>>120
文を短くして一つの「意味」に一つの「文」というのが論理学では基本(それを究極まで追求したのが記号論理学)だが、
「喧嘩」では、どんどん論点が分岐していくので、どうしても長文化してしまう。
しかし、「事実」を相手にしている以上、これは仕方のないことなんだよね
一方、「煽り」は最終的な「事実の全体像」などに到達する必要がないから、
自分が使える「事実」や「論点」に絞って話を展開できる。
だから、「議論」に近い「喧嘩」よりも「煽り」の方がよりはやく「落としどころ」に到達する、と言えるのかもしれないね