>>56
各専門分野を極めることはもちろん最優先に越したことはないのですが、研究をするのにあたり、共通言語というツールがあるのとないのとでは発達の度合いが大きく異なるのではないでしょうか。英語が世界中で最も話されている言語なら、研究者やビジネスマンとしてより多くの人と直接意思疎通ができるような道具を手に入れるのは大事だと思われます。なお、通訳者越しではどうしても意思表明のズレが生じるようなので、拙いながらも言葉と身振り手振りを加えて直接話すことはやはり必要不可欠かと。
日本は英語教育におけるスピーキングの練習が圧倒的に欠乏しているように感じられる。アメリカ留学に行った際、同年代の中国人や韓国人は驚くほど現地の人と流暢なやりとりをしていた。また、自分が持参した高校のテキストを見せたところ、こんなの小学生レベルじゃないかと笑われた記憶もある。
日本語は言葉の発音が少ないせいで巻き舌を駆使する英語の発音が苦手なのは致し方ないが、だからこそ、一層スピーキングの授業に力を入れるべきだろう。文法はその次だ。受験英語でいい点数を取ったところで、海外では全く通用しないのだ。
至極まっとうなご意見っぽくも感じられますが、アナタのその発想は大きな間違いだとオレは思います。
専門分野の研究における“入り口”を英語力の習得に設定してしまった場合は
そこから導き出される全ての概念は彼らの“後追い”となってしまうワケで、
それを忠実に実行すればするほど欧米との序列関係は劣位に固定化されてしまう
仕組み(ローカルルール)に陥らざるを得ません。
昨今のオレが主張する「グローバリゼーション禍(か:=わざわい)」の一つとは、
要するにこの事なのですから。