ちなみに、私は小学生の頃、5年の時から学校には行かないで卒業。中学の頃も2年間ほとんど学校に行かず、進路のため中学3年から休みつつ早退しつつ遅刻しつつ行き、高校無事合格。ちなみに高校は女子の多い共学校で学力偏差値は40〜程度。しかし、高校で問題があり退学というか転校。現在は通信制の高校に通っている18歳です。高校三年生です。こんな人生歩んでいます。この歳で色んな事を経験してきました。友達関係だったり、学校関係はもちろん得意分野になりつつあります。家庭環境問題もどんとこいです。愚痴でも何でも構いません。
現代の不登校事情が知りたいです。
それに学校が大嫌いだからこそ、そこに通う皆んなの力になりたいです。何かありましたらいつでも聞きます。ご気軽にご相談くださいな。
>>100
欲しい言葉をくれる方がいると、なんだか、辛いのか嬉しいのか分からなくなってきますね(笑)
なんかもう…ありがとうございます、泣きそうです
引っ越しは母に交渉して、一年程伸ばしてもらえる事になりました
その先は分かりませんが、とりあえず今はなんとかなりそうです!
>>101
おめでとうございます…!
なんか自分も嬉しいです
悩みがなくなってなによりですね
お話を聞いていただきたいです。
よろしいでしょうか?
>>103
いいですよ、上の匿名とは別の人ですけど、
よければ聞きます。
85 エコさん 急に生活が変われば、疲れてしまいます。それは当然のことです。誰でも疲れるから、休日があるのですが、休み時間もあります。15分で疲れが強くなりますから、休み休みできるとまた続けることができます。緊張と弛緩をうまく取り入れることが必要です。運動でも、歌でも、力が入りすぎていると、うまく体が動きません。必要なところには力が適度に入って、他のところはうまく休んでいると、上手にできます。体についてはストレッチが役立ちます。心のストレッチが大事です。何もおもしろいことがなくても笑う。12秒間息を吐いて、9秒間で息を吸う。とリラックスできるかもしれません。秒数は適当で良いです。昼には図書館へ行くとか、廊下を歩くとか、グランドへ出るとか、空を見上げるとか、好きな本を見る。音楽を聴く・・・自分に合う方法を探してみよう。
106:晩美:2018/12/24(月) 22:27 長文失礼します。
私は幼い頃から人に必要とされたり褒められることで自分の価値を見いだしてきました。他人に必要とされない自分は価値がない、価値がなくなった自分に生きている意味はない。ずっとそう考えてきました。10歳前後からだったと思います。
そのため、褒められるために色々な努力をしてきました。学校では積極的にリーダーを務め、勉強をし、優等生を目指してきました。気づけば、自分の感情よりも相手に少しでも良く思われるようにどうしたら良いかを常に考えるようになっていました。
そんな私を気に入らない人もいたようで、小学6年で初めていじめに会いました。その頃はまだ、屈したら負けを認めたようで嫌だと思い学校を休むことも、誰かに相談することもしませんでした。
中学に入ってすぐ、あるクラスメイトから毎日
『ブス、キモい』と言われるようになりました。
その時から私は自分の容姿にコンプレックスを持つようになり、自分の顔が気持ち悪くて仕方なくなりました。部活では部長を務めることになりましたが、先輩からはいじめをうけ、顧問の先生は自分が間違えたことを全て私に押し付けてきたり、1部の子から悪口や罵倒を浴びせられる毎日。それでも逃げ出さなかったのは、母の期待に応えるためでした。「2年生になったらきっと良くなる」「3年生になったら」「高校にあがったら…」その言葉を信じ、我慢し続けました。
中学3年生になると妹が入学してきました。
妹は私とは比べ物にならないほど可愛く、何度もスカウトされるほどでした。そんな私たちを見て、クラスメイトや先生までも「お姉ちゃんだけかわいそうだね」「本当は〇〇(私の名前)養子なんじゃない」と、笑われるようになりました。私には2つ上の兄がいて、兄も整った顔で京大を目指すほど頭が良くそのうち私は本当に血が繋がっていないのではないかと考えるようになりました。
高校に入って、1ヶ月ほどは落ち着いた生活を過ごせていました。しかし、真面目に生きてきた私は、
友達のように面白いことは言えず、空気も読めず、
周りに溶け込めていないと感じ、毎日悩むようになりました。そんな私に追い打ちをかけるように、あることが起こりました。
私は高校へ上がる際、不細工な自分をどうにかしたいと思い、イメージチェンジをしました。メガネを外し、長かった髪をショートにしました。
高校ではそれを隠して生活して行きたかったのですが、同じ中学の友達が卒業アルバムの私の写真に丸をうち、LINEで多くの子にその写真を回していきました。あまりに容姿が変わっているで、それを見た子達から「整形したらしいよ」「中学の時の〇〇みた?w」などと言われるようになりました。(整形はしていません)
その次の日、学校を休みました。他人にどう思われるかを常に考えていた私にとって、それはあまりに辛く、耐えられませんでした。それでも私は学校へ行くことにしました。私の中では我慢するということが日常化し当たり前のことになっていたからです。しかし、その1ヶ月後急に学校へどうしても行けなくなってしまいました。朝起きると体が動かず、どうすることも出来なくなりました。
それから今までの約2ヶ月間私は不登校になっています。鏡に映る自分の顔が気持ち悪くて毎晩泣き、
感情のコントロールが上手くできず、急に涙が溢れて叫んでしまったり、どうしようもなく感情が高ぶってものにあたりたくなったりすることが続いています。死にたいと思って海に行ったり、首を絞めても結局怖くてやり遂げるとこができません。
ヒステリックな母は私がこうなったことを自分の責任と感じ、私が死んだらいいの?と包丁で自分を刺そうとします。もちろん母のことは大好きだし、母のせいだとは全く思っていません。しかし、自分を責める母の姿を見ると、早く治らなければと思ってしまい負担に感じてしまいます。
薬を飲み続けても一向に治る気配はありません。
どうしたら少しでも早くもとにもどれるでしょうか
誰か、助けてほしいです。
>>106
書くのも辛かったと思うので、
長文書いてもらってありがとうございます。
私としては早く良くなる必要は無いと思います。
確かに、状況を聞くに焦ってしまう気持ちは分かります。ただ、焦ってしまっては自分が壊れてしまうと思います。お母さんのことも辛いとは思いますが、ゆっくりとなんとかして行くしかありません。
私も以前不登校だったのですが、
そういった立場から言わせて頂くと、
ものの考え方を変えるというのは
そうそう変わるものではありません。
今は辛いかもしれませんが、
焦らないことが大事です。
>>106
横入り失礼します。話は読ませて頂きました。
あなたがあまりにひどい目にあっている様子が
伝わってきたので黙っていられずレスしました。
特にあなたはそれで生死の境をさ迷うほどまで
悩み苦しんでおいでです。
まず部活で言われた言葉は読ませて頂きましたが
本当に酷いですよね。ましてや教師も混ざって
生徒にそんな言葉を言っていたというのはあんまり
な事ですし、教師として失格だと思います。
本当に責任の意味を分かっている教師なら、
人を捕まえて養子だなんて吹聴するような
ふざけた発言許すはずはないですから。はっきり
言って冗談でも言っちゃいけないレベルの発言です。
実際、そういう言葉は殺傷力が半端じゃなく
高いので、晩美さんとしては気にするなと言わ
れたって無理な話だと思います(実際あなたも
お母様も生死の境をさ迷い今もギリギリのところ
で辛うじてという状況のようですし)。だから
私としてはこう言いたいです。「そういうふざけた
人間の言葉は、自分を見る上での定規・基準と
しては使わないで」と。
だって、その部活で言われた言葉というのは、
はっきり言って言ってる人たちは物事の道理を
ちゃんと考えてないんですよ。だから結局人の
人生傷つけるような酷い言葉を平気で、テキトー
な感覚で使えるんです。多分それがどういう事態
を生むかとか、他の誰かがその事態の収拾を付ける
ために動く事も考えてないでしょうね。だから
はっきり言ってご自分のためには何の参考にも
ならないです。
はっきり言ってそりゃ辛いですよ。こんな
言葉言われ続けたら。という事は、あなたは、
「人の事を話すときに、ちゃんと相手の事情
とか立場を考えずにテキトーな事を言う事が
どれほど相手にとって失礼か」という事を
我が身で味わったという事になります。という
事は、「自分は誰か他の人の事を話すときには
テキトーな事を話すのではなく、よく考えて
話す」という方向に考え得ると思えます。
あと、人の精神の事で重要なことわざとして、
「急いては事を仕損じる」ということわざが
あります。意味はそのまんまで、「何事も
成功させるためにはちゃんとした手順とか段階、
次に移るに適切な時期というものがある。
焦るとそこが見えなくなるので焦りにとらわれて
闇雲に動いてはうまくいかない。」という意味
です。大体、晩美というハンドルネーム自体が
「時間をかけて丹念に作り上げていく」という
意味合いを多分に含んでいるように私には思え
ます。今はまだ、その途中だと私は思います。
結論を出すには早すぎるのではないでしょうかね。
追伸
私が何で 晩美 というハンドルネームに
心を惹かれたかというと、晩という文字を見て
「大器晩成」という言葉を思い出したからです。
意味は「大きな器を作るのに何日も(晩をまた
いで)時間がかかるように、人間も、大成する
には何十年もの時間がかかる」という意味です。
で、その過程では、上手くいかなくて焦りに
とらわれている時には、いったん作業の手を
止めて心身を休め、回復させる時間も必要
なんです。
特に生死の境をさ迷う御身ならなおさら。
(私も生まれを呪い、死を考えた事は何度となく
あります。)
そして、その中で「周りの生きとし生けるものを
無心に見る中で」新しく学べる大切なこともある
のです。古来より、日本人は「風流」などの形
でそういった事を大事にしてきました。
例えばお母さんと外に出て星を見るなり、
お花屋さんできれいな花でも見るなりしてみては
どうでしょう?急に効いては来ないかもしれませ
んが、じわじわと心にくるものはあると思います。