>>11
少しお話でもしますか?気が進めば付き合ってくださいよ。
多様性を理由にして相手に「自分を受け入れろ」と迫った場合、別の局面で自分が「逆に他者を受け入れなければならない」立場になったならば、これをどうするんだろうか?そういう疑問でね
俺の場合はさ、多様性ってのには当然「自分が受け入れられない場合も含みますよ」っていう考えをしててね、そうすると確かに君が言うように他者から否定もされるんだけど、同時に自分も相手を否定することもできるんだよね。
一人二人の少数な対象を相手にするなら常に受け入れるという多様性の解釈を採用してもいいけどさ、これが扱う対象の量が量ならば通用しなさそうって思うんだよな、
ましてLGBTとかフェミ関係の話になると俺はそもそも触れ難く計量が困難な対象として見ててさ、そこで多様性をもって寛容であれとするにしてもその多様性には否定されるという場合も含めておいた方がいいんじゃねぇかなぁ〜ってそう思うんだよね。
少し話を進めると、
ゴチャゴチャとうるさいマイノリティが目立つのは、当然といえば当然なんだよね。
排斥や制限を受けてるマイノリティが立場を改善しようとしたら大きい声出さないと誰も聞かないでしょ。
女性「男性と同じ時間働いて同じ成果出してるけど、女性だから男性より給料少なくてもしょうがないか。これも多様性だし。」
とはならんだろ・・・。
>>13
もしかして「多様性」を”どんな考え方(存在)も否定せず受け入れよう”っていう意味で捉えてるのか?
だとしたら俺もその「多様性」は否定されるべきだと思うよ。
>>16
読むのがすごく大変だったけど、言ってることは正しいと思う。読むのは大変だったけど。