・イエスの復活なんてありえない。
(証明)人間は蘇ることができない→イエスは人間である→よってイエスは蘇ることができない
科学的には、完全に死んだ人間の蘇生は今のところ不可能です。イエスは恐らく替え玉を使ったのでしょう。卑怯な男です。
・神は存在しているとは言えない(ネタです)
まず前提、
@人が(形而上のもの除いて)認識できないものは存在も不存在も証明できないとする
A神は完全であるとする
B神は最も格の高い存在であるとする
神が人によって認識できる場合、神は不完全な者に姿を曝け出していることになる。又、認識された場合、科学的研究が可能になる。これによって神の神秘に包まれた部分が減る。よって神の格が落ちる。しかし、認識されない場合は神秘性は保たれる。
これらを比較すると神秘性において後者の方が完全である。よって神は認識できない。
ここで、@より神は存在も不存在も証明できない。(証明終了)
イエスは人であると同時に神なんです。それ故に復活できたのです。
つまりイエスは人であると同時に神であることを信じることによって救われるのです。
尚、恐らくスレ主様はイエスが神であるとは主張しないとは思いますが。
相変わらず反論できてないので、どうしようかね。これ。
>>130の通り神は認識できてはいけないのだ。イエスはただのおっさんである。
>科学的には、完全に死んだ人間の蘇生は今のところ不可能です。
現代科学では、無から命を作ることも出来ませんが、それでも私達はこうして生きています。神が命を作られるなら、神には死者を復活させることも可能です。
考えてみて下さい。家電メーカーは家電を作ることが出来ます。当然、メーカーは壊れた家電を修復することも出来ます。作るよりも、むしろ直すことの方が容易いでしょう。
>イエスは恐らく替え玉を使ったのでしょう。
聖書によると、そっくりさんではありません。
贖いの為、イエスの肉体は完全に滅ぼされました。よって以下の聖句の通り、むしろ復活後のイエスは見た目が違い、知人にも直ぐに見分けがつきませんでした。
ヨハネ20:14-15
こう言ったあと,彼女が振り返ると,イエスの立っておられるのが目にとまったが,彼女はそれがイエスであることを悟らなかった。イエスは彼女に言われた,「婦人よ,なぜ泣いているのですか。だれを捜しているのですか」。彼女は,それが園丁であると思って,こう言った。「だんな様,もしあなたが主を運び去ったのでしたら,どこに置いたのかおっしゃってください。わたしが引き取りますから」。
ルカ24:15-16
さて,彼らが語り合い,論じ合っていると,当のイエスが近づいて来て,一緒に歩きはじめた。ところが,彼らの目はイエスを見てもそれとは見分けられずにいた。
ヨハネ21:4
しかし,ちょうど朝になりかけたころ,イエスが浜辺に立たれた。もとより弟子たちは,それがイエスであることを悟らなかった。
>神が人によって認識できる場合、神は不完全な者に姿を曝け出していることになる。又、認識された場合、科学的研究が可能になる。これによって神の神秘に包まれた部分が減る。よって神の格が落ちる。しかし、認識されない場合は神秘性は保たれる。 これらを比較すると神秘性において後者の方が完全である。よって神は認識できない。
以下の聖句の通り、確かに神を見た者は一人もいません。
ヨハネ第一4:12
いまだだれも神を見たことがありません。
しかし被造物など、神の成された業(存在の証)を通して、その存在を知ることが出来ます。
ローマ1:20
というのは,神の見えない特質,すなわち,そのとこしえの力と神性とは,造られた物を通して認められるので,世界の創造以来明らかに見えるからであり,それゆえに彼らは言い訳ができません。