性的マイノリティの人も社会のいち構成員であって、当人たちが選んでその立場になったわけではないことも併せれば、社会全体としてのメリットがデメリットを上回ってもほかの障害と同様になんらかの対応をすべき(リソースが有限である以上は際限のない配慮は不可能であることは当然としてとは思うんだけど、このままでは議論が現実にそぐわないものに終始してしまうのでひとつ議題を。
たとえば性同一性障害と社会的な配慮を巡る問題として「性転換手術やホルモン注射をしていないMtFの(※)のトイレ・温泉などの公共施設の問題」がある。
つまりどうやってトランスとそれ以外を区別するのか、あるいは区別することは正しいのかという問題、それについて論じてみるのはどうか。
*生物学的には男性だが性自認として女性であり、男性器がついている状態/筋肉質で胸がなく見た目が男性である状態
>>77 理想を語るなら男女共用施設があればいいけど現実的な話をするならば体の性に従うべきだと思う。
踏み絵じゃないけど人の思想って見えないし男女の区別がある以上は目に見てわかる判断基準でないと意味を成さないから。
認識的な異性の空間に入っていくのは抵抗があるかもしれないけど、それならゲイやレズだって恋愛対象と同じ施設を利用する時は気が気じゃないだろうし、心を基準にするんじゃアルファベット4文字じゃ全然足りない程にバリエーション豊富すぎて線引き出来ないと思う。