>>91
同じ意味で書いたつもりだけど、
「『絶対は絶対に存在しない』という絶対があって……」
というアンチノミーに陥ったので『絶対は存在しない』ということで……
>>92
変化だって観測者があって成り立つんだよ。
例えば、『採れたての林檎は赤い』という観測者の記憶や認識があるから、林檎が茶色くしわしわになると『腐った』という変化概念を与えるわけじゃん。そして変化に伴って時間の概念が生まれる。
もしも観測者がいなかったら、事物は『瞬間的』にそこにあるだけなんだよ。
動画が複数のフレームが重なって出来るのと同じように、変化もフレームを重ねなくちゃいけない。それが出来るのが観測者。こいつがいなきゃただフレーム一つ一つがばらばらに漂ってるだけ。
太古の地球に経時変化があるって意見も、今の観測者が昔のフレームを繋いでるに過ぎない。
だから変化、そして時間には観測者が必要不可欠だよ。
>だから変化、そして時間には観測者が必要不可欠だよ。
それはあくまでも「現代人が理解する上で」という事でしょ?
何度も言うけど「人間が誕生する以前」も「将来、人間が滅びた後」も、時の流れは
変わる事無く淡々と連綿と続いてゆくはずだし。
そのくらいはフツーに想像出来るよね?
>これがよく分かりません。現代人に限定して過去未来に変化と時間を与えている?現代人がいなくても変化や時間はあると思いますが。
>変化の概念が無くても変化自体はありますよね。
それについては>>94も見て欲しい。
つまり、瞬間という静止画を繋げて初めて変化という動画が出来上がる。じゃあ繋げるのは何か?っていうと、それが観測者。しかも時間は静止画には存在しない。よって、変化・時間は絶対では無い。
>普段我々は空気を意識しません。意識しないという事は認知記憶思考が無く空気の概念はありません。しかし空気は存在します。
空気はO2やCO2など、分子として実態があるので、観測者がおらずとも瞬間の中に存在出来る。変化・時間と同等に見るのは間違いなのだ!
……こんな議論をしても、『無の世界』という条件を提示されると存在するものは全て非絶対化してしまうんでしょーけどね……