ストーリー☆
庶民ながら私立冬星学院に通う夏城赤奈は、生徒会長の冬星蒼を助けるために初代学長の像を壊してしまう。
像の弁償に必要な2000万を補填する為、腹黒生徒会長に"雑用係兼専属SP"としてコキを使われる羽目に……
キャラクター☆
夏城赤奈(なつじょう せきな) 雑用係兼専属SP
空手が得意で怪力がヤバい節約女子。
バイトを掛け持ちしており、料理や接客の経験は豊富。
冬星蒼(ふゆほし そう) 生徒会
冬星財閥の息子にして勉学・スポーツ万能な爽やか王子。
実態は口が悪く短気な男。
秋堀勇黄(あきほり ゆうき) 副生徒会長
蒼の幼馴染で有力議員の息子。
IQ500を誇る頭脳を持ち、生徒会の参謀役で蒼の右腕。
お調子者で熱血漢だが空気の読めない言動をする。
秋掘洸黄(あきほり こうき) 会計
勇黄の双子の弟。
兄と比べて卑屈な陰キャになっているが、そこそこハイスペック。
赤奈の扱いの酷さに同情し、優しくする唯一の良心。
垂春桃音(しだれはる ももね) 書記
有名ブランド・MOMOの社長を父に、スーパーモデルの母を持つ美人。
人気読者モデルを務め、親しみやすい性格だが自分より下と見た人間には冷たい。
「あー違ぇ、俺が知りたいのはこんなことじゃねぇ」
「じゃあ今までのは何だったの……」
冬星は頭を掻き回すと深く息を吐き、意を決したように私を見た。
視線がかち合う。
「お前……なんで寄付金ランキングに入ってる」
「……」
「身辺調査させても金の出処の情報が無い。お前……何者だ?」
私は言葉に詰まった。
冬星は何か怪しいものを疑うような目をしていた。
そりゃそうだ、貧乏な癖に寄付金のランキングには入っているのだから、何か不正をしていると思われても仕方がない。
誤解を解くには正直に全て話した方が近道なんだろうけどでも、ダメだな、言いたくないや。
あの男とはもう無関係でいたいから。
「会長……世の中には知らなくていいこともあるんですよ〜」
「答えたくないなら最初からそう言え」
もっと会長命令だー!とか言って無理矢理吐かされると思いきや、冬星は案外あっさりと引き下がった。
デリカシーの無い質問をしてきた自覚はあったらしく、意外にも申し訳なさそうな顔をしている。
割とそういうとこ、律儀なんだよなこの人。
「もういい、発音の確認だろ。さっさとやるぞ」
冬星は背もたれに寄りかかると、コーヒーを一杯飲み干した。
いつかされる質問だろうとは思ってたけど、あのまましつこく聞かれたらどうしようかと焦っていたので助かった。
「フランスでは最初のHは声を出さない」
「!?」
「発音の話だぞ」
「分かってますけど!!!???」
そしてとうとう当日。
「よしっ! 会場の設営完了! フランス語もちょっと分かるようになったし! 精一杯おもてなしするぞ〜っ!」
既にフランス人留学生は体験授業を回っており、クラブ活動や委員会活動の見学をしている。
生徒会メンバーも留学生の接待や歓迎会の指示で散らばっており、冬星が今何をしているのかも分からない。
早くステージで最終確認しなきゃなのに、教室の場所を尋ねられたり活動について質問されたりと大忙しだ。
流暢に日本語を話せる人もいたけど、伝わらない単語もいくつかあったのでフランス語を予習しておいて本当に良かった。
「って、そろそろ私も着替えなきゃ!」
歓迎会まで残り1時間を控え、私は講堂へと向かった。
舞台袖で衣装を着ようと制服を探していると――。
「ちょっと、どうするのよこれ!」
「わ、わ、なにごと?!」
奥の方から甲高い金切り声がして、私は急いで様子を見に行く。
トラブル無しで乗り切れるかと思ったのに、そうはいかないようだ。
「おい、どうした」
「嘘だろトラブルか〜?」
学ランに着替え終えた冬星と勇黄さんも合流し、声のする方へ向かう。
「桃音さん……?」
「あ、雑用係。ちょっとヤバいわこれ」
先程の怒鳴り声は桃音さんだったようで、眉根を寄せて険しい顔をしている。
既にヘアメイクも袴の着付けも終えているのだが――。
「し、シミが……」
袴の一面に巨大なコーヒーのシミができており、それはじわじわと桃色を侵食していた。
周りもざわつき始め、不穏な空気が流れていく。
「マネージャーがコーヒーこぼして衣装が台無し。ほんと最悪!」
「申し訳ございません! 本当にっ、申し訳ございません!」
「あんたクビね」
「も、もちろん責任は取らせて頂きます……申し訳ございません!」
ドトールのコーヒー片手に何度も頭を下げるショートヘアの女性。
床に混線する機材のコードを見るに、それに足を取られて引っ掛けてしまったのだろう。
というか学院のイベントにプロのマネージャー呼んだんだこの人……。
「桃音、火傷してねぇ?」
「アイスコーヒーだったからそれはへーき。だけど衣装が……」
勇黄さんが心配そうに駆け寄る。
怪我がなかったのは幸いだけど……。
「困ったな、開演まであと1時間もない」
冬星は高そうな腕時計で時間を確認すると、表側モードの口調で喋った。やっぱ気味悪い。
「フィナーレを飾る衣装でしたのに、どうしますのこれ……」
「マジでグダグダじゃん」
「なんでも係さ〜ん、どうしますぅ?」
人気モデル桃音の出場が危うくなったことで周囲の士気が下がり、やる気のない雰囲気になり始めた。
どうする、考えろ私。
クリーニング屋でバイトした経験を――ダメだ、どう足掻いてもこの大きさの染みを抜いて乾かしてアイロンがけまでする時間がもうない!
「そっちもダメ?! 専属クリーニングなんだからなんとか……それか似たような袴今すぐ用意を! 無理?!」
「会長……」
冬星もできる限りの人脈を使ってなんとかしようとしてくれているようだけど、やはり厳しいらしい。
これ以上冬星に頼るのもシャクだし、早く指示を下さなきゃ開演が遅れてしまう。 かくなる上は――。
「桃音さん……」
もう、これしかない!
「今の東京校の制服で、ランウェイを歩いてくれませんか」
「――はぁっ!?」
桃音さんは瞳孔を見開き、怒りからか小刻みに震えている。
「私に、この私に……っ、いつもとなんの代わり映えもない格好でランウェイを歩けって言うの!? それを日向先生に見せろって?!」
「そうです」
「あたしの気持ち分かってそれを……」
「モデルの仕事は!」
気がつけば、高ぶる桃音さんより大声で叫んでいた。
「モデルの仕事は……どんな服でも美しく魅せることなんじゃなかったんですか」
「っ!」
桃音さんの瞳が揺れる。
「このいつもの制服でも観客を見惚れさせる、そんな芸当をやってみせるのがモデルじゃないんですか!?」
私はわざと煽るように焚き付けた。周囲にどよめきが広がっている。
日向先生のことは正直よく分からないけど、桃音さんが好きになった人なんだ。
きっとドレスじゃなくても、袴じゃなくても、ランウェイに立つ桃音さんを悪く言ったりするような人じゃない……と思う。
「あーほんと……あたし忘れてた。普段の制服だって、あたしにかかれば最っ高のドレスになること!」
桃音さんは汚れた袴を脱ぎ捨てて肌襦袢になると、自分の制服を掴んで更衣室へと向かった。
なんとか着替え終わり、舞台袖で待機する。
フランス人留学生はもちろん、桃音のファンや興味を持った生徒もホールに集まり、観客は予想を超える入りだ。
「続きまして、冬星学院東京校による日本全国、冬星制服ファッションショーです!Vient ensuite le Fuyusei Uniform Fashion Show dans tout le Japon par Fuyuhoshi Tokyo School ! 」
司会は有名アナウンサーの娘さんで、幸いにもフランス語が堪能だった。
日本語だけじゃカバーしきれない解説も分かってもらえているようで、やっぱり翻訳して貰ってよかった。
「わ〜、あの制服アニメで見たことありマス!」
「本当にあれで学校に行ってるんだね」
「へぇ、イギリスの様式を取り入れているんだ」
「うちの学院ってあんなに沢山の制服があったのね」
「地域によって全然違うし、中等部と高等部でも違うのか」
留学生の皆さんだけじゃなくて、在校生にも好評なのは想定外だった。
普段何気なく着ている制服だけど、その誕生秘話はなかなか聞く機会はないからみんな興味があるようだった。
解説だけでなく、BGMのセンスもいい。
「BGMもすごい良いわ。京都校の古風なセーラー服と学ランにマッチしてる!」
「仙台校のは……津軽三味線のアレンジかしら?」
「さすが洸黄さん、センスあるなぁ」
放送機材を稼働中の洸黄さんには今日会ってないけど、なかなかいい感じの選曲だ。
「うわ〜うわ〜っ、いい反応が貰えてる! よかったぁぁぁ!」
「俺たちはまだ仕事が残ってるだろ、気抜くな」
舞台裏で喜びを噛み締めていると、邪魔するように冬星が背後からぬっと現れた。
「リハーサルみたいにヘマするなはよ」
「だ、大丈夫……だと……」
ダメだ、冬星が余計なこと言うから失敗した時のことを考えてしまう。
観客も想定より多いし、当然だけどみんなランウェイに注目してるし……。
やっぱり人前に出るの苦手だ……なんかみぞおちの辺りに圧迫感が、息苦しい、動悸が……。
「落ち着け」
突然頭の上にポンと手が置かれ、飛びかけていた意識が引き戻される。
冬星のゴツゴツした大きな手だった。
「ただ歩いて帰ってくるだけだ。桃音からアドバイス貰ったんだろ」
「……そうだね。できる」
身体に一本の軸を意識して、目線は真っ直ぐ、ランウェイの先。
太ももあたりに触れるか触れないか程度で腕を振る
そしてこのランウェイではモデルは笑顔!
「キャーッ、学ランの会長も素敵!」
「さすが冬星会長!」
「第二ボタンくださ〜い!」
同じく名古屋校の制服を纏って隣を歩く冬星の声援はいつもより3倍近く賑やかだ。
爽やかな営業スマイルで、何も知らない観客を熱狂させている……。
「わ、やばっ……!」
もうすぐ折り返し地点という所で、緊張のあまり足を捻りかけた、その時だった。
「うわっ!?」
強い力で腕を引っ張られ、手で腰を支えられたかと思うと、ふわりと重力が無くなったような感覚がした。
「きやあぁぁぁ冬星会長〜っ!」
「えっ、えっ、ええ?!」
女子の悲鳴のような歓声のような黄色い声が上がる。
そしてようやく自分がいわゆる"お姫様抱っこ"をされているという非常事態を飲み込んだ。
「しくじりやがって」
ボソリと耳元で呟かれた声は、甲高い声にかき消されて私以外には届いいていない。
結局、お姫様抱っこされたままランウェイを歩く(?)羽目になり、普通に転んだ時より恥ずかしくて死にそう。
女子からの妬みの視線も怖いし……。
「別に足は何ともないんだから普通に支えてくれるだけでよかったのに……」
「馬鹿、演出ってやつだよ。こっちのが盛り上がるだろ」
私を心配したわけじゃなくて盛り上げる為だったんだ……まぁ、そりゃそうだ、この男が庶民にそんな気の利いたことするはずない。
冬星は恥ずかしがる様子もなく淡々としていて、自分だけあたふたしているのが悔しい。
やっぱり社交界とかで女の子をエスコートする機会も多いみたいだし、女の子の扱いに慣れているんだろうか。
「あ、桃音さん!」
反対側の舞台裏から、桃音さんが歩いてくる。
見慣れた制服姿だけど、その姿は確かに"一流のモデル"だった。
桃音さんの登場に会場は湧き上がり、今まででいちばん大きな歓声が講堂を包んだ。
「日本の皆さん、素敵な歓迎パーティ、ありがとうございました」
「校舎を案内してくれたり、分からない時はフランス語で伝えようとしてくれて、とても助かりました」
「こちらの文化を知ろうとしてくれて嬉しいです!」
「リボンとネクタイ、私服にも使えるしとてもカワイーです!大切にします!」
「制服を通してこの学校の歴史が分かりました。良い勉強になったと思いマス」
歓迎会も終わり、留学生の方々からの感想も嬉しいものばかりで本当に良かった。
これならさすがの冬星も成功だと認める他ないだろう。
「おっ、生徒会諸君ー!」
舞台裏で後片付けを初めていると、不意に声をかけられた。
「日向先生」
学年主任及び生徒会の顧問であり、桃音さんの想い人であるその人がビニール袋を持って立っていた。
だるそうに衣装を片付けていた桃音さんの背筋が急にピンと張る。
分かりやすすぎるよ桃音さん……。
「頑張ったお前らにジュースの差し入れだ!」
「わ〜、ありがとうございます!」
ビニール袋の中には冷えた缶ジュースが5本入っている。
冬星はあたりまえのように先にビニール袋へ手を突っ込むと、迷わずグレープジュースを選んでプルタブを開けた。
せめて先に選んでいいかくらい聞かんかい!
「そういやこの歓迎会、新入りの"なんでも係"が企画したんだって?」
「あ、はい……」
「ほー、やるじゃん。案内スムーズだったし、ウチの魅力も伝わるいい企画だったぞ」
日向先生はサムズアップすると、白い歯を見せて笑顔を浮かべた。
生徒の功績はしっかり褒めて差し入れの気遣いもできる。
なるほど、桃音さんが好きになるわけだ。
とか思っていると、桃音さんから突き刺すような視線を頂いてしまった。
「桃音も良かったぞ! うちの制服を歩き方だけであれだけカッコよく魅せるとは、さすがプロ。弘法服を選ばず、だな!」
「お、お褒めに預かり光栄です……!」
普段の桃音さんからは考えられないような、借りてきた猫みたいな態度だ。
それだけ日向先生が特別なんだろうな。
そんなに異性を想えるって、私はできそうにないから少し羨ましいよ、桃音さん。
「んじゃ、俺は職員会議があるんでこれで」
「差し入れありがとうございました」
去っていく日向先生の背中を、桃音さんはずっと見送っていた。
「良かったね、桃音さん!」
「……あーあ、こりゃ庶民に一本取られたわ」
悔しそうな口調とは裏腹に、その顔は靄が晴れたような満面の笑みだった。
――歓迎会から数日。
お姫様抱っこ事件が思っていたより反響を呼んだようで、私の存在はただでさえ目立っていたのに更に目立つようになっていた。
今日も校門をくぐっただけで周囲の女子生徒が一斉に振り返る。
「一人だけ抜け駆けして会長にお姫様抱っこしてもらうなんて……!」
「そもそもなぜこんな方が生徒会に引き入れられたの?」
「こうなったら大量の雑用を押し付けましょうか」
ひぇぇぇ〜!
冬星ガチ恋勢の視線が怖すぎる……と怯えていると。
「はいはーい、睨まない睨まない! 怖い顔してると可愛いが逃げてくよー!」
「桃音さん!」
通りがかった桃音さんが声をかけると、女子生徒達はそれ以上は何も言えないのか曇った顔をして黙り込んだ。
「あ、ありがとうございます……」
「別にー。朝から険悪な空気だとこっちも気分悪いじゃん?」
あの歓迎会以来、桃音さんは庶民を引き合いに出すことはあるが、私への当たりはややマシになった。
といっても"この仕事やっといて"が"この仕事半分やっといて"に変わったくらいだけど。
「にしてもあの冬星がお姫様抱っことかウケる〜。他人にほとんど興味無い冬星がやたら気にかけるし、結構気に入られてるじゃない」
「あれはただの演出だし……うーん、庶民が物珍しいから絡んでるだけじゃないですかねぇ」
一応助け舟を出してくれたり企画のヒントをくれたりと面倒見いいところもあるけど、それば学院のためであって私自身がどうこうという問題でもない気がする。
一応企画を任されたってことは、少なからず認められてる……って解釈してもいいのかな。
――放課後。
「まずい、生徒会室に急がなきゃ〜っ」
先生に頼まれて荷物を資料室まで運んだり人体模型を直したりと、ついつい雑用を引き受けてしまい、気がつけば生徒会の集合時刻を過ぎていた。
とりあえず早く教室に戻って鞄を取ってから生徒会室に戻らなくては、と急ぎ足で教室に入る。
すると、そこには信じられない光景が広がっていた。
「なに、これ……っ」
破かれた教科書、水浸しのノート、折られたシャーペン。
誰もいない教室で、破られたページだけが風に舞っていた。
「うわ、現代文も物理も数Aも全部破られてる……」
鞄に入れていた教科書は全滅で、ノートも水をかけられたせいで文字が滲んで見えない。
シャーペンも使い物にならないし、全て買い揃えるとなるとかなり痛い出費だ。
ただでさえ弟の修学旅行代の積み立てや塾代で厳しい中、無駄な出費をお母さんに出してもらう訳には行かない……。
「ふざけやがって……」
ぐしゃりと破れたページを握りつぶす。
恐らく冬星ファンの妬みによる犯行とみてまず間違いない。
私の席を知っているということは、身近なクラスメイトの可能性が高い。
というか、単独犯と言うよりかは多分クラスの女子がグルになってるんだろう。
「どうしたらいいんだろう……」
「雑用係の癖に遅刻とは……いい度胸だなぁ?」
「にっ、日直の仕事とか先生に色々頼まれちゃって……!」
重い足取りで生徒会室に行けば、案の定遅刻を冬星に責められる。
正直もう生徒会に関わりたくない。
ただ嫌がらせを我慢するだけなら全然良いけど、物を壊されたり隠されたりが続けば出費がかさむ。
家族にだけは迷惑をかけたくないのに。
「とりあえず今日の雑用だ。馬車馬のように働け」
「はぁ……」
目安箱をひっくり返せば、両手で収まらないくらいの依頼。
こっそりバイトを増やして教科書を買おうと思ったけど、雑用をしてたらそんな暇ないや……。
この学院の教科書、1冊で2万はするんだもん……。
「お前さっきからなんなんだよ、陰鬱な顔して」
「それは会長の……っ」
会長のファンが嫌がらせしてくるからでしょうよ!と言いたくなるのを喉奥で潰して飲み込んだ。
もしこのまま雑用係の話が無しになってしまえば、現金で払えと言われるかもしれない。
「会長の横暴にまた耐えなきゃいけないと思うとこんな顔にもナリマスヨ〜……」
「横暴ってなんだ、本来即日2000万のところを十分特別扱いしてやって……」
「はいはい、その節はありがとうございます、感謝してますって」
実はまだ納得いってないけど。
「それじゃ、雑用行ってきまーす……」
もうやだ、教科書どうしよう。
誰に相談したらいいの、どうすればいいの、私何か悪いことしたの?
私はただ、みんなみたいに普通に学校生活を送りたかっただけなのに。
雑用係の雑用は、日に日に過激な物が増えていた。
依頼箱は匿名で投函できるから心無いものもあって、冬星は忙しいから弾く暇もなく私に手渡す。
トイレを素手で掃除してくださいとか、多分男子の(放送禁止用語)してください、とか。
さすがに(放送禁止用語)とか素手でトイレ掃除はやりたくないけど、まぁ普通にブラシでトイレ掃除をすることにした。
「はー……トイレ広すぎ」
さすが金持ち校、トイレだけで私の部屋の10倍はあるよ。
しかもドレッサー完備でなんかもうホテルみたい。
「あの……」
大理石の床にモップがけをしていると、背後から女の子の声がした。
「すみません、トイレなら今掃除中で……」
「いえ、違うんです」
振り返ると、つやつやにカールした栗色の髪と、ぱっちり大きな目が可愛い女の子が立っていた。
確か同じクラスで、親は大手製薬会社を経営する桜川麗(さくらがわ うらら)さん。
まるでお嬢様のお手本のような女の子に対して、ジャージでボサ髪でトイレ掃除をしているド庶民の私。惨めになる。
せめて性格が最悪であってくれ。
「あの、教科書……大丈夫でしたか?」
「ゔぇっ!?」
「すみません、教室に忘れ物を取りに行った時に破れた教科書や水浸しになったノートを見たものですから心配で……」
性格も優しい〜〜〜!!!
はいもう降参です、私の負け!!!握力以外全部私の負け!!
「えっと、教科書は大惨事だけどなんとかするよ。ありがとう」
といってもバイトを増やせる気配もないし、どうしたものか……と考えあぐねていると。
「あの、もしよろしければ、私が用意しましょうか?」
「……へ?」
「教科書がないと授業、困りますでしょう?」
桜川さんは眉毛を下げ、心配そうに尋ねる。
「えっ、いやでも……教科書1冊2万もするよ!? 全部で10万以上はするし、それを用意してもらうなんて……!」
「その代わりと言ってはなんですが、依頼を受けて頂きたいのです」
「依頼……そういうことなら!」
元々バイトを増やすつもりでいたし、交換条件の方が気も楽だ。
「それで依頼って……」
「あの……友達になって頂けないでしょうか?」
「え」
予想外の言葉に、私は言葉に詰まった。
もっと屋敷の掃除をしろとか1年間パシリになれとかそういうのを想像していたので、思いがけないお願いに聞き間違いを疑う。
「やはり厳しいでしょうか……?」
「いやいやいや、とんでもない! むしろその、そんなことでいいの……?」
もしや裏があるんじゃ……?!
この世の中、美味い話なんてそうそうない。
冬星みたいにめちゃくちゃ雑用させるとかマグロ漁船に乗せられるとか売り飛ばされるとか……!
「私、人とお話するのが苦手でなかなか友達が出来なくて……お金で買うようで心苦しいですが、お話し相手が欲しかったんです」
うるうると瞳を滲ませ、懇願するようにこちらを見つめる。
う、疑った私が悪かった、この目は真実を語っている。
「そうだったんだ……教科書のことがなくても、友達くらいなら別に……」
「いえ、私に用意させてください! 初めてできた友達ですもの、助けてあげたいです」
麗さんはそう言って桜も恥じらうような笑顔を見せた。
こんなに良い子と友達になれるなんて……教科書破れてよかったかもしれない。ありがとう人生。
<冬星side>
最近雇った雑用がなかなか使える。
あいつの雑用のおかげで生徒会の評判も上がっているし、歓迎会でも教職員から高評価を得られた。
最初は馬鹿力と根性を見込んで雑用に使おうと生徒会に引き入れたが、これが中々企画力もある優秀な雑用だった。
卒業後も、冬星が経営する会社の企画職へ引き入れるのも悪くないだろう。
あいつだって大企業の就職ができてWIN-WINだろ。
しかし、当の本人は最近何か思い詰めたような顔をしており、俺や生徒会を避けるようになった。
しかもやたらと遅刻が増えている。
「なんかあったんかねぇ、夏城」
ちょうどあいつのことを考えていると、勇黄が同じタイミングでぽつりと零した。
やはり誰が見ても夏城の様子がおかしいらしい。
「確かに最近俺ら避けられてるけど……」
洸黄も思い当たる節があるようだった。
「この頃遅刻も増えたしな。生徒会だっていう自覚が足りてないんだろ」
あいつは遅刻してまで俺に会いたくないのだろうか。
あームカつく、金出してやってるご主人様にその態度かよ、と苛立っていると。
「えっ、蒼知らないの?」
「……何を?」
桃音がパソコンのキーボードを打つ手を止めて驚いたようにこちらを見ている。
「あいつ女子生徒に嫌がらせされてんの。この前も教科書破られてたし、それで遅れたんじゃ……」
「は?」
「えっ?」
自分でも聞いたことの無いくらい低い声が出た。
夏城に対する苛立ちが、全て桃音の方へ向く。
「え、嫌がらせって……どういうこと?」
「ほら、この前の歓迎会で蒼がお姫様抱っこしたでしょ? それで冬星ファンの女の子が激おこでさ。教科書破られたりノートに水かけられたり嫌がらせされてたの」
洸黄の質問に、桃音は呆れたように答えた。
「は? お前、黙って見てただけなのかよ!?」
「人聞きわる。あたしが見たのは破られた後、教室で泣いてるあいつだけ。犯人がやってるとこは見てないから止めようがないでしょ」
桃音は悔しそうに唇を歪ませた。
「それに、もうあんたに相談してるかと思ったの! 蒼の権力ならすぐに犯人あぶりだして粛清してるかと思ったけど、まさか何も言ってないなんて……」
なんとなく、あいつは俺に相談しないなとは思った。
2000万の弁償を命じた時、真っ先に家族へ迷惑がかかることを危惧していたあいつのことだから、日頃から家族に頼るなんてことはしていないだろう。
せっかく見つけた有能な人材だ、このまま生徒会をやめるなんて言い出されたら困る。
生徒会をやめられたらクラスも違うあいつと接触する機会は無くなるだろう。
それはなぜか――嫌だった。
「おい勇黄……学年一のお前の頭脳を買って命令だ。犯人を突き止めろ」
「いーけど高くつくぜ〜?」
「報酬は突き止めてから言え」
勇黄は何やら謀ったように不敵な笑みを浮かべると、パソコンのキーボードを軽快に叩き始めた。
<赤奈side>
あの日以来、麗ちゃんはよく私に話しかけるようになった。
相変わらず影でコソコソ言われるけど、麗ちゃんがいてくれると思うと心が救われる。
「教科書、まだ用意できてないみたいなの。もう少しお待ち頂ける?」
「だ、大丈夫だよ!」
幸い麗ちゃんが教科書のコピーをくれたおかげで授業に支障はない。
冬星学院の教科書は特注らしく、用意するのに時間がかかるらしい。
「それで、よかったら明日の放課後お茶しませんか? 私、友達と帰りに寄り道したりするのが夢なんです!」
「それは……」
嬉しいお誘いなのに、つい返事に詰まってしまった。
麗ちゃんみたいなお嬢様の言う"お茶"ってやっぱり超高級喫茶展なのかな……私そんなにお金もってないけど払えるのか……?
と思っていたら、麗ちゃんが眉を下げて悲しそうな顔をした。
「やはり私とでは楽しくないですよね……」
「いやいやいや、そんなことないよ! いいよ、行こいこ!」
うん、お茶だけ飲んで帰ろう。
お茶ならせいぜい高くても一杯3000円程度で済むよね……。
そう言い聞かせ、私は承諾した。
この選択が大変なことになるとも知らず――。
翌日の放課後。
「うぉぉぉぉぉぉおおおぉぉ!」
私は生徒会室へ向かうと、鬼の勢いで仕事を終わらせた。
あと1時間で終わらせなければ麗ちゃんと遊ぶ約束に間に合わない。
「夏城さん、すごい勢いだけど何か用事でもあるの?」
「はい、この後クラスメイトの麗ちゃんとお茶する約束をしていて」
洸黄さんを圧倒する勢いでキーボードを打ち込み、資料を翻訳する。
すると、四人がハンコを押す手を止めてこちらを見た。
「まさか……桜川麗じゃねーよな?」
「え、そうだけど……勇黄さん、麗ちゃんのこと知ってるの?」
「知ってるも何も……」
勇黄さんの名前から麗ちゃんの名前が出ると、他の三人は戸惑いを隠せない表情をしている。
「夏城、なんで桜川と……」
「いやー川に落ちて教科書ダメにしちゃったところを、教科書代を出してあげるから友達にならないかって言われてさ。凄くいい子で、私としては教科書のことがなくても仲良くしたいくらいなんだけど」
冬星は複雑そうな顔をしていた。一体何、みんなどうしたんだろう……。
桃音さんも何か言いたそうにしてるし。
「やめとけ」
「え」
「だから、桜川麗に関わるのはやめておけ」
冬星は険しい顔をして言った。
その声は酷く冷たく、凍りつきそうなくらいだった。
「あの友達いない桜川麗だろ。良くない噂もあるし、関わらない方が賢明――」
「なに、それ」
冬星の言葉に、私は思わず机を叩いていた。コーヒーの水面が揺れる。
なんだかんだ学院のことを考えてる良い奴だけど、嫌いじゃなくなったけど、でも、こればかりは許せなかった。
「確かに麗ちゃんは人と話すのが苦手で友達が少ないかもしれないけど、凄くいい子だよ! 噂くらいで麗ちゃんのことを悪く言わないで!」
「これだから表面しか見てない奴は……裏があるに決まってんだろ」
「会長に言われたくない!」
自分だって爽やか王子の仮面を被って裏では庶民をコキ使う腹黒王様の癖に!
「おい夏城!」
「もう今日の仕事は終わったから、私は帰る。いいよね」
引き留めようとした冬星の手を振り払い、スクールバッグを持つ。
ちゃんと仕事を終わらせて出ていったので文句は無いはずだ。
「麗ちゃん、待たせてごめんね」
「いいえ、大丈夫よ」
正門までノンストップで走ると、既に黒塗りの高級車が停まっていた。
さすがに冬星みたいなリムジンではないけど、これも1台2000万以上する外国車だ。
私の弁償代って高級外車1台買えちゃうんだね……。
「私がいつも贔屓にしてるお店で、紅茶とザッハトルテがとても美味しいんです。是非夏城さんにも召し上がって頂きたくて」
「た、楽しみだな〜」
うわどうしよう、お嬢様が贔屓にしてるお店のザッハトルテなんていくらするのか検討もつかないよ……。
財布の中には一応1万円が入っているけど。
桜川さん奢ってくれたりするかな……いやダメだ、友達なんだからそんなこと考えちゃダメだ。
「あ、着きました」
「うっ、わ……」
ステンドグラスのドームに咲き誇るバラ園、美しい声で囀る小鳥。
およそ日本都内とは思えない庭園の中に、テーブルクロスのかかった席が。
「さ、参りましょうか」
麗ちゃんは慣れた様子で、執事さん(?)の案内を受けて席へと向かう。
制服の上にパーカーを着てスカート丈を短くしてルーズソックスを履いてる私、かなり場違い……。
「ご注文は」
「ザッハトルテとスコーンとマカロン、あとヴィクトリアケーキ。紅茶はダージリンのファーストフラッシュを」
「畏まりました。お連れ様は」
「えっ? あ、ザッハトルテと紅茶……ダージリンのセカンドフラッシュ……? で」
「畏まりました」
セカンドフラッシュとかファーストフラッシュってなに。
メニュー表に値段がないし……。
麗ちゃんは常連だから慣れた様子で注文していたけど、私は何も分からない。
なにこれ、高級寿司屋の時価みたいな?
「とてもいいところでしょう? 週末はここでお茶やお菓子を頂くのが楽しみなんです」
「すごい所だね。なんかお城の庭園みたいで……」
絵本のお姫様がティータイムをしているような、非日常な空間だ。
バラや芝生の手入れも行き届いていて、小鳥も多分野生じゃなくて血統書付きのなんかいいやつ。
「お待たせしました」
給仕さんがティースタンドに盛られたスイーツと紅茶をゆっくりと配膳する。
紅茶は目の前に置かれただけなのに香ばしい匂いが鼻腔をくすぐり、ザッハトルテも金箔が乗せられていて高級感がある。
ティーカップも高級ブランドのものだし。
恐る恐る紅茶を一口飲むと、香りと僅かな渋みが口内に広がった。
「すごい、いつも飲んでる紅茶と全然違う……」
「夏城さんのは、夏に摘まれるセカンドフラッシュですね。私の紅茶は春に摘まれるファーストフラッシュです」
「そっか、桜川さんにはピッタリだね」
やっぱりお嬢様だからか、ティータイムの紅茶に詳しい。
私はそもそも紅茶の茶葉に季節が関係あるとか全然知らなかった……。
「そういえば夏城さん、会長と親しくされていましたけど……仲がよろしいので?」
「えっ? いやいやいや、全然! バイトの経験を生かして生徒会に入らないかって言われただけで、友達とかじゃないから!」
冬星という名前が出て、少し動揺してしまった。
喧嘩中……というほどでもないけど、多分次会う時は気まずいだろうなと、おいしいケーキを食べているのに心が重くなる。
いやあれは冬星が悪い。
「でも、少し距離が近いのではないですか」
「……へ?」
温かみのある声色が急に少し冷たさを帯び、ゾクリと背筋が凍った。
「会長や私達はいずれ家の為に婚約し、社交界で生きていくことになります。異性と……ましてや家柄の釣り合いが取れていない方との距離が近くなるのは、迷惑になってしまうので気をつけられた方がよろしいかと」
「……え」
「あっ、すみません! でもこれは夏城さんの為でもあるんですよ?」
麗ちゃんはすぐに声色を元に戻すと、困ったように笑った。
なんだろう、今はすごく、笑顔が怖い。
「すみません、少しお手洗いに」
そう言って麗ちゃんは一礼すると、給仕さんに案内されて建物の裏の方へと入っていった。
麗ちゃんがお手洗いに行ってから中々帰ってこない。
アレだとしてもさすがに遅い……よね?
「麗ちゃんいつ帰ってくるんだろ……」
スマホを見ると、既に30分が経過していた。
そろそろ日も落ちてくるし、早く家に帰って夕飯の支度をしないといけないのに。
と思っていると。
「失礼ですがお客様、会計の方を」
「えっ、でも友達が……」
「ご友人なら先程体調が悪いとのことで先に帰られました」
「えぇー!?」
麗ちゃん体調が悪いから先に帰った??
それなら一言でも、LINEの一つでも連絡して欲しかったのに。
「お会計はこちらになります」
そう言って渡された革張りの伝票ホルダーを受け取り、私は印字された金額を三度見した。
ゼロの数がひとつ多いような。
「……あの、えっと、間違いでは?」
「いいえ、紅茶とザッハトルテ、ヴィクトリアケーキ、スコーン、マカロン、貸切料金で計78000円になります」
「ええええぇっ?! 貸切?!聞いてないですけど?! それに紅茶とザッハトルテは私ですけど、それ以外は麗ちゃんが……」
「そう言われましても、お連れ様はお帰りになられましたし……」
どうしよう、財布の中は1万ちょっとしかないのに!
麗ちゃんに電話をかけるも、電源を切っているのか着信は届かない。
「す、すみません、持ち合わせがないので一旦帰っても……」
「持ち合わせがない……? それは困りますね。失礼ですが、ご飲食は身の丈に合った場所でされた方がよろしいかと」
「なっ……」
こっちだってまさか、麗ちゃんが全部貸切にした上その料金を支払ってないなんて知らなかったんですけど!
自分の分は支払ってもいいけど、せめて麗ちゃんが注文したものは自分で払って欲しい。
わざと?天然?
なんか麗ちゃんに友達ができない理由分かったかも……。
「お支払いできないようでしたらご家族の方に来て頂くしかありませんね。電話番号を……」
「そ、それだけはできないです! 銀行まで行かせて貰えたらすぐにお金下ろしてきますから……」
「それでは困ります。クレジットカードがあるならそれでお支払いください」
「キャッシュカードしかないですって! 高校生がクレジットカード作れるわけないじゃん!」
どうしよう、家族に知られたらまた心配かけちゃう!
もうどうしたらいいか分からなくて目頭に涙が溜まりかけたその時だった。
「10万だ。釣りはいらない」
頭上からバサバサ音がしたかと思うと、諭吉がひらひらと宙を舞っていた。
「空からお金が降ってきたぁ?!」
「そんなわけあるか」
聞き覚えのある声に振り向くと、やはり――。
「か、会長?!」
呆れ顔の冬星が立っていた。
「78000円、確かにお預かり致しました」
給仕さんはそう言って一礼すると、あっさりと引き下がった。
冬星は私の手を強引に引っ張ると、リムジンへと押し込む。
私はなにがなんだか混乱したまま、流れるように乗せられた。
「会長、なんで……っ」
「桜川麗がよく利用する喫茶店。勇黄に調べさせた。来てみれば案の定ハメられたお前がいたってわけ」
冬星はそう言ってため息をついた。
「ハメられた……ってことは、やっぱりアレわざとなの?」
「当たり前だろ。桜川麗――お前の教科書を破った犯人だ」
「そんな?!」
いきなり告げられた一言に、一気に頭が混乱する。
そもそも冬星には教科書が破られたなんて言っていないはずだ。
「待って、私、教科書破られたなんて言ってないよね?! それになんで麗ちゃんが犯人だって……」
「桃音が教科書を破られたお前を見てるんだよ。それに鑑識が教科書の切れ端から採取した指紋が、桜川麗の私物から検出されたものと一致した」
「待て待て待て待て」
桃音さんが報告したのはいいとして、指紋採取ってなに??
たかだか嫌がらせの調査に鑑識を動員させたの??
「指紋採取??? 鑑識?」
「秋堀家御用達の捜査員だ。腕は確かだからな」
「えっっぐ……」
秋堀家は有力な議員を多数排出している名家だし、事件に巻き込まれることもあるから捜査員がいるんだろうけど、わざわざ私の為に動員させるなんて申し訳が無さすぎるよ……。
「じゃあ麗ちゃんに関わるなって言ってたのは……」
「あいつが犯人だと思っていたから。まぁ指紋採取の結果が分かる前の段階だったからハッキリ言えなかったが、俺はちゃんと引き止めたぞ。それをまんまと策略にハマって……」
「あの言い方じゃ分からないって!」
冬星が麗ちゃんと関わらない方がいいって言ってたのは噂だけじゃなかったんだ……。
「ほら、これ」
「へ?」
冬星は白い無地の紙袋を私へ突き出した。
受け取れってことなのかと戸惑いながら紙袋を覗くと、そこには新品の教科書とノートが入っていた。
「これ……っ」
「どうせ桜川から受け取ってないんだろ。まぁ、ありがたく使え」
「う、受け取れないよ! これ一冊2万もするしっ、今日だって代金支払ってもらっちゃったのに……」
「もう買ったものは仕方ないだろ。俺に教科書2冊持てってのか?」
「あ、ありがとう……ううっ……」
「なっ、何も泣くことねーだろ?!」
教科書のこと、支払いのことが一気に解決した安堵からか、心のボルトが緩んだかのように涙が溢れ出す。
「また借金増えた……会長が金持ちだからって甘えて……本当にごめんなさい……」
「もういい。どうせ今回の発端は俺だろ。嫌がらせの件は俺が何とかするから、生徒会やめるとか言うなよ」
「……いいの?! 会長に迷惑かかるかもしれないのに……」
「雑用係を失う方が痛手だからな。卒業まで2000万分きっちり働いてもらう」
今回の件でてっきりもうやめさせられるかと思ったけど、冬星は想定以上に私のことを高く買ってくれていたらしい。
「お前の家着いたぞ……相変わらずボロいな。本当にこんなとこ住んでんのかよ」
「うるさい……ありがとう」
「別に」
冬星は無表情で一言だけそう言うと、執事さんにドアを閉めさせた。
住宅街に不釣り合いなリムジンを見送る。
代金支払ってくれたこととか、教科書よりも、冬星が私を必要としてくれていることが一番嬉しかったよ。
翌日学校に行くと、正門前に麗ちゃんが立っていた。
「ごめんなさい、昨日急に体調が悪くなって帰ってしまって……スマートフォンの充電も切れていたので連絡できなかったんです」
「そう……」
「お金はどうされたんですか? 後でお返しします。大した金額じゃありませんしお支払いできましたよね?」
「何とか、ね……」
支払いをわざと押し付けたくせに白々しいな……。
でも本性を全く悟らせない天使の笑みで、冬星を信じるって決めたのにまた疑いたくなる。
いきなり『あなたが教科書破りましたよね。もう関わらないでください』なんて言い出す勇気もなくて、ただただ頷くしかない。
さて、どうしたものかとぐるぐる考えていると……。
「おはよう、夏城さん」
聞き慣れていて、それでいて不気味に爽やかな声。
表モードで笑顔の冬星が立っていた。
「オハヨウゴザイマース」
「会長……! おはようございます!」
麗ちゃんはやっぱり冬星のファンなのだろう、声を弾ませキラキラした目で冬星を見ている。
冬星、割り込んで一体なにするつもりなんだ……。
「君は確か……桜川麗さん、だよね?」
「は、はい! 会長にお名前を覚えて頂けてるなんて光栄です!」
「ふふ、ありがとう」
腹黒い二人が互いに本性を隠して微笑みあっている図は不気味だ。
麗ちゃんは冬星の本性に気付いていないようだけど。
「そういえば最近、夏城さんが嫌がらせを受けているみたいなんだ。何か知らないかな?」
「あ……教科書を破られたりノートを濡らされたりしたのは見ましたが……」
麗ちゃんは少し動揺を見せたが、すぐに困ったような笑みを浮かべて取り繕った。
「そうなんだ、困ったなぁ。そんな卑劣なことをする人間がいるなんて……許せないよね?」
「っ!」
冬星は笑顔の中にドス黒く冷ややかなオーラをわざとチラつかせて、周囲にも分かるように牽制している。
「あ、指紋が出れば器物損壊罪で訴えることもできるなぁ」
「しも……っ?! そっ、そんな大事にしたら学院の評判に傷がつくのでは……」
「いじめを見て見ぬふりする方が評判下がるからね。犯人が分かり次第警察に突き出そうと思っているんだ」
"警察"という単語に、麗ちゃんはついに震え上がった。
桜川家のご令嬢が警察の厄介になったなんて周囲に知られたらとんでもないことになるだろう。
冬星は脅しのつもりだったかもしれないけど、ヒートアップして本当に警察に突き出すかもしれない。
ガタガタと手を震わせる麗ちゃんを見て、何だか哀れに思えてきた。
影でコソコソと嫌がらせをすることしか出来ない臆病な子だ、少し脅せばもう懲りるだろう。
「……いいよ会長、そこまでしなくても」
冬星は驚いてこちらを見た。
「……どうして?」
「うーん、学院から逮捕者が出たなんて噂は流したくないし、大事になって親に知られたら心配かけるし。でも……もし次やられたら、容赦しない」
こちらは全て分かってますよと言う含みを込めた視線で麗ちゃんの方を軽く睨むと、麗ちゃんはバツが悪そうに俯いた。
麗ちゃんが何も言わずに去った後、冬星は納得のいかなそうな顔をしていた。
「……いいのかよ、許して」
「あっ、ごめん勝手に。でも警察まで介入させるのは気が引けるし……本人も反省して辞めてくれたらそれでいいや」
「お前がそれでいいならいいけど。なんか不完全燃焼だわ」
冬星は思っていたよりも……なんなら被害を受けた私よりも憤慨していて、案外正義感の強い人なんだということが分かった。
まぁ私が辞めたら困るからっていうのもあるかもしれないけど。
「あ、でも教科書代とカフェ代は回収できなくなっちゃったね。それは私がいつか返すから……30万円くらいだよね、まぁなんとかなるか……」
30万円も大金のはずなのに、2000万円の借金をしてからなんだか安く見えてしまい、金銭感覚のズレが起きていて怖くなった。
「別に30万円ぽっちの出費でケチケチ返せなんて言わねーよ。それにお前が返すのはおかしいだろ」
「あのねぇ、自分で稼いだことないから分からないかもしれないけどっ、30万円稼ぐってすごい大変なんだからね?! それに冬星の警告を無視してノコノコついてった私の落ち度でもあるし……」
あの時、冬星や皆が複雑そうな顔をした理由をちゃんと聞いていればあんな事にならずに済んだかもしれないのに。
「お前まさか、俺が親のスネかじって家の金で贅沢してると思ってんのか?」
「えっ……違うの?」
「学院の資金運用はほとんど俺だ。まぁ家の手伝いってやつ。将来グループを継ぐ経験にもなるしな。その利益の一部が俺の収入」
「ええええぇー!? じゃっ、じゃあ……実質理事長?!」
冬星の仕事量がやたら多かったり生徒会にしては重たい仕事があるとは思っていたけど、まさか学院の運営までやっていたなんて。
「もちろん表向きの理事長は親父だけど。ちなみにお前が壊した像の2000万、俺のポケットマネーから補填してるから早く学校行事を盛り上げて返せ」
「高校生のポケットマネーで許されるのは100万までだよ……」
この学院では体育祭や文化祭、修学旅行などで学校行事を盛り上げることで更なる寄付金や売上金を集めている。
満足のいく学院生活なら寄付を出す、気に入らなければ寄付しない。
金持ちとはいえ不満のある学校に寄付なんてしないのだ。
つまり私の役目はかなり重要で、2000万円返済は私にかかっているというのは大袈裟じゃなかった。
「次は体育祭か。もちろんお前が盛り上げてくれんだろうな」
「はい……」
生徒会やら弁償やら嫌がらせやらと目まぐるしい日々に終われ、気がつけば5月半ば。
季節は初夏に入ろうとしていた。
「というわけで、今年の体育祭もガンガン人を観客を呼びこむぞ」
恒例の生徒会室、やけに張り切る冬星と手元の資料を交互に眺めた。
「会長やけに張り切ってますね……」
「まぁ体育祭は今期一番の稼ぎ時だから」
洸黄さんも呆れたように笑った。
この学院の体育祭は特殊で、保護者以外でも料金を払えば入場可能となっている。
冬星の校舎に入れる数少ないチャンスということで結構人気らしい。
「冬星にも体育祭があるんですね。ご令嬢の方とかスポーツやらないイメージでした」
「この学院は大企業の子息やお嬢様だけじゃなくて、有名スポーツ選手の子供なんかもいるの。オリンピック候補生も多いし、それ目当てで来る一般客も多いってわけ」
桃音さんの解説に納得。
確かにクラスにはメジャーリーガーの息子とか有名テニスプレイヤーの娘さんなんかがゴロゴロ在籍していた。
なんかもう日本の上澄みを掬ったような学院だな……。
「特に今年はオリンピック候補生なんかも多いし、集客が期待できるな」
「なんというかもう、小さいオリンピックですよね……」
一般の体育祭のイメージとは違い、全生徒が参加するわけじゃない。
陸上部や野球部、サッカー部、バスケ部など部活動生による試合を皆が観戦するという感じで、クラス対抗で何かをやったりということは無い。
「問題は部活動をしていない生徒が暇になるんだよな。おい、庶民の体育祭はどうなんだ」
「庶民言わないでくれる? まぁ私の中学ではクラス対抗でリレーとか借り物競争やってたな」
「……借り物競争?」
冬星は聞き慣れない言葉に首を傾げている。
「基本は普通の徒競走なんだけど、コースの途中で紙を一枚拾って、そこに書かれた物を用意してゴールしないといけないっていう競技だよ」
「書かれたものをどれだけ早く取り寄せてゴールできるか……つまり、財力勝負ってわけか」
「は?」
「なるほど、これは外商とのコンビネーションが重要なゲームっつーことだな!」
「お題は学校で用意できるものですよ??? そんな金に物言わす競技じゃないですって」
冬星と勇黄さんは訳の分からない勘違いをしている。
「うるせぇ! せっかく冬星でやるんだから普通にしてたらつまらねぇだろ! 借り物競争いいぞ、採用だ」
「私めちゃくちゃ不利じゃん」
と、そんなこんなで体育祭の準備は順調に進んだ――かと思われた。
「うーん、どうしよう」
「何かあったんですか、洸黄さん」
体育祭の準備を進めるため企画書の制作などをしていると、洸黄さんが一枚の紙を見て眉間に皺を寄せていた。
どうやら見ていたのは出場者リストらしい。
「それが……今年の女子空手部員が少なくて、試合時間がかなり短くなりそうなんだ。まぁ短くなったらなったで構わないけど……」
「じゃあ夏城が出ればいい。 確か一応有段者だろ。部員じゃなくてもエントリーは可能だし」
洸黄さんの説明を遮るように、冬星が呑気そうな声で言った。
「はぁぁぁぁ!? 待って無理無理無理無理! 相手は高校生最強とか大会優勝者ばかりだよ?! 高校入ってからほとんど手合わせやってない私じゃ相手にならないって!」
「まぁ負けても誰も笑ったりしねぇよ。やれ」
「いーやぁぁぁぁ」
空手部員のエントリー欄には、聞いたことのある道場の苗字を持つ人ばかりだ。
そんな中に私が入るなんて場違いすぎる、完全にアウェイ。
「ガラス像を素手で割ったお前なら一撃で沈められるだろ」
「空手ってそういう競技じゃないって……」
「うるせー! いいからやれ! 雑用命令だ!」
「あ〜もう分かった、出ればいいんでしょ出れば! 結果は期待しないでよね!」
経済的理由から道場は辞めたが、己を律する鍛錬は辞めていない。
まぁ数秒で負けるなんてことにならなきゃいいけど……。
バイトを終えて帰宅すると、珍しく帰りが早い母が夕飯を用意していた。
久々に甘ったるいお母さんのカレーの匂いがする。
「赤奈、おかえり」
「ただいまー。お母さん、私が着てた道着ってどこにしまった?」
靴を脱ぎながらそれとなく尋ねると、お母さんは鍋をかき混ぜる手を止めて驚いたようにこちらを見た。
そしてぱあっと嬉しそうな顔をするものだから、心が痛む。
「空手、また始めるのね?!」
「いや違うよ、体育祭の出場者が足りないから臨時でちょっと出るだけで……」
「そう……」
慌てて答えると、眉根を下げて寂しそうな顔をした。
「バイト減らして空手部に入ってもいいのよ?」
「うちの空手部は、そこらの強豪校とはレベル違うから! 無理無理」
お母さんは私が道場をやめてバイトに専念したのを気にしているのか、時々空手を再開しないかと進言していた。
でも私はその度に断っていた。
経済的理由もあるが、それ以上にあの男のせいで私は空手をやめたくなったのだ。
「じゃあ体育祭で赤奈の活躍をしっかり見なきゃね! あ、そうだお父さんにも連絡して……」
「やめて! もうお父さんじゃないから!」
スマホを持つお母さんの手首を掴んで、思わず声を荒らげていた。
お母さんはまた悲しげな表情をする。
しまった、こんな顔させたいわけじゃなかったのに。
「……あの人忙しいじゃん。日本にいるかすら分からないし。多分来ないよ」
あの男の動向はテレビをつけたら分かるけど、見たくない一心で避けていた。
昔好きだったアクション映画も、特撮ヒーローも長いこと観ていない。
あの男に繋がりそうなものは徹底的に断ち切っていた。
せっかく忘れかけていたのに、また今日思い出しちゃって最悪。
お母さんが私の好きな辛口じゃなくて、あの男の好きな甘口カレーを作っていたから。
結局、お母さんが"あの男"に連絡したのかは分からないまま体育祭当日を迎えてしまった。
何となく聞きづらかったし、どうせ来ないと思っていたから。
「うわぁ、すごい人の数……!」
陸上トラックや競技ドームには朝早いのに既にわらわらと観客が入り始めている。
「チケット代の売上も上々だな。桃音のSNS宣伝が功を奏したか」
桃音さんがSNSで宣伝してくれたおかげで人が集まり、今日だけでチケット代は100万を越える金額になったらしい。
有名な飲食店の簡易的な屋台なんかも出店していて、そこの利回りも入れたら300万の収益は下らないと冬星は推測している。
「俺は午前中バスケに出るから指揮はあまり出来ないが、サボらず働けよ」
「サボらないし! って……会長も競技出るの?!」
「冬星家は文武両道が基本だ」
言われて気がついたが、冬星はジャージの下にバスケのユニフォームを着ていた。
私は身体能力はあっても球技のセンスは無いから少し尊敬する。
私の今日の主な仕事は審判とスコアの集計だ。
奇しくも午前中のバスケの審判は私で、バスケットコートには冬星のファンが群がっていた。
「冬星会長〜!」
「バスケもできるなんて、さすがです!」
冬星はゴールからかなり離れた距離からゴールを見据えると、ボールを投げ入れる。
ボールは綺麗な弧を描き、ゴールへと吸い込まれていった。
「またシュートを決めましたわ〜!」
「しかもスリーポイント!」
冬星が声援に対して爽やかな笑顔で手を振ると、黄色い歓声が一層湧き上がる。
本当は短気で口が悪い男がこうも持て囃されていると思うと、何だか胸の奥に靄がかかる。
まぁ確かに、なんでもかんでも執事にやらせて普段全く動かないやつが汗を流してドリブルしてるところはギャップ萌えというか少しカッコイイ……かも?
普段人を馬鹿にして仕事押し付けてばっかだけど、真剣に取り組むこともあるんだなと感心した。
いや、普段から真面目にやれよって話ではある。
「あ、Aチーム勝ったー!」
「やっぱり冬星会長がいるとスリーポイントで稼げるからな」
試合終了のブザーが鳴り、冬星のチームが白星を上げたところで次のチームの試合へと移る。
「お前、ここの審判やってたのか」
「あーうん。今度はすぐに野球部の方行かなきゃだけど」
首にかけたタオルで汗を拭う冬星は新鮮だ。
いつも車で移動するし、生徒会室はエアコン完備だし、汗をかくくらい真剣に取り組んだんだろう。
なんて思いながら見てると
「な、なんだよ……」
私の視線に気がついたのか、怪訝そうな顔をされてしまった。
「いや、会長が真面目に取り組むところが珍しくて」
「俺はいつも真面目だろうが」
冬星は眉根を寄せて不服そうな顔をしたが、女の子に声をかけられてすぐに王子スマイルへと切り替えた。
なんか、さっきからずっとモヤモヤする。
この晴れない気持ちは一体何なのだろうか。
私は逃げるように審判を代わり、スケジュール通り野球部の方へと向かった。
午前中の部は観客の案内やアナウンスや審判で忙しく、昼前にはドッと疲労が祟っていた。
「とりあえず午前の部は終わりだな。生徒会室で昼食とるぞ」
普段は食堂を利用しているのだが、一般客も使えるよう解放している為、席の空きが少ない。
そこで私達は生徒会室で昼食を摂ることにした。
「おっ、来ると思っていたぜ」
生徒会室のドアを開けた瞬間、聞き覚えのある声がした。
忌々しい、ずっと忘れたいと願っていた憎むべきあの声が。
「久しぶりだなぁ、赤奈」
生徒会室のソファにふんぞり返る男。
中折ハットにサングラス、ストライプのテーラードジャケット。
男は相変わらず気取った格好をしていた。
「なに、夏城の知り合い?」
「……知らない」
「おいおい、知らないは薄情じゃねーの?」
どうしてここに、今更なにしに、なんで生徒会室に。
そんな疑問が湧き上がってくるが、恐怖で言葉にならない。
「あの、部外者の立ち入りは禁止で……え?」
冬星はサングラスの奥の目を見たのか、しばらく固まっていたが――。
「さっ……サマー?! 本物?!」
普段の冬星からは考えられないような声量で驚きの声をあげていた。
「えっ、嘘でしょ?! ハリウッドスターの?! サインください!」
「本物の緋川左巻が!? サインください!」
「誰かゲストで呼んだか!? サインください!」
「おっ、皆俺のファン? 嬉しいなー」
桃音さん、洸黄さん、勇黄さんもガタリと物凄い勢いで立ち上がる。
みんなちゃっかりサイン貰ってるし……。
「なんでここにいるの」
殺意を込めて鋭く睨めつけるが、男は臆することなく微笑んだ。
「何だよ、娘の体育祭を見に来ちゃ悪いかよ?」
「「「「むっ……娘ェェ?!?!」」」」
生徒会一同が裏返った声で叫んだ。
最悪だ、みんなにこの男との関係がバレてしまった。
「もう娘じゃない。帰って」
「なんだー? 久々に空手やるっつーから来てやったのに」
「誰も頼んでない」
「俺は頼まれた」
そう言ってスマートフォンを取り出し、お母さんとのLINEのやりとりの画面を掲げて見せる。
やっぱりお母さん、余計なことを……!
「まぁお前の出番は午後からみたいだし、ひとまず退散するぜ。また後でな」
「二度と来るな」
奥歯を噛み締めて睨みつけるが、男は飄々とした態度を崩さずに去っていった。
「う……うそだろ夏城ー!」
「サマーが、本物のサマーが……っ!」
勇黄さんと洸黄さん、桃音さんは興奮冷めやらぬ状態だし、冬星に至ってはほぼ放心状態だ。
金持ち校なら有名人なんて見慣れていると思ったのに、ここまではしゃぐとは。
「まさか……夏城の父親があのサマーだったなんて……」
「もう父親じゃないって言ってるじゃないですか!」
「まぁでも血の繋がりはあるんだろ?」
勇黄さんの一言を否定したいのに、否定出来ないのが悔しかった。
私にはクソみたいな男の血が流れているのだ。
「ねーねー、家でのサマーってどんな感じ?」
「やっぱ空手やってたのってサマーの影響?」
桃音さんと勇黄さんに詰め寄られて困っていると
「そのくらいにしておけ」
冬星が呆れた顔をして制止した。
「なんで? 蒼めっちゃファンじゃん。聞きたくないの?」
「聞きたくないと言えば嘘になるが、もう離婚してるんだ。言いにくいこともあるだろ」
冬星がそう言うと、桃音さん達もバツの悪そうな顔をして私を見た。
たぶん冬星は私とあの男の間に流れる不穏な空気を察して言ってくれたのだろう。
正直言いたくないことばかりなので助かった。
「ごめん……大ファンだから止めらんなくて」
「俺も……」
「えっ、あ、大丈夫ですよ! それより時間も押してるし、早く昼食とっちゃいましょう!」
気まずい空気を避けるように、私は荷物からお弁当箱を出した。
あの男が、来ている。
それだけで私は、いつもの私を見失っていた。
空手の試合直前。
あの男が観に来ているかもしれないと思うと震えて力が出ない。
道着に着替えて裏庭のベンチでぼーっとしていると、頭上に影が落ちた。
「……おい」
「かっ、会長!?」
見上げると、冬星がジトっとした目でこちらを覗き込んでいた。
「ぼけっとして醜態晒すなよ。生徒会の恥」
「出ろって言ったの会長でしょ」
「有段者の矜恃ってもんがねぇのかよ」
いつもの軽快なやりとりをしていると、なんだか動悸も落ち着いてくる。
胸の内で爆発しそうな何かを、私は冬星にぶつけることにした。
「……あの男が観てると思うと、力が出ない」
「あっそ」
「酷いんだ、あの人。金髪の美人女優と浮気してお母さんを捨てた」
「へぇ」
「お母さん、それでも愛しちゃってたから。私の学費だけ支払ってくれたらいいって。もっと慰謝料ぶん取れたのに、ほんとバカ」
せめてもの償いから分からないが、学費は大量の寄付金となってこの学院に支払われた。
冬星は聞いているのかいないのか気の抜けた返事しかしない。
でも、色々と同情されるよりは良かった。
「私は恋が出来なくなった。どんなに愛しててもいつか終わる。飽きて捨てられると思うと恋なんかできない。人を好きになるのが怖い」
お母さんは捨てられたって言うのにあの男に甘い。
雑誌に歌手や女優とのスキャンダルが載っても、悲しそうな顔をするだけ。
そんなに辛い顔をするくらいなら、私は恋なんかしない方がいいと思ってしまった。
愛や家族が美徳とされるこの世の中で、私一人が浮いている。
遠くで聞こえるホイッスルの音や観客の喧騒だけが沈黙の中を流れていく。
「そんなに後ろ向きに考えなくたっていいだろ」
冬星はぽつりと呟いた。
「世の中、お前の親父さんみたいな奴ばかりじゃねーし。少なくとも俺は、心から愛した女なら一生そいつだけを想って添い遂げる覚悟をする」
その言葉は、決して自分に向けられたものじゃないのに心臓が跳ねる。
冬星に愛される人は、少なくとも一生自分だけを愛してもらえるんだ。
少し、羨ましいと思った。
「今は親父さんのことを忘れろ。もし思い出しそうになったら、俺を思い出せ」
「なに……それ……」
イケメンにしか許されないセリフをサラッと言ってのけるもんだから、おかしくて笑ってしまう。
でもきっと、あの男のことを思い出しそうになったら冬星の顔が出てくるから、なんとなく大丈夫な気がした。
「ありがとう。行ってくる」
私は道着の黒帯をキュッと閉めてポニーテールを結び直し、会場へと向かった。
<冬星side>
――夏城赤奈の父親は、あのハリウッド俳優の緋川左巻だった。
その事実を知った時、今まで庶民だと散々バカにしてきたアイツが緋川左巻の娘でいたたまれなくなったとか、なんでハリウッドスターを父に持ちながらまともな生活費貰ってねーんだとか、色々と思考回路が絡まったが、なんとか事態を飲み込めた。
緋川左巻の大ファンだった俺としては、夏城のされた仕打ちの事実に少なからずショックを受けている。
スキャンダルは多々あったが決まった相手との結婚報道もなかったし、子供がいるという話や離婚報道も聞いたことがない。
まさか妻子を捨てて女優とスキャンダルを撮られるような男だとは思っていなかった。
恋ができないと呟く夏城が、酷く悲しげな顔をしていた。
映画の中では数多の女を虜にする緋川左巻も、スクリーンの外では一人娘にはこんな顔をさせるような男だった。
俺の勝ちだな。
俺ならこいつを捨てて、こんな顔をさせたりはしない。
……って、別に俺はこいつと結婚する訳じゃないけど。
「それではこれより、空手部門の第一試合を開始します。該当選手は前へ」
空手の試合が、遂に始まる。
ホイッスルと共に、審判の宣誓が剣道場に響き渡った。
夏城は精神統一をしているのか、目を瞑って深呼吸をしている。
「待って、あれ……緋川赤奈じゃない?!」
観客席の隣から聞こえた名前に、俺は思わず横を見た。
この学院の生徒ではない一般客の二人組の女が、夏城の方を見ながら喋っている。
「誰それ、有名人?」
「確か3年前の関東大会で女子部門3位の人だよ」
「3年前ってことは……えー、1年生の時?!」
「そう。上位2位名は3年生だけど、そこに1年で食い込んでるんだから相当すごいよ。それ以降は参加してないみたいだったから、空手やめたかと思ってた」
あいつがまだ"緋川"だった頃は、空手をしていたのだろう。
会話から察するに、中2年の時にはもう経済的理由か父親が原因か、空手部を辞めていたようだから、中2辺りで離婚したのかもしれない。
つーか緋川って本名だったのか……。
「蒼〜やっぱここにいた」
背後からの声に振り返ると、桃音と秋掘達がいた。
「やっぱってなんだ。お前ら仕事は」
「お前が夏城の試合見ないわけないだろうなって思ってさ。仕事は実行委員とかに押し付けてきた」
「俺も空手の試合観たいしね」
勇黄は勝手なことを言うし、俺の時は誰一人来なかったのに洸黄は試合を観に来るし。
「あ、始まった!」
秋堀兄弟に気を取られていると、桃音が焦った声で呟いた。
試合開始のホイッスルと共に、対戦が始まる。
両者しばらく見合った後、相手が先制攻撃を仕掛けた。
夏城はそれを見極めるや否や素早く躱し、相手の足元を崩す。
緋川左巻が映画で披露したアクションのような流れる動きを一瞬でやってみせた。
「うわぁ、技決まった!」
「早ぇ〜っ!」
「あの子何者??」
ドッと完成が湧き上がり、会場中が拍手に包まれる。
夏城は真剣そうな顔で相手を見据えると、一礼して退場していく。
普段の騒いでいるアイツからは考えられないような真剣さだった。
「やりぃ〜!」
「夏城かっけーぞ!」
真剣な夏城の横顔に見入ってしまい、桃音と勇黄の野次も耳に届かない。
「おっ、蒼〜見惚れてる?」
「はぁ? ……まぁ見事な技ではあったからな」
「そういう事じゃなくてさぁ……」
横から桃音がニヤニヤと下品な笑みを浮かべて小突いてくる。
俺が見ていたのは夏城の空手技であって別にあいつ自身のことなんか見ていない――はずだ。
<赤奈side>
なんとか第1試合、第2試合と勝ち進み、準決勝まで進出したところで先輩に負け、結局3位という結果に収まった。
目立ちすぎず生徒会の面子も下げず、まぁまぁな順位だろう。
「お疲れ」
「あ、洸黄さん。ありがとうございます」
道着から着替えて仕事に戻ると、飲み物を持った洸黄さんと生徒会の皆がわらわらとやって来た。
差し出されたスポーツドリンクを受け取って一礼する。
「中々やるじゃ〜ん! さすがサ……最強のSPね!」
「……ありがとうございます」
桃音さんは"サマーの娘"と言いかけたのだろう、不自然な間があった。
バレちゃったし、もうそこまで気を遣ってもらわなくても良いんだけど。
「何一安心してんだ。まだ借り物競争があるだろ」
「はいはい、分かってますよ」
冬星との会話もなんだか前より嬉しいというか、心が軽くなる気がした。
割と最近はこのくだらない会話が心の支えになっているのだ。
――借り物競争。
普通であれば校内にある本や道具等をいかに早く持ってくるか競う競技だが、この学院でのルールは違う。
「いいですか、皆さん! 借り物競争はクラスの財力を競う大事な競技! 外商とのコンビネーションが物を言う競技ですわ!」
「はいっ!」
違うんだよなぁ……という心の声も届かない。
つまりは高級品早取り寄せ合戦で、己の家の財力やコネ、交渉力を見せつける場面というわけだ。
「クラス対抗借り物競争、代表者は準備して下さい」
というわけで、半ば押し付けるように選ばれてしまった私は渋々前へ出た。
もちろんクラスのみんなで協力するから私の財力がゴミでも大丈夫ではある。
なるべく用意しやすいものが出ればいいんだけど……。
「それでは用意……始め!」
空砲の音と共に、選手たちが一斉に走り出す。
さすがアスリートの子息達なだけあってレベルは高いけど、なんとか3位をキープして借り物の書かれた紙を取る。
そこに書かれていたは――。
「ゆっ……有名ハリウッドスターァァ?!」
あまりにもタイムリーなお題に、もしや仕組まれたのではないかと疑うが……。
「誰か英国王室からティアラ借りて来てー!」
「マチュピチュ遺跡から石を一つ持ってこい?!」
「大統領の息子を連れてきて下さい〜!」
他のお題もかなり無理難題ばかりだった。
たかが体育祭の為だけに英国王室やら大統領やら遺跡を巻き込むなんて正気の沙汰じゃない。
「桃音さん、王室からティアラを手配したって!」
「冬星会長も遺跡から石をすぐに持ってくるそうよ」
「秋堀さんも大統領と繋がりがあるみたい!」
王室御用達ブランド社長の娘、世界中に支社を持つ有名財閥の息子、日本最高峰の政治家の息子。
とてもじゃないけど太刀打ちできない……。
「おっと、1年C組の借り物はハリウッドスターのようですね」
「セレブは忙しいですからね。ビバリーヒルズ辺りから引っ張って来ることができるのでしょうか」
「そして1年B組、英国王室からティアラを借りるという高難易度ミッションです」
「王室とのコネが鍵になりますね」
実況中継が私を急かす。
ハリウッドスター。
正直関わりたくないし、拒絶した私がこんな時だけ出てもらおうなんて都合が良いことできない。
けど……。
「まぁ、エドガーさんは撮影中ですの……?」
「トニーさんは今テレビ番組の生中継ですか」
「アリアさんはレコーディング中?」
クラスメイトのコネを持ってしても厳しいようだった。
たとえ人脈を持っていたとしても、ハリウッドスターのように多忙な人をいきなり日本へ連れてくるなんて至難の業だ。
この時間にフラフラとしているハリウッドスターは……。
「緋川左巻……」
観客席で人混みに紛れているであろう男を探す。