>>230
確かに遅れは少なからず出ますが、やはり本人のやる気次第でしょうね…
中学(高校)3年間ほとんど行ってなかったのに医者になった人間もいますし
(やる気ない人は知らない)
>中学(高校)3年間ほとんど行ってなかったのに医者になった人間もいますし
そのケースではたぶん
・本人の学習意欲
・生来の地頭(ぢあたま)の良さ
・親の経済力が人並み以上である事
・プラス周囲の人間が好意的な理解者である
‥みたいな潜在的要素が幸運な化学反応を起こしたのでしょうね。
仮に同じような条件下にある人でしたら、参考にしてみるのも良いかも知れません。
それはその人自身の持つ「特異性」であって、
広く不登校いっぱんを扱うときに再現性の低い、つまり普遍的な価値が乏しいレアケースを持ち出すことに、議論のうえでの意義があるのでしょうか?私はあるとは思えないのです。
中学高校の6年間、なんらかの理由で学校教育から離れている人間が、そのあいだ予備校や塾で勉強をし続ける。ご両親の経済力もおありのことだろうし、その方の自助努力もさることながら、医学部に合格するというのは、頭のいい方なんでしょう。
しかし、あたかもふたつの相反するような事例が、ひとりの人間のなかに同居し「得た」からといって、それが別の人にも応用可能であるとは、残念ながらいえないのです。
それはすなわち、ある薬があったときに、ほかの動物への投与が成功したからといって、ヒトへ認可がすぐ行われないように、広く応用に耐え得るような強度をもっているとは限らないのと似ています。
不登校の人の中には、勉強ができずに学校に行きづらくなった子もいます。
病気や、経済的な理由かもしれないし、家庭内の不和かもしれません。あるいは本人の未熟な性格から由来した甘えということもあるかもしれません。
そういった母数の多くを占めると思われる不登校の人間のなかで、もともとの生まれがよかった人間以外は、自助努力が足りないで終わってしまう社会が素晴らしいとは思えません。その最低値を保証するために、学校というシステムがあるんですよ。