>>25
>では骨も尽きるほど焼いたとしたら?
30万人を焼き尽くす為には途方も無い燃料が必要だと思われますが‥
そもそも人骨が残ってしまってはいけない理由が当時には存在しません。
フツーに穴を掘って埋めるだけじゃダメなんですか?
仮に日本軍が南京城を丸ごと焼き尽くしてその街が地図から消滅したというのならともかく
南京市は当時も今も存在しているワケですし、30万柱の遺骨が見つからないのも
名簿が作成されないのも不自然だとは感じられないのですか?
やはりそうでしょうね。弾薬はともかく燃料は欠乏していましたから。燃料があるなら肯定派の主張と矛盾しますし。
肯定論にこういう文献がありました
1937年12月13日の戦闘で1万8千人の中国兵が無抵抗で捕虜となった。16日に捕虜収容所内でボヤが発生したが、捕虜の逃亡も銃撃もなかった。この夜、軍命令で揚子江岸の魚雷営で2千人から3千人が試験的に虐殺され、死体はその夜のうちに揚子江に流された。残りの捕虜を翌17日に上元門から約2キロ下流の大湾子で虐殺した。この日の虐殺は大量だったため、薄暗くなるころからはじまった虐殺が18日の明け方まで続いた。そして、死体処理には18・19日の2日間かかった。大量の死体は揚子江に流された。
実は揚子江に流した分もあったのでは?慈善団体の記述は信用ならないのであえて引用しません。