水の循環については、呂氏春秋などに示されています。古代ちうごくではやはりそういった概念があります。
参考:https://www.morikita.co.jp/data/mkj/029091mkj.pdf
DNAから人を作ることは不可能です。DNAで作れるのはせいぜい全体の2%ではないでしょうか。DNAは脳細胞なども決定しているわけではないのですよ。
>>214
神が関与したのだろうが、方法はよくわからないのですよね。よくわからないのではこちらとしては反論が難しいのですが。
>>208
量子的ゆらぎにおける密度差は今の科学では偶然ですね。しかし、全てが偶然では無いのです。
>一角獣をユニコーンと呼ぶのとマルチコーンと呼ぶのと、どちらが適切でしょうか?アゲハ蝶をアゲハ蛙と呼ぶのは如何ですか?白樺を赤樺と呼ぶのは?ナマケモノをハタラキモノと呼ぶのは適切でしょうか?
言葉は所詮人間の決めた概念を表したものです。我々がマルチコーンだとかの呼び方をおかしいと言えるのは、ユニコーンという言い方が当然だと思っているからです。後付け知識というやつですね。呼び方が定まっていない場合は何と言おうがおかしいと言えないのでは、と考えます。
リンク先への反論はまた今度行います。
>>210
>『貪欲』である事がなぜ罪なのでしょうか?
欲。特に三大欲求は人が生きて行く為には必要ではないのでしょうか?
この場合の貪欲とは強欲を意味しています。つまり欲自体の否定ではなく、「過度に強い度合い」の欲に注意を促しています。
以下の聖句の通り、過度な欲は利己主義とも関係しています。
申命記5:21
「『あなたは仲間の者の妻を欲してもならない。また,仲間の者の家,その畑や男奴隷や女奴隷,その牛やろば,また仲間の者に属するどんなものも利己的に慕い求めてはならない』。
>仮に人が食欲を失えば食物を口にせずに餓死してしまいます
以下の通り、聖書は食欲自体を否定していません。
伝道の書8:15
人間にとって,食べ,飲み,歓ぶこと,そして,まことの神が日の下で彼らにお与えになった命の日の間,その骨折りのうちに歓びが彼らに伴うことに勝るものは日の下に何もないからである。
しかし以下の通り、過度な食欲は良いものではありません。
箴言23:20-21
ぶどう酒を多量に飲む者や,肉をむさぼり食う者の仲間に加わってはならない。酔いどれや貪欲な者は貧困に陥り,眠気はただのぼろ切れを人にまとわせるからである。
>睡眠欲を失えば、眠れずに不眠症となり疲労が取れず精神をやんでしまいます
聖書は睡眠を否定していません。
伝道の書5:15
仕える者の眠りは,自分の食べる分が少ないか多いかにかかわりなく甘い。しかし,富んだ者の豊富さはこれに眠りを許さない。
しかし怠惰なまでの眠りには注意を促しています。
箴言20:13
眠りを愛してはならない。あなたが貧しくならないためである。あなたの目を開け。パンで満ち足りよ。
>性欲がなければ繁殖は行われず神のお言葉である『産めよ増やせよ地に満ちよ』に背く事となりやがて絶滅し滅びます
同様に聖書は性欲を否定していませんが、利己的なまでに過度な性欲には注意が必要です。
コリント第一7:3-5
夫は妻に対してその当然受けるべきものを与えなさい。また妻も夫に対して同じようにしなさい。妻は自分の体に関して権限を行使するのではなく,夫がそうするのです。同じように,夫も自分の体に関して権限を行使するのではなく,妻がそうするのです。互いにそれを奪うことがないようにしなさい。
箴言5:18-20
あなたの水の源が祝福されるように。あなたの若い時の妻と共に歓べ。彼女は愛らしい雌鹿,麗しい山やぎである。その乳房が常にあなたを酔わせるように。その愛によって絶えず陶酔するように。それでは,我が子よ,どうしてあなたはよその女と共に陶酔したり,異国の女の胸を抱いたりしてよいだろうか。
>>215
>論理に説得力があればいいのです。それとも、神の論理の説得力は大したことがないと?
論理的説得力さえあれば万人が信じるわけではありません。しかし事実より明白な説得力はありません。それでも信じない者は、やはり信じません。心は鈍くなったり、頑なになったりするからです。
サタンに唆され、神の命令に反して善悪の知識の樹の実を食べた時、それは人間の意志表示でした。人間は神など要らない。善悪は自分で決められる。神に治めて貰うよりも、人間は自分で自分を治めた方が良い。そういう意志表示でした。
結果はどうでしょうか。上手くいっていません。人間は歴史の中で、王政、独裁制、民主主義、共産主義など、色々と試してきました。しかし飢餓や病気、戦争や苦痛など、問題は常に山積みです。人間は人間を上手く治められていません。
以下の聖句の通り、人間は人間を治める能力が無いからです。
エレミア10:23
エホバよ,地の人の道はその人に属していないことをわたしはよく知っています。自分の歩みを導くことさえ,歩んでいるその人に属しているのではありません。
伝道の書8:9
人が人を支配してこれに害を及ぼした
一方、神の王国は、全ての問題を解決します。神に従順で、神の統治を支持すること、これが最善だと聖書は教えています。
>そうでしょうか。例えば大東亜戦争で、陸軍は島嶼防衛において、水際防衛を採用して失敗から学ぶことは容易ではありません。
上で述べた通り、事実という最も強い論証でも、従わない人は常にいます。心が頑なだからです。以下の聖句の通りです。
エレミア17:9
心はほかの何物にも勝って不実であり,必死になる。
>イルカは胎内で成長しています。成長期間はスズメの方は短いです。
論旨が分かりませんでした。人間も胎内で成長していますよね。しかし極めて無防備で生まれます。
>矢は今でも使われており、それは人工物として存在します。生命は少なくとも人工物ではない。その違いではないでしょうか。
天体としての地球は生命ではないですが、如何でしょうか。
>DNAから人を作ることは不可能です。DNAで作れるのはせいぜい全体の2%ではないでしょうか。
本当ですか。もう少し詳しく伺えますか。
>量子的ゆらぎにおける密度差は今の科学では偶然ですね。しかし、全てが偶然では無いのです。
偶然でないとは、どういうことですか。そこに意志があるということですか。
>我々がマルチコーンだとかの呼び方をおかしいと言えるのは、ユニコーンという言い方が当然だと思っているからです。後付け知識というやつですね。呼び方が定まっていない場合は何と言おうがおかしいと言えないのでは、と考えます。
角を一本だけ持つものを、一角(つまり英語でユニコーン)と呼ぶ方が、多角(つまり英語でマルチコーン)と呼ぶよりも適切であることに議論の余地があるでしょうか。
言葉には意味があります。三角形を四角形と呼ぶことは適切でしょうか。
適切とは何でしょうか。確かに緑の信号を青信号と呼ぶことはあるでしょう。しかし緑の信号を赤信号と命名するならば、そして赤の信号を緑信号と命名するならば、交通事故は増えるでしょう。その名前は適切ではないからです。
この点に関して、私の説明は論理的ではないでしょうか。心を頑なにされ、論理性度外視で、只、反論の為だけに反論されているのではないですか。お互い築き上げられる有意義な議論が出来ればと思います。
>結果はどうでしょうか。上手くいっていません。人間は歴史の中で、王政、独裁制、民主主義、共産主義など、色々と試してきました。しかし飢餓や病気、戦争や苦痛など、問題は常に山積みです。人間は人間を上手く治められていません。
では最も神に近い国はどうでしょうか。キリスト教を国教とする国は以下があります。
ローマ・カトリック - バチカン、アルゼンチン、コスタリカ、マルタ、スペイン、モナコ、フィリピン(国教ではないが民族宗教とされる)
正教会 - ギリシャ(ギリシャ正教会)、フィンランド(フィンランド正教会)、キプロス(キプロス正教会)イングランド国教会 - イングランド
聖公会 - アメリカ合衆国 (アメリカ合衆国憲法上は政教分離が定められているが、ロバート・ニーリー・ベラーは多数派による「市民宗教」が、森孝一はキリスト教と啓蒙思想が結合した「見えざる国教」が優勢であるとする。)
ルター派 - アイスランド、デンマーク、フィンランド(スウェーデンは2000年まで、ノルウェーは2012年まで)
長老派 - スコットランド
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%9B%BD%E6%95%99
これらの国は成功していると言えるのでしょうか。言えませんね。神の教えが浸透しているにも関わらず、上手くいっていません。神が収めたとしても同様でしょう。これらは事実なので明確な説得力がある事になりますね。
>>218
カーリーさん、メッセージをありがとうございます。
>では最も神に近い国はどうでしょうか。キリスト教を国教とする国は以下があります。
神の王国とキリスト教国とは別物です。以下の聖句の通り、「復活後」に神の王国があります。
ヨハネ3:3
イエスは答えて言われた,「きわめて真実にあなたに言いますが,再び生まれなければ,だれも神の王国を見ることはできません」。
また以下の聖句の通り、現在は国を問わず、全世界がサタンに支配されている、と聖書は教えています。
ヨハネ第一5:19
全世界が邪悪な者の配下にあることを知っています。
>これらの国は成功していると言えるのでしょうか。言えませんね。神の教えが浸透しているにも関わらず、上手くいっていません。神が収めたとしても同様でしょう。これらは事実なので明確な説得力がある事になりますね。
これらの国も成功していません。神の王国ではありませんし、神の言葉である聖書にも従っていません。「世のキリスト教の教え」は、意識的或いは無意識的に「神の言葉である聖書の教え」と異なっています。簡単に言うならば、イエスの教えから背教しているのが大半のキリスト教会です。
三位一体は聖書の教えではありません。マリア崇敬も聖書の教えではありません。ロザリオの祈りも、マリア像も十字架などの偶像崇拝も聖書の教えに反しています。戦争容認や同性愛擁護、進化論許容も同様です。聖職者の独身制度もそうです。クリスマスもイースターもハロウィーンも同様です。全て聖書に根ざした教えではなく、異教由来のものです。魂の不滅性や地獄の概念も同様です。キリスト教の皮を被った異教やギリシャ哲学のものです。
聖書の本当の教えと、世の偽りのキリスト教会を混同してはいけません。
>>219
>神の王国とキリスト教国とは別物です。以下の聖句の通り、「復活後」に神の王国があります。
ではキリスト教は何の効果も無いという事ですね。神の王国こそが万能である。しかしキリスト教は万能ではない。キリスト教を国教としている国が成功していないからです。
さてそうすると、以下の文言が問題となります。
>論理的説得力さえあれば万人が信じるわけではありません。しかし事実より明白な説得力はありません。それでも信じない者は、やはり信じません。心は鈍くなったり、頑なになったりするからです。
そしてこうも言っている。
>イエスは答えて言われた,「きわめて真実にあなたに言いますが,再び生まれなければ,だれも神の王国を見ることはできません」。
誰も神の王国を見る事は出来ないという。ならば事実として存在する事は出来ない。誰も確認出来ないからです。であるならば明白な説得力は無い事になる。
>一方、神の王国は、全ての問題を解決します。神に従順で、神の統治を支持すること、これが最善だと聖書は教えています。
聖書の言葉は事実を示していません。よって聖書の教えは紛い物となります。
>>220
>ではキリスト教は何の効果も無いという事ですね。
偽りのキリスト教を全否定する訳ではありません。利他主義など、聖書の一部の教えは継承されましたから。
しかし多くの教義が異教的思想や習慣にすり替えられてしまいました。紛い物となり、聖書真理やキリスト教徒に関して、多大なる誤解や混乱を招いています。
>神の王国こそが万能である。しかしキリスト教は万能ではない。
万能という語が適切かは分かりません。神の王国は全てを解決します。しかし、そこに至るには聖書の教えを当てはめ、自己変革が必要です。つまり受け身だけで成立するものではなく、能動的な努力も必要です。
>キリスト教を国教としている国が成功していないからです。
彼等が成功していないから世のキリスト教が万能でない、という論旨ではなく、世のキリスト教の大半が聖書に即していない、よって神の王国と比較するのは間違っている、という論旨でした。
>誰も神の王国を見る事は出来ないという。ならば事実として存在する事は出来ない。誰も確認出来ないからです。であるならば明白な説得力は無い事になる。
神の王国は将来実現されるものです。ですから今は見ることが出来ません。存在することが出来ないのではなく、将来に存在する様になる、というのが聖書の教えです。
その実現を信じるかどうかは、信仰に関わることです。聖書は信仰を以下の様に定義しています。
ヘブライ11:1
信仰とは,望んでいる事柄に対する保証された期待であり,見えない実体についての明白な論証です。
盲信でなく確信であることを示しています。沢山の考察や検証、実感を経て、確信に至ることが出来ます。
>>221
>多くの教義が異教的思想や習慣にすり替えられてしまいました。
つまりアナタの支持する「エホバ…」だけが正統である…みたいな認識なのでしょうかね?
>そこに至るには聖書の教えを当てはめ、自己変革が必要です。つまり受け身だけで成立するものではなく
あー、一回死んでそこから甦るという超チートな能力を有する者にしか神の王国は見れないワケですもんね;
ムダにハードル高過ぎな気がします。
>存在することが出来ないのではなく、将来に存在する様になる、というのが聖書の教えです。
「投資(信仰)をすれば将来的には絶対に儲かる」と言う詐欺集団みたいな理屈っぽいですが…まぁ、本気にする人なんかも居るんでしょう。
>信仰とは,望んでいる事柄に対する保証された期待であり,見えない実体についての明白な論証です。
要するに「絶対に損はさせません、元本保証の安全確実な投資です!」…みたいな煽り文句なんでしょうね。
…てゆーか、これまで連綿と綴られて来たアナタの回答のどこに“真理”という絶対の普遍性に繋がる要素があるんですか?
>>217
>論理的説得力さえあれば万人が信じるわけではありません。しかし事実より明白な説得力はありません。それでも信じない者は、やはり信じません。心は鈍くなったり、頑なになったりするからです。
つまり、神であっても全ての人間を洗脳から救うことはできないと。これでは神は完全とは言えないのでは?
>結果はどうでしょうか。上手くいっていません。人間は歴史の中で、王政、独裁制、民主主義、共産主義など、色々と試してきました。しかし飢餓や病気、戦争や苦痛など、問題は常に山積みです。人間は人間を上手く治められていません。
ちなみに共産主義国家は存在したことがありません。
>一方、神の王国は、全ての問題を解決します。神に従順で、神の統治を支持すること、これが最善だと聖書は教えています。
髪に従順ということは、神による独裁と言えるのでは。独裁は正当ですか?
>論旨が分かりませんでした。人間も胎内で成長していますよね。しかし極めて無防備で生まれます。
イルカは人間より低レベルだから胎内である程度成長できるのです。人間は母体の負担も考えると不十分になってしまう。それだけです。
>天体としての地球は生命ではないですが、如何でしょうか。
それがどうかしたのですが。今も昔も我々は肌身で地球を感じていますが。
>本当ですか。もう少し詳しく伺えますか。
DNAが決定するタンパク質は、2%程度しか人体に含まれていないのです。脳細胞などは再現できません。
>偶然でないとは、どういうことですか。そこに意志があるということですか。
意志ではなく力です。地球が木星や海王星のようになっていないのは、比較的太陽に近いため、太陽ができたのはチリが量子的揺らぎに従って集まったから、というように力が関わっています。
>適切とは何でしょうか。確かに緑の信号を青信号と呼ぶことはあるでしょう。しかし緑の信号を赤信号と命名するならば、そして赤の信号を緑信号と命名するならば、交通事故は増えるでしょう。その名前は適切ではないからです。 この点に関して、私の説明は論理的ではないでしょうか。心を頑なにされ、論理性度外視で、只、反論の為だけに反論されているのではないですか。お互い築き上げられる有意義な議論が出来ればと思います。
適切かどうか決めるには、まず答えが必要です。しかし、認知されたことのない存在には正解など存在せず、名前は自由です。発見者の捉え方によるのです。色盲の人は緑が黄色に見えたりします。しかし、彼らは見えている黄色を緑と判断しています。さて、これは不適切でしょうか? 私が言いたいのはこういうことです。
>>221
>しかし多くの教義が異教的思想や習慣にすり替えられてしまいました。
なぜすり替えられたのでしょうか。それは聖書が偽だからです。真に聖書が正しければ偽など生じません。よってすり替えられる事はありません。
>神の王国は全てを解決します。
そのような事実はありません。説得力がありません。
>神の王国は将来実現されるものです。
聖書が偽なので永久に実現されないと思います。これは信仰ではなく聖書が偽だという理由からです。
ごくごく狭い範囲、例えば家庭レベルでは神の王国は実現できるでしょう。しかしさらに大きなレベルでは実現できないでしょう。なぜなら聖書は偽だからです。真に正しければ万人に通じます。偽なので聖書を信じている人だけにしか通じません。聖書を信じている人の間だけ、神の王国は実現できるでしょう。
>>224
>聖書を信じている人の間だけ、神の王国は実現できるでしょう。
いや、無理。
“神の王国”はやたらドレスコードがキツくて、一度死んでも甦る能力を持った人しか入店させてもらえないみたいだから。
>>222
>つまりアナタの支持する「エホバ…」だけが正統である…みたいな認識なのでしょうかね?
例えて考えてみましょう。或る人がガンジーを信じており、ガンジー派だ、非暴力だと口で言っておきながら、実際は暴力を擁護・実行していたら如何でしょうか。
キリスト教徒であるならば、キリストに倣うべきだと思いませんか。聖書を神の書物だとするならば、聖書に従うべきだと思いませんか。誰が正当か、という議論ではなく、誰が真剣・忠実かという議論でしょう。
マタイ7:15-21
「羊の覆いを付けてあなた方のもとに来る偽預言者たちに警戒していなさい。内側では,彼らはむさぼり食うおおかみです。あなた方は,その実によって彼らを見分けるでしょう。いばらからぶどうを,あざみからいちじくを集めることなどないではありませんか。同じように,良い木はみなりっぱな実を生み出し,腐った木はみな無価値な実を生み出すのです。良い木は無価値な実を結ぶことができず,腐った木がりっぱな実を生み出すこともできません。りっぱな実を生み出していない木はみな切り倒されて火の中に投げ込まれます。それでほんとうに,あなた方はその実によってそれらの人々を見分けるのです。「わたしに向かって,『主よ,主よ』と言う者がみな天の王国に入るのではなく,天におられるわたしの父のご意志を行なう者が入るのです。
>あー、一回死んでそこから甦るという超チートな能力を有する者にしか神の王国は見れないワケですもんね; ムダにハードル高過ぎな気がします。
誰も自分で復活する能力はありません。自分で蘇るのではなく、イエスを通して神に蘇らされます。全員ではありませんが、多くの人が復活します。
使徒24:15
義者と不義者との復活がある
ヨハネ5:29
良いことを行なった者は命の復活へ,いとうべきことを習わしにした者は裁きの復活へと出て来るのです。
>「投資(信仰)をすれば将来的には絶対に儲かる」と言う詐欺集団みたいな理屈っぽいですが…
要するに「絶対に損はさせません、元本保証の安全確実な投資です!」…みたいな煽り文句なんでしょうね。
神を愛する故に信仰し、その副次的結果として神の王国を受けます。神の王国に入る為、永遠の命を受けることが動機で信仰するのであれば、それは未だ利己的な信仰であり、価値の低いものでしょう。
>…てゆーか、これまで連綿と綴られて来たアナタの回答のどこに“真理”という絶対の普遍性に繋がる要素があるんですか?
私の言葉は只の聖書解説や聖書に基づく回答です。引用している聖書の言葉が真理です。
>>223
>つまり、神であっても全ての人間を洗脳から救うことはできないと。これでは神は完全とは言えないのでは?
何をもって洗脳と言うのか、そして自由意志も絡む問題ですから、慎重な回答が必要でしょう。しかしパウロが一例ですが、神が人を完全に変えた例は聖書何にも、そして現代でも沢山あります。
>髪に従順ということは、神による独裁と言えるのでは。独裁は正当ですか?
公正な神は自由意志を認めています。神の国に入るかどうか、これは個人判断です。
しかし神の国に入るならば、その要求に心から従える必要があります。
入らないとしても地獄の様な罰はありません。神は愛の神ですから地獄はありません。只、滅びて意識が無くなるのみです。
>イルカは人間より低レベルだから胎内である程度成長できるのです。人間は母体の負担も考えると不十分になってしまう。
根本的には議論が解決していません。人間が進化論的に高度な生物であれば、赤ちゃんが無防備にならないレベルまで、胎内で成長出来る様に、「母体」が進化すれば良いのでは、と思います。そして三つ子や四つ子は当然の「多産」になり、また出産時の苦しみも軽減されて良い。痛みで叫んでいる状態では、外敵に対して母体も無防備だからです。「母体としての進化」は人間は弱いのではないでしょうか。
この点も聖書の説明に説得力があります。
創世記3:16
女に対してはこう言われた。「わたしはあなたの妊娠の苦痛を大いに増す。あなたは産みの苦しみをもって子を産む。
>それがどうかしたのですが。今も昔も我々は肌身で地球を感じていますが。
地球は生命でない、しかし優れているので、矢じりの様に自然発生ではなく、設計者、製作者がいるのでは、という議論です。
>DNAが決定するタンパク質は、2%程度しか人体に含まれていないのです。脳細胞などは再現できません。
エバはアダムの完全コピーではありません。しかしアダムのDNAがあれば、エバをゼロから造るよりも、ずっと役に立つ筈だという議論です。如何でしょうか。
>意志ではなく力です。
議論が堂々巡りになっています。その力は「偶然」そこにあるのではないですか。要はそこに意志があるのか無いのか、これが論旨です。
>色盲の人は緑が黄色に見えたりします。しかし、彼らは見えている黄色を緑と判断しています。さて、これは不適切でしょうか?
色盲の人に見えにくい色を判断させ、その判断が適切かと言えば、不適切でしょう。
この議論を継続するのであれば、先ず「適切」という語を定義する必要がありそうですね。同じ定義の上で議論しなければ、不毛な議論となるでしょう。
>>224
>なぜすり替えられたのでしょうか。それは聖書が偽だからです。真に聖書が正しければ偽など生じません。よってすり替えられる事はありません。
論理的な説明をお願いします。本物のダイヤはすり替えられることが「出来ない」のでしょうか。出来ますよね。
サタンの力が働いているので、紛い物が混じります。ここで各自の識別力が問われます。
>そのような事実はありません。説得力がありません。
神の国の王はイエスです。例えばイエスは死も病も克服した例を残しました。
>聖書が偽なので永久に実現されないと思います。これは信仰ではなく聖書が偽だという理由からです。
聖書が偽だという例が挙げれらますか。
>聖書を信じている人の間だけ、神の王国は実現できるでしょう。
実際、聖書の教えは仰る通り、神の言葉である聖書を信じ、自己変革を遂げない者には実現しません。
コリント第一6:9-10
あなた方は,不義の者が神の王国を受け継がないことを知らないとでもいうのですか。惑わされてはなりません。淫行の者,偶像を礼拝する者,姦淫をする者,不自然な目的のために囲われた男,男どうしで寝る者,盗む者,貪欲な者,大酒飲み,ののしる者,ゆすり取る者はいずれも神の王国を受け継がないのです。
ガラテア5:19-21
さて,肉の業は明らかです。それは,淫行,汚れ,みだらな行ない,偶像礼拝,心霊術の行ない,敵意,闘争,ねたみ,激発的な怒り,口論,分裂,分派,そねみ,酔酒,浮かれ騒ぎ,およびこれに類する事柄です。こうした事柄についてわたしはあなた方にあらかじめ警告しましたが,なおまた警告しておきます。そのような事柄を習わしにする者が神の王国を受け継ぐことはありません。
少し調べてみました。妊娠期間の一覧です。
ゾウ・・・・・・・・21ヶ月
キリン・・・・・・15ヶ月
サイ・・・・・・・・15ヶ月
ラクダ・・・・・・13ヶ月
シマウマ・・・・12ヶ月
クジラ・・・・・・・12ヶ月
ロバ・・・・・・・・12ヶ月
ウマ・・・・・・・・11ヶ月
人間は十ヶ月
ウシ・・・・・・・・・・9ヶ月
チンパンジー・・・8ヶ月
ヒグマ・・・・・・・・6ヶ月
ニホンザル・・・・6ヶ月
ヒツジ・・・・・・・・5ヶ月
ブタ・・・・・・・・・・4ヶ月
ライオン・・・・・・4ヶ月
パンダ・・・・・・2ヶ月半
イヌ・・・・・・・・・・2ヶ月
ネコ・・・・・・・・・・2ヶ月
カンガルー・・・・1ヶ月
ウサギ・・・・・・・1ヶ月
ネズミ・・・・・・・・20日
ハムスター・・・・16日
オポッサム・・・・12日
伊藤さん、高度な生物ほど完成に時間が掛かるという説は撤回された方が良いと思われます。
>>227
>何をもって洗脳と言うのか、そして自由意志も絡む問題ですから、慎重な回答が必要でしょう。しかしパウロが一例ですが、神が人を完全に変えた例は聖書何にも、そして現代でも沢山あります。
サウロのダマスコ体験は有名ですが、ほんの一例。一部の人間を変えるのと、全ての人間を変えることを比べると、相対的に考えて後者のこそが完全では?
>公正な神は自由意志を認めています。神の国に入るかどうか、これは個人判断です。 しかし神の国に入るならば、その要求に心から従える必要があります。 入らないとしても地獄の様な罰はありません。神は愛の神ですから地獄はありません。只、滅びて意識が無くなるのみです。
そうですか。でも、それってユダヤ人の言う選民と一緒では? 神に選ばれたものだけがいけるんでしょう。
>根本的には議論が解決していません。人間が進化論的に高度な生物であれば、赤ちゃんが無防備にならないレベルまで、胎内で成長出来る様に、「母体」が進化すれば良いのでは、と思います。そして三つ子や四つ子は当然の「多産」になり、また出産時の苦しみも軽減されて良い。痛みで叫んでいる状態では、外敵に対して母体も無防備だからです。「母体としての進化」は人間は弱いのではないでしょうか。
進化の方向性というのがあるので、人は知能に特化したため、その方面は弱いのです。全部強くしろというのは素人考えですよ。いいとこ取りなんてなかなか成功しません。
>地球は生命でない、しかし優れているので、矢じりの様に自然発生ではなく、設計者、製作者がいるのでは、という議論です。
本当に優れていますか?うちうには無数の惑星があって、我々が観測した範囲でも生命が生存できる惑星がいくつもある。製作者がいるとしたら太陽と物理法則です。
>エバはアダムの完全コピーではありません。しかしアダムのDNAがあれば、エバをゼロから造るよりも、ずっと役に立つ筈だという議論です。如何でしょうか。
それでは、2 %以外を作るためにDNA以外は何を持ってきたの? ということになります。
>議論が堂々巡りになっています。その力は「偶然」そこにあるのではないですか。要はそこに意志があるのか無いのか、これが論旨です。
物理法則のことを言っています。物理法則は我々の意図せぬところで働いています。木星がガス惑星で火星が岩石惑星なのも理由あってのことです。
>色盲の人に見えにくい色を判断させ、その判断が適切かと言えば、不適切でしょう。
でも彼らにとっては適切なんです。私が言いたいのは適切なんて所詮、主観でしかないということです。あなたが絶対的な客観性を持った何かが判定してると考えているなら別です。
>>229
妊娠期間=生育期間ではありません。目安です。像は22ヶ月で完成しますが人はさらなる期間を要します。これは私個人の説ではなく定説のはず。生物学を勉強することをおすすめします。(煽りではありません)
>>230
>サウロのダマスコ体験は有名ですが、ほんの一例。一部の人間を変えるのと、全ての人間を変えることを比べると、相対的に考えて後者のこそが完全では?
先に述べた通り、何をもって洗脳と言うのか、そして自由意志も絡む問題ですから、慎重に考える必要があるでしょう。
仮に神が全ての人間を神が望む通りに変えたとしたら、それこそ洗脳だ、独裁的だと言われてしまうでしょう。
>そうですか。でも、それってユダヤ人の言う選民と一緒では? 神に選ばれたものだけがいけるんでしょう。
門戸は誰にでも開かれています。入れるかどうかは個人の決意にかかっています。以下の聖句の通り、自由意志が重んじられます。
申命記30:19
わたしは今日,天と地をあなた方に対する証人として立て,あなたの前に命と死,祝福と呪いを置いた。あなたは命を選び,あなたもあなたの子孫も共に生きつづけるようにしなければならない。
選民思想は聖書的に正しい説ではありません。正確には、旧約聖書の時代でも、ユダヤ人でさえ神の教えから外れた場合は(死を含む)矯正を受け、異邦人でさえ神の教えに従って生きれば報いを受けました。未だ聖書の無い時代でしたから、神を教えを知る民、知らない民を用いて実例を作る期間でした。
>進化の方向性というのがあるので、人は知能に特化したため、その方面は弱いのです。
了解です。
>製作者がいるとしたら太陽と物理法則です。
やはり堂々巡りの議論です。物理法則は偶然の産物ですか。それとも制定者がいますか。
>それでは、2 %以外を作るためにDNA以外は何を持ってきたの? ということになります。
2%という少ない割合に懐疑的ですが、論旨から外れるので、追求しません。
神はアダムを塵から作りました。100%作れる方ですから、98%も作れます。しかし2%は利用出来た訳です。
>でも彼らにとっては適切なんです。私が言いたいのは適切なんて所詮、主観でしかないということです。あなたが絶対的な客観性を持った何かが判定してると考えているなら別です。
全てが主観でなく、絶対的な客観は存在します。そうでなければ世の中に「意外なこと」が一つも存在しなくなるでしょう。例を挙げます。額の上の眼鏡を探す人にとって、主観的には眼鏡は額にありませんが、それでもやはり額の上に眼鏡を見つけます。絶対的な客観は存在します。
>妊娠期間=生育期間ではありません。目安です。
果たしてロバはライオンより高度な生物でしょうか。ご都合主義な説に思えますが、あくまで目安ということならば、これ以上こだわりません。
>>231
>仮に神が全ての人間を神が望む通りに変えたとしたら、それこそ洗脳だ、独裁的だと言われてしまうでしょう。
いや、洗脳が完全であれば誰一人として反論する者も無く、皆が神の王国に到達できる事になると思うんですけど…?
何でそれをチャッチャとやっちまわないのですか???
それもまた例のサタンのせい…とかに転嫁するのでしょうか。
>>231
>先に述べた通り、何をもって洗脳と言うのか、そして自由意志も絡む問題ですから、慎重に考える必要があるでしょう。
だから、サタンに唆されている人間を全て救うことは出来ないんですよね?
>門戸は誰にでも開かれています。入れるかどうかは個人の決意にかかっています。
既に死んだ人間には開かれていませんよね?
>物理法則は偶然の産物ですか。それとも制定者がいますか。
別に私は全てが必然だと言っているわけではありません。必然の部分もあったというだけです。物理法則などによって必然的に太陽が生まれ、地球などができた。それだけのことです。
>神はアダムを塵から作りました。100%作れる方ですから、98%も作れます。しかし2%は利用出来た訳です。
アダムは年齢から考えて実在しない可能性が高いですよ。第一、塵から作るなんて非科学的です。
>絶対的な客観は存在します。
あなたの例えが良くわからなかったので、適切な答えかわからないが、額の上の眼鏡を知っているのは外部の観測者であって、額の上の眼鏡は観測者の主観なのです。
>果たしてロバはライオンより高度な生物でしょうか。ご都合主義な説に思えますが
ライオンは以外とアホです。目も悪いですし。まあ、何事にも例外はありますから、ロバとライオンの優劣を考える意味はないでしょう。
>>232
>いや、洗脳が完全であれば誰一人として反論する者も無く、皆が神の王国に到達できる事になると思うんですけど…?
それは正に動物界の本能の世界の話です。本能の世界には自由意志がありません。
>それもまた例のサタンのせい…とかに転嫁するのでしょうか。
サタンのせいではありません。神は人間に与えた自由意志を尊重しています。
人間は神の特質を多く与えられ造られており、自由意志はその一つです。
創世記5:5
神はアダムを創造した日に,これを神に似た様にお造りになった。
ミケランジェロの絵画の様に、人間は神の姿に似背て造られたという勘違いが蔓延しています。以下の聖句の通り、そもそも神は霊者です。
コリント第二3:17
エホバは霊です。
人間は霊者ではありません。つまり神はご自身の外観に人間を似せて造ったのではなく、ご自身の特質の多くを人に与えたということです。自由意志はその一つです。
その自由意志を尊重するので、神は人間に対し完全洗脳を行いません。
皆が神の王国に行くことが目的ではありません。皆が心からの愛と信仰に溢れることが大切です。心からの、とは自発性が伴う為、プログラミングされた愛や信仰ではありません。神は本物の愛と信仰を持つ可能性を人間に与えて下さいました。自由意志を与えることで、それを可能にされました。
自由意志を活かすか誤用するかは各自に委ねられています。その名の通り、自由意志は「自由」だからです。そして自由選択の結果に対し、各自は責任を負います。
>>234
>本能の世界には自由意志がありません。
>神は人間に与えた自由意志を尊重しています。
いや、そもそも全てが神の意思に忠実で無ければいけないのであれば、何ら自由意思なんて認められていないでしょ?
だったらいっそ、最初から完全洗脳してもらっていた方が、ストレスも無く誰もがハッピーだと思うんですけど?
>>233
>だから、サタンに唆されている人間を全て救うことは出来ないんですよね?
神の導きと、サタンの唆しがあります。各自はその両方から、どちらかを選びます。そして各自は自分の選択に対して責任を負います。
コリント第一10:21
あなた方はエホバの杯と悪霊の杯を共に飲むことはできません。「エホバの食卓」と悪霊の食卓に同時にあずかることはできないのです。
ガラテア6:7
何であれ,人は自分のまいているもの,それをまた刈り取ることになるのです。
>既に死んだ人間には開かれていませんよね?
開かれています。聖書の教えは以下の通りです。
ヨハネ5:28-29
記念の墓の中にいる者がみな,彼の声を聞いて出て来る時が来ようとしているのです。良いことを行なった者は命の復活へ,いとうべきことを習わしにした者は裁きの復活へと出て来るのです。
>アダムは年齢から考えて実在しない可能性が高いですよ。第一、塵から作るなんて非科学的です。
聖書にはこう書かれています。
創世記2:7
エホバ神は地面の塵で人を形造り,その鼻孔に命の息を吹き入れられた。すると人は生きた魂になった。
これは科学的に的を得ている記述です。現代科学は人体が水素、酸素、炭素といった様々な元素から成り立っていることを裏づけています。それらの元素はすべて地殻の中に見いだされます。
>あなたの例えが良くわからなかったので、適切な答えかわからないが、額の上の眼鏡を知っているのは外部の観測者であって、額の上の眼鏡は観測者の主観なのです。
しかし観測者でなく、眼鏡を探している本人も、最終的には額の上に眼鏡を見つけます。本人にとって眼鏡が額にあることは意外ですが、やはり本人にとってもそれは事実なのです。つまり客観的絶対事実は存在します。
別の例を挙げます。階段を降りる時、もう一段あると思って躓きそうになることがありますよね。その人は完全洗脳のレベルで、無意識的なレベルでさえ、もう一段あると完全に信じきっています。主観は完全です。しかし現実にはその一段は無く、躓きそうになります。信じ切れれば、その人の事実が変わる訳ではありません。客観的絶対事実が存在します。
>>1
てゆーか、太古に神がお造りになった三葉虫やらアンモナイト、それに恐竜なんかの人達には
どんなカタチでの“神の教え”が教示されていたのでしょうか?
で、アイツらが不覚にも絶滅してしまったのは、そんな“神の教え”をちゃんと守らなかったせいなのでしょうか?
>>236
>「エホバの食卓」と悪霊の食卓に同時にあずかることはできないのです。
…ちなみに両者の献立表(メニュー)を教えて頂けると助かるんですが?
>>236
>神の導きと、サタンの唆しがあります。各自はその両方から、どちらかを選びます。そして各自は自分の選択に対して責任を負います。
要するに、サタンの理論に説得力を感じるものもいるわけだ。ダメじゃん。相対的に考えて、神は完全に遠い。
>開かれています。
良いことというのはキリスト教的なものでしょう? 知らなかったらどうするのか。
>これは科学的に的を得ている記述です。現代科学は人体が水素、酸素、炭素といった様々な元素から成り立っていることを裏づけています。それらの元素はすべて地殻の中に見いだされます。
問題はチリの中にどれほどのものがあるかということと、不要なものがないかということです。もし、塵をそのまま人間にしたら、炭素や水素がやたら少なくてケイ素や金属類がやたら多くなります。ターミネーターなら作れそうですが、普通の人は無理です。
また、900歳も生きることは無理です。
>やはり本人にとってもそれは事実なのです。
本人が主観的に発見したからです。誰も見たことのない、考えたこともないものは、誰かが発見しない限り、存在しないも同然です。なぜか、それは我々が主観的にしか捉えられていないからです。
>>235
>いや、そもそも全てが神の意思に忠実で無ければいけないのであれば、何ら自由意思なんて認められていないでしょ?
現在、神は自由意志の誤用を忍耐されていらっしゃいます。
将来、神が裁きを行われる時、自由意志を誤用した者は滅ぼされます。しかし自由意志は残されます。アダムが罪を犯した際、エデンの園から追放されました。現在、人間は楽園に対して異邦人です。楽園に戻るには、神の掟に従う必要があります。
これは道理に適ったことです。日本人が外国、例えばスペインに移住するならば、当然、スペインの法律を受け入れる必要があります。スペイン政府に反対しながら、スペインの法律に違反しながら、スペインに移住させて欲しいというのは道理に適っていません。
>だったらいっそ、最初から完全洗脳してもらっていた方が、ストレスも無く誰もがハッピーだと思うんですけど?
「無理矢理に」誰をもハッピーにすることが貴方の希望かもしれません。しかし、それは神の意図でしょうか。
>>237
>てゆーか、太古に神がお造りになった三葉虫やらアンモナイト、それに恐竜なんかの人達には
どんなカタチでの“神の教え”が教示されていたのでしょうか?
現在の動物に関しても同じことが言えますが、彼等に与えられた教えは、正に本能という知恵です。
箴言30:24-28
地の最も小さいものが四ついるが,それらは本能的に賢い。ありは強い民ではないが,夏の間にその食物を備える。岩だぬきは力ある民ではないが,大岩の上にその家を設ける。いなごに王はないが,みな群れに分かれて進んで行く。やもりとかげはその手でつかまえ,壮大な王宮の中にいる。
>で、アイツらが不覚にも絶滅してしまったのは、そんな“神の教え”をちゃんと守らなかったせいなのでしょうか?
断定的ではありませんが、以下の聖句などに恐竜を示唆する記述が登場します。
創世記1:21
そうして神は大きな海の巨獣(「大きな爬虫類」とも訳せる)と動き回るあらゆる生きた魂,すなわち水がその種類にしたがって群がり出させるもの,また翼のあるあらゆる飛ぶ生き物をその種類にしたがって創造してゆかれた。
そもそも本能で生きる生物は罪を犯しません。自由意志の誤用が罪に繋がります。動物には自由意志がありません。
恐竜の創造と絶滅には意味があったと推測されます。しかし聖書は百科事典ではなく、「人間を対象に書かれた教えの本」です。サタンが神に反逆する様になった経緯が記されていないのと同様に、何故、恐竜が絶滅したのか、聖書には記されていません。それでも敢えて考えるならば、あの様に巨大で地を征服した生物さえ滅びることがあるという、人間のおごりを牽制する役割かもしれません。しかし、これは只の推測に過ぎません。
>>238
>…ちなみに両者の献立表(メニュー)を教えて頂けると助かるんですが?
お分かりだと思いますが、エホバとの交友、サタンとの交友、この二つは相容れないものであるという比喩です。
もし敬意を欠く様な投稿であれば、議論の質が下がりますので、今後の回答は控えます。
>>239
>要するに、サタンの理論に説得力を感じるものもいるわけだ。ダメじゃん。相対的に考えて、神は完全に遠い。
実際、サタンを選ぶ者は沢山います。むしろ神を選ぶ方が少数派です。
マタイ7:13-14
「狭い門を通って入りなさい。滅びに至る道は広くて大きく,それを通って入って行く人は多いからです。一方,命に至る門は狭く,その道は狭められており,それを見いだす人は少ないのです。
神はご自身を明らかにされてきました。古代、民の前に現れたり、奇跡を行いました。しかし全てが聖書に記録された今、公正さや信仰の為に、直接的な関与を制限されています。それでも神の存在は明らかです。後は各自の観察力・識別力や心の柔和さが問われます。
使徒17:27
彼らが神を模索してほんとうに見いだすならばのことですが,実際のところ神は,わたしたちひとりひとりから遠く離れておられるわけではありません。
使徒14:16-17
神は諸国民すべてが自分の道を進むのを許されました。とはいえ,ご自分は善いことを行なって,あなた方に天からの雨と実りの季節を与え,食物と楽しさとをもってあなた方の心を存分に満たされたのですから,決してご自身を証しのないままにしておかれたわけではありません」。
ローマ1:20
神の見えない特質,すなわち,そのとこしえの力と神性とは,造られた物を通して認められるので,世界の創造以来明らかに見えるからであり,それゆえに彼らは言い訳ができません。
>良いことというのはキリスト教的なものでしょう? 知らなかったらどうするのか。
啓示20章に書かれている通り、教育を受けなかった死者は復活後、教育を受けます。
また後ほど回答します。
>>228
>論理的な説明をお願いします。本物のダイヤはすり替えられることが「出来ない」のでしょうか。出来ますよね。
つまりすり替えられる程度の軽い扱いだという事です。大事なダイヤはすり替えられないように厳重に保管されます。紛い物ばかりという事は、厳重に保管されるものではないという事です。つまり聖書は偽です。
>サタンの力が働いているので、紛い物が混じります。ここで各自の識別力が問われます。
つまりサタンに聖書は負けているという事です。
>神の国の王はイエスです。例えばイエスは死も病も克服した例を残しました。
死も病も克服したとはどういうものでしょうか。死から蘇生した、病から回復した、という事例は昔から多くありますが。それほど特別なものとは言えません。神の国の王となる要件は軽いように思います。
>実際、聖書の教えは仰る通り、神の言葉である聖書を信じ、自己変革を遂げない者には実現しません。
つまりお友達の間でだけ通用する神の国というわけです。
それと妊娠期間についてですが、多くの動物は完成した形で生まれてくるのに、人間は完成するまで数年かかると言われています。人間は生まれてすぐ自力で歩くことすら出来ません。一通りの自立が出来る目安は2歳ごろです。
>この仮説を提唱した動物学者のポルトマンによれば、ヒトの新生児が類人猿の新生児と同じ発達状態で生まれてこようとしたら、妊娠期間は21か月になる、と指摘しています。
>また心理学者のボストックはヒトの生後8〜10ヶ月は「外的妊娠の期間」であると述べています。
>自然人類学者のモンターギュはヒトはネオテニー(幼形成熟)であるから、
>以上を総合するとヒトは体内妊娠のほかに生まれてからも子宮の外での妊娠状態が続きます。
https://plaza.rakuten.co.jp/yellowseed/diary/201012270000/
>将来、神が裁きを行われる時、自由意志を誤用した者は滅ぼされます。
>現在の動物に関しても同じことが言えますが、彼等に与えられた教えは、正に本能という知恵です。
シーラカンスやアンモナイトは古代から残っている種ですが、彼らは神の寵愛でも受けているのでしょうか。
>自由意志を活かすか誤用するかは各自に委ねられています。その名の通り、自由意志は「自由」だからです。そして自由選択の結果に対し、各自は責任を負います。
自由なはずなのに誤用とは矛盾しています。自由なはずなのに誤用したから滅ぼされるとは。理不尽極まりない。
>聖書は決して科学書ではありません。それでも神、つまり万物の創造者からの霊感により記されたのであれば、当然、その記載は科学的にも正しいことが納得出来ます。
サタンも神の産物となります。しかしサタンにより邪魔をされているとは矛盾を生じています。
万物の創造者が別にあるとすれば、矛盾なく説明出来ます。万物の創造者Aがキリスト教とサタンを作った。こうすればキリスト教で言う神とサタンは同列の存在となり、邪魔をする事も可能になります。Aはキリスト教の教義以上の存在なのでキリスト教では出てきません。キリスト教が偽であるという説明も可能です。他の宗教とも同列になるからです。よって偽となります。
>>243
>神はご自身を明らかにされてきました。古代、民の前に現れたり、奇跡を行いました。しかし全てが聖書に記録された今、公正さや信仰の為に、直接的な関与を制限されています。それでも神の存在は明らかです。後は各自の観察力・識別力や心の柔和さが問われます。
都合の悪いことを人間のせいにしているようにしか思えない。サタンを選ぶ方が多いのはサタンの方に説得力を感じる人が多いということでしょう? ほら、神は完全ではないじゃない。多くのものを救える神と少ないものを救える神では、前者の方が完全性が高いと言えるんじゃないかい?
もう一つ、神は完全である。神の計画も完全である。ならば神のつくる世界も完全であるべきだが、今の世界はどう考えても完全ではない。今の世界が神から出たものならば完全でないのはおかしい。と思う。
>啓示20章に書かれている通り、教育を受けなかった死者は復活後、教育を受けます。
復活している人なんて僅かでは?
カーリー氏と伊藤氏が同じ側ですごいよね。
ところであくまでもカトリックに基づく抗戦を続ける私はもはやジリ貧なんだがな。
一つスレ主氏に言っておくと、某証人は例えば親が某証人に入る前に生まれた子供は悪魔の子のように冷遇し、入った後に生まれた子には大層祝福なされるようだが、これは聖書の教えですか?
私はそういう面からキリスト教が日本で馴染まないとはいえ、現代カトリックの方がだいぶマシかと思いますがね。
>>239
>問題はチリの中にどれほどのものがあるかということと、不要なものがないかということです。もし、塵をそのまま人間にしたら、炭素や水素がやたら少なくてケイ素や金属類がやたら多くなります。ターミネーターなら作れそうですが、普通の人は無理です。
何故、材料の全てを使わなければいけないのでしょうか。必要な材料を必要な割合で使えば良いでしょう。
>また、900歳も生きることは無理です。
生活環境に依存しない絶対的な根拠がありますか。
>本人が主観的に発見したからです。誰も見たことのない、考えたこともないものは、誰かが発見しない限り、存在しないも同然です。なぜか、それは我々が主観的にしか捉えられていないからです。
存在しないと思う段差に人が躓く時、主観的世界と客観的真実が衝突し、客観的真実が勝ち、先ず躓きます。躓いた直後に、客観的真実に即して主観的が調整されます。つまり主観的世界を超えた客観的真実が存在します。
>>224
>つまりすり替えられる程度の軽い扱いだという事です。大事なダイヤはすり替えられないように厳重に保管されます。紛い物ばかりという事は、厳重に保管されるものではないという事です。つまり聖書は偽です。
写本や訳本の多くはすり替えられました。多くの人は紛い物に騙されました。
しかしすり替えられなかった写本や訳本があり、研究により原本がどうであったかという史実が明らかにされています。私が使用している聖書はすり替えられていない版です。サタンはすり替えに失敗しています。
>つまりサタンに聖書は負けているという事です。
本物のダイヤと偽物を見分けるのに、観察力・識別力、考察が必要だということです。
勝ち負けで言えば、ありとあらゆる迫害に耐え、聖書原文は実質を損なわずに継承され続けています。
>死も病も克服したとはどういうものでしょうか。死から蘇生した、病から回復した、という事例は昔から多くありますが。それほど特別なものとは言えません。神の国の王となる要件は軽いように思います。
以下の聖句の通り、サタンはトリックを用います。
コリント第二11:14
それも不思議ではありません。サタン自身が自分をいつも光の使いに変様させているからです。
マタイ24:23-24
その時,『見よ,ここにキリストがいる』とか,『あそこに!』とか言う者がいても,それを信じてはなりません。偽キリストや偽預言者が起こり,できれば選ばれた者たちをさえ惑わそうとして,大きなしるしや不思議を行なうからです。ご覧なさい,わたしはあなた方にあらかじめ警告しました。
また奇跡が行えることだけが神の王国の王の要件ではありません。イエスは様々な形で徹底的に試みられました。
>つまりお友達の間でだけ通用する神の国というわけです。
外国人が移民しようと思う移民先国の法律に従う必要があるのは当然ではないですか。
>また心理学者のボストックはヒトの生後8〜10ヶ月は「外的妊娠の期間」であると述べています。
>以上を総合するとヒトは体内妊娠のほかに生まれてからも子宮の外での妊娠状態が続きます。
物は言いよう、という印象が残りますが、まぁ良いです。こだわりません。
一方で、アゲハ蝶の完全変態は進化論でどの様に説明されるのですか。蛹の中で体がドロドロになり完全に姿を変えることも、突然変異や適応で説明がつくのですか?
>>245
>シーラカンスやアンモナイトは古代から残っている種ですが、彼らは神の寵愛でも受けているのでしょうか。
先に書いた通り、動物は自由意志を持たない為、罪を犯しません。よって裁きを受けません。残っている残っていないは、神の愛と直接関係がありません。
>自由なはずなのに誤用とは矛盾しています。自由なはずなのに誤用したから滅ぼされるとは。理不尽極まりない。
自由意志はエホバからの贈り物です。例えで考えてみましょう。
あなたの大切な友人が、あなたにペンを贈るとします。そのペンで何をするか、それは「あなたの自由」です。
そのペンを使って贈り主の友人に感謝の手紙を書けば、その友人は喜ぶでしょう。そのペンを大切に用い、仕事や日記など、毎日の生活に役立てるならば贈り主は喜ぶでしょう。
一方、そのペンを用いて贈り主を糾弾する小説を出版したら如何でしょうか。絶交状をしたためたらどうでしょうか。贈り主は悲しむでしょう。そのペンを用いて、他の様々な人を傷付ける苦々しい手紙を書いたらどうでしょうか。更にはそのペンを誤用して、人の目を刺したらどうでしょうか。贈り主は本当にがっかりするでしょう。
その様な事をしておいて、その友人から絶交されたら、それは果たして「理不尽極まりない」でしょうか。絶交状を書いたのは、そもそもあなたなのです。
自由意志を正しく用いて神を賛美したい、自由意志を誤用したくないとは、この例えで明らかです。
>>246
>サタンも神の産物となります。しかしサタンにより邪魔をされているとは矛盾を生じています。
多くの人がここで悩みます。私の場合、遠回りをした為に20年以上を理解に要しました。自由意志、そして神の公正さについて、深く考察してみて下さい。
>>247
>都合の悪いことを人間のせいにしているようにしか思えない。サタンを選ぶ方が多いのはサタンの方に説得力を感じる人が多いということでしょう?
サタンの誘惑は強力です。
>ほら、神は完全ではないじゃない。多くのものを救える神と少ないものを救える神では、前者の方が完全性が高いと言えるんじゃないかい?
救われたいと思い、真剣に努力を払う人間を「全員」、神は救います。
>もう一つ、神は完全である。神の計画も完全である。ならば神のつくる世界も完全であるべきだが、今の世界はどう考えても完全ではない。今の世界が神から出たものならば完全でないのはおかしい。と思う。
エデンの園は完全でした。今後に回復される神の王国も完全です。しかし現在の世界は非常に不完全です。
多くの人が誤解していますが、以下の聖句の通り、「現在の世界」の支配者は神でなくサタンです。
ヨハネ第一5:15
全世界が邪悪な者の配下にある
ルカ4:6
そして悪魔は言った,「この権威すべてとこれらの栄光をあなたに上げましょう。それは※わたしに渡されている※からです。
ヨハネ12:31
今,この世の裁きがなされています。今やこの世の支配者は追い出されるのです。
何故、サタンの支配が一時的に許されているのか、
>>46
で述べた通りです。
>復活している人なんて僅かでは?
大群衆が復活するのは将来のことです。
>>248
>ところであくまでもカトリックに基づく抗戦を続ける私はもはやジリ貧なんだがな。
カトリックの何処に魅力を感じていらっしゃるのですか。ご一緒に考えてみませんか。
>一つスレ主氏に言っておくと、某証人は例えば親が某証人に入る前に生まれた子供は悪魔の子のように冷遇し、入った後に生まれた子には大層祝福なされるようだが、これは聖書の教えですか?
エホバの証人と言えども、サタンの難しい世に罪を持って生まれた不完全な人間です。その中で、神の教えを精一杯当てはめようと努力しています。ですが完全ではありません。
アーリアさんの仰ることは、或る一つの事例でなく、エホバの証人「全般に言える信頼出来る情報」でしょうか?そうは思えません。
いずれにしても、聖書の教えではないと思います。
>私が使用している聖書はすり替えられていない版です。
その聖書は真実の聖書なんですよね?しかし普及に失敗しています。サタン版聖書の方が普及しています。つまりサタンに負けているのです。騙されている人々を救済する事すらできない。真実の聖書は紛い物だからです。
>本物のダイヤと偽物を見分けるのに、観察力・識別力、考察が必要だということです。
その観察力識別力考察を与えるのが聖書のはずですが。それらを充分に与えられていない聖書は偽なのです。
>また奇跡が行えることだけが神の王国の王の要件ではありません。イエスは様々な形で徹底的に試みられました。
死も病も克服した、は奇跡でも何でもありません。
>外国人が移民しようと思う移民先国の法律に従う必要があるのは当然ではないですか。
君の話を聞く限り、聖書の世界に移住したいとは思いません。
>一方で、アゲハ蝶の完全変態は進化論でどの様に説明されるのですか。
進化論?私は進化論の話はしていませんが?
>残っている残っていないは、神の愛と直接関係がありません。
>人間は動物の愛ある管理を神から委ねられたからです。
こう言ってますよ。人間が神から委任されたのなら、神の愛と動物には関係があるという事です。神に代わって人間が裁きをしても良いのなら、肉食も罰の一つと言えるので、これを悪とするなら、委任した神に原因にあると言えます。
>つまり全ての悪いことは、神故にでなく、人故に起きています。
つまりこの証言は矛盾が生じています。
>その様な事をしておいて、その友人から絶交されたら、それは果たして「理不尽極まりない」でしょうか。絶交状を書いたのは、そもそもあなたなのです。
ペンをくれた友人から、禁止行為を示されていないのなら、何をしても自由なはずです。絶交状は絶交する意思があるので、絶交されても仕方ありませんが、それ以外の理由では、禁止されていない事をしていたのに、後から理由をつけて絶交されるとは道理が合いません。
>自由意志を正しく用いて
神に反発するのも自由です。そのような人を非難する事など神には出来ません。
>将来、神が裁きを行われる時、自由意志を誤用した者は滅ぼされます。
絶交されたからといって滅ぼすというのは理不尽極まりません。ただの横暴です。
>多くの人がここで悩みます。私の場合、遠回りをした為に20年以上を理解に要しました。自由意志、そして神の公正さについて、深く考察してみて下さい。
矛盾が生じているのだから悩むのです。やはり聖書は偽だという事です。答えを各人の考察に委ねるというのは、答えを持ち合わせていないという事です。私の考察は「聖書は矛盾する」です。
>>255
カーリーさん、どうもあなたのメッセージは
論理→結論(肯定なり批判)
でなく、
結論(批判)ありき→こじつけの論理
に思えます。論理的に脆弱です。
この様な批判ありきのお話では、お互い何も得るものがありません。
>その聖書は真実の聖書なんですよね?しかし普及に失敗しています。サタン版聖書の方が普及しています。
検証していませんが、私の使用している新世界訳は翻訳数では世界一かもしれません。
また聖書の翻訳により良し悪しはありますが、どの聖書も内容は実質同じです。細かな点が異なるのみです。
>つまりサタンに負けているのです。騙されている人々を救済する事すらできない。真実の聖書は紛い物だからです。
あなたの論理でいくと、普及していれば真理ということになります。ところで聖書は世界で最も普及している本です。と言うことは聖書こそ真理となります。あなたの論理を返すとそうなることにお気付きでしょうか。
>その観察力識別力考察を与えるのが聖書のはずですが。それらを充分に与えられていない聖書は偽なのです。
先の通り、聖書ほど普及している書物はありません。
>死も病も克服した、は奇跡でも何でもありません。
死人が生き返る、不治と思われた病が一瞬で治るのが奇跡でないならば、何が奇跡なのですか。奇跡の定義を明示して下さい。
>君の話を聞く限り、聖書の世界に移住したいとは思いません。
個人判断ですので、強制しませんし出来ません。
>一方で、アゲハ蝶の完全変態は進化論でどの様に説明されるのですか。
進化論?私は進化論の話はしていませんが?
外的妊娠の話は進化論の文脈でなされていました。カーリーさん、伊藤さん、その他どなたかの説明をお待ちしています。
>こう言ってますよ。人間が神から委任されたのなら、神の愛と動物には関係があるという事です。神に代わって人間が裁きをしても良いのなら、肉食も罰の一つと言えるので、これを悪とするなら、委任した神に原因にあると言えます。
何か誤解されています。聖書の教えは肉食を禁じていません。
創世記9:3
生きている動く生き物はすべてあなた方のための食物としてよい。
マルコ7:19
イエスはすべての食物を清いとされたのである。
コリント第一8:8
食物がわたしたちを神に推賞するのではありません。食べなくても後れをとるわけではなく,食べたからといって誉れになるわけでもありません。
>つまりこの証言は矛盾が生じています。
論点が分かりませんでした。ご説明願います。
>ペンをくれた友人から、禁止行為を示されていないのなら、何をしても自由なはずです。
実際に試してみたら、お分かりになると思います。
>神に反発するのも自由です。そのような人を非難する事など神には出来ません。
根拠をお示し下さい。
極論で話しますと、神が神であるならば、神はあらゆる能力や権利があります。
(幸いにも神は慈悲深い神です。)
>絶交されたからといって滅ぼすというのは理不尽極まりません。ただの横暴です。
先の例えでは、絶交したのは先ずあなたです。つまり、今の今でもご自身の自由意志を用いて、聖書の神を否定していらっしゃいます。
>矛盾が生じているのだから悩むのです。やはり聖書は偽だという事です。答えを各人の考察に委ねるというのは、答えを持ち合わせていないという事です。私の考察は「聖書は矛盾する」です。
数学の問題に悩むなら、そこに答えは無いと言うことですか。そうではないですよね。
真理はインスタントフードではありません。じっくりと時間を掛けて当然かと思います。
>>256
>あなたのメッセージは論理→結論(肯定なり批判)でなく、 結論(批判)ありき→こじつけの論理に思えます。論理的に脆弱です。
いや、アナタがそれを言うのはおかしいと思いますよ?
だってアナタの論理(?)の根拠は、須らく「神は公正で慈悲深く完全な存在だ」というチート前提ありきじゃないですか。
その割には「神は自らを賛美する者しか受け入れない」だとか「批判者は皆サタンの支配下にあるから滅ぼしていい」みたいな暴論を妙に丁寧な言葉で言っちゃってるし;‥。
ソレって、金正恩や和田アキコのやってる事とあんまし大差無いような気がするんですけど…いかがでしょうか?
>>257
>だってアナタの論理(?)の根拠は、須らく「神は公正で慈悲深く完全な存在だ」というチート前提ありきじゃないですか。
その割には「神は自らを賛美する者しか受け入れない」だとか「批判者は皆サタンの支配下にあるから滅ぼしていい」みたいな暴論を妙に丁寧な言葉で言っちゃってるし;‥。
優しさと甘やかしには大きな違いがあります。その違いを考察してみて下さい。エホバもイエスも無限の優しさがあります。しかし甘やかしはありません。
>結論(批判)ありき→こじつけの論理
>に思えます。論理的に脆弱です。
>聖書こそ真理と確信している者です。
君も結論ありき→こじつけの論理をしています。君の論理は脆弱となります。よって真理足りえません。
>検証していませんが、私の使用している新世界訳は翻訳数では世界一かもしれません。
>しかし多くの教義が異教的思想や習慣にすり替えられてしまいました。
翻訳数が世界一にも関わらず、普及していないとはどういうことでしょうか。矛盾しています。
>どの聖書も内容は実質同じです。
実質同じ?悪魔によってすり替えられたという話ではなかったのですか?矛盾しています。
>ところで聖書は世界で最も普及している本です。
サタンによってすり替えられた偽が普及しているという話でしたが。矛盾しています。
>死人が生き返る、不治と思われた病が一瞬で治るのが奇跡でないならば、何が奇跡なのですか。奇跡の定義を明示して下さい。
奇跡なんてありません。万物を神が与えたのだから全ての事象は神の御業によるものです。起こって当然のものは奇跡ではありません。
>外国人が移民しようと思う移民先国の法律に従う必要があるのは当然ではないですか。
>個人判断ですので、強制しませんし出来ません。
つまり、キリスト教を信じる人はキリスト教によって救われる、という話ですね。これは多くの他の宗教も同じ事を言っています。何ら特別なものではない。「自分にとって自分は正しい」と、当然の事を言っているだけです。その程度でしかありません。議論の余地などありません。
私にとって私は正しい。よって君は間違えている。君はこれに反論が出来ません。
>外的妊娠の話は進化論の文脈でなされていました。
完成までに時間がかかる、への反論でしたよね。そのような議論は確認出来ませんでしたが。進化論と妊娠はどこでどう繋がっていたのでしょうか。>>229からは進化論の文脈すら見えませんが。
>何か誤解されています。聖書の教えは肉食を禁じていません。
>その人間が神に反逆し、動物の虐待や肉食を始めました。
はて。人間が神に反逆して肉食を始めたとありますが。肉食を是とする聖書は神に反逆する書なのでしょうか。
>極論で話しますと、神が神であるならば、神はあらゆる能力や権利があります。
その神から許可を得てした行いに対し、神は否定出来ません。当然過ぎるほど当然の話です。何をしても良いと許可を得たのだから神を唾棄しても神は否定出来ません。
>先の例えでは、絶交したのは先ずあなたです。つまり、今の今でもご自身の自由意志を用いて、聖書の神を否定していらっしゃいます。
絶交に対して滅ぼすというのは道理ではないという話です。ただの脅迫に成り下がっています。
>数学の問題に悩むなら、そこに答えは無いと言うことですか。そうではないですよね。
答えが無いから悩むという話です。
>真理はインスタントフードではありません。じっくりと時間を掛けて当然かと思います。
では聖書は真理を説いていないという事です。真理は各人の悩みに任せているのだから「聖書こそ真理」は矛盾を生じています。
>>253
>サタンの誘惑は強力です。
神の説得力はそれに劣るのでしょう?
>救われたいと思い、真剣に努力を払う人間を「全員」、神は救います。
救われたいと思っている時点で誘惑に負けたり、洗脳されたりしているようには思えませんが。事実上、神は救うべき人を誰一人救っていない、ということになりかねません。
>エデンの園は完全でした。今後に回復される神の王国も完全です。しかし現在の世界は非常に不完全です。
計画が完全ならばサタンに支配させることもないだろう。また、妨げになっているサタンをなぜつくったのかも疑問。
>大群衆が復活するのは将来のことです。
その根拠は?
>一方で、アゲハ蝶の完全変態は進化論でどの様に説明されるのですか。蛹の中で体がドロドロになり完全に姿を変えることも、突然変異や適応で説明がつくのですか?
蛹は基本的には鳥の卵と変わらない。別に不思議でもない。また、脱皮に比べて失敗する確率が低いとも言われているので、有効だと思われる。虫なんかは世代交代が早いから進化した結果と言える。
>>249
>何故、材料の全てを使わなければいけないのでしょうか。必要な材料を必要な割合で使えば良いでしょう。
塵を固めるだけではダメなんですよ。塵から適当な物質を摘出して、それから上手くやらないとダメ。塵に含まれる元素だけで生物が生まれることはない。 例えばRNAは地球にはありません。無論、塵にも含まれません。
参考:https://www.somersetlive.co.uk/Life-Earth-started-comet-meaning-chance-life/story-29070441-detail/story.html
>生活環境に依存しない絶対的な根拠がありますか。
医学に頼らない場合、125歳が限界だと言われています。歳を取ると細胞にガタがくるので、900歳なんて癌だらけですよ。
>存在しないと思う段差に人が躓く時、主観的世界と客観的真実が衝突し、客観的真実が勝ち、先ず躓きます。躓いた直後に、客観的真実に即して主観的が調整されます。つまり主観的世界を超えた客観的真実が存在します。
あくまで観測者や当事者が新たな事実を発見したに過ぎない。 我々は物事を極めて感覚的、主観的に捉えている。その中に絶対的な客観的事実が介入する余地はない。
>>259
>君も結論ありき→こじつけの論理をしています。君の論理は脆弱となります。よって真理足りえません。
こじつけではありません。論理的一貫性を持って議論しています。
>翻訳数が世界一にも関わらず、普及していないとはどういうことでしょうか。矛盾しています。
何言語で入手可能か、何部発行されたか、は別の話です。また現代では聖書がダウンロード出来るので、部数の概念が以前より希薄になりました。
>実質同じ?悪魔によってすり替えられたという話ではなかったのですか?矛盾しています。
エホバの名が残されたか、或いは神や主という言葉で置き換えられたか、これが一番の違いです。消された版では神が誰を指すのか不明瞭になりました。しかし、実質的な内容は変わりません。
>サタンによってすり替えられた偽が普及しているという話でしたが。矛盾しています。
聖書が完全に失われた、或いは実質的に原文をたどれない程度に歪められたのであれば、サタンの勝利でしょう。現実はそうではありません。
>奇跡なんてありません。万物を神が与えたのだから全ての事象は神の御業によるものです。起こって当然のものは奇跡ではありません。
神の存在を否定しているのですか。奇跡を否定しているのですか。或いは両方でしょうか。
>つまり、キリスト教を信じる人はキリスト教によって救われる、という話ですね。
世のキリスト教と聖書の教えは同じではありません。
また信じるだけでは救われません。信仰を生き方で体現する必要があります。道具を持っていても役に立たず、使って初めて役に立つのと同じです。
>議論の余地などありません。 私にとって私は正しい。よって君は間違えている。君はこれに反論が出来ません。
では議論とは何ですか。あなたはこの掲示板で何がしたいのですか。
また、あなたの理屈で言えば、私にとって私は正しく、あなたは反論出来なくなってしまいます。
お互い健全に批判したり、築き上げるのでなければ、このやり取りは双方に時間と労力の無駄となります。
>完成までに時間がかかる、への反論でしたよね。そのような議論は確認出来ませんでしたが。進化論と妊娠はどこでどう繋がっていたのでしょうか。>>229からは進化論の文脈すら見えませんが。
>>180から始まった伊藤さんとのやりとりです。
>はて。人間が神に反逆して肉食を始めたとありますが。肉食を是とする聖書は神に反逆する書なのでしょうか。
説明不足でしたね。すみません。
当初、世界は草食に作られました。その後、反逆した人間が肉食を始めました。しかし神は肉食を許されました。そういう経緯での話です。
>その神から許可を得てした行いに対し、神は否定出来ません。当然過ぎるほど当然の話です。何をしても良いと許可を得たのだから神を唾棄しても神は否定出来ません。
自由とは何か?先のペンの例えを深く考察してみて下さい。
また以下の聖句の通り、神は許可をしていません。自由意志と共に、誤用してはいけないという命令も与えています。
創世記2:16-17
エホバ神は人にこう命じた。「庭園の全ての木の実を満足するまで食べてよい。 しかし,善悪の知識の木の実は,食べてはならない。それを食べた日にあなたは必ず死ぬからである」
>絶交に対して滅ぼすというのは道理ではないという話です。ただの脅迫に成り下がっています。
ペンをくれた友人に絶好状を書き、更にそのペンで友人の目を刺すなら、絶交されても文句は言えないでしょう。そこに脅迫はありません。
>答えが無いから悩むという話です。
多くの人が聖書に答えを見つけました。
>では聖書は真理を説いていないという事です。真理は各人の悩みに任せているのだから「聖書こそ真理」は矛盾を生じています。
任せていません。聖書は教え、導いています。
不毛な議論が続くようでしたら、とりあえず今はお互い時間と労力を別のことにあてた方が良いと思います。
キリスト教の神があえてサタンをお造りになった理由は明白です。
それは「不都合な出来事は全てソイツのせい」にする為でありましょう。
>>262
>キリスト教の神があえてサタンをお造りになった理由は明白です。
それは「不都合な出来事は全てソイツのせい」にする為でありましょう。
聖書は※実際に※何と教えているでしょうか。見てみましょう。
伝道の書9:11
私はこの地上で次のことも知るようになった。足の速い人がいつも競走に勝つわけでも,強い人が戦いに勝つわけでもない。また,賢い人がいつも食事にありつけるとは限らない。知的な人が裕福になるとも,知識がある人が成功するとも限らない。なぜなら,※思いも寄らないことがいつ誰にでも起きる※からだ。
誰のせいでもないことが起こることがある、そう書かれています。
ガラテア6:7-8
思い違いをしてはなりません。神はご自分を侮る者を大目に見ることはありません。人は※自分がまいているものを必ず刈り取る※ことになります。罪深い欲望のままにまいている人は,罪深い欲望によって腐敗を刈り取り,聖なる力に導かれてまいている人は,聖なる力によって永遠の命を刈り取ることになるのです。
自分の責任だと書かれています。
全てはサタンのせい、と聖書自体は述べていますか?
>>263
>全てはサタンのせい、と聖書自体は述べていますか?
いえ、聖書の記述については全く知りません。
現代社会がサタンの支配下にあると仰ったのはアナタですし、それならばそこで生じる不都合は
全てサタンとかいう輩のせいなのであろうかと類推したまでです。
支配というのはそーゆうモノだと思ってましたけど…何か間違ってましたか?
>>264
>現代社会がサタンの支配下にあると仰ったのはアナタですし、それならばそこで生じる不都合は
全てサタンとかいう輩のせいなのであろうかと類推したまでです。
現在の世界がサタンの支配下にある、と教えているのは聖書です。また全てがサタンのせいではないと教えているのは聖書です。
私は聖書を吟味した後、聖書を真理と確信し、聖書の教えを議論・説明・擁護しています。
>>260
>神の説得力はそれに劣るのでしょう?
子持ち既婚者の男性を、或る容姿の美しい女性が誘惑するとします。この誘惑の力がサタンの強力な力です。
一方、神の教えはこうです:
出エジプト20:14
姦淫をしてはならない。
これは只の説得力のバトルですか。あなたは誘惑に負けますか。その結果はどうなるでしょうか。
>救われたいと思っている時点で誘惑に負けたり、洗脳されたりしているようには思えませんが。事実上、神は救うべき人を誰一人救っていない、ということになりかねません。
ごめんなさい。論点が分かりませんでした。
>計画が完全ならばサタンに支配させることもないだろう。また、妨げになっているサタンをなぜつくったのかも疑問。
>>46をご参照下さい。
>大群衆が復活するのは将来のことです。
その根拠は?
復活のタイミングにつき、聖書はこう教えています。
ヨハネ6:39
私を遣わした方が望むこととは,私が,託された全ての人を一人も失うことなく※終わりの日に復活させる※ことです。
>蛹は基本的には鳥の卵と変わらない。別に不思議でもない。また、脱皮に比べて失敗する確率が低いとも言われているので、有効だと思われる。虫なんかは世代交代が早いから進化した結果と言える。
蛹が卵と同じというのは興味深いと思いました。
しかし私にはアゲハ蝶の完全変態が適応によると思えません。世代を追って徐々にキリンの首が伸びるのと訳が違います。完全変態に失敗した世代は、次世代に少しの改善も継承出来ません。一方、突然変異はどうでしょうか。体が蛹の中でドロドロになり完全変態を遂げることは突然変異で成功出来るとも思えない。進化論を信じている方は、どの様に腹落ちしているのでしょうか。
そこに創造者の意志と設計が働いている、と考える方が正しい様に思えます。
>塵を固めるだけではダメなんですよ。塵から適当な物質を摘出して、それから上手くやらないとダメ。
宇宙を造られた神であれば「上手くやれる」でしょう。
>塵に含まれる元素だけで生物が生まれることはない。 例えばRNAは地球にはありません。無論、塵にも含まれません。
リンク切れしている様です。RNAが良く分かりませんが、「地球に無い」のに「生物にある」のですか?因みに以下の聖句の通り、人間は土からの材料だけで出来ている訳ではありません。
創世記2:7
それからエホバ神は地面の塵で人を形造り,その鼻孔に※命の息※を吹き入れられた。すると人は生きた魂になった。
>医学に頼らない場合、125歳が限界だと言われています。
その根拠は寿命の実績でしょう。ですから根拠が相対的です。140歳生きる人が現れたなら、答えは調整されるでしょう。
旧約聖書が書かれた時代、僅か数世代前が数百年生きた記憶が未だ鮮明に残っており、創世記5章に詳細に記録されました。当時の人々は「実績」を未だ記憶していました。
何故、古代の人は長寿だったのか。当初、アダムは完全な体を持っていました。アダム自身の罪により、その体は不完全になりました。歪んだ型から作られる型が徐々に歪んでいく様に、世代を追って不完全さは増大していきました。言い換えると、古代の人は後代よりも未だ完全に近かったのです。
(一方で近代の寿命が延びているのは、栄養と医学によります。)
更に余談ですが、以下の聖句の通り、ノアの時代の大洪水の前は、雨が降らず、水が天を覆い、空気は水分を多く含んでいました。宇宙からの有害な光線から守られていたのかもしれません。
創世記1:7
そうして神は大空を造り,大空の下に来る水と大空の上方に来る水とを区分してゆかれた。
創世記2:5-6
エホバ神は地に雨を降らせておらず,地面を耕す人もいなかったからである。ただ,霧が地から立ち上って地の全面を潤していた。
>歳を取ると細胞にガタがくるので、900歳なんて癌だらけですよ。
細胞は常に再生しています。
体が完全にされる時、病自体が無くなります。
イザヤ33:24
そして,「わたしは病気だ」と言う居住者はいない。その地に住んでいる民は,自分のとがを赦された者たちとなるのである。
現代科学で理解出来ないことにつき、謙遜な科学者は全否定はしないでしょう。当代の科学が覆された事例は多くあると、歴史から知っているからです。
>>260
続きです。
>あくまで観測者や当事者が新たな事実を発見したに過ぎない。 我々は物事を極めて感覚的、主観的に捉えている。その中に絶対的な客観的事実が介入する余地はない。
確かに人は主観的に世界を捉えています。しかし認識していなかった段差は※主観世界の外※にあり、主観世界に外から作用して調整をもたらしました。つまり主観世界は全てではない。その外があり、それが客観的真実です。
例えば或る静かな部屋、これは主観世界です。しかし本当に静かなのでしょうか。ラジオを持ち込んでみましょう。すると空間はニュースや音楽で満ち、うるさくなります。静かに※思えた※部屋の空間には、実は音楽やニュースが飛び交っていた。これが客観的真実です。ラジオを持ち込み、主観世界に認識される前から、それは真実でした。主観世界が捉えられるかどうかに関わらず、客観的真実は存在します。
聖書が真理と考え、自分の言葉で反論をしているのに、困った事があると、神が言っている、聖書が言っている、として自分の責任を逃れようとしているとしか見えません。
都合の良いサタンの登場といい、聖書が教えているのは責任逃れの方法ばかりという印象です。
>静かに※思えた※部屋の空間には、実は音楽やニュースが飛び交っていた。
これはラジオを持ち込まれたからうるさくなったのであって、元からうるさかったわけではありません。「実は」の話ではありません。ラジオを持ち込んだ後の主観世界ではうるさくなったというものであって、「(ラジオを持ち込んだ後の)主観世界に認識される前」は静かであったのだから「それは真実」は嘘になります。主観世界が変化しているのに客観的事実は変化していないとしています。無茶苦茶です。
>>261
>論理的一貫性を持って議論しています。
君は「自分にとって自分は正しい」と言っているだけです。
君の論理の根拠は聖書だけです。しかし聖書は所詮は思想の寄せ集めであるので、矛盾を生じます。矛盾を指摘するとアドホックな言い訳をしたり、自分で考えろとしています。論理などどこにもなく、議論になりません。
>何言語で入手可能か、何部発行されたか、は別の話です。
普及の話でしょう?何部翻訳されたかが別の話なら、翻訳数での君の反論は自分で否定するという事ですか?
>検証していませんが、私の使用している新世界訳は翻訳数では世界一かもしれません。
この話です。それと君の使用している新世界訳はサタンにすり替えられていないとは検証していませんよね。「その聖書は真実の聖書なんですよね?」に対する回答ですよね?すり替えられているかもしれない聖書を信奉する動機って何ですか?すり替えられていない聖書ってどこにあるのですか?どうやってすり替えられていないと確認するのですか?
>エホバの名が残されたか、或いは神や主という言葉で置き換えられたか、これが一番の違いです。消された版では神が誰を指すのか不明瞭になりました。しかし、実質的な内容は変わりません。
エホバの名が残された、又は神や主という言葉で置き換えられたらサタンにすり替えられたものではない?そんな改ざんなどサタンなら容易でしょう?しかしサタンにすり替えられても実質的な内容は同じ?どういう事ですか?サタンはキリスト教信者なのですか?
>聖書が完全に失われた、或いは実質的に原文をたどれない程度に歪められたのであれば、サタンの勝利でしょう。現実はそうではありません。
サタンがすり替えたのに中身は実質同じという。そしてサタンの勝利ではないという。すり替えに成功しているのに、全く別の内容になってはいないから勝利ではないとは。その場しのぎの言い訳にしか聞こえません。
>神の存在を否定しているのですか。奇跡を否定しているのですか。或いは両方でしょうか。
君の反論を全否定しています。以て君の言う神や奇跡を否定しています。君の神は紛い物です。
>世のキリスト教と聖書の教えは同じではありません。
ではキリスト教と聖書は別であると。君の言うサタンのすり替え論から考えると、聖書を教えとしているキリスト教はサタンのすり替えが行われているという事になりますね。君にとってキリスト教は聖書の教えとは違う、サタンの手先という事になりますね。
>しかし多くの教義が異教的思想や習慣にすり替えられてしまいました。>>221
>サタンの力が働いているので、紛い物が混じります。ここで各自の識別力が問われます。>>228
これらの証言と整合しますね。君はキリスト教をサタンの仕業と捉えている事になりました。
>また信じるだけでは救われません。信仰を生き方で体現する必要があります。
体現するのは結構ですが、真理でもない思想を押し付ける行為で救われるとは思えません。
そもそも真理だけがあれば救われるはずです。苦悩が無くなるからです。真理を使うとは、自分の苦悩を無くすという事です。内的な世界だけで完結出来るものです。
>では議論とは何ですか。あなたはこの掲示板で何がしたいのですか。
>また、あなたの理屈で言えば、私にとって私は正しく、あなたは反論出来なくなってしまいます。
少なくとも自分の思想を押し付けるものではありません。
議論とは意見をすり合わせ、落着点を見出すものです。君は聖書が真理であるという意見から一貫して動きません。すり合わせも何もありません。
そしてそのような態度の人を否定する事は出来ます。君のしている事を真似しているだけで足りるからです。なので私は君に対して否定出来ます。
>お互い健全に批判したり、築き上げるのでなければ、このやり取りは双方に時間と労力の無駄となります。
君はアドホックな言い訳を重ねて歩み寄りの姿勢を示していません。健全な批判をしていません。聖書こそ真理と最上の位置に置いているので築き上げる行為もしていません。君は最初から無駄な事をしています。
>>>180から始まった伊藤さんとのやりとりです。
ええですから>>229からは読み取れませんと反論しています。
>その後、反逆した人間が肉食を始めました。しかし神は肉食を許されました。
え?神は反逆を許したという事ですか???
なら自由意思でした行為は許される事になりますね。「将来、神が裁きを行われる時、自由意志を誤用した者は滅ぼされます。>>235 」
この証言は覆る事になります。よって矛盾を生じています。
>自由とは何か?先のペンの例えを深く考察してみて下さい。
考察しました。聖書は横暴であると分かりました。
>自由意志と共に、誤用してはいけないという命令も与えています。
内容が矛盾しています。これは何度も指摘している事です。この矛盾が一切解消されていないので、やはり聖書は嘘つきであるとなります。
>ペンをくれた友人に絶好状を書き、更にそのペンで友人の目を刺すなら、絶交されても文句は言えないでしょう。そこに脅迫はありません。
目を潰されたら目を潰して返すべきであり、滅ぼすというのは道理ではありません。同罪報復は聖書でも規定されていますよね。目には目を、歯には歯を、です。
> 中東では古来、略奪や殺人が発生すると、被害者はその報復として「命には命を、目には目を、歯には歯を、手には手を・・・」(旧約聖書「出エジプト記」21章23節)と「同罪報復」を原則として決着をつけた。
(人質解放にみる「目には目を」考 より)
よって君の反論は矛盾を生じています。
>多くの人が聖書に答えを見つけました。
答えを見つけていたら人類の苦悩は全て解決するはずです。しかし解決されていません。よってその反論は矛盾しています。
>任せていません。聖書は教え、導いています。
君は考えろと言いました。聖書を元にした君のこれまでの反論からすれば、考えろというのは聖書の言葉であるはずです。よって聖書が考えろとしているので、聖書は何も教えていないし、導いていません。
>>268
>聖書が真理と考え、自分の言葉で反論をしているのに、困った事があると、神が言っている、聖書が言っている、として自分の責任を逃れようとしているとしか見えません。
私は聖書に全幅の信仰を寄せており、自分の信じていることに関しては、終始一貫して聖書に書かれたことにそって話しています。以下の聖句に従いたいと思っています。
格言3:5
心を尽くしてエホバに頼れ。自分の考えに頼ってはならない。
聖書が真理であるので、聖書を正しく十分に用いれば論破は出来ないものと信じています。
>>269
>主観世界が変化しているのに客観的事実は変化していないとしています。無茶苦茶です。
主観世界は
静か→うるさい
に変化しましたが、客観的真実は
ラジオ電波がある→ラジオ電波がある
と変化していません。
ラジオはラジオ電波を耳が聞こえる音に変換してくれます。言わば五感が六感に増えた様なものです。ラジオの助けを得て、ラジオ電波を感知することが出来る様になりました。
結果、主観世界が広がりました。そして客観的真実をより正確に認識出来る様になりました。そこにあるが分からなかったものが分かる様になりました。そして、それがそこにあったという客観的真実は変化していません。
>>270
>君は「自分にとって自分は正しい」と言っているだけです。
聖書は万人にとって真理であると考えています。
>君の論理の根拠は聖書だけです。しかし聖書は所詮は思想の寄せ集めであるので、矛盾を生じます。
聖書は神の言葉と信じています。矛盾と思える点が誤解であることを説明しています。
>普及の話でしょう?何部翻訳されたかが別の話なら、翻訳数での君の反論は自分で否定するという事ですか?
新世界訳は比較的新しいものです。累積部数では最多ではないでしょう。
>それと君の使用している新世界訳はサタンにすり替えられていないとは検証していませんよね。「その聖書は真実の聖書なんですよね?」に対する回答ですよね?すり替えられているかもしれない聖書を信奉する動機って何ですか?すり替えられていない聖書ってどこにあるのですか?どうやってすり替えられていないと確認するのですか?
原文が見つかっていない為、完璧な写本は特定出来ません。しかし様々な写本の比較的から、高い精度で原文が復元されています。より原文に近いという意味で、新世界訳は素晴らしいと思います。しかし完璧ではないでしょう。
そもそも翻訳という作業自体、原文から必然的に乖離をもたらします。言語毎に構造や音、ニュアンスが異なります。また時代を経ると、言葉は変化します。
>エホバの名が残された、又は神や主という言葉で置き換えられたらサタンにすり替えられたものではない?そんな改ざんなどサタンなら容易でしょう?しかしサタンにすり替えられても実質的な内容は同じ?どういう事ですか?サタンはキリスト教信者なのですか?
先程引用した箴言3:5で比較してみましょう。
新世界訳版聖書
心を尽くしてエホバに頼れ。自分の考えに頼ってはならない。
新改訳版聖書
心を尽くして主に拠り頼め。自分の悟りにたよるな。
後者では神の名が置き換えられています。しかし教えの本質は同じです。
>サタンがすり替えたのに中身は実質同じという。そしてサタンの勝利ではないという。すり替えに成功しているのに、全く別の内容になってはいないから勝利ではないとは。その場しのぎの言い訳にしか聞こえません。
上記の例で、聖書の教えは実質同じではありませんか。
(違いは主が何を意味するかが曖昧になりました。本当は父エホバを指しているのに、子イエスを指していると勘違いする可能性があります。)
>>274
>原文が見つかっていない為、完璧な写本は特定出来ません。→より原文に近いという意味で、新世界訳は素晴らしいと思います。
何だか;‥もはや主張そのものがムチャクチャですよね?
「見た事も無い人の顔にそっくり」みたいな理屈ですよ、ソレ…。
>>270
>ではキリスト教と聖書は別であると。
勿論です。それぞれ教えている内容が異なるからこそ、沢山の教派があるのです。例えばカトリックとプロテスタントでは教えの内容が異なります。
どの教派が最も聖書の教えに忠実か、という議論になりますが、私が言っているのは「真理は聖書であり、教会ではない」ということです。
>君の言うサタンのすり替え論から考えると、聖書を教えとしているキリスト教はサタンのすり替えが行われているという事になりますね。君にとってキリスト教は聖書の教えとは違う、サタンの手先という事になりますね。
聖書の教えから明らかに乖離していることに気付きながらも、その教会に従うならば、その人は聖書に書かれている神には従っていないでしょう。サタンに協力してしまうことになります。
>これらの証言と整合しますね。君はキリスト教をサタンの仕業と捉えている事になりました。
はい。意識的に聖書に従わない教会は神に反しています。
マタイ15:3, 6-9
イエスは答えた。「あなた方が自分たちの伝統によって神のおきてを破っているのはどうしてですか。
そのようにして,自分たちの伝統によって神の言葉を否定しています。 偽善者たち,イザヤはあなた方について適切にこう預言しました。 『この民は唇で私を敬うが,心は私から遠く離れている。 私を崇拝し続けても無駄である。人間の命令を教理として教えるからである』」。
>>271
>え?神は反逆を許したという事ですか??? なら自由意思でした行為は許される事になりますね。「将来、神が裁きを行われる時、自由意志を誤用した者は滅ぼされます。>>235 」
この証言は覆る事になります。よって矛盾を生じています。
聖書に於ける罪と許しの概念は、十分な考察が必要です。
全ての人間が生まれながらに既に罪を受け継いでいると聖書は教えています。霊の思いに背き、肉の思いに惹かれる傾向があります。例えば利他的が良いと思いながらも利己的な行動をしてしまいます。
しかし真剣に悔い改め自らを調整するならば、神は何度でも豊かに許し、祝福して下さいます。
また当然、罪の中にも重度なもの、軽度なものがあります。
さらには神は状況も考慮して下さいます。例えば過去において一時的に一夫多妻を容認されていました。
創世記は記述が少なくテンポが早いので、多くの黙想により理解を補う必要がありますが、神が肉食を許可されたタイミングは、大洪水の直後です。こう書かれています。
創世記9:1-7
それから神はノアとその息子たちを祝福し,こう言った。「子を生み,増えて,地上全体に広がりなさい。 地上のあらゆる生き物と空を飛ぶあらゆる生き物,地面を動くあらゆる生き物と海の全ての魚は,これからもあなたたちを恐れておびえる。生き物たちは今,あなたたちの手に委ねられる。 生きている動物はどれも食物にしてよい。緑の草木と同じように,それら全てをあなたたちに与える。 ただし,血を含む肉を食べてはならない。血は命だからである。
黙想してみると、大洪水の後、多くの土地が荒れ、植物も動物も激減したと思われます。一方で魚類は豊富に残っていたかもしれません。エホバはそういった状況を考慮し、肉食を許可されたのかもしれません。しかし、これは推測の域を出ません。
>>271
>目を潰されたら目を潰して返すべきであり、滅ぼすというのは道理ではありません。同罪報復は聖書でも規定されていますよね。目には目を、歯には歯を、です。
目には目という等価の法則は復讐の為でなく、防止を意図した愛に基づくものです。しかし等価の法則で考察してみます。
神を否定する者は神に否定されます。神に否定されることは滅びを意味します。何故ならば神は命を与え、養っている方だからです。ペンを与えた友人は、ペンを取り上げるでしょう。命を与えた神は命を取り去るでしょう。忘れてはいけません。神が与えたのは自由意志だけではありません。命も与えています。それが聖書の教えです
>答えを見つけていたら人類の苦悩は全て解決するはずです。しかし解決されていません。よってその反論は矛盾しています。
聖書に真理を見出した人は、平安を得ています。
>君は考えろと言いました。聖書を元にした君のこれまでの反論からすれば、考えろというのは聖書の言葉であるはずです。よって聖書が考えろとしているので、聖書は何も教えていないし、導いていません。
例えで考えましょう。教師は教えくれます。しかし自分で考えなさいとも言います。教師は導いてくれますが、生徒の代わりに歩いてくれる訳ではありません。自分で歩く必要が必要があります。聖書は教え、導いてくれます。しかし読者は考える必要があります。
>>275
>「見た事も無い人の顔にそっくり」みたいな理屈ですよ、ソレ…。
聖書ほど忠実に継承されてきた古文書は無いと言われています。
旧約聖書を例に挙げると、ソフェリムという写本作業者は、写本中、王から話しかけられても無視することになっていました。記憶に基づいて書くことは禁止され、各節毎に文字数での照合、特定の文字が登場する回数での照合、そして校正者による審査・校正がありました。
近年、それまでに見つかっていた写本群よりもずっと古い死海写本が発見され、その中にはイエスの時代前の写本断片も多数含まれていました。見つかった死海写本と比較の結果、聖書写本は極めて正確に継承され、実質的な内容に於いて何も損なわれていないことが答え合わせ出来ました。
聖書写本の研究結果を疑う理由は無いと考えています。
>>279
>聖書写本は極めて正確に継承され、実質的な内容に於いて何も損なわれていないことが答え合わせ出来ました。
>聖書写本の研究結果を疑う理由は無いと考えています。
そのお答えと「サタンのすりかえのお話」との整合性が全く見出せないのですが…?
>どの教派が最も聖書の教えに忠実か、という議論になりますが、私が言っているのは「真理は聖書であり、教会ではない」ということです
では教会は偽、つまりサタンの手先ですね。
さて聖書はキリスト教の布教活動によって広まっています。キリスト教はサタンの手先です。そのサタンの手先によって広まっている聖書は既にサタンによって汚染されていると見て然るべきです。
聖書は普及してると言っていますが、偽の聖書が広まっているという証になります。よってほとんどの聖書は偽です。なので真理足りえません。
キリスト教とは関係のない本屋で売られている聖書はサタンに汚染されていない可能性があります。しかしそのようなものが普及していると言えるかどうか。
聖書が偽なので偽を真理とする君の証言は全てサタンもとい破綻します。そのような聖書に唾を吐いても神は罰するどころか喜んでくれるでしょう。
>神に否定されることは滅びを意味します。
これは通りません。同罪報復の原理に背いています。神を滅ぼしたら神によって滅ぼされる、なら正しい。なぜ通らないのか。君はサタンの聖書を信じているからです。
>ペンを与えた友人は、ペンを取り上げるでしょう。
譲渡された物は勝手に取り上げたら違法です。神は違法行為をしているのです。しかし偽の聖書なので神はサタンを意味します。サタンはペンを取り上げる、なら間違いではありません。
>聖書に真理を見出した人は、平安を得ています。
それはサタンによって惑わされているだけです。ただの錯覚です。
>例えで考えましょう。教師は教えくれます。しかし自分で考えなさいとも言います。
最終的には教師は教えてくれます。しかし君は考えろしか言いません。なぜなら聖書が偽だからです。何も知らない教師は誰をも導けません。
君の反論は矛盾だらけです。なぜならサタンの聖書を信じているからです。今すぐ聖書に唾を吐きましょう。神は笑っておられます。
>>266
>子持ち既婚者の男性を、或る容姿の美しい女性が誘惑するとします。この誘惑の力がサタンの強力な力です。
要するにハニートラップみたいなものですね。他に例えるとすれば詐欺ですよね。つまり神は詐欺師を止められない警察官、無能じゃないですか。
>これは只の説得力のバトルですか。あなたは誘惑に負けますか。その結果はどうなるでしょうか。
私は神がサタンを議論に持ち込む前提で話しています。サタンが大したことのないやつだと分かったら大半は救われそうなものなんですけどね。
>ごめんなさい。論点が分かりませんでした。
誘惑に負けたり、洗脳された人間が救われようと考えるのはおかしい。ということ
>>>46をご参照下さい。
だから、サタンを作らなければ良かったでしょ。サタンに統治させて間違いを明らかにするというものは、サタンを作ってからのことでしょ。
>復活のタイミングにつき、聖書はこう教えています。
私は信者ではないのでよくわからんおっさんの予言なんて信じません。おそらく信者たちは100年経とうが1000経とうが同じことを嘯くでしょう。墓に埋もれて幾星霜の人間が復活だなんて、科学的におかしなことです。
>しかし私にはアゲハ蝶の完全変態が適応によると思えません。世代を追って徐々にキリンの首が伸びるのと訳が違います。完全変態に失敗した世代は、次世代に少しの改善も継承出来ません。一方、突然変異はどうでしょうか。体が蛹の中でドロドロになり完全変態を遂げることは突然変異で成功出来るとも思えない。進化論を信じている方は、どの様に腹落ちしているのでしょうか。
完全変態昆虫が生まれた時期はちょうどペルム紀の大量絶滅あたりだったので、とてつもない自然選択圧がかかっていたから、突飛な変化をしたのだと考えています。
>宇宙を造られた神であれば「上手くやれる」でしょう。
うちうを作ったのは神ではなくbigbangとされています。また、聖書の描写だとただ塵を塗り固めただけにしか見えないのですが。
>リンク切れしている様です。
失礼しました。
>RNAが良く分かりませんが、「地球に無い」のに「生物にある」のですか?因みに以下の聖句の通り、人間は土からの材料だけで出来ている訳ではありません。
例えば、彗星が運んできたという説があります。
>それからエホバ神は地面の塵で人を形造り,その鼻孔に※命の息※を吹き入れられた。すると人は生きた魂になった。
命の息とはなんぞや。これはゴーレム全く同じ原理ですよね。命の息に科学的価値はないと思いますが。
>その根拠は寿命の実績でしょう。ですから根拠が相対的です。140歳生きる人が現れたなら、答えは調整されるでしょう。
違います。人類の最高寿命は122歳ですから、確率から出された結果です。ヘイフリック限界の数値からも120歳前後が限界と出ます。
>旧約聖書が書かれた時代、僅か数世代前が数百年生きた記憶が未だ鮮明に残っており、創世記5章に詳細に記録されました。当時の人々は「実績」を未だ記憶していました。
何か証拠は?
>何故、古代の人は長寿だったのか。当初、アダムは完全な体を持っていました。アダム自身の罪により、その体は不完全になりました。歪んだ型から作られる型が徐々に歪んでいく様に、世代を追って不完全さは増大していきました。言い換えると、古代の人は後代よりも未だ完全に近かったのです。
完全であっても体細胞分裂を起こすから、ヘイフリック限界は存在する。完全だからヘイフリック限界が長い、なんていう反論をするならば、まずヘイフリック限界について調べてからだと嬉しい。
>更に余談ですが、以下の聖句の通り、ノアの時代の大洪水の前は、雨が降らず、水が天を覆い、空気は水分を多く含んでいました。宇宙からの有害な光線から守られていたのかもしれません。
雨が降らなければ水は殆ど循環せず、有害な光線を完全にカバーしてしまうならば、熱を溜め込みすぎてしまうことになります。
続き
>細胞は常に再生しています。
癌の起源は細胞です。ガンについて調べてみることをおすすめします。
>体が完全にされる時、病自体が無くなります。
不完全になったのだからかかってもおかしくないはず。
>現代科学で理解出来ないことにつき、謙遜な科学者は全否定はしないでしょう。当代の科学が覆された事例は多くあると、歴史から知っているからです。
ただし、理解できないことに聖書を用いて、てきとうに理由をつけるようなこともしません。ただ仮説を立てて研究するのみです。
聖書を基にした科学が否定された事例も多くありますね。
>>267
>確かに人は主観的に世界を捉えています。しかし認識していなかった段差は※主観世界の外※にあり、主観世界に外から作用して調整をもたらしました。つまり主観世界は全てではない。その外があり、それが客観的真実です。
正確には、その外側はわからないのです。
>例えば或る静かな部屋、これは主観世界です。しかし本当に静かなのでしょうか。ラジオを持ち込んでみましょう。すると空間はニュースや音楽で満ち、うるさくなります。静かに※思えた※部屋の空間には、実は音楽やニュースが飛び交っていた。これが客観的真実です。ラジオを持ち込み、主観世界に認識される前から、それは真実でした。主観世界が捉えられるかどうかに関わらず、客観的真実は存在します。
観測の対象が違います。主観の方では五月蝿さについて観測しているのに、客観の方ではラジオ電波について観測しています。比べるに値しません。うるさいかうるさくないかに正解はありません。五月蝿さの判断基準はそれぞれ違うのですから、
>>281
カーリー氏に一言言っておくと、カトリックを前提にする私には最大の攻撃なんだよ。そのレス。
でもスレ主氏はエホバの証人で独自解釈の聖書こそ一番原初に近いとの主張だからたぶん攻撃の糸口を与えててるに過ぎない。
カーリー氏の主張はカトリックの私には原爆なみにヤバいんだけどね。
聖書に唾を吐きかける会か……アメリカでやったら殺されそう。
287:伊藤整一:2019/04/19(金) 22:14 ID:dxw質問ですが、新共同訳の聖書はどうですか。悪い聖書ですか?
288:アーリア◆GM:2019/04/19(金) 22:20 ID:zY2 >>287
私も答えるけど、たぶん三位一体を都合よく解釈できるように訳された聖書と言われるかと。
三位一体、特にキリストは人類の罪を背負って死ぬことで人類を救済なすった。そして三日後に生き返った。
これ即ち神だからこそ人類を救えた。そして人であるからこそ一度は亡くなった。神であり人であることの最大の根拠だ。
何度も言いますが、三位一体は同一とはいえ別なのです。位格(人格)が三つある故に別なのです。
むしろエホバの証人様がお使いの聖書こそ三位一体を否定するために都合よく解釈された聖書なんじゃないですかね。
今度買って読んでみますかね。
>>288
三位とは、神と人と聖霊のことでしたっけ?
>>280
>そのお答えと「サタンのすりかえのお話」との整合性が全く見出せないのですが…?
失礼しました。厳密に説明するとこうです。
エホバの名前は「神」または「主」という称号に置き換えられてしまいました。それにより分かりにくい、誤解を生みやすい聖書が広まりました。三位一体が間違っていることが気付きにくくなりました。
(ちゃんと読めば気付きますが、気付きにくくはなりました。)
これは大きな問題点です。
それ以外の点では、聖書の内容は忠実に継承されました。完璧ではありませんが、少なくとも実質問題が全く無い程度であることは写本研究者の一般的な見解でしょう。
さて完璧で無い点ですが、例えばヨハネ7:53-8:11など、信憑性に疑問が残る箇所も特定されています。
>>291
>少なくとも実質問題が全く無い程度であることは写本研究者の一般的な見解でしょう。
えッ;‥現代社会がサタンの支配下に置かれてしまったのに!‥ですか?
>>291
多くの教会がサタンの手先になっているのに忠実に継承された??サタンは神の下僕なのですか?
神は万物を生み出した。当然、サタンも生み出した。こうすればサタンは神の下僕とは理解出来るのですが。
しかしサタンは神に反していますよね。さらにサタンは滅ぼされていない。神に反すると滅ぼされるのではないですか?いつか滅ぼされると言っているだけですか?
>>285
どの部分かよく分からないのですが、カトリックでは教会はサタンの手先と捉えているのですか?
>>293
エホバの証人様たちはカトリックやプロテスタントの教会主流派をサタンの手先だと考えているようですよ。
で、スレ主氏はエホバの証人からの観点から聖書に造詣が深くあるようでしてね。
>>281
>では教会は偽、つまりサタンの手先ですね。
さて聖書はキリスト教の布教活動によって広まっています。キリスト教はサタンの手先です。そのサタンの手先によって広まっている聖書は既にサタンによって汚染されていると見て然るべきです。
聖書は聖書です。エホバの名が書き換えられ、誤解を招きやすくなっている版であっても、神の教えが書かれています。
世の教会、そしてその信者も、誤解に邪魔されていても「良い動機」を持っていることもあります。
但し、聖書からの乖離を知りながら、それでも教会を支持するならば、もはや聖書でなく教会を支持していることになります。
>聖書が偽なので偽を真理とする君の証言は全てサタンもとい破綻します。そのような聖書に唾を吐いても神は罰するどころか喜んでくれるでしょう。
論旨がごちゃごちゃになっています。私の聖書では神の名が復元されています。
>これは通りません。同罪報復の原理に背いています。神を滅ぼしたら神によって滅ぼされる、なら正しい。
論旨がおかしくなっています。目には目の原則では、「殺した人に」殺される訳ではありません。第三者によってです。
>譲渡された物は勝手に取り上げたら違法です。神は違法行為をしているのです。
神が神であるならば、法より上にいらっしゃいます。十戒など、神は律法を作られた方です。
>最終的には教師は教えてくれます。しかし君は考えろしか言いません。なぜなら聖書が偽だからです。何も知らない教師は誰をも導けません。
聖書も答えを明示しています。答えを理解して自分のものにするのに考えることは必要です。
>>282
>要するにハニートラップみたいなものですね。他に例えるとすれば詐欺ですよね。つまり神は詐欺師を止められない警察官、無能じゃないですか。
先日の大臣の話を理解されるならば、神が敢えて止めない理由が分かる筈です。
>誘惑に負けたり、洗脳された人間が救われようと考えるのはおかしい。ということ
人間は矛盾の塊です。良いことが分かっていながら、悪いことをします。誘惑に負けながら、それに勝ちたいと願うものです。例えばアルコール中毒を例に考えることが出来ます。
>だから、サタンを作らなければ良かったでしょ。サタンに統治させて間違いを明らかにするというものは、サタンを作ってからのことでしょ。
サタンつまりデビルには「反逆者」という意味があります。神が反逆者にしたのではなく、サタンは自分の意志で反逆し、デビルつまりサタンになりました。
>私は信者ではないのでよくわからんおっさんの予言なんて信じません。
タイミングの質問に対して聖書から回答しましたが、仰る通りです。
コリント第一14:22
預言は,クリスチャンではない人のためではなく,クリスチャンのためのものです。
>おそらく信者たちは100年経とうが1000経とうが同じことを嘯くでしょう。
具体的な時期が明らかにされていなことは、神の知恵であると同時に人の祝福です。終わりの日を経験しない信者も緊張感を保てるからです。
マルコ13:32-33
その日や時刻については誰も知りません。天使たちも子も知らず,父だけが知っています。 ずっと見ていて,目を覚ましていなさい。あなたたちは,定められた時がいつかを知らないからです。
>>295
>聖書は聖書です。エホバの名が書き換えられ、誤解を招きやすくなっている版であっても、神の教えが書かれています。
全く不可解なのですが。サタンによって書き換えられているのに神の教えが書かれている?サタンは神の信者なのですか?違いますよね?
>但し、聖書からの乖離を知りながら、それでも教会を支持するならば、もはや聖書でなく教会を支持していることになります。
違います。サタン聖書とサタン教会を支持している事になります。聖書も教会も偽です。
>論旨がごちゃごちゃになっています。私の聖書では神の名が復元されています。
それはサタンが神の名を騙っているだけです。なぜなら教会というサタンによって書き換えられているからです。名があるからといって神とは限りません。君はサタンに毒されています。いますぐ聖書を捨てるべきです。
>論旨がおかしくなっています。目には目の原則では、「殺した人に」殺される訳ではありません。第三者によってです。
はて。神は復活するのだから、サタンに神が滅ぼされても神が滅ぼし返す事は可能ですが。第三者によらなければならないという法でもあるのですか?初耳です。是非その根拠を示して頂きたい。
>神が神であるならば、法より上にいらっしゃいます。十戒など、神は律法を作られた方です。
十戒に「盗んではならない」とあります。譲渡されたものを勝手に取り上げたら盗みになります。立法したものが法を破っては嘘つきになります。神は嘘つきです。やはり聖書は偽なのです。
>聖書も答えを明示しています。答えを理解して自分のものにするのに考えることは必要です。
君は答えを示していません。なぜなら知らないからです。答えを知らないのだから理解するために考えるなど出来ません。
>>294
どちらかというと、原爆並みにやばいのはスレ主にあるのではないでしょうか。
私はスレ主の証言から導いた反論を示しているので、元の原因はスレ主にあると考えます。
>>282
>完全変態昆虫が生まれた時期はちょうどペルム紀の大量絶滅あたりだったので、とてつもない自然選択圧がかかっていたから、突飛な変化をしたのだと考えています。
ご説明ありがとうございます。
しかし大量絶滅に危機感を感じた昆虫が、完全変態を考え出し、ノウハウの継承無く一代でぶっつけ本番一発成功したということですか?少し無理があると感じます。
>うちうを作ったのは神ではなくbigbangとされています。
しかし何故ビックバンは起きたのですか?
>例えば、彗星が運んできたという説があります。
今は地球にあるのですか。いつ頃からですか。
>命の息とはなんぞや。
命であり呼吸のことです。現代科学では未だ解けない箇所です。
>違います。人類の最高寿命は122歳ですから、確率から出された結果です。ヘイフリック限界の数値からも120歳前後が限界と出ます。
>完全であっても体細胞分裂を起こすから、ヘイフリック限界は存在する。完全だからヘイフリック限界が長い、なんていう反論をするならば、まずヘイフリック限界について調べてからだと嬉しい。
極論を言ってしまうと、命の木の実が供えられ、また神に不可能は無い訳ですが、それでも議論してみると、ヘイフリック限界のサンプルは現代人から採取されたのではないでしょうか。未だより完全に近かったアダムやノアから採取されていたなら、限界値が高かったという可能性があると思います。
>何か証拠は?
創世記5章、マタイ1章、ルカ3章に系譜が記録されていますが、ユダヤ人は記録魔でした。且つ暗記魔でもあり、旧約聖書を丸暗記する様な教育が現代でもあると読んだことがあります。
加えて同時の人々は数百年生きたので、数代前まで辿るだけで良かったのです。当時は「実績」が人々の記憶にリアルに残っていました。もしそうでないとしたら、当時から聖書は一笑されていたでしょう。しかしユダヤの民は真剣に信じていました。
逆に考えてみて下さい。誰かが神話を捏造して人を信じさせようとするならば、何故敢えて人が数百年も生きたと書く「必要」がありますか。信憑性を疑われないこと、曖昧なことだけを書いた方が有利です。しかし聖書の年齢記録は克明です。捏造するならば敢えてその様な突っ込まれどころを作りません。これは「正直な記録」ですので、そうなるのです。
>雨が降らなければ水は殆ど循環せず、有害な光線を完全にカバーしてしまうならば、熱を溜め込みすぎてしまうことになります。
私は識者でないので分かりませんが、空が水の層に覆われていたならば、熱が和らげられませんか。
>>283
>癌の起源は細胞です。ガンについて調べてみることをおすすめします。
少し調べてみましたが、論旨が見えませんでした。細胞が再生したら、やがてガンにならなければいけないということでしょうか。ご説明を願えますか。
>不完全になったのだからかかってもおかしくないはず。
それが完全にされるので、病にかからなくなります。論旨が分かりませんでした。
>聖書を基にした科学が否定された事例も多くありますね。
そうですね。難しいですね。例えば天動説です。聖句の誤解で助長されましたが、天動説の起源は聖書で無く、確かギリシャ哲学だったと思います。