>>96
>反逆されたということは自由意志を与えたことが間違いになる。
ヨハネ4:24
神は霊であられる
コリント第二3:17
さて,エホバは霊です。
まず、神は霊者です。
創世記1:27
そうして神は人をご自分の像に創造してゆき,神の像にこれを創造された。
では上記の聖句をどう理解すべきでしょうか?人間は霊者ではない。
つまり人間は身体的に神に似せて造られたのではなく、神の特質に似せて造られた、と理解出来ます。例えば自由意志も神の特質の一つです。これは本能で生きる昆虫には無い特質です。
本当の信仰、本当の愛は、自由意志を得て初めて可能になります。自由意志には自発性、積極性が必須だからです。
神は過分のご親切により、人間に自由意志を与えました。人が本当の信仰、本当の愛を与えることが出来る様にです。
例えば毎朝7時に「愛しているよ」とアラーム音を発する様にプログラムされた目覚まし時計があるとします。その愛の表明に何の価値があるでしょうか。自由意志に基づくからこそ、本当の愛が実現するのではないでしょうか。
自由意志は自由ですので、当然誤用することも可能です。神に反逆することも可能です。それでも神は人に自由意志を与えました。自由意志という素晴らしい贈り物を誤用せず、正しく用いていきたいと思います。
>つまり人間は身体的に神に似せて造られたのではなく、神の特質に似せて造られた
単細胞の生物だったものが、進化の過程でこうなったにすぎません。創造論は非科学的です。人間である黒人が人間でないとキリスト教国家に見なされてた時期があったのはなぜでしょうね。
>神は過分のご親切により、人間に自由意志を与えました。
他には与えなかったのですか。随分と酷い神ですね。
第一に、人間ですら自由意志を持つと言えるかわからんのです。我々の思考というのは幾度もの世代交代によって培われてきた経験の基にあるのですから。
>自由意志は自由ですので、当然誤用することも可能です。神に反逆することも可能です。それでも神は人に自由意志を与えました。自由意志という素晴らしい贈り物を誤用せず、正しく用いていきたいと思います。
では自由意志を持つ神も過ちを起こす可能性があるのでは?