>>90
>時間は観測者があって初めて成り立つので
それはここのスレ主と同じレベルの大いなる勘違い。
よく考えてごらんよ、この地球の46億年の歴史の中で現代に連なる観測者が存在したのは
わずか1万年未満に過ぎないワケだかんね?
誰も居なくたって絶対的な時は流れ、それに伴う経時変化は止まらないのだよ。
同じ意味で書いたつもりだけど、
「『絶対は絶対に存在しない』という絶対があって……」
というアンチノミーに陥ったので『絶対は存在しない』ということで……
>>92
変化だって観測者があって成り立つんだよ。
例えば、『採れたての林檎は赤い』という観測者の記憶や認識があるから、林檎が茶色くしわしわになると『腐った』という変化概念を与えるわけじゃん。そして変化に伴って時間の概念が生まれる。
もしも観測者がいなかったら、事物は『瞬間的』にそこにあるだけなんだよ。
動画が複数のフレームが重なって出来るのと同じように、変化もフレームを重ねなくちゃいけない。それが出来るのが観測者。こいつがいなきゃただフレーム一つ一つがばらばらに漂ってるだけ。
太古の地球に経時変化があるって意見も、今の観測者が昔のフレームを繋いでるに過ぎない。
だから変化、そして時間には観測者が必要不可欠だよ。
地球の46億年の歴史の存在があるのは我々人類の調査により認知ができたからに過ぎない。
もっというと46億年の歴史なんてなかったかもしれない。我々人類が勝手に妄想しているだけで。時間なんてものは疑おうと思えば疑うことができる。形状の変化、経過を客観的に見ることは不可能。客観性に欠けるので絶対とは言えない。