>どの教派が最も聖書の教えに忠実か、という議論になりますが、私が言っているのは「真理は聖書であり、教会ではない」ということです
では教会は偽、つまりサタンの手先ですね。
さて聖書はキリスト教の布教活動によって広まっています。キリスト教はサタンの手先です。そのサタンの手先によって広まっている聖書は既にサタンによって汚染されていると見て然るべきです。
聖書は普及してると言っていますが、偽の聖書が広まっているという証になります。よってほとんどの聖書は偽です。なので真理足りえません。
キリスト教とは関係のない本屋で売られている聖書はサタンに汚染されていない可能性があります。しかしそのようなものが普及していると言えるかどうか。
聖書が偽なので偽を真理とする君の証言は全てサタンもとい破綻します。そのような聖書に唾を吐いても神は罰するどころか喜んでくれるでしょう。
>神に否定されることは滅びを意味します。
これは通りません。同罪報復の原理に背いています。神を滅ぼしたら神によって滅ぼされる、なら正しい。なぜ通らないのか。君はサタンの聖書を信じているからです。
>ペンを与えた友人は、ペンを取り上げるでしょう。
譲渡された物は勝手に取り上げたら違法です。神は違法行為をしているのです。しかし偽の聖書なので神はサタンを意味します。サタンはペンを取り上げる、なら間違いではありません。
>聖書に真理を見出した人は、平安を得ています。
それはサタンによって惑わされているだけです。ただの錯覚です。
>例えで考えましょう。教師は教えくれます。しかし自分で考えなさいとも言います。
最終的には教師は教えてくれます。しかし君は考えろしか言いません。なぜなら聖書が偽だからです。何も知らない教師は誰をも導けません。
君の反論は矛盾だらけです。なぜならサタンの聖書を信じているからです。今すぐ聖書に唾を吐きましょう。神は笑っておられます。
カーリー氏に一言言っておくと、カトリックを前提にする私には最大の攻撃なんだよ。そのレス。
でもスレ主氏はエホバの証人で独自解釈の聖書こそ一番原初に近いとの主張だからたぶん攻撃の糸口を与えててるに過ぎない。
カーリー氏の主張はカトリックの私には原爆なみにヤバいんだけどね。
>では教会は偽、つまりサタンの手先ですね。
さて聖書はキリスト教の布教活動によって広まっています。キリスト教はサタンの手先です。そのサタンの手先によって広まっている聖書は既にサタンによって汚染されていると見て然るべきです。
聖書は聖書です。エホバの名が書き換えられ、誤解を招きやすくなっている版であっても、神の教えが書かれています。
世の教会、そしてその信者も、誤解に邪魔されていても「良い動機」を持っていることもあります。
但し、聖書からの乖離を知りながら、それでも教会を支持するならば、もはや聖書でなく教会を支持していることになります。
>聖書が偽なので偽を真理とする君の証言は全てサタンもとい破綻します。そのような聖書に唾を吐いても神は罰するどころか喜んでくれるでしょう。
論旨がごちゃごちゃになっています。私の聖書では神の名が復元されています。
>これは通りません。同罪報復の原理に背いています。神を滅ぼしたら神によって滅ぼされる、なら正しい。
論旨がおかしくなっています。目には目の原則では、「殺した人に」殺される訳ではありません。第三者によってです。
>譲渡された物は勝手に取り上げたら違法です。神は違法行為をしているのです。
神が神であるならば、法より上にいらっしゃいます。十戒など、神は律法を作られた方です。
>最終的には教師は教えてくれます。しかし君は考えろしか言いません。なぜなら聖書が偽だからです。何も知らない教師は誰をも導けません。
聖書も答えを明示しています。答えを理解して自分のものにするのに考えることは必要です。