神鷲の艦隊

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1:2F長官:2019/05/06(月) 00:51

神鷲の艦隊:黎明編 第1章:闇夜の提灯
第1話:敵巡洋戦艦を撃沈せよ!(上)

1904年、対馬沖で一人の英雄が死んだ。その名は東郷平八郎。
戦いの最中、たまたま敵砲弾が戦艦「三笠」の甲板−−−−それも東郷長官のいた−−−−所に命中したため、骨の一本も残らなかった。
幸い、バルト艦隊は壊滅し、日露戦争も日本も勝利に終わった。しかし、東郷長官の死は日本国民だけでなく、他国の国民まで悲しませ、国葬の際には各国の艦隊が集まり、弔砲を撃った。

それから幾年過ぎ、世界大戦の折。英国は雷撃機による雷撃を世界で初めて行った。だが、英国海軍はそれだけでは満足せず、雷撃機でドイツ艦隊を撃滅することを考えた。
しかし、ドイツ艦隊の実力は然る者。大型艦を撃沈した経験のない航空雷撃に賭けることは危険である。よって、まず危険度の少ないトルコ艦隊を攻撃し、その戦果によって可否を決めることにした。
1917年にトルコ軍によって撃沈された水上機母艦「ベン・マイ・クリー」の敵討ちとも言えるこの作戦は1918年1月に決行された。充分な準備期間がなかったので、出撃できたのは水上機母艦「カンパニア」と少数の護衛艦艇のみだった。指揮官こそ、空母部隊の指揮経験があるP・F・フィルモア少将であったが、この「カンパニア」は元々スコットランド方面に居たため(一時的ではあるが)対トルコに回すことに反対するものが多かった。それだけでなく、乗員が急な気候の変化に対応できるのかという心配もあった。
また、トルコ艦隊を見つけられなかった場合には即帰投するという条件もあり、絶対失敗すると思われていた。実際、この無意味な作戦自体、大艦巨砲主義者が航空主兵主義者に現実を見せつけ、黙らせるためのものであったのだから。

この艦隊は1月中旬、インブロス島付近に向かった。ここに来るまでずっと行なっていた、たった10機の水上機を使っての索敵は無意味なものと思われていた。しかし、このインブロス島付近にトルコ海軍の巡洋戦艦「ヤウズ・スルタン・セリム」と巡洋艦「ミディッリ」や水雷艇を発見することに成功した。この敵艦二隻のすぐそばには英国のモニター艦など2隻が航行していた。

−−−−どう見てもこちらが不利だ

フィルモア少将は思った。このまま戦友を見捨てるわけにはいかない。すぐに準備をすればギリギリ間に合うか−−−−

「インブロス島方面の敵艦隊を攻撃する。発艦準備を始めよ」

フィルモア少将は汗をぬぐいながら命令した。もし、航空攻撃が失敗したら、モニター艦が沈没するだけでは済まない。自分たちも打ちのめされる。
戦艦の主砲弾になすすべもなく引き裂かれる「カンパニア」の艦体が少将の脳裏をよぎった。

−−−−巡洋艦の砲ですら致命傷なのだ。最悪水雷艇にも狩られる。駆逐艦の数だって満足ではない。滅茶苦茶だ!

少将は憤りを感じたが、そんな暇はない。万が一の時のための対策を立てる方が先だ。

2:2F長官:2019/05/06(月) 00:51

第2話:敵巡洋戦艦を撃沈せよ!(下)

ちょうどトルコ艦隊が航行中の英国モニター艦を攻撃しようとした時、ついに10機の水上機が飛び立った。それぞれ450kgの魚雷を抱えている。前にトルコの船を沈めた時の魚雷より大きい。お陰で搭乗員たちも多少はリラックスしている。

「敵艦だ! 第一目標は手前の巡洋戦艦! 第二目標は小型巡洋艦!」

指揮官機の機長が大きく手を振って命令した。
空襲を全く予測していなかったトルコ艦隊は突然の空襲に終章狼狽し、乗組員がめちゃくちゃに機銃を振り回すという体たらくであった。機銃弾などの多くは明後日の方向へ飛んでいる。司令部も大混乱なのだろう。乗組員の混乱は嚮導機が
一発目の魚雷を放ってもなお、治らなかった。
果たして嚮導機の放った魚雷は「ヤウズ・スルタン・セリム」の中央に突き刺さった。小山のような水柱が立ち、波が甲板を洗う。
ダメージコントロールに難があるのか、すでに大きく傾斜している。
その後も五機の水上機による雷撃が行われた。惜しくも二番機が撃墜されたが、計四発の魚雷を喰らった敵艦はゆっくりと海中へ身を横たえていった。
僚艦の巡洋艦「ミディッリ」も一発の魚雷を受け、浸水。後にモニター艦によって撃沈処分された。さらに水雷艇も一隻撃沈した。
一瞬にして主力艦を失ったトルコ艦隊は潰走し、モニター艦も無事に航行することができた。
この一戦は大局に何ら影響を与えなかったが、航空機による作戦行動中の巡洋戦艦の撃沈が可能であることを世界に示し、航空主兵主義への評価を変えることとなった。

(以下作者によるあとがき)
この小説は架空戦記ですが、これ以降は提督の決断のプレイ内容を反映しつつ書くことになるので、リアルさには多少かけます。ですが爽快感はあるので、架空戦記好きの方は是非、一度ご清覧ください。

3:2F長官:2019/05/06(月) 16:07

第3話:運命の会議

1936年、海軍において電波探信儀(レーダー)についての会議が行われた。
技術士官の谷恵吉郎中佐により電波探信儀の研究が提言されたのだ。他の海軍士官たちは、

「そんなものは闇夜に提灯を照らすようなもの。隠密行動の妨げになるだけだ」

と否定的だった。
大艦巨砲主義者と航空主兵主義者の数は、若干大艦巨砲主義の方は多いという程度だった。しかし、電波探信儀の必要性を唱える者たちはまるで気狂いかのように扱われていた。それは、航空主兵主義者の多くはドイツ嫌い・陸軍嫌い(陸軍嫌いは両者共通であるが)のため、プライドの問題からドイツや陸軍が必死に開発している電波探信儀を採用することに抵抗があった。無論、必要性を理解しているものも多くいた。それには、1918年トルコ艦隊が英空母艦載機の雷撃により壊滅したインブロス島沖海戦が深く関わっている。同海戦が巡洋戦艦クラスを航空機で撃沈することを可能にしたため、海軍にも防空の必要性が出てきた。このことが電探に対する航空主兵主義者の認識を変えたのだ。
谷恵吉郎中佐はインブロス島沖海戦の結果から、対空レーダーは必須であることを主張した。また、敵艦隊に対する夜間砲撃や索敵にもレーダーを使った方がいいのではと提案した。
しかし、

「防空は必要だと思うが、索敵や砲撃にレーダーを使うことは危険ではないか」

という反論があった。結局、谷恵吉郎中佐にはどうすることも出来ず、対空レーダーの開発しか許可されなかった。しかし、彼らは諦めず、海軍技術研究所は東大工学部出身の伊藤庸ニらのもと、密かに水上射撃用のレーダーなども開発を行った。もし、発覚したらダース単位で首が飛ぶ行為だった。

1937年、マル3計画が構想された。航空主兵主義者の発言力が上がったことへの反動か、軍令部では戦艦を優先することを艦政本部に命じた。そのおかげで、一部の潜水艦や補助艦の建造取り止めと引き換えに超A140-F6(超大和型)戦艦が2隻、A140-F6(大和)型戦艦も三隻が計画された。
さて、この計画を知った航空主兵主義者たちは驚愕し、

「史上最大の無駄遣いだ」

と嘲笑した。
そして1939年での計画では、軍令部はA140-F6型戦艦を一隻にして、建造する空母を2隻にした。突然空母を建造することにした理由は簡単だ。マル3計画で戦艦を大盤振る舞いしてしまったため、やむなく戦艦建造数を減らしたのだ。

(後書き)
なんやこの説明文は……

4:2F長官:2019/05/10(金) 01:40

第4話:大神海軍工廠

1937年の時点で海軍は、約20年ぶりに戦艦を作ることになった。それも「世界最大の戦艦」である。しかし、その為に大きな問題が出てきた。A140-F6型は既存のドッグを拡張するだけで済んだが、超A140-F6型を作るにはまだ不足していた。
だから、大神に新たなドッグを作ることにした。周辺の地形などから大きさが頭打ちになっていた横須賀ドッグなどと違い、ある程度広い。さらに国内であるから、他国の批判も受けないだろう。まさに、「ここしかない」と言える。
問題はこのドッグを一から作ることになるということだ。とても半年や一年では無理だ。しかし、あまり時間をかけすぎると、軍艦の建造が遅れる。予想される米英との戦争の時期から、1939年には作り終えたいが、到底間に合いそうにない。工夫を大量動員し、休む暇もないほど働かせるつもりであるが、それでも三年はかかるだろう。

大神新ドッグの建造は比較的順調に進んでいた。工夫への負担は大きいが、その分見返りを多くしているので、頑張ってくれている。軍人たちに工夫には親切に接するように注意したことが功を奏したのかもしれない。
山本五十六などは、用もないのにやってきて、工夫たちに、

「無駄な大飯食らいの戦艦を作るためのドッグを必死に作ってくれるとは、ご苦労なことだ」

と言うのだ。それも福留繁などの顔をニヤニヤと覗きながらである。特に井上成美などは赤児のように、

「そんなものはダメだダメだ」

と決定事項に文句を言うのだから、面倒だった。この時、海軍の高官たちは、井上成美の出世を遅らせることを決意したらしい。
彼らのせいでドッグ建造が危うくなるかと思われた。しかし、

「このドッグは戦艦も作れますが空母も大量に作れますよ」

と後に艦政本部長となる豊田副武が言い訳したので、頑固者の井上成美除いて納得してくれた。

−−−−−−−−−−−
ほんとは技術者の苦労とか載せたい。いい?

5:2F長官:2019/05/11(土) 23:47

第5話:試作2号電波探信儀

海軍研究所による電探開発が始まってから約3年。ついに艦載用の電探を開発することに成功した。会議で正式に開発が認められ、適切に予算を回されていたので、性能もそこそこだろう。
早速、この電探を日本海軍の誇る戦艦「長門」に取り付けることとした。他の戦艦、補助艦艇、航空機を使用したテストが近いうちに行われる。
伊藤庸二中佐らは、その日が近づくにつれて、己の胸の高鳴りが増している事を感じた。

さて、ついにテストの日がやってきた。この試作電探を備えた「長門」が戦艦「山城」、駆逐艦、潜水艦の潜望鏡、航空機1機と編隊を見つけるというものである。
まず、戦艦の発見から行われた。29kmぐらいで捕捉できたら上出来かと、研究者らは思っていた。しかし、その予想に反して、この電探は標的を40km近い距離で捕捉した。さらに航空編隊に対しては100km以上で捕捉した。
研究員たちも、電探を小馬鹿にしていた者たちも、これには度肝を抜かれた。余りにも成果が大きすぎたからだ。
そして、これほどの索敵距離があれば有効活用も容易だと思った上層部は、即座に配備を許可した。

この結果は、ドイツのウルツブルクレーダーにも影響を与えたと言われている。確かに、捕捉距離だけならばそこそこである。しかし、その反面かなりのデカブツで砲撃の時に壊れるかも知れなかった。潤沢な資源がない日本にとって、壊れ易いことは問題だ。修理できないわけでないが、性能が落ちたらどうするのか。さらに、レーダー手も育っていないし、色々と雑音が酷かった。
だから、海軍研究所では尚も改良が続けられることとなった。

−−−−−−−−
電探はこれで終わりかな

6:2F長官:2019/05/16(木) 22:55

第6話:

時は遡って1938年1月。陸軍においてある計画が行われた。重慶に対する爆撃である。これは陸軍が

「国民党軍はもう後がないはず。海軍と協力して、重慶を滅ぼして仕舞えばいいではないか」

と考えたことによる。すでにドイツは日中関係を考慮した結果、中国への補給を停止していた。国民党軍も壊滅していたから時期は悪くなかった。
ここで、海軍の井上成美は、

「重慶爆撃の情報を流してはどうだろうか。国際14大隊を誘い込んで叩くことはできんか」

と考えていた。海軍内では同意が取れていたが、果たして陸軍は、

「確かに、あの義勇軍が膨らめばめんどうになる。今のうちに潰そう」

と前向きに回答した。しかし、大規模な空爆は後に回されることになったため、中国軍に流す情報は大規模な爆撃に対するものだけになった。

そして、1939年二月についに重慶爆撃が行われた。九十七式戦闘機37機、九六式艦上戦闘機34機、九七式重爆撃機33機、九六式艦上爆撃機25機などが参加した。大編隊である。中国軍には、さらに誇張して情報を流したため、この時の中国軍の動揺は大きかった。怯えた蒋介石は、外国人義勇軍を呼び寄せて、徹底的な防空を行おうとした。
このとき、航空参謀待遇で迎えられていたクレア・リー・シェンノートも重慶防衛を手伝うことになった。
外国製の戦闘機などを買い上げ、戦力を増強していた中国軍は100機を超える迎撃機をだしており、まさに万全と言える体制だった。
だが、日本軍の練度は高く、整った編隊を組んで、重慶付近まで飛行していた。ここで、国民党軍や義勇軍の航空隊が大慌てで迎撃にやってきた。統率が取れておらず、バラバラな方向から攻めてくる。日本軍航空隊は爆撃機の前面、真上に貼り付いて、先駆けを行ったキ27(九七式戦闘機)が真正面からやってきたI-15と格闘戦を行い、59航空隊の黒江少尉の搭乗するキ27がやってくる国民党軍のソ連軍機を叩き落とした。航空戦は手練れの多い日本軍が圧倒し、国民党軍は時間を稼ぐことすら満足にできず、壊滅した。敵航空隊を撃破した日本軍は悠々と進む。
重慶に着く間に、幾らかの戦闘機は航続距離の限界により撤退したが、既に敵航空隊は壊滅しているので、問題なかった。
重慶に突入した日本軍は、重要施設に低空爆撃を行った。命中率を上げるためである。だから、対空砲火をくらってバラバラに弾け飛ぶ機が何機もあったが、被撃墜機なんて見えていないかのような、大胆な突撃に重要施設は次々炎上、殆どの対空陣地も徐々に朱に染まっていった。
そして運悪く、九六艦爆の放った25番が義勇軍の司令部に命中した。大量のエネルギーを放出し、指揮官のヴィンセント・シュミットや参謀のシェンノートらを骨も残らぬ程、吹き飛ばした。義勇軍の司令部は一人残らず戦死し、その力を失うことになった。
日本軍機が去った後の重慶は、瓦礫の山。空は煙と炎で見えなくなる程、くたびれてしまった。予想外の被害を受けたため、蒋介石は顔面蒼白となって、しばらく瓦礫の上で立ち尽くしていた。
だが、日本軍も大きな損害を受けており、爆撃機に限れば、30%近い損耗率を出していた。

1940年1月。大神新ドッグがついに完成した。それと同時に新戦艦および空母の建造が開始された。未だに、戦争に間に合うのかという批判があったが、何とか建造に漕ぎ着けた。
そして同年4月。世界初の空母の集中運用を目的とした艦隊、第一航空艦隊が編成された。
司令長官は年功序列の点から南雲忠一が選ばれるかと思われていた。しかし、この艦隊の企画者で水雷にも航空にも精通している小沢治三郎中将が補せられた。また、小沢中将は陸軍と仲が良かったので、陸軍との関係改善も期待された。小沢中将は、自信家過ぎるところがあったので、心配する声もあった。そこで、参謀長に草鹿龍之介、首席参謀は横浜海軍航空隊司令の有馬正文大佐が補せられた。航空に精通しているが、比較的冷静で、意見具申もできるからであった。彼の体当たり精神と小沢の冷静さが合うか分からなかった。しかし、小沢は、

「航空機は弾丸だ」

と主張しているので大丈夫だろうとおもわれた。かくして、6隻の大型乃至中型空母を中心にした世界初の空母機動部隊は完成した。

7:2F長官:2019/05/16(木) 22:55

あ、第6話のタイトルは、「重慶炎上」です。

8:2F長官:2019/05/17(金) 22:59

第7話:南京講和会議

1940年中盤期に入っても重慶への爆撃は続いていた。特に、第一回空襲で義勇軍が壊滅してしまったことで、義勇軍が集まらなくなったことが痛手だった。中国国民党は貧弱な航空隊のみでも防空を迫られることになった。
成都や昆明への首都移動も考えられたが、まるでそれを予測していたかのように日本軍の爆撃を成都など有力な都市部が受けてしまった。南京、漢口と首都が落ちるたびに首都を変更していたが、重慶からの移動は絶望的になってしまった。
もっとも大きい損害が、蒋介石への信頼の低下だった。国民党の中には彼を妬むものもある。元からあった亀裂が日本軍の爆撃で大きな溝になってしまったのだ。党内では、日本を交渉の席に着かせるべきだと考えるものもいる。内部でいくつもの勢力が出来てしまったのだ。流石の蒋介石でもこれを抑え続けることは難しかった。

日本政府は、中国国民党が混乱していることを察知した。一部の政治家や軍人は、今こそが支那事変を終わらせる好機だと考えた。そして、軍部の反対を覚悟で講和を決めた。
日本政府が講和の意向を示すと、中国国民党は即座に食いついた。そして、1940年6月。中華民国と大日本帝国による講和会議が旧首都・南京で行われた。

中国からは王寵恵が日本からは日高信六郎が向かわされた。王寵恵はやつれて様子で、日高と握手した時も、引き攣ったような笑みを浮かべていた。目は日高をぼうっと見つめており、これに日高は少し怯んだ。だが、日高は外交官である。相手の体調の変化ごときで惑わされる程無能ではない。淡々と交渉項目を提示していった。
具体的には、
・帝国は近衛声明を撤回する。
・国民党政府は帝国へ賠償すること
・国民党政府は反共の立場をとり、防共に参加すること
・日満支間で経済活動を行う
・非武装地帯を設ける
・日本軍は共産党軍などの討伐に協力する
・支那から共産党を排除した場合、日本軍は支那から撤兵する
・満洲国を承認する(これのみ希望条項)
というものであった。一番目は、何の悪いことがない。それどころか当然だ。二番目は、第二次上海事変のような奇襲、通州事件のような残虐行為を行ったから仕方がない。三番目も、ゆくゆくはそうするつもりであったから良い。四番目も五番目も悪くはない。六番目、これは寧ろ好条件だろう。日本軍が味方につけば、共産党に絶対勝てる。七番目も、共産党をさっさと潰せば良いから、実質撤兵が決まったようなものだ。だが、問題が8番目だった。満洲国の承認。これは国連の決定に反するも同然で、中華民国の国際的信用を損なう危険性がある。だから王寵恵は、

「七番目までは大丈夫です。しかし八番目……これは厳しいでしょう」

「そうですか。ですが、それは希望条項です」

日高はサラッと言い切った。希望条項であって、押し付けるものではない。最悪、なくても良いのだ。王寵恵もこの発言を見逃さなかった。しかし、この場で即座に返事をするわけにはいかない。

「しかし、本国と掛け合って見ないと……。ここでの判断は不可能ですから」

「構いません。回答期限までにお願いします。我々はその間、攻撃を中断します。しかし−−−−」

日高の警告を聞いて、王寵恵は心の中で震えた。日本政府は本気になったのだと、思い知らされたのだ。

9:2F長官:2019/05/17(金) 23:49

第8話:講和成立

「何!?日高は、本当に、そんなことを、言ったのか!?」

蒋介石は自分の発言を一つ一つ整理するように尋ねた。王寵恵から信じられない報告を聞いたからだ。

「本当です。『日本政府には、攻撃中断中に貴国が不穏な行為をした場合に、これまで以上の規模で重慶を爆撃する準備があります』と日高は、日高はたしかに言いました」

王寵恵の声はどんどん萎んでいく。日高との講和会議では堂々としていたが、帰ってみるとやはり気が抜けるものだ。

「ハッタリか?」

蒋介石は椅子に座り直して尋ねた。外交で、相手に対して大きな態度をとることはよくあることだが、それをしている国は大体虚勢を張っているだけ。日本もそうではないかと読んだのだ。いや、願っていると言う方が正しいだろう。

「いえ、日本軍は強力です。本当にやってくる可能性は大です」

王寵恵は冷や汗をかきながら言った。

「そうかもしれんな」

蒋介石は微笑すると、

「北支は全て帰ってくるのだろう?」

「はい。そう書いてあります」

「まあいい、せいぜい日本軍を好きなだけ利用してやろうではないか。答えはイエスだ。そう回答してくれ、向こうの機嫌が変わらん内にな」

蒋介石は両手を組んで言った。しかし、王寵恵が返事をしようとしたところ、

「だが満洲国は承認し難い。……いや、いいだろう。回答後承認するとだけ答えて、正確な日時は一切言うな。日本人供を騙してやれ」

蒋介石は戯けたように言った。冗談が言えるだけ余裕があるのか、爆撃できちがいになってしまったのかわからないが、王寵恵は小さく溜息をついて、

「わかりました」

と言って退出した。王寵恵は何度も手を合わせて、日中の友好が叶ったことに感謝した。

日本政府は中国国民党政府の回答を受けて、これを受諾した。そして、両国は公式に支那事変の終結を宣言した。
中国国内では、これは中国国民党軍の勝利だと宣伝され、国民の士気は大いに上がった。失っていた地域を取り戻したのだから、誰も疑問を抱かなかった。
対して、日本国内では、

「一度手にした土地をなぜ手放す。英霊に申し訳がたたない。政府は腰抜けだ」

との批判が相次ぎ、陸軍やマスコミが徹底的に政府をこき下ろしたので、ついに米内内閣は立ち行かなくなった。そして、米内光政首相は、講和から約一ヶ月後、米内自身はこれまで対中講和に反対していたにも関わらず、右翼の青年によって東京駅のホームで射殺されてしまった。

10:2F長官:2019/05/20(月) 23:55

第9話:合衆国の野望

米内光政暗殺事件により、近衛文麿を首相とした第三次近衛内閣が組織された。近衛内閣は米内内閣末期の思い切った政略、そして米内の急死のせいで大規模な予定変更を迫られていた。
まず、北仏への進駐計画だ。援蒋ルートの遮断がどうでも良くなった今、進駐の必要はない。もう一つが南京国民政府の承認取り消しである。これも交渉成立で必要性が無くなったからである。
ただし、変更されなかったことが1つある。日独伊三国同盟の締結だ。軍部の強い圧力と、断る理由もない事から変更の検討すらされなかった。また、これに伴い、支那派遣軍の一部を満洲に配備することが決定された(ただし支那派遣軍自体は共産党討伐後、内地に戻る)。この事は、米国政府に大きな不信感を抱かせることになる。しかし、問題行動は日独伊三国同盟のみ。対日経済制裁は憚られた。合衆国は、
「今回の日本の行動は、ファシズムの横暴を助長するものであり、誠に遺憾である。もし、今後日本が不当な侵略を行うならば合衆国政府は経済的に然るべき措置をとる事になるだろう」
と非難声明を発表するに留まった。英国等も同様に非難声明を発したが、経済制裁を行った国はついに居なかった。

8月末。ヨーロッパ諸国と違い、戦火に巻き込まれていないアメリカは、渋滞が度々起こるほど、活気に満ちていた。アラスカにもハワイにもどの州にも、戦争時の覚悟や恐怖を抱いているものはいなかった。だが、例外が1つだけある。それは首都ワシントンD.C.のホワイトハウスである。そのホワイトハウスのガーデンは晩夏の爽やかな風と日差しを受け、黄金色に輝いていた。ガーデンだけでなく、どこの部屋も同じく、活気に満ちた輝きを見せている。ただし、大統領執務室を除いて。

大統領執務室は戦々恐々としていた。蒋介石の裏切り同然の突然の講和のせいで、予定が大きく狂ったためだ。
「これでは、日本に過大な要求をする事は無理ですな……」
国務長官のコーデル・ハルが、額の汗を拭いつつ言った。大統領ルーズベルトらは苦虫を噛み潰したような顔をしている。
「ジョセフ・グルー(当時の駐日大使)はなんと言っている?」
ルーズベルトが尋ねる。
「『日本が反省した今、我が国が挑発的な強硬路線を取れば、合衆国が子供に見えてしまうでしょう』と言っております」
するとルーズベルト苦笑して、
「『子供』というより『悪人』だな。合衆国があならず者になってはいかん。合衆国は常に絶対的な正義でないといけない」
「はい。対日政策は丁寧に行うべきです。又ドイツはスターリンに任せるべきかと」
ハルの表情は時間が経つ程、蒼白になっていく。熟練の政治家とは思えない様子。これは日本政府、国民党政府の予想外の行動と、彼の読みが外れた事によるものだ。
ハルは近衛内閣になった時、近衛のことだから再び強硬路線を取ってしまい、国民党との交渉を不成立にするだろうと思っていた。だが、そうはならなかった。講和と戦後処理が驚異的なピッチで進んだからである。まるで、近衛が余計なことをする事を予測していたように。満洲増強の件も、これはチャンスだと思って大々的かつ批判的に報道させたが、国内外の反応は薄い。最大のチャンスが簡単に消えてしまったのだ。
ハルは深呼吸をして姿勢を正した。政治家たる者堂々としていなくてどうするのか。ハルはルーズベルトの目をじっと見た。そして、オヤッ? と呟いた。ルーズベルトが両目を瞑って沈黙している。推進機を止めた潜水艦のようだ。
突如、ルーズベルトはゆっくりと目を開け、
「ハル君、それは違う。君はチャーチルとの約束を忘れたのかね? 彼は日本の動向を聞いて、毛根に大打撃を被ったという」
執務室内を笑い声が立ち込める。
「これ以上、彼の−−否、英国の毛根を枯らしてはいかんのだ。だから我が国はなんとしても日本にピエロになってもらう必要がある。ここで弱腰になっては全てが水泡に帰す。やめたまえ。それに、スターリンにナチス討伐の大功をくれてやるのは、危険だ。大丈夫。近衛は無能だ。必ずミスをする。必要なのは煽ることだ。彼らはすぐに手を出す。心配しなくていい、煽りは政府以外でもできることだ」
言い終えると彼は不敵な笑みを浮かべた。

11:2F長官:2019/05/22(水) 19:51

誤字脱字が目立ちますが、今しばらくは脳内補完していただきたいです。すみません。区切りがついたら、完全版としてここに再投稿しようかと思っています。
小説板にだけでもレス編集機能が欲しいなあ(チラッ)

12:2F長官:2019/05/22(水) 22:17

第10話:グルー大使暗殺未遂事件

日本政府の行動に対し、米国は比較的冷静かつ漸進的な対応を進めていた。日本政府も米国の挑発に過剰反応することはなかった。もっとも、日本の同盟国ドイツは、

「米国政府の非難声明は盟邦日本、ひいては我がドイツに対する誹謗中傷であり、断じて許すわけにはいかない」

と強気なコメントをしているが、所詮はパフォーマンスに過ぎなかった。イタリアに至っては、

「我が国は日本国の判断を支持するとともに、互いの繁栄を願う」

とそもそも非難声明に対して一切反応していなかった。
しかし、日本の一部の新聞社と新聞社の記事を信じ込んだ一部の国民は違った。

例えば、朝日新聞や東京新聞は、

「米国の非難声明は明らかな誹謗であり、現代の国際国家としてあるまじき行動である。我が国はこれに対し、弱腰になってはならない」

とパフォーマンス云々関係なく、強気かつ挑発的な記事を書いた。ドイツの発表とは違って、国民の大部分の目に入る情報であったので、国民に大きな影響を与えることになった。
しかも、米国の低俗な新聞社がこれらの記事を批判する記事を書いたがために、米国民の対日感情が酷いものになってしまった。それは、対日制裁を求めるデモ行進が連日起こり、在米日本人や日系人への暴行や差別行為などが多発するほどであった。

10月下旬、米国駐日大使のジョセフ・グルーは日米関係改善のため、日本の野村外相と会談を行う予定であった。彼は指定の場所に向かうため、用意された車に乗った。ここで事件が起きた。
グルーは大使であるから、警備も厳重だった。だが、事件は起こってしまった。
なぜか軍人の名刺を持っていた男が、運良く警戒網をすり抜けて、大使の乗った車の前まで来ていたのだ。彼は懐から手榴弾を取り出すと、突如として飛び出し、手榴弾の信管を抜いて、勢いよく車に投げつけた。
手榴弾はゴンッ! という鈍い音を立てて、地面に落ち、コロコロと転がった。不発だったのだ。慌てて、男は即座に銃を取り出して車内に割り入ろうとした。だが、そばにいた憲兵隊の射撃を受けて、あっさり殺されてしまった。
暗殺は未遂に終わり、グルー大使との会談はスムーズに終わった。しかし、この事件は日米間の対立の新たな起爆剤になることになった。

13:2F長官:2019/05/23(木) 18:09

【緊急連絡】修正

慌てて、男は即座に銃を取り出して→即座にはいらない。

他にもミスがあるかもしれません。

14:2F長官:2019/05/23(木) 22:22

第11話:日米対立深まる

先のグルー大使暗殺未遂事件を知ったルーズベルトは手を叩いて喜んだ。

「大統領閣下、いいネタができましたな」

国務長官ハルが一音一音を噛みしめるように言った。

「ところで、グルー君はなんと言っている?」

「はい。『日本政府は謝罪する意向を示しており、合衆国は今回の事件のついて過剰反応すべきではない。無駄な追及は日米関係の悪化にしかならず、最悪の事態を招く可能性がある』とのことです」

「グルー君は、日本のことは良く知っているようだが、合衆国の内情には明るくないようだ」

とルーズベルトは不敵な笑みを浮かべながら言った。

−−−−日本とのくだらん貿易よりも圧倒的に有益なものが待っているというのに

一瞬、ルーズベルトの目が光った。圧倒的に有益なもの、それは今までどの国家も成し得なかった大偉業−−−−(米英ソ中による)四人の警察である。一時期の貿易での損失、戦争での損失など問題にならない。このルーズベルトの考えを知る者は僅かだ。彼はなかなか秘密主義な男である。ハルですら、ルーズベルトが参戦したがっているのは英国を助けるためだけだと思っており、本当の意思を知らなかった。

「外交官を変えましょうか?」

「その必要はない。日本を悪役にするには、グルー君は使えるからね」

ルーズベルトはハルら大統領顧問団を退出させると、一人、窓の外を見つめた。

「あとは、蒋介石次第になってくるだろう……」

事件から数日後、日本の外務省は公式に暗殺未遂事件について、謝罪した。
そして、その後近衛首相に対して、首相自ら直接謝罪などをする予定があるかどうかの質問があった。近衛首相は自信満々に、

「私は多忙ゆえに、それは難しい。申し訳ないが、この場を借りてお詫び申し上げる−−−−−−私はこれまでの日米間の交渉、日本の努力が無駄にならないことを願う。アジアの問題については米国にも日本にも責任があるということを互いに意識していきたい」

と答えた。少々失礼であったが、もっと大きな問題が起こった。この回答が、米国の低俗な新聞によって、

『【グルー大使暗殺未遂事件】近衛首相、衝撃の発言「謝罪は難しい」「米国にも責任」』

と発言を切り取られ、否定的な報道をされてしまったのである。近衛首相は発言が切り取られることなど一切考えていなかったのだ。

15:2F長官:2019/05/23(木) 22:32

【緊急連絡】修正報告

>>14
>少々失礼であったが、もっと大きな問題が起こった。



>少々失礼な回答であるが、そこは問題にならなかった。別のところで大きな問題が起こった。

16:伊藤誠一:2019/05/26(日) 17:58

第12話:怒れる国民


日本の各新聞社は、米新聞社によるバッシング事件を、【NYタイムス記事捏造事件】と名付け、

「極めて悪辣」
「同様の記事を書いた全ての新聞社は訂正の上、謝罪すべきだ」
「政府は強気になるべきだろう」
「NYタイムスなどの行動に、今後米国に対する反感が強まりそうだ」

と過剰といえるほど、叩いた。こんな記事が書かれてしまったので、国民の対米感情は最悪のものとなり、暴動を起こすのも時間の問題とされた。
米国の新聞社も、ここまで批判されてしまったので、煽り返すような記事を書き、

「謝罪するべきは近衛首相である」

と口々に言った。無論、この記事によって国民は怒り、ついに暴動が起こってしまうようになった。

外相の野村吉三郎は流石に危機感を覚えて、

「首相、我々に一切の落ち度はありませんが、ここは謝罪すべきです。民族で対立すれば、国家がどれほど努力しても、水泡に帰してしまいます!」

と辞表を突き出していった。謝罪しないのならば、やめるというのである。辞職をもって、首相を脅したのだ。
鬼気迫る表情で訴えた野村外相に対し、近衛の反応は冷淡だった。

「断る。弱腰外交は国家の恥辱になる」

というだけで片付けてしまった。納得できない論理ではない。しかし、これは近衛の本心ではなかった。拒否した本当の理由は、謝罪により、国民の怒りを買って、殺されることが怖かったからである。中国と講話しただけの米内でさえ、射殺されたのだ。謝罪などすれば、蜂の巣どころでは済まないだろう。
それに、近衛は新聞社がわめいているだけのことで、日米関係が悪化するなどありえないと思ってもいた。要は、つまらないことの為に頭を下げたくなかったのである。

一部の暴徒によって米国の日本大使館が襲撃されたのは、これから一か月後のことである。

17:2F長官:2019/05/26(日) 18:01

もし、設定資料集が見つからないままならば、次回作をつくる予定です。
タイトルは、遥かなるインパール。
詳しいかたなら主人公が誰かわかると思います!

18:2f:2019/06/07(金) 21:33

第13話:立ち込める暗雲

一部の暴徒による米国の日本大使館襲撃事件について、合衆国政府は即座に謝罪を行った。この襲撃では大使館の一部が焼け落ち、20人以上の死傷者を出した。日本を怒らせるに十分すぎる大事件だ。しかし、明らかに日本人が被害者なので、謝罪によって、批判を避けようと考えたのだ。
結局、日本側が米国とのこれ以上の関係悪化を恐れ、深く追及をしなかったので、合衆国の思い通りになってしまった。さらに、日本政府が一切の追及を行わなかったので、唯一の代弁者を失った国民は怒りのやり場を失った。彼らがより一層両国政府と米国民への敵愾心を増したことは言うまでもないだろう。
これを知った在郷軍人会の一部の者は、新聞社に更なる圧力をかけようとした。近衛内閣を倒して、強気な政府を作ろうと目論んでいるのだ。

かくして、新聞社らは米国を毎日毎日、飽きもせずに叩き続けた。在郷軍人会に逆らったら新聞社としてやっていけないから仕方ないといえば仕方ないのだが。
ともかく、近衛は新聞社の米国叩きに怒った。戦争への可能性を増やすことにしかならないではないか。しかも、元は彼ら新聞社が国民を扇動したのが悪いのではないか。さらに野村吉三郎がくだらないことで辞職した今、日米関係の修復は一層厳しいものになった。近衛は首相官邸の外を見つめて、深いため息をついた。晴れた空とは正反対である。

「もう、無理かもな……」

その声を聞いたものは誰もいない。しかし、軍人も政治家も皆、同じ事を考えていた。日中講和成立に希望を抱いていたが、結局消極的な誤魔化しにしかならなかった。解決策は、真正面から米国を打ち破るしかなくなったのかもしれない。だが、それだけの軍備を整える国力がどこにあると言うのか。陸海軍の無茶な計画なんぞ、気休めにもならないのだ。
空にはいつのまにか、赤黒い雲が立ち込め、矢弾のような雨が降っていた。

19:2F長官:2019/06/08(土) 00:39

第14話:ドイツへ(1)

日本国内を多くの怒りと僅かな不安が覆う中、喜びの声を上げるものが一人だけ居た。技術士官の伊藤庸二大佐(電探開発が評価され昇進)である。嫌がらせのように、ほとんど人員と予算が割り振られなかった電探開発に比較的多く予算が回ってきたのだ。これには、海軍のハンモックナンバー制度が深く関わっていた。
小沢治三郎が一航艦司令長官に昇進したので、戦隊司令官の南雲中将は、予備役にするか昇進させるかしかなかった。席次が上にも関わらず、後輩の小沢に地位の上で追い越されることになってはいけないからである。
海軍の上層部、山本五十六などは南雲の真面目さを評価し、予備役編入や予備中将扱いはまずいと考えた。そして、なんと南雲は連合艦隊司令長官(GF長官)に親任されることになった。そのため、時のGF長官の山本五十六は海軍大臣に親任されることとなった。
山本提督はレーダーの重要性をある程度理解しているので、多く予算をくれたのだ。ハンモックナンバーのような毒でも使いようによっては、良くなるものだと実感させられた。

伊藤大佐は上機嫌に谷中佐を呼び出した。そして、

「君にはドイツに飛んでもらう」

と言った。すると谷は深く笑顔を作ると、

「ウルツブルクですね」

と言った。興奮して、早口言葉のようになっている。それだけ、ウルツブルクは彼らにとって重要なのだ。そう、ウルツブルクとはドイツの開発した傑作レーダーのことなのだ。

「みんな噂してるからな。知っているか。では、はっきりした日時は不明だが潜水艦で来てもらう。君は直接ドイツに行け」

「しかし、電探以外に何の目的が?」

谷は被りを振って、頭を掻き毟った。伊藤大佐が何を言い出すのか予想がつかないのだ。

20:2F長官:2019/06/08(土) 19:15

間違って下書きのまま投稿してしまいました。書き直します。

21:2F長官:2019/06/08(土) 22:41

第14話、修正版:ドイツへ(1)

日本国内を多くの怒りと僅かな不安が覆う中、喜びの声を上げるものが一人だけ居た。技術士官の伊藤庸二大佐(電探開発が評価され昇進)である。嫌がらせのように、ほとんど人員と予算が割り振られなかった電探開発に比較的多く予算が回ってきたのだ。これには、海軍のハンモックナンバー制度が深く関わっていた。
小沢治三郎が一航艦司令長官に昇進したので、戦隊司令官の南雲中将は、予備役にするか昇進させるかしかなかった。席次が上にも関わらず、後輩の小沢に地位の上で追い越されることになってはいけないからである。
海軍の上層部、山本五十六などは南雲の真面目さを評価し、予備役編入や予備中将扱いはまずいと考えた。そして、なんと南雲は連合艦隊司令長官(GF長官)に親任されることになった。そのため、時のGF長官の山本五十六は海軍大臣に親任されることとなった。
山本提督はレーダーの重要性をある程度理解しているので、多く予算をくれたのだ。ハンモックナンバーのような毒でも使いようによっては、良くなるものだと実感させられた。

伊藤大佐は上機嫌に谷中佐を呼び出した。そして、

「君にはドイツに飛んでもらう」

と言った。すると谷は深く笑顔を作ると、

「ウルツブルクですね」

と言った。興奮して、早口言葉のようになっている。それだけ、ウルツブルクは彼らにとって重要なのだ。そう、ウルツブルクとはドイツの開発した傑作レーダーのことなのだ。

「みんな噂してるからな。知っているか。では、はっきりした日時は不明だが潜水艦で来てもらう。君は直接ドイツに行け」

「潜水艦ですか!?」

谷は顔をしかめた。潜水艦でドイツへ行くとなると、生きて帰れるかわからない。さらに、乗船中は過酷な生活が待っているのだ。潜水艦では飯は缶詰ばかり、水はほとんど使えない。敵襲にあえば息苦しい思いをすることになる。鍛え抜いた古参軍曹ですら失禁をし、トラウマになるのだ。未経験の技術士官が乗るとなれば、言うまでもない。

「そしてその後、イギリスへ飛んでもらう。フランス・パリの飛行場に用意してある飛行艇で行ってもらう。操縦士は君と潜水艦に乗ることになっているから安心してくれ。ただ、パリに行くまでは気をつけろよ。全て君の責任になるからな」

続けて伊藤大佐が言った。飛行艇を使うと聞いた谷は、では日本から補給しつつ飛行艇で行けばいいじゃないかと心の中で愚痴った。誰が悲しくてドン亀乗りになるというのか。

「イギリスも電探開発に必死だからな……あと、くれぐれも、奴らの二枚舌に騙されんようにな。しっかり頼むぜ。それと、イギリスで電探を見たら次はアメリカへ飛んでもらう」

谷は大佐の発言に違和感を覚えた。独、仏、英に行く理由はわかるが、米国に行く理由がわからない。米国の電探技術は英独ほどではないし、仏のように移動のために必要になるわけではない。なのになぜ、行かねばならんのか。違和感がもやもやと残る感じが気にくわなかった中佐は率直に大佐に尋ねた。

「アメリカですか? 何の目的ですか?」

谷は被りを振って、頭を掻き毟った。伊藤大佐が何を考えているのか予想がつかないのだ。

「彼の国の技術を見てみたいんだよ。米国の長所というのは製品の高性能さではない。彼の国の長所を我が国はある程度模倣せねばならない。要はスパイだ」

中佐は絶句した。


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