「最重要事項」と「大切」は、似て非なる者なんだろうね。
世界が英語に重点を置くのは、自分が普段使う言語(母国語)に
日本語で言うところの原子とか銀河系と言った言葉や概念が存在せず、
英語の内容を母国語へ訳する事が実質的に不可能だからだろう。
つまり、研究する為にも論文を読むためにも
母国語以上に英語をマスターする必要がある。
言い換えるなら英語を極めなければならない。
それに対して日本は、英語を日本語へほぼ問題なく訳す事が出来る。
また、日本語に英語等の単語を混ぜてもほぼ問題なく読めてしまう。
また日本人は柔軟性に富み、新たな新語・造語にも素早く対応する。
世界の学者が先ずは英語を極めないとスタートする事すら困難なのに対して、
日本人は別に英語を極めなくともスタートする事は可能であり、
英語の習得にリソースを全振りする必要が無い。
確かに英語は大切だし出来るにこした事は無いが
海外の様な最重要事項にはなりえない。
ここを読んで自分はそう感じた。
一理あります。
しかし、研究論文は例外なく英語で書かれているので、翻訳家が日本語に訳すのを待っていたら間違いなく遅れをとることになりますし、自身の論文を日本語よりも普遍的に使用される英語で書いて世界中に発信すればより多くの研究者に読まれることになります。
英語を極めなくても学者としてスタートを切ることができますが、英語を極めることがより多くの学者と繋がりを持つことになるのは間違いありません。
ゆえに私は英語教育に重点を置くべきだと主張しています。
また、海外(自分の知る限りでは東洋圏)でも英語教育が最重要事項にはなっているというより、日本と同程度にあくまで学校の科目として扱われています。ただし授業内容が大きく異なります。スピーキングとリスニングに圧倒的に力を入れ、コミュニケーションを重視しているのです。そのように日本の教育制度も変革があれば、と願っています。
なるほど、説得力あるなぁ(笑)‥感心しながら同意です。
>>65-66
うん、オレの認識もそんな感じw
>>62:椰子屋さん
アナタが主張しておられる事はフツーに正論だし、たぶん我が国の文科省なんかでも
ほぼ似たような理想と見解を以って、英語教育のさらなる充実を計画している事でしょうね?
つか既に公立校あたりでも外国人教師の採用は珍しくも無いし、巷には英語教室が氾濫しております。
昔に比べれば英検やらTOEICの資格保持者も格段に増加しているし、
そもそも日本の学校教育は英語という教科を軽視するどころか、他の教科以上に重視している事は
誰の目にも明らかですよね。
でも現実はどうなのか?
何よりも問題なのは、そこに費やした時間に対するコスパが絶望的に悪過ぎる点です。
中学・高校で延べ6年間の英語の授業を履修したにもかかわらず、
それだけで日常的な英会話能力を取得した者がいったいどれほど存在するのでしょうか?
アナタはその原因を主に授業内容の問題であると考えておられるようですが、たぶんそれも違うと思います。
我々日本人の大半が英語習得を苦手とする最大の理由は実にシンプルで、
すなわちそれは『そこに日常的な必然性や積極的需要がほとんど皆無』であるからです。
さらに言えば、日本こそは大多数の国民が英語を話せずともその独自性に於いて
世界屈指の経済大国へと発展する事が可能だった“稀有な極東の島国”であったからなのです。
それらの大前提が劇的に揺るがない限り、教育システムをどのように改革しようとも
日本人の“英語オンチ”は改善されないとオレは考えます。
故に、そんなものを全ての学問や技術開発の入門ゲートなんぞに設定してしまったならば
本来的な意味での「国際競争力」やら「さらなる知的所有権の獲得」に後れをとってしまうでしょ?
‥ってのが、オレの意見なワケです。