>>314
>サタンは反逆を予告していましたか。
神は全知全能なのですから、サタンが予告しなくともわかっているはずです。神は導きます。なんでサタンを反逆する直前に導いてあげることができなかったのか。
>アルコール中毒の例えですと、アルコールを飲んだ後、また断酒をしようとしようと思うのではないでしょうか。
飲んだ後というのは、誘惑と戦っている時です。
>洗脳の定義が難しいです。極論、我々は誰も何かしらの影響を受けているのですから。
洗脳とは、簡単に言えばある人の考えを変えることです。つまり彼らは神のもとを完全に離れているのです。
>そうです。サタンはエホバの強大さに疑問を投げたことはありません。敵わないのをサタン自ら知っています。ですから、治め方に疑問を投げるしかありませんでした。しかし、サタンの動機は高潔なものでなく、羨みや嫉妬です。
では治め方のどこに不満があったか、それを考えましょう。
>起こることに対しての預言ですが、起こる時期についての預言ではありません。そうです。誰にでも言えるでしょう。
では、価値はないも同然です。
>今回の預言は特に驚きによって神の言葉の偉大さを裏付ける預言ではありません。しかし将来への希望となっています。こう約束されているからです。
信じるのは信者だけ。希望を感じるのも信者だけです。
>そしてエホバは約束を守ることに関して、過去にも実績のある方でいらっしゃいます。
過去に守っていたとて、今後も守るとは言えません。忠臣が主君を裏切った例はいくらでもあります。
>神は全知全能なのですから、サタンが予告しなくともわかっているはずです。
神は能力を「選択的に」用いられます。例えば全能とは「全てを行う、行わなければいけない」のでなく「望むこと全てを行える」ことです。例えば神は裏切りを行わない選択をします。
全知も同じです。「全てを知っている、知らなければならない」のでなく「知ろうと思うこと全てを知れる」能力です。
これは有難いことです。ありとあらゆること全てが予め決まっているわけではない、ということです。つまり自由意志が可能になり、努力をする意義が生まれます。自分の未来を変えることが出来るということです。
確かに神は将来の大枠は決めておられます。しかし細部や個人個人の将来まで決めていません。いわば粗筋のみ決められた小説と小説家に例えることが出来ます。
全てを行わなければならない、知らなければならないのであれば、全能ではありません。行わない、知らないという選択も出来てこそ全能ですから。
>神は導きます。なんでサタンを反逆する直前に導いてあげることができなかったのか。
聖書は人間に宛てた神の言葉ですから、エホバが天使を当初どの様に導かれたかの記載はありません。
(天使用の聖書に相当するものがあれば、そこに書かれているでしょう。)
しかしアダムを教えたことから推測すると、きっと天使も教えたのかもしれません。
>では治め方のどこに不満があったか、それを考えましょう。
エホバのやり方自体には問題はありません。
創世記3:4-5
蛇は女に言った。「あなたたちは決して死にません。その木の実を食べた日に,目が開かれ,あなたたちが神のようになって善悪を知るようになることを神は知っているのです」。
サタンがエホバのやり方に異議を唱えた時、「死にません」とサタンは嘘をつきました。サタンは嫉妬に駆られているだけでした。
>過去に守っていたとて、今後も守るとは言えません。忠臣が主君を裏切った例はいくらでもあります。
論旨は何ですか。過去の実績の価値はゼロでしょうか。信頼は成立しない概念ですか。