どこからが汚いで、どこからがきれいなんだろう。
2:◆Xc:2021/12/26(日) 14:07 ID:JnY 嫌悪感を感じるか感じないか
石鹸で洗おうとアルコール消毒しようとゴキブリ触るのはいややろ
ってことはゴキブリを主食とする民族にとってその行為は汚いものではないのかって言われるとどうなんだろう。
4:ブラックバス◆vU:2021/12/28(火) 19:27 ID:H/Q 補足
その人たちはゴキブリを触る行為を「汚い」と思っているのか、思っていないのか。
汚いと美しいは、「魅力度」っていう(名前はなんでもいい)一つの価値観に統一できて、
「魅力度」が高ければ高いほど、見たくもない→触りたくない→触れてもいい→触れたい、というような感じになる気がする。
当たり前の話で、どこからが汚いかを一般化するのならば >>2の言っていることであって。
それで結局この一般的な嫌悪感を形成するものは、その社会が広く共通に持つ文化という暗黙のコードに従うものに過ぎないものだと思う。
だから、>>3が提起する疑問に対する回答は、
ある文化を共有する集団、つまり民族にとって、その文化がもたらす「嫌悪感」というものによって、ゴキブリが嫌悪の対象なのか、それとも嫌悪の対象とされないかが、一般的に決まるんじゃないのかと思う。
それが文化的嫌悪だとすると、別に嫌悪もある。文化的嫌悪のより下層部分におそらく生命的嫌悪も存在している。
前にテレビのサバイバル番組で、栄養が摂れるから、生きたイモムシを食べているサバイバーがいた。そのサバイバーの表情はしわくちゃになって、口に含んで食べていた。
その表情が意味するのは、おそらく文化的な嫌悪感であって、生命的嫌悪ではない。
生命的嫌悪は、例えば高層ビルの最上階から、落っこちる寸前にいる時に感じるアレであって、一般的に人間は、自殺志願者では無い限り、そこから故意に落ちるという真似は絶対にしない。
だから、死ぬと分かっているものに関しては、とてつもない嫌悪感で拒絶するけれど、死なないと分かっているものに関しては、拒否反応程度にとどまるんじゃ無いのかと思う。
そういう意味で、文化的嫌悪と生命的嫌悪がある。
てなことがヤング心理学に書いてあった。
で、そこに興味深いのは対人的嫌悪というのもあって、これは文化的嫌悪と生命的嫌悪と違って、その人間に対する嫌悪が、実は自分に対する嫌悪と一致するんじゃないかという議論で、上記二つの嫌悪とは異質なものとなるらしい。
というわけで話が脱線したが、汚いという価値観の境目は、嫌悪感によるもので、嫌悪感の中でも文化的なものに由来するものなんじゃないのかと思われる。
嫌悪感があったら主食にできないと思う
7:ひ:2021/12/28(火) 23:42 ID:R66 別に→別の
ヤング→ユング
誤字失礼
>>6
それに対する反証が、気持ち悪いけど虫を食ってみたみたいなYoutuberとか、ディスカバリーチャンネルとかにいるサバイバー。
嫌悪感は感じているが、食べている。
それは結局、文化によって作られた嫌悪感であって、生命的な嫌悪感ではないからなんじゃないのかという指摘。
とはいえ、ある対象に対する嫌悪感をパズルの境目のように厳密なまでに切り離すことはおそらくできない。
皆さん丁寧な解説ありがとうございます。
10:レシピ:2022/01/20(木) 02:29 ID:4O2 キレイと汚いが時間の経過と共に一定方向へ常に変化しうる環境においてキレイと言うのは如何に今の状態を保持できるかである。
キレイと汚いが時間の経過と共に周期的に変化しうる環境においてキレイとは如何に瞬間を見逃さないかである。
既にキレイと汚いが時間に関わらず存在している環境において、キレイとは触れない事である。
各人ごとの主観による。
としか思い付きませんね。
客観的な基準を設けるとするなら、極めて限定的(最低限)になると思います。
13:レシピ:2022/02/11(金) 01:36 ID:X3. >>11
主観によるで解決するなら議論の入り込む余地ないんだが?
こういう議論事で一々「イロイロやら人による」言い出す人間現れるけども、そんなの分かりきった上で話してるのぐらい分からんのかと毎回思うわ。
申し訳ございません。
私はバカなんですよ。