注意事項
*ホラー系が苦手な方は閲覧を控えた方が良いです
*流血シーン有りです
*感想やアドバイスがありましたら、書き込んでくれると嬉しいです
*なりすまし、暴言、荒らしは厳禁
ドアノブに手をかけドアを開けると、やや耳障りな音がした。
視界に入ったのは、グレーの壁で囲まれた無機質な部屋だった。
小さな机と向かい合う2つの椅子しかない。
窓は無く、蛍光灯だけでは少し薄暗かった。
しかし、それらよりも目に留まったのは、2つのうち1つの椅子に座っている髪を2つ結びにし、眼鏡をかけている制服姿の女子だった。
俯いている彼女の名前を俺は呼んだ。
「萩野」
俺の声に気付いたのか、彼女は、
「あ……来てくれたんだね」
と声を漏らした。
萩野はクラスメイトであり、俺の恋人でもある大切な存在だ。
彼女の目は隈ができており、髪はボサボサだった。
無理もない。
あんな事件が起きたのだから。
「大丈夫か?寝てないだろ」
「大丈夫だよ。それに、そっちも寝てないでしょ?」
苦笑いを浮かべながら、答える萩野。
その顔を見ると、胸が締め付けられた。
側にいた警察官に促され、俺はもう一方の椅子に座った。
俺と彼女は警察署にて、取り調べを受けることになった。
あの事件の関係者、または生き残りとして。
お互い別々の場所で取り調べを行っていたが、彼女からの希望で、数時間後に二人で会うことが出来た。
正確に言えば、この部屋には一人警察官がいるが。
しかし、こうしてゆっくりと話し合える時間を取ってくれた警察には、むしろ感謝をしなければならない。
それに、警察署の外には事件を聞き付けた報道陣がいるらしく、しばらくは外に出られないだろう。
「あのね……警察に二人で会うことを要求したのはね、聞きたいことがあったの」
「聞きたいこと?」
俺がそう言うと、萩野は少し申し訳なさを含んだ困り顔をしながら、口を開いた。
「私……事件のこと、あまりよく覚えてないの」
その言葉に、俺は目を見開いた。
「……本当か?」
「うん。思い出そうとするけど、霧がかかったみたいにモヤモヤしちゃって……」
きっと、事件のショックで記憶が失われてしまったのだろう。
それほど、この出来事が彼女にとって苦痛だったと思うと、こちらが辛くなってしまった。
「だから、私と同じ生存者から話を聞けば、記憶を取り戻せるかな、って思ったの」
彼女は理解したが、俺はなかなか首を縦に振ることが出来なかった。
あの出来事を話して、萩野が全てを思い出してしまったら、彼女はさらに悲しむに違いない。
酷ければ、心を壊してしまうかもしれない。
困惑する俺に、彼女は察したような顔で言った。
「私は全てを受け入れるって決めたから、正直に話して。記憶が曖昧なまま、皆の死を見届けられないの」
彼女は真っ直ぐな瞳で俺を見つめると、俺は溜め息をつき、決心したように口を開いた。
「……わかった。全部話すよ。まずあの時、俺らは夜の学校の教室にいたんだ」
「それじゃあ、始めようか」
誰かの合図とともに、タイミングよく雷が鳴った。
外は大雨で今もシトシトと音が聞こえる。
連続する雷の音で、誰かが悲鳴を上げたが、それが誰かは分からなかった。
【2年A組】と書かれたこの教室は真っ暗なのだから。
この空間に今、俺を含めた8人の人間がいること以外、誰が何をしているのかは全くと言っていいほど、分からない。
教室を暗くしようって言ったのは……ああ、大槻か。
視覚を奪われ、聴覚が敏感になった状態での【犯人探し】は最適だと、彼は言っていた。
1週間前、クラスメイトの小倉が亡くなった。
背中にナイフが刺された状態の彼が、夜道で発見されたそうだ。
普通、クラスメイトが死んだら、悲しいと思うだろう。
ましてや、彼は自分達と同じ高校生なのだから、尚更だ。
しかし、俺と他の7人は違った。
俺達は彼をいじめていたのだから。
最初は些細なことでからかったり、陰口を言う程度だったが、それはエスカレートしていき、壮絶的ないじめに発展してしまった。
俺が属するこのグループは、良くも悪くも目立っていた。
いや、グループというより、リーダー格のあの二人と言った方がいいかもしれない。
とにかく、俺達は彼をいじめ続けた。
勿論、俺はやりたくてやってたわけじゃない。
ただ、彼を庇えば、今度は自分が標的になることを恐れていただけだ。
多分いじめを楽しんでいたのは、あの二人だけだろう。
自分を守るために、彼に対する罪悪感ばかりが募っていく日々を俺は過ごしていた。
そんなある日、彼が何者かに殺されたということを知った。
クラスに、俺達8人の誰かが犯人だと噂が流れるのに時間はかからなかった。
最初は絶対違うと思った。
まず、あの二人からすれば彼は自分のストレス解消の道具であり、ある意味欠かせない存在だった。
それに、罪悪感に耐えていた俺達だって、彼のお陰で自分は標的にされずに済んでいるのだ。
彼を殺害する理由など、なかったはずだった。
「本当にこの中にいたりして……殺人犯」
大槻のこの言葉が、全ての始まりだった。
8人しかいない放課後の教室では、先程まで喋り声で溢れていたが、それで一気に止んだ。
皆の顔が強張る。
「な、何言ってんだよ。俺達には彼奴を殺す理由なんてないだろ?」
すぐに俺は反論したが、大槻は俺達の顔を見渡すと、口を開いた。
「いや、案外いたりしてね。本当はいじめをやりたくなくて罪悪感ばかりが募っていく奴が、最終的に小倉……いじめの標的の存在を恨んで殺したかもしれない。いじめを楽しんでいた奴も、ふざけ半分でナイフで脅してみたら背中に刺さってしまったって可能性もある。それか、もともと小倉に何か恨みがあっていじめでストレス解消していたけど物足りずに、殺害した……ってことも有り得る」
彼の言葉で、心臓が激しい鼓動を打った。
額から冷や汗が流れる。
「この中にいるんだろ?殺人犯」
大槻の目は獲物を探る狩人のようだった。
この緊迫した空気の中、次に口を開いたのはいじめの主犯の西尾だった。
「んなわけねぇだろ!俺達の中にいるなんて信じられるか!」
怒鳴る西尾に対し、大槻は冷静に答えた。
「まあまあ、怒るのは後にして。【犯人探し】をするのが先だよ」
その声は少し上ずっていた。
まるでこの状況を楽しんでいるかのように。
「犯人探し?」
一人の女子が彼に訊いた。
「そう。皆から小倉に関係する話を全て話して欲しい。この中に犯人がいるとしたら、何か矛盾点が生まれたりするかもしれない。そうすれば、この中に犯人がいるかどうか、わかるからね」
再び彼は全員の顔を見渡した。
その威圧を含んだ目に、反論していた西尾が溜め息混じりの声で言った。
「……わかった。だけど、犯人探しして何になるんだよ」
その質問に、大槻は少し間を開けて話し出した。
「……いじめを繰り返さないためだよ。仮に犯人が俺達の中にいたとしたら、【いじめていた奴が死んだ】【その犯人は自分の仲間にいた】って頭の中に叩き込まれるからね。トラウマに近いよ。殺人犯が自分の近くにいたんだから。だけどそうすれば、このことを思い出さないように、いじめはやらなくなる。少なくとも、俺達は、だけど」
彼の意見は理解することが出来た。
しかし、なかなか首を縦に振る者はいない。
それに賛成してしまえば、自分達の中に犯人がいると認めたようなものなのだから、当然かもしれない。
沈黙が続いた。
その空気に耐えきれなくなったのか、自分の席の椅子に座っている江川が口を開いた。
「いいんじゃないの?」
軽い口調で彼女はそう言った。
「こうやってジメジメしてるより、犯人がいるなら犯人を探す!いないと思うなら、私は楽しく過ごしたい」
もともと楽観的な性格の彼女の発言は、反感を買われるかもしれないが、この場では淀んだ空気を浄化してくれたような感覚になった。
そんな彼女を見つめながら、大槻は微笑した。
「江川らしい考えだな。別に俺は、疑心暗鬼になれとは言ってないし、思ってもない。ただ、過去を回想することで自分のしたことの重さに気付けるかな、って思ったんだ。ぶっちゃけ俺も、今回のことは反省してるし」
「犯人探し兼反省会……ってことかぁ」
大槻の言葉に、江川が相槌を打った。
「反対の奴、いる?」
大槻が言う。
反対する者はいなかった。
反省するためにそれに参加する人もいるかもしれないけど、俺の場合引っ掛かったのだ。
犯人の正体に。
一体誰が、何のために__
「もう、何でわざわざ夜の学校でしなきゃいけないのよ。しかも、こんなに暗くするなんて」
一人の女子の声で、今までの出来事から現実に戻ってきた気分になった。
声の正体は大槻の幼馴染みで、クラスのリーダー的存在である松下里奈だった。
「だから言っただろ。視覚を奪われた方が、より聴覚が敏感になるって。そうすれば、話の辻褄が合ってなかったり、何か可笑しい点があった時、気付きやすくなる。それにいつもと違う環境にした方が面白いかな……って思ってさ。放課後ここで話すにも、最終下校時刻があるから時間は限られてしね」
暗いため、彼が今どのような表情をしているのかはわからないが、その言葉や上ずった声からして、笑っているのだろう。
本当にコイツは反省しているのだろうか?と疑いたくなるほど、大槻はこの状況を楽しんでいるように思えた。
犯人探しをすると決めた日から2日が経ち、俺達8人は夜の学校に集まった。
場所を決めたのは、大槻だった。
本人曰く「友達を7人も泊めてくれる家なんてないだろうし、ファミレスとかだと周囲に話を聞かれる可能性がある」という考えらしい。
勿論、夜の学校に忍び込むのはやってはいけないことだ。
最初は皆反対していたが、8人が入れて、周りに話を聞かれない環境が良いという考えは全員一致していたため、渋々了解した。
しかし、教室に入ると同時に俺が付けた電気を、彼は突然消したのだった。
聴覚を敏感にするためとはいえ、女子……特に怖がりな松下からはかなりこのやり方は非難された。
再び、雷が轟音を立てて鳴った。
カーテンは全て閉めきっているが、それでも白い光を放っているのがよくわかった。
雷が白い光を放つ度に、一瞬だけ教室の様子が少しわかる。
俺達は四人ずつ向かい合う形に机と椅子を移動させ、そこに座った。
「何かあったら、この懐中電灯を使って」
大槻はあらかじめ用意しておいた懐中電灯を、机の上に置いた。
「それで……最初は誰から話すの?」
準備が整ったところで、名取が早速【犯人探し】を始めようとした。
「出席番号順とか?」
名取に続き、声を発したのは萩野。
「んー……じゃあ、笠原からで」
西尾の声に、名前を呼ばれた彼女は驚いたような声を上げた。
「……え?何で私?」
「向かいに笠原がいたから、なんとなく」
西尾のその言葉で、初めて彼の向かい側の席に笠原がいるということがわかった。
笠原は溜め息混じりの声で答える。
「別にいいけど……。本当に話していいの?タブーな話とかも?」
その言葉は、大槻に投げ掛けてるのだと思っていた。
しかし意外にも、返事をしたのは西尾だった。
「ああ……構わねぇよ」
その声は、投げやりのように聞こえた。
だが、それよりも気になったのは笠原が言った【タブーな話】だった。
俺には、そのことがいまいちよくわからなかった。
彼女は何か隠しているのだろうか。
いや、西尾は彼女の【何か】を察していたような感じがした。
もしかして、二人は何か秘密を共有しているのだろうか。
聴覚を研ぎ澄ましながら話を聞いていると、様々な考えが浮かんでくる。
話してる人の声色や間の開け方、話す速さ次第でその人の気持ちがよく伝わってくるからだ。
もし、誰かが嘘をついたら、見破れる可能性だってあるかもしれない。
「それじゃあ、話すね」
俺は目を軽く閉じ、笠原の話を聞くことに集中させた。
「実は私___」
彼女がそう切り出した時、外で雷が激しく轟いた。
私の中には、常に【本音】と【建前】がいた。
その性格は昔から変わらず、高校2年生になった今もだ。
「ねぇ、今日の放課後カラオケに行こうよ!」
緑が生い茂る中庭で、いつものグループと昼食を食べていた時、このグループのリーダーともいえる人物、友村紗代里がそう言った。
「いいね!」
彼女の意見に賛成する子の声が聞こえたが、私は申し訳なさそうな顔をしながら口を開いた。
「ごめん。今日塾があるからパス」
「そっかぁ……じゃあ、知花とはまた今度行こう」
紗代里は大袈裟に溜め息をついた。
端を持つ手を止めていた私は、再びそれを動かす。
塾があるなんて嘘だった。
私は単純に行きたくなかったのだ。
別に彼女達の事は、嫌いではない。
高2になった時、仲の良い子とクラスが離れ、友達作りに悩んでいた私に真っ先に声をかけてくれたのが紗代里達だった。
お陰でクラスにはなんとか馴染めたし、何か困ったことがあると紗代里は「大丈夫?」と優しく声をかけてくれた。
しかし、私と彼女達とは何もかもが違った。
このグループには容姿が優れている、成績が優秀、運動が得意、コミュ力が高い、彼氏がいるなど、何かしらステータスを兼ね備えていた。
そして、グループのリーダーの紗代里はその全てを持っていた。
……いや、正直成績の方はあまり芳しくないらしい。
だけど、大きな瞳にふわふわのロングヘア、スタイルの良い身体には女子の私でさえ、一瞬惚れても可笑しくなかった。
そんな容姿とは裏腹に、常に面白い話や顔芸などをして皆を笑わせたり、体育では持ち前の運動能力を発揮したりしていた。
また、他校に1つ年上の彼氏がいるらしい。
そんな彼女を羨ましく思ったが、同時に自分の平凡さに悲しくなってしまった。
成績と運動は良くも悪くもなく、顔も特別可愛いってわけじゃない。
コミュ力はどちらかというと低いだろう。
恋愛に関しては、彼氏どころか恋すらしたことがない。
それだけならまだ良かった。
しかし、5月に入った頃、私は圧倒的な私と彼女達の差を思い知ることになった。
彼女達と出掛けることになり、買い物を楽しんだ後、私達は近くのファーストフード店で休憩することになった。
他愛もない話をしていると、紗代里のポテトを掴む手が止まり、彼女は眉間に皺を寄せた。
彼女の視線は、ファーストフード店の向かいにある小さなアニメイトから出てきた中学生くらいの女子二人に向いていた。
「うわぁ……アニオタじゃん」
その声には、明らかに嫌悪感が混じっていた。
心臓がどきりと鳴った。
「何あれ。気持ち悪い」
他の女子も口を揃えて、彼女達を非難した。
勿論、二人の女子はそれが聞こえてないので、何食わぬ顔で別の方へ行ったが。
しかし、私の心臓は激しく鼓動を打ち続けた。
私は恐る恐る皆に質問した。
「あのさ……皆ってもしかして、オタクが嫌いなの?」
その言葉に、紗代里は、
「あったり前じゃん。単にアニメや漫画が好きって程度ならまだしも、オタクの度合いまでいくと流石に引く」
と答えた。
心臓の鼓動がさらに速くなる。
額から嫌な汗が流れた。
私の様子に気付いたのか、紗代里が私の顔を覗き込んだ。
「どうしたの?大丈夫?」
彼女の言葉は、私には聞こえなかった。
やはり私と彼女達は、何もかもが違っていた。
何故なら、私は中学時代、自分でも認めるほどのオタクだったのだから。
受験を機に、アニメを見ることをやめたせいか、以前ほどアニメを見たいという欲はなくなっていたが、それでも時々ウォークマンでアニソンを聴いたり、好きな漫画家の新作情報などは毎月チェックしていた。
勿論、オタクを苦手とする人もいると理解はしていたが、まさか目の前にいたなんて、思ってもみなかった。
彼女達の言葉は、私の心を深く抉った。
彼女達に自分がオタクだとバレれば、即効ハブられるだろう。
幸い、高校に進学してからはアニメへの熱意が薄れたのか、それについての話題は一切出さなかったため、私に【アニメ好き】というキャラ付けはされなかった。
それに、中学時代の自分を知る人もここにはいなく、いつの間にか私は完全に普通の女子高生になっていた。
「そういえば、知花はオタクについてどう思う?」
一人の女子が、私に質問を投げ掛けてきた。
「あ……」
本当は私は元々オタクだった。
大声を出してそうアピールしたかったが、そうすれば一貫の終わりだ。
やがて私は意を決して、口を開いた。
「……私もだよ!オタクってキモいよね」
これは自分を守るためなんだ、と言い聞かせたが、私の心はズキズキと痛んだ。
「だよね」
紗代里の相槌など、聞こえなかった。
この日以来、彼女達といると一方的に居心地の悪さを感じてしまった。
しかし、このグループを抜けてしまったら、私は独りぼっちになるだろう。
一応、他のグループの人とも話したり、連絡先を交換したりはしているが、それぞれのグループの結束力は強く、他のところへ行くことは不可能に近い。
オタクとバレない限り、私には居場所があるが、精神的にはなかった。
……いや、1つだけあった。
昼食を食べ終え、教室に戻った私は自分の席に着くと、机にの横に引っ掛けてある鞄から、スマホを取り出した。
私はスマホで、【愚痴サイト】と検索した。
やがて、ハンドルネームや内容を書く画面が現れた。
ハンドルネームのところには「C.K」と打ち込み、早速内容を書く欄に文字を書き込み始めた。
あの日から2週間後、偶然にも私はこのサイトに出会った。
このサイトを利用してる人の書き込みを見ると、成績や親子関係、進路、会社の上司、中には私と同じ友人関係など、様々な愚痴が羅列していた。
最初は思いとどまったが、私は自分のイニシャルの【C.K】というハンドルネームで紗代里達への愚痴を書き込んだ。
最初は愚痴というよりは、「自分の性格を恨みたい」「何でアニメ好きになんかなったんだろう」「独りぼっちにはなりたくない」など、自分を責めるようなことを書いていたが、最近は違った。
書きたいことを全て書き終えると、誤字の確認もせずに、【投稿】を押した。
【[752]投稿日:2017/7/2(12:54) 投稿者:C.K
確かにマナーの悪いオタクだっているけど、皆が皆そうとは限らないのに、オタクに対して「消えて欲しい」「キモい」「社会の屑」は流石にないよ。あの人達の発言は、人種差別みたいなもの。酷すぎる。もし、私みたいに実はオタクって人がそれを聞いたら、傷付くだろうな……。本当、あの人達と友達やめたい】
いつしかサイトに書き込む内容は、前より激しくなっていた。
投稿した文章を読み直すと、私は無意識に溜め息が出た。
私は紗代里達のことを嫌いじゃないと思いたかっただけかもしれない。
独りぼっちになるのが怖くて、苦手な人と無理に付き合っている弱虫な自分を認めたくなかっただけだったかもしれない。
ちらりと、教室の後ろでクラスメイトと談笑している紗代里を見た。
彼女と話しているのは、松下さんだった。
紗代里と同じく、容姿端麗でコミュ力が高い彼女は、このクラスのリーダー的存在だ。
彼女は良くも悪くも目立っていた。
クラスを仕切ってくれるところは尊敬しているが、彼女に目を付けられれば、自分の居場所を奪われてしまうのだ。
あくまで噂だが、1年の頃に彼女はクラスメイトの女子を不登校にしたとも聞いている。
まあ、松下さんと関わる機会なんて滅多にないし、ぼっちってわけじゃないから、目を付けられることもないだろう。
その考えが脆くも儚く崩れていくことを、私はまだ知らなかった。
夏休みまであと1週間となったある日のことだった。
紗代里がトイレに行ってる隙に、私は自分の席に座っていつものように、愚痴サイトと検索した。
今日もストレスをサイトにぶつけようとした時、私はあることに気付いた。
昨日私が書いた愚痴に、返信が来ていたのだ。
【[908]投稿日:2017/7/14(8:32) 投稿者:V.P
>>C.K
そんなことがあったんですね……。私も好きなものを友達に好きって言えないから、困ってます。お互い頑張りましょう。】
少ない文章だが、さっきまで重かった心が急に軽くなった。
やはり、友達に自分の本音をしっかり言えない子もいるんだ、と仲間が出来たような感じがした。
私は彼女に返信をするため、再び書き込みを始めた。
【[913]投稿日:2017/7/14(10:48) 投稿者:C.K
>>V.P
ありがとうございます。V.Pさんのお陰で、少し心が軽くなりました!】
本当はV.Pさんの境遇を聞きたいが、相手が不快になるかもしれないので、それはやめた。
お礼の返信はしたので、これっきり、私とV.Pさんとは喋ることはないと思っていた。
しかし昼休みになり、再びそのサイトを検索すると、私は目を見開いた。
【[916]投稿日:2017/7/14(11:42) 投稿者:V.P
>>C.K
それなら良かったです!もしよろしければ、チャットサイトでお話ししませんか?】
もう来ないと思っていた返信が、来ていたのだ。
しかも、チャットサイトで話す……彼女は私ともっと関わろうとしている。
私は即効返信をした。
【[918]投稿日:2017/7/14(12:34) 投稿者:C.K
>>V.P
いいですね!そうしましょう!】
その文章を投稿し、トイレに行った後、私はもう一度そのサイトをチェックした。
すると期待通り、返信はあった。
彼女はチャットサイトのURLを貼ってくれていた。
それを通じて私はそのチャットサイトに繋げると、【最新】の欄にV.Pというハンドルネームと【C.Kさん待ってます〜!】というメッセージがあった。
私は【返信】という欄に、メッセージを書き込もうとしたが、
「知花、お昼食べよう!」
と、紗代里の声が聞こえてきた。
返信はいつでも出来ると自分に言い聞かせ、諦めて弁当箱を抱えながら紗代里の方へ移動した。
それから、私はそのサイトで、彼女とたくさん話をした。
彼女は現在高3で、青森在住らしい。
本当は小説や漫画が好きだが、男性アイドルやオシャレが大好きな友人達に話を合わせていると、彼女は言った。
夏休みまでの日々、私達はその日起こったことや、タイミングが良ければリアルタイムで誰が何をしているかを書き込んだ。
その内容は紗代里達に対する愚痴も含むが、教室で誰かがこんな面白いことをやっていたとか、嫌いな科目の抜き打ちテストがあったなど、普通の学校生活に関係することをたくささん書いた。
夏休みに入ると、前以上に彼女とよくチャットをした。
スマホのやりすぎで、親に注意されるほどたくさん。
【今日は家族で、旅行に行きます!楽しみだなぁ(*´∇`*)】
【海に行ったら、日焼けしました……。皮がめっちゃ剥けます。助けて下さい(涙)】
【課題が終わりません。そして眠いです。】
【暑すぎて夏バテになりそうです(´゚ω゚`)】
【今日はたくさん勉強しよう!と気合いを入れたはずが、気付けば何もせずに夕方になってました。】
何の変哲もない会話だが、私はこれが楽しかった。
思ったことを話せる人が、私はずっと欲しかったのだ。
私はV.Pさんの存在に感謝した。
青森県か……。
冬休みにでも行ってみようか。
そして、一度だけ彼女に会ってみたい。
彼女はどんな顔をしているのか、すごく気になったのだ。
しかし、その希望は新学期の朝に打ち砕かれたのだった。
休みが終わったため、階段を上る足取りは重い。
2年の教室がある2階の階段を上り終えた瞬間、私の足がぴたりと止まった。
「おはよう。笠原さん」
そこには、松下さんと西尾君がいた。
絡みのない私に挨拶をするなんて、珍しい。
「お、おはよう」
私は挨拶をした瞬間、二人が笑みを浮かべたのを見逃さなかった。
嫌な予感がした。
松下さんは私の方に歩み寄ると、静かにこう言った。
「夏休みは楽しかった?C.Kさん」
その瞬間、私はまるで時が止まったかのように、凍りついた。
額から冷や汗が流れる。
何故、そのことを彼女は知っているのだろうか。
「そうそう。私前にも言ったけど、海に行ったら日焼けしちゃって、皮がめちゃくちゃ剥けちゃったのよ。今は大丈夫だけどね」
その言葉で、私はすぐにわかった。
V.Pさんの正体は、松下さんだということを。
しかしそれなら、何故彼女のハンドルネームは【V.P】なのだろうか。
【松下里奈】なら【R.M】になるはずだ。
私の考えを見透かしたように、彼女は含み笑いで言う。
「VはVillageで【里】、PはPine treeで【松】って意味よ。あんたも馬鹿よねぇ。クラスで起こったことをリアルタイムで書き込むなんて。クラスメイトが見たら、すぐにバレるわよ」
……終わった。
全てが終わった。
呆然とする私に、さっきまで黙っていた西尾君がこう言った。
「意外だな。お前が友達の悪口をネットに書くなんて」
きっと、二人は紗代里にそのことを言うだろう。
そして、それを知った紗代里達は私をハブり、私は独りぼっちになる。
すると、自然と私がやったことはクラスに広まり、私の居場所は完全に無くなる。
完璧なシナリオが、私の頭の中で完成した。
しかし次の瞬間、彼が口にした言葉は意外なものだった。
「このことは、友村達には言わないでやるよ」
その言葉に、私は目を丸くした。
言わない……?
どういうこと?
一瞬、安堵しそうになったが、絶対何かあると直感した。
「その代わり」
西尾君のその声で、私の予感は的中したと感じた。
間を開ける彼の次の言葉を、私は固唾を呑みながら待ち構えた。
「俺らのグループに入ってくれよ」
「……え?」
再び、私は目を丸くした。
その条件はあまりにも簡単すぎて、腰が抜けそうだった。
西尾君や松下さんのグループは、私が所属する紗代里のグループ以上に優れた人達が集まるグループだった。
運動神経抜群な西尾君と誰もが振り返ってしまいそうになる美少女の松下さん、冷静な性格で明晰頭脳な大槻君、高身長で切れ長な目が特徴のイケメン系女子の名取さん。
そして、このメンバーに時々加わっているのが、私ともそこそこ仲の良い光貴だった。
彼とは男子の中では一番仲が良く、唯一名前で呼べる存在だ。
彼はよく西尾君達と一緒にいるが、いつもというわけではなく、別のグループの男子とお昼を食べたり、帰る姿を何度か目撃している。
容姿端麗で頭も良いが、何故温厚な性格の彼が西尾君や松下さんのような気の強い人達と一緒にいるのか、疑問に思ったこともあった。
それを言っちゃえば、あまり目立ちたがらない大槻君や優しい性格の名取さんもそうなるが。
「で?どうするんだ?」
西尾君の言葉で、私は今、グループに入るか入らずに居場所を失うか、選択を迫られているところだということを思い出した。
答えは決まっていた。
「うん。入る」
私の言葉を聞くと、松下さんは手を差し出した。
「よろしくね」
まるで私の答えを予想していたかのように、彼女は握手を求めてきた。
最初は戸惑ったが、私も彼女の方へ手を差し出すと、握手を交わした。
まるで、契約のように。
お昼を知らせるチャイムが鳴った。
私が四時間目の授業で使った教科書やノートを片付けようとした時、
「知花、お昼食べよう!」
いつものように、紗代里は私をお昼に誘ってきた。
私は首を縦に振ろうとした瞬間だった。
「ごめんね紗代里。知花は私達と食べるから」
突然、後ろから松下さんが声を発した。
下の名前で呼ばれたことよりも、お昼を彼女達と食べることになっていることに対しての驚きが大きかった。
「え、そうなの?」
目を丸くする紗代里。
「じゃあ、そういうことで」
松下さんは私の手を掴むと、引っ張った。
「あ……また今度食べよう!」
私は紗代里にそう言うと、松下さんが行こうとしているところへ視線を向けた。
予想はしていたが、そこには西尾君と名取さんがいた。
後ろから紗代里の声が聞こえてきたが、私はそれを無視した。
「あ、笠原さん。こっちこっち」
手招きをしてくれたのは、名取さんだった。
彼女は、抱えていたお弁当箱を机に置くように促した。
「あ、ありがとう」
名取さんは私がグループ入りすることを知っているのだろう。
しかし、彼女は私が紗代里達の悪口をネットに書いていたことなどは、知っているのだろうか。
彼女の口から聞きたかったが、聞く勇気などなく、私は黙って席に着いた時だった。
「あれ、何で笠原がここにいるんだ?」
突然、背後から誰かの声が聞こえてきた。
振り向くと、そこには右手に飲み物、左手に菓子パンを持っている光貴がいた。
その後ろには、同じくコーラを片手に持った大槻君もいる。
二人は売店に行っていたのだろうか。
次の瞬間、私はふと気付いた。
光貴は私がグループ入りしたことを知らないと。
「あ……それは……えっと……」
どう説明すればいいかわからなかった。
【グループに入ることになった】と答えれば、その理由を聞いてくるのが、最も自然な流れだろう。
しかし、そうなれば私が紗代里達の悪口をネットに書き込んだことがバレてしまう。
仲の良い彼にそれがバレてしまうのは、避けたかった。
私が困惑していると、助け船を出してくれたのは松下さんだった。
「あ、ごめんごめん。言うの忘れてたけど、私知花と仲良くなったんだ。グループ入れてもいいよね?」
語尾に力が込められているのは、明らかだった。
本当のことを彼に話さなかったのは、ありがたかったが。
しかし、そんな彼女に臆した様子も見せず、彼は、
「別にいいよ。笠原とは仲良いし」
と言うと、席に着いた。
彼のお陰で、心が少し軽くなったのは気のせいじゃないはずだ。
私はこれからの不安と微かな嬉しさを胸に、箸をつまんだ。
それから、私は松下さん達のグループと一緒にいることが多くなった。
お昼は毎日一緒に食べるようになったし、帰りも彼等と帰ることが日課になった。
最初は少し戸惑ったけど、名取さんや時々グループに加わる光貴は優しくしてくれたり、勉強が分からなくなった時は大槻君が丁寧に教えてくれたりした。
本人からの希望で、松下さんのことは里奈、名取さんのことは沙也と呼ぶようにもなった。
だけど、楽しかったのは最初だけだった。
西尾君と里奈が私の弱味を握っていることをいいことに、私にこき使い始めたのだ。
喉が渇けば飲み物を買いに行け、彼等の荷物が多いわけでもないのに鞄を持たせられるなど、やられることは大したことではないが、日に日にストレスが溜まった。
何度も逆らおうとしたが、きっとそうすれば私の秘密はバレてしまうだろう。
グループを抜けることなんて、もってのほかだ。
涼しい季節になった時のことだった。
9月の下旬、10月の上旬に一人ずつメンバーが増えたのだ。
一人目は萩野真帆。
比較的大人しい性格で、クラスでも地味なグループに属していた子だ。
二人目は江川莉子。
彼女は、表情豊かでパワフルな性格が特徴だ。
光貴のように特定のグループには属していないが、クラスの人気者で、先生からも慕われている。
二人が入ってきた時、私は彼等が二人とたまたま仲が良くなったため、グループに入ってきたのだと思っていた。
特に江川さんは。
今考えると、なんて馬鹿馬鹿しい発想だと思うが。
二人が入ってからも、西尾君と里奈の私への扱いは変わらなかった。
前より、エスカレートしてる気もした。
しかし、そろそろ限界が近付いてきたある日、転機が訪れた。
小倉君が転校してきたのだ。
「よろしくお願いします」
笑みを浮かべながら、小倉君は軽く頭を下げた。
彼は父親の転勤のため、隣の県から引っ越してきたらしい。
先生に促され、指定された席に移動していく小倉君をちらりと見る。
無造作な髪と整った顔立ちは、まるでテレビに出てるアイドルのようだった。
さっきから、周りの女子が騒がしいのもそのせいだろう。
ここまでの彼に関しては、格好いいなくらいの印象だった。
しかし、席に着こうとした瞬間、小倉君が発した一言で、私の思考は停止した。
「もしかして、お前……西尾か?」
中央の席に座っている西尾君を指しながら、彼は目を見開いて言った。
すると、さっきまで黙っていた西尾君も、目を丸くしながら口を開いた。
「え……?ていうことは、やっぱりお前……」
クラスメイトは、二人に視線を注ぐ。
話から察するに、二人は知り合いなのだろうか。
「え!?本当か!?久しぶりだな!!」
嬉しそうな顔をする小倉君。
西尾君も、最初は驚いたような顔をしていたが、徐々に顔を綻ばせた。
今にも、二人が会話を始めようとした時、その二人に割って入ったのは沙也だった。
「はいはい。感動の再会もいいけど、これからHR始まるから後にしてね」
はーい、と返事をして席に着く二人。
私は視線を窓の外に移した。
先生は今日の授業変更や連絡などを言っているが、私の耳にそれらは入らなかった。
あの二人はどのような関係なのだろうか。
彼はどんな人なのだろうか。
そのことしか頭になかった。
第一印象は優しそうな人だったが、西尾君の知り合いともなると、不安がよぎる。
きっと、西尾君は小倉君をグループに入れるつもりだ。
もし、西尾君みたいに気が強いタイプなら、私のストレスはもっと溜まるかもしれない。
いや、情緒が不安定になっても可笑しくないだろう。
私は西尾君が彼を紹介するまで、その考えが脳内にこびりついて離れなかった。
里奈達とお昼を食べるのは完全に、日常と化していたが、今日は違った。
小倉君がグループに加わったからだ。
「小倉は、小学校の頃の友達だったんだよ」
そう言って西尾君はコーラをあおる。
「おい。【だった】だと、今は友達じゃないみたいだろ」
「悪い悪い」
不機嫌そうな顔をしながら言う小倉君と、それを適当に流す西尾君。
その二人の様子を見る限り、彼等はとても仲が良さそうだ。
「へぇ……そっかぁ。よろしくね!」
そう言って、彼に手を差し出したのは江川さんだった。
そんな彼女に対して、嬉しそうな笑顔を浮かべながら、応じる小倉君。
見たところ、悪い人ではなさそうだ。
「趣味は何?」
「テニスかな」
「得意科目は?」
「英語と古典。文系は大体得意だな」
「彼女いる?」
「いないよ」
ごく普通の質問と彼の回答を、私は右から左に聞き流す。
お弁当の中身が空になったことに気付くと、私は席から立ち上がり、自分の席に戻ろうとした。
その時だった。
「あ、そうだ。知花、麦茶買ってきて」
そう言って、里奈は私の手のひらに500円玉を置いた。
またか、と思ったが、私はそれを表情に表さなかった。
「わかった」
お弁当箱を自分の机の横に掛けてある鞄に入れると、500円玉を持って売店へ向かった。
小倉君が転校してきてから、1週間が経った。
彼はすっかりクラスに馴染み、私達のグループの一員として定着した。
しかしある日、それは崩壊へ向かった。
「笠原。これ先生に渡しといてくれ」
放課後を知らせるチャイムが鳴った時、西尾君は私に3枚のプリントを渡した。
内容からして、数学の先生に渡せばいいだろう。
「え?何か用事あるの?」
「特にねぇけど」
その言葉や偉そうな態度に、私は拳を握り締めながら、じっと彼を見た。
そんな私の様子が勘に触ったのか、西尾君は眉を寄せた。
「何だよ、その態度」
【ふざけるな】と、叫び散らしたいほど、私のストレスは溜まっていた。
これ以上、彼や里奈の言いなりになっていたら、可笑しくなりそうだった。
私は唇を噛み締めると、
「別に」
と素っ気なく彼に背を向けて、教室を出て行こうとしたその時だった。
「プリントくらい自分で出せに行けよ」
背後から声がした。
振り向くと、そこには小倉君がいた。
唖然とする私と西尾君とは反対に、いかにも機嫌が悪そうな顔をする小倉君。
彼は、私の秘密をきっと知らないから、そんなことが言えるのだろう。
沈黙が流れたが、それを破ったのは西尾君だった。
「は?別にいいだろ」
苛ついた様子を隠そうともしない声だった。
「いいわけない。お前と松下ってこの前から、笠原をこき使ってるだろ。友達……ましてや、女子にそんなことするなんて酷くないか?」
名前を呼ばれた里奈が、こちらをちらりと見る。
私は彼女から目を逸らした。
「いいや。俺のお陰で笠原だって、救われてるんだぞ」
今、西尾君が言ったのはきっと、私の秘密のことだ。
確かに、西尾君や里奈が口外しないお陰で、今もこうして教室にいられるのかもしれない。
しかし、当然そのことを知らない小倉君は、納得いかないような顔をした。
「も、もう私のことはいいから」
私は険悪な二人の空気を和らげようと声を出したが、小倉君はそれを無視した。
「だからって、こきを使うのは可笑しいだろ。笠原の気持ちも考えろよ」
「うるせぇな!事情も知らない奴に、偉そうに言われたくねぇよ!」
西尾の怒声と机を叩く音が教室に響く。
さっきまで会話していたクラスメイト達は、一斉に黙り込み、こちらの様子をちらちら見ている。
皆の視線が自分達に注がれてることが恥ずかしくて、気分が悪くて、怖く、私はとうとう教室から勢いよく出て行ってしまった。
どれくらい走っただろう。
息を切らしながら、私は廊下の柱に寄りかかった。
「なんなの……小倉君」
ぽつりと呟いた。
その言葉には、自分を庇ってくれた嬉しさというよりは、呆れが強かった。
いくら事情を知らないとはいえ、西尾君と友達だった彼なら、西尾君の性格は熟知してるはずだ。
なのに、彼にあのような態度や言い方をした小倉君に、呆れてしまった。
「……あれ?」
私の中に、一つの違和感が芽生えた。
昔から西尾君があのような性格なら、今のように仲が悪いはずだ。
しかし、小倉君が転校してきた日は、二人ともとても仲が良さそうだった。
私は目を閉じながら、考えを巡らせる。
そこから、導き出せる答えは___
「笠原!」
「知花!」
声がした方に振り返ると、そこには小倉君と紗代里がいた。
二人とも、呼吸が荒かった。
走ってきたのだろうか。
しかしそれよりも、私は紗代里がいることに驚いた。
最近では紗代里とはほとんど話していない。
私が里奈達のグループに入ってしまったため、向こうも距離を置いていた。
しかし、何故……?
「知花、大丈夫!?」
「あ……」
私の肩を掴みながら、真剣な顔をする紗代里。
そんな彼女の目を、私は逸らした。
「知花。なんか最近、可笑しいよ。里奈や西尾君のグループに入ったり、二人にこき使われてたり……」
「それは……」
話したかったが、私はなかなか口に出せなかった。
口に出してしまえば、自然と私が紗代里の悪口をネットに書き込んでいたことがバレてしまう。
私は俯きながら、力なく答えた。
「……何でもないの。私はただ、本当に里奈達と仲良くなっただけで、こき使われてなんかないの」
苦しすぎる言い訳だった。
当然、二人は「はい、そうですね」と納得しなかった。
すると突然、紗代里が、
「あ!ヤバい!」
と声を荒げた。
「今日塾あるんだった!遅れる!」
そういえば、紗代里は毎週火曜日は塾だったな、と思い返した。
鞄を取りに行くため、紗代里は走って教室へ行こうとした。
しかし、その前に彼女は私の顔を見ながら、
「心配事があったら絶対言ってね。知花を傷付ける奴は、誰だろうとぶん殴るから!」
そう言って、教室へ走って行った。
廊下に残されたのは、私と小倉君だけとなった。
「……本当に、何があったんだ?笠原」
真剣な眼差しで私を見つめる小倉君。
私は唇をぎゅっと噛み締めた。
この1週間で、小倉君がすごく優しくて良い人だということはわかった。
しかし、まだ会って数日しか経ってない人に事情をぺらぺら喋ることに、私は躊躇いを感じた。
彼のことを全く信じていない訳ではないが……。
「本当に何でもないの……そっとさせて」
その言葉を最後に、私は逃げるように走った。
目的地はないが、とにかく一人になれる場所を探し求めた。
この時、彼に正直に話してれば、こんな結末にはならなかったのかもしれない。
いや、もはやこれは逃れられない運命だったかもしれない。
もう、今更後悔したって遅いんだ___
「なあ、最近小倉調子乗ってないか?」
「え?」
あの日から、2週間経ったとある放課後のことだった。
小倉君を除いたいつものメンバーで教室で談笑していたが、その声は西尾君の言葉で、静まり返った。
あの日以来、西尾が小倉君に対してあまり良く思ってないことは明らかだった。
会話どころか、目すら合わせようともしない二人に、私達は見て見ぬふりをしていたが、それも限界だったようだ。
「調子乗ってる、ねぇ……まあ、最近も何も、私はもともと小倉君のこと気に食わなかったけどね」
里奈の言葉に、私は思わず目を見開いた。
里奈と小倉君は二人で話すことは少なかったが、お互いとても楽しそうに話していたのに。
「ちょっと待ってよ!里奈と小倉って仲良さそうだったよね?何で?」
私の考えを代弁してくれたのは、江川さんだった。
彼女の表情は、戸惑いに満ちている。
里奈は彼女をまるで鼻で笑うかのように、答えた。
「はぁ……馬鹿じゃないの?表では楽しそうにしてたけど、裏では小倉君のことを嫌ってたんだからね。そんなことも分からないわけ?」
「うるさいなぁ!馬鹿って言った方が馬鹿なんですけど〜」
「まあまあ、落ち着いて」
里奈と江川さんの間に割って入ったのは、沙也だった。
「大体、西尾と里奈が小倉君のことを気に食わないのは、わかったけど、何がしたいの」
沙也はそう言ったが、なんとなく全員がその答えをわかってるような気がした。
西尾君がゆっくりと口を開いた。
「何って、いじめるに決まってんだろ」
予想通りの答えに、私の額から嫌な汗が流れた。
私達に沈黙が流れたが、数秒後、それを破ったのは江川さんだった。
「……はぁ?」
彼女の表情や口調から、西尾君に対する嫌悪感が感じられた。
「何だよ」
「いくら気に食わないからって、流石にそれは無くない?幼稚かよ」
私は心から、彼女を応援した。
きっと、それは私だけではないはず。
ちらりと、萩野さんと光貴の様子を見る。
二人とも口には出してないが、江川さんに期待を込めたような視線を送っていた。
「……何よ。嫌な奴を排除して、何が悪いわけ?とにかく、私と西尾で決めたの。彼奴を徹底的に痛めつけるってね。文句ないよね?」
里奈の視線は、大槻君と沙也に向けられた。
「……別に」
「……ちょっと待ってよ。いじめなんて……」
沙也が困惑したような表情を浮かべながら、そう言った時、彼女の声は西尾君によってかき消された。
「異議ある奴」
短いが威圧されたその言葉に、声を上げる者などいなかった。
満足そうな顔をする西尾君と里奈。
反対に、暗い表情をする私達。
しかし、江川さんだけはまだ、その瞳に希望を残していたことを、私はまだ知らなかった。
「あとは皆の知ってる通り、小倉君をいじめて、その後誰かに殺された……って感じかな」
この出来事を笠原の視点で、上手く描くことが出来た。
外ではまだ、豪雨と雷が続いている。
しかし、誰もが笠原の話に神経を集中させていたため、雷の轟音で驚く者などいなかった。
全員が彼女の話を頭の中で整理しているのか、沈黙が流れる。
しかし、しばらくすると、誰かが呟くように言った。
「ちょっと待って……」
この声は江川だ。
「何か、可笑しい気がする……」
「どういうこと?」
松下は彼女に訊くと、
「話自体は特に可笑しくないんだけど、なんか……違和感がある。わからない?光貴」
と、俺に話を振った。
「別に、どこも変じゃない気がするけどなぁ」
本当に、違和感は何も感じなかった。
彼女が友村のグループに属していたことも、西尾や松下から嫌なことをされてたことも、真実だ。
笠原が友村達の悪口をネットに書き込んでいたことは、かなり意外だったが。
「でも、わざわざ自分がこのグループに入った経緯まで言う必要はなかったんじゃねぇのか?」
いつもより低い西尾の声。
自分や松下のことを俺達に明かされたのを、良く思っていないのだろう。
「確かに、それは関係ないと思う。だけど、仮に私達の中に犯人がいるとしたら、動機は予測しにくい。だから、小さなことでもいいから、皆に情報を伝えた方が犯人の意図や手掛かりを掴めるかもしれないでしょ?それに……」
「それに?」
松下が復唱する。
「これまでのことを、自分一人で抱え込むのがもう嫌だったの。もうこの機会に、後先考えずにすべてを話してしまおうと思ったの。あの時、小倉君に話した方が一番良かったのかもしれないけど」
笠原は、自嘲するような溜め息をつきながら、そう言った。
「……じゃあ、次は誰が話す?」
タイミングを見計らったのか、大槻がそう言った。
その時だった。
「なんか……息が……苦し……い」
笠原の弱々しい声が聞こえた。
「大丈夫?」
「窓開けようか?」
萩野と江川の声が聞こえる中、苦しそうに咳き込む笠原。
段々、彼女の様子が心配になってきた。
「……息が……でき……な……」
一言一言言うのも一苦労な様子の彼女の声に、俺達の不安はさらに強まった。
「ちょ、何で息が出来ないんだよ?」
「わか……ん……ない」
「もういいよ!無理して喋らなくていいから!」
「一旦、教室の電気付けるよ!」
名取の声とともに、彼女が机から立ち上がる音がした。
しばらくすると、彼女はカチッとスイッチを押したが、電気は付かなく、陰気な雰囲気を纏った教室のままだった。
「何で電気が付かないの!?」
苛々した雰囲気の彼女の声と、やけになって連続でスイッチを入れているのか、カチカチという音が聞こえた。
もしかしたら、雷のせいで停電になったのかもしれない。
すると、俺はさっき大槻が机に懐中電灯を置いていたことを思い出した。
「大丈夫だ!懐中電灯があるぞ」
俺は手探りでそれを探すと、それらしき物に手が触れた。
それを掴みスイッチを押す。
しかし、明かりが付くことはなかった。
「何で付かないんだ!?電池が切れてるのか!?」
「いや、今日替えたばかりのはずなんだけど」
持ち主の大槻が答える。
何でなんだ……。
「ちょっと!知花、大丈夫!?意識ある!?」
松下の声とともに、頬を軽く叩く音が聞こえた。
彼女の声に応じる笠原の声は、一切聞こえない。
意識不明の笠原と、付かない電気。
突然の出来事に、誰もがパニックとなった。
「そうだ。救急車……!」
萩野のその言葉に、ハッとなった。
何で、すぐにそうしようという発想に至らなかったのか、自分達を不思議に思ったが、このような非常事態ならば、仕方ないことなのかもしれない。
萩野がスマホを手にすると、電源を入れようとしたが、一向に付く様子はない。
「何で……」
力ない萩野の声。
スマホで救急車を呼べないのなら……。
「俺、公衆電話探してくる!」
確か、職員室の近くに公衆電話があったはずだ。
それを使えば、救急車を呼ぶことが出来るだろう。
「光貴!?」
江川の驚いたような声を無視して、俺は勢いよく教室の扉を開けた……はずだった。
俺の目が点になった。
目の前の扉は、いくら力を込めても開くことはなかったのだ。
もう一度、力を入れて開けようとしたが、やはりそれはびくともしない。
「どうして……」
この扉は鍵を掛けられないようになっている。
俺は目を軽く閉じた。
笠原が原因不明の呼吸困難。
明かりが付かない電気と懐中電灯。
電源が付かないスマホ。
開かない扉。
まるでこれでは、笠原を助けさせないために、誰かが仕組んだようだ。
いや、笠原をこのような状態にするのは過程の中で、本当は別の目的があるのかもしれない。
どちらにしろ、誰かが意図的に仕組んだことだと考えた方が自然だ。
「私達、閉じ込められたってこと……?」
萩野が不安そうに呟く。
そうだ。
扉が開かないとなると、俺達はここから出られない。
完全に教室に閉じ込められてしまったようだ。
「それよりも、今は知花を助ける方が最優先だよ!」
名取の声が教室に響く。
「里奈、なんとかならない?」
名取は、松下にそう訊ねた。
松下の親は医者で、本人も多少の心得はあるらしい。
こんな状況の時、頼もしい存在だと思ったが、
「……こんな暗いところじゃ、危ないから心臓マッサージも出来ないわ」
彼女は観念したような声で、そう言った。
すると、松下は椅子に座っている笠原の胸に手を当てる。
「う、嘘……」
彼女の驚愕したような声色に、嫌な予感がした。
「どうしたんだ……?」
しばらく黙っていた西尾の声。
「……動いてない」
「え?」
「心臓が動いてない……脈も……」
力ない松下の声に、衝撃が走った。
笠原が……死んだ?
信じたくはなかったが、松下が嘘をついてるようにも感じられない。
「何かが可笑しい」
誰かがそう呟いた。
この声は、大槻だ。
「だよね……さっきまで普通に話してたのに、いきなり呼吸が出来なくなって死ぬなんて……」
「いや、そこじゃない。それに、死に至るのは別として、突然呼吸が苦しくなるのは有り得ないことじゃないしね。俺が言いたいのは、電気とかスマホとか懐中電灯が付かなかったり、扉が開かないことだよ。電気は停電、スマホは充電切れって可能性があるけど、電池を替えたばかりの懐中電灯や扉は絶対に可笑しい。まるで、誰かが笠原を助けさせない……死んでもらうために、仕組んだみたいなんだよ」
やはり俺と同じ考えの人はいたようだ。
「……そんなの、酷すぎるよ。何が目的でこんなこと……」
泣いているのだろうか。
萩野のその声は、涙混じりだった。
再び、大槻が声を上げる。
「そこなんだよ。誰がっていうのも気になるけど、何が目的でこんなことをしたのか、ってのが重要な気がする。ただ……」
「ただ?」
松下の声。
「それだと矛盾してるところがあるんだよ。仮に、これは誰かが意図的に仕組んだことだとする。そいつは笠原を助けさせないために色々仕掛けるとするよ?でも、よく考えてみて。笠原が死ぬことは誰も予測出来なかった。勿論、仕掛けた奴も。だったら、そいつの行動は別のことが目的だったと言った方が正しいんじゃないかな」
彼は一度溜め息をつくと、再び口を開いた。
「でも1つだけ、笠原を殺すために仕組んだって言っても、可笑しくない説もあるよ」
「何なんだよ……」
苛立ちが募ったような西尾の声。
「毒だよ」
「毒?」
俺は訝しげに訊く。
「そう。誰かが笠原に毒を仕込んだ食べ物や飲み物を体内に入れさせて、殺したって可能性がある」
俺は、犯人探しをする前後の彼女の様子を思い出す。
彼女は誰かから、飲み物や食べ物を受け取ったり、持参してるような様子はなかった。
「だとすると、一体いつ毒を摂取したんだ?」
俺は独り言のように呟く。
「わからない。でも、皆でここに集まる前に、誰かが毒を摂取させたと思う。勿論、効くのが遅くなる毒でね。まあ、これはあくまで俺の考えだけど。死因が毒死だとは限らないし、本当に突然呼吸困難になった可能性もある」
彼がそこまで言うと、沈黙が流れた。
大槻の考えを聞く限り、俺は毒殺の説が有力なような気がした。
そもそも、仮に仕組んだ奴が笠原を殺す気は全くなかったとしても、偶然いくつかの仕掛けが原因で笠原を助けることが出来なかったと考えるのは難しい。
それに、笠原を殺す以外に目的が考えられないのだ。
電気、懐中電灯、スマホが使えなく、閉じ込められた環境で一晩過ごしても、翌日になれば先生が来る。
すぐにその環境から解放されてしまうのだ。
それだと、その行動は全く無意味だ。
ならば、人を殺すために、このような状態にさせた方が正しい考えな気がする。
そうなると、誰が何故彼女を殺したのか、ということになるが。
一瞬、彼の顔が脳裏に浮かんだ。
しかし、俺はその考えをかき消すように、首をブンブンと振る。
……彼奴はもう死んだんだ。笠原を殺すなんて、有り得ない。
俺の額から嫌な汗が流れ、それをタオルで拭くと、名取が不安そうな声で言った。
「毒殺とか目的とかもいいけど、これからどうするの?私達、閉じ込められたままなんだけど……」
ひまりの小説面白い。
29:ひまり hoge:2017/07/25(火) 21:28 >>28
ありがとうございます!
彼女の言葉で、一気に今の現状を突きつけられた。
このままだと、朝までこの教室から出られないだろう。
そのこと自体は、別に苦痛ではない。
確かに、笠原の遺体とともに一晩過ごすことは、精神的に辛いかもしれないが、あくま朝までだ。
食事や水やトイレなどは我慢すればいいし、眠くなったら机に突っ伏せば眠れるだろう。
しかし、1つだけ不安がある。
萩野を除いて、俺達は今スマホを持っていないため、この現状を家族に知らせたり、助けを求めることは出来ない。
萩野のスマホも電源が付かない状態だ。
俺達は親に「友達の家に行ってくる」「塾が終わるのが遅くなる」「図書館で勉強してくる」など、何かしら言い訳を用意していたため、学校にいるなんて家族は想定していない。
このままでは、家族に心配され、最悪警察に通報されるだろう。
そうなれば、何故夜の学校にいたのか、何をしていたかのか、訊いてくる。
笠原が死んでしまったため、ただ事ではないと思われるのが当然だ。
下手に嘘をつくことは出来ない。
しかし【犯人探しをしていた】とは、とても言えない。
そうなれば、俺達が彼をいじめていたことが明かされ、この学校にいられなくなってしまうだろう。
それこそ、家族に迷惑がかかる。
俺はしばらく目を閉じながら、考えを巡らせていると、1つの結論にたどり着いた。
「……皆、力づくで扉を開けよう」
「……え?」
「な、何で?もういっそ、朝まで待てばいいじゃん」
俺の言葉に、驚いたような声を上げる萩野と江川。
無理もない。
朝までここで待機してればいいのに、わざわざ扉を開けようなんて言ったのだから。
「でもな、それだと後で大変なことになるかもしれないんだ。このままだと、家族が心配して警察に通報する可能性がある。そうなれば、きっと家族は夜の学校に8人もいた理由を訊いてくるだろうな。そしたら、俺達が……今までやったことがバレて、最悪この学校にいられなくなる。それでもいいのか?」
その言葉に、ハッとしたのか、沈黙が流れた。
すると、それを破ったのは松下だった。
「……もし訊いてきたなら、嘘をつけばいいんじゃないの?【胆試しをしてた】とか」
「いや、それは無理だ。だって、笠原が死んでるんだ。家族からも警察からも、ただ事じゃないと思われると思う。それだと、すぐに嘘を見破られるよ」
「……そうね」
力ない松下の返事。
「とにかく、今はここから出るしかないんだ」
そう言って俺は立ち上がり、手探りで扉を探した。
それらしきものに手が触れると、俺はそれを開けようと、力を込めた。
その瞬間だった。
全身に電流のようなものが走った。
「うわあああぁぁぁ!!」
すぐさま扉から手を離すと、俺はその場に倒れた。
電流のようなものはもう感じなかったが、それでも俺はなかなか立ち上がることが出来なかった。
「光貴!?」
「大丈夫か!?」
席から立ち上がったのか、誰かが俺の身体を起こしてくれた。
それと同時に、身体も段々落ち着いてきた。
「何があったんだ?」
すぐそばで、大槻の声が聞こえてきた。
起こしてくれたのは大槻なのだろうか。
「それが……扉を開けようとしたら、突然身体が感電したみたいにビリビリして……離したら感じなくなったけど」
「……じゃあ、扉を開けようとすることすら出来ないの?」
江川の焦ったような声。
すると、誰かが席から立ち上がった音がした。
「いや、まだチャンスはあるだろ。後ろの方の扉だ」
そう言ったのは、西尾だった。
さっき俺が開こうとしたのは教室の前方の扉で、西尾は後ろの扉を開けるつもりだ。
だけど、嫌な予感しかしなかった。
西尾の足音がどんどん離れていく。
「も、もうやめなよ西尾!絶対これは誰かが仕組んでるよ!扉に触るとビリビリするなんて、可笑しいから!多分、皆をここから出さないようにしてるんだよ!だから、後ろの扉だって……」
江川がそう言いかけたその時だった。
思わず耳を塞ぎたくなるような西尾の悲鳴が、教室に響いた。
「西尾!?」
「だから言ったじゃん!」
驚いたような声を上げる松下と呆れた様子の江川。
やはり西尾も、俺と同じようなことになった。
床に尻餅をついた状態の彼を江川が起こすと、
「何なんだよ……これじゃ、無理矢理扉をこじ開けることすら出来ねぇよ……」
と悔しそうな声で西尾は言った。
これはもう、誰かが仕組んだこととしか言いようがない。
しかし、一体誰が何のために、こんなことをしたのだろうか。
笠原を恨んでいる?
いや、それなら笠原が一人の時に彼女に危害を加えるだろう。
だとすると、俺達8人に恨みを抱いているのだろうか。
頭の中で必死に物事を整理していると、重要なことに気付いた。
俺達は大事なことを忘れていたのだ。
俺は席に着くと、口を開いた。
「皆も思ったかもしれないけど、もうこれは絶対誰かが仕組んでる」
「うん。私もそう思う」
「それ以外考えらんないよ」
俺の言葉に、賛同する萩野と江川。
西尾達は反応を示さないが、否定する様子はない。
「もうここは、仕組んだ奴を見つけるしかないと思うんだ」
「でも、教室には私達以外いないんだよ?仕組んだ人はきっと廊下とか別の教室……それか、もう帰ったかもしれないし。どちらにしろ、見つけるなんて不可能だよ。私達は教室から出られないんだから」
萩野の声に、俺は間を開けて答える。
「……仕組んだ奴なら、ここにいるだろ?」
その言葉に、皆は一瞬唖然としたが、俺が言ったことをすぐに理解出来たようだ。
「ここにいる……ってまさか、俺達に中に?」
驚きを隠せない大槻の声に、俺は頷きながら答えた。
「そうだよ」
「そんなの、有り得ないわよ!何で私達の中に……大体、何でそんなこと思ったのよ」
信じられないという雰囲気の松下。
「俺だって、そんなの思いたくもなかった。だけど、俺達は1つ重要なことを見落としていたんだ」
「重要なこと?」
名取が言う。
「大槻が【犯人探し】を企画した時、教室には俺達しかいなかった。だから、【犯人探し】をすることは俺達しか知らないはずだ」
「でも、誰かがこっそり聞いていた可能性もあるわよ?」
松下の意見に、俺は首を横に振りながら言った。
「でも、日にちや場所は俺達8人のLINEグループで決めたから、グループ以外の奴が、俺達が今日夜の学校にいることを知らないんだ」
そこまで言うと、大槻が口を開いた。
「へぇ……なんか段々複雑になってきたね」
「……他人事みたいに言わないでよ」
苛々した様子を隠そうともしない松下の声。
「ごめんごめん。だけどさ、俺思ったんだ。もしかしたら、小倉を殺した事件と何か関連性はないかな、って。例えば、俺達を教室に閉じ込めた奴が、小倉を殺した犯人と同一人物とか」
「同一人物……?」
真っ先に反応を示したのは、江川だった。
「そう、同一人物。大体、よく考えてみて。小倉は誰かに殺されたんだよ。自ら命を絶ったわけじゃない」
俺は時々、小倉は誰かに殺されたのではなく、自殺したと思い込むことがあった。
勿論、すぐに本当のことを思い出すが。
しかし、小倉が亡くなったことを知った時、俺は最初は自殺だと思ったので、他殺と聞いた時はすごく驚いた。
そう思ったのは、俺だけじゃないはずだ。
「殺された小倉は、もともとこのグループだった。そして、今度は俺達を狙っている。その犯人は俺達の中に……」
俺は独り言のようにぽつりと呟く。
大槻の同一犯説はまさかとは思ったが、段々納得していく自分がいた。
最初に狙われたのが小倉。
そして、その数日後に笠原が突然死し、俺達は教室に閉じ込められるという不可思議な状況に陥る。
彼と俺達の共通点は、このグループの一員であることだ。
小倉の場合は、過去形だが。
もしかしたら、犯人は小倉を含めた俺達のグループ全員を殺すつもりなのだろうか。
となると、俺達は……。
「……殺される」
同じことを考えているのか、萩野がそう呟いた。
「殺される?」
彼女の言葉に、素早く反応したのが名取だった。
「うん。同一犯だとしたら……小倉君に笠原さん、そして今度は私達の中から誰かが……」
「俺も今、同じことを思ったんだ。小倉と俺達の共通点は、このグループのメンバーの一人であること。小倉は【だった】という形になるけどな」
俺がそう言うと、今度は西尾が口を開く。
「だけど、それだと犯人は何を考えてんだよ。いじめていた小倉と同じグループの俺達両方を殺すなんて……」
「狂った人間の考えてることなんてわからないわよ」
松下の呆れたような声。
「ちょっと待ってよ!皆本当に、二人を殺したのがこの中にいると思ってるの!?」
江川は慌てたような声でそう言った。
「だってなぁ……俺達が今ここにいることは、俺達しか知らないんだろ?」
「逆にグループ以外の人間が二人を殺したとも考えにくいしね」
西尾と大槻の言葉に、無言になる江川。
俺は軽く目を閉じながら、皆の意見に耳を澄ませる。
本当に、この中に……?
自分から言い出したことだが、俺は正直この中に犯人がいるなんて考えたくない。
しかし、大槻が言ったように、グループ以外の奴が殺したとも考えにくい。
疑心暗鬼にはなりたくないが、どうしてもこの中に犯人がいるという気持ちが消えない。
「もうさぁ、いっそ話し合い続けない?」
「え?」
突然の大槻の意見に、全員が目を丸くした。
「どうせこの教室から出られないのなら、俺達で探そうよ。狂った殺人犯を」
「探してどうするのよ?」
「それは見つかってからだよ。このままだと、俺達は全員死ぬかもしれない」
「死ぬって……笠原みたいに?」
俺は恐る恐るそう質問した。
もし彼女が毒死だった場合、俺達も同じように気付かないうちに、毒を摂取してる可能性がある。
そしたらもう、手遅れだ。
「わからない。まず、笠原の死因すらハッキリしてないからな」
すると、松下が溜め息混じりの声で言った。
「そうねぇ……この暗闇じゃ、仮に誰かがナイフで襲ってきても、誰だかわからない。誰かさんが言った【暗くした方が良い】ってこういう意味だったのかな」
彼女の言葉には、明らかに棘があった。
その言葉に、
「……まさか、俺を疑ってるつもり?」
と、低い声で返す大槻。
「別に、大槻だけじゃない。犯人が私達の中にいるってわかってから、私はここにいる全員を疑ってる」
松下の言葉に、俺は愕然とした。
疑うのも仕方ないかもしれないが、そんな風にはなって欲しくなかった。
「でも、犯人がこの中にいるって確定したわけじゃないでしょ?」
名取が言う。
「でも、犯人はこの中にいるとしか考えられないのよ」
「だからって疑うのは……」
「うるさいわね、沙也。もしこの中に犯人がして私が殺されたら、どうしてくれるのよ」
苛立った松下の口調に、それ以上は何も言おうとしない名取。
「……私は大槻君の意見に賛成かな」
険悪な空気の中、おずおずとそう言い出した萩野。
「萩野も、この中に犯人がいると思ってるのか?」
そう思うと、なんだか悲しくなった。
しかし、彼女は、
「全く思ってないと言ったら、嘘になるけど、私は皆を疑いたくない。でも、このままじゃ埒が明かないよ。それなら、私はこのまま一人一人が、小倉君に関する話を皆に話した方が良い気がする。どうせ、ここから出られないし」
と言った。
萩野の言葉に、反対する者はいなかった。
一人一人が話すので時間はかかるが、それが一番適切な気がしたからだ。
不謹慎かもしれないが、なんとなく俺は安心してしまった。
「……じゃあ、私から話してもいい?」
遠慮がちにそう言ったのは、意外にも名取だった。
反対する理由もないので、皆が彼女の次の言葉を待つ。
俺は笠原の時のように、目を閉じた。
そして、想像をする。
彼女がこれから話す出来事を___
私は昔からよく、「カッコいいね」とか「イケメン系女子」など、友達から言われていた。
最初はあまりよくわからなかったが、女子なのに173pもある身長や声が低めということで、そう呼ばれていることを理解した。
女子としては、正直複雑な心境だが。
そのせいか、私は高校が決まると同時に短くしていた髪を伸ばすことにした。
入学した時は、まだ肩につくくらいの長さだったが、その髪を褒めてくれたのが里奈だった。
私と里奈はすぐに仲良くなり、彼女の幼馴染みである大槻とも交流を深めることが出来た。
そして、その彼と仲の良い西尾とも。
いつしか、3人と行動することが多くなったが、私はまだこれから起こることなど、全く知らなかった。
「ねえ、沙也。最近、彼奴ウザくない?」
「え?」
里奈がそう言い出したのは、入学式から1ヶ月ほど経ったある日の放課後だった。
教室には私と里奈以外、誰もいないため、私は彼女の言葉について、普段の声で質問する。
「ウザいって……あと、彼奴って誰?」
すると、里奈は、
「江川莉子」
と、溜め息をこぼしながら言った。
江川さんは、少し空気が読めないところがあるが、天真爛漫でとてもパワフルな子だ。
そんな彼女に、一体何の不満があるのだろうか。
「江川さんがどうかしたの?」
「彼奴、調子乗ってない?でしゃばりすぎでしょ」
私はその言葉を聞いて、何故かショックを受けた。
里奈は当初、すごく気が利いて優しい子だった。
しかし、こんな風に誰かの悪口を言ってるところを見て、【そんな子だったんだな】と、呆れと悲しみが混じりあった気持ちになった。
そんな私とは正反対に、悪口を続ける里奈。
「私より成績も外見も劣っているくせに、クラスの人気者なんて、絶対可笑しいわよ。沙也もそう思うよね?」
私に同意を求める彼女の目は、言葉に表せないくらいの迫力がある。
私は思わず、鳥肌が立った。
「ちょっとさぁ……江川、シメちゃう?」
彼女は冗談のつもりで言っているようだが、私にはそう聞こえなかった。
額から嫌な汗が流れる。
「や、やめなよ。里奈……怖いよ。どうしちゃったの」
里奈は気が強いところがあったが、こんな風に誰かを嫌悪するようなところは初めて見た。
里奈はじっと私を、見据えると、
「冗談よ。てか、怖いって言われてもねぇ……これが常識だし」
と、溜め息をつきながら言った。
「常識って……」
「人間として常識よ。誰かが上に立って、その下では誰かが苦しんでいるの。スクールカーストってやつね。そして、私達四人はその上位かな」
微笑みながら話す里奈の目は、笑ってなかった。
スクールカーストというのは、何度か聞いたことがある。
しかし、中学の頃はあからさまに目立った上位や下位というのは、見たことがなかった。
私や里奈達は上位……。
確かに里奈や西尾は発言力は強いし、スペックも高い。
だが、私や大槻を含めたこのグループが、カーストの上位だということを、一度も意識したことがなかった。
そもそも、このクラスにカーストがあること自体、私は知らない。
自分の鈍感さに、呆れてしまった。
「じゃあ、江川さんはどうなの?そのカーストの上位、下位とやらは」
「江川は上位だと思う。グループは定着してないけど、人気はあるし」
自分から言っておいて、悔しそうな顔をする里奈だが、次第にその唇が吊り上がる。
「でも、ちょっとした出来事で下位に落ちることだってある。上位に行くことは難しいけど、下位に落ちるのはすごく簡単なの」
彼女の一言一言が、私に嫌な現実を突きつける。
これが里奈の思い込みであることを願うしかなかった。
そして、それから約1年が経った。
この1年間は、特に目立った問題はなかったが、初めてカーストというものを実感した気がする。
里奈のようなリーダー的な存在の人達と、比較的大人しい人達には、見えない壁がある。
そして、その壁を壊すことは不可能に近い。
壁を壊そうとすれば、皆から異端者と見なされ、蔑まれる。
文字には書かれていないルールが、教室には存在していたのだ。
「あぁ……桜餅食べてぇ」
ぽつりと隣の席から声が聞こえてきた。
そう呟いたのは、江川さんだ。
彼女は、窓の外の綺麗に咲き誇る桜を眺めていた。
彼女の声で、今は授業中だということを思い出す。
私はシャーペンを握り直して、黒板に視線を向けたが集中出来ず、江川さんをちらりと見る。
結局、彼女は里奈から標的にされることはなかった。
そのことでホッとしたのもつかの間、2年に進級しても、私達四人と江川さんは同じクラスだった。
いつ彼女が里奈から反感を買われて、嫌がらせされるかわからないと思うと、ヒヤヒヤした。
ただ、少し去年とは変わったところがある。
私達のグループに、光貴が加わったのだ。
西尾と仲良くなったのがきっかけらしい。
私は基本男子を名字で呼んでいるが、彼からは「名前で呼んで」と言われたので、光貴と呼んでいる。
ただ、江川さんみたいに色んなグループと仲が良いので、確実にこのグループに定着したわけではないが。
そこまでは、良かった。
良かったのに。
あの日……。
知花がこのグループに加わった日から、変化が訪れた。
いたって普通の光景だった。
友達とわいわい談笑しながら、教室でお昼を食べる。
端から見れば、異常ではないだろう。
しかし、今日は少し違っていた。
いつもは友村さん達と一緒にいる笠原知花が、私達のグループに混じり、お昼を食べているのだから。
「私、知花と仲良くなったんだ。グループに入れてもいいよね?」
今朝、突然言われた里奈の言葉を、思い出す。
西尾は知っていたようだが、何も知らない私と大槻は目を丸くした。
笠原さんは比較的大人しく、容姿や成績も良くも悪くもない、地味な子だ。
そんな笠原さんと里奈が仲良くなる接点など、あるのだろうか。
私は不思議で仕方なかったが、詮索はしなかった。
そうすれば、面倒な事態を引き起こすかもしれないからだ。
しかし、笠原さんに対して不思議な気持ちを抱いているのも、最初だけだった。
笠原さんは大人しい性格だが、良い人だということがわかった。
優しくて気配りが出来るし、困ったことがあれば、いつも助けてくれた。
そんな彼女ともっと関わりたいと思い、彼女に「名前で呼んで」と頼んだ。
最初は戸惑いの様子を見せていた彼女は、徐々にこのグループに馴染んでいった。
しかし、里奈と西尾が知花をパシるようになったのだ。
知花は嫌な顔一つせず、彼等の言いなりになっているが、私は彼女を助けたかった。
でも、私はそれが出来なかった。
いくら付き合いが長いとはいえ、知花を庇えば、今度は自分が標的にされかねない。
それが怖かった。
そして、そんな自分が嫌いになった。
そんなある日、二人のクラスメイトがこのグループに入った。
一人目は、萩野真帆。
知花と同じく、大人しくて地味な雰囲気の子だ。
里奈曰く、彼女とも仲良くなったため、このグループに入れたらしい。
しかし、二人目の人物には、流石に驚きを隠せなかった。
何故なら、それは里奈が嫌っていた江川さんだったのだから。
私は里奈に、何故彼女をグループに入れたのか、訊いた。
しかし、返ってきた答えは「気まぐれ」だった。
それで納得するわけがなかった。
私は江川さんにも入った理由を訊いたが、「なんか楽しそうだから」と言われた。
段々、よくわからなくなってきた。
このグループが。
この中に、嘘が混じっていることは、なんとなくわかった。
しかし、どれが嘘でどれが真実か、判別出来ない。
私はグループを抜け出したくなるほど、このグループが嫌になった。
そんなある日、転機は突然訪れた。
小倉君が転校したきたのだ。
西尾と昔友人だった彼は、すぐに私達のグループに馴染んだ。
第一印象は優しそうな人だったが、西尾の友人と聞いて、少し不安になったこともあった。
しかし、穏やかで人を気遣える性格だということが段々わかってきた。
だから、温厚な彼が西尾と対立した時は、驚いた。
でも、それは知花を助けるためだと理解すると同時に、自分が情けなくなった。
知花と彼はあまり接点がなかったが、それでも小倉君は躊躇いなく、西尾に歯向かうような発言をした。
それに比べ、私は自分を守るために、知花を助けなかった。
それがすごく悔しい。
その思いは、小倉君への嫌がらせが始まってから、さらに強くなった。
最終下校時刻間近の教室には、誰もいなかった。
委員会で遅くなった私は、自分の机の方へ行き、帰り支度を始めた。
ちらりと、小倉君の席を見る。
里奈と西尾の彼に対するいじめは、陰湿だった。
証拠が残らないように、物を壊したり暴力は振るわないが、些細なことでからかったり、無視したりなど、精神的に苦痛を与えていた。
私は一度、里奈と西尾を止めようとしたが、手遅れだった。
溜め息をつくと、机に突っ伏す。
「あぁ……もうやだ。悔しい……悔しい!悔しい!!」
次第に大きくなっていく私の声。
「めんどくさい……」
めんどくさいというのは、本心だった。
里奈や西尾みたいな気が強い人よりも、知花や小倉君みたいな人達といた方が楽しいのかもしれない。
その事実からずっと目を背けていたが、もう限界だった。
日に日に、ストレスが溜まっていったのだ。
私も気付かないうちに。
「もう……何もかも壊したい」
そう呟いたその時だった。
後ろから、足音が聞こえたのだ。
「誰!?」
振り返ると、そこには大槻がいた。
私の存在に、驚いた様子はなく、悠然とそこに立っている。
「何でここに?」
「忘れ物」
それだけ言うと、彼は自分の机から雑誌を取り出し、それを持っていた鞄に入れた。
私には一瞥もくれず、教室から出て行こうとする彼を、私は呼び止めた。
「待って」
「ん……?」
気だるそうな返事をする大槻。
その目は【早く帰せ】と示しているように見えたが、構わず私は言った。
「大槻はどう思ってるの……?」
私はずっと疑問に思っていた。
大槻について。
彼はこの件に関しては、あまり興味がない、まるで自分には全く関係ないという様子だった。
何故、そんな態度がとれるのだろうか。
怒りや呆れという感情ではなく、純粋に気になっていた。
「どう思ってるって、何が?」
「とぼけないで」
すると、彼は溜め息をつくと、じっと私を見据えた。
「仕方ないと思ってる」
「え?」
「確かに、気に食わないって理由で嫌がらせをする二人もどうかと思うけど、小倉も小倉だね。彼奴は、純粋すぎたんだよ」
「純粋すぎた?」
「そう。西尾に歯向かえば、自分に牙が向くことを気にせずに、知花達を助けた。それは少し尊敬したけど、呆れたよ。他人のために、そこまでするなんて」
彼の言葉に、私は首を傾げた。
笠原【達】……。
知花が二人から嫌なことをされていたことは知っているが、他にもまだいるのだろうか。
「小倉君って知花以外の人も、助けたの?」
私の言葉に、頷く大槻。
「萩野と江川だよ」
二人の顔が、脳裏に浮かび上がる。
彼女達も、二人から嫌なことをされていた?
何故、3人は里奈と西尾からそんなことを?
新たに生まれてくる疑問が、私の頭の中をぐるぐると回る。
それらを全てかき消したのは、大槻の言葉だった。
「結局、自分が一番なんだよ」
「え……」
「助けたいって気持ちはあるけど、結局は自分を守るために、見て見ぬふりをする。名取はそんな感じだよな」
図星だった。
私は何も言えず俯くと、彼は再び口を開いた。
「俺は助けたいとか、そういう気持ちは薄いけど、松下が正直心配」
「二人は幼馴染みなんだよね」
「……物心ついた時からな。昔はあんな奴じゃなかったけど。多分中学の頃に色々あったんだと思う」
そこまで言うと、彼は口を閉じた。
中学……。
そういえば、里奈から中学時代の出来事は一度も、聞いたことがない。
そして、家庭のことも。
「大槻は何か知ってる?」
「知ってる。でも、知ってどうすんの。もう、松下は性格が変わったんだよ。元に戻したくても、もう出来ないんだよ……」
その言葉には、悔いているような気持ちが含まれているような気がした。
この時、私は直感した。
私から背を向け、教室から出て行こうとする彼に、私は言った。
「大槻は……里奈のことが好きなの?」
私の言葉に、彼は一瞬足をぴたりと止めたが、静かにその場を去った。
「これくらいかな……話すことといえば」
名取はそこまで言うと、俺は彼女の話を頭の中で整理した。
俺は1年の頃は、彼等とは違うクラスだったので、その時の真偽は知らないが、特には違和感は感じない。
ただ、助けたいが結局は自分を守ってしまう、という気持ちに強く共感した。
俺もいじめたくていじめたわけではないが、結局は彼を助けることは出来なかった。
今更、そのことに後悔しても遅いが。
「そっか……」
江川のその声には、どのような感情が含まれているのだろうか。
「私の次は、誰が話す?」
間を開けて名取がそう言った。
その時だった。
ザシュッという奇妙な音が聞こえたのだ。
それと同時に、
「え……?」
と驚いたような声を漏らす名取。
「名取?どうしたんだ?」
隣の席の名取に声をかけるが、返事は返ってこない。
嫌な予感がした。
すると、俺の膝の上に重たい【何か】が落ちてきた。
ごくりと唾を飲み込むと、俺はそれに触れた。
それはサラサラとした髪の毛だった。
さらに別の場所に触れてみると、それは……人間の肌。
声を上げることも出来ずに、さらに触れると、それは服だった。
この上着やシャツ、胸元に付けてあるリボンの触り心地はまさか……うちの学校の制服?
次の瞬間、シャツの辺りから生温い液体に手が触れた。
すると、鉄のような臭いが感じられた。
額から流れる汗と込み上げてくる吐き気とは裏腹に、俺はさらにその辺りに触れる。
すると、【固い何か】に触ると同時に、人差し指と親指にちくりと痛みを感じた。
まるで、それに刺さったかように。
細心の注意を払いながら、それに触れると、それはシャツ……その人間に深々と刺さっていた。
その瞬間、俺は全てを理解すると同時に、悲鳴を上げた。
「うわあああぁぁ!!」
パニックになり、【それ】を膝から払い除けると、俺は席から立ち上がり、見えない教室の壁を目指して走った。
「どうしたんだ!?」
「光貴!?」
彼等の声など聞こえなかった。
赤い液体で濡れた俺の手が、あの生々しい感触を忘れさせない。
堪えていた吐き気が抑えられなくなり、俺はしゃがみながら壁に手を付くと、その場で吐いた。
苦しくて涙が出てくるが、吐き気が止まらない。
吐くものがなくなり、呼吸を整えると、
「名取が死んでた……」
と静かに言った。
「え!?」
驚愕したような声を上げる松下。
「ナイフで刺されてた……」
そう言うと、俺は近くにあった席の椅子に頭を置いた。
あれは彼女の死体だった。
刺さった瞬間、俺の膝の上に倒れてきたのだろう。
しかし、一体何故……。
笠原に続き、今度は名取まで……。
連続して二人が死んだのなら、笠原はきっと犯人に毒などで殺されたのだろう。
名取は毒などではなく、ナイフで刺されていた。
しかし、どうやって?
名取は席についていて、刺されたのは心臓の辺りだ。
刺すには一度立ち上がるため、床から音がするだろう。
しかし、刺される直前に床から音など全くしなかった。
それが不思議だった。
そして、凶器のナイフ。
これがこの中に犯人がいるという徹底的な証拠となった。
「やっぱり……この中に犯人がいる」
俺は独り言のように呟いた。
「何でそう言い切れんの」
苛々したような声でそう訊く江川。
「ナイフだよ。笠原なら、グループ以外の人間が、事前に毒を摂取させて殺したっていう考えも出来るけど、今回はナイフで刺されてたんだ。今、この空間には俺達しかいない。俺達以外に誰が名取を殺したっていうんだ?」
「……マジかよ」
俺の説明に、西尾が驚愕する。
「ていうか、思ったんだけどさ」
大槻が言う。
「何で二人とも、小倉について話した後に死んでるんだろうな」
「あ、それ私も思ったよ」
大槻の疑問に同意する萩野。
確かに、二人とも小倉について話した後、殺されている。
「それは偶然じゃないの?そうなると、ますます犯人の意図がわからなくなるわよ」
そう言ったのは、松下だった。
確かに、そうなると余計に犯人の目的がわからなくなるが、それは本当に偶然なのだろうか。
「でも……」
「流石にないって」
萩野が反論しようとしたが、反対する松下。
「なら、次は松下が話せば?」
そう言ったのは、大槻だった。
「な、何でよ……」
ひきつったような声を出す松下。
「偶然だと思うなら、話してよ。それで死ななかったら、その意見に納得出来るし」
「死ななかったらって……」
松下を追い詰めていく大槻。
その様子を見るに耐えなかったのか、
「もう、やめなよ!大槻!」
江川がそう言った。
しかし、大槻はそれを止めない。
「話して、って言ってるだろ。何のために、今日ここに集まったんだよ」
大槻の声には、僅かな苛立ちが感じられた。
「……嫌よ!もし大槻の予想が当たって死んだら、どうすんのよ!」
松下の叫び声。
「とにかく私は話さない!」
そう松下が言った瞬間だった。
彼女の悲鳴が、教室に響いたのだ。
「い、痛い……」
消え入りそうな声で言う松下。
「何があったの!?」
江川が言う。
「足が……痛い……」
俺は彼女の方へ歩み寄る。
声のする方へ近付くと、彼女は床に座っていることがわかった。
「ちょっとごめんな」
そう言うと、俺は彼女の足に触れた。
ふくらはぎ辺りに触れると、俺の手が止まった。
さっき、名取の時と同じように、固いものに触れていたのだ。
「ナイフが刺さってる……」
「え!?」
刺さった本人よりも、先に反応したのは萩野だった。
「抜いちゃダメだよね?」
「そうよ……浅いから良かったけどね」
松下の言葉に、俺はホッと胸を撫で下ろした。
「……でも、何で今度は怪我なんだろうな」
「もしかして……」
大槻がぽつりと呟く。
「犯人は、小倉について話して欲しいんじゃない?」
「え……?」
彼の言葉に、俺は目を見開いた。
「今、松下が話すことを拒否した瞬間、怪我をした。もしかしたら、犯人はそうさせる……皆から話を聞きたいと望んでいることを俺達に伝えたいのかもしれない。だから、話そうとしない松下を使って、こうしたのかもしれないな。殺したら話せないから、あえて浅い傷で怪我をさせたんじゃない?生かさず殺さずってところかな」
「……でも、話したら話したで、二人は殺されたんだよ?」
萩野の言葉に、
「その理由まではわからない。犯人が俺達を殺す目的がわからない限り、それを知ることは難しいと思う」
と言った。
「じゃあ、私はどのみち殺されるってこと!?」
「……さあね。でも、話した方が身のためだと思うよ」
「身のためって……」
「自分が言っただろ。【偶然】だって。だったら、自分の言ったことを信じなよ」
大槻の発言に、言葉に詰まる松下。
「……わかったわよ。話せばいいんでしょ、話せば」
彼女は、やり投げな様子でそう言う。
雷と雨は、いつの間にか止んでいた。
私には、幼馴染みがいる。
生意気で冷静な性格の彼とは、物心がついた時からの付き合いだ。
親同士も仲が良く、毎日のようにお互いの家に遊びに行った記憶がある。
小学校高学年になると、彼は可愛かった容姿が大人っぽくなり、端正な顔立ちが目立つようになった。
生意気な性格は変わらないが、心根は良い奴だし、付き合っちゃおうかな、と冗談だが思ったこともあった。
そんな彼がすごく憎くなったのは、中学からだ。
もともと私は勉強が得意なため、親は私にテストで学年一位を取れと言っていたが、結果は惜しくも毎回二位だった。
そして、いつも一位を取っていたのは彼だった。
彼は確かに頭が良いことは知っていたが、自分を追い抜すほどの学力の持ち主だということなど、全く知らなかった。
成績にうるさい親は、私に対して失望した。
それが悲しくて悔しくて、もともと負けず嫌いな性格の私は、怒りを彼に向けた。
あの余裕そうな態度が嫌い。
私の方が努力したのに。
口には出さなかったが、私の感情は彼への憎しみでいっぱいだった。
授業中は居眠りし、放課後は友達とどこかへ遊びに行く彼が、どうして私よりも頭が良いのだろうか。
彼は私が自分を敵視してるなんて、思ってもみたいだろうと思うと、悔しくて仕方なかった。
高校は、彼と同じ学校を選んだ。
親からはもう少しハイレベルな学校に行けと言われたが、高校こそ彼に勝つために、と親の反対を押し切り、願書を出した。
無事に私達は合格。
そして、今日は高校の入学式だった。
鏡の前には、新しい制服に身を包み、ナチュラルメイクを施した自分が映っている。
茶色のブレザーに赤いリボンとチェックのスカートが目立つ制服を着ており、腰まで伸ばしていた髪を胸元辺りまで切った自分は、まるで別人だった。
高校での目標は、2つある。
1つ目は、テストで彼に勝つこと。
そしてもう1つは、スクールカーストの上位に位置することだ。
入学式が終わり、教室まで戻る間、私は同じクラスの女子をちらりと見た。
もう既に友達やグループが出来上がっている子もいるが、声をかけようかかけまいか迷っている様子の子も何人かいる。
まずは、友達作りが大事だ。
初対面の場合、その子の性格などはわかりにくいが、そのぶん容姿が優れている方が良い。
渡り廊下にさしかかった時、一人の女子に目が留まった。
肩の辺りまで伸ばした艶のある髪と、切れ長の目、170p以上はありそうな身長が特徴的な子だ。
髪をもう少し短くしてズボンを履けば、男子にも見えそうだ。
彼女もやはり誰かに声をかけようとしているのか、仕草が落ち着かない。
私は彼女の背中を、優しく叩いた。
「ん?」
驚いたような表情をしながら、私の方を見た。
「髪、綺麗ね」
私は、彼女のサラサラな髪を指差した。
すると、彼女は顔を綻ばせながら、
「あ、ありがとう」
と言った。
低めだが色気のあるその声に、こういうのをイケメン系女子と言うのだろうか、と思った。
ほんの少ししか会話をしていないが、見たところ悪い人ではなさそうだ。
「名前、なんて言うの?」
「名取沙也」
名取沙也……か。
私は頭の中で、彼女の名前を復唱しながら覚える。
「私は松下里奈。よろしくね」
そう言うと、彼女は徐にブレザーのポケットから、スマホを取り出した。
「こちらこそよろしくね。松下さんって、LINEやってる?」
最初は少し驚いたような様子の彼女だったが、徐々に自分から話し出した。
「やってるわよ。あと、【松下さん】じゃなくて、【里奈】って呼んでね」
そう言うと、私もポケットからスマホを取り出し、お互い連絡先を交換し合った。
小学生の時は、まだ私は純粋すぎたのかもしれない。
打算的な友達作りなんて、考えてもいなかっただろう。
中1の時、私は初めてスクールカーストというものに直面した。
幸い、私はクラスの中心的なグループに所属していたため、嫌な思いをすることはなかったが、友達作りに失敗していれば、大変だったかもしれない。
中2からは常に相手の容姿やスペックなどを意識して、友達を作るようになった。
そのため、友達に対して不愉快だと思うことが多くなったが、その時はTwitterの裏垢に悪口を書いたりして、なんとか堪えた。
スクールカーストの上位中の上位にいれば、気に食わない人をハブることも可能だが、中学の時は上位の中でも、中位くらいの方に位置していたため、それは出来なかった。
だから、高校ではもっと上に行きたい。
中学では見れなかった景色を見たい。
だから、協力してよね。
___沙也。
入学式から1週間経った。
一応、沙也以外の人とも交流したり、連絡先を交換したりなどしたが、私は沙也といることが多かった。
この日も学校が終わると、二人でファストフード店に行った。
席に着くと、私はアイスコーヒーを持ちながら、口を開いた。
「ねえ、沙也。私、本当に沙也と仲良くなれて良かったよ」
突然の私の言葉に、目を丸くする沙也。
「な、何突然」
驚きながらも満更でもない顔をする彼女に、私はにんまりと微笑んだ。
「別に、深い意味はないよ?ただ単純に、そう思っただけ」
この言葉に、嘘はなかった。
沙也のスペックは予想以上だった。
入学してすぐに実施した学力テストでも上位だったし、運動神経は男子も顔負けレベルだった。
コミュ力も人並みにはあるし、スクールカーストの上位をともに目指す人材には、最適だった。
ただ、彼女には1つだけ欠けてるものがある。
それは、上位に行きたいという欲望だ。
彼女は勿論、私がカーストの上位に行きたいという思いを知らない。
こちらが勝手に、一緒に上位へ行く相手として選んだのだから、仕方ないことかもしれないが。
でも、上位に行ってもデメリットなどないはずだ。
私はもう決めたのだ。
彼女と一緒にカーストの上位を目指すと。
しかし、カーストの上位が二人だけでは寂しい。
ならば、仲間を増やしてみればどうだろうか。
そう思い、この1週間、私はカーストの上位にぴったりな人物を探していた。
そんな中、私が仲間に入れようと思ったのは、西尾君だった。
容姿は良く運動神経抜群で、明るい性格の彼なら、そのうちクラスの中心人物になるだろうと予測したからだ。
しかし、彼をグループに入れるには、1つだけ欠点があった。
「あれ、松下と名取じゃん」
後ろから名前を呼ばれ、びくりと振り返る。
すると、そこには西尾と……大槻がいた。
そう……。
西尾は大槻と仲が良いため、彼をグループに入れる際は、必然的に大槻もグループ入りすることになるのだ。
「隣、良かったのか?」
買ってきたものをテーブルに置きながら、沙也の隣の席に座る西尾。
それと同時に、私の隣の席に着く大槻。
「どうぞどうぞ」
私はそう言うと、大槻をちらりと見た。
クラスは同じになったが、それぞれ新しい友達と一緒にいることが多いため、話すことは少なくなったけど、私はこれくらいの距離に満足している。
中学の時よりも、彼に対する憎しみは薄れているが、それでも彼に対抗している気持ちは変わらない。
大槻はスペックだけなら、完璧だった。
だが、ライバル視している彼をグループに入れることは癪だし、ほどよい距離が再び近くなるだろう。
しばらく葛藤していると、
「松下って大槻と幼馴染みなんだよな」
と、西尾が言った。
「そうだけど」
「お前らって付き合ったりしないのか?」
突然の質問に、私は目を見開いた。
確かに、昔はあくまで冗談だが、付き合ってみようかな、と思ったこともあった。
しかし、今はただの幼馴染みとしか見れなくなっていた。
「この恋愛脳が」
真顔でそう返す大槻。
「失礼だなー。でも、付き合ってることは否定してないし、もしかして……」
「断じて違うわよ」
私は西尾に冷たい視線を送りながら、そう言った。
すると、彼は苦笑しながら、
「なんかお前ら二人って冷めてるよな」
と言った。
「どういうことよ」
「なんとなく」
そう言うと、西尾は鞄からスマホを取り出した。
「松下、名取、連絡先交換しないか?」
「うわ、早速ナンパしやがった」
「違うわ!」
「でも、誤解されても仕方ないかもね。なんか西尾ってチャラそうだし」
「ひでぇよ、名取」
ポテトをつまみながら、3人の会話を聞くと、私の中にある思いが芽生え始めた。
このまま四人グループが成立してもいいかもしれない。
大槻のことはなんだか癪だが、特に問題があるわけではない。
それに、西尾は発言力もありそうなため、こちらが目指さなくても、自然とカーストの上位になれるかもしれない。
彼はかなり頼もしい存在だ。
私はポケットからスマホを取り出すと、
「いいよ。交換しよ」
と言った。
それ以来、私は四人で行動することが多くなった。
そして、私の予想通り、グループが全て出来上がる頃には、私達のグループはカーストの上位中の上位にいた。
しかし、そのことに満足したのも束の間、私に不快感を与える人物が現れた。
それは、江川莉子だ。
くじ引きで決めた5人メンバーで、公民の調べ学習をするということになり、同じ班になったのが彼女だった。
「で、どうすんの?」
同じ班の女子が、苛々したように言う。
テーマが決まれば、図書室に行って調べるという流れになっているが、私達の班はテーマがなかなか決まらず、焦っていた。
私は全員の意見に耳を傾けながらも、教科書や資料集を参考にしながらテーマを考えていく。
すると、私は名案が閃いた。
「日本の観光地や歴史をピックアップするのはどう?皆が知ってる名産品をより深く調べれば、読みやすくなるし」
「いいな!」
「それにしよ!」
私は満足そうに頷いた。
自分の意見に賛成してくれていると思うと、気分が良い。
私は図書室に行こうと、席から立ち上がったその時だった。
「えー、それじゃつまんなくない?私だったら、そんな記事すぐに飽きちゃう」
そう言ったのは、江川だった。
私は彼女の顔を凝視する。
「な、何よ……」
「だから!そんなんじゃ、つまんないって。皆もテーマが決まらないからって、松下の意見に妥協しちゃダメだよ」
妥協……?
私は他の3人を見ると、彼等は気まずそうに視線を落とした。
まさか3人は、仕方なく私の意見に賛成していたのだろうか。
「だったら、あんたは何か良い案があるの?」
「ない」
彼女の返答に、私は思わず目が点になった。
「はぁ!?」
「でも、仕方なく決めるのも嫌なんだよなぁ。ほら、どっかのアイドルさんも言ってたじゃん。妥協したら死んだようなもんだ、って」
「……」
これが、私と彼女の最悪な出会いだった。
彼女は、クラスメイトからの支持が厚かった。
クラスメイトから聞くと、サバサバとした男勝りな性格で、空気が読めないところがあるが、そこが良いらしい。
私には全く理解できなかったが。
沙也に彼女のことを愚痴るようになると、次第に彼女をハブりたいという願望が出てきたが、私はそれを抑えた。
彼女はクラスの人気者であるため、下手に嫌がらせなどをしたら、私の地位も危うくなるからだ。
それでも、上位から見る景色を堪能出来た。
そして、私は2年になっても、必ず上位になることを決意した。
階段を上り、自分の部屋のドアを開ける。
エアコンのスイッチを押し、通学鞄を乱暴に床の上に置くと、私はベッドに飛び込んだ。
目から出る液体が、シーツを濡らす。
「もうやだ……悔しい」
今日、一学期の期末テストが返された。
結果は、惜しくも2位。
またしても、負けたのだ。
大槻に。
高校こそ彼に勝つと決意はしたが、まだ一度も1位は取れていない。
もう高2だ。
卒業まであまり時間はない。
私は床に置いた鞄の中から、スマホを取り出した。
苛立ちと焦りが募るこの気持ちを吐き出さないと、発狂してしまいそうだった。
それをネットでも何でもいいから、ぶつけたい。
惨めだと思われても構わない。
とにかく、ストレスを解消したかった。
私は鼻を啜りながら、画面をスクロールしていく。
ふと、あるサイトに目が留まった。
「愚痴サイト……?」
愚痴を書き込み、それを投稿できるサイトらしい。
他の人の愚痴も閲覧出来るようになっている。
それらを閲覧すると、皆ストレス溜めてるんだな……と、どこか仲間のような感じがした。
しかし、とある人の書き込みを見た瞬間、私は目を見開いた。
【[752]投稿日:2017/7/2(12:54) 投稿者:C.K
本当、友達関係ってめんどくさい。オタクが嫌いってよく言うけど、Sみたいに悪口を教室とかで平気で言う人もどうかと思う。私がアニメが好きだなんて言ったら、どんな顔をするかな。好きなものを好き、って言えない自分も嫌になってきた。】
【C.K】【オタクが嫌い】【S】。
この3つのワードに着目すると、この愚痴を書き込んだ人物が思い浮かんだ。
「笠原知花……」
私はぽつりと、彼女の名前を呟いた。
笠原知花は比較的地味な子だが、何があったのか、クラスの人気者の友村紗代里と仲が良い。
紗代里とは、私とも何度か話したことがある。
そんな彼女は、オタクが大嫌いだ。
オタクに親でも殺されたのか、と思うくらい。
紗代里は、教室でオタクやそれ以外のことの悪口をよく言ってる。
そんな彼女を嫌っていたり、苦手とする人もいた。
笠原がそのうちの一人だとしたら……?
「ふ……ふふっ……」
自分の考えに思わず、笑みがこぼれた。
笠原がオタクかどうかは、この際どうでも良い。
問題は、紗代里のことを嫌っていることだ。
この書き込みを見たら、紗代里はきっと怒って、笠原を仲間外れにするだろう。
しかし、それをすぐに紗代里に言ったら、面白くない。
それに、笠原に対して嫌な気持ちを持っているわけでもないので、仲間外れになったところで、興味もない。
ならば、紗代里にはバラさずに、弱味を握るという形はどうだろうか?
出来れば、弱味を握られた彼女には、側にいて欲しい。
……ならば、グループに入ってもらおう。
そして、私の言う通りに動いてもらう。
少しでも違ったことをしようとすれば、弱味を翳し、再び私に尽くしてもらう。
「……最高じゃない」
自分でもわかるくらい、私の声は興奮していた。
しかし、まだ【C.K】が笠原だと確定したわけじゃない。
ならば、【C.K】という人物に近付いてみよう。
そして、【C.K】の詳しい境遇などを聞き出せば、本人だとわかるかもしれない。
【C.K】については、まだ推測だらけでわからないことがたくさんあるが、1つだけわかったことがある。
私は、遥かに楽しい玩具を手に入れることが出来るかもしれない。
「おはよう」
バレー部の朝練から帰ってきた沙也に、私は挨拶をする。
「おはよ……なんか里奈、すごい楽しそうだけど、何かあったの?」
「別に?」
訝しげに訊いてくる沙也に、私はなんてことないように返事をした。
普段と変わらない朝が、私にとってはとても楽しく感じられた。
視線を教室の前方にあるドアに移す。
すると、いつもの時刻通り、笠原はやって来た。
彼女が自分の席に着くと同時に、私はポケットからスマホを取り出した。
そして、愚痴サイトへと繋げる。
今から、私は【C.K】への返信を送るのだ。
本当は昨日返信しようと思ったが、私はそれをやめた。
笠原の様子を見たいのだ。
今から返信して、その後、笠原がスマホをいじっている途中に、明らかに驚いているような表情をしたら、私の考えは信憑性が高まるのだ。
だから笠原が朝、教室に来てから返信すると決めたのだ。
そのため、怪しまれない程度に、彼女を観察しなければならないのが面倒だが、笠原の弱味を握るためだと思えば、余裕だ。
私は昨日から考えておいた返信用の文章を、書き込んでいく。
打ち終え、読み直すと、【投稿】をタップした。
【[908]投稿日:2017/7/14(8:32) 投稿者:V.P
>>C.K
そんなことがあったんですね……。私も好きなものを友達に好きって言えないから、困ってます。お互い頑張りましょう。】
ハンドルネームは最初は、イニシャルの【R.M】にしようと思ったが、万が一のことを考え、名前の【里】と【松】から【V.P】にした。
一時間目と二時間目が始まる前はスマホをいじる様子はなかったが、三時間目が始まる前のことだった。
彼女がスマホを鞄から取り出したのだ。
私は次の授業の準備をする振りをしながら、彼女の様子をちらちらと見る。
すると、彼女はタップしていた手を止めると、目を見開いた。
その数秒後、彼女は何かを打ち込み始めた。
その指は、何かにとりつかれているんじゃないか、と思うくらい速く動いていた。
私はポケットからスマホを取り出し、愚痴サイトを検索する。
込み上げてくる期待を胸に、私は画面をスクロールする。
すると、予想通りあったのだ。
【C.K】からの返信が。
【[913]投稿日:2017/7/14(10:48) 投稿者:C.K
>>V.P
ありがとうございます。V.Pさんのお陰で、少し心が軽くなりました!】
スマホも教室の時計も、時刻は10時48分を示している。
【C.K】が返信した時間と全く同じ。
【C.K】はたった今、返信したということだ。
ちらりと、笠原の方を見る。
彼女はもう、スマホを手にしていなかった。
私の推測は、確信に変わった。
【C.K】の正体は、笠原だ。
しかし、一応まだ様子を見ることにした。
私は愚痴以外にも、彼女からは色々聞きたいことがあるため、チャットサイトへのURLを貼った。
私は、にやりと微笑んだ。
【ネットは嘘だらけ】という言葉は、本当だと改めて知った。
笠原に希望を与えた【V.P】の正体は、彼女の弱味を握ろうとしている私なのだから。
「スマホ見ながら、にやにやすんなよ。気持ち悪い」
声がした方に振り返ると、そこには西尾がいた。
彼の右手にはコーラが握られており、今は昼休みだということを思い出す。
「気持ち悪い、って失礼ね……」
そう言った時、私はハッとした。
私としては、笠原をグループに入れたい。
ならば、そのことをどうやって、3人に説明するかだ。
優しい性格の沙也には、全てを話したら、反対されそうだ。
大槻は……予測しにくいが、あまり良い顔はされないだろう。
だが、西尾はどうだろうか。
彼は一見、クラスを纏める爽やかな雰囲気の男子……に見えるが、実際はかなり腹黒い。
それは、私の想像以上だった。
自分の意見が通用しなければ脅すし、気に入らない人にはからかったりして、精神的苦痛を与えている。
そんな彼なら、私の計画に賛同してくれるはずだ。
「ねえ、西尾」
私は手招きをし、教室から出るように促した。
「何だ?」
私達は人のいない美術室前の水道場まで来ると、私は徐にポケットからスマホを取り出した。
「西尾……私ね、いいこと思いついたの」
「いいこと?」
私は愚痴サイトに繋げると、これまでの出来事を話した。
最初は戸惑った様子の彼だったが、徐々にその顔は悪意に満ちていく。
「マジかぁ……でも、いいな。面白そう」
「でね、問題は沙也と大槻にはどう説明するか、なの。西尾はどう思う?」
すると、西尾は考え込むように、腕を組んだ。
「そうだな……名取って結構、正義感強いタイプだから、話さない方が良いと思う。大槻も、彼奴は何考えてるかわからなくなる時がたまにあるから、黙っておいた方が良い」
「そうね……それなら、適当に【仲良くなったから、グループに入れることにした】って感じはどう!」
「いいな!なら、いつそれを笠原に言う?」
その質問に、私は数秒間を置くと、再び口を開いた。
「……夏休み明けはどう?どうせ学校もあと数日で終わるし。夏休み中に笠原とチャットするつもりだけど、そしたら、また新しい秘密を知ることが出来るかもしれないからね」
これらは、ただの口実に過ぎなかった。
本当の目的は、彼女を騙しているという快感に浸りたいだけだった。
「わかった。じゃあ、新学期で言おうな」
彼の言葉に、私はこくりと頷いた。
それからは、全て計画通りだった。
チャットでは、新しい秘密を知ることは出来なかったが、彼女はクラスであったことをリアルタイムで書き込んだため、完璧に【C.K】の正体が笠原だという証拠が出来た。
そして、新学期。
私達のグループに入ることを条件に、紗代里には黙っておくと知った時の笠原の表情は、私を興奮させた。
グループに入るだけで、自分の秘密は守られると安堵したのだろう。
それが、どれだけ精神を削られるかも知らずに。
彼女の教室での命は、私が握っていると思うと、気持ちが良かった。
これ以上の快楽など、絶対存在しない。
沙也と大槻にも、嘘の事情を説明すると、初めは戸惑った様子だったが、止める様子もなかった。
私と沙也は笠原のことを、知花と呼ぶようになり、彼女は徐々に私達のグループに馴染んでいった。
そして、私と西尾はタイミングを見計らい、彼女をこき使うようになった。
出来るだけそれは、沙也や大槻のいないところでしていたため、私達を止める者はいなかった。
彼女も、本当は本心では嫌だと思っているが、秘密を守るために必死に私に尽くしていると思うと、心地良かった。
こんなに良い思いをするならば、もう一人グループに誰かを入れたいと思うのが普通だろう。
そこで私が注目したのが、萩野真帆だった。
地味なグループの中でも、かなり大人しいタイプの彼女に何かとっておきの秘密はないだろうか。
相手が大人しいタイプならば、秘密は意外性があるものではないのだろうか、と考えたからだ。
最初は彼女のことを知ろうと、萩野の友人から彼女について聞いたりしたが、あまり成果はなかった。
彼女には秘密などないのだろうか……と、諦めかけていたある日だった。
何気なく、スマホをいじっていたら、とっておきの彼女の秘密を知ってしまったのだ。
すぐに西尾に相談し、私達は萩野に【その秘密】を知ったことを言うと、彼女は半泣き状態で私達に【口外しないで】と懇願してきた。
彼女の表情は、知花の時よりも遥かに私を楽しませた。
その後、萩野はグループ入りし、知花と同様、私と西尾のために尽くしてくれた。
ただ、知花とは少し違い、彼女には勉強関係を任せた。
めんどくさい課題などは全て彼女に押し付け、それを彼女は完璧にこなしてくれた。
そして、私にはさらにもう一人グループに入れたいという欲望が生まれた。
しかし、今回は弱味を【探る】のではなく、【作る】ことにしたのだ。
何故なら、私がグループに入れたいのは、江川だったからだ。
江川は2年生になっても、クラスは変わらず、今まで必死に彼女に対する苛立ちを堪えていたが、そろそろ限界がきたのだ。
ならば、彼女をグループに入れて、知花や萩野のような目に遭わせてみたらどうだろうか。
そう思うと、身体中がぞくぞくした。
今まで溜まっていた鬱憤を晴らせることが出来ると思うと、二人の時以上に気持ちが良くなるのだ。
しかし、数日間彼女について調べたり、後を追ってみたりしたが、彼女に弱味など存在しなかった。
彼女は、自分の弱味を晒け出す性格だったからだ。
点の悪いテストをまるで自慢するかのように友人に見せたり、よく昔の自分の黒歴史を平気で話している彼女に、弱味など存在しないと考えた方が正解だろう。
それなら、私は弱味を作ってみてはどうだろうか?という考えに基づき、西尾と立てた計画を実行した結果、彼女はまんまと罠に嵌まり、グループ入りを果たした。
偽りの秘密を作った私に尽くすことは、彼女にとって屈辱だろう。
しかし、そんな自分を殺してまで、彼女の【大切なもの】を守るその姿勢には、少し感心してしまった。
江川のことで満足し、私はもうグループに誰かを入れるのはやめようと思った。
しかし、私の前に余計な人物が現れたのだ。
「ったく……最近、機嫌悪すぎだろ。松下」
「うるさい、光貴。だったら、あんたが彼奴を止めなさいよ」
「はぁ?止めるも何も、俺は正直彼奴の方が言ってること、正し……何でもないから、そんなに睨まないでくれ」
そう言うと、光貴は自販機に小銭を入れた。
放課後に入り、沙也は部活でいないため、私は飲み物を買ってから帰ろうと思い、鞄を持って一階に降りると、たまたま光貴がいたので、二人で談笑することになったのだ。
光貴とは今年、同じクラスになり西尾と仲良くなったのがきっかけで、私達のグループに混ざるようになった。
ただ、他のグループの人とも仲が良いため、いない時がよくあった。
そのため、こうして二人きりで話すのは、滅多になかった。
「でも、小倉が怒ってるところ初めて見たなぁ」
「確かにね……」
私達が今話していることは、小倉君のことだ。
彼は1週間前、このクラスに転校してきたのだ。
西尾曰く、彼とは昔の友人らしい。
私は初日から、彼の態度が気に入らなかった。
ルックスは完璧だが、あのいかにも良い子ちゃんっぽい性格が
そして、何よりも今日、知花を西尾から庇ったのが一番許せなかった。
事情を知らないから仕方ないかもしれないが、それでも私は小倉君のことが嫌いになった。
私はちらりと、ジュースをあおる光貴を見る。
彼は知花が私達にこき使われていることしか知らない。
もし、自分の恋人である萩野も私達に嫌なことをされていると知ったら、彼はどんな顔をするだろうか。
きっと、私と西尾を責めるに違いない。
もしそうなったら、私は光貴もグループから外すつもりだ。
まあ、彼は交友関係が広いため、グループにはあまり困らなそうだが。
「ねえ、光貴」
「何だ?」
「……やっぱ何でもない」
そう言うと、私はペットボトルのレモンティーを一気に飲む。
ため息を吐くと、
「めんどくさっ……」
と小さな声を漏らした。
「これくらいよ。私が話すことといえば」
松下がそう言うと、辺りに沈黙が流れたが、それを俺は破った。
「……萩野が、松下に弱味を握られていたって本当なのか?」
俺の声には、怒り、戸惑い、悲しみなど、様々な感情が含まれていた。
俺は、全く知らなかった。
萩野が嫌な思いをしていたなんて。
「も、もういいよ。光貴」
困惑したような声を上げる萩野。
しかし、彼女の声など全く俺の耳には、全く届いていなかった。
「答えろよ」
自分でも驚くくらい、その声には怒気が含まれていた。
「答えろよ!」
「ちょっと、落ち着きなよ!」
江川の制止する声。
しかし、俺は手探りで松下の席に歩み寄ると、彼女の胸ぐらを掴んだ。
その時だった。
生暖かい液体に手が触れたのだ。
それは、名取の時と同じだった。
嫌な予感がする。
額から、だらだらと冷や汗が流れた。
生臭い臭いが、気持ち悪くさせる。
俺は全てを察した。
「……どうしたの?」
萩野が言う。
しかし、俺はそれに答えなかった。
いや、正確に言うと、答えられなかった。
俺は彼女の顔らしき部分に触れてみる。
すると、そこは生々しい液体で濡れていた。
手や制服を汚すことも気にせず、俺は彼女の腕に触れる。
そこにはいくつもの傷があった。
暗くて見ることは出来ないが、感触だけでもその痛々しさは想像を絶するものだろう。
一応、彼女の脈を測ってみたが、もう助からないと理解した。
俺は手を、足の方に移動させてみた。
すると、俺は目を見開いた。
さっき刺されたナイフがないのだ。
松下は【抜かないほうが良い】と言って、抜かなかったはずだ。
まさか、あのナイフで誰かが……。
すると、俺の中に1つ疑問が浮かんだ。
ナイフで刺されたのなら、何故彼女は悲鳴を上げなかったのだろうか。
普通、悲鳴じゃなくても何かしら声を出すだろう。
彼女の身体を調べれば調べるほど、俺は冷静になっていく自分に驚いた。
「……ねえ、光貴。どうしたの?」
2回目の萩野の声に、ようやく俺は答えた。
「……松下が死んでる」
「え!?」
素早く反応したのは、江川だった。
「死んでる……か。死因は?」
冷静にそう訊いてくる大槻。
「わからない。でも、さっき松下の足に刺さってたナイフが抜かれてる。もしかしたら、そのナイフで……」
そこまで言うと、俺は黙った。
これ以上言って、名取や松下のことを思い出したら、また吐き気が止まらなくなりそうだったからだ。
「へぇ……やっぱり死んだな」
「そんな言い方なくない!?」
大槻の言葉に対して、怒鳴る江川。
「ごめんごめん……でもさ、これだと完全に小倉のことを話した奴は死ぬって流れになるな」
彼の声から、つまらないというような気持ちが窺える。
大槻は一体、何を考えているのだろうか。
「……ごちゃごちゃうっさいよ、大槻。もういい。次は私が話すから」
「でも、死ぬかもしれないんだよ!?」
萩野の心配したような声。
「いい。それに私が話さなきゃ、他の誰かが話して、死ぬことになるんでしょ?」
その言葉に、全員が黙った。
ごくりと唾を飲み込みながら、彼女の次の言葉を待つ。
すると、彼女は徐に話し出した。
彼女と彼の出来事を___
「莉子、これからカラオケ行かない?」
放課後を知らせるチャイムが鳴った時、友人が私の席に近付きそう言ってきた。
「あー、ごめん。無理」
「莉子、最近付き合い悪いぞー?さては何?彼氏でも出来たか?」
私の髪をわしゃわしゃにしてくる友人。
「違うわ。店の手伝いだよ」
「あー、なるほど。頑張れ」
私は鞄を右手で掴むと、勢いよく教室から出た。
「ただいま!」
店の入り口から入ると、そこにはウェイトレス姿で接客をしている姉さんがいた。
お昼を過ぎたため、お客さんの数はそこそこだった。
私は彼女の方に、歩み寄る。
「ねえねえ、今日新メニューのアイデア思いついたんだけど、聞いてくれない?あと、夏休み補習引っ掛かった」
「いや、何ついでみたいに言ってんだよ!つか、また補習かよ!」
素早くツッコんでくる姉さん。
お前は某銀髪侍アニメの眼鏡くんかよ、と思うくらい姉さんはよくツッコんでくる。
「いやー、現国は出来たんだけど、数学と英語がねぇ……」
私は鞄から、テスト用紙を取り出そうとしたが、それを姉さんは真顔で制止した。
「もういいから、さっさと着替えて手伝って」
「へい」
私はカウンターの近くにある階段を上り、自分の部屋に入ると、靴下を床に投げ捨てた。
私の家は、カフェを自営している。
私が小さい頃は、両親二人で店を営業していたが、お父さんが亡くなったため、お母さんと4歳離れた姉と私で、店をやることになった。
しかし、3年前辺りからお母さんも体調が悪くなり、姉さんや私も学校があるため、店を営業出来ない状況が増えた。
そのため、金銭面でも厳しくなり、私は高校に進学するのを諦め、店の手伝いに専念しようとしたが、お母さんはそうさせなかった。
それは【中卒の子供】という抵抗からではなく、行きたい高校に行って思いきり青春をして欲しい、というお母さんからの願いだった。
お母さんはいつもそうだった。
女手一つで私と姉さんを育てるだけでも大変だったのに、いつも私達のことを第一に考えてくれた。
私は、そんなお母さんが大好きだ。
いつか、恩返しをしたいとも思っている。
それを前にお母さんに言ったら、高校生活を思いきり満喫してくれれば、それで十分だ、と言われたが。
とにかく、お母さんは私の憧れる人だ。
お母さんみたいな人になりたいと、いつも強く願っている。
だが、私には1つだけ理解出来ないことがあった。
私はウェイトレスの制服に着替えると、ぽつりと呟いた。
「……青春とは、なんぞや」
教室の窓から、風が入ってくる。
窓際の席に座る私は、窓を閉めると、外の景色をぼんやりと眺めた。
ここの教室は3階にあるため、周辺の風景がよく見渡せる。
少し前まで生い茂っていた緑は、気付けばすっかり地面に落ちていた。
ブレザーはまだ早いが、長袖やカーディガンを羽織るクラスメイトも増えている。
本格的に、秋がやって来たのだ。
「莉子、次移動だよ。行こう」
「お、おう!」
友人の声で、今が休み時間だということを思い出す。
私は机から教科書を取り出し、次にノートを探すが、見つからなかった。
「私のノートはどこじゃ……」
そう呟くと、授業道具を抱えた友人が歩み寄ってきた。
「早く行こうよ」
「ごめん。ノート探すから、先行ってて」
「わかった。遅れないでよ」
手を振って教室から出て行く友人。
私はもしかしたら、と思い、ロッカーを開けた。
すると、私の予想通り、そこにはノートが入っていた。
私はノートと一緒に、教科書と筆記用具を抱えると、教室から出た。
しかし、階段を上ろうとしたその時だった。
「おい、江川」
後ろから声を掛けられたのだ。
振り返ると、そこには西尾がいた。
「なんすか?西尾」
「先生が教室に来いだってさ」
彼の言葉に、私は口を尖らせた。
「えー、今じゃなきゃダメなの?」
「らしいぜ。話があるんだとか」
「マジか。サンキュー」
私は急いで教室まで戻ると、そこには誰もいなかった。
私物が散らばっている席もあるが、やはり人がいる気配はない。
「なんだよ。呼んだ本人が来ないって。ていうか、話って何だろ……まさか、授業料?いやいや、ちゃんとお母さんが払ってくれてるし。もしかして、私成績悪すぎて留年とか?」
ぶつぶつと独り言を呟いていたその時だった。
教室の後方の床に、茶色い財布が落ちていることに気付いた。
高そうなブランド物のその財布を拾うと、私は名前が書いてないかどうか確認したが、それらしきものは見つからない。
すると、次の授業を知らせるチャイムが鳴った。
「うわ、ヤバい!先生来ないし……」
私は考えた末、一旦財布を机に掛けてある私の鞄の中に入れることにした。
授業が終わって教室に戻った後、持ち主を聞けば良い。
「先生はもう置いてこう!来なかった奴が悪いんだし」
そう言って私は教室から出ると、全力で4階まで走った。
先生に怒られたのは言うまでもない。
授業の終わりを知らせるチャイムが鳴った。
私は早く教室に戻り、財布の持ち主を探そうとしたその時だった。
「江川さん、授業に遅れてきた罰よ」
大量のノートを抱えた先生に、呼び止められたのだ。
授業に遅れてきたため怒られたが、タイミングを逃してしまい、結局先生に呼び出されたからとは言えなかった。
「何ですか」
そう言うと、先生が抱えていたノートを渡された。
腕にずっしりと重みがかかるが、私はなんとかそれを持ちこたえる。
「それを教室まで、持ってってちょうだい」
「ひえぇ……」
私はふらふらの状態で歩いていると、友人が私の授業道具を持ってくれたため楽になったが、教室に着くのが遅れてしまった。
次は昼休みだ。
もし持ち主が売店などに行く場合、財布がないことに気付いてとても困るだろう。
私は一刻も早く教室に着くように、歩くスピードを速め、しばらくするとやっと、教室が見えてきた。
私と友人は教室に入ると、教室内はいつも以上に騒々しかった。
私は教卓にノートを置くと、ふとクラスメイト達の会話が聞こえてきた。
「私の財布がない!」
その言葉に、私は目を見開いた。
声の主は、名取だった。
自分の鞄の中を漁っているが、見つからなくて困っている様子だ。
私は、彼女が財布の持ち主だと確信した。
私はすかさず、名取に声を掛けようとしたが、後ろから肩を叩かれた。
「え?」
振り返ると、そこには松下がいた。
彼女はじっと私を見つめると、
「話があるから、来て」
そう言って、私の腕を掴んだ。
突然のことに、私は目を丸くする。
「今じゃなきゃダメ?」
「ダメよ」
「何だよー。今日は呼び出されることが多いなぁ」
私が連れて来られたのは、隣の空き教室だった。
何故かそこには、西尾もいる。
意味深な笑みを浮かべる彼に、僅かに苛立った。
「で?何なの。用件なら早く言ってよ」
そう言うと、松下はポケットからスマホを取り出した。
彼女の唇が吊り上がる。
「……流石に、これはヤバいんじゃないの?江川」
そう言って、松下は私にスマホの画面を見せつけた。
それを見た瞬間、私は驚きを隠せなかった。
そこに映っていたのは、自分の鞄に名取の財布を入れてる私だった。
「な、何でそれ……」
「まさか、クラスの人気者のあんたが、人の財布を盗むなんてね。意外だわ」
「違う!!私は授業が終わったら、持ち主を探そうと思って、鞄に入れただけ!!」
私が必死に反論すると、今度は西尾が口を開いた。
「わかってるよ。お前は、先生に呼び出されて教室に戻っただけだよな?」
にやにやと笑みを浮かべながら、彼がそう言う。
「西尾の言う通り、私は先生に呼び出されて教室に戻っただけだし。大体、私は財布を盗むなんて酷いことしない」
私は松下を睨み付けながら、はっきりそう言うと、彼女は笑い声を微かに漏らしながら、言った。
「知ってるわよ。だって、それは私と西尾が考えた嘘だもの」
彼女の言葉に、私は全てを察した。
「まさか……全部仕組んでたの!?西尾が私に声を掛けるのも、教室に財布が落ちているのも!?」
「大正解よ」
私は顔をしかめると、思いきり二人を睨んだ。
「私は授業が終わると、私達の教室の隣……つまりここに隠れていた。全員が移動したところで、私は教室に戻り、沙也の鞄から財布を取り出すと、目立つように後方の床に置いたわ。そして、再びここに戻ると、私はあんたが来るのを待ち構えた。その後、あんたは教室に来て、予想通りその財布を手にしてくれた。私はその時の写真を、ここから撮ったの。私はあんたが財布を持ってる写真を撮れればいいと思ってたんだけど、まさか鞄に入れるなんてね。一瞬、本当に盗むのかと思ったわ」
彼女の考えを聞くと、私よりも遅く松下が授業にやって来たことを思い出した。
彼女は先生に、【職員室に行ってた】と言ったが。
松下は、私の前にスマホを翳しながら言った。
「これ、皆にバラしたら、ヤバいわよね?流石に、これを見ちゃったら、誰も信じてくれないと思うわよ」
……こいつ、最低だ。
「大体、あんたら何がしたいんだよ!私を陥れて楽しいか!?ああん?」
私は松下の方に、顔を近付ける。
「私達のグループに入って欲しいからよ」
「……は?」
予想外の返答に、私は口をぽかんと開けてしまった。
「どういうこと?意味わかんないんだけど」
「お前は知らなくていいんだよ」
西尾が言う。
そんな答えに納得出来るはずなく、私は眉間に皺を寄せた。
「教えてよ!」
「嫌よ。大体、理由を知ろうが知らないが、あんたはこのグループに入ることになるんだから、知る必要なんてないしね」
「何で、そう言い切れんの?悪いけど、あんたらみたいな性悪な奴がいるグループには入りたくない」
西尾や松下のグループは、前からあまり好きではなかった。
典型的なお嬢様気質の松下とは、何度か対立したこともある。
二人の他に、財布の持ち主である名取と大槻もいる。
ただ、その二人とも少し話したことがあるが、名取は性格が良いし、大槻は時々何を考えてるかわからなくなることがあるが、根は良い人だった。
そんな二人が何で西尾や松下と仲が良いのか、疑問に思ったことも何度かあった。
しかし、それよりも私は、最近笠原と萩野がこのグループによくいることに注目していた。
あれは、ただ松下達と仲良くなったからいるのだろうか。
それとも、まさかあの二人もこのようなことをされて、グループに入ったのだろうか。
ちらりと西尾を見る。
すると、西尾は意地悪そうな笑みを浮かべながら、言った。
「へぇ……それなら写真、バラされてもいいんだな」
彼の言葉に、私は唇を強く結んだ。
「バレたら、最悪退学かもね」
松下の【退学】という言葉が、重くのしかかる。
「退学は……ダメだ。お母さんは、金銭的に苦しんでいたのに、高校に行かせてくれた。なのに、退学になったら……」
脳裏に、お母さんの顔が思い浮かぶ。
【行きたい高校に行って思いきり青春をして欲しい】というお母さんの願いを叶えるどころか、退学になったら、お母さんは悲しむに違いない。
しかも、退学した理由が盗難だ。
人としても、お母さんは私を軽蔑するかもしれない。
「……で?どうすんだよ」
西尾の声に、私は二人を睨み付けながら答えた。
「入ってやるよ。入れば、いいんだろ。入れば」
私の返答に、松下は満足そうに微笑んだ。
その顔は、私の怒りをさらに増幅させる。
「そのかわり、絶対口外しないって約束してよね」
「ああ……まあ、お前次第だけどな」
最後の言葉が気になったが、私は1秒でも早くこの教室から出たかったため、私は二人に背を向けドアに向かって歩いた。
「あ、そうだ。沙也の財布だけど、私が預かっておくから」
彼女の言葉を無視しながら、私は教室を出た。
一応、私はコミュ力には自信がある。
しかし、人に話しかけるのにこんなにも勇気がいるなんて、何年ぶりだろうか。
誰もいない放課後の教室に、一人でぽつんと席に座り、何かをしてる萩野。
そんな彼女に、いつ声を掛けようか、廊下からちらちらと教室の様子を見る私。
端から見れば、私は不審者みたいなものだろう。
あの日から、私はあのグループと一緒にいることが多くなった。
松下と西尾にはまだ怒っているが、名取や大槻とはすぐに仲良くなれた。
そして、例の二人。
笠原とはそこそこ話す程度の仲だが、特に問題はない。
ただ、残りは萩野だった。
萩野は人見知りなのか、彼女とはなかなか上手くコミュニケーションが取れない。
そんな彼女と仲良くなりたい……本音を言えば、彼女の口から聞きたいのだ。
松下と西尾から弱味を握られてるかどうかを。
笠原とはそこそこの仲だが、話し始めて数日しか経ってないのに、そんな深い話は悪いと思ったし、多分話してくれないと思ったため、二人のことは未だにわからない。
そのため、萩野と普通にコミュニケーションを取るのがダメなら、いきなり深い話をしようという考えに至ったわけだ。
あまりにも、滅茶苦茶な作戦だと思ったが、早く聞きたかったのだ。
彼女の本当の気持ちを。
いつも愛想笑いを浮かべているが、その裏にはきっと何かが隠されている。
根拠はないが、勘ってやつだ。
教室の様子をちらりと覗くと、萩野はまだ自分の席に座って何かをしている。
私は深呼吸を数回し、意を決して教室の中に入った。
「やあやあ、こんにちは!萩野ちゃんよぉ」
驚いたような顔をしながら、私の方に振り向く萩野。
私は彼女の机に歩み寄る。
「あ……江川さん」
「何してんの?」
私は萩野の机に置いてあった数枚のプリントに、目を通す。
それは、今日出た宿題だった。
提出期限は、明日だったはず。
しかし、私は違和感を覚えた。
同じプリントが3枚もあるのだ。
「何で同じ内容のプリントが3枚もあんの?」
すると、彼女は慌てたようにそれらのプリントを、机に隠した。
「な、何でもない…!」
そう言って、彼女は椅子から立ち上がり、教室から出て行こうとした。
「ちょ、待ってよ!」
私は逃げるように走る彼女の腕を、思いきり掴んだ。
「萩野も松下と西尾に、弱味を握られてんじゃないの!?」
無意識に出たその言葉に、私は一瞬やらかしたかも、と思ったが、後悔はしなかった。
「で、どうなの?」
私はもう一度訊くが、彼女は俯くだけ。
しかし、それでも私は萩野の腕を離さなかった。
「答えてくれるまで、離さない!」
私がそう言うと、彼女は諦めたのか、視線を私に向けた。
すると、ゆっくりと口を開いた。
「……江川さんの言う通りだよ」
語尾が震えていたのは、きっと気のせいじゃない。
彼女は勇気を出して、私に打ち明けてくれたと思うと、少し嬉しかった。
「やっぱり……」
「【やっぱり】ってことは、江川さんも?」
「まあね」
私は、少し声を低くして答える。
すると、萩野は何かが吹っ切れたように、話し始めた。
「実は、私ね___」
萩野は話し終えると、今にも涙がこぼれそうな目を擦った。
私は両手を固く握り締めた。
彼女が二人に弱味を握られていることは、なんとなく予想していたので、驚かなかった。
ただ、弱味を握られるまでの経緯が、私と少し違っていたが。
しかし、この話を聞いたせいか、松下と西尾への怒りがさらに増した。
これなら、きっと笠原も萩野や私と同じ目に逢ったのだろう。
彼女の話から、私は二人の目的が少しわかった。
二人は、私達を見下して弄んでいたんだ。
人の弱味を握って、私達をとことん利用するつもりだ。
ただ、私は彼女のように二人からこき使われたことは、まだない。
彼女曰く、グループに入って数日後に、二人が【アクション】を起こしたらしい。
私の予想が正しければ、私は明日辺りに二人から嫌なことをされる可能性が高い。
私はちらりと萩野の顔を見ると、彼女の目は兎のように真っ赤だったことに気付いた。
誰にも話せなかった過去を、一気に話したのだ。
辛い記憶がよみがえって、泣きたくなるのも無理はない。
「お願い。このことを話したことは、他の人には絶対言わないで」
そう言って、頭を下げる萩野。
「言うわけないじゃん。頭上げてよ」
萩野はゆっくりと頭を上げたが、彼女の瞳には不安の色が残っていたことに気付いた。
「……私達は、これからどうすればいいの?これじゃ、反抗することすら出来ないよ」
「だね。私なんて、クラスメイトの財布を盗んだことが知られたら、退学もんだよ」
「……え!?」
「あ、勿論私はやってないよ。松下と西尾がでっち上げただけ。二人が嘘の証拠まで作り上げたから、皆に信じてもらうことは難しいと思う」
私の言葉に、ホッと息を吐く萩野。
確かに、萩野から話を聞けたはいいが、これからどうするべきか。
とりあえず、このまま二人に従ってるだけの日々なんて、絶対に嫌だ。
だが、下手に反撃でもすれば、すぐにあの写真がバラされるだろう。
私は腕を組むと、松下と西尾の席を交互に睨んだ。
「……何で私達がこんな目に逢わなきゃいけないんだよ」
私の予想通り、二人は次の日から私を明らかに利用しているようなところがあった。
荷物持ちをされたり、先生に頼まれたことを私に押し付けたりなど、内容的には大したことはないが、ストレスが溜まる一方だった。
それでも、私は耐えた。
お母さんの顔を思い浮かべれば、なんとかなったのだ。
しかし、それもほんの数日しか効かず、いつ二人に対して激怒するかわからない状態だった。
二人から解放されるための方法も思いつかないまま、私は不安定な気持ちを抱えながら日々を過ごしていた。
そんなある日、転機が訪れた。
小倉が転校してきたのだ。
初めて彼を見た時の第一印象は、優しそうな人だな、という感じだった。
穏やかな雰囲気と端正な顔立ちが特徴の彼は、絶対女子にモテるだろう。
そんな彼とお昼を食べることになった理由は、皮肉だった。
彼は西尾の友人だからだ。
「小倉は、小学校の頃の友達だったんだよ」
そう言って西尾はコーラをあおる。
「おい。【だった】だと、今は友達じゃないみたいだろ」
「悪い悪い」
不機嫌そうな顔をしながら言う小倉と、それを適当に流す西尾。
腹黒い西尾と、優しそうな雰囲気の小倉が仲が良いなんて、正直信じられなかった。
だが、そのことを抜けば、小倉は普通に良い人そうだ。
彼はどんな人なのか、何が好きなのか、苦手なことは何か、もっと知りたい。
そんな好奇心を含めて、私は手を差し出した。
「へぇ……そっかぁ。よろしくね!」
そう言った私に、嬉しそうな笑顔を浮かべながら、応じる小倉。
その表情に、一瞬胸が高鳴ったのは、気のせいだろうか。
小倉はすぐにクラスに馴染んだ。
私達のグループといることがほとんどだが。
私の予想通り女子からモテており、本人も彼女はいないため、彼に声をかける子は多かった。
そのうち誰かと付き合うのだろうか、と思うと、妙な気持ちになるが、あまり気にしないことにした。
私に恋愛は無縁なのだから。
まず、私は恋をしたことがない。
そして、【友達としての好き】と【恋愛としての好き】の違いが、いまいちよくわからないのだ。
そのため、友達や知り合いに彼氏が出来る度に、その謎は深まるばかりだった。
しかし、恋愛なんて私とは無縁のことだと思えば、段々どうでもよくなり、私には関係ないと捉えることにした。
そうすれば、一番楽なのだから。
しかし、あの日から、可笑しくなったのだ。
西尾の一言から、小倉への嫌がらせが始まった。
正直、彼が小倉に牙を向けるとは思っていなかった。
だが、よくよく考えてみれば、それは有り得ないことではない。
先日、西尾と小倉が喧嘩をしたのだ。
遠巻きに見ていたため、何が原因かはわからなかったが、二人が争っていることは確かだった。
腹黒い西尾のことだ。
自分を苛つかせる人を、仲間外れにしようと考えたのだろう。
小倉は、西尾のグループ以外の人とも仲が良かったが、皆自分の保身に走り、彼を助けることはしなかった。
勿論、私が彼を助ければ、私の秘密をバラされるだろう。
ならば、と私は1つの考えが思いついたのだ。
少し危険かもしれないが、もう嫌なのだ。
西尾達の勝手な意見に、振り回されるのが。
このような状態が続くのならば、絶対に変えたい。
多少、危険を冒してでも。
日が暮れる時間が早くなり、学校残っている人は僅かだった。
私は昇降口の扉から吹く冷たい風に耐えながら、下駄箱で彼を待っていた。
私は、私のクラスの下駄箱を見る。
彼の靴箱には、まだ靴が入っていた。
「よし、まだ帰ってない」
もう何度、この確認をしただろうか。
私は、彼にある話をしたくて、こうして待っているのだ。
彼はどんな顔をするだろうか。
きっと、最初は戸惑うかもしれない。
でも、絶対納得してくれると信じている。
そう思うと、顔が少し綻んだ。
その時だった。
後ろから足音が聞こえたのだ。
それは、私のクラスの下駄箱に近付いていく。
もしかしたら彼が来たのかもしれない、と思い振り返ったが、その考えはすぐにかき消された。
「あ、江川さん」
そこには、萩野がいたのだ。
「お、萩野じゃん。何してたの?」
「補習に行ってたの。江川さんは?」
「私は小倉を待ってんの」
私の言葉に、目を丸くする萩野。
「……何かあったの?」
「いや、ちょっとね……」
私は、彼女に私の考えを話そうか迷った。
彼女はどちらかというと、【こっち側】の人間だ。
しかし、下手に話して西尾達にバレたらどうしようという不安もあった。
すると、萩野は心配そうな顔を浮かべながら、
「どうしたの?何かあったなら、言って欲しいな」
と言った。
それがなんだか嬉しかった。
彼女はきっと、純粋に私が困っていると思って、相談に乗ろうとしたのだろう。
萩野なら、信用出来る。
まだ彼女と話してたら少ししか経っていないが、そんな信頼感が芽生えた。
私は思いきって、萩野に例のことを話した。
すると、彼女は少し考え込むような仕草をしながら、口を開いた。
「そっか……でも、もし西尾君や松下さんにバレたら、大変だよ?」
「だけど、このまま誰も行動しなきゃ、二人の思う壺だよ。そんなの私は絶対嫌だ。それに、これは私単独でやるつもりだし、周りに迷惑をかけることもないよ」
私はそう言うと、拳を強く握った。
すると、彼女は真っ直ぐな瞳で私を見つめた。
「私も……江川さんと一緒していいかな?」
予想外の言葉に、私は目を見開いた。
「え!?でも、もしバレたら萩野も……」
「……その時はその時だよ。とにかく、罪悪感に耐えるだけの毎日は嫌なの」
彼女の瞳に、迷いはなかった。
私は少々、戸惑ったが、彼女と一緒に実行することを決めた。
一人より二人の方が、心強い。
それに、私の意見に賛同してくれたのが嬉しかった。
この時、私達は気付いていなかったんだ。
自分達の覚悟が足りてなかったことに___
後ろから、足音が聞こえてきた。
それは徐々に、私達の方に近付いていく。
私は振り返ると、そこには小倉がいた。
私は目を輝かせる。
「小倉!」
私は彼の名前を呼ぶと、彼は驚きを隠しきれない様子だった。
「え、江川と萩野!?」
「私、小倉のことずっと待ってたの!」
私の言葉に、さらに混乱したような表情をする小倉。
すかさず、萩野が付け加える。
「私達、小倉君に話があるの」
「話?」
小倉の瞳に、一瞬不安の色が映った。
彼は私達が、彼の味方だということを知らない。
それなら、警戒されても仕方ないだろう。
私は周囲をちらりと見るが、人がいる様子はない。
私は拳を強く握り締めながら、口を開いた。
「私、小倉の味方だから」
すると、萩野も、
「私もだよ」
と言った。
私達の言葉に、唖然とした小倉だが、しばらくすると、顔を少しだけ綻ばせた。
「……ありがとう。でも、絶対他の奴……特に西尾や松下には知られないようにしてくれ。もし知られたら、今度は……」
徐々に曇っていく小倉の表情。
私は首を横に振った。
「大丈夫、バラすつもりはない。ただね、私達は小倉の力になりたいの」
「俺の力に?」
不思議そうに訊いてくる小倉。
すると、今度は萩野が話し出した。
「うん。私達は、西尾君側にいるふりをする。そして、小倉君にこれからどんな嫌がらせをするか聞いて、私達はそれを小倉君に伝える。前もって知っておけば、大体は回避出来るでしょ?」
萩野の言葉を聞くと、小倉は複雑な表情を浮かべた。
「ありがたいけど……俺は気持ちだけで十分だ。女子に世話になるって、なんかカッコ悪いし……」
「カッコいいもカッコ悪いもあるかよ」
私はそう言うと、唇を結んだ。
「私達は、西尾君や松下さんの都合に振り回されて、クラスメイトが傷つく姿は、もう見たくないの。小倉君だけじゃない。二人……特に、西尾君のせいで、何人ものクラスメイトが嫌な思いをしたの」
萩野の発言に、小倉は眉をひそめた。
「え?待って……西尾、そんなことしてたのか?」
彼の言葉に、私達はこくりと頷く。
すると、彼は信じられないという表情を浮かべた。
「嘘だろ……確かに、性格は変わったとは思ったけど……」
「……どういうこと?」
私は彼を見つめながら、訊く。
「昔はそんな奴じゃなかった。自分より他人を優先する良い奴だったし、どちらかというと、大人しい性格だった」
その言葉に、私は驚愕した。
西尾が良い奴?
しかも、大人しい性格?
想像も出来ない西尾の姿に、私は困惑した。
「じゃあ、何で……今みたいな感じになったの?」
「それはこっちが聞きたいよ」
萩野の質問に、首を横に振りながら答える小倉。
小倉の言った限りだと、昔二人の間に何かがあって、西尾の性格が変わった可能性は低い。
なら、二人が離ればなれになった後、西尾の周りで何かがあったのだろうか。
「ていうか、江川と萩野は西尾のことが好きじゃないのに、何で彼奴のグループにいるんだ?」
その質問に、私達の肩がびくりと動いた。
私は萩野の顔をちらりと見る。
彼女も、動揺しているのが明らかだった。
私は出会って少ししか経っていない人間に、自分の弱味を言うことを躊躇った。
確かに、小倉は良い奴だ。
ただ、どこか【バラされるんじゃないか】という不信感が、私の中にあった。
しかし、よく考えてみれば、彼が私達を裏切る可能性は低い。
小倉がバラしても、彼自身にメリット自体はない。
それに……。
「……わかった。話すよ」
私の心を覗いたように、萩野がそう切り出した。
萩野は私の顔をちらりと見る。
私はこくりと頷いた。
私達は、正直に話した。
弱味も、経緯も包み隠さず全て。
小倉は顔をしかめた。
彼の心の中は、ごちゃごちゃになっているだろう。
驚愕、悲しみ、怒り、同情、不安……。
私が彼の立場だったら、それらの感情が湧き上がると思う。
「……なら、笠原もそういうことだったのかも」
ぽつりとこぼしたその言葉を、私は聞き逃さなかった。
勿論、萩野も。
「どういうこと?」
真っ先に萩野が問う。
しかし、なんとなく答えはわかっていた。
小倉は真剣な顔をしながら、切り出した。
「この前、西尾と喧嘩しただろ?その原因は、西尾が笠原をこき使っていたからだよ。笠原はあの後、教室から出て行って、俺はその後を追ったんだ。俺は笠原が西尾から嫌なことをされてるんじゃないかって思って、話を聞き出そうとした。だけど、笠原は何も話してくれなかったんだ」
ここでやっと、彼女がグループに入った理由がわかった。
笠原も、私達と同じ境遇に逢っていたのだ。
何が原因で弱味を握られたかは知らないが、そんなことはどうでも良かった。
「……小倉君の話を聞く限り、笠原さんも西尾君達に弱味を握られてる可能性が高いよ」
「うん。絶対そうだと思う」
萩野の言葉に、頷きながら相槌を打った。
「……西尾達は一体、何を考えてんだよ」
「多分、私達を利用して楽しんでるんだよ。人の弱味を握って、自分の思うままに動かす……これじゃ私達、まるで二人の操り人形みたいだよ」
「ま、操り人形だって時には、意思を貫きますけどね」
私は、不敵に微笑んだ。
私達の弱味を周囲にバラされたら、たまったもんじゃない。
しかし、それでも私達にはやれることがある。
そう思うと、前向きな気持ちになれた。
「とりあえず、私は小倉を助けたい。一人より三人の方が心強いでしょ?」
私の言葉に、彼は私から目を逸らしながら、しばらく考え込むような仕草をするが、やがて口を開いた。
「……わかった」
その瞬間、私は心の中でガッツポーズをした。
「おはよー」
「おはよう」
私は教室に着くと、近くの席の萩野に挨拶をした。
私は周囲をちらちらと見るが、特に変わった様子はない。
昨日のことは、バレてないようだ。
「江川さん」
席に着き、鞄を机の横にかけると、萩野が私の方に歩み寄ってきた。
「ん?どうしたの?」
「昨日のこと、周りにバレてる様子はないよ」
小声で、彼女が言う。
「そうだね。まあ、油断は出来ないけど」
「だね」
「あ、そうだ。またなんか、二人に課題とか押し付けられた?」
すると、彼女は私から視線を逸らしながら沈黙したが、しばらくすると小さな声で言った。
「……うん」
「じゃあ、今日の放課後手伝うよ!小倉も誘ってさ」
最後の方は小声だったが、彼女にはきちんと伝わったようだ。
しかし、彼女は首を横に振りながら答えた。
「え……でも、悪いよ」
「いいの!暇だし。それに……」
「それに?」
「……やっぱなんでもない。後で、彼奴に放課後空いてるかどうか聞いてみるわ」
そう言うと、HRを知らせるチャイムが鳴った。
全員が席に着く中、私は机に顔を伏せた。
ごめんね、萩野。
私は1つ、言ってないことがあるの。
彼女の手伝いをしたいというのは、本心だった。
ただ、もう1つ理由があった。
小倉ともっと話をしたいのだ。
それは単に私が物好きな性格だからということもある。
しかし、彼ともっと一緒にいたい、仲良くなりたいという思いもあった。
だけど、何故私はそのことを萩野に言わなかったんだろう。
「……わかんねぇ」
私は自分でも聞こえるかどうかわからないくらいの声で、そう呟いた。
「わかんねぇ!!なんだこりゃ!!」
私は、シャーペンを小さな白い丸テーブルに放り投げる。
そこには、二人に押し付けられた分の課題と、自分達の宿題が散らばっていた。
改めて見ると、酷い有り様だ。
参考書、課題のプリント、教科書やノートの数々に、紙屑や消ゴムのカス……。
それに以前に、散らかった私の部屋に二人を呼んだのが間違いだったかもしれない。
私の心を覗いたかのように、小倉が呆れたような表情を浮かべながら言った。
「お邪魔させてもらってる身で失礼かもしれないけど、この部屋酷くないか?」
「うるさいなぁ!わかってるよ」
「小倉君、いくらこの部屋が汚いからって、本当のこと言ったら失礼だよ」
「……そういう萩野が一番失礼だと思う」
私は辺りを見回す。
クレーンゲームで取ったたくさんのぬいぐるみが置いてあるベッド、本棚に入りきらなかった漫画が散乱している床、学校の教材や雑誌、CD、小物などで溢れた勉強机。
今にも、ゴキブリが出そうな部屋だ。
「やっぱり、私の家が良かったかな」
「いいよ。萩野ん家、受験生のお姉さんがいるんでしょ?邪魔しちゃ悪いからね」
私は小倉を誘って、3人で課題を片付けるついでに、勉強会をすることにした。
最初は学校の近くにあるカフェなどでやろうと思ったが、そこだと同級生に見つかる可能性がある。
それだけは避けたかった。
私達は3人のうち誰かの家でやることにしたが、萩野の家には受験生のお姉さんがいるし、小倉のところには今、親戚が訪れているため、仕方なく私の家にした。
店の方で勉強は出来るが、今日は生憎定休日だ。
散らかった部屋を同級生……ましてや男子に見られることに抵抗はあったが、私が今回のことを企画したので、我慢することにした。
だが、実際に見られると、流石の私にも恥ずかしさというものが込み上げてきた。
すると、突然小倉が立ち上がったと思ったら、彼は大きなあくびをすると、ベッドの上にある数々のぬいぐるみに注目した。
「このぬいぐるみ触ってもいいか?」
「いいよ」
私と萩野もベッドに近寄ると、私は兎のぬいぐるみを抱き締めた。
「ぬいぐるみ可愛いよね。サンドバッグにもなるし」
「え!?ぬいぐるみ可哀想だろ!」
「冗談だよ。でも、ストレスが溜まった時、何本もの鉛筆達が犠牲になったことやら……」
私の言葉に、苦笑する二人。
私は羊のぬいぐるみを、彼の腹部に押し付けた。
「な、何だよ!」
「私の部屋を酷いって言った罰じゃ」
「それは部屋を汚くしたお前が悪いんだろ!」
正論を返され、私は何も言えなくなった。
私は唇を尖らせると、彼を睨み付ける。
「拗ねるなよ……」
「うっさーい」
私は彼から目を逸らすと、再び丸テーブルがある床に、二人に背を向けながら座った。
彼からすれば、私は拗ねてるように見えてるのかもしれない。
しかし、私の本心は違った。
楽しいのだ。
彼と話すのが。
勿論、萩野とも一緒にいるのは楽しい。
しかし、彼は彼女とどこか違ったのだ。
友人といる時とは違った楽しさ。
それは何でかはわからないが、彼をこの部屋から帰したくない。
ずっとお喋りして、遊んで、勉強したい。
そんな願望が、私の中に生まれた。
勿論、不可能な願いだが。
「おーい。江川ー?」
後ろから、彼が私を呼び掛ける声がする。
私は、振り返えることはしなかった。
多分、私は意地になってるのかもしれない。
それか、私が拗ねたと思って、少し戸惑った様子の彼をからかうのが楽しかったからかもしれない。
どちらにしろ、こんな気持ちは初めてだ。
「江川、なんか反応しろよー」
そう言って、彼は私の肩を叩いた。
反射的に、私は彼の方に振り返る。
彼はしゃがんだ状態で、羊のぬいぐるみを私に渡しながら、優しい笑みを浮かべた。
「やっと反応した」
彼からぬいぐるみを受け取ると、次第に私の心臓の鼓動が速くなった。
それと同時に、熱を帯びる私の頬。
それは、彼の顔を見れば見るほど熱くなった。
まるで、自分が自分じゃなくなるみたいで、戸惑う。
私はどうすることも出来ず、再び彼に背を向けた。
「え、ちょっと江川!?」
私の様子に困ったような声を上げる小倉。
私は口パクで、こう呟いた。
『ばか野郎』
「お手洗い借りていいかな?」
「どうぞどうぞ」
壁にかけた時計が18時を示した頃、萩野は床から立ち上がると、部屋から出て行った。
二人の課題は終わり、今度は自分達の宿題を始めたが、萩野も小倉も疲れている様子だった。
勿論、私もだが。
小倉はあくびすると、私の顔をちらりと見た。
「もう暗いし、そろそろ帰った方がいいな」
「そうだね。親が心配するかもしれないし」
私は伸びをすると、床に寝転んだ。
このまま眠りについてしまいそうだ。
私はそれを堪えながら、片付けをする彼に視線を向ける。
私は、小倉に対してどういう気持ちを抱いているのだろうか。
勿論、嫌いというわけではないが、萩野や他の友人に対する【好き】とは何かが徹底的に違うのだ。
「江川も、片付け手伝えよ」
呆れた顔をしながら、私を見る小倉。
その表情ですら、私の心臓の鼓動を速めるのには十分だった。
……なんか私、変だ。
「お邪魔しましたー」
「またいつでも来てね」
「その時は、少しは部屋綺麗にしておけよ」
「うるさーい」
私は店の玄関から、二人の姿が見えなくなるまで、彼等を見送った。
もうすぐ冬だ。
空は真っ暗だし、寒さもどんどん増してきている。
萩野は小倉が家まで送ってくれるから、心配ないだろう。
私は白い息を吐きながら、店の中に戻ると、厨房には姉さんがいることに気付いた。
私はカウンター席から、彼女に声をかける。
「おかえり。今日遅かったじゃん」
「大学の帰りに、彼氏の家に寄ったの」
そう答えると、機嫌が良いのか、鼻歌を歌いながら明日の店の準備をし始めた。
「それにしてもさぁ……莉子、あの二人誰?もしかして、男子の方は彼氏?」
「違う。友達だよ、友達」
私はカウンター席に座ると、ため息をつきながら答えた。
「なんだ。私、てっきり彼氏かと思って、裏口から入っちゃったじゃん」
「彼氏ねぇ……」
私は、ぽつりと呟くと、ある考えが浮かんだ。
もしかして、こういうのが恋なのではないか、と。
しかし、私はそれをかき消すように、首をぶんぶんと横に振った。
その様子を見た姉さんが、首を傾げる。
「何やってんの」
「別に……」
確かに、彼に対する感情は何かはわからない。
だが、それを恋と決めつけるには躊躇いがあった。
何故だかはわからないが、本能的に認めたくなかった。
すると、私の中に1つの考えが思いついた。
姉さんに恋というものは何か、聞いてみよう。
姉さんは、恋愛経験は豊富な方だ。
友人に恋愛相談をされてるところを、何度か見かけたこともある。
「……ねえ」
「ん?何?」
私は、迷いなく言った。
「恋って何?」
「は?恋?」
突然の私の質問に、目を丸くする姉さん。
私は構わず続ける。
「そう、恋。友達とは違う好きって……どういう感じ?」
最初は戸惑った様子の姉さんだったが、次第に彼女は目を輝かせた。
「はーん。さては、莉子も恋を……」
「違うわ。はよ教えろ」
私は彼女を急かすと、姉さんはにやにやと気持ち悪い笑みを浮かべながら、口を開いた。
「説明するのは難しいけど……簡単に言うと、相手に対して赤面したり、心臓がバクバクするとかだと、私は思う。とりあえず、嫌いじゃないのに、友達とは違う感情を抱いていた場合、大体は恋なんじゃないの?」
彼女の言葉に、私は何も言えなかった。
赤面、心臓がバクバクする、友達とは違う感情……。
全て当てはまっていた。
私は椅子から立ち上がると、階段を駆け上がった。
途中、姉さんの声が下から聞こえた。
「夕飯何がいい?」
「いらないっ!」
私は自分の部屋に戻ると、ベッドに倒れ込んだ。
羊のぬいぐるみが視界に入ると、顔が赤くなるのがわかる。
「意味わかんない……」
私はそう呟くと同時に、羊のぬいぐるみを抱き締めた。
私が小倉のことが好き?
でも、彼とはまだ会って少ししか経ってない。
いや、恋に時間など関係あるのだろうか。
「………やっぱり、そうなのかな」
もう、認めた方が良いのかもしれない。
ドキドキしたり、顔が赤くなったり、友達とは違う感情を抱くのは、全部……。
「私、小倉のことが好きなんだ……」
「……ん。江川さん!」
「え!?」
私はびくりと肩を動かす。
目の前には、心配そうな表情を浮かべる萩野。
周囲を見渡すと、いつの間にか放課後に入ったのか、クラスメイトはあまりいない。
「大丈夫?HRが終わってから、ずっと何もしないで席に座ってたから……」
「ごめん、ぼーっとしてただけ」
小倉のことが好きだと自覚した次の日、私は一日中上の空状態だった。
時々、小倉の方をちらりと見るが、すぐに目を逸らしてしまう。
まるで自分が自分じゃなくなるような感覚に囚われながら、一日を過ごした。
私は席から立ち上がると、鞄から財布を取り出した。
「飲み物買いに行こうと思うんだけど、萩野も行かない?」
「う、うん!」
はにかみながら頷く萩野。
なんだか彼女といると安心する。
西尾達のグループに入った時は、【最悪だ】と思っていたが、その代わり萩野と仲良くなることができた。
そのことに関しては、ラッキーだと思っている。
自販機で飲み物を買うと、近くのベンチに座った。
アイスココアを一気にあおると、私は萩野の顔をじっと見つめた。
「どうしたの?」
首を傾げる萩野。
「いや……萩野と仲良くなれて良かったなぁ、って思っただけ」
「え?」
彼女は、最初は目を丸くしたが、次第に照れたような表情を見せた。
「なんか、萩野といると心が安らぐんだよね。やっぱ、西尾や松下みたいな気の強い奴より、萩野や小倉の方が良いわ」
小倉は別の意味で……だが。
「そう?でも、私も江川さんと仲良くなれて嬉しかったよ」
ふわりと柔らかい笑みを浮かべる萩野。
思えばそうだった。
私は確かに、昔から友達は多かった。
しかし、それは広く浅くと言った方が正しかった。
とても仲の良い友達というと、思い当たる人物が思いつかず、ましてや親友なんていなかった。
こんな心から信頼できそうな人は、彼女が初めてかもしれない。
「なんか本当、西尾達のグループに入ってからは、初めてがいっぱいだなぁ……」
初めての本当の友達に、初めての恋。
理由はどうあれ、このような感情を体験出来たのは、素直に嬉しい。
「どういうこと?」
「なんでもない」
私は微笑みながら、そう答えた。
「萩野はさ……恋したことある?」
無意識に、そんな質問が口から出た。
その瞬間、彼女は顔を真っ赤に染めた。
その表情は紛れもなく、恋をしている証拠だろう。
「へえ、してるんだ。青春だなぁ」
私はからかうように、にやにやと笑みを浮かべた。
すると、彼女は首を横に振る。
「し、してないよ!」
「でも、顔が赤いよ?」
「暑いだけ!」
苦しい言い訳をする萩野に、思わず笑みがこぼれた。
同じく恋をしている子を見て、恋に対する戸惑いが少し消えた気がする。
彼女にこれ以上は詮索しないが、いつかそれが実って欲しい限りだ。
「そういう江川さんは?」
「うん、いるよ」
私は包み隠さず、そう言った。
彼女は驚いたような表情を浮かべると、
「そうなの!?告白はしないの?」
と、興味津々そうに訊いてきた。
「告白ねぇ……」
告白に関しては、あまり考えてなかった。
何しろ、恋をしたという衝撃が大きかった分、その先のことは頭になかったのだ。
「そういうのって、いつ言えばいいのかな……」
真っ先に出た言葉は、それだった。
よく漫画やドラマなどで告白というものを見るが、そういうのは恋をしてからどれくらい経ったら、するものなのだろう。
「それは江川さん次第だよ」
「私次第?」
こくりと頷く萩野。
「本人に【好きだよ】ってアピールしてから告白するのも、好きになってすぐに告白するのも、本人次第だよ……なんか、偉そうでごめんね」
申し訳なさそうな表情をする萩野に、私は首をぶんぶんと横に振った。
「ううん!そんなことないよ。アドバイス、ありがとね」
私は彼女の両手を握りながら、笑みを浮かべた。
すると、萩野は何かを思い出したのか、突然ベンチから立ち上がった。
「ごめん!もうすぐ部活の集まりが始まるから、行くね!」
「そっか。また明日ねー」
「うん。バイバイ!」
私は萩野に手を振ると、彼女は振り返しながら、階段を駆け上がっていった。
彼女の姿が見えなくなると、私はため息をつきながら、机に顔を伏せた。
「……私次第か」
アピールしてから告白……。
そんなに私は待てないし、アピールする気もない。
ならば、すぐに告白?
勿論少し躊躇ったが、そうしたいという自分がいた。
このまま想いを抱くのではなく、正面突破したい。
しかし、一発で付き合えるとは思ってない。
彼が私を好きになっているとは考えられないからだ。
だから、返事は後日に返してもらいたい。
もしそれでもダメだったら……と考えると不安になるが、私は自分の考えを止めることが出来なかった。
私はベンチから立ち上がると、真っ先に下駄箱に向かって走った。
やがて視界に下駄箱が入ると、私は自分のクラスから彼の靴箱を探す。
彼の靴箱には、まだ靴が置いてあった。
「まだいる……!!」
私は再び走った。
目的地は、教室だ。
そこに彼がいるかもしれない。
その一心で、私は息が切れそうなのも気にせず、階段を駆け上がる。
まるで何かにとりつかれてるのではないか、と疑いたくなるほど、そのスピードは速かった。
体力が限界に近づいた時、ようやく教室の扉の前にたどり着いた。
乱れた呼吸を整え、私はそれを開けると、予想通り、彼はいた。
彼以外、誰もここにはいないため、告白にはちょうど良い場所だ。
「小倉!」
「江川?どうしたんだ?」
私は彼のところに駆け寄った。
小倉はこれから帰るつもりだったのか、鞄に教科書などを詰めているところだった。
いよいよだ、と思うと、急に不安が訪れた。
手が震える。
心臓が今にも、はち切れそうだ。
そんな私とは反対に、微笑みながら私の言葉を待ち構える小倉。
そんな彼の表情を見ていると、少しだけ落ち着いた。
「あのさ……」
「何だ?」
私は拳をぎゅっと握り締めながら、言った。
「私、小倉のことが好きなの!!」
「……え」
彼は目を丸くしながら、私を見つめる。
私は固唾を呑みながら、彼の答えを待った。
告白する前より、心臓がドキドキしているのは確かだった。
やがて、彼は口を開いた。
しかし、その答えは予想外のものだった。
「ごめん……俺、他に好きな子がいるから」
その瞬間、私の中の時間が止まったような気がした。
彼は気まずそうに視線を逸らしながらも、再び呟くように言う。
「だから……江川の気持ちには応えられない」
そこまで言うと、彼は頭を下げた。
もう、私はそれを見ることすら出来ず、視線を逸らした。
心は白紙のキャンパスのような状態なのに、身体は抑えられなかったようだ。
「そっか……」
消え入りそうな声でそう言うと、私は自分の席に向かって走った。
「江川!」
彼の声を無視して、私は鞄を肩にかけると、駆け足で教室から出て行った。
途中、後ろから彼の声がしたが、振り返ることはなかった。
自分の部屋に戻ると、鞄を乱暴に床に置いた。
制服がシワになることも気にせず、ベッドに飛び込んだ。
さきほどの出来事が、脳裏に何度も流れる。
それも、鮮明に。
「好きな子がいるとか……もう無理じゃん……」
自分のとは思えないほど、その声は弱々しかった。
すると、それが引き金になったのか、目から涙が溢れ出した。
一度溢れたものは、止まらない。
好きな子がいるとは、思ってもみなかった。
単に自分のことを異性として意識してくれなかったくらいなら、そこまでは傷つかないし、これから彼が自分を好きになってくれる可能性もあるから、まだ良かった。
しかし、他に好きな子がいるとなれば、その可能性は0に等しい。
しかも、彼がもしその好きな人と付き合うことが出来たら、今以上に辛くなるかもしれない。
「なんか……バカみたい」
恋なんかするんじゃなかった。
少女漫画やドラマみたいに、上手くなんかいかない。
それらは全て、幻想だ。
これから、小倉にどうやって接していけばいい?
もしその子と付き合えたら、祝福出来る?
そもそも、彼の恋自体、応援出来るだろうか?
様々な不安が押し寄せると同時に、眠気が襲ってきた。
……眠って、全てを忘れてしまいたい。
そんな願望が生まれた瞬間、私の視界は真っ黒に染まった。
「げっ……目腫れてる」
腹が立つくらい清々しい天気の翌日。
私は洗面所で顔を洗うと、鏡に映る自分をまじまじと見ながら、そう呟いた。
結局、あの後起きたら朝になっていた。
しかし、私の願いも虚しく、昨日の出来事は鮮明に残っている。
昨日みたいに涙が出ることはなかったが、傷は当然癒えていなかった。
ため息をつくと、キッチンからお母さんの声が聞こえてきた。
「昨日、部屋から出て来なかったけど、大丈夫?朝食は食べる?」
私はお母さんの声に、首を振った。
「いらない」
「大丈夫?体調悪いの?」
「少し食欲がないだけ。普通に元気だし」
「そう……何かあったら、すぐに言ってね」
食欲がないというのは、半分本当で半分嘘だった。
確かに食欲はないが、食卓に着けば、腫れてる目を見られてしまう可能性がある。
そうなれば、お母さんや姉さんに心配されるだろう。
それだけは絶対嫌だった。
私は制服に着替え、鞄に荷物を入れると、私は目を合わせずに、挨拶だけして家を出た。
校門を通り、ふと腕時計を見ると、朝食を取らなかったせいか、いつもより早く学校に着いたことがわかった。
この時刻には、誰がいるのだろうか。
もしかしたら、いつも私より早く来てる萩野がいるかもしれない。
私は彼女に会いたかった。
失恋したことを話すつもりはないが、彼女と一緒にいたい。
安らぎたい。
そんな願いが届いたのか、昇降口に入った時、私の瞳に萩野らしき後ろ姿が映った。
私は真っ先に、彼女の名前を呼ぶ。
「萩野!」
「あ、江川さん!おはよう」
驚きながらも、振り返って挨拶をする萩野。
私は靴を下駄箱に入れると、彼女は徐に口を開いた。
「江川さん……あの、今日放課後空いてる?」
「うん。空いてるけど?」
私は首を傾げながら、訊き返す。
すると、萩野は少し照れたような顔をしながら言った。
「良かった……昨日、新しくケーキ屋さんがオープンしたんだけど、一緒に行かない?」
「行く!」
即答する私に、彼女はくすりと笑った。
「江川さんって面白いね」
「いやー、照れますなぁ」
気付けば、私は笑っていた。
作り笑いなんかじゃなくて、心からの笑顔。
さっきまでの憂鬱な気分が嘘のようだった。
萩野は本当に良い人だ。
大人しいけど、私に安心感を与えて、笑顔にしてくれる存在。
失恋した分、彼女との交流を楽しむのも悪くない。
彼女ともっともっと仲良くなりたい。
私は彼女の手を握ると、笑みを浮かべながら、
「ねえ、私のこと、莉子って呼ん……」
そう言いかけた時だった。
私の大嫌いな人物が現れたのだ。
「なあ、二人とも。話があるんだけど」
西尾は、廊下の壁に寄り掛かりながら、そう言った。
「何なの。話って」
私は眉間に皺を寄せながら訊く。
「まあ、ここじゃあれだから……」
西尾は辺りをきょろきょろと見回しながら、手招きをする。
ついて来いってこと?
私達は彼の後ろをついて行くと、萩野が小さい声で言った。
「何の用だろうね……」
彼女の瞳には、不安の色が映っていた。
誰でも、不安にもなるだろう。
自分を陥れた人物に呼び出されたのだから。
「わかんない……」
そう答えたが、私は薄々気付いていた。
いや、それは萩野もかもしれない。
ただ、口には出したくなかった。
額から嫌な汗が流れる。
やがて、誰もいない音楽室にたどり着いた。
彼に促され、中に入る。
暖房がついていないため、全身が寒さで震えるが、それをなんとか耐えた。
西尾は扉を閉めると、不敵に微笑んだ。
「お前ら、最近仲良いよな」
「そうだけど、それが何か?私、寒いから早く教室行きたいんだけど」
私は彼を睨み付ける。
すると、西尾は唇の端を吊り上げた。
「じゃあ、単刀直入に言うわ。江川と萩野って、小倉と仲良くしてるだろ」
顔は笑っているけど、目は完全に笑ってなかった。
私は拳を握り締める。
「やっぱり、私の予感は的中してたってわけか……」
そう言うと、私は唇を噛んだ。
人の目は気にしていたが、やはりバレてしまったようだ。
私は何も言えずにいると、さっきまで黙っていた萩野がぽつりと言った。
「だ、だったら何?別に私達が小倉君と仲良くしようが、私達の勝手でしょ?」
相当勇気を振り絞ったのか、最後の方は声が震えていたが、私は彼女の言葉に賛同する。
「そうだよ。それが悪いことだとでも言いたいわけ?」
「うるさいんだよ!!」
西尾の怒号が音楽室に響き渡る。
萩野の肩がびくりと震えたのがわかった。
彼は落ち着きを取り戻したいのか、間を置いて話し出した。
「……お前らの弱味は、バラさないでやるよ」
その言い方に腹が立つが、なんとかそれを堪える。
「その代わり、小倉とはもう二度と関わるな」
なんとなく予感はしていたが、私は込み上がる怒りを抑えられなかった。
私は彼との距離を縮めながら、怒鳴る。
「なんなんだよ、お前!!人の弱味握って、こき使って……挙げ句の果てには、小倉と関わるな!?いい加減にしろよ!!」
次の瞬間、私の頬に激しい痛みがした。
音楽室に乾いた音が響く。
私は呆然としながら彼の顔を見ると、西尾は私を冷たい目で睨んでいた。
「は……?」
痛みがする左頬を触る。
そこで、やっと私は実感した。
西尾に殴られたのだと。
「……西尾。暴力なんか振って、罪悪感とかないの?心が痛まないの?」
「全くねぇよ」
「とにかく、小倉とは関わるな。もし破ったら、クラスLINEに証拠を載せる」
その言葉に、私は全身が震え上がった。
クラスLINEに……。
クラスメイトからの信用は勿論、私はいくつもの大切なものを失うことになるだろう。
私の秘密は、それくらい大きい。
一人じゃ抱えきれないくらい。
「卑怯だよ……」
悔しそうな顔をする萩野。
そんな彼女とは反対に、にんまりと笑う西尾。
私は覚悟が足りなかった。
自分を犠牲にしてでも、小倉と一緒にいるという決意は、決して固くなかった。
私はどちらを取るべきか、苦悩する。
自分を犠牲にして好きな人と一緒にいるか、彼を見捨てて大切なものを守るか。
すると、彼女は右手で目を擦りながら、ぽつりと言った。
「ごめん……」
そう言った時の萩野の顔は、泣いていた。
何が【ごめん】なのか、私は瞬時に理解した。
彼女は、彼を見捨てることを選んだのだ。
それにつられるように、私の中にも、1つの決断が生まれた。
「やっぱり、結局は自分が一番なんだよね……」
そう言った時、私は半泣き状態だった。
西尾の前では涙を見せたくなかったが、感情はそう簡単に抑えられない。
「ごめん……小倉……」
私は小さな声で、そう言った。
結局、自分が一番可愛いのだ。
最後まで、他人のために身を犠牲にすることなんて、出来やしない。
「決まりだな」
罪悪感で押し潰されそうな私達とは、全く正反対の西尾。
そんな彼に対して、真っ黒な感情が湧いてきた。
それはもう、殺意に近いレベルだった。
今、もしここにナイフなどがあったら、怒りに任せて殺してもおかしくないかもしれない。
それくらい、小倉を裏切ることは辛かった。
自分から味方だとか言っておいて、後に裏切るのは最低最悪のパターンだ。
私が彼の立場だったら、死ぬより苦しい思いを味わうだろう。
それでも、私は彼より、お母さんとの約束を選んだ。
その理由は、あまりよくわからない。
それよりも、今はただ、この罪悪感から逃れたくて堪らなかった。
口の中が血の味がする。
それは、彼奴に殴られたからだと理解するのに、何分かかっただろう。
ここ……体育館の裏にいるのは、放課後彼奴に呼び出されたから。
その後は……ああ、散々殴られたり蹴られたりしたんだっけ。
それで、財布の中身まで取られたような……。
腕時計を見ると、時刻は18時30分。
冬のため、既に空は真っ暗だ。
西尾が去った後、ずっと地面に座っていたんだっけ。
俺は膝に顔を埋めると、今までの出来事が脳裏に流れた。
結局、江川と萩野は俺を裏切った。
連絡を取っても、無視された。
誰もいないところで、萩野に話しかけたが、何も答えてくれなかった。
「何なんだよ……」
江川の告白を断ったのがいけなかったのだろうか?
いや、それが原因なら、萩野まで俺を裏切ることはしないはずだ。
もしかしたら、最初から俺を裏切るつもりだったかもしれない。
何にしろ、もう俺には味方はいないのだ。
転校してきて、たくさんのクラスメイトと仲良くなれたが、全員が西尾を恐れて、見て見ぬふり。
最初は精神的に俺をいじめていたが、最近では暴力まで振られていた。
相手が昔の友人だったせいか、何度も抵抗したが、その気力はもうない。
西尾は変わってしまったのだ。
もう、昔の面影はないに等しい。
「……死にたい」
これは、本心だった。
この先、きっと夢も希望もない。
でも、それは各駅停車のように、ゆっくりと時が進んでいく。
それなら、自ら時を止めてしまった方が楽なのかもしれない。
ただ、まだ死ぬにはもったいない気がした。
俺にはまだ、やるべきことがある___
俺は江川が言っていたことを萩野に伝えると、萩野は悲しそうな顔をした。
「そうなんだ……」
「ああ……」
すると彼女は、
「少し休まない?疲れちゃったでしょ?」
と、言った。
気付けば、俺は汗びっしょりだった。
壁にかかった時計を見ると、一時間が経過していることがわかった。
もう五時間くらい経ったような気がした。
だが、あの長い一夜の話は、まだ半分しか話していない。
そう思うと、一気に疲労感が襲ってきた。
もう何10時間も寝てない。
萩野に全てを話したら、少し仮眠を取りたい。
「そうだな……」
萩野は頷くと、俺をじっと見つめながら言った。
「いつになったら、ここから出られるのかな」
「さあな。警察署の外は、マスコミで溢れてるらしいしな」
「ここから出たら、どうする?」
「そうだな……とりあえず、皆の葬式に参加しようかな」
「しばらくしたら、お墓参りにも行こうね」
「ああ」
彼女の顔が暗くなっていくことがわかった。
皆のことを話題に出したのがいけなかったのかもしれない。
「また、二人でどこかに出掛けたいな……」
俺はあえて関係ない話題を出した。
すると、彼女は目を見開いたと思ったら、こくりと頷いた。
しかし、浮かない顔は変わらなかった。
「そうだね。どこに行きたい?」
「前は水族館だったし、今度は遊園地なんかはどうだ?」
「……いいね。面白そう」
言葉とは裏腹に、表情や声色は楽しそうではなかった。
やはり、あの夜の話をしたから、深く悲しんだのだろう。
今の萩野に、どんなに楽しい話をしても、彼女が笑うことはないかもしれない。
俺はため息をつくと、話を切り替えた。
「続き、話していいか?」
彼女は真剣な顔をしながら、こくりと頷いた。
「うん。その後、江川さんも死んじゃったんでしょ?」
萩野の質問に、俺は首を横に振った。
「いや、それが……」
江川はそこまで話すと、大槻は興味深そうに言った。
「へえ、江川って小倉のこと好きだったんだ……」
「振られたけどね」
自嘲するような彼女の声。
「でも、江川の話で結構色んなことがわかったな」
大槻のその言葉に、こくりと頷いた。
江川と萩野が小倉と一緒にいたのは、初耳だった。
二人の性格上、大体想像は出来るが。
そして、それ以外にも新たにわかったことがあった。
「さっきからずっと黙ってるけど、何か疚しいことでもあんの?西尾」
大槻に名前を呼ばれた西尾は、
「……は?」
と、不機嫌そうに返す。
その声から、彼が焦っているのは明らかだった。
「何が言いたいんだよ、大槻」
「別に?ただ、いつもは自分中心じゃないと嫌なお前が、黙ってばかりなんて、珍しいなぁって思って」
確かに、今日の西尾は口数が少なかった気がする。
いつも自分がたくさん喋らないと気が済まない西尾が口数が少ないなんて、何か疚しいことがあってもおかしくないだろう。
「そんなの、俺の勝手だろ」
「ふーん……本当は何かあるくせに」
その言葉に、西尾は弾かれたように立ち上がった。
「うるせぇよ!さっきから何なんだよ!!」
「本当のこと言っただけだし」
悪びれもせず、大槻は続ける。
「そういえば、江川はどう?まだ生きてる?」
彼の発言に、俺はハッとなった。
二人の会話を聞いていたせいで、忘れていたのだ。
江川が死ぬかもしれないことを。
しかし、予想に反し、
「生きてるけど?つか、言い方酷くない?」
と、いつもの調子で彼女は言葉を返した。
予想外のことに、俺は目を見開いた。
「大丈夫なの!?痛いところとかない?」
心配そうに訊く萩野。
「ううん……全然平気」
自分の身体に、多少驚いたような声を上げる江川。
いや、まだ油断は出来ない。
もう少ししたら、彼女に異変が訪れるかもしれない。
しかし、5分くらい待っても、彼女に異変などは何もなかった。
もしかしたら、彼女は死なずに、助かったのかもしれない。
だが、それなら一体何故?
「私、死なないの……?」
江川の声から、嬉しさより、複雑な気持ちが大きい感じがした。
「なんか、変なの。死にたくはないけど、3人に悪いような……」
3人に対する罪悪感から、申し訳なさそうな声を上げる彼女。
「犯人は一体、何考えてるんだよ」
俺はぽつりと、そう呟いた。
「江川さんが無事で良かったけど、確かに何でだろうね」
萩野が言う。
「とりあえず、次話す人決めようよ」
江川が話を切り替えた。
すると、大槻があくびをしながら言った。
「そうだな……西尾、話せば?」
「……は?」
「何で俺が……」
「逆に、何でそんなこと訊くの?いずれは話すんだから、別にいいだろ」
その声は、どこか楽しそうだった。
そんな彼に反論する西尾は、いつもと雰囲気が少し違っているような気がした。
声だけでわかってしまうくらい。
「二人とも、なんか変だよ。どうしたの?」
二人の間に割るように、萩野が言う。
「後で、それは話すよ」
大槻の言葉に、西尾は、
「ど、どういうことだよ!!約束と違うだろ!!」
と、声を荒げる。
約束……?
二人は、萩野や江川の時のように、秘密でも共有しているのだろうか。
何にしろ、二人の間に何かがあるのは間違いない。
「はぁ?約束なんかしてないし。勝手にお前がそう思い込んでただけじゃん」
その口調から、西尾への軽蔑や嫌悪が感じられた。
どんどん険悪な雰囲気になっていくこの空気に、萩野と江川は戸惑っているようだったが、俺は違った。
言葉には表せないくらいの高揚感が、俺を包んでいたのだ。
それはまるで、泥沼のドラマや演劇を見ているような気分だった。
もっともっと、激しく言い争って欲しい。
もっともっと、醜い展開に導いて欲しい。
何故そんな欲望が生まれたかはわからない。
だが、二人の争いは俺の中に、心地よい風を吹かせてくれることは確実にわかった。
「もう、さっきから何なの!?【約束】とか、意味わかんないし……」
苛立った雰囲気の江川。
しかし、そんな彼女に、
「うるせぇ!!お前には関係ねぇよ!!」
と、西尾は怒鳴る。
「自分が【約束】とか口に出したんだから、説明しなよ」
その大槻の声は、さっきと同じように上ずっているが、僅かな苛立ちも感じられた。
「それとこれとは、小倉には関係ないだろ!!」
「いや、関係あるね。ていうか、ちゃんと説明した方が良いと思うよ?そうしないと、西尾が犯人だって疑われるかもしれないじゃん」
大槻が言ったことは、最もだった。
たとえそれが小さなことでも、話すのを拒否されたら、その人を犯人だと思っても仕方ないかもしれない。
現に、ここには5人しかいないのだ。
正直疑いたくはないが、この中に犯人はいるだろう。
犯人に当てはまりそうな人物について、そろそろ考えた方が良いのかもしれない。
一刻も早く犯人を見つけなければ、また犠牲者が出る可能性がある。
それが、自分だということも有り得るのだ。
「嘘だろ……」
絶望したような西尾の声。
そんな彼を煽るように、大槻が言う。
「まあ、自分から墓穴を掘ったんだから、仕方ないか。西尾、早く話さないと、松下の時みたいに怪我するかもしれないよ」
大槻の言葉で、俺は足にナイフが刺さっていた彼女のことを思い出した。
話さなければ、犯人に怪我をさせられ、俺達から犯人だと疑われる。
しかし、話したら、彼にとっては何かしら都合が良くないのだろう。
西尾からすれば、これは究極の選択だった。
「大槻……もし、俺が江川みたいに生きてたら、死ぬほど怖い目に遭わせてやる」
低い声を出す西尾から、僅かな狂気を感じた。
その言葉は、決して嘘ではないだろう。
「まあ、生きてたらの話だけどね」
余裕そうに返す大槻。
これからきっと、二人の間にあったことがわかるはずだ。
いや、それ以外にも何かわかるかもしれない。
それは犯人の正体に近付けるものかと期待しながら、俺は西尾の話に耳を研ぎ澄ました。
学校は、弱肉強食の世界だ。
そこには【食う側】と【食われる側】が必ず存在する。
少しでも隙をつけば狙われ、自分の居場所は奪われてしまうだろう。
だが、そんな世界でも、カーストの頂点に位置すれば、楽しい学校生活を送ることが可能だ。
何者にも怯えることはなく、周りを自分の手で動かすことが出来る。
それなら俺は、何がなんでも【食う側】になりたい。
たとえ、どんな手を使ってでも___
クラス分けの張り紙を、食い入るように見る。
自分のクラスや番号はとっくに見つかっていたが、俺はこの学年全員の名前を目で追っていた。
全員の名前を見ると、俺は安堵のため息をつく。
中学時代の同じ学年だった奴がいないことに、安心したのだ。
今日から、俺は高校生になった。
それは、俺が生まれ変わるスタート地点だ。
そう思うと、大きな期待と僅かな不安が生まれた。
「よし、行くか」
自分でも聞こえてるかどうかわからないくらいの声で、俺はそう呟いた。
昇降口に向かって足を進めていると、後ろから騒がしい声が聞こえてきた。
振り返ると、そこには数人の男子生徒が楽しそうに騒いでいた。
全員容姿もよく、性格も明るそうだ。
制服をそこそこ着崩しているので、多分先輩だろう。
彼等に罪はないが、あの先輩達を見ると、俺の大嫌いな奴等が頭に浮かんだ。
中学時代、俺を徹底的にいじめた奴等の顔は、一生忘れないだろう。
全ては、いじめられていた女子を助けたことが始まりだった。
中1の頃、グループから仲間外れにされたことがきっかけで、クラス全員からいじめの標的とされた女子がいた。
その女子と話すことはなかったが、いじめを見るに耐えなかった俺は、彼女を庇った。
それは、当時大人しい性格だった俺なりの勇気を出した行動だった。
彼女に理由があったとしても、それをいじめで解決しようとする皆のやり方が、どうしても許せなかったのだ。
しかし、今度は俺がいじめの標的になった。
その女子は仲の良かった奴等の方に寝返り、俺を庇うことは一切しなかった。
当然、俺に味方する奴はいなく、全員がいじめのリーダーに加勢していた。
しかし、それは自分の意思からではなく、リーダーを恐れていたからやったことだと思っている。
他人に同調しなければ、異端者と見なされ、仲間外れにされる。
それは、目には見えない掟だ。
そして、その掟を壊すことは不可能に近い。
その掟を俺は破ってしまった。
物を壊されたり隠されたり、聞こえるように悪口を言ってきたり、さらには根も葉もない噂まで流された俺に、中学時代で良い思い出なんて、1つもなかった。
だから俺は高校受験を機に、生まれ変わることを決意した。
クラスメイトが受けない地元から離れた高校に見事合格した俺は、高校生活に期待した。
高校生になったら、友達をたくさん作って、楽しい毎日を送りたい。
それは、自分次第で変えられるのだ。
いじめられてから、目立たないようにと伸ばしていた前髪を切り、眼鏡からコンタクトに変えた。
自分で言うのも何だが、見た目を変えると、自分の容姿がそこそこ良いことにも気付けた。
人は見た目で判断する。
これなら、友達はきっと出来るだろう。
そんな自信に溢れた俺は、今日を迎えた。
目の前に、教室の扉はある。
俺は入る前に、数回深呼吸をした。
自信や期待に満ちてはいたが、やはり不安もあった。
だが、その不安も楽しさに変えてやる。
そんな信念が、俺を突き動かしていた。
俺は扉に手をかけると、ゆっくりと開けた。
俺は黒板に張り出された席順の紙から、自分の席の場所を見つけると、そこに移動した。
教室をぐるりと見渡す。
もうグループが出来上がっているところもあったが、誰かに話しかけようかと、迷っているような様子の奴も、何人かいる。
容姿が良く、性格もそこそこ明るそうなタイプが理想だ。
そうすれば、カーストの上位に位置することが可能かもしれない。
中学時代、俺は散々な目に遭った代わりに、たくさんのことを学べた。
教室には、スクールカーストというものが存在する。
それは、学校内での身分制度だ。
【容姿端麗】【運動神経抜群】【勉強が得意】【運動部に所属】【空気が読める】【異性関係が充実している】など、何かしら他人より優れたものを持っている。
そして、それらの要素よりも最も重要なのは、【コミュ力】だ。
どんなにスペックが高くても、コミュ力が低ければ意味がない。
逆に、【オタク】【大人しい】【運動が出来ない】【マイナーな部活に所属している】などの要素を持っている人は、カーストの下に位置する。
そういう人ほど、いじめの標的にされやすい。
中学時代の俺のコミュ力は、正直低い方だったが、今日から変えると決めたのだ。
絶対あの屈辱的な日々を繰り返さない。
そう心の中で誓った時、ふいに一人の男子生徒が目に留まった。
俺より後に教室に来たのか、彼は黒板の張り紙を見ると、俺より1つ前の席に移動し、そこに座った。
その瞬間、俺は決めた。
彼と友達になろうと。
性格はどうかはわからないが、見た目は良い方だ。
スクールカーストは、友人のスペックにも影響する。
ならば、少しでもスペックの高そうな人を友達にしたいと思うのは当然だ。
俺は、思いきって彼に声をかけてみる。
「なあ」
後ろから声をかけると、彼はくるりと振り返った。
「何?」
「後ろ、よろしくな」
俺は笑みを浮かべながら、無難な挨拶をする。
すると彼は、
「よろしく」
と、挨拶すると、あくびをした。
「名前、何て言うんだ?」
「そういうもんは、自分から名乗るんじゃないの?」
俺は一瞬しまった、と思ったが、彼はふざけて言ったつもりなのか、特には気にしてなさそうだ。
「俺は西尾。お前は?」
「大槻。てか、連絡先交換しない?」
その言葉に、俺の気分は一気に高まった。
連絡先はいずれ交換したいとは思っていたが、まさか相手の方から言ってくれるとは思ってもみなかった。
俺はポケットからスマホを取り出すと、彼に1つ質問した。
「なあ……大槻って、このクラスに友達とか知り合いっているか?」
これは、重要なことだった。
どんなにスペックが高くても、他の人数が多いグループがクラスを仕切ってしまったら、意味がない。
もしそうなれば、自分の地位を守るために、そいつらに従わなければならない。
それだけは、絶対嫌だ。
なんとかそれを防ぐには、人数を増やすしかない。
大槻は、教室中をぐるりと見渡すと、
「一応いるよ。女子だけど」
と、ぽつりと言った。
「誰だ?」
俺は興味津々だった。
その女子のスペックや性格によっては、是非仲良くしておきたい。
大槻は「あいつ」と言いながら、一人の女子を指差した。
すると、俺は目を見開いた。
胸元辺りまで伸ばしたサラサラの髪、ぱっちり二重の目、スタイルの良い彼女の見た目は、仲良くなるには、申し分ないレベルだった。
ふと、1つの疑問が浮かんだ。
「大槻って、あの子とどういう関係なんだ?まさか、彼女とか?」
「ただの幼馴染み」
呆れたように返す大槻。
その回答は、予想外だった。
大槻と幼馴染みなら、なおさら近付きやすいだろう。
「そうか……名前は?」
「松下里奈。まさか惚れた?」
そう聞き返す大槻に、僅かな焦りが見えた。
その理由は、すぐにわかった。
俺はにやにやと笑みを浮かべながら、彼の肩をポンポンと叩く。
「応援するよ」
そうからかう俺を、大槻は思いきり睨んだ。
気だるそうな雰囲気の彼だが、ノリは悪くないし、美人な幼馴染みまでいる。
俺は彼と一緒にいると、心の中で決めた。
「……で?何で俺らが、ストーカーみたいなことしなきゃいけないんだよ」
路地裏の壁にもたれ掛かりながら、呆れたような声を出す大槻。
俺は口元に人差し指を立てた。
「静かにしてくれよ。もしバレたら、俺ストーカーだって勘違いされるだろ」
「いや、もう既に立派なストーカーになってるから」
大槻のツッコミを無視し、俺は商店街を歩く松下と名取に視線を向ける。
入学式の日から、俺は松下についての情報を集めた。
ほとんどの情報が、付き合いの一番長い大槻からもらったものだが。
大槻曰く、彼女は気が強く、プライドが高い性格らしい。
そして、これは俺が彼女の様子を見ていたことからわかったことだが、松下はクラスメイトの名取とよく一緒にいた。
それなら、彼女とも仲を深めた方が良いだろう。
名取も容姿は良いし、男子顔負けの運動神経の持ち主だ。
名取はわからないが、松下は一緒にカーストの上位を目指すには、十分すぎる性格だった。
【一緒に】と意識はしたが、勿論それを口には出さない。
そうなるための雰囲気を作るのだ。
そのため、まずはあの二人と仲良くなる必要がある。
だから、俺と大槻は放課後、あの二人を尾行し、タイミングを見計らって声をかけることにした。
勿論、偶然を装って。
「本当、マジで何なの?何で尾行なんかしなきゃいけないの?」
当然だが、大槻は俺の目的を知らない。
無理矢理連れてきただけだ。
俺は眉を八の字にしながら、大槻にぽつりと呟く。
「大丈夫だ。お前のだーい好きな松下を取ったりなんかしないから」
「うぜぇ……」
俺はさらに尾行を続けると、二人はファストフード店に入って行った。
しばらくは、そこにいるのかもしれない。
今ならいける。
根拠もないそんな自信が、俺を突き動かしていた。
俺は暇そうにスマホをいじる大槻の肩を叩く。
「今だ。行くぞ」
「あれ、松下と名取じゃん」
わざとらしく、俺は偶然を装って、席に座っている二人に声をかけた。
俺達に背を向けて座っていた松下は、驚いたような表情をする。
しかし、やがて彼女は、
「偶然ね。隣、座る?」
と、自分達が座っている四人がけの椅子を指差した。
これは、絶好のチャンスだ。
俺は拳を握り締めながら、そう確信した。
「隣、良かったのか?」
俺は、買ってきたものをテーブルに置きながら、名取が座っているソファ席に座る。
それと同時に、松下の隣の席に着く大槻。
俺は彼に笑顔を送るが、予想通り睨み顔しか返ってこなかった。
「どうぞどうぞ」
松下が言う。
俺はコーラにストローを挿すと、彼女達と仲良くなるための方法を考える。
話題は身近なものが良いだろう。
俺は向かいに座っている大槻に視線を向けると、俺は口を開いた。
「松下って大槻と幼馴染みなんだよな」
「そうだけど」
意外にも、冷めたように答える松下。
俺はからかうように言った。
「お前らって付き合ったりしないのか?」
俺の質問に、松下は僅かな動揺を見せたが、すぐにすました顔に戻る。
「この恋愛脳が」
大槻に真顔で返された俺は、
「失礼だなー。でも、付き合ってることは否定してないし、もしかして……」
と、懲りずに続ける。
「断じて違うわよ」
しかし、松下に冷たい視線を向けられてしまい、この話題はやめることにした。
俺は苦笑しながら、
「なんかお前ら二人って冷めてるよな」
と、素直な感想を述べた。
「どういうことよ」
「なんとなく」
そう言うと、俺はコーラを口に含んだ。
大槻と松下は、どことなく似ている気がした。
マイペースでゆるゆるとした雰囲気の大槻と、勝ち気でプライドが高い性格の松下。
一見性格が正反対な二人だと思うが、少し似ているのだ。
俺は徐に鞄からスマホを取り出すと、松下と名取に向かって言った。
「松下、名取、連絡先交換しないか?」
「うわ、早速ナンパしやがった」
「違うわ!」
「でも、誤解されても仕方ないかもね。なんか西尾ってチャラそうだし」
「ひでぇよ、名取」
大槻と名取から散々言われたが、松下はしばらく黙り込むと、
「いいよ。交換しよ」
と言いながらスマホを出した。
連絡さえ交換すれば仲良くなれるというわけではないが、それでも大分二人に近付けた。
そう思うと、一気に口元が緩んだ。
必死に歯を食い縛り、我慢する。
「これからよろしくな」
二人に向かって言った言葉は、期待感で溢れていた。
それからは、あっという間だった。
このクラスには、【この人は絶対一軍になりそう】という人物は松下以外ほぼいなかった。
運動が出来たりコミュ力が高い奴もいるが、俺から見れば、そいつらはせいぜい二軍。
ならば、あとは自分次第だ。
俺や松下達がクラスを制するという雰囲気さえ作れば、一軍という憧れの地位に定着する。
授業では積極的に発言し、クラスメイトの笑いがとれるようにコミュ力も磨き上げた。
それが功を奏し、俺はクラスのリーダー的存在になれたのだ。
大槻や名取はそのことを気にしないどころか、気付いてすらいない様子だ。
しかし、松下は違った。
前よりも態度がでかくなったのだ。
やはり、俺の予想は正しかった。
彼女は決して、純粋な友情など求めていない。
俺と同じく、自分の地位が一番大事な人間の一人だ。
都合が悪くなれば、どんなに良い奴でも、真っ先に切り捨てるだろう。
そんな彼女に対する嫌悪感など、全くなかった。
むしろ親近感すら湧いた。
それは、俺がいじめをしてきた彼奴等にどんどん似てきたからかもしれない。
しかし、それは仕方ないことだ。
悪意のない教室なんて存在しない。
誰だって、悪意を持っているのだ。
どうせ俺がこんなことをしなくたって、誰かしらが一軍という地位に着き、クラスを動かしていく。
ならば、自分がその地位に着きたいと思うのが妥当な考えだろう。
俺の唇の端が、微かに吊り上がった。
この先が楽しみで仕方ない。
卒業まで、絶対俺はこの地位にいられる。
そう確信していた。
これは偶然だろうか。
いや、必然的な運命だったのかもしれない。
教卓の側には、制服を適度に着崩し、緊張した面持ちの男子がいる。
皆は好奇心を含んだ眼差しで彼を見ているが、俺は違った。
彼の顔に見覚えがあったのだ。
いやいやまさか、と心の中で首を振るが、それはどうやら当たりだったようだ。
転校生の彼が名前を名乗った瞬間、俺の中に電流が走ったような衝撃がした。
小倉……。
彼奴は小学校の頃の同級生で、とても仲が良かった。
中学に上がると同時に、彼が隣の県に引っ越してしまい、それ以来小倉の姿は見てないが、それでも一瞬にしてわかった。
普通だったら、感動の再会で喜ばしいことかもしれないが、俺にそんな感情など、微塵にもなかった。
小倉は俺がいじめられていたことこそ知らないが、昔の自分の性格は熟知しているはずだ。
もしも彼が自分が昔大人しい性格だったということをクラスメイトに話したら、俺の地位は揺らぎかねない。
だからといって、小倉に口止めを要求するのも、彼からすれば不自然だし、そんなことは俺のプライドが許さなかった。
ならば、小倉が俺のことを忘れていることを願うしかない。
俺の名前を見ても、何も思い出さないくらい、俺に関する全ての記憶がなくなってればいい。
先生に促され、自分の席に着こうとする小倉を見ながら、俺は必死に祈った。
しかし、それは彼の一言で脆くも儚く砕け散った。
「もしかして、お前……西尾か?」
小倉が発した言葉により、俺の全身が固まった。
額から冷や汗が流れる。
気付けば俺は、クラスメイトから物凄く注目を浴びていた。
その視線は決して冷ややかなものではなかったが、膝の震えが止まらなかった。
……とりあえず、固まっていたらダメだ。
俺は必死に声を絞り出した。
「え……?ていうことは、やっぱりお前……」
その声はどこか震えていたが、そんなことは気にも留めずに、小倉は笑顔を浮かべた。
嬉しそうな彼の表情が、俺を苛立たせる。
「え!?本当か!?久しぶりだな!!」
どうしてお前がここにいるんだよ。
怒気を放ちながら、そう言いたかった。
だが、そんなことは自殺行為同然だ。
俺は彼と同様、笑顔を作った。
今にも雑談を始めそうな俺達の空気を察したのか、名取が、
「はいはい。感動の再会もいいけど、これからHR始まるから後にしてね」
と、苦笑しながら言った。
感動の再会なんかじゃねえし。
そう言いたいのを必死に堪える。
小倉が席に着くと、俺はハンカチで額から流れる汗を拭いた。
なんとか今は上手く対応出来たが、今後どうなるかわからない。
場合によっては、自分の立場が悪くなるかもしれない。
そう思うと、小倉の存在が憎くなった。
どうしてよりによって、この学校に転校したんだ。
お前さえいなければ、今後も安泰だったのに。
真っ黒い感情が俺の中を支配すると同時に、俺は拳を握り締めた。
HRが終わり、俺は逃げるようにトイレに向かうと、後ろから声をかけられた。
すぐに正体はわかった。
「小倉……」
俺は呟くように言う。
すると、小倉はにこりと笑みを浮かべた。
「西尾、なんか変わったよな」
その言葉に、一気に焦りが募る。
幸いここは俺達以外誰もいない廊下だったため、誰かに聞かれることはなかった。
しかし、俺は平静を保つことは出来なかった。
「ど、どこが……?」
その声は、やや裏返っていた。
「見た目。前は眼鏡かけてたからかな。髪型も少し変わったし、凄くカッコいいと思う」
「そうか……?」
「ああ!」
外見を褒められても、あまり嬉しくなかった。
それだけ過去の自分が地味だったということを、突きつけられたからだ。
「西尾の友達ってどんな感じか?仲良くなりたいな、と思って」
その言葉に、今まで張りつけていたぎこちない笑顔が崩れた。
小倉をグループに入れる気なんて、さらさらなかった。
別のグループの奴と仲良くなると思っていたからだ。
俺にとっての危険人物との距離をこれ以上近付けさせるのだけは、勘弁したい。
「……小倉とはあまり気が合わないと思うけど」
「そんなの話してみなきゃわかんないだろ!」
引き下がろうとする気は全くならそうな小倉。
これ以上言っても無駄かもしれない。
それに、他のグループに入ったところでバレる可能性はあまり変わらないだろう。
俺は再びわざとらしい笑顔を作りながら、口を開いた。
「じゃあ、今日の昼、俺達と一緒に食べような」
小倉はこくりと頷く。
俺は彼に背を向けると、目的もなく走った。
少しでもいいから、彼から離れたかったのだ。
職員室前まで来ると、荒い呼吸を整える。
俺は唇を噛み締めると、低い声でぽつりと呟いた。
「彼奴さえいなければいいのに……」
小倉がこのクラスに来てから1週間が経った。
彼はすぐにクラスに馴染んだ。
孤立とまではいかなくても、せめて俺らのグループに定着するのだけは勘弁して欲しかったが、俺の願いは叶わなかった。
今のところ彼はクラスメイトに過去のことを話してはないが、まだ油断は出来ない。
神経をすり減らす日々にいい加減うんざりしていたが、仕方がないことだ。
放課後になり、俺は帰り支度をする小倉をちらりと見ると、過去の出来事がふと浮かんだ。
小倉は昔から、正義感の強い性格だった。
大人しい性格だった俺を時々からかってくるクラスメイトから、いつも庇ってくれた。
それは決して偽善的な考えからの行動ではなかった。
どうして気弱な自分と一緒にいてくれるのか訊いたこともある。
すると、小倉は【気が合うし、優しいところが好きだから】と言われた。
あの時は【優しいのはどっちだよ】と思った。
今はそんな尊敬的な気持ちは、どこにもないが。
記憶を少し最近にしてみる。
卒業式の日、小倉は泣いていた。
春休み中に彼は、引っ越すからだ。
意外にも俺は涙を流すことはなかったが、それでも別れることに対する寂しさは大きかった。
【絶対また会おうな!】
兎のように目を真っ赤にしながら、小倉はそう言った。
まさかこんな形で再会するとは、彼も思ってもみなかっただろう。
ふと視界に、3枚の数学のプリントが入った。
確か、これは今日中に教科担当に出さないといけないはず。
しかし、職員室までの道のりは長い。
俺はめんどくさそうにため息をついた。
すると、ある考えが浮かんだ。
視線を一人のクラスメイトに向ける。
「笠原。これ先生に渡しといてくれ」
名前を呼ばれた彼女は、俺の方に近付き、プリントを受け取る。
少し前、俺と松下は笠原、萩野、江川をグループに入れた。
本人達は嫌がった様子だが、そうせざる得なかった。
彼女達は俺達に弱味を握られているのだから。
弱味につけこみ、彼女達をパシりにすることは、実に愉快だった。
ふいに、一人の男子生徒が目に留まる。
他のグループの奴等と楽しそうに話している彼……光貴は、萩野の彼氏だ。
俺達のグループに時々加わることもある。
彼は、萩野が俺達に嫌がらせをされてることを知らない。
もし、光貴にそのことがバレれば、俺と松下は彼を敵に回すことになるだろう。
だが、そうなってもデメリットなどは特にない。
そのため、そのことに関して危機感など全く持っていなかった。
視線を再び笠原に向けると、彼女は無表情のまま口を開いた。
「え?何か用事あるの?」
その言葉に、俺は眉間に皺を寄せた。
いつもなら、笠原はこんなこと言わないのに、何故そう返したのだろう。
「特にねぇけど」
あからさまに不機嫌そうに答える俺。
そんな俺を黙り込みながら見つめる笠原。
反抗的な彼女の様子に、俺の苛立ちが増した。
「何だよ、その態度」
「別に」
素っ気なくそう言うと、彼女は俺に背を向けて教室から出て行こうとした。
それでも、俺の中に溢れる彼女への猜疑心は止まらない。
笠原は何故、あんなことを言った?
逆らえば、社会的に殺されてしまうのに。
笠原の後ろ姿を見ながら、唇をきつく噛み締めたその時だった。
「プリントくらい自分で出せに行けよ」
背後から聞こえた声の方を向くと、そこには小倉がいた。
今にも俺を睨んできそうな彼の顔。
突然のことに、俺の声はやや裏返っていた。
「は?別にいいだろ」
「いいわけない。お前と松下ってこの前から、笠原をこき使ってるだろ。友達……ましてや、女子にそんなことするなんて酷くないか?」
名前を呼ばれた松下が、こちらをちらりと見る。
俺が笠原や小倉の立場だったら、間違いなくその視線を逸らしていただろう。
「いいや。俺のお陰で笠原だって、救われてるんだぞ」
小倉は笠原達の件について何も知らない。
だから、こんなことを言っても意味はないかもしれないが、言わずにはいられなかった。
「も、もう私のことはいいから」
彼女がおずおずとそう言うが、
「だからって、こきを使うのは可笑しいだろ。笠原の気持ちも考えろよ」
と、納得出来ないという表情をする。
いつまで経っても反論する小倉の性格を、俺は昔から知っているが、それでも怒らずにはいられなかった。
「うるせぇな!事情も知らない奴に、偉そうに言われたくねぇよ!」
彼に対する怒りを、ここまで吐き出したのは、初めてかもしれない。
俺の怒声と机を叩く音に、クラスメイトがこちらを一斉に見るが、そんなことは気にしなかった。
しかし、笠原はそれに耐えきれなかったのか、勢いよく教室から出て行った。
「笠原!」
そんな彼女の後を追う小倉。
俺は彼の後ろ姿を、思いきり睨んだ。
昔は頼もしかった正義感が、今では鬱陶しくて仕方ない。
もういっそ、彼を仲間外れにした方が楽なのかもしれない。
「……いいかも」
冗談半分の考えだったが、それが一番良い気がした。
小倉をハブれば、俺達と関わることはなくなる。
それに、クラスメイトも空気を察して、彼を無視するだろう。
改めて、この地位に感謝した。
もし一軍に着くことが出来なかったら、こんな考えは夢のまた夢だったかもしれない。
今はまだ早いが、数週間後には実行したい。
俺は友人と何かを話してる松下に、視線を移す。
笠原の味方をした小倉に対して、彼女も彼のことをよく思ってないだろう。
そうなれば、完璧だ。
俺の口元が綻ぶ。
しかしこの時、俺は気付いてなかった。
背後から俺を睨んでる人物にも、隙があったことにも、カーストが崩れることにも___
それは、小倉への嫌がらせが始まってから、数週間後の出来事だった。
放課後になり、俺は下駄箱で自分の靴を取ろうとしたその時、靴の中にあるものが入っていたことに気付いた。
それは、四つ折りにされたルーズリーフだった。
「何だこれ……」
そう呟きながら、紙を広げる。
そこには、黒いボールペンで【放課後、体育館裏に来て】としか書いてなかった。
書いた人物がわからない手紙に、俺は困惑した。
告白ならもっと可愛いレターセットやペンを使うだろうし、内容が簡潔すぎる。
ならば、何か大事な話があるのだろうか。
普段、誰も来ない体育館裏に呼び出すほど、それは内密な内容なのだろうか。
次々に浮かんでくる疑問を抱きつつ、俺は体育館裏へ足を進めた。
途中、くしゃみを数回すると、身震いがした。
季節はすっかり冬となっていた。
少し前までグラウンドには紅葉が咲いていたが、今はその面影はない。
今年は本当に早かった気がする。
光貴をグループに入れて、笠原達の弱味を握って、小倉と再会して……。
今年のことだけでなく、去年のことまでが、まるで走馬灯のように脳裏に流れる。
改めていじめられていた中学時代とは、全然違うと思った。
友達だっているし、クラスの中心になれたし、何かに怯えることもない。
それは、本当に楽しいことだった。
しかし俺はどこか、学校生活に物足りなさを感じていた。
不満はないが、満足はしていない。
そんな気持ちが、俺の中にあった。
それが何なのかはわからない。
ただ、最近やけに中学時代の思い出が脳内で、フラッシュバックしていることは確かだった。
やがて、体育館裏に着くと、1つの人影が見えた。
さらに歩くと、俺の足がぴたりと止まった。
予想外の人物に、顔をしかめる。
すると、俺が来たことに気付いたのか、そいつは俺の顔を見ると、口角を上げた。
しかし、その視線は凍りつくように冷たかった。
「何で、呼び出したんだよ……大槻」
「何でだと思う?」
冷たい風に紛れて、彼の声が聞こえてきた。
「知るかよ、そんなこと」
吐き捨てるように、俺はそう言った。
早く本題が知りたいのに、それを焦らす大槻に、苛立ちが募る。
やがて、彼は白い息を吐くと、ポケットから1枚の紙を取り出した。
そして、それを俺の目の前に翳す。
すると、俺の中に電流が走ったような衝撃がした。
それは、小倉と再会した時と同じ感じだった。
何か言いたくても、誰かにとりつかれてるんじゃないかと思うくらい、言葉が出てこない。
今は目の前の現実……中学時代のいじめられている俺の写真を、何故か大槻が持っているということを、しっかり受け入れるのに精一杯だった。
その写真の様子を、俺はよく覚えている。
数人の男子が校舎裏で俺に暴力を振った後、財布の中身を全部取っていった時だ。
そこには顔が痣だらけの俺と、胸ぐらを掴んでいるリーダーが、ばっちり写っていた。
その脇には、にやにやと不快な笑みを浮かべている取りまきも数人いる。
きっと、取りまきの誰かがふざけて、この写真を撮ったのだろう。
しかし、何故この写真が大槻のもとにあるのだろうか。
彼とは、中学が違うはずだ。
「何で、俺がこの写真を持っているのか、って思ったでしょ?」
まるで俺の心を覗いたかのように、大槻はそう言った。
俺は舌打ちをしながら、
「当たり前だろ!この写真、どうしたんだよ!」
と、怒鳴った。
言い訳はしなかった。
この写真を見た時点で【ふざけていただけ】など返しても、到底信じてくれないだろうから。
大槻は顔から笑みを消すと、
「それは言えない」
と言って、彼は悴んだ両手に息を吹きかけた。
その言葉に、俺は何とも言えない恐怖にかけられた。
得体の知れないものが、俺を支配している。
それは、とても久しぶりな感覚だった。
「てかお前、中学時代いじめられてたんだ」
さらに追い討ちをかけるように、彼が呟く。
いつの間にか、大槻の表情には笑みが戻っていた。
相変わらず、目は笑っていないが。
「そうだけど、それが何か?」
俺はあえて、開き直った。
「……それについてどうこう言うつもりはないけど、これ以上お前の好きなようにはさせない」
「はぁ!?」
俺は目を見開いた。
これ以上、好きなようにはさせない?
何を言ってるんだ、こいつは。
「笠原や萩野、江川の弱味を握って、小倉をいじめて……心底見損なった」
その言葉に、俺は眉間に皺を寄せた。
「何で、お前が笠原達のこと……」
「知らないとでも思った?全部教えてもらったんだよ。この写真をくれた奴に」
一気に体の力が抜けていく気がしたが、なんとかそれを堪える。
「大体何で……そいつの正体を教えてくれないんだよ」
「笠原達に関する情報や西尾の秘密について教える代わりに、正体をバラさないって条件だったから。一応、そこは守るからね」
俺はただただ、唇を噛み締めることしか出来なかった。
「詰めが甘すぎるんだよ。西尾は」
彼の言葉に、俺は何も言い返せなかった。
この学校に中学にいた奴等がいないからと思って、俺は完全に安心していた。
外部から情報が漏れるなんて、少しも思ってなかった。
「でも、いいか……そのお陰で、こうしてとっておきの情報を手に入れることが出来たんだし」
「……お前は、俺をどうしたいんだよ」
ぽつりと俺は声を漏らした。
「そんなの決まってる。もう、お前にクラスは任せられない。2度と自分勝手な理由で、誰かを苦しめるな」
最後の方には、僅かな彼の怒りが感じられた。
やっぱり、大槻は【あっち側】の人間だったんだ。
何とも言えない感情が湧いてくる。
「うるせぇな……てか、そんなこと言っといて、何が出来るんだよ」
すると、彼は少し間を開けて、
「笠原達みたいに、弱味を握るんだよ」
と答えた。
俺は目を大きく見開く。
「んな……」
「これを機会に、味わってみたら?笠原達の気持ちを。小倉はもっと苦痛だったかもね」
彼の言葉は、俺の中に絶望感と怒りを生み出すのに、十分だった。
俺はすかさず言い返す。
「そんなこと言ったら、お前だって小倉のこと見て見ぬふりしてただろ!!」
「……あの時は、諦めてたんだよ。これが現実なんだ、って。でも、この写真をくれた奴に頼まれたんだ。【西尾をカーストから下ろして欲しい】って。それを機会に小倉を助けようと思ったんだよ。確かに俺も悪かったけど、西尾はもっと悪い。お前なんかと友達になるんじゃなかった」
【お前なんかと友達になるんじゃなかった】
その言葉が、何度も頭の中で繰り返される。
考えてみれば、俺は彼を友達として見ていなかった。
カーストの上位に上がるための材料としか、考えていなかった。
それは大槻に限らず、松下も名取も……。
すると、俺の中に衝撃的な事実が浮かんだ。
……俺には、友達と呼べるような人はいない?
その考えを必死に否定したかったが、心のどこかでは肯定している自分がいた。
「話はこれだけ。寒いから、俺もう行くわ」
そう言って、その場を離れようとする大槻の両肩を掴んだ。
「……頼むから、写真だけは誰にも見せないでくれ」
これは、俺のプライドを押し殺した、精一杯の言葉だった。
大槻はしばらくの間黙り込むと、やがて口を開いた。
「小倉へのいじめと笠原達をパシりにするのをやめたら、いいかな……ま、俺の気分次第だけど」
最後の方が少し気になったが、俺はこくりと頷いた。
やがて、大槻はその場を離れ、姿が見えなくなると、俺は赤い空を見上げた。
今まで持っていたものを、全て失ったような感覚になっていた。
いや、実際そうだ。
大槻は【これ以上お前の好きなようにはさせない】と言っていた。
つまり、カーストの頂点に俺を立たせない気だろう。
俺をグループから外すことはないかもしれないが、言動には気を付けなければいけない……つまり、笠原達と同じことをされるということになる。
そう思うと、絶望感しかなかった。
それと同時に【因果応報】という言葉が浮かんだ。
笠原達にやってきたことが、自分に返ってくる……。
「何で……」
そもそも、いつからこんなことに発展してしまったのだろう。
小倉をいじめた時から?
笠原達の弱味を握った時から?
大槻と出会った時から?
いや、もっと前からかもしれない。
「こんなはずじゃなかった……」
俺の呟きは、強い風によってかき消される。
その日の夜、小倉は亡くなった。
「このくらいだよ……俺が話すことは」
その声はとても低く、悔しそうな顔をする彼の顔が思い浮かんだ。
これで、二人の間にあった出来事がようやくわかった。
考えてみれば、犯人探しを大槻が企画した時もそうだった。
本来ならば、西尾はもっと反論するだろうが、あの時彼は多少反対しただけで、結局大槻の意見に賛成していた。
それは、自分の意見を主張し過ぎて、写真のことがバレてしまうのを恐れていたからだろう。
今日だって、必要以上に話して、彼の機嫌を損ねてしまうことを考えて、口数を少なくしたのかもしれない。
そう考えると、西尾と大槻の立場は明らかに逆転していた。
「……因果応報、か」
江川がぽつりと呟く。
「西尾はいじめられていたんでしょ?それなら、いじめられる気持ちがどんなものかわかってるはず。なのに、何で小倉を苦しめたの」
「それは……自分の地位を守りたかったから」
「それは何で?」
「そうすれば、いじめられないと思ったからだよ……」
まるで二人は、説教をする先生とその生徒のようだった。
「カーストばかり気にしてたら、自分を見失うだけ」
誰かが小さい声で、そう言った。
「萩野……」
声の主を、西尾が呟く。
「私は前までは結構地味なグループにいたけど、そのグループ内には上下関係がなくて、楽しかったよ。少ないけど、ありのままの自分を受け入れてくれる友達もいた」
「でも、クラスの地位は低いだろ……」
「地位なんか関係ない。確かに、私は意見をしづらい立場だったけど、それでも心から満足していた」
萩野の言葉に、黙り込む西尾。
すると、
「それが、あんたに足りてなかったんだよ。西尾には本当の友達がいなかった」
と、江川が再び言う。
「大体そんなもんだろ、人間って……自分の利益を考えて、友達を作るんだろ」
「違う。皆がそうだなんて限らない。純粋に友達になりたくてなった人だっている。私が萩野と友達になりたい、って思った時みたいに」
すると、江川は席から立ち上がった。
床の音がする方向から、西尾の席に向かったことがわかった。
「正直、今のあんたは嫌い。カーストのことばかり考えて、利益次第で人を傷付けて、弄んで……だけど、考え直してくれるなら、友達になりたい。カーストの頂点としてじゃなくて、一人のクラスメイトとして、仲良くなりたい」
「……そんなに簡単に許しちゃうんだ?」
大槻が言う。
「確かに、私は酷いことをされていた。だけど、憎しみからは何も生まれない。強いていえば、悲しみだけだよ」
「ふーん……」
つまらなそうに返す大槻。
すると、
「本当……江川と萩野の言う通りだな」
と、西尾が言う。
その声は、どこか明るくなっていた。
「俺がやってきたことは許されることじゃない。たくさんの奴等を傷付けてきた……だけど、やり直せるなら……」
西尾がそう言いかけたその時だった。
真っ暗な教室に、小さな灯りがついた。
徐々にそれは大きくなっていく。
それは、人間と同じくらいの大きさに変化していった。
そう、人間と同じくらい……。
「うわあああぁぁ!!熱い!!熱い!!」
灯りの正体が、西尾の体に燃え盛る炎だということに気付いたのは、すぐだった。
「ちょ、西尾!?」
床に倒れ、悶える西尾から離れる江川。
俺達は忘れていたのだ。
彼が死んでしまうかもしれないということに。
だが、体が突然燃えることは初めてだったので、予想外の自体に頭がついていけない。
「消火器はないのか!?」
俺は彼の炎の灯りを便りに、それらしきものを探すが、一向に見つかる気配はない。
「あちぃよ!!誰か助けてくれ!!」
悲痛な西尾の叫び声と同時に、肉が焼けるような臭いがした。
その生々しい臭いに、再び吐き気が込み上げてくる。
手足をバタバタと動かしていた西尾の動きが、徐々に弱くなってきた。
それは、彼の死が近付いていることを意味していた。
「せめて水とかないの!?」
大声で江川が叫ぶが、そのようなものは見当たらない。
ブレザーを使って上手く火を消すことも出来るが、ここまで炎が大きくなれば、ブレザーにも燃え移ってしまうだろう。
だが不思議と、教室に燃え移ることはなかった。
「熱い……熱い……助けて……」
どんどん弱くなってくる西尾の声に、俺は彼を助けることを半分諦めていた。
なんとか消火したところで、すぐに病院に運ばなければ命はないだろう。
だが、俺達は教室から出れないのだ。
朝が来るまで彼が生きているとは、とても思えない。
しかし、それでも俺は消火できるものを探すのをやめなかった。
「諦めんな、西尾!絶対助けるから!」
教室の棚からそれらしきものを探そうとする江川。
その隣には、ロッカーの中身を探る萩野。
「もう、無理なのにな」
背後から、そんな声がした。
振り返ると、そこにはもうほとんど動かない西尾を、無表情で見つめる大槻がいた。
「お前……」
その冷静すぎる……悪くいえば、冷たすぎる態度に、驚きと恐怖を感じる。
やがて、西尾は動かなくなった。
声を上げることもなかった。
ただただ、うつ伏せのまま炎が燃え盛るだけ。
その姿が無惨すぎて、俺は彼から目を逸らすと、大槻がバケツにあるものを入れていることに気付いた。
それは、二リットルの水だった。
「え!?大槻、それ……!!」
「え?ああ、これは非常用の水。あんまり知られてないけど、使われてないロッカーの中に10本入ってるんだよ」
「そういうことじゃなくて、何で早くかけなかったんだよ!!」
俺の怒鳴り声に、江川と萩野が反応する。
すると、二人もバケツと二リットルのペットボトルに気付いたのか、
「それ……!!」
と声を上げ、目を見開いた。
「どうせ死ぬんだから、別にいいだろ」
悪びれた様子は全くない大槻。
すると、彼は満タンになったバケツを西尾にぶっかけた。
炎が少し弱まる。
「何で、それがあるって教えてくれなかったの!?」
大槻との距離を縮める江川。
そんな彼女には一瞥もくれず、今度はペットボトルのまま彼の体に水をかけた。
8本のペットボトルを使いきると、ようやく火が消えた。
再び、暗闇が訪れる。
「ねぇ……何で……西尾を助けなかったの。ねぇ、何で!?」
怒りに満ちた声が、教室に響き渡る。
「何でって……殺したかったからに、決まってんじゃん」
「は……?」
彼の答えに、俺は呆気にとられた。
「……じゃあ、皆を殺したのも、あんたなの?」
「それは違う。大体、西尾に火をつけたのは俺じゃないし」
平然とそう答える大槻。
正直、今の状況での彼の答えは信じられなかった。
「じゃあ、他に誰がいるの!」
「知るかよ」
今にも冷戦が始まりそうな次の瞬間、カチッという音がした。
同時に、1つの小さな明かりがつく。
それは西尾の命を奪った炎ではなく、紛れもない懐中電灯の明かりだった。
そして、それをつけた人物は大槻だった。
「お前……それ……」
「騙しててごめん。本当は懐中電灯、つくんだ。さっきは電池を抜いてただけ」
その言葉と行動に、俺は驚愕した。
俺達を騙していた……?
一体、何故……。
「何で騙してたの!?懐中電灯さえあれば、笠原さん達だって助かったかもしれないのに……」
萩野の悲しそうな声。
思えばそうだ。
笠原は明かりがなかったせいで、心臓マッサージが出来ずに、そのまま死んでいった。
他にも、明かりがあれば名取も松下も、ナイフで刺されることもなかっただろう。
もしかしたら、西尾だって……。
「正直、皆が死ぬのは予想外だった。最初、何かトラブルがあったら面白いな、って思ってた程度だった。だけど、笠原が息苦しいって訴えてから、無意識に電池を抜いたんだよ。こうなることを予想……いや、望んでいたからの行動だったかもしれないなぁ」
「お前、それ本気で言ってんのかよ!!」
俺の怒鳴り声が響く。
「そうだけど?」
そう言って大槻は懐中電灯を机の上に置き、天井に照明を照らした。
すると、彼は床に落ちている血のついたナイフを拾うと、西尾の方へ一歩一歩近付く。
大槻がこれから、何をしようとしてるかを想像すると、全身に鳥肌が立った。
「あーあ……西尾、すっかり皮膚爛れちゃったな」
大槻は西尾の亡骸の前にしゃがむと、ぽつりとそう呟いた。
そんな彼を、俺達は遠巻きに見ることしか出来なかった。
萩野はもはや半泣き状態だ。
本当は今すぐにでも、大槻を止めたいが、体が動かない。
大槻が立ち上がると、西尾の顔らしきものが見えた。
皮膚はドロドロに溶けており、髪の毛はほとんどなくなっていた。
見るに堪えない姿に、思わず視線を逸らす。
すると、大槻は西尾に向けてナイフを構えた。
その意味はすぐにわかった。
「やめて!!」
江川の声も虚しく、ナイフは西尾の胴体にめがけて思いきり刺さった。
勿論、その一回だけではない。
何度も何度も、ナイフで刺し、時々中身をかき回しているのか、グチャグチャと気持ち悪い音を奏でる。
「もう……やめろ。そんなことして、何の意味があるんだよ」
「恨みを晴らしたいからだよ。焼死だけじゃ物足りない。死んでも、もっと残酷な姿になるまで、俺の手で変えてやらなきゃダメなんだよ」
「……狂ってる」
ぽつりと、江川が言った。
その言葉には気にも留めずに、大槻は死体をナイフで切り続ける。
やがて、大槻はくるりと俺達の方に振り返ると、ナイフを机の上に置いた。
大槻のブレザーやシャツは赤く染まっていた。
頬にも、僅かな血がついている。
俺はあえて、変わり果てた西尾の死体を見なかった。
「大槻……お前、本当に何考えてるんだよ。懐中電灯の電池抜いたり、西尾を助けなかったり、死体をグチャグチャにしたり……」
俺の質問に、彼は無表情のまま答えた。
「何って……現実にうんざりしてたんだよ」
それは、何てことのない夏の日だった。
「何やってんの、松下」
教室に入った俺は、窓の外を眺めている彼女の名前を呼んだ。
プレートに【6年2組】と書かれたこの教室には、俺と彼女以外誰もいない。
今は休み時間のため、他のクラスメイトは校庭や図書室などに行ったのだろう。
すると、松下は長いツインテールの髪を爽やかな風で揺らしながら、こちらに振り向いた。
「校庭を眺めてただけ」
「へー……」
自分でもわかるくらい無愛想に返す。
俺は彼女の横に並ぶと、窓の外の景色を見た。
そこには、ボールや遊具で遊ぶ下級生がたくさんいる。
ふいに、蜘蛛の子を散らすように逃げる人達を視界に捉えた。
それは、鬼ごっこをしているクラスメイト達だった。
無邪気な彼等の姿に、僅かな笑みがこぼれる。
「大槻は行かないの?」
「誘われたけど、断った。暑いし、めんどい」
「インドア派もほどほどにしといたら?」
「そういうお前が行けばいいじゃん」
「嫌だよ。日焼けするし、汗かくからね」
「何それずるい」
他愛もない会話がぷつりと途切れた。
そんな沈黙を、俺は全く気にしなかった。
それよりも、雲一つない青空が目の前に広がっていることに、今更圧倒されていた。
どこからか、蝉の合唱が聞こえる。
窓から入り込んでくる柔らかい風で、カーテンがふわりと揺れた。
「……私達、1年後の夏には、中学生になってるんだね」
隣から、ぽつりと彼女の声が聞こえてくる。
無表情の松下の目は、どこか遠くを見ているような気がした。
「そうだな」
「……中学受験とか、しないの?」
彼女の声に、俺は首を横に振った。
すると、松下は軽くため息をついた。
そのため息の意味は何だかわからなかったが、
「……よかった。中学も一緒ね」
と、優しい笑みを浮かべた。
今思えば、この笑顔に俺は惹かれていたのかもしれない。
「そうだね」
そっぽを向きながら、答える。
「なんか反応薄くない?もっと喜びなさいよ」
「そういうお前はどうなの?」
無意識に口からこぼれたその言葉に、特に意味はない。
だが、彼女は尖らせていた唇を綻ばせると、
「……嬉しいよ」
と、ぼそりと言った。
彼女の顔が赤く染まっているのは、暑さのせいだろうか。
「家族と同じくらい長い時間を一緒に過ごしてきた人と、中学も一緒になれて喜んで……何か悪い?」
さらに顔を紅潮させながら話す松下は、最後の方は困ったような表情をした。
予想外の彼女の答えに、戸惑う。
それを表情には出さなかったが、心臓の鼓動が速まったのは確かだった。
「それって……」
俺がそう言いかけると、
「用事思い出したから行く!」
と、松下は表情を一切見せずに、勢いよく教室を出た。
一人取り残された俺は、しばらく茫然としたが、再び校庭の様子を見る。
澄みきった青い空。
グラウンドを駆け回る生徒達。
蝉の声。
それらは決して、いつもの夏とは変わらない。
だが、俺の中には経験したことのない感情が湧いていた。
「……マジかよ」
自分の頬に手を当てると、それはとても熱かった。
5年前の出来事から抜け出すと、昇降口の扉から冷たい風が吹いた。
カーディガンからブレザーに変えたが、やはりマフラーも必要だったかもしれない。
下駄箱から靴を取り出し、ふと壁に掛けてある時計を見ると、17時になったことに気付いた。
ここからでも、夕焼けが十分に見える。
紅葉はもう僅かしかなく、冬に移り変わる時期となっていた。
その早さに驚きを実感すると、後ろから足音がした。
ゆっくりと振り返ると、そこには松下がいた。
鞄を持っているため、今から帰るのだろう。
彼女は特に、驚いたような顔はしなかった。
「今から帰んの?」
「うん」
俺の質問にそう答えると、松下は靴を履き、そそくさとその場を去ろうとした。
しかし、俺の声により、彼女の動きが止まった。
「待って。どういうつもり何だよ」
「……はぁ?」
露骨に嫌そうな表情をしながら、振り返る松下。
そんなことは全く気には留めず、俺は続ける。
「小倉のことだよ。何で彼奴をハブることにしたの」
「そんなの、私や西尾の勝手でしょ?大体、あんたも反対しなかったじゃん」
「違う。俺は怒ってるんじゃなくて、普通に気になっただけ」
少し前に転校してきた小倉を理不尽な理由で、仲間外れにすることが、1時間前くらいに決まった。
俺はそれを決して、良いこととは受け取っていない。
しかし、それに対して憤慨するような感情は、ほとんどなかった。
ただただ、現実や彼女に対する残念な気持ちが増していくだけだった。
相変わらず松下は苛立ちを隠そうともしない表情で、口を開いた。
「」
「私の邪魔をする奴は、容赦なく陥れるって決めたんだから。確かに悪いことだけど、そうしないと死ぬわよ」
彼女の言う【死】は、教室内での命のことだろう。
「そんなに大事なもんなの?カーストって」
「大事じゃないなら、誰もこんなに苦労しない。人間として当然の考えじゃないの?」
そう言うと、松下は逃げるようにその場を後にした。
残された俺は白い息を吐き、昔の彼女の姿を脳裏に浮かべた。
純粋な瞳、風によってなびく髪、柔らかい笑顔。
今更過去の彼女の幻影を追い求めてもどうにもならないが、そうせざる得なかった。
今の松下は打算的で冷たくて、非情な性格だ。
それは、彼女を取り巻く環境がそうさせたのかもしれない。
俺に対する態度が冷たくなったのも、自分に原因がある可能性だってある。
いつから彼女がそんな風になったのかは、もう覚えていないが、何かに裏切られたような感情はきちんと残っていた。
その正体は、あまりよくわからない。
甘い理想かもしれない。
または、彼女自身にかもしれない。
どちらにしろ、あの純粋な性格の松下は、もう戻って来ないのだ。
そんな事実が、逆に俺の心を落ち着かせる。
【現実なんてそんなものだ】と受け取ってしまった方が楽だ。
俺一人の人間が必死に現実に逆らおうとしても、無駄になるだけ。
だから、小倉のいじめに反対はしなかった。
大声で【No】と叫んだところで、意味なんかない。
それなら、適当に同調した方が良いと思ったのだ。
この先……社会に出ても、きっと同じだ。
自分の地位を守るために、平気で人を傷付ける奴等がたくさんいるだろう。
どんどん拡散されていく根も葉もない噂話。
止めたくても止められない悪口。
綺麗に飾られた口先だけの言葉。
それらから逃れることは、死ぬまできっと出来ない。
本当の愛など存在するものか、とすら思ってしまうくらい、世の中に対する俺の不信感は大きかった。
松下とは受け取り方が違うが、俺も周りの環境によって、そのような感情があるのかもしれない。
そして、その結果生まれたものは、妥協だった。
俺は校門を出ると、ぽつりと声を漏らした。
「……くっだらな」
それから数日後のことだった。
いつもと変わらない朝のはずが、下駄箱に入っている1枚の紙で、眠気が一気に覚めた。
そこには【今すぐ体育館裏に来て下さい】としか書いてない。
訝しげにそれを見つつ、俺は教室に行くはずだった足を、体育館裏に向けて歩き出した。
俺の頭の中は、疑問でいっぱいだった。
まずは、手紙の差出人の正体。
そして、呼び出した目的だ。
わざわざ朝から体育館裏に呼び出すほどの目的とは、一体何だろう。
そのことばかり考えていると、あっという間に着いてしまった。
きょろきょろと辺りを見回すと、それらしき人物の後ろ姿が見えた。
俺の足音に気付いたのか、そいつは振り返る。
「え……」
その人物が意外で、思わず間抜けな声が漏れる。
そいつは俺の顔をじっと見据えると、真剣な表情をした。
そして、ブレザーのポケットから1枚の写真を取り出すと、それを俺の目の前に翳した。
それは、中学生くらいの男子が数名写っているものだった。
だが、決してその様子は楽しそうではない。
前髪の長い地味な男子が、同級生に胸ぐらを掴まれているのだ。
そして、その脇にはそれを止めるどころか、笑いながら彼に乱暴をしている人達。
これは、どう考えてもいじめだ。
だが、こいつは一体何故、いきなり不愉快な写真を俺に見せたのだろう。
「この写真がどうかしたの?」
「……これ、誰だかわかる?」
そう言って、そいつはいじめられてる男子を指で指した。
そいつの意図がますますわからなくなりながらも、その男子の顔をまじまじと見る。
すると、髪や顔のパーツから、衝撃的な答えが浮かんだ。
俺は徐に口を開いた。
「……もしかして、これ西尾?」
俺の言葉に、そいつはこくりと頷く。
それと同時に、俺の中に強い電流が流れたような気分になった。
この男子と西尾は、別人としか思えない。
実際、俺も最初は誰だかわからなかった。
「どういうこと?彼奴はいじめられていたの?」
再び、そいつは首を縦に振る。
そいつの話によると、塾の友達が西尾の元同級生であり、その人に頼み込んで、この写真をもらったらしい。
「で、何でお前が写真を頼んだの?」
「……カーストから引きずり下ろすためだよ」
「西尾を?」
俺の質問に、そいつは何度も頷いた。
「このままじゃ、クラスは崩壊する。だから、この写真を使って落ち着かせるんだよ」
「……西尾の弱味を握って大人しくさせるってこと?」
「そう」
そう言うと、そいつは徐々に俯く。
その顔は、憂いを帯びていた。
学校が終わり、自宅に帰ると一気に階段を駆け上がる。
そして制服も脱がずに、鞄から例の写真を取り出した。
狂ったように、俺はただただそれを見つめる。
今日の朝、あいつからこの写真を受け取った。
そして、あいつの名前を他言しない代わりに、少し前にグループに入ってきた笠原達の情報をもらった。
その情報自体はあまり役には立たなそうだが、写真はかなり有効活用が出来そうだ。
クラスメイトから恐れられている西尾を、大人しくさせる方法として。
ただ、未だにそうしようという気力がいまいち湧かなかった。
西尾の弱味を握ったところで、状況が良くなるかはわからない。
小倉のいじめはなくなると思うが、新たなトラブルが発生したっておかしくないだろう。
いつだってそうだ。
いじめやトラブルが解決されても、それは一時的であり、また同じようなことが繰り返される。
それは学習能力云々の問題ではなく、人間としての必然的な行動なのかもしれない。
だから、西尾がいじめをしなくなっても、平和が訪れるとは限らないのだ。
俺が西尾に写真のことを言って、状況がさらに悪くなってしまう可能性だって否めない。
ふと、松下の顔が脳裏に浮かんだ。
そうだ。
まだ、トラブルのもとはいる。
仮に西尾が大人しくなっても、松下がいる限り、いじめはなくならないかもしれない。
いや、その可能性は高いだろう。
だが、彼女に弱味などないし、それ以前に松下にはそんなことをしたくなかった。
……彼女を変えることは出来ないのだろうか。
突然、そんな考えが浮かんだ。
確かに、松下に対する好意は今でもあるが、それは昔の彼女に対するものだった。
過去に浸るよりも、今の彼女を変えるべきなのかもしれない。
そう思うと、徐々にやる気が湧いてきた。
それは、得体の知れないものが、俺を突き動かしているような感覚だった。
そういえば、あいつも言っていた。
【誰かが行動しなきゃ何も変わらない】と。
その行動が吉と出るか、凶と出るかは、その人の行動と運次第。
それを恐れずにやるか、じっと今を耐えるか。
あいつは、その2つの選択肢を俺に与えた。
俺は最初、お前がやればいいのに何で俺に任せるのか、疑問に思った。
しかし、その理由がわかった。
あいつは自分の状況を考えて、西尾と仲の良い俺に代役を頼んだのだろう。
写真や情報を俺に与えつつ【やりたくなくなったら、やめても構わない】と言っていた。
そのため、少し前までは、やはり断って写真を返そうかと思っていたが、そんな考えは今の俺には全くない。
2つの選択肢から、俺は【行動】を選んだ。
前の俺なら、絶対そんなことはしない。
現実を言い訳に、環境を変えることを恐れていただろう。
しかし、それではダメな気がした。
アクションを起こさずに、ただただ毎日を怠惰に過ごすのは、もったいない。
周りに流されず、【No】と叫ばなければ、【自分】がどんどん殺されてしまうのだ。
俺は【自分】を生かしたい。
すると、俺の中に2つの目標が出来た。
1つ目は、西尾の弱味を握り、小倉を助けること。
2つ目は、松下を元に戻すことだ。
俺は写真をポケットに入れると、天井を仰いだ。
その視線は、別人なくらいやる気で溢れていた。