注意事項
*ホラー系が苦手な方は閲覧を控えた方が良いです
*流血シーン有りです
*感想やアドバイスがありましたら、書き込んでくれると嬉しいです
*なりすまし、暴言、荒らしは厳禁
赤くなりつつある夕日。
凍りつくような風。
17時を知らせるチャイムが、学校の敷地内に鳴った。
時は来た。
あとは、彼が来るのを待つだけだ。
不思議と緊張感のようなものはない。
まるで、休日に友達と待ち合わせをしているような気分だった。
やがて、地面を踏みしめる音が聞こえてきた。
その方を向くと、予想通り彼がそこにいた。
その顔は、驚きに満ちていた。
無理もない。
友人だと思っている人物に呼び出されたのだから。
「何で、呼び出したんだよ……大槻」
「何でだと思う?」
「知るかよ、そんなこと」
吐き捨てるように、西尾はそう言った。
焦らしたのは、彼の感情を掻き立てるためだ。
西尾が写真を見せられて、一発で認めるとは考えにくい。
ならば、わざと感情を激しくするように、こっちが誘導すれば、墓穴を掘って真実を明らかにするかもしれない。
俺は白い息を吐くと、ポケットから1枚の紙を取り出した。
そして、それを西尾の目の前に翳す。
すると、不審そうな表情が、一気に狼狽するようなものに変わった。
気が動転している彼に、俺はさらにスパイスを加える。
「何で、俺がこの写真を持っているのか、って思ったでしょ?」
俺の言葉に、西尾は舌打ちをしながら、
「当たり前だろ!この写真、どうしたんだよ!」
と、怒鳴った。
それな意外だった。
本当はじわじわと追い詰めて、真実を吐かせるつもりであった。
しかし、彼の今の発言から、それは自分でありいじめられていた、という事実を認めたようなものだった。
「それは言えない」
俺は西尾の質問に答えると、悴んだ両手に息を吹きかけた。
「てかお前、中学時代いじめられてたんだ」
一応、もう一度彼に刺激を与えてみる。
しかし、彼は平然とした顔をしながら、
「そうだけど、それが何か?」
と、開き直るように言った。
これで、西尾は写真について完全に認めたことになる。
ならば、これ以上焦らしたり、刺激を与えるような言葉を言う必要はないだろう。
本題はこれからだ。
俺は真剣な目付きをしながら、口を開く。
「……それについてどうこう言うつもりはないけど、これ以上お前の好きなようにはさせない」
「はぁ!?」
西尾は目を見開く。
「笠原や萩野、江川の弱味を握って、小倉をいじめて……心底見損なった」
その言葉は、本心だった。
正直、自分でも驚いていた。
心のどころかで、今までずっと思っていたかもしれない。
西尾が嫌いだと。
出会って間もない頃は、普通に面白い奴としか見ていなかった。
だが、カーストの頂点という立場に着いた彼が、クラスメイトを見下すようになってから、俺が西尾のことをよく思っていないことは確かだった。
「何で、お前が笠原達のこと……」
「知らないとでも思った?全部教えてもらったんだよ。この写真をくれた奴に」
「大体何で……そいつの正体を教えてくれないんだよ」
「笠原達に関する情報や西尾の秘密について教える代わりに、正体をバラさないって条件だったから。一応、そこは守るからね」
俺がそう言うと、彼は悔しそうな顔をしながら、唇を噛んだ。
「詰めが甘すぎるんだよ。西尾は」
俺の言葉に、彼は何も言い返さなかった。
西尾からすれば、外部から情報が漏れるなんて、少しも思ってなかっただろう。
俺の中に、小さな黒いシミができたような気がした。
「でも、いいか……そのお陰で、こうしてとっておきの情報を手に入れることが出来たんだし」
「……お前は、俺をどうしたいんだよ」
ぽつりと西尾は声を漏らす。
「そんなの決まってる。もう、お前にクラスは任せられない。2度と自分勝手な理由で、誰かを苦しめるな」
今までの彼の行いが脳裏に浮かんだせいか、ふつふつと怒りが湧いてきた。
それを抑えたいが、やはり言葉に感情がこもってしまう。
「うるせぇな……てか、そんなこと言っといて、何が出来るんだよ」
そんなの、決まってる。
「笠原達みたいに、弱味を握るんだよ」
俺は、当然のように答えた。
「んな……」
「これを機会に、味わってみたら?笠原達の気持ちを。小倉はもっと苦痛だったかもね」
たっぷりと嫌味を込めた言葉を、彼に投げかける。
しかし、それでも西尾は怯まずに、言い返した。
「そんなこと言ったら、お前だって小倉のこと見て見ぬふりしてただろ!!」
その言葉に、一瞬固まった。
確かに、俺は西尾と松下の行動に、反対をしようとしなかった。
少しだけ、反省の気持ちが生まれる。
「……あの時は、諦めてたんだよ。これが現実なんだ、って。でも、この写真をくれた奴に頼まれたんだ。【西尾をカーストから下ろして欲しい】って。それを機会に小倉を助けようと思ったんだよ。確かに俺も悪かったけど、西尾はもっと悪い。お前なんかと友達になるんじゃなかった」
本当に、西尾と友達にならなければよかった。
光貴や小倉みたいに、比較的性格の良い奴等と友達になっていれば、こんな怒りを覚えることもなかったに違いない。
もはや西尾と友達になった自分に、失望してしまう。
正直、もう彼とはばっさりと縁を切りたいが、まだそうするわけにはいかない。
俺は西尾に背を向け、
「話はこれだけ。寒いから、俺もう行くわ」
そう言って、ここから離れようとした。
しかし、背後から西尾に肩を掴まれた。
めんどくさそうに、俺は振り返る。
「……頼むから、写真だけは誰にも見せないでくれ」
それは、彼なりのプライドを押し殺した、精一杯の言葉だったのだろう。
俺はしばらくの間黙り込むと、口を開いた。
「小倉へのいじめと笠原達をパシりにするのをやめたら、いいかな……ま、俺の気分次第だけど」
俺の要件をのむだけじゃ、彼には足りない。
俺の気分次第という不安定な要素を付け加えることで、西尾はさらに怯えるだろう。
複雑な表情をしながらも、西尾はこくりと頷いた。
それをじっと見ると、俺はゆっくりと歩きながら、その場を立ち去った。
今、西尾はどんな顔をしているのだろう。
悔しそうな顔だろうか。
それとも、怒りに満ちたものなのだろうか。
何にしろ、俺と彼の関係は変わったのだ。
友達と呼べる関係では決してない。
だが、そんな事実とは裏腹に、俺の中には清々しい風が吹いていた。
それは、彼の弱味を握ることに成功したからではない。
自分の今まで溜まっていた思いを、思いきりぶつけることが出来たからだ。
そして、自分の行動によって、本当に状況が変わったことに対する嬉しさもあった。
世の中への不信感が完全に消えたわけではないが、前よりも視界がクリアになった気がする。
冷たい風が吹いているグラウンドを通り過ぎると、校門に差し掛かった。
そのまま曲がっていつもの方向に帰ろうとしたその時、俺の瞳に一人の女子生徒が映った。
俺に背を向ける状態で歩いている彼女の名前を、俺は背後から呼んだ。
「松下」
「……何」
あからさまにうっとおしそうに、振り返る松下。
「小倉と西尾のことなんだけどさ」
俺の切り出しに、松下は眉をひそめた。
「二人がどうかしたの?」
強気にそう言う松下。
だが、語尾は僅かに震えていた。
嫌な予感でもしたのだろうか。
俺はそんな彼女を見つめながら、口を開いた。
「もう、小倉をいじめさせない。西尾もそうしてくれると思うから」
俺の言葉に、彼女は目を大きく見開いた。
彼の弱味を握ったことは、勿論言わなかった。
松下に言ってしまえば、それは確実に拡散されてしまうだろう。
確かにそうなれば、西尾はカーストの下の方に落ちてしまうが、それは俺が嫌だった。
弱味を握られる側の気持ちを、実感して欲しいのだ。
そうなれば、笠原達の立場を理解し、今後彼もこんなことはしないだろう。
俺は密かに、彼に更生のチャンスを与えたかったのかもしれない。
「いじめさせないって……どういう意味よ?そもそも西尾が、そう簡単に納得するわけ……」
怒りや呆れをあらわにする彼女の身体を、俺はそっと抱き締めた。
松下の表情はわからないが、呆然としているのか、何も言ってこない。
「俺がお前を変えさせるよ」
そう言って、抱き締める力を強くした。
「……離して!」
「嫌」
俺の背中や腕を叩きながら、松下は抵抗する。
それでも、俺は抱き締めるのをやめなかった。
「今のお前は嫌い。自分のために、平気で人を傷付けるところが無理。だけど、昔みたいに純粋に友達と楽しんでいるお前に戻ってくれるなら……」
俺がそう言いかけた瞬間、松下は無理矢理身体を俺から引き剥がした。
その表情は、これまでにないくらい怒りに満ちていた。
「うっさい!!私が今までどんな思いでいたか知らないくせに、無責任な正義振りかざさないでくれる!?私は変わったの。自分が有利な立場に着くためなら、何だってする。何でそれをわかってくれないの!過去ばかり見てないで、現実を見なさいよ!!」
狂ったように、俺を思いきり睨む松下。
すかさず、俺は言い返す。
「そんなの、俺だってわかってる。善意を捨てて、他人を欺けば、カーストの上位になれることくらい。でも、俺はお前にそうなって欲しくない」
「はぁ!?私がどうなろうと、私の勝手じゃない!あんたなんかにどうこう言われたくない!!」
「でも、後悔するのは自分だよ」
「後悔なんかしない!」
そう言うと、彼女はゼエゼエと呼吸を繰り返した。
「……この先、私は自分を変えようだなんて、絶対思わない。あんたや小倉みたいに、正義感を持った奴は徹底的に潰していく」
松下は、俺に笑みを向けた。
その表情は、酷く醜かった。
「あんたなんか、大嫌い」
そう言い残して、彼女は俺に背を向けて、立ち去った。
残ったのは、俺と俺の中に生まれた【無力感】だけだった。
「松下の言葉で、一気に目が覚めたんだよ。無駄に正義感を持っても、自分が傷付くだけなんだ、って。だから、小倉だって西尾からいじめられた」
懐中電灯が灯った薄暗い教室の中で、大槻はそう言った。
彼の顔には、不気味な笑顔が浮かんでいる。
「だからって、何で西尾を殺したんだよ!」
俺はもう、【助けなかった】ではなく【殺した】と言いきった。
西尾に火をつけたのが大槻ではなくても、間接的には立派な殺人犯だ。
「全ての元凶を恨んだからだよ。西尾さえいなければ、あんな正義感なんて湧かなかったし、松下に対する諦めの気持ちも、ここまでじゃなかった」
すると、大槻は俺達の顔を見渡しながら、続けた。
「それに、皆だって死ななかった。西尾が小倉をいじめなければ、俺は犯人探しをしようなんて企画しない」
「でも、殺さなくたっていいでしょ!」
こめかみに青筋を立てながら、怒鳴る江川。
「でも、被害者側の笠原だって、死んだんだから、元凶が死なないのは不公平じゃん」
そう言うと、彼はくすりと笑った。
「まあ、俺はこの状況が好きだけど。こればかりは、西尾に感謝してる」
彼のこの発言に、俺は何も言えなかった。
死体が4つも置かれているこの教室で、にやにやと笑っている大槻が不気味で仕方なかったのだ。
「好きって……」
萩野が青ざめながら呟く。
「さっきも言っただろ。【現実にうんざりしてた】って。そんな現実を、犯人は壊してくれた。クラスメイトが殺される非現実的な世界を作ってくれた。初めは驚いたけど、今ではこんな状況が、ずっと続いて欲しいって思ってるよ」
「あんた、頭おかしいんじゃないの!?松下……好きな人が殺されて、悲しいって思わないの!?」
「全然思わないね。むしろ、快感しかなかった。好きな奴が殺されるなんてこと、滅多にないじゃん」
俺は大槻と江川の会話を、ただただ黙って聞いていた。
彼はもしかしたら、刺激を求めていたのかもしれない。
普通だったら有り得ない出来事を、今か今かと心待ちにしていたのだろう。
「ていうか、俺のことより、犯人のことを考えた方が良いんじゃない?」
大槻が話題を変える。
「確かに……もう、四人しかいないもんな」
俺、萩野、江川、大槻の中に犯人はいるはずだ。
今のところ、大槻が怪しい気がするが、まだ彼を犯人と決めつけるには不十分すぎる。
徹底的な証拠がないのだ。
「だよね、江川」
突然、江川に話を振る大槻。
「そうだね。てか、何で私に振ったの」
不思議そうな顔をする江川。
「別に。でもさ、江川って何で死ななかったんだろうね」
その言葉には、明らかに嫌味が含まれていた。
鈍感な彼女でも気付いたのか、江川は眉をひそめる。
「知らない。もしかして、私を疑ってんの?」
「大正解」
大槻の回答に、何も言い返さない江川。
確かに、小倉の話をしても、皆のように死ぬことはなかった彼女が疑われるのも、仕方がない気がした。
しかし次の瞬間、大槻は予想外な言葉を言い放った。
「でも、それだけが理由じゃない。西尾に火がついた時、彼奴の一番近くにいたのは江川だったから」
「わ、私……?」
驚きと焦りが混ざったような表情をする江川。
確かに大槻の言う通り、江川は西尾に火がつく直前、席を離れて彼に近付いていた。
「それに、話の内容。江川は小倉が好きだったけど、結局彼奴を無視せざる得なかった。そんな悲しみや怒りを、俺達や小倉にぶつけた可能性だって有り得る」
「違う!江川さんはそんなことしない」
大槻の言葉を否定したのは、江川ではなく萩野だった。
江川の話通り、二人の仲が良いことは間違いないだろう。
「じゃあ、何で萩野は江川が死ななかったと思う?」
「それは……」
言葉を詰まらせる萩野。
「そもそも、江川は色々おかしかった。あんなに西尾に嫌がらせをされても、簡単に許すし、俺が犯人探しを企画した時も、一番最初に賛成していた」
「それとこれとは関係ないでしょ!」
江川が言い返したその時だった。
懐中電灯を大槻が消したのだ。
教室に突然暗闇が訪れたことにより、萩野が小さな悲鳴を上げる。
「何で消したの!」
江川が怒鳴る。
「何でって……もう1回話してよ。本当のこと」
「本当のこと?」
「何か嘘ついてるんじゃないの?」
徐々に江川を追い詰めていく大槻。
「嘘なんかついてない!私を信じてよ!」
しかし、それでも負けじと、彼に抵抗する江川。
正直、江川が犯人ではないとは言いきれない。
彼女の正義感の裏にはどす黒い殺意が隠されてるとも、僅かに思えてしまうのだ。
「信じろ、って言われてすぐに信じる馬鹿がどこにいるんだよ。いい加減に……」
彼の言葉が、そこで止まった。
代わりに聞こえてきたのは、ごとりと床に何かが落ちた音だった。
その数秒後には、ばたりという大きな音もした。
嫌な予感が、身体中を駆け巡る。
「大槻……?」
彼の名前を呼ぶが、その返事は聞こえてこない。
「まさか……」
状況を察した萩野の声。
次の瞬間、再び教室内に小さな明かりがついた。
江川が懐中電灯をつけたからだ。
薄暗い教室をぐるりと一周見渡すが、彼の姿はない。
額に汗が滲む。
江川は懐中電灯の光を床に向けた瞬間、俺は驚愕した。
萩野の悲鳴が、教室内に響き渡る。
江川は驚きのあまり、後ずさった。
「大槻……」
そこには、胴体から首を切り離された状態の彼の死体があった。
目は見開いているが、瞳には完全に輝きが失われている。
一度だけ、切断された人間の頭部には、意識が数秒間あるというのを聞いたことがある。
しかし、今の大槻に意識など全くないことは、明らかだった。
さっきの音は、切断された頭部が床に落ちたものだろう。
その後のばたりという音は、頭部を失った身体が床に倒れたものに違いない。
「もう……嫌だよ……」
萩野の悲痛な声が、俺の耳に届いた。
「もう、3人しかいないな……」
俺はぽつりと呟いた。
少し前までは俺達を含めて8人もいたのに、半分以下になってしまった。
家族もそろそろ不審に思って、警察に連絡でもしているのだろうか。
そもそも、今が何時か全くわからない。
以前、教室には時計があったが、現在は修理に出しているのだ。
もう、何時間も経ったのかもしれない。
それとも、まだ一時間くらいしか経ってないのかもしれない。
完全に、時間の感覚が麻痺していた。
「どうする?これから……」
萩野が俯きながら言う。
すると、江川はベランダに移動した。
気分転換に外の空気を吸いにでも行ったのか、と思ったが、彼女の言葉は俺の予想に反していた。
「ここから出よう」
ベランダから出た彼女は、そう言った。
あまりにも唐突すぎるその発言に、俺と萩野は目を丸くする。
「でも、どうやって……」
「ベランダから降りるんだよ」
平然と言う江川。
すかさず、俺は反対する。
「無理だろ!出来るわけないって!」
「じゃあ、このまま犯人探しを続けるつもりなの?死ぬかもしれないのに!?」
死ぬかもしれない、という言葉に、俺は詰まる。
「犯人探しの企画者だって死んだ。それならもう、これ以上やっても無駄な気がする。今はここから脱出して、安全なところに逃げるのが先だよ」
確かに、江川の意見にも頷ける。
犯人探しを続けても、俺や萩野が死ぬ結末しか予想出来なかった。
「……だけど、どうやって降りるの?ここは3階だから、危険すぎるよ」
「それなら、大丈夫」
そう言って、江川は教室の隅に置いてある段ボールから、あるものを取り出した。
それは、大縄跳びに使う長い縄だった。
「高さ的にギリギリかもしれないけど、これをベランダの柵からしっかり吊るして降りれば、なんとかなると思う。何でかわかんないけど、体育祭で使ったやつがあってよかった」
「命綱はないけど、確かにそれならまだ安心だな」
俺は、ほっと息を吐いた。
ちらりと萩野の様子を見ると、彼女の顔は青ざめていた。
「大丈夫か?萩野」
「……もし、縄から手を離して落ちたら、どうしようって思って……」
この3人の中で、身体能力が一番低いのは萩野だ。
不安しかないのも、無理はない。
「じゃあ、私が最初に降りるから、その後すぐに萩野が降りて。私と最後に降りる光貴でフォローすれば、大丈夫だよ」
江川の言葉に、俺は頷く。
萩野も、僅かに落ち着いてきた様子だ。
江川が縄を持つと、俺達はベランダに移動した。
冷たい風が、俺の頬を撫でる。
街や家の灯りがちらほらと見えた。
ここから降りることに成功すれば、俺達は解放される。
そんな希望が俺達を突き動かしていたが、1つだけ俺には不安があった。
結局、犯人は誰なのだろう。
残りは、俺と萩野と江川しかいない。
少しだけ疑っている江川も、やっぱり正義感の強い彼女がこんなことをするなんて、考えられない。
恋人である萩野なんて、もっと信じられない。
だが、確実に二人のどちらかなのだ。
犯人は。
俺の考えをよそに、準備は着々と進んでいった。
江川は縄を柵に巻きつけ終わると、残りの部分を外に吊るした。
吊るした縄の先端が暗くて見えないのが、とても不気味だ。
「あ、そうだ。危ないから懐中電灯持ってかないと」
そう言って、教室に戻る江川。
「降りながら持ってて、大丈夫なのか?」
「全然平気。明かりがないほうが、もっと危ないじゃん」
彼女は、再びベランダに足を踏み込む。
すると、柵を乗り越えようと、片足を上げた。
やがて、江川は完全にベランダから飛び出す状態になると、懐中電灯を片手に、縄をしっかりと持った。
「気を付けろよ」
「うん。すぐに萩野も降りてきてね」
こくりと頷く萩野。
彼女は、酷く緊張した面持ちだった。
自分の生死に関わるのだ。
そうなるのも仕方ない。
じゃあ、と江川が降りようとしたその瞬間だった。
悲劇が起きたのは。
「えっ……」
江川の驚いたような声が、風によって消えていく。
彼女の胸には、カッターナイフが突き刺さっていた。
じわじわと、血で滲んでいく制服。
「ばいばい」
そう言って、萩野は江川をベランダから突き落とした。
何mも下にある地面から、どすんという音が聞こえてきたのは、すぐだった。
彼女が落ちた真下の地面を見ると、そこには無惨な光景が広がっていた。
地面に仰向けに倒れた状態の彼女の手足は、変な方向に曲がっている。
おびただしい量の血が、地面を濡らしていた。
偶然、落下した懐中電灯が彼女の様子を照らしてるせいで、その様子は鮮明にわかる。
俺は江川の死体から目を逸らすと、くすくすと笑い声を漏らす彼女に視線を移した。
「萩野……お前……」
「死んだね、江川さん」
さらりと、萩野はそう言った。
恐怖のあまり、鳥肌が立つ。
「お前が皆を殺したのか……?」
俺の質問に、彼女は首を横に振った。
その反応に、一気に疲労感が俺を襲う。
「嘘つくな!!お前が殺したんだろ!!」
「だから違うって。しつこい」
眉間に皺を寄せると、萩野は教室に戻った。
懐中電灯はないため、暗闇しかない。
俺は言い表せないくさいの恐怖を、彼女から感じ取った。
「私が殺したのは、江川さんだけ。他は知らない」
「どういうことだよ……」
萩野が嘘をついているようにも、見えなかった。
犯人は俺達の中にはいない?
外部の人間が犯人なのか?
次々と浮かぶ疑問をよそに、萩野は口を開いた。
「私が江川さんを殺したのはね、犯人の候補を減らすためだよ」
「……は?」
予想外の言葉に、口がぽかんと開いた。
「だって、そうでしょ?もう、生き残りは3人しかいない。しかも、犯人は私以外の人間の二人のうちどちらか。それなら、殺した方が楽かなって思ったの」
「でも、教室からは出れるかもしれなかったんだから、そんなことする必要はなかっただろ!」
「わからないよ。もし、私達が無事に着地しても、安心したところで、江川さんか光貴が私を殺していたかもしれない。だから、殺したの」
俺は彼女がそんなことを考えていたということよりも、自分が疑われているというショックの方が大きかった。
彼女は教卓の中身を漁る。
すると、月明かりによって、狂気を含んだ彼女の笑顔が見えた。
教室の後方にいた俺は、思わず後ずさる。
「次は光貴の番だよ」
そう言って、萩野は教卓から取ってきたカッターナイフの刃を出す。
カチカチと音を鳴らすそれは、俺をパニックにさせるのに十分だった。
「や……やめろ……」
情けないくらい震えている俺の声。
徐々に俺との距離を詰めていく萩野と、壁に追い詰められる俺。
どちらが殺されるか、一目瞭然だった。
俺は教室の隅に逃げるが、彼女との距離はもう3mくらいしかなかった。
あまりの震えに、俺は立っていられなくなり、思わず床にしゃがみこむ。
「やめろ!考え直してくれ!俺は犯人じゃないんだ!」
「口だけなら、そんなこといくらでも言えるよ。あ、でももし江川さんが犯人だったら、ごめんね」
穏やかな彼女の口調が、俺の恐怖心を煽る。
彼女との距離は、1mもなかった。
萩野は、ゆっくりとカッターナイフを構えた。
「光貴を殺せば、私は無事に帰れる」
独り言のように、萩野は言う。
その顔は、まるで悪魔のようだった。
「じゃあね」
カッターナイフは、俺の心臓にめがけて振り下ろされた。
記憶から抜け出すと、俺は大量の冷や汗をかいていることに気付いた。
手でそれを拭う。
「私が……殺した……?」
目の前には、驚きを隠せない様子の萩野。
彼女の存在と無機質な部屋により、俺は警察署にいることを思い出した。
彼女に話をしている時、周りの環境に現実味がないような気がしていた。
もしかしたら、昨日の不可解な事件と記憶が混合しているのかもしれない。
「ああ……」
「そう……なんだ……」
信じられないという表情をする彼女。
記憶にない現実を受け入れることは難しいが、ゆっくりでいいから受け止めて欲しい。
しかし、意外にも萩野はすぐに次の話題を出した。
「……じゃあ、何で光貴は生きているの?」
「……え?」
突然の質問に、目を見開く。
「だって、私は光貴をカッターナイフで殺しているはず。でも、今私の目の前にいる光貴は、幽霊でもなんでもない、ただの人間。それはどうして?」
それは……。
「俺が殺される直前、警察が教室に入ってきたんだよ。夜の学校から悲鳴が聞こえてきて、誰かが通報したらしいんだ」
「じゃあ、光貴は奇跡的に助かったってこと?」
彼女の言葉に、俺は頷く。
すると、萩野は俺の顔をじっと見つめながら、口を開いた。
「じゃあ、結局誰が犯人だったの?小倉君や皆を殺したのは」
「それは……未だに、わからないんだ」
「そっか。でも、なんかおかしいと思わない?小倉君は【背中にナイフが刺された状態】で夜道にて発見されたんでしょ?なら、ナイフについている指紋で犯人はすぐにわかるはず。なのに、1週間経っても小倉君を殺した犯人がわからないのは変だよ」
言われてみれば、そうだ。
何故、今までそのことに気付かなかったのだろう。
「そこまでは、俺にはわからない……」
「まあ、そりゃそうだよね。でも、私1つ思ったんだ」
「何だ?」
俺は固唾を呑んで、彼女の次の言葉を待ち構えた。
「これは、小倉君の復讐なんじゃないかな」
「……え?」
予想外の萩野の考えに、頭がついていけない。
そんな俺に反し、彼女は続けた。
「何者かに殺された小倉君は恨んだ。いじめをしたり、裏切ったり、見て見ぬふりをしてきた私達を。そして、犯人探しのために夜の学校に集まった私達を、彼は一人ずつ殺していった。こんな感じだと、私は思う」
萩野の意見に、俺は呆れを含んだため息をついた。
「映画や小説の世界じゃないんだから、そんなこと有り得ないだろ。もっと現実的に考えろよ」
「でも、一人くらいこう考えても、おかしくなかったと思うんだけどなぁ。特に江川さんとか。皆、現実主義すぎでしょ」
その言葉には、確実に棘があった。
萩野の豹変ぶりに、驚きと僅かな苛立ちが湧いた。
そんな俺に、彼女は申し訳なさそうな顔をした。
謝るのか?という俺の予想は外れ、代わりに衝撃的な一言を言い放った。
「ごめんね。昨日の記憶がないなんて嘘。本当は、ちゃんと覚えてるよ」
「え……」
俺は、口をぽかんと開けながら、茫然としていた。
何故、彼女は俺を騙していたのだろう。
その疑問しか、俺の頭にはない。
「驚いた?」
「……あ、当たり前だろ。そんな嘘をつく必要なんて……」
「あるの」
彼女の声のトーンが、少しだけ低くなる。
俺は彼女の話が段々、理解できなくなってきた。
それでも、彼女は話すのをやめない。
「だって昨日の夜、私達は犯人探しなんてやってないんだから」
口調が再び穏やかになった。
しかし俺の頭の中は、既に混乱していた。
「は……?そんなわけないだろ!」
苛立ちのあまり、言い方が強くなってしまう。
「本当だよ。それに、小倉君は死んでない。生きているの」
「どういうことだよ!?小倉は死んだんだろ!」
「ううん、ちゃんと彼は生きている。でも、光貴が言う【犯人探し】の時、笠原さんとかが言っていた【高校2年生になってから、西尾君達のグループに時々混ざっていた光貴】という人は、存在しない」
次々と並べられる真実に、頭がおかしくなりそうだった。
「でも、俺はここにいるだろ!存在しないわけがない!」
「へぇ……その根拠は?」
含み笑いをしながら言う萩野。
そんな彼女に、とうとう苛立ちが抑えられなくなった。
「何が言いたいんだよ、お前!!言いたいことがあるなら、はっきり言えよ!!」
机を叩きながら、俺は怒りをあらわにした。
思えば、彼女に対してこんなことをするのは、初めてかもしれない。
「じゃあ、お言葉に甘えてはっきり言うね。昨日の夜、皆を殺したのは光貴だよ」
萩野は俺の顔を人差し指で指しながら、そう告げた。
あまりにも理解しがたい発言に、俺は顔をしかめる。
「意味わかんねぇんだけど!!俺が犯人なわけないだろ!!大体さっきお前、小倉の復讐だとか言ってただろ!」
「うん。その通りだよ」
「はぁ……?」
「さっき、言ったよね?小倉君は生きてるって。でも、皆が言っていた【光貴】という人物は存在しない。言ってる意味、わかる?」
俺は無我夢中で、首を横に振った。
「お前は、俺が小倉だとでも言いたいのか!?」
「正解」
萩野の返答が、頭の中で響いた。
「……意味が」
「意味がわからない?じゃあ、あなたの苗字は?」
その質問に、頭が真っ白になった。
俺の……。
俺の苗字は?
何故、思い出せないのだろう。
「あなたの名前は、小倉光貴。【犯人探し】での皆の証言通り、あなたは高2の秋からこの学校に転校してきた」
言われてみれば、そうだった。
1年の時に、萩野達と同じ学校にいた記憶は全くない。
「……でも、お前言ったよな?犯人探しはしてないって。なら、何で俺が犯人扱いされるんだよ」
ていうことは、皆が死んだのは夢?
途端に、脱力感に襲われた。
……せっかく死んだのに。
「ううん。皆は昨日の夜、小倉君に一人ずつ呼び出されて殺されたの」
「してねぇよ!!」
再び机を叩きながら、俺は怒鳴った。
それでも、彼女は怯まない。
「最初に殺されたのは、笠原さん。縄で首を絞められ、窒息死」
「……違う」
「次は名取さん。ナイフで心臓を刺されて、死亡」
「……違う」
「その次は、松下さん。ナイフで身体中を刺され、失血死」
ふと、あの生臭い液体を触った時の感触を思い出した。
あの時はただただ気持ち悪かったが、今ではくすりと笑いが込み上げてきた。
そんな俺に、哀れんだような目をする萩野。
再び、ふつふつと怒りが湧いてくる。
「次は、西尾君。彼の身体にガソリンをかけ、ライターで火をつけて焼死。その後、あなたは彼の死体をナイフで、こま切れにした」
「違う。あれは大槻がやった」
俺は首を何度も、横に振る。
「そして、大槻君。彼は電動ノコギリで首を切られ、死亡」
それも、俺がやったんじゃない。
「最後に、江川さん。カッターナイフで心臓を刺された後、3階からグラウンドに転落して、死亡」
「それはお前がやったんだろ!!」
俺の言葉に、萩野はゆっくりと首を横に振る。
「今まで、あなたが話してきたことは、ただの妄想。それに、私とあなたは付き合ってない。ただ、【光貴】という存在以外、皆が話したことは本当だと思う。実際、私は西尾君に弱味を握られていたし、江川さんと仲良くなったし、彼女と一緒に小倉君の味方もした。結局は裏切ったけど」
もう、彼女の発言に驚くことはなかった。
代わりに、萩野に対するどす黒い気持ちが生まれる。
「私達を酷く憎んだあなたは、自分は彼等のグループの一人であり、いじめられている小倉君が殺されたと、思い込ませた。そして、大槻君の提案で犯人探しをするけど、皆が誰かに殺されていく……自分が彼等にいじめられ、殺したことにしないように、架空の物語を作って、我が身を守った。そうだよね?小倉君」
同意を求める彼女に、俺は何も反応しなかった。
萩野は軽くため息をつく。
「小倉君は今、逮捕されてここにいるの。覚えてないかもしれないけど、あなたは警察に精神病にかかっていると思われて、精神科に診てもらった。その結果、離人症を患っていることが判明した」
「は?意味わかんねぇよ」
「離人症は、自分自身への実感が薄くなる……つまり、自分は西尾君と仲が良く、いじめられているのは他人だ、と思い込むように、自分が別の人間であると感じる症状が出るの」
そんなの、どうでもいい。
俺は彼女を、キッと思いきり睨み付けた。
「江川さんが殺された後、私も小倉君に呼び出された。そして、いきなりカッターナイフを突きつけられて殺されかけたところを、教室に駆けつけてきた警察によって助けられたの」
彼女の声など、俺には届いていない。
ただただ、萩野に対する憎しみが募っていくだけだった。
「警察署に行って、取り調べを受けた後、小倉君が離人症になっていることを知らされたんだ。私が警察に話したことと話が食い違っていることも。だから、私はあえて記憶をなくした振りをして、小倉君から話を聞くことにしたの」
「……殺せばよかった」
ぽつりと、俺は呟く。
その一言を引き金に、俺は萩野に飛びかかり、彼女の首を絞めた。
苦しそうに顔を歪める彼女の顔が、俺の憎しみを浄化していく。
「やめなさい!」
だが、そばにいた警察官よって、俺の身体は取り押さえられてしまった。
俺は、唇を強く噛み締める。
「お前は、俺がどんだけ苦しんだかわかってんのかよ!!多分、一生わからないだろうな!!いじめられて、裏切られて、見て見ぬふりをされた俺の気持ちなんか……!!」
咳をしながら、俺に視線を向ける彼女。
その目は、僅かに赤くなっていた。
俺に同情してるつもり?
「俺は一生お前らを……いや、俺以外の人間全員を恨んでやる!!皆死んでしまえ!!」
これまでにないくらい、俺は怒りを爆発させた。
同時に、どうしようもない悲しみも込み上げてくる。
すると、萩野は椅子から立ち上がり、扉に向かって歩いて行った。
俺に背を向けているが、その肩は微かに震えている。
同情なんかするな。
そんなことするなら、俺のために死んで。
「ごめんね……小倉君」
やがて扉は閉まり、彼女の姿は見えなくなった。
バケツをひっくり返したような激しい雨が降る、とある休日だった。
私、萩野真帆は右手に青い傘、左手に花束を持ち、大きな水溜まりも気にせず、ただただ山道を歩いている。
足元が崩れやすいため、何度も転びそうになるが、それでも休むことはしなかった。
やがて山道を抜けると、広大な墓地が目の前に広がった。
天候のせいか、そこには誰もいない。
こんなどしゃ降りの日にお墓参りに来るなんて、私くらいだろうか。
彼女の姉からもらったメモを便りに、私は目的の墓を探すと、すぐに見つかった。
「江川さん……」
それは、江川さんのお墓だ。
私は花束の花を添え、線香を焚くと、合掌をする。
その間も、私の耳には雨がザアザアと降る音しか聞こえなかった。
まるで、私だけ別世界にいるようだ。
目をゆっくりと開け、ライターをポケットにしまうと、私は彼女のお墓をじっと眺める。
あの事件から、約2ヶ月が経ったことを、私はまだ実感出来なかった。
彼が起こした殺人事件は、ニュースや新聞で大きく取り上げられ、世間を戦慄させた。
それもそのはず。
まだ17の少年が、同級生を6人も殺したのだから。
しかも、その殺害方法は残忍極まりない。
遺族は極刑を望んでいるとも聞いたが、年齢や犯行に至った動機、そして精神病を患っていることから、それはないと私は思っている。
どちらにしろ、私はもう彼に会うつもりはない。
彼の罪が少しでも軽くなることを、ただ願うだけだった。
取り調べを受けた後、彼から聞いた【犯人探し】という空想の出来事に、私は驚くしかなかった。
何故なら、【光貴】という存在以外、皆の話が全て一致していたからだ。
その理由は、未だにわからない。
また、彼が作った物語ではまだ解明されていない部分がいくつかあった。
まず、大槻君に西尾君の情報を与えた人物の正体。
それは、私だ。
塾の友人が西尾君の元同級生であったことを知った私は、その人に中学時代の彼のことを訊いた。
すると、予想外の答えが返ってきた。
西尾君はクラスメイトから、いじめられていたのだ。
良くないと思いつつ、私はその人から彼のいじめられている写真をもらい、大槻君にそのことを話した。
西尾君と一番仲の良い大槻君なら、カーストの頂点から落としやすいと思ったから、私は彼に頼んだのだ。
笠原さんが弱味を握られているのを知ったのは、西尾君と松下さんが話しているところを聞いてしまったからだ。
笠原さんには悪いと思って、江川さんにはそのことを言わなかった。
それが、西尾君の弱味を握ることの成功率を上げたのかもしれない。
そして、もう1つ明かされていないことがあった。
それは、犯人探しで江川さんが死ななかった理由だ。
あれだけはなかなかわからず、ただの彼の妄想に過ぎないと思ったが、きちんと理由があった。
江川さんの話には、【光貴】が登場していないのだ。
そのことから導き出せるのは、ただ1つ。
あくまで私の想像だが、もしかしたら彼は真実を知って欲しかったのかもしれない。
自分は殺された設定の【小倉】であり、【光貴】は存在しないと、訴えていたのかもしれない。
離人症は、辛くて悲しい出来事から逃避するために、自分を他人に置き換え、我が身を守る病気だ。
だが、彼は心の片隅で、本当の自分を見つけて欲しいと、強く願っていても、おかしくない。
今では確かめる術はないため、これ以上考えても無駄になるだけかもしれないが。
「小倉君……」
私は彼の名前を、ぽつりと呟いた。
彼は、私を自分の恋人だと思い込んでいた。
それは、自分が西尾君のグループの一人であるという妄想を、より信憑性を高めるために作った嘘だと、私は思っている。
だが、そう考えると、やはり虚しくなった。
彼からすれば、私は嘘を本物に変えるための【道具】だったかもしれない。
でも、私は彼のことが好きだった。
犯人探しで、江川さんが話していた私の好きな人は、彼のことだ。
「ごめん……」
小さな寝息くらいのその声は、震えていた。
さっきまで無表情だった私の頬に、一筋の涙が伝う。
もし、少しでも私が勇気を出していれば、彼はあんな風にならなかったのかもしれない。
大槻君に西尾君の情報を与えて、彼をカーストから引きずり下ろすのではなく、正面突破するべきだったのかもしれない。
今思えば、私の高校生活は後悔ばかりだった。
私は、歌を歌うことが好きだった。
中学では合唱部に入り、友人には内緒で、動画サイトにJ-POPなどを歌った動画を投稿し、確実に実力を伸ばしていった。
だが、動画サイトに投稿したことが、松下さんにバレてしまったのだ。
動画の背景に映っていた学校鞄とキーホルダー、そして地声から特定したと、彼女は言っていた。
クラスメイトにバレるのが嫌で、松下さん達のグループに入るけど、そこから私は道を踏み外していた。
そのことに、今更気付いてしまった。
「なんか、もう……バカみたい」
自嘲するような私の声は、風と激しい雨の音により、かき消される。
彼は今、何を思っているのだろう。
もしかしたら、私を憎んでいるのかもしれない。
だが、それは当然だ。
彼から全て話を聞いた後、事件の真実を彼に告げた。
それも、嫌味や皮肉を加えながら。
それらは、全て私の演技だ。
本当なら、素直に謝りたかった。
許してもらえないのはわかっているが、それでも正面から頭を下げて、謝罪したかった。
だが、そんなことをしてしまえば、私は彼から離れたくなくなる。
それに、殺された彼等の気持ちを考えると、どうしても謝罪が出来なかった。
その結果、私は彼に感情移流しないことにした。
冷たく、人の気持ちを考えない、無慈悲な人物になりきった。
しかし、最後の方ではあまりにも彼が可哀想になり、演技が出来なくなってしまった。
結局、私は情に流されてしまったのだ。
そして、今の私に残ったのは、中途半端な同情と大きな罪悪感だけだった。
「ごめん……ごめんね……」
力のない私の声。
目から溢れる涙を、私は左手で拭った。
私には、彼と再会する資格などない。
だから、今はただ彼に謝罪をし、2度と周りに流されて後悔しないことを誓うしかなかった。
それが、今の私の唯一の贖罪な気がしたから。
私は墓地を出ると、山道の入り口に向かう。
相変わらず、どしゃ降りの雨だ。
凍える両手に、私は息を吹きかけた。
その時だった。
私の周囲に、石がボロボロと落ちてきたのだ。
不思議に思い、どこから落ちてきたのか、上を見上げる。
すると、私は絶句した。
石が降ってきた方向の崖から、いくつもの木々や大量の土が降ってきたのだ。
あまりの衝撃に、私は傘を地面に落とした瞬間、私の視界は真っ暗になった。
土に埋もれた私の体は、徐々に私から生命力を奪っていく。
勿論、呼吸など出来るわけがない。
土の中から這い上がりたくても、既に私の上には何mもの土が覆い被さっているのか、それは出来なかった。
ああ……私、死ぬんだ。
自分の死というものは、こんなにも落ち着いて実感出来るものなのだろうか。
いや、もしかしたらこれは、彼を裏切った罰であり、それを私は冷静に受け止めているだけなのかもしれない。
薄れていく意識の中、最後に彼の声が聞こえてきたような気がした。
「ざまあみろ」
[END]
【お知らせ】
番外編書きます。
[The past calls the death]
その少年は、いつも通り家に帰った。
変わったことと言えば、テスト期間のため、いつもより帰る時間が早くなったことくらいだ。
玄関で靴を脱ぎ、広いリビングに行くが、そこには誰もいない。
ただ、白いソファやテーブル、テレビなどが置いてあるだけだった。
だが、少年にとっては、いつもの光景である。
彼の両親は、共働きだからだ。
少年は2階の自室に入る。
そこは至ったって、普通の部屋だ。
広くも狭くもなく、小さな本棚とシングルベッド、大きめの丸テーブルに、隅には勉強机も置かれている。
少年はベッドの上に制服を脱ぎ捨て、私服の白いセーターと黒のジーンズに着替えた。
本格的な冬になり、その服装は比較的厚手である。
そして、本棚からいくつか参考書を取り出し、それらを丸テーブルに置いた。
少年は床に座り込むと、ちらりとベッドの下の隙間を見る。
すると、少年はそこに右手を突っ込んだ。
そこから出てきたのは、2冊のアルバムだった。
1つは家庭で撮ったもの、もう1つは中学の卒業アルバムである。
しかし、少年はまだ中3であり、中学を卒業していない。
何故なら、これらは別の人物のアルバムだからだ。
実際、この持ち主以外の人物の顔は、全くわからない。
アルバムをパラパラとめくり、時々写真をじっと見つめる少年の顔は、どこか悲しそうだった。
やがて、少年はアルバムをぱたりと閉じると、それらをベッドの下に戻す。
このように、あの2冊のアルバムを見る行為は、少年にとって癖になりつつあった。
その時、インターホンが鳴った。
「お、来たか」
少年はそう呟くと、さっきまで憂いを帯びていた顔が、徐々に綻んでいく。
階段を降りる足取りも軽く、彼がこれから来る人物を待ちわびていたことは確かだった。
その日の夜は、猛烈な雨が降り注いでいた。
風も強く、その寒さは尋常ではない。
そんな天候の中、彼等はある場所に向かっていた。
レインコートを身に纏っている彼等……6人の足取りは、おぼつかない。
それは、全員がブルーシートに包まれた縦長の大きな【あるもの】を運んでいたからだ。
その重さは、60kg近くある。
6人で運んでも、それは決して楽な作業ではなかった。
やがて、彼等の視界に、1つの建物が入った。
それは、学校だった。
背後には山がそびえ立ち、天候と時刻のせいで、不気味に見える。
しかし、それだけが理由ではなかった。
この学校は、数年前に廃校になったからだ。
老朽化や幾度の台風のせいで、校門やグラウンドを囲む柵は、破損している。
「よし……行くか」
森永昴はごくりと唾を飲み込むと、そう言った。
「おい!足踏むんじゃねぇよ!」
「ご、ごめん!」
「マジで寒いんだけど」
「温かいココアでも飲みたいね」
「何で今日に限って、こんな大荒れなんだよ」
彼等は校舎に入ると、ブルーシートに包まれたものを運びながら、好き勝手に会話を始める。
階段の付近まで来ると、胸元まで伸ばしたやや癖っ毛の黒髪と、比較的地味な容姿が特徴の羽柴唯奈が、おずおずと口を開いた。
「ね、ねぇ……上の階に上がる必要あるの?」
「万が一のためだよ。一番上……3階の方がバレにくいかもしれないだろ」
彼女の質問に答えたのは、顔立ちが良く背も高い香川蓮。
彼の答えに、唯奈は涙を浮かべる。
泣き虫で怖がりな性格の彼女のその表情には、全員が慣れていた。
「じゃあ、3階まで行かなきゃいけないの!?やだよ!こんなとこ、早く出たいよ!」
「じゃあ、【あれ】が見つかってもいいのかよ!」
彼の言葉に、唯奈は何も言い返さなかった。
それは蓮が怖いから、というのもあるが、彼の言う通り、【あれ】が見つかってしまえば、終わりなのだ。
彼等の人生は。
校舎の中は、机や椅子、ガラスの破片などが散乱している。
スプレーで書かれた落書きなどもあるため、以前に誰かがここに侵入したのは確かだった。
やがて3階にたどり着くと、彼等は一番近くにあった【2年A組】の教室に入る。
彼等は、散乱していた机を縦に3つ並べ、その上にブルーシートを置いた。
すると、背中まで伸ばした艶のある黒髪とぱっちり二重の目が特徴の鈴村樹里が、無表情のままブルーシートの一部をめくった。
「死体だね。美子」
そう呟きながら、彼女は幼馴染みの名前を呼ぶ。
樹里がめくった部分からは、人間の顔が見えていた。
「それ以外に何があるのよ」
美子は眉間に皺を寄せながら、レインコートのフードをとった。
それと同時に、柊悠也は持っていた懐中電灯の明かりを、美子の顔に向ける。
すると、彼女の肩にかかる程度の髪と綺麗な顔が、はっきりと見えた。
「で、どうするのよ。この死体」
彼女は腕を組みながら、蓮に問う。
「そうだな……大ロッカーか掃除用具入れにでも入れるか」
「でも、バレないかな」
不安そうに、ブルーシートを見つめる昴。
「大丈夫だろ。わざわざこんな廃校の3階に来てまで、バレたくねぇよ」
ぎこちない笑みを浮かべる蓮だが、その表情にはやはり不安が混じっている。
すると突然、悠也が何かを突然思い出したような顔をした。
「そういや、皆知ってるか?ここの学校の話」
「話?」
不思議そうな顔をしながら、首を傾げる樹里。
その瞳には、好奇心が宿っていた。
「10年前、ここの学校で殺人事件があったんだよ。夜中に男子生徒が同級生6人を一人ずつ呼び出して、殺したんだ」
彼等……樹里を除いた全員の顔が強張る。
嫌な想像でもしたのだろう。
「だけど、男子生徒とともに警察に発見されて、奇跡的に助かった女子が、事件から2か月後に行方不明になったんだってさ。10年経った今でも、未だに発見されてないらしいな。ちなみに、これはマジで実話な。ネットで検索すれば、すぐに出てくる。あと、あくまで噂だけど、この学校に侵入した奴は死ぬらしいぜ」
「やめてよ、そういうの!!」
青ざめながら、彼に怒鳴る唯奈。
微妙な空気の中、樹里が無表情のまま、ぽつりと呟いた。
「殺人事件が起こった廃校に、死体を隠す……か」
その言葉は、彼等に重くのしかかった。
彼の中には、罪悪感、不安、焦りなど、様々な感情が湧いている。
だが、それよりも大きな負の感情が、彼等を支配していた。
「犯人は誰なんだろうね」
「おい。その話はやめろよ」
少しだけ口角を上げる樹里と、そんな彼女を睨む蓮。
昴はもう一度、ブルーシートに包まれた死体の顔を、じっと見る。
その目には、どんな感情が含まれているのかは定かではない。
「それよりも、まずは死体の隠し場所を決めるのが先よ」
美子がため息混じりにそう言ったその時だった。
「あれ、誰かいるの?」
廊下から聞こえてきたそんな声とともに、教室の扉ががちゃりと開いた。
教室に入ってきたのは、20代くらいの女性だった。
胸元まで伸ばしてある緩く巻いた髪に、長い睫毛が特徴の彼女は、茶色いコートを身に纏っており、右手にはビニール傘を持っている。
彼女は傘を机の上に置くと、彼等の顔を見渡した。
突然の謎の女性の登場に、誰もが困惑する。
「こんな時間に、ここで何やってるの?」
彼女は腕を組みながら、そう質問した。
別段、怒ってるわけでもなさそうだ。
だが、女性の言葉に、昴、蓮、悠也、美子は反射的に、彼女からブルーシートが見えないように、立ちはだかった。
しかし、そんな行動も虚しく、
「……何か隠してる?」
と、怪訝な顔をしながら、どんどんブルーシートの方へ近付く。
女性の動きを止めようと、蓮は彼女の腕を掴んだ。
「な、何にも隠してねぇよ!!つか、誰だよお前!!」
「ふーん……初対面、しかも年上の私に、そういう言い方はないんじゃないの?」
眉を吊り上げながらそう言う女性に、蓮は言葉を詰まらせる。
すかさず、昴が声を上げた。
「どうしてここに来たんですか?」
「その言葉、あなた達にまんまと返すよ。まさか、こんなどしゃ降りの日に肝試し?」
そう言って、女性は再び彼等の顔を見渡した。
昴は額から汗を流しながら、視線を落とす。
すると、女性はブルーシートに目を向けた。
彼等の顔が一気に強張る。
「これは何?……まさか死体?」
その一言で、教室が水を打ったように静まり返った。
ある者は絶望し、ある者は返答に悩み、ある者は頭の中が真っ白になっている。
そんな状況の中、樹里はふわりと笑みを浮かべながら、口を開いた。
「そうですよ、死体です」
その返答に、女性は僅かな驚きを見せながらも、黙って彼女の言葉を受け止めた。
だが、彼等のうち一人は顔を歪ませながら怒鳴った。
それは、蓮だ。
「お前……何やってんだよ!!何がなんでも、バレないようにしろ、って言っただろ!!」
「でも、このまま嘘をついても得策じゃないって思ったの」
無表情で答える樹里。
すると女性は、
「このままじゃ、あんた達は死体遺棄で捕まる」
と、呟くように言った。
【死体遺棄】という言葉に、彼等は自分のしていることの重大さを、改めて実感した。
それは、背中に重くのしかかってくる。
そんな彼等に、女性は優しい笑みを浮かべた。
「でも、事情を説明してくれたら、見逃してあげる。もし、警察に怪しまれても、私がアリバイを作るから」
それは、彼等にとって救いの言葉だった。
重かった気持ちが、一気に軽くなる。
悠也はちらりと蓮を見た。
彼等のグループのリーダーである彼に、事情を話しても良いか、様子を伺っているのだ。
こんな時まで、蓮の機嫌を取ろうとする悠也に、昴は呆れる。
「仕方ねぇな……教えてやるよ」
女性の条件を呑んだ蓮は、頭をポリポリと掻きながら、ため息をついた。
すると、美子が眉間に皺を寄せた。
「いいの!?私達を騙してる可能性だってあるかもしれないのに!?」
「その可能性は否定出来ないけど、状況が状況だ。信じた方がまだマシじゃねぇのか?」
確かに、初対面で何も知らない相手を罪から逃すなんて、普通なら有り得ないだろう。
だが、蓮は僅かな可能性に賭けていたのだ。
それが吉と出るか、凶と出るかはわからない。
すると、昴は女性に向き直り、口を開いた。
その表情は、真剣そのものだ。
「俺達の誰かが、彼奴……海斗を殺したんです」
それは、とてもシュールな光景だった。
広くも狭くもなく、ベッドや本棚、勉強机などが置かれたこの部屋。
円になった状態の俺達。
そして、俺達の中心にいるのは……。
「死体」
樹里が独り言のように言う。
俺達が取り囲んでいるのは、1つの死体だった。
そして、死体の正体は、俺達のグループに属する海斗だ。
彼は背中に血がついた状態で、うつ伏せのままフローリングに倒れている。
白いセーターを着ているため、その血はとても目立つ。
その目は見開いているが、瞳には輝きが失せていた。
死んでいることは、明らだった。
「何で……海斗……」
涙混じりに、彼の名前を呟く唯奈。
他の皆も、驚きを隠せないという表情で、彼を見下ろしていた。
その一人である悠也に、俺は視線を向けた。
「第一発見者は……悠也だよな?」
「ああ、そうだよ昴。てか、第一発見者って、海斗は誰かに殺されたって言いたいのかよ」
困惑した表情を浮かべる悠也。
俺は彼の言葉に、こくりと頷いた。
今日、俺達は海斗の家で勉強会をすることになっていた。
テスト期間のため、下校時刻も早く、勉強会をするにはちょうどいいと思ったからだ。
だが、俺が家に入った時には、生きた彼はいなかった。
彼の両親は共働きのため、家にはいない。
自分の息子が死んだなんて、思ってもみないだろう。
「私も昴と同じ意見ね」
美子が腕を組みながら、そう言った。
すると蓮はしゃがんで、まるで刑事のように死体をじろじろと見た。
「自殺とかじゃないのか?」
「でも、明らかに凶器で背中を刺されてるわよ。自殺なら普通、心臓とかに刺さない?それに、わざわざ私達が来る前に自殺もおかしいし、海斗が自ら死ぬなんて……」
美子の言葉が、そこで途切れた。
全員の目の色が暗くなる。
俺、蓮、悠也、美子、樹里、唯奈のグループに、海斗は入っていた。
成績はあまり芳しくないらしいが、運動神経は抜群で、中でもサッカーが得意だった。
受験生のため、大好きなサッカー部を引退した彼は、高校でもサッカーを続けたいと言っていた。
何事にも真剣に取り組んで、いつも仲間を励ましたり、時には厳しく叱っていた海斗。
そんな彼の瞳には情熱が宿っていたが、今の海斗にはそのようなものは、微塵にもない。
俺はゆっくりと俯いた。
「とりあえず、警察に通報しないと!」
ポケットからスマホを取り出す唯奈。
だが彼女の行動を、誰かが制した。
「待ってよ」
声のした方に全員が向く。
俺達の視線を浴びたのは、樹里だった。
彼女の右手には、乱暴に引きちぎられたルーズリーフがある。
「どうかしたのか?」
苛立った声で、蓮が問う。
樹里は少しだけ間を開けると、やがてピンクの唇を開いた。
「犯人はこの中にいる」
そう言って、彼女はルーズリーフに書かれている文字を見せた。
そこには雑な字で【海斗を殺した犯人は蓮、悠也、昴、美子、樹里、唯奈の中にいる】と書かれていた。
樹里のぷるぷるした唇が一瞬だけ、吊り上がったのは気のせいだろうか。
「何だその紙!」
「枕の下にあったの。少しだけ見えるようになってたから、これを書いた人は私達にこれを見せたかったことは確実……」
眉をひそめる蓮と、冷静に分析する樹里。
正直、この中に犯人がいるとは考えられなかった。
海斗を殺した理由もわからないし、そもそもそんなこと思いたくなかった。
すると、唯奈がおずおずと口を開いた。
「【海斗を殺した犯人】っていうことは、海斗は自殺じゃないんだよね。あと、これを書いたのって犯人なの?」
それは、俺も思っていたことだった。
俺は樹里が持っている紙を、じっと見つめる。
「普通、犯人はバレたくないから、自殺とかにカモフラージュしようとするよな。でも、背中に傷を負っているし、何よりこの紙だ。これだと、俺達に犯人探しをさせようと誘導してるみたいだな」
「そんなことして、何のメリットがあるんだよ」
俺の考えに、冷たく返す蓮。
「そうだよ。てか、字体とかで書いた奴がわかるんじゃないのか?」
蓮に同調しながら、悠也はさらに付け加える。
だが、彼の言葉に首を横に振ったのは、美子だった。
「でも、明らかにこれって雑な字で書いてあるわよね。書いたのが自分とわからないように」
美子の指摘に、二人は言葉を詰まらせる。
そんな中、まだスマホを握り締めていた唯奈が声を上げた。
「とりあえず、警察に通報しようよ!犯人のことはそっちに任せれば……」
「いや、ダメだ」
彼女の発言を、蓮が制した。
その瞳は、焦りの色が映っている。
「昴や美子の考えを完全に信じたわけじゃねぇけど、もし俺達の中に犯人がいると周りに知られたら、どうなる?」
「でも、それはこの紙を警察に見せなければいいだけの話じゃないの?」
反論する美子に、蓮は首をゆっくりと横に振る。
「そんなことしても無駄だ。俺達が今日の放課後、海斗の家で勉強会をすることは、一部のクラスメイトが知ってる。紙のことを隠しても、俺達の中に犯人がいるって噂が流れる可能性は十分有り得る」
「クラス中からハブられるかもね」
「ネットに写真貼られたりして」
「受験にも影響するな」
蓮の言葉を筆頭に、ネガティブな言葉が次々と並べられる。
俺達は今、受験生だ。
どんなに学力が高くても、この事件のせいで、高校に合格出来ない可能性がないとは言い切れない。
もし、警察がすぐに犯人を捕まえたとしても、俺達に僅かな影響が残ってしまうかもしれない。
ましてや、犯人がずっとわからないままだったら、それこそネガティブな言葉通りになってしまうだろう。
「じゃあ、どうするの?警察に通報する以外、出来ることなんて……」
唯奈が視線を落とす。
すると、それを再び上げたのは、樹里だった。
「死体を隠せばいい」
その案に唯奈だけでなく、俺達も目を大きく見開いた。
とんでもないことを口にした彼女だが、目は真剣そのものだった。
「このまま警察に相談したって、犯人が必ず捕まるとは限らない。それで受験に不利になったら、どうするの?困るのは私達だよね」
樹里はレベルの高い女子校を目指していると言っていた。
今までの努力を水の泡にしたくないのだろうか。
「でも、どこに隠すんだよ」
怪訝な顔をする悠也の質問に、彼女は腕を組みながら、考え込む仕草をする。
すると、何か閃いたように瞳を輝かせた。
「廃校。ここの近くの高校が数年前に廃校になったの。そこなら、バレないと思う」
「は、廃校……!?」
【廃校】という単語に、唯奈の表情が青に変化した。
「うん。山とかもいいけど、そういうところって、警察がより慎重に探すでしょ?だから、そういうのはやめた方が良いと思う」
「確かにな……」
樹里の説明に、蓮は首を縦に振った。
彼女の言うことも、一理ある。
ふと、死体が山で発見されたニュースを思い出した。
山に隠しても見つかる、という不安要素もあったが、逆にそれを逆手にとった賭けを、樹里は思いついたのだろう。
ドラマや小説だってそうだ。
隠された死体は【山】で発見されることが多い。
ならば、廃校という意外な場所に隠せば、見つからない可能性が高い。
リスクは大きいが、海斗が行方不明になったと聞けば、警察は山や河川などは必ず探すだろう。
そのまま見つからずに、捜査が打ち切りになるのを待てばいい。
俺の心を覗いたかのように、樹里の口角が僅かに吊り上がった。
だが、反対に美子は目を大きく見開きながら、口を開いた。
「廃校の高校ねぇ……ちなみに、学校の名前は?」
「確か……【笹山高校】だった気がする。廃校になった理由は知らないけど、なんか色々事情があったとか聞いたことがある」
「何だよ、美子。お前廃校が怖いのか?」
からかうように、にんまりと笑みを浮かべる悠也を、美子は静かに睨んだ。
図星なのだろうか。
「……本当に、死体を隠すの?」
俯きがちに、ぽつりと呟く唯奈。
それはとても小さい声だったが、俺達を黙らせるには十分だった。
「これって犯罪だよね?もし、死体が見つかったら、受験が不利になるどころの話じゃないよ。それに、友達の死体を廃校に隠すなんて、酷すぎると思わない?」
唯奈が言ってることは、最もだった。
完全に死体を隠す流れになっていたが、今振り返ってみれば、俺達の考えは人として最低だ。
殺された海斗の気持ちも考えずに、自分達の保身を第一に守ろうとしたのだ。
これ以上醜いことなど、あるわけないだろう。
俺は視線を床に向けると、蓮は声のトーンを低くしながら言った。
「仕方ないだろ」
全身を凍りつかせてしまうくらい、冷酷なその言葉に、俺は視線を蓮に移した。
彼は迷惑そうに、眉間に皺を寄せながら、海斗の死体を見つめている。
その表情は、気持ちが良いくらい醜くかった。
「いい迷惑だな。海斗が殺されたせいで、俺達はこんな目に遭ってるんだ。全部海斗が悪いんだろ」
「だよな。犯人に殺されないように、なんとかしてくれればよかったのにな」
「そういう言い方なくない!?」
蓮と彼の言葉に同調する悠也に、美子は拳を握り締めながら怒鳴った。
すると、俺は彼女の横に立ち、二人に言葉を投げかけた。
「お前達は、海斗……友達の死体を遺棄することに、抵抗はないのか?大事な友達だろ?」
冷静ながらも、感情を込めたつもりだったが、蓮は相変わらずの態度だった。
「大事な友達?笑わせんなよ。自分の保身よりも優先するほど、俺は海斗のことは好きじゃねぇよ。むしろ嫌いだ」
【嫌い】という言葉に、部屋全体が凍りついた。
蓮は確かに気が強くて、少し自己中なところがあった。
だが、そんな彼は正義感の強い海斗と仲が良かった。
海斗だけでなく、悠也や俺達ともだ。
些細なことで喧嘩はあったものの、このグループが嫌になったことは一度もない。
ふいに、雑談を交えながら下校する俺達の姿が思い浮かんだ。
だが次の瞬間、それはガラスのように、一瞬で儚く砕け散った。
友情は作るのは大変だが、壊れるのはあっという間だ。
改めてそれが実感できた気がする。
「何で……蓮は海斗と仲が良かったよね?」
毒を吐く蓮に怯えながらも、唯奈は遠慮がちに質問した。
「そんなの上辺だけの付き合いに決まってるだろ。俺、ああいう熱血タイプ苦手なんだよ。てか、他にもいるんじゃないのか?上辺だけ仲良くしようとしてる奴」
そう言って、蓮は目を細めると、俺達を見渡した。
俺達の本心を探るように、じっくりと。
すると、彼は無表情のままの樹里に目を留めた。
「樹里って、美子と幼馴染みなんだよな。そのわりには関わりは薄くないか?それってもしかして、美子のことをよく思ってないからだったりして」
にやりと微笑む蓮に、樹里は何も答えなかった。
ただ、蓮に冷たい視線を送るだけだった。
「それよりも、今は死体をどうするか決めるのが先でしょ」
話題をずらした美子。
それは、単に話を円滑に進めたかったのか、それとも自分と樹里のことを話題に出して欲しくなかったからの発言だったかは、定かではない。
「俺は絶対隠したい。グループの人間が誰かに殺されただけで、俺の人生に支障が出るなんてごめんだ」
腕を組みながらそう言う蓮に、何度も頷く悠也。
「私も二人に賛成」
続いて、樹里が声を上げる。
俺は美子に視線を向けた。
表情から、彼女は葛藤しているような気がした。
自分の人生を取るか、友達を取るか。
それは、自分の人間性を問う重要な選択なのかもしれない。
やがて、彼女は徐に口を開いた。
「隠すしかないわね……」
美子は自分の人生を取った。
蓮達にとっては、直感で決めた答えだと思うが、彼女は違った。
きっとたくさん迷って、やっと決めた結論なのだろう。
だが、彼女の心が完全に晴れたわけではない。
その証拠に、美子は今にも泣き出しそうな様子だ。
溢れ出しそうな涙を必死に堪え、肩や拳を震わせている。
意地っ張りな性格の美子が泣いている場面など、俺は一度も見たことがなかった。
罪悪感が彼女を支配しているのだろうか。
見るに耐えない彼女の姿から目を離すと、俺は蓮の視線を浴びていることに気づいた。
それは、決して温かい眼差しではなかった。
蓮は俺から目を逸らすと、唯奈に視線を移す。
彼の視線の意味が、すぐに理解出来た。
結論を出さない俺と唯奈に対して、自分達の意見に賛成しろと、目で主張しているのだろう。
俺は正直、海斗の死体を隠したくない。
それは自分の立場として当然だし、そこまでするほど、俺は保身に走ろうとは思えなかった。
だが、ここで彼等に反対したところで、どうなるのだろう。
少数派が多数派に勝てるわけがない。
ちらりと、唯奈に視線を送る。
俯いている彼女は、美子と同様に悩んでいる様子だ。
これ以上考えても、無駄だ。
そう唯奈に言いたくなったが、それを我慢した。
「俺も、蓮達に賛成だ」
力なく言うと、蓮は満足そうに微笑んだ。
彼の顔に一瞬だけカチンときたが、それを抑える。
蓮は再び唯奈を見た瞬間、彼の目つきが変わった。
目だけで脅迫していると言っても、過言ではない。
「」
「唯奈は?」
「わ……私は……」
唯奈は顔を青白くさせ、視線を床に落としている。
すぐに決められないのは、彼女の中に強い正義感があるからなのだろう。
唯奈はそういう人間だ。
気弱で口数は少ないが、その分正義感は人一倍に強い。
一見周りに流されやすそうな性格だが、正しいと思った方に進むことが多い。
それは長所でもあるが、時には自分を苦しめるのだ。
そんな唯奈に、少し同情してしまう。
やがて、彼女は視線を上げると、震えがちの声で話した。
「私も……賛成」
唯奈の答えに、蓮は安堵のため息を吐く。
俺は彼女を軽蔑する気は一切なかった。
自分も賛成したし、なにより状況が状況だ。
ここで同調しなければ、全員から責め立てられていただろう。
気弱な性格なら、それは仕方ないことなのかもしれない。
浮かない顔の唯奈や美子はそっちのけで、蓮達は死体を隠すことについて話し合い始めた。
「決行は、今日の夜にしような」
「でも、死体はどうやって持っていくんだ?」
「それなら大丈夫。私の家にブルーシートがあるから、それで死体を包んで、全員で運ぼう。死体を運んでいるところを他の人に見られないように、人通りの少ないルートも調べておくね」
台本でもあるのだろうか、と思うくらい、蓮と悠也と樹里は着々と話を進めていく。
俺は3人から目を離すと、ため息をついた。
「どうしてこの中に犯人がいるかもしれないのに、こんなこと出来るんだろう……」
俺の小さな呟きは、3人の声によりかき消された。
「へぇ、そんなことがあったんだ」
女性は壁に寄りかかりながら、口元に笑みを浮かべた。
まるで、今まで求めていたものを見つけたかのような表情だった。
「つまり、この中に殺人犯がいるわけね」
女性の言葉に、彼等の眉毛がぴくりと動いた。
触れてはいけなかったものだと彼女は察したが、躊躇わずに続ける。
「よくそんな状況で、全員で協力して海斗君の死体を運べたねぇ……」
「で、でも、俺達がやったっていう徹底的な証拠はないだろ!!」
「……確かにね。あの紙を書いたのは本当は第三者で、私達の中に犯人がいると思い込ませたかったのかもしれない」
蓮の言葉に、美子は冷静に推測を立てる。
誰かがほっと安堵のため息をついた。
だが、少しだけ和らいだ空気を再び凍りつかせたのは、唯奈だった。
「……徹底的な証拠ならあるよ」
唯奈は怯えた顔をすると、彼女はスカートのポケットから、1つのキーホルダーを取り出した。
それは、クマのマスコットだった。
全員の顔が真っ青になる。
「それ……私達が付けてたやつ……」
美子が拳を震わせながら、呟く。
そのマスコットは、海斗を含めた彼等がおそろいで付けていたものだった。
唯奈は徐に唇を開く。
「これが海斗の部屋に落ちていたの。でも、海斗の鞄にこのマスコットがついてた。だから、これは私達の中の誰かが落としたもののはず。海斗が殺されて、悠也が死体を見つけた後に、犯人じゃない誰かが落としたっていうことは考えられない。だって、私達は手ぶらで家に行ったんだから」
海斗は勉強道具を全て貸すと言っていた。
そのため、彼の死後に彼等のうちの誰かが、偶然マスコットを落とすのは有り得ないだろう。
すると、蓮が眉をひそめながら、口を開いた。
「じゃあ何でそのことを、今俺達に言うんだ?見つけた時に言えばよかっただろ」
この言葉を、彼女は予想していたのだろう。
だが、唯奈の表情はひきつっていた。
言わなかったことを、彼に責められると思っているのかもしれない。
「ごめん……見つけた時、言わなきゃいけないと思ったけど、疑心暗鬼な雰囲気を作りたくなかったの。だけど、いずれは伝えなくちゃいけないから……」
「この女が犯人について話してたから、言うことにしたってことか」
そう言った蓮は、別段怒っているわけではなさそうだが、冷たい口調は変わらない。
唯奈は再び出てきた涙を、必死で抑えた。
昴はそんな彼女に、哀れみの視線を向ける。
「なら、海斗を殺したのは、やっぱりこの中に……」
やっと夢から覚めたように、美子が言葉を漏らす。
それは、彼等にとって、衝撃的な一言だった。
今更すぎるかもしれないが。
彼等は自分達の中に犯人はいないと、心のどこかで思っていた。
メッセージは第三者が書いたものだと勝手に思い込んだり、身近に殺人犯がいるという現実を受け入れたくなかったからでもある。
だが、状況は変わった。
唯奈から告げられた証拠により、その考えは一瞬で遮られてしまったのだ。
疑心暗鬼になる者、犯人に怯える者、冷静に事件について考える者など、そこからの行動は様々だが、全員は確信した。
この中に犯人は確実にいる、と。
すると、突然女性は椅子に座り、鞄から取り出したメモ帳を机の上に置いた。
女性は彼等から視線を浴びていることにも気にせず、激しい雨が降っている外を見つめながら、唇を開いた。
「犯人は私が見つける」
女性の突然の宣言に、誰もが言葉を失った。
無理もない。
無関係の人間が、事件の犯人を見つけてくれると言ったのだから。
「私一応、探偵事務所で働いているの。本業は浮気調査や身辺調査で、殺人事件とかは警察の仕事だけど、力にはなれると思う」
確かにただの一般人よりは良いだろう、と昴は女性の顔をじっと見つめる。
「なら、俺達はどうすればいいんだ?聞き取り調査でもすんのか?」
ため息混じりに、蓮が言う。
「それはするけど、まずはここから出よう。そうしなきゃ、何も始まらない」
「じゃあ、海斗の死体はどうするんですか?」
ブルーシートを突っつきながら、昴が訊いた。
「とりあえず、私の家に置こう。この学校から近いし、人通りも少ないから、誰にも見つからないと思うね」
彼等は僅かに考え込むが、彼女に頼った方が良いと思ったのか、反対する者は誰もいなかった。
だが、一人だけ女性に言葉を投げかけた。
「あなたは……何故ここに来たんですか?何故私達に協力してくれるんですか?あと、あなたの名前は何て言うんですか?」
質問したのは唯奈だった。
その顔は、大人しい彼女には珍しいくらい、鬼気迫っていた。
昴は眉をひそめながら、唯奈の顔をじっと見る。
「いずれはわかるんじゃない?全ては、皆の行動次第」
女性の意味深な発言に、彼等の背中に鳥肌が立つ。
彼等が、女性の【異様な雰囲気】を感じ取った瞬間なのかもしれない。
女性は教室の前方のドアまで移動すると、
「とりあえず、ドア開けとくから死体を廊下に運んで」
と、彼等に指示を出した。
その瞬間だった。
「……あれ?開かないんだけど」
女性はドアを何度も開けようとするが、一向にそれは開かない。
ただ、ガチャガチャとドアノブを回す音が聞こえるだけだった。
流石の女性も、この事態に顔をしかめる。
「……まさか、閉じ込められた?」
樹里がぽつりと呟く。
だが、その表情からは感情が感じ取れなかった。
「ちょ、冗談はよせよ」
笑いながらそう言う蓮も、目は笑ってない。
「後ろのドアなら、開くんじゃね?」
と、悠也が後方のドアに駆け寄る。
だが、そこでもただただドアノブの音が無情に響くだけだった。
最初は軽く見ていた者達も、困惑の表情を浮かべる。
「嘘でしょ……」
昴の隣にいる唯奈が、顔面蒼白で声を漏らす。
怖がりな彼女にとって、夜の廃校の教室に閉じ込められるというシチュエーションは死ぬより恐ろしいものだろう。
彼女はドアの前に立つ悠也の横に並ぶと、全力でドアを叩き始めた。
「ねぇ、出してよ!ねぇ!ねぇ!!出してよ!!」
狂ったように何度も叩き続ける唯奈の顔は、涙を流しながら笑っていた。
側にいた悠也も、狂気を感じる唯奈から目を離す。
すると、視線を【あるもの】に移した彼は、目を輝かせた。
「椅子でガラスを割ったらどうだ!?」
廊下の様子が見えるガラスに指を差す悠也。
「少し手荒だけど、いいんじゃない?」
美子が髪をかき上げながら、賛成する。
「怪我するなよ」
心配そうに悠也を見つめる昴。
ガラスの破片が飛び散ることを考慮し、悠也はレインコートのフードを被ると、1つの椅子を持ち上げた。
割りやすいように、美子はガラスを懐中電灯で照らす。
「じゃ、いくぞ!!」
気合いを入れるために大声を出すと、彼は持ち上げた椅子をガラスに叩こうとした瞬間だった。
異変が2つ起こったのだ。
1つ目は、美子が照らしていた懐中電灯が突然消えてしまったこと。
もう1つが、真っ暗な闇が訪れた数秒後に、何か大きなものが床に倒れる音がしたことだった。
「何で消えたの!?まさか電池切れ!?」
「待って。私の懐中電灯もあるから、今からつける」
半ばパニックになりつつある美子に、女性が冷静にそう言った。
だが、女性が懐中電灯のスイッチを押しても、カチカチと音がするだけだった。
どんどん増してくる不安に、彼等の中に【恐怖】の2文字が現れる。
そして、それがいつしか【絶望】に変わることを、まだ彼等は知らない。
「ちょ、ヤバい。つかないんだけど!」
「もうやだ!!帰りたいよ!!」
「どういうことだよ、これ!!」
女性の嘆き声から始まり、彼等は口から次々と不安をこぼしていく。
しかし、この状況の中で、一人だけ静かにある疑問を口にした。
「悠也は?」
声の主は樹里だった。
彼女の言葉に、一瞬だけ彼等は冷静になるが、すぐに強い不安にかけられる。
何故なら、樹里に名前を呼ばれた彼からの返事がなかったからだった。
「おい、悠也?」
僅かに震えた声を漏らす蓮。
しかし、彼の呼び掛けにも、悠也は返さなかった。
ただただ暗闇が目の前に広がるだけである。
「そうだ。スマホの明かりがあるよ」
携帯のことを思い出した昴の声は、少しだけ明るかった。
ズボンのポケットからスマホを出すと、ホーム画面の状態で床に照らした。
自分の位置を確認しながら、慎重にガラスの方へ彼は近付く。
全員が固唾を呑んで、スマホの明かりを見つめていた。
悠也がどうなっているのか、彼等は不安で堪らないのだ。
返事をしない限り、彼が普通でいることはまず有り得ない。
だが、嫌な想像もしたくなかった。
もしかしたら、彼は自分達を驚かすために、懐中電灯が突然消えたこの状態を上手く利用して、わざと返事をしなかっただけではないのか、などと都合の良い想像をしている者もいるくらいだ。
しかし次の瞬間、スマホの明かりによって、その期待はまんまと裏切られた。
「な、なんだよ、これ!!」
「ひっ!」
「嫌だ!!誰かここから出してよ!!」
照らされた床には、水溜まりを作っている赤い液体と、首をナイフで刺された悠也がいた。
残虐な姿の彼は、これ以上にないくらい目を見開いている。
だが、その瞳には輝きはない。
死んでいることは明らかだった。
「どういうこと……!?」
叫び散らすような美子の声。
「……殺された?」
茫然としながら昴が言う。
その顔は、まるで幽霊のように青白い。
「でも、悠也まで……!?」
「大体、この状況で悠也が殺されたなら、殺ったのは……」
蓮の言葉に、全員が黙り込んだ。
その先は、誰もがわかっていた。
悠也は、自分達の中の誰かに殺されたのだと。
すると、重い空気の中、手をパンパンと叩く乾いた音が聞こえてきた。
その正体は、女性だった。
「あんた達の誰かが悠也君を殺した、か……」
「それって、海斗を殺した犯人と同一人物だったりします?」
樹里が女性に訊く。
すると、彼女は徐に答えた。
「わからないけど、その可能性は高い。暗闇になった状態を利用して、犯人は悠也君を殺したのかぁ……」
「……美子が殺したんじゃないのか?懐中電灯を持っていたのは美子だろ。わざと電池を抜いてつかないことにして、その隙に悠也を殺したんじゃ……」
声を低くしながら、蓮が言った。
彼の推測に、弾かれたように美子が言い返す。
「そんなことしてない!大体、私が懐中電灯がつかないように仕掛けても、女の人が代わりに自分のをつけてくれるはずでしょ。でも、女の人の方もつかなかったんだから、その理由で私が犯人扱いされることはない」
彼女の反論に、押し黙る蓮。
すると、昴がぽつりと呟いた。
「でも、2つともつかないって有り得るか?しかも同じタイミングで。まるで、犯人が2つともつかないようにしたみたいじゃ……」
「だけど、私はあんた達に自分の懐中電灯を渡した覚えはない。それに、私もあんた達から懐中電灯を受け取ったこともない。だから、犯人が両方つかないように仕組んだことは有り得ないはず。つまり、懐中電灯の件は偶然なんじゃない?」
「【私も】って……あなたも犯人の候補に入るんですか?」
震えがちの声で、唯奈が訊いた。
「仕方ないよ。現場に私も立ち会わせたんだから、あんた達だけが犯人候補なのは不公平でしょ?それに、口には出してないけど、思ってたんじゃないの?私が犯人かもしれないって」
女性の言葉に、数人の身体がびくりと震えた。
暗闇のため、彼女にそれがバレないので、すぐに安堵のため息を漏らしたが。
「まあ、こんな嵐の日に一人でこんなところにいたら、悠也君を殺したのは私だって思われても仕方ないかもね。犯人は私じゃないけど。あ、口ではいくらでもそんなこと言えるか」
自虐的な割には、やや明るいその声に、彼等は困惑するしかなかった。
そんな空気をどうにかしたかったのか、美子が口を開いた。
「何で悠也は殺されたの……?しかも今。普通だったら、悠也が一人でいる時に殺害するわよね?」
「それは私も思った。悠也君を殺したかったのなら、海斗君の時みたいに、一人でいる時に殺してるはず。なのに、わざわざ暗闇になったところを利用して殺害するなんてめんどくさいこと、普通する?」
説得力のある彼女の説明に、誰もが頷く。
だが、しばらくすると異議を唱える者がいた。
それは、樹里だ。
「だけど、偶然暗闇になって悠也を殺害するなんて、不自然すぎじゃない?」
「どうして?」
昴が訊く。
「悠也はナイフを首に刺されて死んでいた。なら、犯人は最初からナイフを所持していたはず。でも、懐中電灯が両方つかなかったことが偶然だとしたら、犯人は暗闇になることは予測していなかったことになるよね。それだと、わざわざ何で暗闇が訪れてから少しの間で殺害することにしたのか……可笑しいと思わない?」
「確かにね。最初からナイフを所持していたなら、きちんと殺害するタイミングを考えていたと思う。例えば、帰り際に皆が目を離した隙を狙って、とか。なのに、暗闇とはいえ、皆がいるところで殺したなんて、不自然だね。もしかしてドアが開かないし、懐中電灯もつかない状況に混乱して、予定外だけど、タイミングを早めて殺した、とかなんじゃないかな」
次々と並べられる女性の推測に、彼等は事件の内容を整理する。
だが、そうする度に、彼等の友人に対する猜疑心は増していくばかりだった。
嵐が止み、月が姿を現した頃だった。
樹里は椅子に座り両腕を机に乗せた状態で、夜空を眺めていた。
塗り込められたように真っ黒な空に浮かんでいる満月は、腹が立つくらい美しい。
こんな夜は何かが出そうだな、と彼女は穏やかに微笑んだ。
結局、何度も悠也や海斗について情報を並べても、犯人は分からずじまいだった。
だが、全員が1つだけ確信したことがあった。
それは、同一犯説だ。
徹底的な証拠があるわけではないが、逆に二人を殺したのが別々の人間だとは、考えられないのだ。
でも、それだけでは犯人がわかるはずもなく、彼等は夜が明けるのを待つことにした。
このまま話し合っても、埒が明かないからだ。
しかも、海斗をここまで運んだり、友人の残酷な死体を見たことにより、肉体的にも精神的にもかなり疲れていた。
とりあえず、夜が明けるまで睡眠をとり、朝になったらなんとかここから脱出出来るように行動をする。
それが、今の自分達にとってするべきことだった。
携帯が圏外で連絡は取れないが、もともと今夜は今後のことについて話し合うため、この廃校から一番近い樹里の家に泊まることになっていた。
家族には既にそのことを伝えてあるため、帰って来ない自分を心配することはない。
樹里の両親が今、旅行で家にいないのも、明日が休日なのも、奇跡的としか言いようがなかった。
全員が席に座っているが、寝ている者は一人もいなかった。
ある者は携帯をいじり、ある者は涙を流し、ある者は頬杖をついて考え事をしている。
会話は一切なかった。
静寂した教室の中には、様々な彼等の感情が渦巻いている。
疑心、恐怖、不安、怒り……。
どす黒いオーラが教室を包み込んで見えても、おかしくないだろう。
だが、それらとはどれも当てはまらない感情を、樹里は抱いていた。
彼女は斜め後ろの席をちらりと見た。
そこには、視線を携帯の画面に注いでいる美子がいた。
「私もいつか恋とかするのかな」
軽いため息を吐きながら、美子はそう言う。
彼女が背負っているランドセルのキーホルダーが、柔らかな春風によって揺れた。
「するんじゃない?」
微笑みながら、私は答えた。
私達が座っている河川敷の向かい側では、野球部らしき中学生達がランニングをしている。
来年から彼等と同じ中学生になるのか、と思うと、それは遥か遠くの未来のことのように感じてしまった。
やがて、彼等の元気に満ちた掛け声が遠ざかった。
川のせせらぎしか聞こえなくなった河川敷を眺めていると、再び美子が口を開いた。
「樹里は?好きな人とかいないの?」
「私?」
自分の顔を指で差しながら、私は首を傾げた。
美子の瞳は、好奇心で満ち溢れている。
正直恋愛はあまり好きではないが、この空気では答えざるを得ないだろう。
私は顔から表情を消すと、彼女の質問に答えた。
「好きな人はいないけど……この前、三角関係だっけ?まあとりあえず、めんどくさいことがあったなぁ。しかも隣のクラスの人と」
「何それ!初耳なんだけど」
私の言葉に、彼女は瞠目した。
ここまで来たら、私は美子にあったことを全て話さなくてはならないだろう。
昔から、美子は知りたいものは知り尽くさないと、気が済まない性格なのだから。
「確か……」
「確か?」
「隣のクラスの男子が私に告白してきて……」
「してきて?」
「そしたら、そこにその男子のことが好きらしい女子が出てきて……」
「出てきて?」
「そしたら、その男子が女子に『お前のことは嫌いだ』って言って……」
「言って!?」
美子の瞳の輝きが最高潮に達した時だった。
突如嵐のような強い風が吹いた。
それにより、河川敷の向かい側にあるグラウンドでは砂埃が舞い、綺麗に整えられた美子の前髪は乱れた。
今日は比較的風が強いと言われていたが、ここまでになるとは思ってなかったため、少しだけ驚く。
「そろそろ帰ろ?風も強くなってきたし」
「そうだね。お腹空いたなぁ!ホットケーキ食べたい」
そう言って、彼女は甘いメープルシロップがかかったホットケーキを想像したのか、口元を緩めた。
そんな美子に、自然と自分も笑みがこぼれる。
「じゃあ、今からどっちが先にあそこの橋に着くか、競争しようよ。負けた方がホットケーキを奢る、ってことで」
河川敷のすぐ側にある橋を指で差しながら、私は言った。
すると、美子は合図もなしに、橋の方へ走って行った。
そんな彼女に私は文句を漏らしながら、美子の後を追いかけていく。
「それはずるいよ!待って!」
「やだね!ホットケーキは私のもんよ!」
私達の声は、強い風によってかき消されていく。
どんなに文句を言っても、どんなに息を切らしても、いつの間にか私達は笑っていた。
何かがおかしかったわけではないが、それでも意味のない笑いが私達を包み込んでいた。
その時だったかもしれない。
人生が一番楽しかった瞬間は。
笑いすぎてお腹が苦しくなったが、それすらも幸せに感じてしまう。
笑いが収まると、私は彼女の手を握りながら言った。
「別に彼氏出来なくてもいいや。私には美子がいるから」
私の言葉に、美子は顔を赤く染めた。
まるで、恋人同士のやりとりにすら思えてくる。
すると、彼女は白い歯を見せながらにっこりと笑うと、
「私も樹里がいるなら、それでいい」
と言って、私の手を引いた。
くしゃくしゃの笑顔を浮かべながら、手を繋いで走る私達を、何も知らない通行人が見たらどう思うだろう。
仲が良さそう?
それとも……。
この時、私達はまだ幼すぎたと、今になってやっと実感した。
こんにちは。割り込み失礼します。
ここまで読ませていただきましたが、
これは……かなりハイセンスッ!
文章構成もそうですが、
シナリオも素晴らしい。
スクールカーストを取り巻く、
未熟ながらに残酷な人間模様が描写されており、
真に迫ったメッセージ性を感じました。
そんな中、発生する密室の惨劇。
正直……オカルト方面にしか思考が向かなかったので、
【信頼できない語り手】の真相まで推理できませんでした。
番外編は本編とどのような繋がりを見せてくれるのでしょうか?
続き、楽しみに待ってます。
それでは。
>>129
ありがとうございます。
文章構成の方はかなり頑張っていたので、嬉しいです!
今後も精進して参りますので、よろしくお願いしますm(_ _)m
けたたましい蝉の鳴き声が響く、ある夏の日だった。
「ねぇ、樹里。今日の放課後、書店行かない?」
移動教室の途中、教科書を抱えた友人がそう言った。
「いいね。行こっか」
私は微笑みながら答える。
それからは、最新の小説についての話に花を咲かせた。
中学に入ってから、私は美子とクラスが離れた。
それは非常に残念だったが、落ち込んでいる場合ではなかった。
私は、新しい友達を作らなくてはならなかったのだ。
同じ小学校の子はわりといるが、当時は美子とばかりいたため、彼女以外にこれといって親しい友人など私にはいなかった。
別にたくさん友達が欲しいわけじゃない。
信頼出来て、趣味の合う子が数人いれば十分だ。
そして、近くの席の子などに積極的に声を掛けた結果、それなりに友達と呼べる人は出来た。
お昼を一緒に食べたり、帰りに寄り道をしたり、休み時間に談笑したりして、孤独を感じることは一切なかった。
それは、中2になった今でもだ。
ただ、どこか変わったことがあった。
その正体は、とっくにわかっていた。
渡り廊下に差し掛かると、派手な女の子と話ながら、こちら側に向かって歩いている【彼女】が視界に入った。
美子だ。
以前は興味もなかったメイクを施しているせいか、唇はツヤツヤで、眉毛も綺麗に整えられている。
制服は適度に着崩しており、手首には水色のシュシュをつけていた。
彼女は私に手を振ることも、視線を向けることもなく、私と友人の横を通り過ぎて行った。
「美子ちゃんって変わったよね」
もう美子の姿は見えない廊下を振り返りながら、友人は言った。
彼女は私と美子が幼馴染みであることを知らない。
「……だよね」
「入学したての頃は結構やんちゃな方だったし、オシャレにも興味なさそうだったのに、いつの間にか凄い綺麗っていうか……垢抜けたよね」
彼女のその言葉に、私は肯定も否定もしなかった。
最もそれは事実であるが。
美子は、小学校の頃は外遊びが好きで、男子とも仲が良かった。
逆にオシャレには興味がなく、よく私服がダサいといじられていた記憶もある。
しかし、中1の夏辺りから彼女に変化が訪れた。
短かった髪を伸ばしたり、校則違反とされるリップなどを持ってきたり、休日は有名なブランド服の店に行くようになったのだ。
それは彼女の友人の影響だと、私は思っている。
美子の友人達は、世で言うギャルだ。
彼女らの言動などから、美子は外見に気を使い始めたのだろう。
それは悪いことではなく、むしろ幼馴染みが綺麗になっていくことに感心を抱いた。
しかし、それに比例して、美子との距離が遠ざかってしまったのだ。
一緒に学校に行くことも、一緒に出掛けることも、一緒にお喋りをすることもなくなった。
それどころか、今のようにお互いの姿を見ても、声を掛けることすらない。
別に、喧嘩をしたわけじゃない。
接点がなくなったのだ。
部活に励み、それぞれ別の友人と時間を過ごすことで、自然と距離が出来てしまったのである。
それがなんだか、とても気まずかった。
原因が喧嘩の方が、まだマシだ。
喧嘩なら、自分の過ちを認めて、謝罪が出来るのだから。
しかしこの場合、どうしろというのだ。
謝罪をしようにも、謝罪することがない。
このままお互い関わらずに、私達は大人になっていくのだろうか。
渡り廊下を過ぎると、私は壁に掛けられた縦長の鏡に視線を向けた。
そこには、自慢の黒髪を風でなびかせながら、白い半袖シャツの上に茶色のベストを着用した自分が映っている。
その顔は、自分でも鳥肌が立つくらい怖かった。
どうしてこうなったのだろう。
スマホをズボンのポケットにしまいながら、蓮は心の中で呟いた。
月明かりによって照らされている薄暗い教室にいながらも、彼は眩しい情景を思い浮かべる。
最初に脳裏によぎったのは、生前の彼の笑顔だった。
「テニス部って、朝練ないのか?」
ソファにもたれかかりながらジュースを口にすると、海斗はそう訊いてきた。
ここ、ファストフード店で流れるBGMに耳を傾けながらも、俺は答えた。
「ねぇよ。あったら入ってなかったな」
「何でだよ。俺んとこのサッカー部も、確かに練習大変だったけど、やりがいがあって良かったぞ」
彼は口を尖らせると、テーブルの上に置いてあるハンバーガーに手を伸ばした。
海斗が殺される2週間前、俺と彼は学校帰りにファストフード店に寄った。
部活はとっくに引退しており、受験勉強の息抜きと称した寄り道である。
と言っても、半ば強引に彼に誘われただけであったが。
「にしても、他に来てくれる奴いなかったんだよな。悠也は塾だし、無理矢理美子を誘おうとしたら、逃げられた」
「受験近いのに寄り道しようとするお前が、馬鹿すぎるんだよ。そりゃ誰も来ねぇわ」
「と言いつつ来てくれるお前優しいな。ツンデレかよ」
「お前がしつこすぎるからだろ」
彼からのしつこい誘いを何度も断ると、最終手段と言わんばかりに俺に抱きついてきたことを思い出すと、軽く身震いがした。
しかもそれをクラスの女子に、変な目で見られていたと思うと、地獄でしかない。
もともと、海斗のことはあまり好きではなかった。
中3になって初めて彼と同じクラスになり、話が合うことから、一緒に行動することが多くなった。
しかし、いつしか熱血的な性格や時折出てくる構って欲しいという態度から、俺は彼を鬱陶しく思い始めた。
だが、俺は海斗と縁を切ることはしなかった。
俺には悠也、昴、美子、樹里、唯奈がいる。
彼と絶交しても友達には困らないが、それを拒否してる自分がいたのだ。
鬱陶しい性格の海斗でも、一緒にいると、どこか居心地の良さを感じているのかもしれない。
口が裂けても、こんなこと言えないが。
「受験終わったら、まずどうする?」
ポテトをつまみながら、海斗が質問してきた。
「とりあえず、家でゴロゴロする。で、もし合格したら、卒業後に家族旅行に行こうって話になってる」
「家族旅行か……いいなぁ。俺の家、親なかなかいないから旅行行けないんだよな。合格祝いくらいはしてくれると思うけど」
すると、彼は顔を曇らせた。
「お前って何人家族?」
「母さんと父さんと姉二人の5人家族だけど……何か?」
突然の質問に、俺は眉をひそめながらも答えた。
「……羨ましいな」
海斗の表情がさらに暗くなる。
俺は激しい違和感を覚えた。
それはきっと、ただ俺に対して羨望を抱いているわけではない。
【何か】があると、海斗の表情が物語っていたのだ。
しかし、俺はその領域に敢えて踏み込まなかった。
訊いてはいけないような気がしたからだ。
それに、それを素直に打ち明けてくれない可能性だってある。
すると、海斗は淀んだ空気を取り繕おうと、
「そういや、この間の小テストどうだった?」
と、新たな話題を出した。
この時はあまり気にせずに、俺もその話題に乗ったが、今思えば訊けば良かったのかもしれない。
海斗が死んでしまった今、彼の口から真実が語られることはないのだから。
悠也が死んでから、何時間経ったのだろう。
美子は、斜め前の席に座っている樹里を見つめていた。
樹里はスマホをいじっているため、彼女の視線には気付いていない。
いつの間にか、美子と樹里以外は眠りについていた。
勿論、あの女性も含めて。
呑気なものだな、と呆れると同時に、美子は窓の外に目を向けた。
さっきの嵐が嘘のように、夜空には煌々と星が輝いている。
そして、そこにぽっかりと浮かんでいる満月が、幻想的な雰囲気を醸し出していた。
だが、幻想的なのはそれだけではない。
この廃校もだ。
廃墟に行くのが初めてだから、という理由もあったが、何よりこの学校での事件について、美子は考えていた。
今いる校舎のどこかで、例の殺人事件があったと思うと、ここは異世界なのではないか、という気持ちに襲われるのである。
美子は視線を夜空から再び樹里に移すと、脳内に幼い頃の思い出が徐々に浮かんできた。
美子はゆっくりと、目を閉じる。
すると、窓の外を横切っていくカラスが不気味な鳴き声を上げた。
幼い頃、樹里は身体が弱かった。
激しい運動が出来なかったり、そのせいで男子にからかわれたりして、よく泣いていた記憶がある。
そんな彼女を、いつも私が守っていた。
懐かしすぎて、思わず口から笑みがこぼれそうになる。
気付けば、私達はいつも一緒にいた。
運動が大好きで活発な私と、読書家で物静かな性格の樹里。
誰がどう見ても、私達は正反対の人間だったが、彼女を嫌いだと思ったことは一度もない。
喧嘩も時々するが、信頼出来て本音を言い合える仲だと思っていた。
小学生の時までは。
中学に入って、樹里とクラスが分かれた私は、クラスの中でも派手目なグループに入った。
最初は外見を重点に置いている彼女達に着いていけなかったが、徐々に私はオシャレに気を使うようになった。
それは彼女達に合わせているわけではなく、自らオシャレに興味を持ち始めたのだ。
自分でも変わったと思う。
だが、変化をしていくにつれて、どんどん樹里と距離が出来てしまったのだ。
樹里も新しく出来た友達と楽しく学校生活を送っているため、邪魔をしては悪いという遠慮が原因だと、私は思っている。
中1の5月辺りなら、お互いの姿を見ると会釈程度はしていたが、夏になるとそれすらもなくなった。
樹里はもう私には興味がなくなったというネガティブな考えを、私は何度かき消しただろうか。
微妙な気持ちを抱いたまま、時は過ぎていき、そしてついに中学三年生の春がやってきた。
その日は、清々しいくらいの晴天だった。
私は、桜が舞うグラウンドに足を踏み込む。
強い風が吹くと、髪やスカートが揺らめいた。
膝上のスカートを押さえながらも、昇降口にたどり着くと、私は真っ先にクラス分けの紙に視線を向けた。
紙の前にはかなり人がいるため、私は目を凝らしながらそれを見つめる。
やがて、自分の名前が見つかり、ついでに新しいクラスメイトの名前も確認した瞬間、私は強い衝撃を感じた。
無理もない。
そこには、樹里の名前もあったのだから。
私は、困惑するしかなかった。
違うクラスならば、今までと同じように距離を置くことが出来るだろう。
しかし、毎日のように顔を合わせるとなると、かなり気まずい。
空白の2年間を、何もなかったかのように埋めることが出来るのだろうか。
だが、心のどこかで喜んでいる自分もいた。
もしかしたら関係を元に戻すことが出来るかもしれない、というポジティブな考えも持っているからである。
私はとりあえず教室に向かいたかったので、下駄箱に足を進めたその時だった。
後ろから、優しく肩を叩かれたのだ。
驚いて目を見開きながら、私は振り返る。
「同じクラスになったね。美子」
そこには、柔らかい笑みを浮かべている樹里がいた。
樹里が身に纏っている薄いピンクのカーディガンが、おっとりとした彼女の雰囲気をさらに強めている。
「そ……そうね」
私の声は、やや裏返っていた。
この時、私は驚きと嬉しさが入り混じった気持ちになっていた。
まさか、樹里の方から自分に声を掛けてくれるとは思ってもみなかったのだから。
「早く教室に行こうよ。新学期から遅れたら嫌じゃん」
そう言って、樹里は私の手を引っ張った。
その手はとても冷たく、思わず鳥肌が立ちそうになる。
しかし、私の心はじんわりと温かくなった。
何事もなかったかのように、私と樹里は再び行動を共にするようになった。
だが、樹里以外にも友達を作ろうと思い、席が近いのがきっかけで、蓮達と仲良くなった。
若葉が萌える頃には、すっかり樹里も含めてグループの状態になっていた気がする。
容姿端麗でグループのリーダーである蓮。
噂話が好きで活発なタイプの悠也。
温厚で冷静に物事を考える性格の昴。
怖がりで泣き虫な唯奈。
そして、サッカー部の部長で正義感の強い性格の海斗。
皆それぞれ個性が違うが、私はこのグループが居心地良くて好きだった。
来年は学校が違うと思うと、惜しくなるくらいだ。
このままずっと中学校生活が続けばいいな、と何度思ったことだろう。
しかし、そんな私の心に暗雲が漂い始めたのは、あの夏の日だった。
夏休みが始まってから3日が経ったある日だった。
私は忘れ物を取りに行くために、学校へ向かった。
もしかしたら校門が開いてないかもしれない、と危惧していたが、そんな心配は無用だった。
よく考えてみれば、部活や補習の人がいるし、学校閉鎖期間はお盆からだったはずだ。
ちょうど時刻はお昼時で、私のお腹は空腹を知らせる音が鳴った。
さらに、頭上にあるギラギラと照りつけいる太陽が、私から体力を奪っていく。
私は逃げるように、駆け足で昇降口に向かった。
3階の廊下には誰もいなく、ただただ私の床を歩く音しかしない。
時折、開いてある窓から涼しい風が吹くが、私の額から流れる汗は止まらなかった。
だが、生憎タオルやハンカチは持っておらず、仕方なく腕で拭うしかなかった。
ようやく自分の教室の前に着くと、私はゆっくりと扉を開けた。
その瞬間、私は目を大きく見開いた。
私の視線は、窓から外の様子を眺めている彼女に集中する。
「どうしてここにいるのよ?樹里」
彼女の方に近付くと、徐に樹里は振り返った。
樹里の顔には、表情がない。
「それはこっちのセリフだよ」
「私はロッカーにレポート用紙を忘れて、取りに来ただけ。樹里は?」
もう一度私は質問すると、樹里はポケットから一冊の小説を
出した。
「受験勉強の息抜きに、小説を読んでたの」
彼女の返答に、私は眉間に皺を寄せる。
「何でわざわざ学校で読むの?家で読めばいいでしょ」
「別にいいじゃん」
すると、樹里はフッと微笑んだ。
彼女の視線は私に向けられていたが、どこか遠くを見ているような気がした。
「私ね、晴れた夏の学校の教室が好きなの。わからない?蝉の声、爽やかな風、輝く太陽……そして、青春の舞台となる教室。この空間が前から好きだったの」
「はぁ……?」
意味の分からないことを言う樹里に、僅かながら苛立ちを感じる。
「中1や中2の頃、学校閉鎖期間以外の昼間は毎日のように教室に来た。読書をしたり、窓の外を眺めたり、黒板に絵を描いたりして、楽しく過ごした。今年は受験生だから、週一程度しか行けないけど」
そう言うと、彼女は目を軽く閉じた。
「学校がある日と違って、教室には私一人しかいないから、自由に過ごせるの。何者にも縛られないんだよ。いいでしょ?」
樹里は口元に笑みを浮かべながら、目を開けた。
すると、彼女は私との距離を詰めてきた。
思わず後退りそうになるが、それを堪える。
「それよりさ……美子は、真の人間に興味ない?」
「……真の人間?」
また意味不明なことを言う樹里に、私は困惑した。
すると、彼女は持っていた小説を私の前に翳した。
「そう。この小説は、密室に閉じ込められた人々をテーマにした物語なの。そして、その中に黒幕がいる。その黒幕を殺したり、見つければ人々は助かる。最初は皆冷静に話し合って推理をしていたけど、ある日一人の男性が殺されてしまった。勿論、それは黒幕の仕業。次の日も、その次の日も、一人ずつ無惨に死んでいった。次に殺されるのは自分かもしれない、と怯える人々がとった行動は何だと思う?」
「……わかんないわよ」
「正解は殺し合い。自分達の中に黒幕がいるなら、やみくもに全員殺して自分だけ生きて帰るという気持ちが芽生えたの。それは罪のない人間をたくさん殺害することになるけど、自分が助かるなら、と人々は殺し合いを実行した。中には恋人や親友同士で殺し合いをする人もいた」
私は絶句した。
その残酷な話に対してではない。
このような話をしながら、樹里は微笑んでいるのだから。
「何が言いたいわけ?」
私は冷たく言い放った。
「皆はどんな本性をしているのか気になったの。例えばさ、蓮って普段はわりと自己中な性格だけど、根は本当は良い人とか……逆に大人しい性格の唯奈が、私や美子の悪口を誰かに言っていたりとか、そういう意外性を求めているの」
「意外性?」
私の言葉に、彼女はこくりと頷いた。
「うん。じゃあ例えば、私達のグループが小説みたいに密室に閉じ込められて、その中に黒幕がいるとしたら、皆どうすると思う?」
「知らないわよ!!」
思わず怒鳴ると、私はハッと手で口を覆った。
だが樹里は怯まずに、悠然と私の前に立っている。
「……樹里って変わったよね」
それは、無意識に口から出た言葉だった。
樹里は幼い頃から読書が好きだったけど、こんな風に残虐なことを誰かに言ったり、ましてや自分達と重ね合わせることなど、一度もなかった。
今、私の目の前にいる人物は、私が知っている樹里ではない。
いつから、こんな風になったのだろう。
もしかしたら、あの2年間で?
すると、樹里も呟くようにぽつりと言った。
「変わったのは、美子の方だよ」
その瞬間、窓から爽やかな風が吹いた。
白いカーテンと樹里の艶のある黒髪が、ふわりと揺れる。
それはまるで、スローモーションの映像のようだった。
樹里は笑っていた。
だが、目は完全に笑っていない。
「私、家に帰るね」
そう言って、樹里は私の横を通りすぎると、教室から出て行った。
跡を追うことはしなかった。
初めてだったのだ。
樹里のことを【怖い】と思うようになったのは。
私の気も知らずに、無神経に光輝く太陽なんて消えてしまえ、と私は窓の外を見た。
彼等が美子の悲鳴で起きたのは、日付が変わった頃だった。
一番最初に体を起こした昴が、悲鳴が聞こえてきたベランダの方を向く。
すると、そこには先端が赤く染まったカッターナイフを持っている樹里と、左手を押さえている美子がいた。
何事だ、と昴は目を見開く。
「助けて、昴!樹里が……!」
恐怖に顔を歪めている美子。
そして、そんな彼女を樹里は無表情で見つめていた。
「樹里!!お前何やってんだよ!!」
先にベランダに足を踏み込んだのは、蓮だった。
次第に唯奈も女性も、何があったのか理解した。
蓮は樹里からカッターナイフを取り上げると、彼女を思いきり睨んだ。
「お前、美子に何しようとしたんだよ」
怒気を含んだその声に、樹里は怖じけ付くどころか、不敵な笑みを浮かべた。
「何って……殺そうとしたんだよ」
彼女の言葉に、誰もが言葉を失った。
いや、予想はしていたが、聞きたくなかったのだ。
そして、その肝心な樹里である。
不気味、もっと言えば狂気すら滲み出ている彼女の表情に、彼等は恐怖心を抱いた。
「じゃあ、悠也と海斗を殺したのも……」
恐る恐る蓮は訊いた。
「半分正解で半分不正解。確かに海斗を殺したのは私だけど、悠也は違う。私じゃない」
彼等は2つの意味で驚愕した。
海斗を殺したのは樹里であること。
そして、悠也を殺したのは別にいるということだ。
だが、その考えを振り払うように、蓮は首を左右に振った。
「嘘つくなよ!悠也もお前が殺したんだろ!」
「だから違うって言ってるでしょ」
「……証拠はあるの?」
俯きながら、唯奈が言う。
「ない。でも、本当に違う」
彼女が顔から笑みを消したと同時に、さっきまで黙っていた美子が口を開いた。
「嘘つかないでよ!どうせ樹里が殺したんでしょ!!」
樹里は、明らかに敵意を向けている美子の瞳を一瞥する。
すると、突然樹里は笑いだした。
最初は小さかった笑い声も、徐々に大きくなっていく。
おかしくて仕方がないように、腹を抱えながら。
誰も止めなかった。
それこそ、止めようとすれば、殺されてしまいそうなのだから。
やがて彼女は笑いが収まると、ゼエゼエと息を切らしながら、口を開いた。
「これかぁ……人間の本性って。全部真っ黒。全部全部全部真っ黒!!」
樹里は一人一人の顔を見渡すと、再び話し始めた。
「自分達にとっての危険人物だとわかった途端に、手のひらを返して何も信じようとしない。面白いね。人間の醜態を見るのって」
一瞬だけ、樹里の視線は美子に向けられた。
「最高に最低なプレゼントをどうもありがとう」
そう言って、彼女は蓮が持っているカッターナイフを見つめた。
その瞳には、狂気が宿っている。
次の瞬間、女性は手を2回叩くと、重い空気が少しだけ軽くなった。
「そろそろ本当のことを言ったらどう?樹里ちゃん」
「何のことですか」
嘲笑するように、樹里が言う。
だが、誰もが女性の言葉を聞き捨てならないと、口を挟まなかった。
「私は悠也君を殺したのは、樹里ちゃんじゃないと思う。だって、樹里ちゃんは海斗君を殺したことを認めてるんだから、嘘をつく必要はないはず。そうだよね、樹里ちゃん」
同意を求めるように樹里を見る女性に、彼女は首を縦に振った。
「でも、何かおかしいと思わない?普通、本当に美子ちゃんを殺したかったとしたら、一発で心臓とかを刺すでしょ?確かに、じわじわと痛めつけた後、殺害するっていうこともあるけど、この場合さっきのように美子ちゃんが悲鳴を上げて、すぐに助けが来ちゃうから、それは出来ない」
「……何が言いたいんですか」
女性をじっと見据える美子。
彼女は、ゆっくりと答えた。
「つまり、樹里ちゃんは無実ってこと」
女性の言葉に、彼等は呆気にとられるが、すぐに美子が反論した。
その顔は、とても険しかった。
「違います!!私は本当に樹里にやられたんです!!大体そんなの推測だけで、証拠もないじゃないですか!!」
「証拠ならあるよ」
そう言って、女性はポケットからスマホを取り出した。
それを彼等に見せつける。
画面に映っていたのは、1つの動画の静止画だった。
そこには、ベランダで何かを話している美子と樹里がいる。
美子の顔が醜く歪んだのを、女性は見逃さなかった。
「私の寝た振り、上手いでしょ?実は、ずっと撮ってたんだ。美子ちゃんが樹里ちゃんをベランダに連れてきた時から」
「何で撮ったんですか?」
樹里が訊く。
「言ったでしょ?【犯人は私が見つける】って。なら、どんなに小さなことでも、記録したり疑った方がいいの。最初は気分転換に二人で外の空気を吸いに行ったのかな、って思ったけど、探偵の勘ってやつ?まあ、なんか怪しいなって思ったから撮ってたの」
すると、女性は不敵に微笑んだ。
「さてと、美子ちゃん。自分の口から真実を全て語るか、私によって醜態を晒されるか、どっちが良い?」
美子にとって、これは屈辱的な質問だった。
だが、黙っているわけにはいかない。
「わかったわよ!!全部言えばいいんでしょ!!その代わり、一生あんたのこと、呪ってやる!!」
美子は敬語も忘れて、女性を睨んだ。
その目には、激しい憎悪が含まれている。
だが、女性は怯む様子もなく、美子を見つめた。
「最初に言うわ!海斗を殺したのは樹里じゃない。私よ!!」
衝撃的な言葉を言い放つと、美子は語り出した。
10年前の事件と繋がる真実を___
もし、誰かに【兄弟はいるか】と訊かれたら、私は【いない】と答えるだろう。
実際、【今】はいないのだから___
私には、10歳年が離れた兄が一人いる。
いや、【いた】の方が正しいだろう。
何故なら、彼は私が5才の時に死んだのだから。
私は両親から、事故死だと教えられた。
彼が亡くなった当時は、死というものを理解しておらず、喪服を着た両親が何故泣いているのかわからなかったが、今思うと胸が痛くなった。
宿題をしている兄に遊んで欲しいとせがむと、最初は鬱陶しそうに突き放すが、最終的には付き合ってくれた記憶がある。
何だかんで私を可愛がってくれていたと思うと、痛みは尚更強くなった。
小学生になり、私が人の死を理解出来た頃から、兄の話はタブーとなった。
と言っても、リビングの横にある仏壇に彼の写真が飾られているが、日常会話などで兄の名前を出すと、両親の顔が曇るのだ。
それからは彼のことは胸の内に留めようと、それなりに楽しい学校生活を送ってきたが、小学6年生になったある日のことだった。
その日はパソコンの授業があり、コンピューター室に向かうと、私達はそれぞれパソコンが設置されているデスクに座った。
先生の指示で、Googleを利用して自由に何かを調べても良い、ということになり、クラスメイト達は楽しそうに調べものをしている中、私はパソコン画面を見つめたまま、何もしなかった。
「どうしたの?」
隣の席に座っている樹里が、私のパソコン画面を覗きながら言う。
「特に調べたいものがないんだよね。樹里は何調べてんの?」
私も樹里のパソコン画面を覗き込むと、そこにはオススメの小説が紹介されているサイトが映っていた。
樹里らしいな、と私は微笑する。
「あと、これって画像も出るらしいよ」
「画像ねぇ……」
私は机に肘をつくと、再び自分のパソコン画面を見つめた。
画像なら、生前の兄の写真が見てみたい。
兄の話がタブーとなった今、私は仏壇にある写真しか見れないのだ。
友達とはしゃいでいる姿や幼い頃の写真なども、見てみたかったのである。
私は冗談のつもりで、検索欄に兄の名前を打ち込んだ。
すると、また樹里が私の画面を覗いてきた。
彼女は私が打ち込んだ文字を、ゆっくり読み上げる。
「何これ……?【西尾皐月】?」
「ちょ、勝手に見ないでよ!」
「ごめんごめん。で、誰?芸能人にこんな名前の人いたっけ」
私は返答に困った。
樹里は私が一人っ子だと思っているため、兄のことを言うと、色々ややこしくなるだろう。
咄嗟に私は誤魔化した。
「親戚の人の名前を入れてみただけ。出てこないかなーって」
「いや、一般人の名前入れても普通出てこないから」
冷静なツッコミを入れると、樹里は再び自分のパソコンに目を向けた。
彼女の言葉通り、きっと彼の画像など出てこないだろう。
しかし、特に調べるものがない私は興味本意で、【検索】をクリックした。
その瞬間、私は驚愕した。
きちんとあったのだ。
兄の画像が。
しかも、画像だけではなく、様々なサイトの記事にまで彼の名前が載っていた。
しかもその記事のタイトルに、私は目を見開いた。
【いじめが原因か?高校2年生の男子生徒が同級生6人を殺害】
私は即その記事をクリックした。
やがて映し出された文章を、私は黙々と読んでいく。
【2017年当時、高校2年生の男子生徒(17)が、同級生6人を失血死、斬死、焼死、窒息死させた。猟奇殺害現場は、学校の教室。また、奇跡的に警察によって助けられた女子生徒(17)が事件から2か月後、失踪する。】
事件の概要がまとめられた文章の下には、被害者の写真が貼り付けられてあった。
その中に、兄の写真もある。
彼は同級生にガソリンをかけられ、ライターの火によって焼死したらしい。
さらにその後、その同級生は兄の死体をこま切れにした、とまで書かれていた。
胃から込み上げてくる吐き気と戦いながら、私はさらに記事を読み進めていく。
加害者の写真は載っていなかったが、名前だけは書かれていた。
「……小倉光貴」
私は自分でも聞こえるかどうかわからないくらいの声で、呟いた。
小倉光貴という人物が、私の兄を殺した。
そう思うと、どうしようもない感情が湧いてきた。
もし今彼に会えるのなら、真っ先に殺したい。
そして、それだけではなかった。
両親は私に、事故死と嘘をついていた。
身内が死んでしまったことに変わりはないが、悲しみを少しでも軽くしようとついた、優しい嘘なのだろう。
しかし、同時に悲しくもなった。
血の繋がった兄の死のことを、ずっと私だけ知らなかったのだから。
「……許せない」
ここにはいない小倉光貴に、私は言葉を投げ掛けた。
事件の内容から、兄は小倉光貴をいじめていた。
そして、この事件は小倉光貴による彼等への復讐らしい。
確かに原因は兄にもあるが、それでも私は身内を殺した彼が許せなかった。
彼が今どうしているか、私にはわからない。
事件後、精神病にかかってしまったらしいが、現在ではそれ
が完治して、どこかで普通に暮らしているのかもしれない。
それか、まだ普通の生活が出来る状態、または釈放することが出来ないのかもしれない。
もし前者であることを考えると、私は彼に対する憎しみが更に増した。
とりあえず、今の私に出来ることは、そっとサイトを閉じることしかなかった。
>>139
訂正
×私には、10歳年が離れた兄が一人いる。
○私には、12歳年が離れた兄が一人いる。
きっと対面することはないであろう人物に、憎しみを密かに抱いていたら、気付けば中学三年生になっていた。
樹里のこともあって、頭の中が小倉光貴への憎しみで埋まることはなくなったが、それでも私はその存在を忘れてはいない。
でも、恨みを晴らすチャンスも無いのだから、いい加減に忘れたかった。
一応兄も事件の原因を作ったのだから、悪いのは小倉光貴だけとは言えない。
しかし、毎日視界に入る仏壇の兄の写真が、私を苦しめていたのだ。
「なあ、もしかして髪染めてる?」
新学期に、席に座ろうとした私に話しかけてきたのが、海斗だった。
席が近い彼は、顔立ちはそれなりに良い方で、おちゃらけた笑みが印象的だった。
「染めてないけど」
胸元まである自分の髪をいじりながら、私は答えた。
「去年日焼けして髪が少し茶色くなったから、そう見えるんじゃない?」
「なるほど。たまに廊下とかで見かけたけど、お前って派手なイメージあったから、染めてんのかと思った」
初対面でお前呼ばわりされたことにカチンときたが、派手なのは否めない。
今年から受験生ということもあり、メイクは薬用リップのみにしたし、手首にアクセサリーをつけるのもやめたのだが。
「ていうか、あんた名前何?」
お前呼ばわりに対抗してあんたと呼んだが、彼は気に触った様子を見せることもなく、口を開いた。
「小倉海斗」
途端に、私は激しい動悸がした。
私の視線は、彼にしか注ぐことが出来なくなる。
「どうかしたか?」
氷のように冷たい私の視線に気付いたのだろうか。
彼は心配そうに、私の顔を覗き込んだ。
慌てて私は、首を左右に振った。
「な、何でもない」
兄を殺した人と名字が同じだけで、取り乱しそうになった自分を、私は諫めた。
小倉なんて名字の人は、全国にたくさんいる。
このくらいで、勝手に彼の印象を悪くしてはいけない。
私は逃げるように、彼から目を逸らした。
「お前は?」
「……西尾樹里」
「へー、よろしくな」
当初、私は彼に対して実に理不尽な不信感を持っていたが、それは最初だけだった。
清廉潔白とまではいかないが、努力家で人柄の良い性格や後輩に慕われている姿は、私のもやもやとした感情を全て取り払った。
気付けばお互い仲良くなっていて、昴達とも喋るようになった。
だけど、そんな平和な日々は長くは続かなかった。
出会いから半年以上経った昨日、私達は海斗の家で勉強会をすることになっていた。
試験間近、受験勉強も本格的なこの時期、お互い教え合って学力を高め合うことが目的である。
海斗から必要なものは全て貸してくれると聞いたため、あの日は皆手ぶらで行くと言っていたが、私は海斗と家が近いため家には帰らず、そのまま彼の家にお邪魔した。
既に私服に着替えていた彼は、制服姿の私に少し驚きながらも、快く私を迎え入れてくれた。
両親が共働きの彼の家には私と海斗しかいなく、誰もいない無駄に広いリビングには違和感を覚えた気がする。
すぐに私は海斗の部屋に案内され、彼は皆の分のお菓子とジュースを取ってくるために、いったん下に降りて行った。
暇になった私は、何気なく彼のシングルベッドに手を突っ込んで、男子中学生がこっそり持ってそうな本を探していた。
その行動が歪みを生じさせた。
「何これ……」
私は手に取った赤い本のようなものを開いた。
それは卒業アルバムだった。
しかし、これは中学のである。
しかも、私達の学校ではない。
彼の両親のどちらかのだろうかと、思ったが画質からそれほど昔ではない可能性が高い。
では、これは誰のアルバムだろう。
そして、何故彼は自分のではないアルバムを持っているのだろうか。
海斗が戻ってきたら、早速聞いてみよう。
そう思って、アルバムを閉じようとした時だった。
私の視線は運悪く、ある人物を捕らえてしまった。
それは、生徒一人一人の写真だった。
端にクラスと組、生徒の写真の下にはその生徒の名前が記載されている。
そこには、間違いなく『小倉光貴』と記されていた。
その上には、穏やかそうな男子が映っている。
いじめられていたとネットの記事に書かれていたせいか、勝手に陰気な容姿を想像していたが、その考えは180度変わった。
まだあどけなさを残しつつ、着実に大人らしくなっている顔立ちは、そこらの芸能人よりは上だろう。
他のページを捲ってみるが、そこには友人らしき人物達と楽しそうな笑顔で映っていた。
集合写真でもクラスメイト達と肩を組んだり、流行りのポーズをしたりしている。
彼が友達と上手くいっていたことは、明白だった。
ということは、彼が兄にいじめられていた原因は、彼の人格的な問題である可能性は低い。
あくまで偏見だが、人懐っこくて優しくて誰とでもすぐに仲良くなれそうな雰囲気だ。
「……ってそんなことどうでもいいじゃん!」
小倉光貴がどんな人物であったか、大体掴むことが出来た今、最大の疑問が降り注いだ。
海斗と小倉光貴は、何か関係性があるのではないか。
もしかしたら、知り合いからアルバムを貰って、その知り合いのクラスメイト、または同じ学年にたまたま同じ名字の小倉光貴がいたという可能性だってある。
だけど、見過ごすことが出来なかった。
私は他にも卒業アルバムはないかと、ベッドの下に再び手を伸ばすと、それに似た感触があった。
引きずり出したそれは、卒業アルバムではなく、よく見る家庭用のアルバムだった。
なんの躊躇いもなくそれを開く。
そこには、小倉光貴しか映っていなかった。
突然の目眩で倒れそうになったが、それを堪えるしかなかった。
最初のページは、小学校低学年くらいだった。
卒業アルバムに比べたらとても幼く感じるが、それでも彼の面影はある。
間違いなく本人だ。
ぱらぱらとページを捲ったその時、今にも叫ばずにはいられなくなった。
「何でここにいるの……!!」
高学年くらいのページだろうか。
そこに、確かに兄と小倉光貴が映っていた。
仏壇の写真とは比較的に地味な外見だけれど、やはり顔立ちから兄であることは間違いない。
次の瞬間、部屋のドアが開いた。
「何してんだ……?」
海斗は勝手にアルバムを広げている私を見て、お菓子やジュースを載せたお盆を持ったまま、唖然としていた。
「……どういうこと?このアルバムは何?」
「それは……」
海斗は言葉に詰まる。
お盆をミニテーブルの上に置くと、彼は卒業アルバムの方を手に取った。
その表情は、悩んでいるようにも見えるし、悲しそうにも見える。
いつもポジティブな海斗とは思えないほど、憂いを帯びていた。
「小倉光貴って誰?海斗と名字同じだよね?何か関係あるんでしょ!」
少し興奮を抑えていたが、語尾にそれが現れてしまう。
海斗は躊躇するように何も言わなかったけど、やがてか細い声を出した。
「多分、俺の兄弟にあたる人」
「【多分】ってことは、確定じゃないの?」
「知らない。俺が小さい時、この人によく遊んでもらったんだよ。だけど、年長くらいになった時、そいつは俺の前に現れることはなくなった。記憶が曖昧だから、それが自分とどのような関係だったのか、確かな証拠は掴めていない」
「じゃあ、このアルバムは?」
「小五くらいの時だな。自宅で友達とかくれんぼしてて押し入れに隠れたんだけど、たまたまこの二つのアルバムを見つけたんだ。で、興味本位でまず家庭用のアルバムを覗いたら、そいつがいたってわけだ。不思議と顔を覚えていたんだよ。衝動的にそれを自分の部屋にこっそり持ち込んで、それから毎日のように眺めていたよ。卒業アルバムに記載された名前から、そいつは自分の兄弟かいとこ辺りに該当する人物だってことは理解した。だけど、そのアルバムが俺の自宅にあるってことは、兄弟である可能性が高い」
思えば、海斗は小倉光貴と顔が少し似ている気がした。
たれ目がちな愛嬌のある目、筋の通った鼻、小さめな口。
徐々に目の前にいるのが海斗ではなく、小倉光貴である気がして堪らなかった。
少しずつ、私の理性という盾が破壊されていくのを肌で感じた。
「……その人の居場所、知ってる?」
「知ってるわけないだろ。親はずっと、俺を一人っ子として扱っていたんだ。そいつが親と正常な関係ではないことくらいわかっていたよ。だから、親にも話さなかった。今そいつが生きているか死んでいるかすらわからない」
自分から質問にしたにも関わらず、回答する彼の口を今にも塞ぎたかった。
話している内容が気に触ったのではない。
まるで、海斗が海斗ではないような錯覚に陥りそうだから。
「大体、何でそこまでこのことにこだわるんだ?」
別にいいでしょ、あんたなんかに言われたくない。
「ベッドの下に手を突っ込んだだろ?残念ながら、アルバム以外何も入ってねーよ」
うるさい、うるさい、黙れ。
「もうこの話はいいだろ、そろそろ皆来るだろうし」
勝手に終わらせないでよ!私の話はまだ終わってない。
「あ、もしかしたらさっき玄関の鍵を閉めるの忘れたかもしれない。ちょっと玄関行ってくるわ」
ちょっと待って!行かないで!人を殺しておいて、勝手にどこかに行かないで!!死んで、死んで、死んでよ!!
一瞬の催眠状態だったのかもしれない。
気付けば、私は海斗を殺していた。
近くにカッターで、海斗の背中を刺して。
途端に後悔の念が私を襲った。
なんてことをしてしまったのだろう。
バレたら、絶対受験受からないよね。
入るのは高校じゃなくて、少年院かな。
私の乾いた笑いが消え去った瞬間、部屋のドアが再び開いた。
「美子!」
そこにいたのは、私服に着替えた樹里だった。
ああ、そういえば皆来るんだったっけ。
自首しようと思ったけど、樹里に警察のところに連れていかれるのも悪くないかもしれない。
この時、私は完全に正常ではなかった。
樹里はこの惨状を認めると、私の両肩を掴んだ。
八の字の眉は、私を心配しているように見える。
「……美子が殺したの?」
「……うん」
「そっか……」
私から手を離すと、樹里は海斗の死体をじっと見つめた。
最初に死体を見た時、普通だったら叫び散らすくらいパニックになってもおかしくないのに、静かに私の方に駆け寄ってきたのを見ると、樹里らしいなと思う。
大人しそうな見た目に反して、怖いくらい物怖じしないその性格は本当に変わらない。
あの夏の日もそうだった。
大事な何かを食い殺されそうな幻覚は、今でも覚えている。
しかし、今はそんな彼女の不気味さが頼もしかった。
この時から、私は次の瞬間樹里が言うことを予測していたのかもしれない。
「誰が殺したか、バレないようにしよう」
そう言って、樹里は平然と背中からカッターを抜き取った。
手に赤い液体が付着するが、彼女は顔を少しも歪めることはなかった。
「でも、自首した方が……」
私が言い掛けると、樹里はゆっくりと私の身体を抱き締めた。
そして、耳元で囁く。
「私は美子のために言ってるんだよ?このままじゃ、美子は警察行きだよ。そんなの嫌だよね?受験勉強だって頑張ってきたのに、大事な時期に今までの苦労が水の泡。それに社会に戻ることが出来ても、皆からは偏見の目で見られたり、嘲られるかもしれないよ。ろくな人生歩めないよ。美子はそうなりたいの?」
私は真っ先に首を振った。
洗脳のような樹里の言葉には、決して逆らうことが出来なかったし、実際そうなりたくない。
「……わかった。そうしよう」
私が返事をすると、樹里は私の背中から手を離した。
そして、右手の小指を突き出す。
「これは、私と美子だけの秘密」
なるほど、指切りか。
私も小指を出してそれを絡めると、幼い頃もこんなことをしたことを思い出した。
あの頃は、もっと小さな秘密だった気がする。
親に黙って公園の犬にパンをあげたり、樹里と一緒にタイムカプセルを埋めたり、点の悪いテストを隠したり。
きっと初めて持った秘密は小さくて、最近持った秘密は大きい。
というか、今では秘密が多すぎて最初の秘密など忘れてしまっていた。
大人になるって、こういうことかもしれない。
昔は本音で話していた樹里にも、いつの間にか言いたいことが言えなくなっていた。
それによって、どんどん秘密は増していくんだ。
指切りげんまん
嘘ついたら針千本飲ます
指切った!
「つまり、殺したのは私。樹里は私を庇っていただけ」
真実を全て吐き出した美子の表情には、疲労が表れている。
残ったのは、重いこの空気だけだった。
そんな中、唯奈がおずおずと口を開いた。
「……何で樹里はそんなに美子のことを庇っていたの?そこは正直に警察のところに行くべきだったんじゃ……」
「友達なら正しき道に導かなきゃいけないだろうけど、私は嫌だった。私は、美子を守りたかった」
「樹里……」
樹里も美子も、先程よりは表情が和らいでいた。
いや、美子の場合は何もかも放棄したような無表情と化しているが。
だが、美子の心情が変化しているのは、手に取るようにわかる。
「美子は確かに、人を殺してしまった。だけど、私はそれを一切咎めない。それに、一人だけ取り残された犯罪者の美子が見てられなくて、私も共犯者になることにした」
その瞬間、樹里は口の端を吊り上げた。
彼女の目は、彼等を捉えていないようにも見える。
「それに、人が疑心暗鬼になる瞬間が見たかったから。さっきみたいに極限状態に陥った時、人はどうなるか肉眼で確かめたかった」
樹里の唇は、再び真一文字に戻った。
しかし、彼等は彼女への恐怖を拭うことが出来なかった。
1cmでも樹里に近付こうとすれば、今すぐ殺されそうだったからだ。
だが、それを僅かに忘れさせてくれたのは、女性の一言だった。
「……運命過ぎて笑えないわ」
途端に女性は蓮からカッターナイフを奪い、それは美子の首に狙いを定めた。
一瞬の出来事である。
何が起こったかわからなかった彼等は、ようやく事の重大さを理解した。
だが、時は既に遅し。
「な、何してんだよ!!」
「やめて下さい!」
女性は強く美子を抱き締めた状態のまま、彼女の首にカッターナイフを押し当てていた。
まるで人質のようである。
いつ自分が殺されるかわからない美子は、暗くてもわかるくらい顔を真っ青にし、口をぱくぱくさせている。
女性は美子を睨むように見つめた。
「ここだけの話。私ね、美子ちゃんや海斗君のお兄さん達と元同級生なんだ」
「え!?」
先に反応したのは、美子だった。
自分の危機よりも彼女の衝撃的な発言の方が、彼女としてはショッキングなものだったのかもしれない。
「最初は全然そんなこと知らなかった。だけど、美子ちゃんの話を聞いて全部わかったんだよ」
「だからって、何で美子にそんなこと……」
珍しく動揺を見せながら、樹里が言う。
「あのさ、美子ちゃん。美子ちゃんはお兄さんを美化し過ぎなの。正直言って、彼奴は悪魔だった。元同級生の私からすれば、あんな奴殺されて当然よ」
「何であんたなんかにそんなことわかるの!」
美子がキッと睨み返す。
「海斗君のお兄さんが美子ちゃんのお兄さんにいじめられていたのは知ってるでしょ?だけど、彼奴は他のクラスメイトにも色々迷惑をかけていた。他の殺されたうち二人の女子と二ヶ月後に行方不明になった子は、彼奴に弱味を握られていたの。事件が起きた年の年度初め、私は殺されたうちの一人の女子と仲が良かった。だけど、彼奴や彼奴とつるんでいた奴等のせいで、その子は弱味を彼奴に握られた。それを全く知らなかった私は、彼女を助けることが出来なかった」
「じゃあ、何で今そのことをあなたが知ってるんですか?」
「事件から一週間後、現在行方不明になった女子から全て聞いたの。その子も殺されかけたけどなんとか助かって、事件の真相を聞き出したんだ。結局、その子も消息不明になっちゃったけど」
「……つまり、あんたは大嫌いな奴の身内である私が憎くなったってわけ?」
挑発するように、美子がにやりと笑った。
それにつられるように、女性もまた口角を上げる。
「あんたも同じでしょ。同じ理由で海斗君を殺したんでしょ」
「……だったら何よ」
「兄妹揃ってろくでもないね。小倉兄弟もとんだ災難だわ」
美子は神妙な顔つきになると、小さくため息を吐いた。
「はぁ……そう。で、あんたは私を殺るつもり?」
「そうだよ」
「馬鹿みたい。私を警察に突き出す方がよっぽど賢明じゃないの?受験生だし、私の人生台無しに出来るよ。親を泣かせて学校の皆からも嫌われて世間からも白い目で見られる。それでも良いの?ここであんたが私と同じことをすれば、あんたが地獄行きになるけど本当に良いんだ?」
「……うるさい!!邪魔すんな!!」
美子を憎悪のこもった瞳で睨みつけると、カッターナイフを彼女の首に刺そうとした時だった。
女性のカッターナイフを持っていた手が止まった。
そして、女性の目はある場所に釘付けになった。
彼等の視線も同様に。
「……ドアが開いた?」
震える唯奈の声。
ギギギ、という耳障りな音とともに、風に吹かれたようにドアがゆっくりと開いたのだった。
「どういうことだよ……」
昴が頭を掻いた。
すると、昴の横を誰かが一瞬で通り過ぎていった。
女性だ。
カッターナイフを持ったまま、彼女は何も言わずに全力疾走で教室を出て行ったのだ。
「何なんだよ、あの女……」
蓮が呆れを含んだため息をつく。
「大丈夫?美子」
「大丈夫だよ、樹里。怪我はないけど……なんか色々衝撃だった」
「私もまさか海斗のお兄さんの元同級生が目の前にいたんだからね」
「おいお前ら。呑気に話してないで、俺らも逃げるぞ!」
蓮がドアの前に立った。
少し困ったように彼等は黙るが、やがて意を決したように頷いた。
https://ha10.net/novel/1531730581.html
新作です。是非読んで下さい。
運命過ぎて笑えないわ。
私の首にカッターナイフを押し当てる直前に女が発した言葉を思い出した。
それはこっちの台詞よ。
事件について熟知している人物に出会うなんて、想像もしたことなかったのだから。
月光を頼りに校舎を歩きながら、つくづく自分の運命を呪った。
人を殺した感覚。
殺される側の感覚。
そして、知りたくなかった兄の本性。
優しい過去の兄に執着し過ぎたのかもしれない。
記憶の断片で本当の兄を補正して美化していただけなのかな。
……結局、誰が一番悪いんだろう。
その疑問に辿り着いた瞬間、先頭にいた蓮が音を立てて床に倒れ込んだ。
「蓮!?」
「おい、大丈夫か!?」
蓮の後ろにいた昴が蓮の身体を抱き起こした。
が、もうダメだと瞬時に悟った。
蓮の口から出された真っ赤な血と輝きを失った瞳は、私達を混乱させるのに充分すぎる材料だった。
私は汗でべっとりとした拳を握りしめて口を開いた。
「ヤバいよ、私達このままじゃ殺されるかもしれない!早く逃げよう!!」
「殺される……?」
「だって、今の蓮の死に方見た!?悠也だって!!この校舎は呪われるんだよ!!悠也が言ってた都市伝説はきっと本当なの!!」
「この校舎に足を踏み込んだ奴は死ぬってやつ?」
「そうなんだよ!だから早く逃げよう!」
「だけど……」と蓮の死体に目をやる昴。
悠也の死体だって教室に置いてきたのに、そこまで構ってられない。
「今はそこに置くしかないでしょ!後で警察に言って運んでもらおう!」
「でも」
「昴は死にたいわけ!?私だって死体を放置して出たいわけじゃないけど、自分の命を守るためなんだから仕方ないでしょ!」
「……わかった」
そう言って、私達は急いで走り出した。
ゴミや枯葉、散乱した椅子や机のせいで足場は悪いけど、歩いてる暇はない。
得体の知れないものが私達に襲いかかろうとしている。
そんな予感が鳥肌を立たせた。
とにかく今は先頭にいる昴の姿をただ追いかけるしかなかった。
「着いたぞ」
昴の声とともに、私の頬を冷たい風が撫でた。
視界に入ったのは、満点の星空。
どうやらたった今、昇降口を抜けて外に出たらしい。
ああ……出れたんだ。
急激に込み上げてくる七分の安心感と三分の不安が入り混じって、涙が出そうになる。
「とりあえず、これからどうする?」
そう言って振り返ったが、見覚えのある姿が見当たらなかった。
……樹里がいない。
「樹里は!?ねえ、唯奈、樹里は!?」
声を荒らげて問う私に、唯奈は慌てて答えた。
「私の後ろをついてきたはずだったけど……」
唯奈が言い終える前に、私の足は自然と昇降口に向かっていた。
「おい!」
「美子!?」
驚く二人の声を無視して、陰気な校舎に戻った。
乱れた呼吸を整えず、一階の事務室辺りを探し回る。
「樹里!?樹里!!」
私の声が廊下に響き渡った。
だけど、私の声に答える者は誰もいない。
「ねえ、樹里……樹里!!」
一階の階段のそばに寄ると、ふと違和感を覚えた。
階段で丸くなった一つシルエット。
角度を変えて見ると、シルエットは窓からの月光を浴びて、姿を映し出した。
「樹里!!」
そこにいたのは、階段で倒れている樹里だった。
寄って抱き起こすが、蓮と同じくとても生きているとは思えない状態だった。
「樹里……」
彼女の服にこびりついた赤い液体を気にせず、彼女の身体を抱き締めた。
どうしてこうなったんだろう。
私はいつどこで間違えを犯したんだろう。
こんなはずじゃなかった。
海斗を殺さなきゃ良かった。
海斗は何も悪くなんかなかったのに、一時的な幻覚と怒りに任せたばかりに。
「ごめんなさい……」
この謝罪は海斗へなのか、死んだ皆へなのかわからない。
だけど、私の中に後悔という言葉が渦巻いているのは確かだ。
嗚咽混じりの声で、抱き締める力を強くした。
その時、雷が落ちるように激しい頭痛が一瞬だけ私を襲った。
「いった……」
その瞬間、ある違和感が湧いてきた。
それが何なのか、わからない。
だけど、誰かが私に【思い出して】と警告しているような気がした。
「あ、美子!」
校舎から出ると、唯奈が私に駆け寄った。
項垂れる私に、唯奈は察したように俯いた。
「昴は?」
「……それが気付いたら、どこにもいなくて」
まさか昴まで……。
「どんどん皆いなくなってる……」
自分で呟いた言葉は、よりこの場を冷感させた。
「唯奈は……いなくならないよね?」
「うん、絶対生きて帰って」
彼女の言葉に、私は苦笑した。
「それを言うなら、生きて帰ろうでしょ。その言い方だと、私一人生き残るみたいじゃない」
「あ、そうだね……」
その瞬間、私はある違和感を覚えた。
あれ……?
当たり前だったのに、当たり前じゃなくなった感じだった。
まるで魔法が解けたよう。
それは徐々に私を不安にさせていく。
認めたくはないけど、自分が異常でない限り、この感覚は間違いじゃないだろう。
私は人差し指で目の前にいる【少女】を指差した。
「あんた……誰?」
指を差された【羽柴唯奈という友達だと思い込んでいた】その少女は、目を見開いた。
「私?……唯奈だけど」
「……違う!私のクラスに【羽柴唯奈】なんて子はいない!!ましてや友達でも知り合いでもない!!」
唯奈は口を真一文字に結んだと思ったら、穏やかに笑った。
その笑みは、私を戦慄させた。
彼女の黒髪が風でふわりと舞う。
「……バレちゃったか」
「あんた、何者なの!?」
気付けば、私達の中に唯奈がいた。
彼女は自ら名前を名乗ることもなく、私達は紛れ込んだ彼女を普通に【友達の羽柴唯奈】として扱っていた。
違和感なんて何もなかった。
だからこそ、この少女の存在の可笑しさに気付いた今、彼女が恐ろしくなった。
「もしかして……皆を殺したのもあんたなの!?」
「違う!それは違うから!!」
「じゃあ誰なの!?」
「それは……」
「ほら言えないじゃない!!人の記憶を操作出来るんだから、人を殺害するのも簡単なんでしょ!!」
「確かに私が皆の記憶を操作して、【羽柴唯奈】として皆の中に紛れ込んだのは事実だけど……」
「【唯奈】としてなら私は信じていたけど、今のあんたは何も信じられないから!!どうせ私のことも殺しちゃうんでしょ!!返してよ!!返せ!!皆を返せ!!」
「殺さないから!!私を信じてよ!!」
必死に説得する彼女から、私は全力疾走で逃げた。
彼女は私のことを殺しに来るはずだ。
彼女は私が街の方に逃げると推測するかもしれない。
だから、私は迷わず校舎の背後に聳え立つ山を目指して、草木が生い茂る道に足を踏み入れた。
本当は今すぐにでも家に帰りたいけど、そうもいかない。
雨上がりのせいで足場が悪く、白いスニーカーが茶色く汚れ、靴下にも染みていきそうだ。
冬なのに冷や汗が収まらない。
だけど、後ろから少女が迫ってきていると思うと、足を止めることが出来なかった。
夜はまだまだ明ける気配がない。
今は一体何時なんだろう。
すると、視界に一人のシルエットが入った。
木に寄りかかっているその人物は、私の姿を認めると、手を振ってきた。
昴だ。
「昴!」
「大丈夫か、美子!!」
「私は平気。昴はどうしてここに?」
「いや、その……お前も気付いたか?唯奈が本当は俺達の全く知らない奴だったってこと」
「私も気付いたよ」
「で、ここに逃げてきたってわけか。俺も怖くなって、もしかして殺されるんじゃないかって思ったから、見つかりにくいこの山道まで逃げたんだよ」
「……ねえ、あの子が皆を殺したんだよね?」
「わかんないけど、その可能性は高いと思う」
そう、と答えると、私は星空を見上げた。
今夜は今まで生きてきた中で一番長い夜だろう。
今までは学校に行くのが面倒くさくて、夜が長くなればいいのに、なんて願ったこともあったけど、今は早く夜なんて明けてしまえばいいのに、と調子のいい願望を夜空に込めてしまう。
さて、これからどうすればいいか。
しばらくはここで待機していた方が良いけど、空が白み始めたら家に帰った方が良いかもしれない。
いや、警察に行く方が先かな。
海斗のことはきちんと説明するべきだろうか。
親には泣かれるくらい怒られるだろう。
受験には響かなきゃいいな。
クラスの皆からはハブられるかもしれないけど、あと数ヶ月で卒業だし、まあいいか。
昴もいるし。
昴は普段はあまり目立たないけど、凄く頼りになる。
自己中心的な蓮の考え方を、さりげなく私達のためになるように誘導したりしたことだってあった。
温厚で優しくて、見た目だって悪くない。
そう思うと、危険な状況にも関わらず、真夜中に男子と二人きりでいるのが急に恥ずかしくなった。
寒いのに頬が熱くなる。
その時、私は微かな温もりを感じた。
開いた口が塞がらない。
昴に抱き締められたのだから。
「昴……?」
「……ごめん、しばらくこうさせて」
全身が熱くなった。
別の意味で汗が額から落ちてくる。
「う、うん……」
さっきから、感情が次々と入れ替わっている。
怒って、悲しんで、怖がって、ドキドキして……。
まるで、四季を巡ってるみたいだ。
期待しちゃっていいのかな、これは。
だけど、再び大きな頭痛が私を襲った。
その瞬間、例えるならピンク色だった私の心は真っ白に変わった。
突如、腹部にちくりと痛みを感じた。
それは、頭痛よりも何倍に刺激を受けるものだった。
昴が私の身体から腕を離すと、私は土がぐちゃぐちゃに濡れた地面に仰向けに倒れた。
視界がぐるりと変わる。
十秒足らずの出来事に頭がついていけない。
「兄妹揃って、本当に最低だな」
歪んだ笑みを向ける昴の手には、ナイフが握られていた。
ナイフの先端は月の明かりで、鈍く光っている。
そして、彼は静かに私の前から去っていった。
……どうして。
「だから言ったのに」
どこからか、あの少女の声が聞こえてきた。
「私は皆を殺してない。むしろ、助けたかった」
ああ、やっぱりそうなんだ。
ごめんね、犯人扱いして。
でも、結局あんたは何者なの?
聞きたいことは山ほどある。
だけど、声を出す体力なんてなかった。
「皆の中に紛れ込んでいたのは私だけじゃない。昴もだから」
やっぱり。
刺される直前、私は私を抱き締めている男に少女と同様の強烈な違和感を覚えたけど、あれは正解だったんだ。
「校舎に入ったのは美子、樹里、蓮、悠也だけ。羽柴唯奈と森永昴なんて人はいないよ」
意識が少しずつ遠のいていく。
お願い、早く私が知らないこと全部話して。
「皆を殺したのは昴。そして、その昴の正体はあなたが憎んでいた小倉君」
小倉光貴が?
何であそこに……。
「小倉君は例の事件で私達人間を恨んだの。その激しい憎悪によって、彼の生霊があの校舎に潜むようになったんだよ」
生霊?
いきなりオカルト系の話なのね。
「彼自身はまだ生きてるけど、どうだろう。生霊がいるってことは、とても正常な状態じゃないはず。あなたのお兄さんに相当精神的にやられたから、社会復帰は難しいかもしれない」
十年経った今でも、か……。
彼奴、本当に何を思ってそこまで小倉光貴を追い詰めたんだろう。
「生霊とはいえ、実の弟の死体を目の当たりにしてショックだったんじゃないかな。私もびっくりしたよ。死体が小倉君の弟だったんだから」
……だろうね。
…………ていうか妙に小倉光貴のことをよく知ってるけど、何なの?
……もう、無理かも、意識が……。
「あ、そうそう。私の正体気になるよね」
……ごめんなさい、海斗。
……ごめんなさい、皆。
…………樹里のこと、いっぱい利用して裏切ったのに、私のことを守ってくれたのに、私は樹里のことを守れなかった。
……挙句の果てには、この子の言葉も信じないでいたら、このザマだ。
……ごめんなさい……そして、ありがとう……。
「私の名前は___」
視界に眼鏡をかけた二つ結びの少女が入った瞬間、私の意識はなくなった。
「またダメだった……」
2年A組のベランダから、私は街の景色を眺めていた。
群青色の空に浮かぶ星々の横では、東から明るいグラデーションが帯びている。
空が白み始める頃の夜空は、写真に収めたいくらい美しい。
向かいから寒々しい風が吹くけれど、私は何も感じなかった。
もう、私は死んでいるのだから。
「まさか、友村さんがここに来るなんてびっくりしたな」
事件の後、彼女は真っ先に生き残りの私に問いただしてきた。
私が知ってることを全て話すと、彼女は西尾君を激しく憎んだことは確かに覚えている。
だけどまさか、西尾君の妹を殺そうとしてしまうくらいだとは思ってもいなかった。
彼女もきっと、小倉君に殺されてしまっただろう。
何せ、この校舎に入ってきた人物で無事に生還した者はいないのだから。
勿論、小倉君の仕業だ。
小倉君本人は無意識だろうが、彼の生霊は何人もの命を奪った。
姿を変えて訪れた人物の記憶を操作して、彼等の中に紛れ込み、やがて殺していく。
そして、それを阻止するのが死んだ私の役目だ。
私が死んでから約一年後にこの学校は廃校となり、その数年後には肝試しでここに訪れる者がいた。
私も小倉君同様に訪れた者の年齢に応じて姿を変えて、彼等の中に紛れ込みつつ、これ以上校舎にいるのはやめよう、と止めていた。
だけど、誰も私の言うことなんて聞かなかった。
止める役になりやすいように、敢えて弱虫な性格を演じていたけど、効果なんてなかった。
皆死んでいった。
その上、姿を変えても魔法が解けてしまうように、いつか紛れ込んだことがバレてしまうのだ。
七年前くらいだっけ。
確か、バレた時に『この中には生霊が紛れてて、そいつがあなた達を殺そうとしている』って忠告した瞬間、彼がその場にいた全員を殺してしまったこともあった。
つまり、私の正体がバレても小倉君が殺そうとしていることを私が口外してしまえば、その時点で生きている人が全員死んでしまう。
だから、美子にも誰が皆を殺したか言うことが出来なかった。
しかも、私が紛れた中に毎回姿を変えた小倉君がいることにも、強烈な違和感を覚えた。
彼はほぼ毎回、温厚で優しい性格を設定している。
……いや、おかしくなる前の性格に戻ったと言った方が正しいだろう。
それにしても、今夜訪れてきた中学生集団は異例中の異例だった。
たいていやって来るのは肝試し目的だが、彼等は死体を隠すためにやってきたのだ。
しかも、死体は小倉君の弟、殺した犯人も分からないまま。
美子という女の子が西尾君の妹だと判明した時、開いた口が塞がらなくなってしまった。
「そういえば、もう十年か……」
昨日、あの事件から十年経った。
多分、友村さんが悪天候にも関わらずわざわざここに立ち寄ったのも、十年前の出来事を回顧するためなのかもしれない。
そんなことしなければ、生きていただろうに。
まあ、私が言えた口じゃないが。
私だって十年前、小倉君を裏切らなければ、今生きているはずだ。
私は世間では行方不明とされているらしいけど、実際にはとっくに死んでいる。
江川さんのお墓参りに行った日、崖崩れに巻き込まれて。
家族や友人にそう伝えたくても、幽霊という存在になった今、伝えられるわけない。
小倉君から守るために姿を変えて、人々に接する時以外、私には誰も話し相手がいない。
だけど不思議と、孤独は感じなかった。
寂しさや虚しさにいつか精神を崩壊されてしまうのではないかと懸念していたが、どうやらそれは杞憂だったようだ。
生前からこうなることを教えられていたみたい。
「あ……」
空に現れた美しい朝焼けに、思わず感嘆の声が漏れた。
もうすぐ夜が明ける。
今夜はまた誰かやって来るだろうか。
今度こそ、何かが変わるだろうか。
まあいい。
今度こそ、私が彼から守るから___
[End]