部活動における閉鎖社会は危険である。
部長と言う名の最高人民会議の議長と、顧問と言う名の統帥の意見が絶対と言う風潮になっており、これらの者が事実誤認により、ある者に対して責任を追及してきたものなら、それに対する反論が出来ない状況が完成している。
仮に反論をすると、顧問や部長などは言葉使いを荒くして時には反論者の人格を否定するかのような発言をする。
まさに、赤い旗のモスクワの近くにあったゴーリキーと言う工場地帯の工場の中に居るようだ。
何を考えてこのスレを立てたかは知らないけれど
学生社会に於ける部活動は、あった方が良いですよ?
数百人の若者を勉強一本に縛りつけて制御するのって、
めっちゃムリゲーな気がしますけど;‥?
極限まで追い込むみたいなことすんのは
正に"ブラック部活"だね。人類最強の虐殺冷血残虐人間スターリン
も極限まで追い込むみたいなことしてたのを思い出すけど。
昔は当たり前だったビンタなどが今は体罰として糾弾されている。
社会は少しずつ変わっていく、ゆとり世代が親になって
甘い考えみたいなのが生まれたのかゆとり世代自身が変えたのか
それともそれ以外なのか。
確認ですが、>>1さんの言っている
事実誤認の可能性とは一体だれのなにによるなんの事実誤認なのですか
説明して欲しい、いまいち腑に落ちない部分を
挙げていきます。
前レスでもいった通り
"事実誤認の可能性"の説明。
あと何故、そうなるのかの話。
果たしてその事実誤認の可能性で"ファシスト"や"共産主義"
などという現在の日本に異議を唱える物が生まれるとしたのか。
逆に他は生まれないのか。
>>1はソ連の労働施設?と同じような状況と
比喩していたが、その中の人は決して共産主義万歳ではなかった筈だ。
もし、教師、部長が総統みたいな役割をしたところで
ファシストになると推測するのはどうか。
他にもヨーロッパの植民地などでもそのようなことが行われたと思うが、
何故ファシストと共産主義に限定するのか。
ファシズムと共産主義は思想なのに一部だけの
類似点をあげて決めつけるのはどうか。
ファシズムや共産主義の目標とする平等とはなんの関係があるのか。
以下答えていただけると助かる限りである。