>>36
やはりそうでしょうね。弾薬はともかく燃料は欠乏していましたから。燃料があるなら肯定派の主張と矛盾しますし。
肯定論にこういう文献がありました
1937年12月13日の戦闘で1万8千人の中国兵が無抵抗で捕虜となった。16日に捕虜収容所内でボヤが発生したが、捕虜の逃亡も銃撃もなかった。この夜、軍命令で揚子江岸の魚雷営で2千人から3千人が試験的に虐殺され、死体はその夜のうちに揚子江に流された。残りの捕虜を翌17日に上元門から約2キロ下流の大湾子で虐殺した。この日の虐殺は大量だったため、薄暗くなるころからはじまった虐殺が18日の明け方まで続いた。そして、死体処理には18・19日の2日間かかった。大量の死体は揚子江に流された。
実は揚子江に流した分もあったのでは?慈善団体の記述は信用ならないのであえて引用しません。
その事件(幕府山虐殺)も関係者(?)と称する者達からの聞き取り調査だけで具体性が皆無。
死体も遺骨も全て消滅して、当然のごとく遭難者名簿も無いし、何故だか遺族も居ない。
広島・長崎の原爆禍(東日本大震災でもいい)を参考にして考えて欲しい。
数千から数万人が亡くなって遺族が存在しないと言う現実をキミは受け容れられるのか?