>>317
>神は全知全能なのですから、サタンが予告しなくともわかっているはずです。
神は能力を「選択的に」用いられます。例えば全能とは「全てを行う、行わなければいけない」のでなく「望むこと全てを行える」ことです。例えば神は裏切りを行わない選択をします。
全知も同じです。「全てを知っている、知らなければならない」のでなく「知ろうと思うこと全てを知れる」能力です。
これは有難いことです。ありとあらゆること全てが予め決まっているわけではない、ということです。つまり自由意志が可能になり、努力をする意義が生まれます。自分の未来を変えることが出来るということです。
確かに神は将来の大枠は決めておられます。しかし細部や個人個人の将来まで決めていません。いわば粗筋のみ決められた小説と小説家に例えることが出来ます。
全てを行わなければならない、知らなければならないのであれば、全能ではありません。行わない、知らないという選択も出来てこそ全能ですから。
>神は導きます。なんでサタンを反逆する直前に導いてあげることができなかったのか。
聖書は人間に宛てた神の言葉ですから、エホバが天使を当初どの様に導かれたかの記載はありません。
(天使用の聖書に相当するものがあれば、そこに書かれているでしょう。)
しかしアダムを教えたことから推測すると、きっと天使も教えたのかもしれません。
>では治め方のどこに不満があったか、それを考えましょう。
エホバのやり方自体には問題はありません。
創世記3:4-5
蛇は女に言った。「あなたたちは決して死にません。その木の実を食べた日に,目が開かれ,あなたたちが神のようになって善悪を知るようになることを神は知っているのです」。
サタンがエホバのやり方に異議を唱えた時、「死にません」とサタンは嘘をつきました。サタンは嫉妬に駆られているだけでした。
>過去に守っていたとて、今後も守るとは言えません。忠臣が主君を裏切った例はいくらでもあります。
論旨は何ですか。過去の実績の価値はゼロでしょうか。信頼は成立しない概念ですか。