ストーリー☆
庶民ながら私立冬星学院に通う夏城赤奈は、生徒会長の冬星蒼を助けるために初代学長の像を壊してしまう。
像の弁償に必要な2000万を補填する為、腹黒生徒会長に"雑用係兼専属SP"としてコキを使われる羽目に……
キャラクター☆
夏城赤奈(なつじょう せきな) 雑用係兼専属SP
空手が得意で怪力がヤバい節約女子。
バイトを掛け持ちしており、料理や接客の経験は豊富。
冬星蒼(ふゆほし そう) 生徒会
冬星財閥の息子にして勉学・スポーツ万能な爽やか王子。
実態は口が悪く短気な男。
秋堀勇黄(あきほり ゆうき) 副生徒会長
蒼の幼馴染で有力議員の息子。
IQ500を誇る頭脳を持ち、生徒会の参謀役で蒼の右腕。
お調子者で熱血漢だが空気の読めない言動をする。
秋掘洸黄(あきほり こうき) 会計
勇黄の双子の弟。
兄と比べて卑屈な陰キャになっているが、そこそこハイスペック。
赤奈の扱いの酷さに同情し、優しくする唯一の良心。
垂春桃音(しだれはる ももね) 書記
有名ブランド・MOMOの社長を父に、スーパーモデルの母を持つ美人。
人気読者モデルを務め、親しみやすい性格だが自分より下と見た人間には冷たい。
全校集会後、私に向けられる好奇の視線は増えていく。
庶民なのにこの学院に入れた時点でも珍しいのに、生徒会に入るなんてますます目立つ。
羨ましいという視線半分、なにこの庶民という視線半分。
とりあえず放課後になると、視線から逃げるように生徒会室へと直行した。
「うひゃぁぁ……これが……生徒会室……!」
高級ブランドMOMOのソファやカーペットに大画面シアタースクリーン、冷蔵庫、シャワー室erc……。
生徒会のみが入室を許可されており、普段は会長が鍵を握っているので開かずの間となっている。
私の部屋よりも快適で綺麗だな……そりゃそうか……。
「放棄せずに来たようだな」
「そりゃまぁ……ね」
本当は逃げたいけど、日本トップの財力を誇る冬星を敵に回したらたとえ地球の裏側ブラジルに逃げたって連れ戻されるのがオチだ。
ド庶民で丸腰宿無しジャジャジャジャーンな私は従うしかないのだ、くわばらくわばら。
「よー蒼!待ったか?」
「お疲れ様です……」
「おはよ〜ってもう午後かぁ」
会長と話していると、ぞろぞろと3人の男女が入ってくる。
うわ、本物の生徒会だ……ファンに囲まれて滅多に見られないから有名芸能人にでも遭遇した気分になる。
「あ、こいつが今日の集会で言ってた"なんでも係"の……」
「はっ、はじめまして、夏城赤奈です!」
副生徒会長で全国模試トップ連続記録保持者の秋堀勇黄さん。
身長180cmに見下ろされながら、90度に腰を曲げる。
「まぁ"なんでも係"は表向きで、初代学長の像2000万の補填として"生徒会雑用兼専属SP"として使うことになった」
「えーっ、なになに?初代学長の像割ったの君なんだぁ? 度胸あるぅー」
「度胸って……わ、わざとじゃないんです!」
超人気読者モデルで書記の垂春桃音さんがこちらを覗き込むようにして笑っている。
今をときめく人気アイドルに引けを取らない顔立ち、読者モデルなのがもったいないよパリコレに出られる美貌とスタイルだよ……。
「災難だったね……」
そう小声で励ましてくれたのは、他3人の影で隠れがちだがバイオリンコンクールやピアノコンテストで優勝をかっさらっている秋堀洸黄さんだ。
卑屈で陰キャ(失礼)だが、地味に隠れファンが多い。
「つーか雑用係は分かるにしても、なんでSP? こんなヒョロっちいの役に立つ?」
「ヒョロっちいって……!」
勇黄さんが私を指さし、ヘラヘラと笑っている。
一応これでも空手の有段者だ。
まぁ確かにチンピラの相手くらいならなんとかなるかもしれないけど、命狙ってくるような輩の護衛には荷が重すぎる。
「一応こいつ見かけによらず握力学年1位のゴリラだし、吹っ飛んだ時の受け身の取り方からして格闘技経験者だと思った。なによりあのガラス像を素手で殴って傷一つで済んでるしな。SPといっても学園内のお遊びだし、危険人物と遭遇するなんてたかが知れてるだろ」
「ゴリラは余計じゃないかな???」
私が本気を出したらお前の腕の一本くらい簡単に潰せるんやで??
と言いたいのをこらえる。
「あたしたちの自己紹介はいいよね? 知ってるでしょ〜?」
「存じておりますとも……」
桃音さんは気さくな態度で接してくれた。
「あの、それで今日は……」
「じゃっ、この書類のまとめよろしく!」
「え?」
桃音さんは広辞苑か?ってくらいの紙の束を私に手渡すと、鞄を持って出口へと向かう。
「え、待ってください! 生徒会の仕事するんじゃ……」
「君雑用係なんでしょ〜? だったら私の代わりに書記やってよ」
「そうか、雑用係ってことは俺の仕事も受けてくれるってことだな! じゃあ副生徒会の仕事も頼む!」
「生徒会長の仕事も頼むわ。俺クルージング行ってくる」
「えーあたしも行っていい? 今日撮影もなくて暇でさ〜」
桃音さん、勇黄さん、そして冬星蒼の野郎も私に紙の束を渡して出口へ向かってしまう。
「お前も来いよ!」
「わ、兄さん?! 酷いだろ、彼女戸惑ってるだろ!」
助け舟を出してくれた洸黄さんに便乗し、私も何とか訴える。
「そうですよ、私今日来たばっかりでなんも分からないんですが???」
「ハンコ押してサインして目通して分かりやすいように纏めて」
ピシャリ。
頼みの綱だった洸黄さんも勇黄さんに引っ張られ、クルージングへと向かってしまう。
追いかけてくるなと言わんばかりに扉を強く閉められ、引き止めることもできずに立ち尽くすしか無かった。
「うわぁぁぁどうしよう!」
とりあえずハンコ押せるとこは押して、サインって?
これ偽造にならない??
適当に目を通してって言われてもこの資料フランス語なんですがどういうこと??
なんで生徒会の資料にフランス語なんかあるの???
なんてぐるぐる考えていた時だった。
「なんでも係さんいらっしゃいます〜?」
生徒会室をノックする声と共に、わらわらと生徒が長蛇の列を作る。
「廊下が汚くて困っています」
「学食のスイーツは飽きたのよ、何とかしてちょうだい」
「バスケ部のゴールが壊れたから治して〜」
「湯豆腐が食べたいですわ〜」
「ぎぇぇぇぇ!なにこれぇ?!」
ただでさえパニック状態なのに、追い打ちをかけるようになんでも係への依頼。
初日ということもあって興味本位でクッソどうでもいい悩みを依頼してくる。
特に最後のなんやねん湯豆腐が食べたいって。
「なんでも係は困ったらなんでも相談していいんじゃないんですかー?」
「こま……困ったらって……そういうのは執事さんや清掃員の仕事で……」
どう考えても掃除は学園が雇ってる清掃員の仕事だし、スイーツは自分で食べに行けばいいし、バスケ部のゴールも業者にやらさればいいし、湯豆腐は執事にでも頼めばいい、困り事でもなんでもない。
「生徒会も大したことないな」
「口だけなのね、所詮」
断ろうとすると生徒会を悪く言われてしまう。
このままでは明日辺りに会長に知られて
――やっぱりクビ、臓器売れ。
なんて言われるーーー!!
「わ、分かりました分かりました! やってやりますよこの私がぁぁぁ!!!」
まずは廊下掃除。
黒ずんだ床にはオキシクリーンを希釈して軽くブラシで擦る!
更に濡らした新聞紙を床に巻けばホコリを舞わせず掃除可能!
「す、すごい、一瞬で床がピカピカに……」
「掃除のバイトしてたことあるので」
次に学食のスイーツに飽きたお嬢様。
ケーキやパフェ類が充実したメニューだから、ここは一つフルーツピザを!
フワフワで少し甘いハート型の生地に酸味のあるフルーツにビターチョコソースで甘すぎない!
さらにカフェラテの3Dアートでインスタ映えも意識!
「まぁ、可愛らしいカフェラテに……これはフルーツのピザ……? 甘すぎずカフェにもピッタリだわ!」
「メイド喫茶でバイトしてたことあるので」
次はバスケットゴールの修理!
ドライバーでネジを外して錆びた金具を入れ替え!
錆止めを塗ってついでに保護剤を塗布して補強!ゴールネットのほつれも修繕!
「なっ、新品より綺麗に……」
「自転車屋の修理でバイトしてたことあるので」
最後は湯豆腐!
絹ごしと木綿で温度を分けて!ふわっと浮いたら食べ頃のサイン!
鍋は土鍋で、出汁は利尻昆布を1枚投入!
「あの料亭で食べた味を思い出します……」
「和食のファミレスでバイトしてたことあるので」
依頼を終えたら書類仕事!
会計の書記のメモはExcelを使って見やすく纏める!
フランス語の資料は翻訳アプリを使って八割解読!
会長の筆跡を真似して急いでサイン、ハンコは朱肉をたっぷり付けて一気に押印!
「うぉぉおぉおおぉぉぉっ! できたぁぁぁぁぁあ!!!」
生徒会の仕事と依頼人の仕事を全て2時間以内に捌き切ると、ギリギリになりそうなバイト先へと走って向かった。
蒼side
「昨日帰っちゃって良かったのか? 彼女、生徒会の仕事全然分からないのに……」
「こっちは金払ってるんだからそのくらいの仕事してもらわなきゃ割に合わねぇだろ」
心配そうにする洸黄に呆れながら、昨日のことを思い出す。
夏城赤奈。
一通り軽く身辺調査をしたが、まぁ平々凡々な家庭だ。
毎日バイトにあけくれて成績も平均、空手と身体能力自体は高いが球技やスポーツセンスはからっきし、芸術点も壊滅的。
とりあえず憂さ晴らしに仕事を押し付けてみたが、今日あたりにわんわん泣いて辞めたいと言い出すに決まっている。
そうしたらまぁ2000万円分うちの経営する会社の下っ端としてコキ使ってやるか、なんて考えながら校門をくぐっていると。
「なんだ? あの騒ぎ……」
やけに人だかりができていて、その中心には夏城赤奈がいた。
「はーい押さなーい、フルーツピザはまだあるんでー。私に学食一食分奢ってくれるならあげちゃいまーす」
「きゃー!ハート型、可愛い!」
「ラテアートもすごい!」
群がる女子生徒にパック詰めされたフルーツピザとラテアートされたコーヒーを渡し、代わりに学食を奢ってもらうという商売を始めている。
「うちの別荘も掃除してくれる?」
「学校外のことは業者さんに頼んでください……オススメの業者紹介するんで」
「家にあるサッカーゴールの方も修繕頼めますか?」
「私のバイト先紹介するんでそこで頼んでください」
「湯豆腐! 湯豆腐が食べたいわ!」
「レシピ教えるんでコックさんにでも頼んで貰えます? あぁこれ私のクックパッドアカウントです」
昨日の冷めたような生徒の反応から打って変わり、俺をも凌ぐレベルの人気者になっていた。
「おいおい、昨日の一日で何があったんだよ……」
少し遅れてやって来た勇黄と桃音も戸惑っている。
普段周りにいた俺達のファンが根こそぎアイツ……夏城赤奈に持っていかれている。
「あら、会長! 新入りの夏城さん素晴らしいですね! あんなに可愛いスイーツを作れるなんて!」
「廊下が一瞬でピカピカに……!」
「会長が夏城さんを生徒会に入れた意味が分かりましたわ! さすが人を見る目がありますわ」
やっと人が来たかと思えばこれも夏城赤奈の話でもちきり。
当の本人はボケーっとだらしない顔をしながら「湯豆腐はもう作りません」とか訳の分からないことをぼさいている。
「お、冬星に垂春! 昨日の書類なんだが……」
ちょうど校舎前を通った教師に呼び止められ、俺たち3人は振り向いた。
どうせ昨日適当に押し付けた書類に不備があったのだろう。
なにかあれば夏城のせいにでもするか、なんて思っていたら。
「いつもより見やすくデータもしっかり記載されたレポートになっているな! 君たちも生徒会入りしてまだ日は短いが、ここまで上達するとは。特に垂春の資料は前回より確実に良くなっている」
「なっ、昨日の資料は……!」
桃音は一瞬悔しげな顔をしたが、すぐに表情を整えて「ありがとうございます」と一礼した。
勇黄はへらへらと笑っている。
「へー、あの雑用係やるじゃん」
「うっざ。ちょっと庶民が雑用したらチヤホヤされて……調子づいてるだけでしょ」
「……ちょっとじゃ、ねぇだろ」
自然と拳に力が入る。
「昨日の資料は俺達4人が3日かけて出来る量を放課後全て的確に終わらせた。それに終わらず校内で謎のスイーツ&カフェラテブームを作り出してちゃっかり学食を奢ってもらって、黒ずんだ床を甦らせ、おまけにそれをバイト先の宣伝に繋げやがった。雑用を自分の利益にしやがった、アイツ」
悔しい、ただただ悔しかった。
俺はアイツより勉強ができる。スポーツもできる。芸術センスがある……けどそれが何かを生み出したり、人の役にたったことなんて一度もない。あそこまで学院を賑わせるなんて出来ない。
経験の差が、出た。
「おい、夏城赤奈」
教室へ向かう道中を歩いていると、こそこそと夏城が周りを警戒しながら不審な動きをしていた。
大方SPの真似事だとは思うが、それにしても不審者すぎる。
「お前完全に不審者だぞ、なにやってんだ」
「いやぁ、一応SPも兼任してるし、なにか危険がないか警戒を……あ」
なにかに気がついた夏城は上の方を見上げた。
視線を追うと、校舎前に体長3cm超の巨大な蜂が往来を飛んでいるのが目に入った。
周囲に悲鳴がどよめく中、蜂は俺の方へと向かってくる。
「冬星様〜! 逃げてください!」
「おい、なんでこっちに……あークソッ、早く業者を……」
「えい」
パ――――ン
「えっ」
「え?」
「え???」
夏城が石を軽く投げると、それは弾丸の如く蜂を撃ち落とした。
更に彼女は地に叩きつけられて羽をばたつかせている蜂を躊躇なく摘み上げると、「山へ還りたまへ」と山の王のような風格で蜂を校門から逃がす。
「あっ、冬星会長、今度はボールが……っ」
あっけにとられていると、次は俺目掛けて野球ボールが時速100kmで飛び込んでくる。
「危なーい!! うぉりゃぁぁぁぁ!!!」
そしてすかさず夏城は俺の前に庇うように立ちはだかると、素手で超豪速球を受け止める。
夏城の手から白い煙が立ち上る。
「会長、怪我は?!」
「それはこっちのセリフなんだが???」
「私は無傷だよ〜。バッティングセンターでバイトしてたことあるから」
「そうはならんやろ」
バッティングセンターでバイトしてるからって豪速球を受け止められるのとは全く関係ないだろと心でツッコミを入れる。
「お前、なんでそこまで……壊したのはお前とはいえ、借金を課した張本人を体張ってまで庇うのかよ」
「いやほら、一応お金もらってるからSPとしての責務は果たさなきゃなと……」
彼女はこともなげに言ってみせると、野球ボールを朝練していた野球部員の方へと投げ返した。
その球は時速100kmで弧を描き、野球部員のグローブへと収まった。
「なにこいつこわ…………」
俺、もしかしてとんでもない女を手に入れた……?
逆境とは、と聞かれたら、俺は"乗り越えるもの"と答える。
けれど彼女は違った。
「よっしゃー! これで当分昼飯代浮くわ〜助かる〜」
昼食の学食。
女子生徒の間でフルーツピザが話題になり、その恩恵で学食を奢ってもらっている。
金銭だと教師に見つかって退学処分を食らう可能性があるため、学食を交換条件に選んだ点も抜かりない。
「この際滅多に食えないステーキを!って恐る恐るリクエストしたらあっさり奢ってくれたし、それだけでいいの?と言われたので厚かましくデザートも頼んだらこれまたあっさり。貴族こわ」
「学内で勝手に商売しやがって……」
「まぁまぁ、金銭発生してないし〜これで道端の草を食べずに済むなぁ」
「マジでどういうこと??」
「よもぎの天ぷらで3日間凌いだ」
彼女曰く、母と弟にはちゃんとしたご飯を作るけど、彼女自身はそんな感じだったりする。
先に食べちゃったと言って誤魔化せば案外バレないらしい。
「酢飯に醤油とワサビでネタのない寿司食ったり、茹でたパスタにポン酢だけかけた貧乏飯とか、なんかもうずっとそんな感じ。肉とか久々すぎて泣く」
俺なら銀座の大トロ5枚乗せでも高級イタリアンパスタでも食おうと思えばいつでも食えるのに、こいつと来たら道端の草を天ぷらにして……。
確か夏城の母親は看護師で多忙、弟は留学が夢で遅くまで英会話教室に通っている。
父親に関しての情報は得られなかったが、養育費の支援もロクにしないのだから大した父親ではないのだろう。
「お前、自分の人生恨んだりしねぇの?」
「……は?」
夏城はステーキを飲み込みながら驚いた顔をしている。
「だからっ、自分の人生恨んだりしねぇのかって言ってんだよ。毎日色んなとこで働いて取り分は家族に渡して、残飯みたいな飯食って……! よくそんな状況でへらへらしてられんな。信じらんねー」
悔しかった。
金に困らない、趣味に時間もさける、恵まれた環境にいるのに敗北感を覚えたのが悔しくて、つい嫌味な言い方をしてしまっていた。
彼女はステーキを切る手を止めると、ぽつりと話し始める。
「私さ……餃子焼くのめっちゃ上手いんだよね」
「……は?」
脈絡のない話題に、結んでいた口がぽかんと開く。
餃子なんて今までの会話に一度も出なかった単語を出してきて、一体何が言いたいんだと怪訝に思っていると、彼女は続けた。
「バイトの経験のおかげで自転車も直せるしラテアートだってできるし、新聞配達で鍛えてるから足も速いし、料理も掃除も害虫駆除もプロ並み。私、昔は自転車壊しても直せなくて、お腹が空いたら泣いてお母さんに知らせて餃子作ってもらって、虫が出たらギャン泣きして大騒ぎ……でも今は全部自分でできちゃうんだよ、解決」
そう真っ直ぐ見据えられた夏城の瞳に、反射して俺が映った。
自転車も直せない、料理もできない、虫も触れない、何も出来ない情けない俺の姿が。
「私の人生マジでゴミだけど、逆境は乗り越えるものじゃない。利用するものだからね、私は! だから人生これで〜いいのだ〜♪」
いつの間にかデザートまで平らげていて、彼女は軽い足取りで皿を下げる。
突然目の間に現れた彼女の存在は、眩しすぎた。
赤奈side
放課後、思い足取りで生徒会室へ向かう。
今日も色々と雑用やらされるのかなーと思うと自然とため息がでる。
「こんにちはー……ってアレ?」
生徒会室の扉を開けると、冬星含め既に他のメンバーはパソコンや書類に向かって仕事をしており、私が入っても一瞥しただけでその手を止めずに続けている。
「みなさん今日はお仕事されるんですか?」
「ちょいちょい、あたしがいつもサボってると思わないでよね! あんたより的確に素早く終わらせられるんだから」
「え? あぁ、すみません……?」
確かに皮肉めいた失礼な言い方になってしまい、桃音さんの逆鱗に触れたらしい。
「気にすんな夏城! 昨日お前が作った資料がいつもより良いって先生に褒められて対抗心燃やしてるだけだからな!」
「勇黄、余計なこと言わないで!」
「え? あ、昨日の資料大丈夫だったんですか。私フランス語とか全然分からないからすごく心配で……」
冬星財団は日本だけでなく世界各地に姉妹校を設立して交流をしており、フランスはその中の一つ。
昨日の資料は交換留学の案内だったらしい。
「えー? フランス語も分からないとか終わってなーい? 海外の社交界では必須スキルだよ? まぁ所詮看護師の娘だから仕方ないかぁー」
「……所詮看護師?」
私はカバンを置く手を止め、何事も無かったかのようにパソコンを操作する桃音さんを見た。
キーボード音だけが響く。
「おい桃音!」
「なに洸黄、ムキになっちゃって〜事実言っただけじゃん。誰でもなれる仕事で給料だって大したことないし。あたしのパパとママは世界で知らない人はいないんだよ?」
桃音さんは綺麗な唇に弧を描いて、小馬鹿にしたような笑みを浮かべる。
私は拳を桃音さんに向けたい気持ちを抑え、何とか力の行き場を壁へと向けた。
ドン、と鈍い音が響く。
「確かに貴方のお母様とお父様は、たくさんの人に夢を見せる素敵なお仕事してます。でも、私のお母さんだって命を救ってるんです! 夢を守っているんです! どっちも素敵な仕事、でいいじゃないですか!」
「えー何? 雑用係の癖に説教するんだ? 昨日ちょっと褒められたからってちょづいてんでしょ〜? 壁ドンなんかしちゃって、野蛮でウケる」
「雑用とか関係ない!」
桃音さんはフレンドリーで親しみやすくて人気者。
だけど自分より下と見た人間に対しては何を言っても何をやらせてもいいと思っている。
だから底知れない怖さがある。
「はーもう、蒼〜、早くこいつ追い出してよ。気分悪〜い」
「……そうだな、俺もすこぶる気分が悪い」
「でしょでしょ?」
「そんな、会長まで……」
冬星は無表情でパソコンのキーボードを打ち込むと、高そうなカップに入ったコーヒーを啜った。
「つーわけで、出ていけ」
「おっ、そうこなくちゃ」
助けるためとはいえ私の負った借金を半額まで減額しようとしてくれたり私の事心配(?)してくれて、悪い奴じゃないかなって思ったのに!
冬星までそんなこと思うんだ……。
「……分かった、出ていく」
「それはないだろ蒼! 今のは完全に桃音が……」
「ありがとう洸黄さん……でも、もういいや」
洸黄さんが立ち上がって心配そうにしてくれているけど、私はふっきれた。
こんなとこでコイツの下につくくらいなら、臓器でも売った方が――。
「おい待て、なに出ていこうとしてんだ。サボる気か?」
「なっ……あんたが出ていけって言ったから……!」
こいつ自分が出ていけって言ったのに何言ってるの……!?
「俺は桃音に言ったんだよ、早とちりすんな」
「「……はぁぁぁぁ?!」」
私と桃音さんは、同時に声を上げた。
「看護師は少なくとも3年の大学入籍と国家試験をパスしなきゃなれない仕事だ。誰でもできるわけじゃない。つーか全国の看護師に謝れ」
「なにそれ……っ、蒼まで雑用係の味方するつもり?!」
「会長……」
うぉぉぉやっぱり我らが会長!
というか主語ちゃんと言えよな!!!紛らわしいわ!!
「追い出すなら不快だと思った方を追い出すに決まってんだろ」
「……もういい、あたしが出ていく。あたしの分の仕事やっといて。あんたの方が上手らしいし」
「わ、桃音さんー!?」
桃音さんはスクールバッグをひっ掴むと、早足で生徒会室をあとにした。
ガシャンとドアを力任せに占める音が響く。
「おーこわ。蒼〜怒らせちまったな? 後々面倒だぜ?」
「別に。別に間違ったことは言ってない。だろ?」
「そう、だけど……」
冬星に視線を向けられ、私は曖昧ながらに頷いた。
まさか冬星が味方してくれたなんて正直嬉しいけど、桃音さんと険悪な空気のままでは今後の生徒会の仕事に支障が出る気がしてならない。
「……私やっぱり桃音さんと話してくる!」
「ふん、今行っても逆上して拗れるだけだぞ」
「うるせー!!!話してみなきゃ分かんないでしょ!」
「おい! って足はやっ」
「桃音さん!」
私の脚力があれば女子高生1人付け回すくらい容易いのだ(犯罪)。
桃音さんは中庭の噴水の裏で座り込んでいた。
「なに? 嫌味でも言いに来たの〜? よかったじゃん、蒼に味方してもらえて」
「いやーアレを擁護する人はいないと思いますよ……」
「うるさいなぁ、もう! ほっといてよ!」
「ぐえっ」
桃音さんは私の顔面にスクールバッグを押し付ける。
窒息しそうだ。
「ぽっと出の新人と癖にあたしより良い資料作って日向先生に褒められやがって! 庶民の癖に、庶民の癖に〜〜〜っ」
「……日向先生……?」
聞き慣れない人名に首をかしげていると、桃音さんは痺れを切らしたように叫んだ。
「生徒会の顧問で学年主任の日向芽吹先生! 全校集会でいつも話してるじゃん!知らないの?」
「あーそういえばいた……ような……?」
「いたような? じゃないでしょ! 一目見たら忘れないでしょうよあんなカッコイイ人!」
「はぁ……」
つまりはあれだ。
ははーん、桃音さん、好きな先生が私の資料を褒めたから嫉妬してるんだな?
超人気読者モデルも一人の恋する乙女ってわけだ。
正直あの金持ち校にしては熱血でうるさくて野球部顧問みたいな教師の良さが私にはよく分からないけれど。
「日向先生が好きなんですか?」
「そーよ悪い? 将来あたしのパリコレを1番近くで見てくれるって約束したんだから!」
「い、いいと思います……」
「というわけで、貴方はもう今後一切日向先生に色目使わないで!」
「色目使うどころか会話もしたことないんですケド……」
日向先生には申し訳ないけど、つい最近まで存在すら忘れていた。
「あとあれ、別に本気でバカにした訳じゃないから。気に触ったなら悪いと思う。ただ私の方があなたより立場が上ってことは変わらないから、そこんとこよろしく」
桃音さんは言うだけ言うと、スクールバッグを持ってスタスタと行ってしまった。
「とりあえず日向先生に近づかなければ問題はナシ……か」
「遅いぞ」
生徒会室に戻ると、冬星が不機嫌そうにキーボードを叩いていた。
まぁ職務をほったらかしにしちゃったし、騒ぎも起こしたからそれはそうか……。
「あの……さっきはありがとう」
「別に。あいつとは話せたのか」
「うん。和解……とまではいかないけど、まぁ謝罪(?)はしてくれたから良かった」
「あの桃音に謝罪させるとかすごいな〜夏城」
勇黄さんは感心したように笑っている。
「これ、お前宛ての雑用の依頼。それと……」
冬星はいつの間に用意したのか依頼箱から紙を取りだし、それともう1枚別にバインダーを手渡した。
「これは?」
「来月から交換留学でフランス校の生徒が来る。その歓迎会のプランをお前に任せる」
「へ……? ええええぇ?! そんな、そんな大役を私が!?」
交換留学生のパーティーといえば、日本校のレベルを見せつける絶好の機会として盛大に行われている。
今まで散々私を無能だのバカ扱いしてきた冬星が私にそんな責任重大な役を押し付けるなんて!
「いやいやいや、むりむりむり!これは雑用の域を出てる! 今まで散々バカにしてきたのになんで……っ」
「うるせー!俺が雑用って言ったら雑用なんだよ!」
「横暴だーー!」
雑用係なんて所詮お茶汲みとか書類の整理とかそんな窓際のOLみたいな仕事しかないでしょって思ってたのに!
「いやー夏城お前大変な役に任命されちまったな」
「夏城さん、俺もできる限り相談に乗るから……」
他人事だと思って呑気に笑う勇黄さんと、哀れみの目で見る洸黄さんに両側から肩を叩かれた。
絶対に私に恥かかせて笑う気だこの人……。
「……言っておくが。面倒だから押し付けているわけじゃない。接客やもてなしの経験が俺より豊富で適任そうだから企画を任せた。これが成功した暁には、本来卒業までの雑用のところを2ヶ月早めてやる」
「え……」
意外にも冬星の指名は、意地悪ではなく私の能力を認めて期待してのものだったらしい。
恥かかせようとしてたなんて思ってごめんなさい……。
「まぁ失敗したらしたで笑い話になるからいいけどな」
前言撤回、やっぱ嫌だコイツ。
「……とはいってもなぁ」
フランスからの交換留学生への歓迎会の企画。
ここは無難に外国人向けに寿司パーティーとかでも喜ばれるとは思うけど、冬星がわざわざ私に頼むってことは"ありきたり"な案じゃダメなんだろうな……。
というか金持ち校の割に予算も多くはないし……!
「うーん……」
「おー夏城さん悩み事?」
「へ?」
居酒屋バイトの閉店間際、テーブルを片付けていると常連のお客さんに声をかけられた。
フランス人で留学に来たレオさんで、ここのたこわさを気に入って頻繁に来店している。
実際にフランスから留学した人に聞けばフランスの方が喜びそうなおもてなしが分かるかも!
「あの、確かレオさんフランスから来られたんですよね?」
「そうだよ〜」
「どうして日本に留学しようと思ったか聞いてもいいですか?」
勤務時間中ではあるが、業務に支障が出ないレベルであればお客様との雑談は店長も推奨している。
レオさんはうーんと頬杖をつきながら思案していた。
「別に日本の文化が大好き!とかそういうのはないんだよね僕。ただなんとなく日本って経済的に重要な国ってイメージあるから学んどいて損は無いかなって……たまにアニメを観るくらいかな」
「な、なるほど……」
交換留学生もみんながみんな日本が好きで来るってわけじゃない。
第二言語でたまたま選んだとか、希望した授業に落ちて仕方なく、とかそういう人もいる。
日本が好きってわけじゃない人でも楽しめるもの、かつ日本校でしかできないようなものにしないと……うーん……。
「あっ、でも日本のファッションには興味あるかな!」
「ファッション……ですか?」
「うん。例えば和柄とか原宿系とかロリータとか……あと制服とかね。クラシカルで上品なデザインも多いし、セーラー服なんてアニメでは定番だからとても人気だよ」
そういえば読んだ資料では、フランス校では入学式や卒業式などの行事以外ではあまり制服を着ていないらしい。
他の国の分校でもあったりなかったりとまちまちだ。
冬星学院は日本では京都、大阪、北海道等にもあるけど、実は地域によって制服が異なるのでバリエーションも広い。
大正時代に設立された当時は袴スタイルだったり学ランにマントがついていたりしていたらしいし、制服紹介とかしたら面白いかも!
「これだぁーーーっ!」
「へ?」
「ありがとうございますレオさん! おかげでいいアイデアが思い浮かびましたっ!」
「そう? ならよかったけど……」
私は頭の中で色々と考えながら、大急ぎでテーブルの片付けをした。
「「「ファッションショー?」」
「「しかも制服で?」」
「は、はいっ!」
翌日の生徒会。
4人集まったところで早速企画を発表すると、まぁ案の定怪訝そうな反応が返ってきた。
冬星の反応は神妙で、眉ひとつ動かさずに企画書を眺めている。
「着物や浴衣ならともかく! 制服とか誰得なわけ〜?」
「着付けも考えたんですけど……予算が足りなさそうなのと、着物は学校じゃなくても体験できますし、日本の学校でしか出来ない物の方がいいかなって。フランスで学生服は珍しいと聞いたので、きっと気に入ってくれると思うんです! 予算に余裕があれば試着イベントしたり、ネクタイやリボンをお土産に持ち帰って貰えればと」
どのみち留学生のサイズは東京校の制服着用で事前にサイズを集計するのでその辺も大丈夫なはずだ。
私がそう力説すると、桃音さんはふーんと興味なさそうに返してそれ以上は何も言わなかった。
「でも制服って言っても男女合わせて2つだけだろ?そんなのすぐ終わっちゃわね?」
「いや……全国の冬星の制服を合わせれば12にはなる。ジャージも加算すればそれなりに尺は稼げるだろ」
「それにですね、設立当初は袴とマント付きの学ランの制服もあったんですよ! 完全再現とまではいかなくても、ある程度再現したものを作って出したいです!」
「なるほどな……」
勇黄さんの疑問にも、私の意図を理解した冬星がフォローするように先回りして答えてくれた。
「レオさんに聞いたんですけど、アニメとかの影響で制服って結構人気らしいです!京都校のセーラー服とか学ランなんかは特に!」
「レオ? ……誰だそれ」
「あ、バイト先の居酒屋の常連さん。フランスから留学してる大学生で、昨日参考程度に話を聞いたの」
「あっそ」
「ひどっ」
冬星の方から話を振ってきたのに、返ってきたのは不機嫌な一言だけだ。
なんだよ興味無いなら最初から聞くな!
「けどランウェイはどうするの? ステージでやるとなると魅せ方が限られるし……」
「固定した机を並べてその上を歩いてもらおうと思ってます」
「へぇ、学生服のアピールにはピッタリだな」
洸黄君の疑問に対してもきっちり対策済みだ。
桃音さんはあくびをしながら面倒くさそうにしている。
「ま、頑張れー。期待してないけど。じゃ」
「それで、やっぱり最後のトリは桃音さんにキメてもらおうと思って」
「……はぁっ?!」
自分の名前が出てさすがに無視できなくなったのか、目を見開いてこちらを見た。
そしてドン、と高そうな机を躊躇なく叩く。
私だったらまた弁償物だよ……。
「あたしを巻き込むつもり?!」
「生徒会主催って書いてあるんで、てっきり桃音さんも出てくれるのかと……」
「嘘でしょ?! 聞いてないんだけど、ちょっと蒼!」
「こいつには企画を任せたってだけで、実行は俺達もやるに決まってんだろ。さすがに仕事しねーと教師から評価下がる」
「けど……っ、よりによってファッションショーとか……無理!」
桃音さんは頑なに出場を拒み続ける。
ファッションショー形式にしたのは、桃音さんを活躍させたら日向先生が桃音さんを褒めてくれるんじゃないかという下心もあった。
あわよくば『あなたのおかげだわ! これからは仲良くしましょう!』って感じに円満解決を狙ってたんだけど……現実はそう上手くはいかないらしい。
「日向先生にも見てもらいたんです。ランウェイで歩く桃音さんを、一番近くで」
「じょーだんじゃない! あたしが見て欲しいのはパリコレみたいな大舞台で輝くあたしだけ! こんなちっぽけで地味なステージを歩くあたしなんて見られたくない!」
「桃音さん……」
やっぱりこんな金持ち校で制服のファッションショーなんて地味でちっぽけなんだな……と落ち込んでいると。
「制服っていうのは、その学校の生徒であるという証明と誇りだ。一着一着大切にデザインされ、生地を選び抜いて作られ、歴史を重ねた最高傑作。それをアピールするのは、恥ずべきことでもなんでもない」
それまで興味なさげだった冬星が、擁護するように力強く言ってくれた。
やっぱり冬星はただ意地悪してるだけじゃなかったんだ!
「ふん、所詮制服は制服でしょ!」
しかし桃音さんはやっぱり納得していない様子だった。
結局企画は一応保留になり、その日の会議は終わった。
保留とはいってもモデルの割り当ても既に決められて話が進み、実質決定みたいなものだけど。
私は名古屋校のセーラー服を、冬星が学ランを、勇黄さんは大阪校の制服を担当。
残りは有志で集めたモデルに割振ろうということになった。
「洸黄さんは……」
「あぁ、俺はモデル不参加で。裏方でBGM担当するよ」
「コイツ人前に出るの嫌いだから」
洸黄さんもイケメンなのに勿体ないなと思いつつ、強要するのも気の毒なのでBGMを担当してもらうことにした。
最悪桃音さんも裏方で参加してもらえれば満場一致で企画が通るかもしれない。
本当はモデル経験の豊富な桃音さんの協力が得られれば大きいんだけど、本人がどうしても嫌なら仕方ない。
――どうしても嫌なら、だけど。
「お前、明日予定あるか?」
桃音さんのことを考えていると、唐突に冬星が尋ねた。
「明日? 午前中はバイト入ってるけど、13時からなら……」
「じゃあ家まで迎えに行く。時間通りに待ってろよ」
「えっ、なに? どういうこと???? 休日出勤???」
ついバカ正直に答えちゃったけど、どういうつもりなのだろうか。
休日まで雑用を押し付けようと言うのか冬星蒼……恐ろしいやつ!
翌日。
行き先を告げられていないので、どういう服を着ていけばいいのか分からない。
冬星のことだし、ドレスコードがあるような所だったらな……と悩みに悩んで結局青いワンピースにした。
弟が私の誕生日にお小遣いを貯めて買ってくれたものだ。
長い髪もアップにして、靴もヒールは低いけどパンプスを選んだ。
「もうすぐ13時だけど……」
玄関先でそわそわしながら待っていると、およそ住宅街には不釣り合いな黒光りしたリムジンが目の前に停まった。
うわ本当に来たよ……うちの住所バレてるし。
高級車で来るだろうなとは思ったけどリムジンとは、ほんと期待を裏切らないよ冬星。
「待たせたな。さっさと乗れ」
「……おじゃまします……」
ウィーンと開かれた窓から見知った顔が覗く。
執事らしき人が車のドアを開け、私はおずおずと震えながら足を踏み入れた。
土足で踏むのが躊躇われるほどふかふかな絨毯が敷かれている。
「この道狭すぎだろ、リムジンが通らねぇ」
「住宅街はバスやリムジンが通ることを想定していないよ……」
住宅が密集するこの地域は道が入り組んでいて、通れる道も限られている。
ヒヤヒヤしながらも、さすがプロ、大通りまで車を傷つけることなく抜け出した。
「それで、今日はどこに……」
冬星の服装を見る限りワイシャツにジャケット、ループタイと結構格式高そうだけど、冬星の場合はお坊ちゃんだからいつもこんな感じなのかもしれない。
「あれを観に行く」
冬星は窓の外に視線をやった。
目線の先には、ビルの巨大モニターに映し出された――桃音さん。
「MOMO's スプリングコレクション……?」
「桃音の親が経営するブランド、MOMOのファッションショーだ。丁度いいから歓迎会の参考しろ」
なるほど、本物のファッションショーを見て学べということか。
企画の押しつけは結構強引だったけど、ちゃんとフォローとサポートをしてくれる辺り割と良い奴かもしれない。
「桃音さんも出るの?」
「当たり前だろ。なんなら今回の主役と言ってもいい」
ファッション雑誌やおしゃれに疎い私でも名前は聞いたことがあるほど有名なモデル。
インスタのフォロワーは10万超えで、テレビにもちょくちょく出演している。
やっぱり学校の知り合いがそんな大物だなんて実感がわかない……。
「とりあえず控え室行くか」
「えっ、入れるの?」
「花を届けるって大義名分があれば平気だろ。それに俺はスポンサーだ」
いつの間に到着したのか、冬星はサラッととんでもないことを言いながら花束を持って車を下りた。
「……で。スポンサーの冬星はともかく! なんで貴方までいるわけぇ?」
控え室に行くと、スタイリストに髪をセットしてもらっている桃音さんがいた。
春らしい桃色の可愛いドレスに身を包み、胸元には桜のブローチが輝いている。
「SPを連れてくるのは当たり前だろ。問題でも?」
「学校限定のSPもどきでしょ! 休日まで引っ付いてる必要ある?」
「ほんとそうですよね。休日出勤分は弁償代を引いて欲しいです……」
「文句言うな、一般人は入れないショーに招待してやったんだぞ」
不満を言うと冬星に睨まれた。
何も言わずいきなり連れてきたくせに"招待してやった"という上から目線、やっぱコイツ好きになれねぇ。
「花置いたらさっさと出てってよね。本番前に来られると気が散る」
「すみません……。でも、本当に綺麗です。桃音さんが着てるからですかね」
背筋がピンと伸びていて姿勢がよく、お茶を飲む所作の一つにしても品がある。
だから服が綺麗に見える。
「当たり前でしょ? 主役はモデルじゃなくて、あくまで服なんだから。服を綺麗に魅せるのが、あたしの仕事」
そう不敵な笑みを浮かべる桃音さんは、"プロの顔"をしていた。
開始10分前になり、私と冬星は会場へ入った。
会場は観客で賑わっており、VIP席には有名デザイナーやブランド経営者がずらりと出席している。
一般席のシートとは違って、これまたMOMO手がける高級そうなソファが用意されていた。
「すっ、すごいVIP席……! 座っていいの?」
「お前はこれ」
「へ?」
そう言って冬星は、ソファの隣にひっそり置かれた、スポンジのはみ出たパイプ椅子を指した。
豪奢なソファとの対比が際立つみずぼらしさ。
「はぁぁぁぁ?!」
「なに当たり前にSPが同じ席に座れると思ってんだ。お前の資産なら一般席以下だ」
「いいじゃん席くらい……」
「やめろ、絶対に隣に来るな! 俺に近寄るな!」
冬星は私が隣に行こうとすると、顔を真っ赤にして頑なに拒み続けた。
どうやら怒りが湧くほど庶民の近くにいたくないらしい。
彼の庶民への扱いは分かっていたけど、こうも見下されるとその綺麗な顔面が崩れるほどぶん殴りたくなる。
「はいはい分かりましたよ……」
そうこうしている内に会場の照明が暗くなり、ランウェイだけが照らされ、英語や中国語(?)のアナウンスと共に春らしいクラシックのBGMが流れた。
明るさの中に少し別れの寂しさもある短調がバックで流れていて、春のファッションを体現している。
「すごい、音楽のおかげでテーマが分かりやすくなってる……選曲も考えなきゃなぁ。アナウンスはフランス語も入れてみよう」
「まぁ選曲は洸黄がやってくれんだろ。音楽に関してはあいつに任せれば間違いはない」
「そっか、バイオリンもピアノも作曲もできるもんね……」
洸黄さんは音楽に関しての才能があり、全校集会でも度々表彰されていた。
海外のコンクールでの優勝もあるのに、勉強のできる兄と比べて卑屈になっているのか根暗だと言われてしまっている。
今回のイベントは洸黄さんの凄さも周囲に伝えられたらいいな。
「わ、始まった……あの人テレビで見た事ある!」
「MOMOの威信をかけたショーだ、下手な新人や無名モデルは使わねぇ。桃音以外も有名所で固めてんだろ」
初っ端から有名モデルや俳優が入れ代わり立ち代わりランウェイを闊歩する。
高いヒールや厚底ブーツでも重心をブレさせることなく真っ直ぐに突き進み、スカートや裾のヒラヒラ捌きも美しい。
アナウンスではデザインの特徴や意味、製作者の想いが解説されるので退屈しない。
しかし、どのモデルさんも人形のように無表情だ。
「みんな無表情だね……」
「モデルは言わば"動くマネキン"。モデルが笑えば服ではなくモデル自身に視線がいってしまう。だからずっと無表情を貫いている」
「なるほど……」
無表情って、簡単なようでいて実は難しい。
確かに感情を出しちゃダメだけど、だからと言ってブスッとした感じになれば不機嫌にも見えてしまう。
無表情でありながらも服のイメージを下げないのがプロなんだ。
「そろそろ桃音の番か」
「え、もう?!」
ショーに魅入っていると時間はあっという間で、終わりの時間も忘れてしまうくらいだった。
「そして最後はやはり春の女王、垂春桃音!」
アナウンスと共にランウェイへ足を踏み入れる桃音さん。
カツカツとヒールで規則的なリズムを刻む。
折り返し地点で数秒ポーズを取った後、優雅にターンを決めてドレスを翻す。
「すごい……」
ただの桃色のドレスのはずなのに、まるでその身に桃の花を纏っているように錯覚してしまった。
「やっぱり私、桃音さんに制服を着てランウェイを歩いて欲しい……学院の誇りを背負う服だから、桃音さんに」
冬星は何も言わず、こちらを向くこともない。
相変わらずその無駄に良すぎる頭で何を考えているのか分からないけど、私をここに連れてきた意味は私にも分かった。
「桃音さんに恩を売ろうとか、平和な学園生活の為にとか、そういう打算をしていた自分が恥ずかしいと思うくらい、心からそう思ったの」
「ふん、さっさと帰る支度しろ」
相変わらず冬星のことは好きになれないが、嫌いじゃなくなったよ、多分。
ショー終了後、私と冬星は桃音さんに会うため控え室へ向かった。
片付けに追われるスタッフを横目に桃音さんを探す。
桃音さんは既に私服へ着替え終わり、荷物をまとめて帰る準備をしているところだった。
「桃音さん!」
「げっ」
声をかけると案の定嫌そうな顔をされたけど、それどころじゃない。
「あの……すごく綺麗で感動しました!」
「ありきたりな感想。媚び売って適当に言ってんでしょ」
「いやいやいや、本当に綺麗だと思ったんです! ドレスのひらひらが歩く度に舞い上がって、桃の花弁みたいに見えて……なんか上手く伝わらなくてすみません……」
本当はもっと綺麗だったのに、言葉で言い表そうとすると訳分からないことを口走ってしまう。
桃音さんは一瞬だけ、少し驚いたような顔をした。
「……あのドレス、パパがあたしの誕生日にデザインした物なの。桃の花をイメージして作った、って。私情だから表向きの理由は伏せてたのに、よく分かったね。ちゃんと見てたんだ」
いつもと口調は変わらないけど、声色から棘はなくなっていた。
「もちろんですよ! 会長は一瞬寝たりしてましたけど、私はちゃんとこの目に焼き付けてました!」
「おい言うな!」
「冬星あんたねぇ〜」
「うるせぇ、眠れてなかったんだから仕方ねぇだろ」
そういえば冬星の目の下に薄らとクマができている。
やっぱり御曹司って色々と忙しいんだろうな……。
「それより! お前、桃音に言うことあるんじゃねーの?」
「あ、そうだ、あの、桃音さん……」
話を逸らしやがったなと思ったが喉に飲み込んで、桃音さんの方を向いた。
「幕末の春に設立された冬星学院の制服は、桃色の矢羽模様の袴でした。今日のショーみたいに何千人の観客はいないし、ランウェイも机だし、大舞台じゃないけど……初代の制服は春の女王、桃音さんにお願いしたいです。お願いします!」
深く頭を下げる。目の前には床。
打算も策略も全て捨てた、心からの願い。
「あーもう、分かった分かった! あたしがやるよ、歓迎会のトリ。100年前の冬星の制服、まぁ着てやらんこともないわ」
「ほ、ほんとに……よかったぁぁぁ!」
願いが届いたのだろう、桃音さんは諦めたように笑った。
「んじゃ……話も纏まったし、さっさと帰るか」
「あたしもかーえろ」
眠そうに欠伸をする冬星と桃音さんは、さっさと控え室を出ていった。
それを追いかけて廊下に出ると、ふと一枚のポスターが目に入って――。
「あ、あのポスター……ッ」
"あの男"がいた。
一瞬、呼吸の仕方が分からなくなる。
鼓動が暴れて、脂汗が額に滲み出た。
「ポスター? あぁ、緋川左巻(ひかわさまき)主演のハリウッド映画ね」
「サマー、俺すげーファンなんだよな。なに、お前もファンなわけ?」
冬星に尋ねられたけど、喉が震えて上手く話せない。
ずっとずっと避けてきた"あの男"と不意に出くわしてしまって、気が動転していた。
有名人なんだから、うっかり目に入ることは珍しくないって分かっていたのに――。
「おい、どうしたんだよ」
「……ううん、前観た映画に出てる人だったから……」
最悪だ、最悪だ、変なもん見た。
もう見たくないと思って逃げてきたのに。
――私が恋をできなくなった原因の、あの男を。
「本当になんでもない。帰ろう」
ようやく普段の鼓動を取り戻して、私は廊下を歩いた。
それからというもの、ショーの準備やバイト、雑用に追われてあの男の事を考える暇はなかった。
校内から有志のモデルを集めたり予算の明細や領収書のファイリングなど大忙しで、余計なことを考えなくていいので少し助かった。
ほとんどの生徒が下校し、夕日が生徒会室を染める。
残っているのは私と冬星だけになった。
「あの、会長」
「あ?」
今日も歓迎会までの準備を終えたところで生徒会室に戻り、冬星に声をかけた。
相変わらず生徒会室では……というか私の前では口が悪く、いつも不機嫌そうな顔をしている。
「フランス語って話せたりする……?」
「当たり前だろ。国連の公用語にもなってんだぞ。親の付き添いで半年滞在してたこともある。それがどうした」
「えっと……日常会話とかフランスの文化を教えて貰いたくて。本で読んでも発音はよく分からないし……」
ネットの動画などを参考に自分で発音してみたり試しているのだが、それが本当に通じるのかはよく分からない。
分かる人に聞いてもらったり対話したりするのが一番だろうけど、身近にフランス語が分かりそうな人もいないと悩んでいたところに冬星がいた。
幼い頃から外国を飛び回っていたと聞いて、もしかしたらと思って声をかけたのだ。
「交換留学生は日本語クラスだ。日常会話程度は不自由しないだろ。文化の違いがあることも理解している」
「そういう問題じゃないよ! おもてなしするんだから、歩み寄りが大事って言うか……こっちも相手のことを知ろうと努力しなきゃ!」
「相手のことを知る……か」
冬星はそう言うと、私の方をじっと見た。
こんなに顔を真剣に見られたことがないので、どうしていいかわからなくなる。
えっ、なに、どういうつもり???
「いいだろう、教えてやる。しかしタダじゃない」
「なっ、金とんのか?!」
「こっちは金に不自由してねぇんだよ。欲しいのはお前の持つ情報だ」
「へ?」
庶民が聞いたら怒り狂いそうな一言は置いといて、こいつまた訳の分からないことを言い出した
「私の……情報???」
「お前が言ったんだろ。相手のことを知る努力をしろって」
「確かに言ったけど……え?」
「お前のことが知りたい」
少女漫画顔負けのセリフだったけどパニックで全然ときめかない。
おもてなしされるような人じゃないけど、と反論しようとする前に、冬星の方から答えが出た。
「お前ほど意味不明な女は取扱説明書がいるだろ。大方身辺調査で調べさせたけど、住所とか家族構成とか表面的なものに過ぎないし」
「な、なにそれいつの間に……っ」
ギリギリ犯罪なのでは?と疑いたくなるような暴挙をさらっと言ってみせた。
というか取扱説明書ってなに、西野○ナじゃねぇのよ。
「一問一答形式だ。テンポよく応えろ」
「えっ、もう?!」
冬星は眼鏡をかけると、私の情報が印字された紙を見ながら質問を始めた。
「空手を始めた動機は」
「戦隊ヒーローに憧れて……」
「現在やってるバイトは?」
「新聞配達とファミレスと居酒屋、遊園地の着ぐるみ、たまに空手道場の手伝い」
「持っている資格は?」
「空手二段と簿記2級、お好み焼き検定上級」
「……真面目に答えろ」
「いや、めちゃくちゃ真面目だよ」
なんだか面接みたいだな、と思いつつ受け答えをしていく。
「あー違ぇ、俺が知りたいのはこんなことじゃねぇ」
「じゃあ今までのは何だったの……」
冬星は頭を掻き回すと深く息を吐き、意を決したように私を見た。
視線がかち合う。
「お前……なんで寄付金ランキングに入ってる」
「……」
「身辺調査させても金の出処の情報が無い。お前……何者だ?」
私は言葉に詰まった。
冬星は何か怪しいものを疑うような目をしていた。
そりゃそうだ、貧乏な癖に寄付金のランキングには入っているのだから、何か不正をしていると思われても仕方がない。
誤解を解くには正直に全て話した方が近道なんだろうけどでも、ダメだな、言いたくないや。
あの男とはもう無関係でいたいから。
「会長……世の中には知らなくていいこともあるんですよ〜」
「答えたくないなら最初からそう言え」
もっと会長命令だー!とか言って無理矢理吐かされると思いきや、冬星は案外あっさりと引き下がった。
デリカシーの無い質問をしてきた自覚はあったらしく、意外にも申し訳なさそうな顔をしている。
割とそういうとこ、律儀なんだよなこの人。
「もういい、発音の確認だろ。さっさとやるぞ」
冬星は背もたれに寄りかかると、コーヒーを一杯飲み干した。
いつかされる質問だろうとは思ってたけど、あのまましつこく聞かれたらどうしようかと焦っていたので助かった。
「フランスでは最初のHは声を出さない」
「!?」
「発音の話だぞ」
「分かってますけど!!!???」
そしてとうとう当日。
「よしっ! 会場の設営完了! フランス語もちょっと分かるようになったし! 精一杯おもてなしするぞ〜っ!」
既にフランス人留学生は体験授業を回っており、クラブ活動や委員会活動の見学をしている。
生徒会メンバーも留学生の接待や歓迎会の指示で散らばっており、冬星が今何をしているのかも分からない。
早くステージで最終確認しなきゃなのに、教室の場所を尋ねられたり活動について質問されたりと大忙しだ。
流暢に日本語を話せる人もいたけど、伝わらない単語もいくつかあったのでフランス語を予習しておいて本当に良かった。
「って、そろそろ私も着替えなきゃ!」
歓迎会まで残り1時間を控え、私は講堂へと向かった。
舞台袖で衣装を着ようと制服を探していると――。
「ちょっと、どうするのよこれ!」
「わ、わ、なにごと?!」
奥の方から甲高い金切り声がして、私は急いで様子を見に行く。
トラブル無しで乗り切れるかと思ったのに、そうはいかないようだ。
「おい、どうした」
「嘘だろトラブルか〜?」
学ランに着替え終えた冬星と勇黄さんも合流し、声のする方へ向かう。
「桃音さん……?」
「あ、雑用係。ちょっとヤバいわこれ」
先程の怒鳴り声は桃音さんだったようで、眉根を寄せて険しい顔をしている。
既にヘアメイクも袴の着付けも終えているのだが――。
「し、シミが……」
袴の一面に巨大なコーヒーのシミができており、それはじわじわと桃色を侵食していた。
周りもざわつき始め、不穏な空気が流れていく。
「マネージャーがコーヒーこぼして衣装が台無し。ほんと最悪!」
「申し訳ございません! 本当にっ、申し訳ございません!」
「あんたクビね」
「も、もちろん責任は取らせて頂きます……申し訳ございません!」
ドトールのコーヒー片手に何度も頭を下げるショートヘアの女性。
床に混線する機材のコードを見るに、それに足を取られて引っ掛けてしまったのだろう。
というか学院のイベントにプロのマネージャー呼んだんだこの人……。
「桃音、火傷してねぇ?」
「アイスコーヒーだったからそれはへーき。だけど衣装が……」
勇黄さんが心配そうに駆け寄る。
怪我がなかったのは幸いだけど……。
「困ったな、開演まであと1時間もない」
冬星は高そうな腕時計で時間を確認すると、表側モードの口調で喋った。やっぱ気味悪い。
「フィナーレを飾る衣装でしたのに、どうしますのこれ……」
「マジでグダグダじゃん」
「なんでも係さ〜ん、どうしますぅ?」
人気モデル桃音の出場が危うくなったことで周囲の士気が下がり、やる気のない雰囲気になり始めた。
どうする、考えろ私。
クリーニング屋でバイトした経験を――ダメだ、どう足掻いてもこの大きさの染みを抜いて乾かしてアイロンがけまでする時間がもうない!
「そっちもダメ?! 専属クリーニングなんだからなんとか……それか似たような袴今すぐ用意を! 無理?!」
「会長……」
冬星もできる限りの人脈を使ってなんとかしようとしてくれているようだけど、やはり厳しいらしい。
これ以上冬星に頼るのもシャクだし、早く指示を下さなきゃ開演が遅れてしまう。 かくなる上は――。
「桃音さん……」
もう、これしかない!
「今の東京校の制服で、ランウェイを歩いてくれませんか」
「――はぁっ!?」
桃音さんは瞳孔を見開き、怒りからか小刻みに震えている。
「私に、この私に……っ、いつもとなんの代わり映えもない格好でランウェイを歩けって言うの!? それを日向先生に見せろって?!」
「そうです」
「あたしの気持ち分かってそれを……」
「モデルの仕事は!」
気がつけば、高ぶる桃音さんより大声で叫んでいた。
「モデルの仕事は……どんな服でも美しく魅せることなんじゃなかったんですか」
「っ!」
桃音さんの瞳が揺れる。
「このいつもの制服でも観客を見惚れさせる、そんな芸当をやってみせるのがモデルじゃないんですか!?」
私はわざと煽るように焚き付けた。周囲にどよめきが広がっている。
日向先生のことは正直よく分からないけど、桃音さんが好きになった人なんだ。
きっとドレスじゃなくても、袴じゃなくても、ランウェイに立つ桃音さんを悪く言ったりするような人じゃない……と思う。
「あーほんと……あたし忘れてた。普段の制服だって、あたしにかかれば最っ高のドレスになること!」
桃音さんは汚れた袴を脱ぎ捨てて肌襦袢になると、自分の制服を掴んで更衣室へと向かった。
なんとか着替え終わり、舞台袖で待機する。
フランス人留学生はもちろん、桃音のファンや興味を持った生徒もホールに集まり、観客は予想を超える入りだ。
「続きまして、冬星学院東京校による日本全国、冬星制服ファッションショーです!Vient ensuite le Fuyusei Uniform Fashion Show dans tout le Japon par Fuyuhoshi Tokyo School ! 」
司会は有名アナウンサーの娘さんで、幸いにもフランス語が堪能だった。
日本語だけじゃカバーしきれない解説も分かってもらえているようで、やっぱり翻訳して貰ってよかった。
「わ〜、あの制服アニメで見たことありマス!」
「本当にあれで学校に行ってるんだね」
「へぇ、イギリスの様式を取り入れているんだ」
「うちの学院ってあんなに沢山の制服があったのね」
「地域によって全然違うし、中等部と高等部でも違うのか」
留学生の皆さんだけじゃなくて、在校生にも好評なのは想定外だった。
普段何気なく着ている制服だけど、その誕生秘話はなかなか聞く機会はないからみんな興味があるようだった。
解説だけでなく、BGMのセンスもいい。
「BGMもすごい良いわ。京都校の古風なセーラー服と学ランにマッチしてる!」
「仙台校のは……津軽三味線のアレンジかしら?」
「さすが洸黄さん、センスあるなぁ」
放送機材を稼働中の洸黄さんには今日会ってないけど、なかなかいい感じの選曲だ。
「うわ〜うわ〜っ、いい反応が貰えてる! よかったぁぁぁ!」
「俺たちはまだ仕事が残ってるだろ、気抜くな」
舞台裏で喜びを噛み締めていると、邪魔するように冬星が背後からぬっと現れた。
「リハーサルみたいにヘマするなはよ」
「だ、大丈夫……だと……」
ダメだ、冬星が余計なこと言うから失敗した時のことを考えてしまう。
観客も想定より多いし、当然だけどみんなランウェイに注目してるし……。
やっぱり人前に出るの苦手だ……なんかみぞおちの辺りに圧迫感が、息苦しい、動悸が……。
「落ち着け」
突然頭の上にポンと手が置かれ、飛びかけていた意識が引き戻される。
冬星のゴツゴツした大きな手だった。
「ただ歩いて帰ってくるだけだ。桃音からアドバイス貰ったんだろ」
「……そうだね。できる」
身体に一本の軸を意識して、目線は真っ直ぐ、ランウェイの先。
太ももあたりに触れるか触れないか程度で腕を振る
そしてこのランウェイではモデルは笑顔!
「キャーッ、学ランの会長も素敵!」
「さすが冬星会長!」
「第二ボタンくださ〜い!」
同じく名古屋校の制服を纏って隣を歩く冬星の声援はいつもより3倍近く賑やかだ。
爽やかな営業スマイルで、何も知らない観客を熱狂させている……。
「わ、やばっ……!」
もうすぐ折り返し地点という所で、緊張のあまり足を捻りかけた、その時だった。
「うわっ!?」
強い力で腕を引っ張られ、手で腰を支えられたかと思うと、ふわりと重力が無くなったような感覚がした。
「きやあぁぁぁ冬星会長〜っ!」
「えっ、えっ、ええ?!」
女子の悲鳴のような歓声のような黄色い声が上がる。
そしてようやく自分がいわゆる"お姫様抱っこ"をされているという非常事態を飲み込んだ。
「しくじりやがって」
ボソリと耳元で呟かれた声は、甲高い声にかき消されて私以外には届いいていない。
結局、お姫様抱っこされたままランウェイを歩く(?)羽目になり、普通に転んだ時より恥ずかしくて死にそう。
女子からの妬みの視線も怖いし……。
「別に足は何ともないんだから普通に支えてくれるだけでよかったのに……」
「馬鹿、演出ってやつだよ。こっちのが盛り上がるだろ」
私を心配したわけじゃなくて盛り上げる為だったんだ……まぁ、そりゃそうだ、この男が庶民にそんな気の利いたことするはずない。
冬星は恥ずかしがる様子もなく淡々としていて、自分だけあたふたしているのが悔しい。
やっぱり社交界とかで女の子をエスコートする機会も多いみたいだし、女の子の扱いに慣れているんだろうか。
「あ、桃音さん!」
反対側の舞台裏から、桃音さんが歩いてくる。
見慣れた制服姿だけど、その姿は確かに"一流のモデル"だった。
桃音さんの登場に会場は湧き上がり、今まででいちばん大きな歓声が講堂を包んだ。
「日本の皆さん、素敵な歓迎パーティ、ありがとうございました」
「校舎を案内してくれたり、分からない時はフランス語で伝えようとしてくれて、とても助かりました」
「こちらの文化を知ろうとしてくれて嬉しいです!」
「リボンとネクタイ、私服にも使えるしとてもカワイーです!大切にします!」
「制服を通してこの学校の歴史が分かりました。良い勉強になったと思いマス」
歓迎会も終わり、留学生の方々からの感想も嬉しいものばかりで本当に良かった。
これならさすがの冬星も成功だと認める他ないだろう。
「おっ、生徒会諸君ー!」
舞台裏で後片付けを初めていると、不意に声をかけられた。
「日向先生」
学年主任及び生徒会の顧問であり、桃音さんの想い人であるその人がビニール袋を持って立っていた。
だるそうに衣装を片付けていた桃音さんの背筋が急にピンと張る。
分かりやすすぎるよ桃音さん……。
「頑張ったお前らにジュースの差し入れだ!」
「わ〜、ありがとうございます!」
ビニール袋の中には冷えた缶ジュースが5本入っている。
冬星はあたりまえのように先にビニール袋へ手を突っ込むと、迷わずグレープジュースを選んでプルタブを開けた。
せめて先に選んでいいかくらい聞かんかい!
「そういやこの歓迎会、新入りの"なんでも係"が企画したんだって?」
「あ、はい……」
「ほー、やるじゃん。案内スムーズだったし、ウチの魅力も伝わるいい企画だったぞ」
日向先生はサムズアップすると、白い歯を見せて笑顔を浮かべた。
生徒の功績はしっかり褒めて差し入れの気遣いもできる。
なるほど、桃音さんが好きになるわけだ。
とか思っていると、桃音さんから突き刺すような視線を頂いてしまった。
「桃音も良かったぞ! うちの制服を歩き方だけであれだけカッコよく魅せるとは、さすがプロ。弘法服を選ばず、だな!」
「お、お褒めに預かり光栄です……!」
普段の桃音さんからは考えられないような、借りてきた猫みたいな態度だ。
それだけ日向先生が特別なんだろうな。
そんなに異性を想えるって、私はできそうにないから少し羨ましいよ、桃音さん。
「んじゃ、俺は職員会議があるんでこれで」
「差し入れありがとうございました」
去っていく日向先生の背中を、桃音さんはずっと見送っていた。
「良かったね、桃音さん!」
「……あーあ、こりゃ庶民に一本取られたわ」
悔しそうな口調とは裏腹に、その顔は靄が晴れたような満面の笑みだった。
――歓迎会から数日。
お姫様抱っこ事件が思っていたより反響を呼んだようで、私の存在はただでさえ目立っていたのに更に目立つようになっていた。
今日も校門をくぐっただけで周囲の女子生徒が一斉に振り返る。
「一人だけ抜け駆けして会長にお姫様抱っこしてもらうなんて……!」
「そもそもなぜこんな方が生徒会に引き入れられたの?」
「こうなったら大量の雑用を押し付けましょうか」
ひぇぇぇ〜!
冬星ガチ恋勢の視線が怖すぎる……と怯えていると。
「はいはーい、睨まない睨まない! 怖い顔してると可愛いが逃げてくよー!」
「桃音さん!」
通りがかった桃音さんが声をかけると、女子生徒達はそれ以上は何も言えないのか曇った顔をして黙り込んだ。
「あ、ありがとうございます……」
「別にー。朝から険悪な空気だとこっちも気分悪いじゃん?」
あの歓迎会以来、桃音さんは庶民を引き合いに出すことはあるが、私への当たりはややマシになった。
といっても"この仕事やっといて"が"この仕事半分やっといて"に変わったくらいだけど。
「にしてもあの冬星がお姫様抱っことかウケる〜。他人にほとんど興味無い冬星がやたら気にかけるし、結構気に入られてるじゃない」
「あれはただの演出だし……うーん、庶民が物珍しいから絡んでるだけじゃないですかねぇ」
一応助け舟を出してくれたり企画のヒントをくれたりと面倒見いいところもあるけど、それば学院のためであって私自身がどうこうという問題でもない気がする。
一応企画を任されたってことは、少なからず認められてる……って解釈してもいいのかな。
――放課後。
「まずい、生徒会室に急がなきゃ〜っ」
先生に頼まれて荷物を資料室まで運んだり人体模型を直したりと、ついつい雑用を引き受けてしまい、気がつけば生徒会の集合時刻を過ぎていた。
とりあえず早く教室に戻って鞄を取ってから生徒会室に戻らなくては、と急ぎ足で教室に入る。
すると、そこには信じられない光景が広がっていた。
「なに、これ……っ」
破かれた教科書、水浸しのノート、折られたシャーペン。
誰もいない教室で、破られたページだけが風に舞っていた。
「うわ、現代文も物理も数Aも全部破られてる……」
鞄に入れていた教科書は全滅で、ノートも水をかけられたせいで文字が滲んで見えない。
シャーペンも使い物にならないし、全て買い揃えるとなるとかなり痛い出費だ。
ただでさえ弟の修学旅行代の積み立てや塾代で厳しい中、無駄な出費をお母さんに出してもらう訳には行かない……。
「ふざけやがって……」
ぐしゃりと破れたページを握りつぶす。
恐らく冬星ファンの妬みによる犯行とみてまず間違いない。
私の席を知っているということは、身近なクラスメイトの可能性が高い。
というか、単独犯と言うよりかは多分クラスの女子がグルになってるんだろう。
「どうしたらいいんだろう……」
「雑用係の癖に遅刻とは……いい度胸だなぁ?」
「にっ、日直の仕事とか先生に色々頼まれちゃって……!」
重い足取りで生徒会室に行けば、案の定遅刻を冬星に責められる。
正直もう生徒会に関わりたくない。
ただ嫌がらせを我慢するだけなら全然良いけど、物を壊されたり隠されたりが続けば出費がかさむ。
家族にだけは迷惑をかけたくないのに。
「とりあえず今日の雑用だ。馬車馬のように働け」
「はぁ……」
目安箱をひっくり返せば、両手で収まらないくらいの依頼。
こっそりバイトを増やして教科書を買おうと思ったけど、雑用をしてたらそんな暇ないや……。
この学院の教科書、1冊で2万はするんだもん……。
「お前さっきからなんなんだよ、陰鬱な顔して」
「それは会長の……っ」
会長のファンが嫌がらせしてくるからでしょうよ!と言いたくなるのを喉奥で潰して飲み込んだ。
もしこのまま雑用係の話が無しになってしまえば、現金で払えと言われるかもしれない。
「会長の横暴にまた耐えなきゃいけないと思うとこんな顔にもナリマスヨ〜……」
「横暴ってなんだ、本来即日2000万のところを十分特別扱いしてやって……」
「はいはい、その節はありがとうございます、感謝してますって」
実はまだ納得いってないけど。
「それじゃ、雑用行ってきまーす……」
もうやだ、教科書どうしよう。
誰に相談したらいいの、どうすればいいの、私何か悪いことしたの?
私はただ、みんなみたいに普通に学校生活を送りたかっただけなのに。
雑用係の雑用は、日に日に過激な物が増えていた。
依頼箱は匿名で投函できるから心無いものもあって、冬星は忙しいから弾く暇もなく私に手渡す。
トイレを素手で掃除してくださいとか、多分男子の(放送禁止用語)してください、とか。
さすがに(放送禁止用語)とか素手でトイレ掃除はやりたくないけど、まぁ普通にブラシでトイレ掃除をすることにした。
「はー……トイレ広すぎ」
さすが金持ち校、トイレだけで私の部屋の10倍はあるよ。
しかもドレッサー完備でなんかもうホテルみたい。
「あの……」
大理石の床にモップがけをしていると、背後から女の子の声がした。
「すみません、トイレなら今掃除中で……」
「いえ、違うんです」
振り返ると、つやつやにカールした栗色の髪と、ぱっちり大きな目が可愛い女の子が立っていた。
確か同じクラスで、親は大手製薬会社を経営する桜川麗(さくらがわ うらら)さん。
まるでお嬢様のお手本のような女の子に対して、ジャージでボサ髪でトイレ掃除をしているド庶民の私。惨めになる。
せめて性格が最悪であってくれ。
「あの、教科書……大丈夫でしたか?」
「ゔぇっ!?」
「すみません、教室に忘れ物を取りに行った時に破れた教科書や水浸しになったノートを見たものですから心配で……」
性格も優しい〜〜〜!!!
はいもう降参です、私の負け!!!握力以外全部私の負け!!
「えっと、教科書は大惨事だけどなんとかするよ。ありがとう」
といってもバイトを増やせる気配もないし、どうしたものか……と考えあぐねていると。
「あの、もしよろしければ、私が用意しましょうか?」
「……へ?」
「教科書がないと授業、困りますでしょう?」
桜川さんは眉毛を下げ、心配そうに尋ねる。
「えっ、いやでも……教科書1冊2万もするよ!? 全部で10万以上はするし、それを用意してもらうなんて……!」
「その代わりと言ってはなんですが、依頼を受けて頂きたいのです」
「依頼……そういうことなら!」
元々バイトを増やすつもりでいたし、交換条件の方が気も楽だ。
「それで依頼って……」
「あの……友達になって頂けないでしょうか?」
「え」
予想外の言葉に、私は言葉に詰まった。
もっと屋敷の掃除をしろとか1年間パシリになれとかそういうのを想像していたので、思いがけないお願いに聞き間違いを疑う。
「やはり厳しいでしょうか……?」
「いやいやいや、とんでもない! むしろその、そんなことでいいの……?」
もしや裏があるんじゃ……?!
この世の中、美味い話なんてそうそうない。
冬星みたいにめちゃくちゃ雑用させるとかマグロ漁船に乗せられるとか売り飛ばされるとか……!
「私、人とお話するのが苦手でなかなか友達が出来なくて……お金で買うようで心苦しいですが、お話し相手が欲しかったんです」
うるうると瞳を滲ませ、懇願するようにこちらを見つめる。
う、疑った私が悪かった、この目は真実を語っている。
「そうだったんだ……教科書のことがなくても、友達くらいなら別に……」
「いえ、私に用意させてください! 初めてできた友達ですもの、助けてあげたいです」
麗さんはそう言って桜も恥じらうような笑顔を見せた。
こんなに良い子と友達になれるなんて……教科書破れてよかったかもしれない。ありがとう人生。
<冬星side>
最近雇った雑用がなかなか使える。
あいつの雑用のおかげで生徒会の評判も上がっているし、歓迎会でも教職員から高評価を得られた。
最初は馬鹿力と根性を見込んで雑用に使おうと生徒会に引き入れたが、これが中々企画力もある優秀な雑用だった。
卒業後も、冬星が経営する会社の企画職へ引き入れるのも悪くないだろう。
あいつだって大企業の就職ができてWIN-WINだろ。
しかし、当の本人は最近何か思い詰めたような顔をしており、俺や生徒会を避けるようになった。
しかもやたらと遅刻が増えている。
「なんかあったんかねぇ、夏城」
ちょうどあいつのことを考えていると、勇黄が同じタイミングでぽつりと零した。
やはり誰が見ても夏城の様子がおかしいらしい。
「確かに最近俺ら避けられてるけど……」
洸黄も思い当たる節があるようだった。
「この頃遅刻も増えたしな。生徒会だっていう自覚が足りてないんだろ」
あいつは遅刻してまで俺に会いたくないのだろうか。
あームカつく、金出してやってるご主人様にその態度かよ、と苛立っていると。
「えっ、蒼知らないの?」
「……何を?」
桃音がパソコンのキーボードを打つ手を止めて驚いたようにこちらを見ている。
「あいつ女子生徒に嫌がらせされてんの。この前も教科書破られてたし、それで遅れたんじゃ……」
「は?」
「えっ?」
自分でも聞いたことの無いくらい低い声が出た。
夏城に対する苛立ちが、全て桃音の方へ向く。
「え、嫌がらせって……どういうこと?」
「ほら、この前の歓迎会で蒼がお姫様抱っこしたでしょ? それで冬星ファンの女の子が激おこでさ。教科書破られたりノートに水かけられたり嫌がらせされてたの」
洸黄の質問に、桃音は呆れたように答えた。
「は? お前、黙って見てただけなのかよ!?」
「人聞きわる。あたしが見たのは破られた後、教室で泣いてるあいつだけ。犯人がやってるとこは見てないから止めようがないでしょ」
桃音は悔しそうに唇を歪ませた。
「それに、もうあんたに相談してるかと思ったの! 蒼の権力ならすぐに犯人あぶりだして粛清してるかと思ったけど、まさか何も言ってないなんて……」
なんとなく、あいつは俺に相談しないなとは思った。
2000万の弁償を命じた時、真っ先に家族へ迷惑がかかることを危惧していたあいつのことだから、日頃から家族に頼るなんてことはしていないだろう。
せっかく見つけた有能な人材だ、このまま生徒会をやめるなんて言い出されたら困る。
生徒会をやめられたらクラスも違うあいつと接触する機会は無くなるだろう。
それはなぜか――嫌だった。
「おい勇黄……学年一のお前の頭脳を買って命令だ。犯人を突き止めろ」
「いーけど高くつくぜ〜?」
「報酬は突き止めてから言え」
勇黄は何やら謀ったように不敵な笑みを浮かべると、パソコンのキーボードを軽快に叩き始めた。
<赤奈side>
あの日以来、麗ちゃんはよく私に話しかけるようになった。
相変わらず影でコソコソ言われるけど、麗ちゃんがいてくれると思うと心が救われる。
「教科書、まだ用意できてないみたいなの。もう少しお待ち頂ける?」
「だ、大丈夫だよ!」
幸い麗ちゃんが教科書のコピーをくれたおかげで授業に支障はない。
冬星学院の教科書は特注らしく、用意するのに時間がかかるらしい。
「それで、よかったら明日の放課後お茶しませんか? 私、友達と帰りに寄り道したりするのが夢なんです!」
「それは……」
嬉しいお誘いなのに、つい返事に詰まってしまった。
麗ちゃんみたいなお嬢様の言う"お茶"ってやっぱり超高級喫茶展なのかな……私そんなにお金もってないけど払えるのか……?
と思っていたら、麗ちゃんが眉を下げて悲しそうな顔をした。
「やはり私とでは楽しくないですよね……」
「いやいやいや、そんなことないよ! いいよ、行こいこ!」
うん、お茶だけ飲んで帰ろう。
お茶ならせいぜい高くても一杯3000円程度で済むよね……。
そう言い聞かせ、私は承諾した。
この選択が大変なことになるとも知らず――。
翌日の放課後。
「うぉぉぉぉぉぉおおおぉぉ!」
私は生徒会室へ向かうと、鬼の勢いで仕事を終わらせた。
あと1時間で終わらせなければ麗ちゃんと遊ぶ約束に間に合わない。
「夏城さん、すごい勢いだけど何か用事でもあるの?」
「はい、この後クラスメイトの麗ちゃんとお茶する約束をしていて」
洸黄さんを圧倒する勢いでキーボードを打ち込み、資料を翻訳する。
すると、四人がハンコを押す手を止めてこちらを見た。
「まさか……桜川麗じゃねーよな?」
「え、そうだけど……勇黄さん、麗ちゃんのこと知ってるの?」
「知ってるも何も……」
勇黄さんの名前から麗ちゃんの名前が出ると、他の三人は戸惑いを隠せない表情をしている。
「夏城、なんで桜川と……」
「いやー川に落ちて教科書ダメにしちゃったところを、教科書代を出してあげるから友達にならないかって言われてさ。凄くいい子で、私としては教科書のことがなくても仲良くしたいくらいなんだけど」
冬星は複雑そうな顔をしていた。一体何、みんなどうしたんだろう……。
桃音さんも何か言いたそうにしてるし。
「やめとけ」
「え」
「だから、桜川麗に関わるのはやめておけ」
冬星は険しい顔をして言った。
その声は酷く冷たく、凍りつきそうなくらいだった。
「あの友達いない桜川麗だろ。良くない噂もあるし、関わらない方が賢明――」
「なに、それ」
冬星の言葉に、私は思わず机を叩いていた。コーヒーの水面が揺れる。
なんだかんだ学院のことを考えてる良い奴だけど、嫌いじゃなくなったけど、でも、こればかりは許せなかった。
「確かに麗ちゃんは人と話すのが苦手で友達が少ないかもしれないけど、凄くいい子だよ! 噂くらいで麗ちゃんのことを悪く言わないで!」
「これだから表面しか見てない奴は……裏があるに決まってんだろ」
「会長に言われたくない!」
自分だって爽やか王子の仮面を被って裏では庶民をコキ使う腹黒王様の癖に!
「おい夏城!」
「もう今日の仕事は終わったから、私は帰る。いいよね」
引き留めようとした冬星の手を振り払い、スクールバッグを持つ。
ちゃんと仕事を終わらせて出ていったので文句は無いはずだ。
「麗ちゃん、待たせてごめんね」
「いいえ、大丈夫よ」
正門までノンストップで走ると、既に黒塗りの高級車が停まっていた。
さすがに冬星みたいなリムジンではないけど、これも1台2000万以上する外国車だ。
私の弁償代って高級外車1台買えちゃうんだね……。
「私がいつも贔屓にしてるお店で、紅茶とザッハトルテがとても美味しいんです。是非夏城さんにも召し上がって頂きたくて」
「た、楽しみだな〜」
うわどうしよう、お嬢様が贔屓にしてるお店のザッハトルテなんていくらするのか検討もつかないよ……。
財布の中には一応1万円が入っているけど。
桜川さん奢ってくれたりするかな……いやダメだ、友達なんだからそんなこと考えちゃダメだ。
「あ、着きました」
「うっ、わ……」
ステンドグラスのドームに咲き誇るバラ園、美しい声で囀る小鳥。
およそ日本都内とは思えない庭園の中に、テーブルクロスのかかった席が。
「さ、参りましょうか」
麗ちゃんは慣れた様子で、執事さん(?)の案内を受けて席へと向かう。
制服の上にパーカーを着てスカート丈を短くしてルーズソックスを履いてる私、かなり場違い……。
「ご注文は」
「ザッハトルテとスコーンとマカロン、あとヴィクトリアケーキ。紅茶はダージリンのファーストフラッシュを」
「畏まりました。お連れ様は」
「えっ? あ、ザッハトルテと紅茶……ダージリンのセカンドフラッシュ……? で」
「畏まりました」
セカンドフラッシュとかファーストフラッシュってなに。
メニュー表に値段がないし……。
麗ちゃんは常連だから慣れた様子で注文していたけど、私は何も分からない。
なにこれ、高級寿司屋の時価みたいな?
「とてもいいところでしょう? 週末はここでお茶やお菓子を頂くのが楽しみなんです」
「すごい所だね。なんかお城の庭園みたいで……」
絵本のお姫様がティータイムをしているような、非日常な空間だ。
バラや芝生の手入れも行き届いていて、小鳥も多分野生じゃなくて血統書付きのなんかいいやつ。
「お待たせしました」
給仕さんがティースタンドに盛られたスイーツと紅茶をゆっくりと配膳する。
紅茶は目の前に置かれただけなのに香ばしい匂いが鼻腔をくすぐり、ザッハトルテも金箔が乗せられていて高級感がある。
ティーカップも高級ブランドのものだし。
恐る恐る紅茶を一口飲むと、香りと僅かな渋みが口内に広がった。
「すごい、いつも飲んでる紅茶と全然違う……」
「夏城さんのは、夏に摘まれるセカンドフラッシュですね。私の紅茶は春に摘まれるファーストフラッシュです」
「そっか、桜川さんにはピッタリだね」
やっぱりお嬢様だからか、ティータイムの紅茶に詳しい。
私はそもそも紅茶の茶葉に季節が関係あるとか全然知らなかった……。
「そういえば夏城さん、会長と親しくされていましたけど……仲がよろしいので?」
「えっ? いやいやいや、全然! バイトの経験を生かして生徒会に入らないかって言われただけで、友達とかじゃないから!」
冬星という名前が出て、少し動揺してしまった。
喧嘩中……というほどでもないけど、多分次会う時は気まずいだろうなと、おいしいケーキを食べているのに心が重くなる。
いやあれは冬星が悪い。
「でも、少し距離が近いのではないですか」
「……へ?」
温かみのある声色が急に少し冷たさを帯び、ゾクリと背筋が凍った。
「会長や私達はいずれ家の為に婚約し、社交界で生きていくことになります。異性と……ましてや家柄の釣り合いが取れていない方との距離が近くなるのは、迷惑になってしまうので気をつけられた方がよろしいかと」
「……え」
「あっ、すみません! でもこれは夏城さんの為でもあるんですよ?」
麗ちゃんはすぐに声色を元に戻すと、困ったように笑った。
なんだろう、今はすごく、笑顔が怖い。
「すみません、少しお手洗いに」
そう言って麗ちゃんは一礼すると、給仕さんに案内されて建物の裏の方へと入っていった。
麗ちゃんがお手洗いに行ってから中々帰ってこない。
アレだとしてもさすがに遅い……よね?
「麗ちゃんいつ帰ってくるんだろ……」
スマホを見ると、既に30分が経過していた。
そろそろ日も落ちてくるし、早く家に帰って夕飯の支度をしないといけないのに。
と思っていると。
「失礼ですがお客様、会計の方を」
「えっ、でも友達が……」
「ご友人なら先程体調が悪いとのことで先に帰られました」
「えぇー!?」
麗ちゃん体調が悪いから先に帰った??
それなら一言でも、LINEの一つでも連絡して欲しかったのに。
「お会計はこちらになります」
そう言って渡された革張りの伝票ホルダーを受け取り、私は印字された金額を三度見した。
ゼロの数がひとつ多いような。
「……あの、えっと、間違いでは?」
「いいえ、紅茶とザッハトルテ、ヴィクトリアケーキ、スコーン、マカロン、貸切料金で計78000円になります」
「ええええぇっ?! 貸切?!聞いてないですけど?! それに紅茶とザッハトルテは私ですけど、それ以外は麗ちゃんが……」
「そう言われましても、お連れ様はお帰りになられましたし……」
どうしよう、財布の中は1万ちょっとしかないのに!
麗ちゃんに電話をかけるも、電源を切っているのか着信は届かない。
「す、すみません、持ち合わせがないので一旦帰っても……」
「持ち合わせがない……? それは困りますね。失礼ですが、ご飲食は身の丈に合った場所でされた方がよろしいかと」
「なっ……」
こっちだってまさか、麗ちゃんが全部貸切にした上その料金を支払ってないなんて知らなかったんですけど!
自分の分は支払ってもいいけど、せめて麗ちゃんが注文したものは自分で払って欲しい。
わざと?天然?
なんか麗ちゃんに友達ができない理由分かったかも……。
「お支払いできないようでしたらご家族の方に来て頂くしかありませんね。電話番号を……」
「そ、それだけはできないです! 銀行まで行かせて貰えたらすぐにお金下ろしてきますから……」
「それでは困ります。クレジットカードがあるならそれでお支払いください」
「キャッシュカードしかないですって! 高校生がクレジットカード作れるわけないじゃん!」
どうしよう、家族に知られたらまた心配かけちゃう!
もうどうしたらいいか分からなくて目頭に涙が溜まりかけたその時だった。
「10万だ。釣りはいらない」
頭上からバサバサ音がしたかと思うと、諭吉がひらひらと宙を舞っていた。
「空からお金が降ってきたぁ?!」
「そんなわけあるか」
聞き覚えのある声に振り向くと、やはり――。
「か、会長?!」
呆れ顔の冬星が立っていた。
「78000円、確かにお預かり致しました」
給仕さんはそう言って一礼すると、あっさりと引き下がった。
冬星は私の手を強引に引っ張ると、リムジンへと押し込む。
私はなにがなんだか混乱したまま、流れるように乗せられた。
「会長、なんで……っ」
「桜川麗がよく利用する喫茶店。勇黄に調べさせた。来てみれば案の定ハメられたお前がいたってわけ」
冬星はそう言ってため息をついた。
「ハメられた……ってことは、やっぱりアレわざとなの?」
「当たり前だろ。桜川麗――お前の教科書を破った犯人だ」
「そんな?!」
いきなり告げられた一言に、一気に頭が混乱する。
そもそも冬星には教科書が破られたなんて言っていないはずだ。
「待って、私、教科書破られたなんて言ってないよね?! それになんで麗ちゃんが犯人だって……」
「桃音が教科書を破られたお前を見てるんだよ。それに鑑識が教科書の切れ端から採取した指紋が、桜川麗の私物から検出されたものと一致した」
「待て待て待て待て」
桃音さんが報告したのはいいとして、指紋採取ってなに??
たかだか嫌がらせの調査に鑑識を動員させたの??
「指紋採取??? 鑑識?」
「秋堀家御用達の捜査員だ。腕は確かだからな」
「えっっぐ……」
秋堀家は有力な議員を多数排出している名家だし、事件に巻き込まれることもあるから捜査員がいるんだろうけど、わざわざ私の為に動員させるなんて申し訳が無さすぎるよ……。
「じゃあ麗ちゃんに関わるなって言ってたのは……」
「あいつが犯人だと思っていたから。まぁ指紋採取の結果が分かる前の段階だったからハッキリ言えなかったが、俺はちゃんと引き止めたぞ。それをまんまと策略にハマって……」
「あの言い方じゃ分からないって!」
冬星が麗ちゃんと関わらない方がいいって言ってたのは噂だけじゃなかったんだ……。
「ほら、これ」
「へ?」
冬星は白い無地の紙袋を私へ突き出した。
受け取れってことなのかと戸惑いながら紙袋を覗くと、そこには新品の教科書とノートが入っていた。
「これ……っ」
「どうせ桜川から受け取ってないんだろ。まぁ、ありがたく使え」
「う、受け取れないよ! これ一冊2万もするしっ、今日だって代金支払ってもらっちゃったのに……」
「もう買ったものは仕方ないだろ。俺に教科書2冊持てってのか?」
「あ、ありがとう……ううっ……」
「なっ、何も泣くことねーだろ?!」
教科書のこと、支払いのことが一気に解決した安堵からか、心のボルトが緩んだかのように涙が溢れ出す。
「また借金増えた……会長が金持ちだからって甘えて……本当にごめんなさい……」
「もういい。どうせ今回の発端は俺だろ。嫌がらせの件は俺が何とかするから、生徒会やめるとか言うなよ」
「……いいの?! 会長に迷惑かかるかもしれないのに……」
「雑用係を失う方が痛手だからな。卒業まで2000万分きっちり働いてもらう」
今回の件でてっきりもうやめさせられるかと思ったけど、冬星は想定以上に私のことを高く買ってくれていたらしい。
「お前の家着いたぞ……相変わらずボロいな。本当にこんなとこ住んでんのかよ」
「うるさい……ありがとう」
「別に」
冬星は無表情で一言だけそう言うと、執事さんにドアを閉めさせた。
住宅街に不釣り合いなリムジンを見送る。
代金支払ってくれたこととか、教科書よりも、冬星が私を必要としてくれていることが一番嬉しかったよ。
翌日学校に行くと、正門前に麗ちゃんが立っていた。
「ごめんなさい、昨日急に体調が悪くなって帰ってしまって……スマートフォンの充電も切れていたので連絡できなかったんです」
「そう……」
「お金はどうされたんですか? 後でお返しします。大した金額じゃありませんしお支払いできましたよね?」
「何とか、ね……」
支払いをわざと押し付けたくせに白々しいな……。
でも本性を全く悟らせない天使の笑みで、冬星を信じるって決めたのにまた疑いたくなる。
いきなり『あなたが教科書破りましたよね。もう関わらないでください』なんて言い出す勇気もなくて、ただただ頷くしかない。
さて、どうしたものかとぐるぐる考えていると……。
「おはよう、夏城さん」
聞き慣れていて、それでいて不気味に爽やかな声。
表モードで笑顔の冬星が立っていた。
「オハヨウゴザイマース」
「会長……! おはようございます!」
麗ちゃんはやっぱり冬星のファンなのだろう、声を弾ませキラキラした目で冬星を見ている。
冬星、割り込んで一体なにするつもりなんだ……。
「君は確か……桜川麗さん、だよね?」
「は、はい! 会長にお名前を覚えて頂けてるなんて光栄です!」
「ふふ、ありがとう」
腹黒い二人が互いに本性を隠して微笑みあっている図は不気味だ。
麗ちゃんは冬星の本性に気付いていないようだけど。
「そういえば最近、夏城さんが嫌がらせを受けているみたいなんだ。何か知らないかな?」
「あ……教科書を破られたりノートを濡らされたりしたのは見ましたが……」
麗ちゃんは少し動揺を見せたが、すぐに困ったような笑みを浮かべて取り繕った。
「そうなんだ、困ったなぁ。そんな卑劣なことをする人間がいるなんて……許せないよね?」
「っ!」
冬星は笑顔の中にドス黒く冷ややかなオーラをわざとチラつかせて、周囲にも分かるように牽制している。
「あ、指紋が出れば器物損壊罪で訴えることもできるなぁ」
「しも……っ?! そっ、そんな大事にしたら学院の評判に傷がつくのでは……」
「いじめを見て見ぬふりする方が評判下がるからね。犯人が分かり次第警察に突き出そうと思っているんだ」
"警察"という単語に、麗ちゃんはついに震え上がった。
桜川家のご令嬢が警察の厄介になったなんて周囲に知られたらとんでもないことになるだろう。
冬星は脅しのつもりだったかもしれないけど、ヒートアップして本当に警察に突き出すかもしれない。
ガタガタと手を震わせる麗ちゃんを見て、何だか哀れに思えてきた。
影でコソコソと嫌がらせをすることしか出来ない臆病な子だ、少し脅せばもう懲りるだろう。
「……いいよ会長、そこまでしなくても」
冬星は驚いてこちらを見た。
「……どうして?」
「うーん、学院から逮捕者が出たなんて噂は流したくないし、大事になって親に知られたら心配かけるし。でも……もし次やられたら、容赦しない」
こちらは全て分かってますよと言う含みを込めた視線で麗ちゃんの方を軽く睨むと、麗ちゃんはバツが悪そうに俯いた。
麗ちゃんが何も言わずに去った後、冬星は納得のいかなそうな顔をしていた。
「……いいのかよ、許して」
「あっ、ごめん勝手に。でも警察まで介入させるのは気が引けるし……本人も反省して辞めてくれたらそれでいいや」
「お前がそれでいいならいいけど。なんか不完全燃焼だわ」
冬星は思っていたよりも……なんなら被害を受けた私よりも憤慨していて、案外正義感の強い人なんだということが分かった。
まぁ私が辞めたら困るからっていうのもあるかもしれないけど。
「あ、でも教科書代とカフェ代は回収できなくなっちゃったね。それは私がいつか返すから……30万円くらいだよね、まぁなんとかなるか……」
30万円も大金のはずなのに、2000万円の借金をしてからなんだか安く見えてしまい、金銭感覚のズレが起きていて怖くなった。
「別に30万円ぽっちの出費でケチケチ返せなんて言わねーよ。それにお前が返すのはおかしいだろ」
「あのねぇ、自分で稼いだことないから分からないかもしれないけどっ、30万円稼ぐってすごい大変なんだからね?! それに冬星の警告を無視してノコノコついてった私の落ち度でもあるし……」
あの時、冬星や皆が複雑そうな顔をした理由をちゃんと聞いていればあんな事にならずに済んだかもしれないのに。
「お前まさか、俺が親のスネかじって家の金で贅沢してると思ってんのか?」
「えっ……違うの?」
「学院の資金運用はほとんど俺だ。まぁ家の手伝いってやつ。将来グループを継ぐ経験にもなるしな。その利益の一部が俺の収入」
「ええええぇー!? じゃっ、じゃあ……実質理事長?!」
冬星の仕事量がやたら多かったり生徒会にしては重たい仕事があるとは思っていたけど、まさか学院の運営までやっていたなんて。
「もちろん表向きの理事長は親父だけど。ちなみにお前が壊した像の2000万、俺のポケットマネーから補填してるから早く学校行事を盛り上げて返せ」
「高校生のポケットマネーで許されるのは100万までだよ……」
この学院では体育祭や文化祭、修学旅行などで学校行事を盛り上げることで更なる寄付金や売上金を集めている。
満足のいく学院生活なら寄付を出す、気に入らなければ寄付しない。
金持ちとはいえ不満のある学校に寄付なんてしないのだ。
つまり私の役目はかなり重要で、2000万円返済は私にかかっているというのは大袈裟じゃなかった。
「次は体育祭か。もちろんお前が盛り上げてくれんだろうな」
「はい……」
生徒会やら弁償やら嫌がらせやらと目まぐるしい日々に終われ、気がつけば5月半ば。
季節は初夏に入ろうとしていた。
「というわけで、今年の体育祭もガンガン人を観客を呼びこむぞ」
恒例の生徒会室、やけに張り切る冬星と手元の資料を交互に眺めた。
「会長やけに張り切ってますね……」
「まぁ体育祭は今期一番の稼ぎ時だから」
洸黄さんも呆れたように笑った。
この学院の体育祭は特殊で、保護者以外でも料金を払えば入場可能となっている。
冬星の校舎に入れる数少ないチャンスということで結構人気らしい。
「冬星にも体育祭があるんですね。ご令嬢の方とかスポーツやらないイメージでした」
「この学院は大企業の子息やお嬢様だけじゃなくて、有名スポーツ選手の子供なんかもいるの。オリンピック候補生も多いし、それ目当てで来る一般客も多いってわけ」
桃音さんの解説に納得。
確かにクラスにはメジャーリーガーの息子とか有名テニスプレイヤーの娘さんなんかがゴロゴロ在籍していた。
なんかもう日本の上澄みを掬ったような学院だな……。
「特に今年はオリンピック候補生なんかも多いし、集客が期待できるな」
「なんというかもう、小さいオリンピックですよね……」
一般の体育祭のイメージとは違い、全生徒が参加するわけじゃない。
陸上部や野球部、サッカー部、バスケ部など部活動生による試合を皆が観戦するという感じで、クラス対抗で何かをやったりということは無い。
「問題は部活動をしていない生徒が暇になるんだよな。おい、庶民の体育祭はどうなんだ」
「庶民言わないでくれる? まぁ私の中学ではクラス対抗でリレーとか借り物競争やってたな」
「……借り物競争?」
冬星は聞き慣れない言葉に首を傾げている。
「基本は普通の徒競走なんだけど、コースの途中で紙を一枚拾って、そこに書かれた物を用意してゴールしないといけないっていう競技だよ」
「書かれたものをどれだけ早く取り寄せてゴールできるか……つまり、財力勝負ってわけか」
「は?」
「なるほど、これは外商とのコンビネーションが重要なゲームっつーことだな!」
「お題は学校で用意できるものですよ??? そんな金に物言わす競技じゃないですって」
冬星と勇黄さんは訳の分からない勘違いをしている。
「うるせぇ! せっかく冬星でやるんだから普通にしてたらつまらねぇだろ! 借り物競争いいぞ、採用だ」
「私めちゃくちゃ不利じゃん」
と、そんなこんなで体育祭の準備は順調に進んだ――かと思われた。
「うーん、どうしよう」
「何かあったんですか、洸黄さん」
体育祭の準備を進めるため企画書の制作などをしていると、洸黄さんが一枚の紙を見て眉間に皺を寄せていた。
どうやら見ていたのは出場者リストらしい。
「それが……今年の女子空手部員が少なくて、試合時間がかなり短くなりそうなんだ。まぁ短くなったらなったで構わないけど……」
「じゃあ夏城が出ればいい。 確か一応有段者だろ。部員じゃなくてもエントリーは可能だし」
洸黄さんの説明を遮るように、冬星が呑気そうな声で言った。
「はぁぁぁぁ!? 待って無理無理無理無理! 相手は高校生最強とか大会優勝者ばかりだよ?! 高校入ってからほとんど手合わせやってない私じゃ相手にならないって!」
「まぁ負けても誰も笑ったりしねぇよ。やれ」
「いーやぁぁぁぁ」
空手部員のエントリー欄には、聞いたことのある道場の苗字を持つ人ばかりだ。
そんな中に私が入るなんて場違いすぎる、完全にアウェイ。
「ガラス像を素手で割ったお前なら一撃で沈められるだろ」
「空手ってそういう競技じゃないって……」
「うるせー! いいからやれ! 雑用命令だ!」
「あ〜もう分かった、出ればいいんでしょ出れば! 結果は期待しないでよね!」
経済的理由から道場は辞めたが、己を律する鍛錬は辞めていない。
まぁ数秒で負けるなんてことにならなきゃいいけど……。
バイトを終えて帰宅すると、珍しく帰りが早い母が夕飯を用意していた。
久々に甘ったるいお母さんのカレーの匂いがする。
「赤奈、おかえり」
「ただいまー。お母さん、私が着てた道着ってどこにしまった?」
靴を脱ぎながらそれとなく尋ねると、お母さんは鍋をかき混ぜる手を止めて驚いたようにこちらを見た。
そしてぱあっと嬉しそうな顔をするものだから、心が痛む。
「空手、また始めるのね?!」
「いや違うよ、体育祭の出場者が足りないから臨時でちょっと出るだけで……」
「そう……」
慌てて答えると、眉根を下げて寂しそうな顔をした。
「バイト減らして空手部に入ってもいいのよ?」
「うちの空手部は、そこらの強豪校とはレベル違うから! 無理無理」
お母さんは私が道場をやめてバイトに専念したのを気にしているのか、時々空手を再開しないかと進言していた。
でも私はその度に断っていた。
経済的理由もあるが、それ以上にあの男のせいで私は空手をやめたくなったのだ。
「じゃあ体育祭で赤奈の活躍をしっかり見なきゃね! あ、そうだお父さんにも連絡して……」
「やめて! もうお父さんじゃないから!」
スマホを持つお母さんの手首を掴んで、思わず声を荒らげていた。
お母さんはまた悲しげな表情をする。
しまった、こんな顔させたいわけじゃなかったのに。
「……あの人忙しいじゃん。日本にいるかすら分からないし。多分来ないよ」
あの男の動向はテレビをつけたら分かるけど、見たくない一心で避けていた。
昔好きだったアクション映画も、特撮ヒーローも長いこと観ていない。
あの男に繋がりそうなものは徹底的に断ち切っていた。
せっかく忘れかけていたのに、また今日思い出しちゃって最悪。
お母さんが私の好きな辛口じゃなくて、あの男の好きな甘口カレーを作っていたから。
結局、お母さんが"あの男"に連絡したのかは分からないまま体育祭当日を迎えてしまった。
何となく聞きづらかったし、どうせ来ないと思っていたから。
「うわぁ、すごい人の数……!」
陸上トラックや競技ドームには朝早いのに既にわらわらと観客が入り始めている。
「チケット代の売上も上々だな。桃音のSNS宣伝が功を奏したか」
桃音さんがSNSで宣伝してくれたおかげで人が集まり、今日だけでチケット代は100万を越える金額になったらしい。
有名な飲食店の簡易的な屋台なんかも出店していて、そこの利回りも入れたら300万の収益は下らないと冬星は推測している。
「俺は午前中バスケに出るから指揮はあまり出来ないが、サボらず働けよ」
「サボらないし! って……会長も競技出るの?!」
「冬星家は文武両道が基本だ」
言われて気がついたが、冬星はジャージの下にバスケのユニフォームを着ていた。
私は身体能力はあっても球技のセンスは無いから少し尊敬する。
私の今日の主な仕事は審判とスコアの集計だ。
奇しくも午前中のバスケの審判は私で、バスケットコートには冬星のファンが群がっていた。
「冬星会長〜!」
「バスケもできるなんて、さすがです!」
冬星はゴールからかなり離れた距離からゴールを見据えると、ボールを投げ入れる。
ボールは綺麗な弧を描き、ゴールへと吸い込まれていった。
「またシュートを決めましたわ〜!」
「しかもスリーポイント!」
冬星が声援に対して爽やかな笑顔で手を振ると、黄色い歓声が一層湧き上がる。
本当は短気で口が悪い男がこうも持て囃されていると思うと、何だか胸の奥に靄がかかる。
まぁ確かに、なんでもかんでも執事にやらせて普段全く動かないやつが汗を流してドリブルしてるところはギャップ萌えというか少しカッコイイ……かも?
普段人を馬鹿にして仕事押し付けてばっかだけど、真剣に取り組むこともあるんだなと感心した。
いや、普段から真面目にやれよって話ではある。
「あ、Aチーム勝ったー!」
「やっぱり冬星会長がいるとスリーポイントで稼げるからな」
試合終了のブザーが鳴り、冬星のチームが白星を上げたところで次のチームの試合へと移る。
「お前、ここの審判やってたのか」
「あーうん。今度はすぐに野球部の方行かなきゃだけど」
首にかけたタオルで汗を拭う冬星は新鮮だ。
いつも車で移動するし、生徒会室はエアコン完備だし、汗をかくくらい真剣に取り組んだんだろう。
なんて思いながら見てると
「な、なんだよ……」
私の視線に気がついたのか、怪訝そうな顔をされてしまった。
「いや、会長が真面目に取り組むところが珍しくて」
「俺はいつも真面目だろうが」
冬星は眉根を寄せて不服そうな顔をしたが、女の子に声をかけられてすぐに王子スマイルへと切り替えた。
なんか、さっきからずっとモヤモヤする。
この晴れない気持ちは一体何なのだろうか。
私は逃げるように審判を代わり、スケジュール通り野球部の方へと向かった。
午前中の部は観客の案内やアナウンスや審判で忙しく、昼前にはドッと疲労が祟っていた。
「とりあえず午前の部は終わりだな。生徒会室で昼食とるぞ」
普段は食堂を利用しているのだが、一般客も使えるよう解放している為、席の空きが少ない。
そこで私達は生徒会室で昼食を摂ることにした。
「おっ、来ると思っていたぜ」
生徒会室のドアを開けた瞬間、聞き覚えのある声がした。
忌々しい、ずっと忘れたいと願っていた憎むべきあの声が。
「久しぶりだなぁ、赤奈」
生徒会室のソファにふんぞり返る男。
中折ハットにサングラス、ストライプのテーラードジャケット。
男は相変わらず気取った格好をしていた。
「なに、夏城の知り合い?」
「……知らない」
「おいおい、知らないは薄情じゃねーの?」
どうしてここに、今更なにしに、なんで生徒会室に。
そんな疑問が湧き上がってくるが、恐怖で言葉にならない。
「あの、部外者の立ち入りは禁止で……え?」
冬星はサングラスの奥の目を見たのか、しばらく固まっていたが――。
「さっ……サマー?! 本物?!」
普段の冬星からは考えられないような声量で驚きの声をあげていた。
「えっ、嘘でしょ?! ハリウッドスターの?! サインください!」
「本物の緋川左巻が!? サインください!」
「誰かゲストで呼んだか!? サインください!」
「おっ、皆俺のファン? 嬉しいなー」
桃音さん、洸黄さん、勇黄さんもガタリと物凄い勢いで立ち上がる。
みんなちゃっかりサイン貰ってるし……。
「なんでここにいるの」
殺意を込めて鋭く睨めつけるが、男は臆することなく微笑んだ。
「何だよ、娘の体育祭を見に来ちゃ悪いかよ?」
「「「「むっ……娘ェェ?!?!」」」」
生徒会一同が裏返った声で叫んだ。
最悪だ、みんなにこの男との関係がバレてしまった。
「もう娘じゃない。帰って」
「なんだー? 久々に空手やるっつーから来てやったのに」
「誰も頼んでない」
「俺は頼まれた」
そう言ってスマートフォンを取り出し、お母さんとのLINEのやりとりの画面を掲げて見せる。
やっぱりお母さん、余計なことを……!
「まぁお前の出番は午後からみたいだし、ひとまず退散するぜ。また後でな」
「二度と来るな」
奥歯を噛み締めて睨みつけるが、男は飄々とした態度を崩さずに去っていった。
「う……うそだろ夏城ー!」
「サマーが、本物のサマーが……っ!」
勇黄さんと洸黄さん、桃音さんは興奮冷めやらぬ状態だし、冬星に至ってはほぼ放心状態だ。
金持ち校なら有名人なんて見慣れていると思ったのに、ここまではしゃぐとは。
「まさか……夏城の父親があのサマーだったなんて……」
「もう父親じゃないって言ってるじゃないですか!」
「まぁでも血の繋がりはあるんだろ?」
勇黄さんの一言を否定したいのに、否定出来ないのが悔しかった。
私にはクソみたいな男の血が流れているのだ。
「ねーねー、家でのサマーってどんな感じ?」
「やっぱ空手やってたのってサマーの影響?」
桃音さんと勇黄さんに詰め寄られて困っていると
「そのくらいにしておけ」
冬星が呆れた顔をして制止した。
「なんで? 蒼めっちゃファンじゃん。聞きたくないの?」
「聞きたくないと言えば嘘になるが、もう離婚してるんだ。言いにくいこともあるだろ」
冬星がそう言うと、桃音さん達もバツの悪そうな顔をして私を見た。
たぶん冬星は私とあの男の間に流れる不穏な空気を察して言ってくれたのだろう。
正直言いたくないことばかりなので助かった。
「ごめん……大ファンだから止めらんなくて」
「俺も……」
「えっ、あ、大丈夫ですよ! それより時間も押してるし、早く昼食とっちゃいましょう!」
気まずい空気を避けるように、私は荷物からお弁当箱を出した。
あの男が、来ている。
それだけで私は、いつもの私を見失っていた。
空手の試合直前。
あの男が観に来ているかもしれないと思うと震えて力が出ない。
道着に着替えて裏庭のベンチでぼーっとしていると、頭上に影が落ちた。
「……おい」
「かっ、会長!?」
見上げると、冬星がジトっとした目でこちらを覗き込んでいた。
「ぼけっとして醜態晒すなよ。生徒会の恥」
「出ろって言ったの会長でしょ」
「有段者の矜恃ってもんがねぇのかよ」
いつもの軽快なやりとりをしていると、なんだか動悸も落ち着いてくる。
胸の内で爆発しそうな何かを、私は冬星にぶつけることにした。
「……あの男が観てると思うと、力が出ない」
「あっそ」
「酷いんだ、あの人。金髪の美人女優と浮気してお母さんを捨てた」
「へぇ」
「お母さん、それでも愛しちゃってたから。私の学費だけ支払ってくれたらいいって。もっと慰謝料ぶん取れたのに、ほんとバカ」
せめてもの償いから分からないが、学費は大量の寄付金となってこの学院に支払われた。
冬星は聞いているのかいないのか気の抜けた返事しかしない。
でも、色々と同情されるよりは良かった。
「私は恋が出来なくなった。どんなに愛しててもいつか終わる。飽きて捨てられると思うと恋なんかできない。人を好きになるのが怖い」
お母さんは捨てられたって言うのにあの男に甘い。
雑誌に歌手や女優とのスキャンダルが載っても、悲しそうな顔をするだけ。
そんなに辛い顔をするくらいなら、私は恋なんかしない方がいいと思ってしまった。
愛や家族が美徳とされるこの世の中で、私一人が浮いている。
遠くで聞こえるホイッスルの音や観客の喧騒だけが沈黙の中を流れていく。
「そんなに後ろ向きに考えなくたっていいだろ」
冬星はぽつりと呟いた。
「世の中、お前の親父さんみたいな奴ばかりじゃねーし。少なくとも俺は、心から愛した女なら一生そいつだけを想って添い遂げる覚悟をする」
その言葉は、決して自分に向けられたものじゃないのに心臓が跳ねる。
冬星に愛される人は、少なくとも一生自分だけを愛してもらえるんだ。
少し、羨ましいと思った。
「今は親父さんのことを忘れろ。もし思い出しそうになったら、俺を思い出せ」
「なに……それ……」
イケメンにしか許されないセリフをサラッと言ってのけるもんだから、おかしくて笑ってしまう。
でもきっと、あの男のことを思い出しそうになったら冬星の顔が出てくるから、なんとなく大丈夫な気がした。
「ありがとう。行ってくる」
私は道着の黒帯をキュッと閉めてポニーテールを結び直し、会場へと向かった。
<冬星side>
――夏城赤奈の父親は、あのハリウッド俳優の緋川左巻だった。
その事実を知った時、今まで庶民だと散々バカにしてきたアイツが緋川左巻の娘でいたたまれなくなったとか、なんでハリウッドスターを父に持ちながらまともな生活費貰ってねーんだとか、色々と思考回路が絡まったが、なんとか事態を飲み込めた。
緋川左巻の大ファンだった俺としては、夏城のされた仕打ちの事実に少なからずショックを受けている。
スキャンダルは多々あったが決まった相手との結婚報道もなかったし、子供がいるという話や離婚報道も聞いたことがない。
まさか妻子を捨てて女優とスキャンダルを撮られるような男だとは思っていなかった。
恋ができないと呟く夏城が、酷く悲しげな顔をしていた。
映画の中では数多の女を虜にする緋川左巻も、スクリーンの外では一人娘にはこんな顔をさせるような男だった。
俺の勝ちだな。
俺ならこいつを捨てて、こんな顔をさせたりはしない。
……って、別に俺はこいつと結婚する訳じゃないけど。
「それではこれより、空手部門の第一試合を開始します。該当選手は前へ」
空手の試合が、遂に始まる。
ホイッスルと共に、審判の宣誓が剣道場に響き渡った。
夏城は精神統一をしているのか、目を瞑って深呼吸をしている。
「待って、あれ……緋川赤奈じゃない?!」
観客席の隣から聞こえた名前に、俺は思わず横を見た。
この学院の生徒ではない一般客の二人組の女が、夏城の方を見ながら喋っている。
「誰それ、有名人?」
「確か3年前の関東大会で女子部門3位の人だよ」
「3年前ってことは……えー、1年生の時?!」
「そう。上位2位名は3年生だけど、そこに1年で食い込んでるんだから相当すごいよ。それ以降は参加してないみたいだったから、空手やめたかと思ってた」
あいつがまだ"緋川"だった頃は、空手をしていたのだろう。
会話から察するに、中2年の時にはもう経済的理由か父親が原因か、空手部を辞めていたようだから、中2辺りで離婚したのかもしれない。
つーか緋川って本名だったのか……。
「蒼〜やっぱここにいた」
背後からの声に振り返ると、桃音と秋掘達がいた。
「やっぱってなんだ。お前ら仕事は」
「お前が夏城の試合見ないわけないだろうなって思ってさ。仕事は実行委員とかに押し付けてきた」
「俺も空手の試合観たいしね」
勇黄は勝手なことを言うし、俺の時は誰一人来なかったのに洸黄は試合を観に来るし。
「あ、始まった!」
秋堀兄弟に気を取られていると、桃音が焦った声で呟いた。
試合開始のホイッスルと共に、対戦が始まる。
両者しばらく見合った後、相手が先制攻撃を仕掛けた。
夏城はそれを見極めるや否や素早く躱し、相手の足元を崩す。
緋川左巻が映画で披露したアクションのような流れる動きを一瞬でやってみせた。
「うわぁ、技決まった!」
「早ぇ〜っ!」
「あの子何者??」
ドッと完成が湧き上がり、会場中が拍手に包まれる。
夏城は真剣そうな顔で相手を見据えると、一礼して退場していく。
普段の騒いでいるアイツからは考えられないような真剣さだった。
「やりぃ〜!」
「夏城かっけーぞ!」
真剣な夏城の横顔に見入ってしまい、桃音と勇黄の野次も耳に届かない。
「おっ、蒼〜見惚れてる?」
「はぁ? ……まぁ見事な技ではあったからな」
「そういう事じゃなくてさぁ……」
横から桃音がニヤニヤと下品な笑みを浮かべて小突いてくる。
俺が見ていたのは夏城の空手技であって別にあいつ自身のことなんか見ていない――はずだ。
<赤奈side>
なんとか第1試合、第2試合と勝ち進み、準決勝まで進出したところで先輩に負け、結局3位という結果に収まった。
目立ちすぎず生徒会の面子も下げず、まぁまぁな順位だろう。
「お疲れ」
「あ、洸黄さん。ありがとうございます」
道着から着替えて仕事に戻ると、飲み物を持った洸黄さんと生徒会の皆がわらわらとやって来た。
差し出されたスポーツドリンクを受け取って一礼する。
「中々やるじゃ〜ん! さすがサ……最強のSPね!」
「……ありがとうございます」
桃音さんは"サマーの娘"と言いかけたのだろう、不自然な間があった。
バレちゃったし、もうそこまで気を遣ってもらわなくても良いんだけど。
「何一安心してんだ。まだ借り物競争があるだろ」
「はいはい、分かってますよ」
冬星との会話もなんだか前より嬉しいというか、心が軽くなる気がした。
割と最近はこのくだらない会話が心の支えになっているのだ。
――借り物競争。
普通であれば校内にある本や道具等をいかに早く持ってくるか競う競技だが、この学院でのルールは違う。
「いいですか、皆さん! 借り物競争はクラスの財力を競う大事な競技! 外商とのコンビネーションが物を言う競技ですわ!」
「はいっ!」
違うんだよなぁ……という心の声も届かない。
つまりは高級品早取り寄せ合戦で、己の家の財力やコネ、交渉力を見せつける場面というわけだ。
「クラス対抗借り物競争、代表者は準備して下さい」
というわけで、半ば押し付けるように選ばれてしまった私は渋々前へ出た。
もちろんクラスのみんなで協力するから私の財力がゴミでも大丈夫ではある。
なるべく用意しやすいものが出ればいいんだけど……。
「それでは用意……始め!」
空砲の音と共に、選手たちが一斉に走り出す。
さすがアスリートの子息達なだけあってレベルは高いけど、なんとか3位をキープして借り物の書かれた紙を取る。
そこに書かれていたは――。
「ゆっ……有名ハリウッドスターァァ?!」
あまりにもタイムリーなお題に、もしや仕組まれたのではないかと疑うが……。
「誰か英国王室からティアラ借りて来てー!」
「マチュピチュ遺跡から石を一つ持ってこい?!」
「大統領の息子を連れてきて下さい〜!」
他のお題もかなり無理難題ばかりだった。
たかが体育祭の為だけに英国王室やら大統領やら遺跡を巻き込むなんて正気の沙汰じゃない。
「桃音さん、王室からティアラを手配したって!」
「冬星会長も遺跡から石をすぐに持ってくるそうよ」
「秋堀さんも大統領と繋がりがあるみたい!」
王室御用達ブランド社長の娘、世界中に支社を持つ有名財閥の息子、日本最高峰の政治家の息子。
とてもじゃないけど太刀打ちできない……。
「おっと、1年C組の借り物はハリウッドスターのようですね」
「セレブは忙しいですからね。ビバリーヒルズ辺りから引っ張って来ることができるのでしょうか」
「そして1年B組、英国王室からティアラを借りるという高難易度ミッションです」
「王室とのコネが鍵になりますね」
実況中継が私を急かす。
ハリウッドスター。
正直関わりたくないし、拒絶した私がこんな時だけ出てもらおうなんて都合が良いことできない。
けど……。
「まぁ、エドガーさんは撮影中ですの……?」
「トニーさんは今テレビ番組の生中継ですか」
「アリアさんはレコーディング中?」
クラスメイトのコネを持ってしても厳しいようだった。
たとえ人脈を持っていたとしても、ハリウッドスターのように多忙な人をいきなり日本へ連れてくるなんて至難の業だ。
この時間にフラフラとしているハリウッドスターは……。
「緋川左巻……」
観客席で人混みに紛れているであろう男を探す。