記者会見って、言ってみれば公けのふくろ叩きみたいなもの。
義務違反だからふくろ叩きにしても良いって事だし、
それが正義としてまかり通っている。
なら、社会の縮図であるクラス内でだって
原因が在ればふくろ叩きが起きても不思議でも何でもない。
違いがあるとするなら、「いかな原因が在ろうといじめてはならない」みたいな?、
なぜだか呼称いじめっられ子に対してだけ原因を不問とする傾向があること。
教師は原因さえあれば社会から吊し上げを喰らうのに、
呼称いじめっられ子や、その擁護派は原因を不問とする。
叩かれるべき原因が在るのに、それを不問とするどころか、
当然の様に受け入れろとのたまうくせして、
自称いじめられっ子やその擁護派にとっての不都合
(いじめや傍観)は突っぱね、責め立てる。
そうゆう都合のいい事ばかり言っていては
「いじめは見て見ぬ振りも同罪だ!」 に対して
一定数の反論する者が出て来ても、なにも不思議には感じない。
「なぜイジメが起きるのか?」とか「イジメが起きるのは不思議だ」という議論はしてない。
「大人がやってるんだから、子供もやっていいじゃん」という論理もいまのところ誰も出してない。
ここからは持論なので賛否あると思うけど、
イジメ被害者に完全な非があったとして、やって良いのは自分が無視することだけだと思ってる。
人と結託して全体が被害者を無視するように仕向けたり、直接的な攻撃をした時点で、被害者に非があろうがなかろうが、そいつは加害者だろ。
被害者が悪いから加害者は悪くないとか、加害者が悪いから被害者は悪くないとか、そういう論理は成立しないと思ってる。
だから、何か非のあるヤツがいたなら、自分が自分の意思で無視してれば良い。