>12
時間的観点を除いた意見のため、そうはならない。
多様性が認めるべきではないという意見を形式的許容することは問題ない。しかし、実質的許容として、その意見を現実に反映したとなると、結局のところ多様性が確立されないことになるから全く実用性に欠けるパラドクス。このパラドクスがその意味として効力を持つのは、多様性を認めるべきでない、という意見を反映するか否かという選択肢を選ぼうとしている(実際には選ぶことができないのだが)止まった時間においてのみである。したがって時間という観点を排した現実性に乏しい意見。
付け加えて言うと、実用性の観点を重視するのであれば、例えば政治学領域やらドイツ文学領域やらと、特定領域を定めて、各々の領域で多様性を認めるべきか否かを学問的検証のもとで、論証していくべきだ。もちろん、特待領域については、それが命題的である以上は、自由に細分化してもよい。一方で、過去の論証で多様性を認めるべきだったものは、現在では多様性を認めるべきでないとする可能性も十分にある。
というわけで結論としては、多様性を認めるべきか否かは各領域において、議論し続けるべきで、それを過去・現在・未来では内容が大きく変わることも覚悟しなければならない。
少し話を進めると、
ゴチャゴチャとうるさいマイノリティが目立つのは、当然といえば当然なんだよね。
排斥や制限を受けてるマイノリティが立場を改善しようとしたら大きい声出さないと誰も聞かないでしょ。
女性「男性と同じ時間働いて同じ成果出してるけど、女性だから男性より給料少なくてもしょうがないか。これも多様性だし。」
とはならんだろ・・・。
>>13
もしかして「多様性」を”どんな考え方(存在)も否定せず受け入れよう”っていう意味で捉えてるのか?
だとしたら俺もその「多様性」は否定されるべきだと思うよ。
>>16
読むのがすごく大変だったけど、言ってることは正しいと思う。読むのは大変だったけど。
確かにその解答は答えとして十分な程度を持ち合わせている内容になってると思う。
ただ、不安に思うのが、実体に重きを置いた多様性の説明をしようと試みた場合、その文章の見た目に矛盾を含む結果になりやすくなる。その説明を他者が聞いたとき、どの程度本質を理解できる人間が出てくるのだろうかと不安になる。フェミやLGBTなんかで大々的に騒いでいる一部の人間の「多様性」の用い方を見ていてそう思う時がある。
>>20
そうそう。「多様性」を持ち出しての要求が、ありとあらゆる対象まで含んでいると現実で活動する上でその機能性が大きく失われてしまう状況を作り出してしまいますよ。ってな感じで話をしようとしてた。
あと、確かに読むのが大変な文になったけど、素直に言うならそう思うんだよねー。
女性の給料の例は確かにおしゃる通りですね。内容によっては騒ぐのもありでしょう。