開発者の本来の意図と離れて「それなりの理由」の輪郭が曖昧になっていって拡大化してゆく未来が見える。死にたい人は大勢いる一方で、真に死ななければいけない人は一握りしかいない。しかし必要な人にだけ技術が渡る保障はない。苦しさが取り除かれて死ぬことの閾値が下がれば、死のうと思い立つ人はきっといる。社会的な損失が出ることも容易に想定できる。深刻な病人は死なせてやれと思う一方で、「誰にでも死ぬ権利」があるとは思わない。そもそも自由意志によって行動選択されたソレの正しさを誰が保障し得るんだろう。「気分が落ち込んでいる」「間違った情報を信じている」、ささいな理由から簡単に不適切な行動になり得るのに。その場合は死ぬべきでなく、間違った情報を正して気分を改善すべき。簡単に死にうる土壌があってはならない。
今の俺なら、
パズドラコラボガチャ爆死→安楽死・・・。
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>それなりの理由」の輪郭が曖昧になっていって拡大化
…確かにね。
もし仮に、安楽死や尊厳死が認められたとしても、大層な条件が付くと思うけど、
それでも規制をくぐっていく事例は起こるだろうね。
例えば自殺するとしても、電車への飛び込みで損害賠償が発生し、
ビルからの飛び下りで損害賠償が発生し、車道に飛び出しても然り。
損害賠償もそうだけど、他人にまで迷惑を掛ける方法しかないんだよ。
大体、何でそんなに死にたい人間が大勢いるんだろう?
私もそういう気持ちを持った事があるし解らないわけじゃないけど、生物学的におかしいよね。
必要な人がそれを出来ない不幸とどちらが重いかっていうことになるのかなぁ
介護殺人だってあるよね…気の毒だと思ってしまうよ
だから、本人や介護する人の意思なら仕方がない事だと思う。