>>79
>だからって競馬が無くなれば食用として飼育される理由にはならないよね
いや、需要があるので、供給を増やさなくてはならないでしょ?だとしたら、
食用飼育が普通にありえる。馬刺し結構人気あるんだからね
>競馬が無くなれば競走馬全てが注目される。仮に7000と置けば、じゃあその7000頭はどうなるのか、有名馬だけを切り取るにしては規模が違いすぎる。
いや、それは一競馬場が閉鎖されたときも、その競馬場の馬の行方は注目されるわけだから同じでしょ。で、結局競馬場の馬は全部屠殺された。競馬廃止の時もそうなるだろうよ。知名度もない無駄飯食いの馬を何千頭も生かしておく理由はないでしょ。
>そもそも経済面で競馬が無くなれば悪化するという考えが現実的じゃない。
いやいや、一つの産業が壊滅すると言うことの重大性を全くわかってない。公民の授業の時寝てたの?
>競馬しかやらない人間は実際に存在しているのか、どれくらいの人口なのか。
存在はしているが、人口はわからん。でも競馬とその他の公営ギャンブルの利益の差をかんがえれば、それなりにいるのではないだろうか
>特別競馬だけを好む理由はどこにあるのか。
150年もの伝統、馬と人間の織りなす人間ドラマ、スポーツ性、ギャンブル性などが楽しいらしい。これはやってる人間の言ってることだから、否定できないからね
>お金の面で言えば他の賭博で事足りるはず。
競馬なんて普通損するもんだから、お金とは別の魅力があるのよ
>お酒の例は単純な好き嫌い、美味しい不味い、要は美味しければ良いのでは?
>なら賭博だってお金を稼げれば良いのでは?
だったら禁酒法は失敗しなかったはず。だってアルコール飲料しか飲まない人なんていないんだから。水、お茶、ジュースあるいはワインここらも飲むと言う人は沢山いた。でもその人々はそれらの飲料をより求めるのではなく、法を犯してまでアルコール飲料を望んだ。それは単なる好き嫌いを超えたものがあるからなんだよ。普通あるものがない、というのは人間にとって大きなストレスなわけ。
>馬が好きなことと競馬をやることの関係性はどこにあるのか。
馬好きじゃないなら競艇とかやるでしょ。競馬も競艇も利益率そんな変わらないんだから
需要が高くてもいままで食用を軸にされていた訳じゃないし、愛玩に近いから需要だけでシフトするとは考えづらいと言ってるのね。そもそも馬の食用のハードルが低かったら競走馬の飼料化が闇扱いなんてされてないでしょ。
規模が違うから同じじゃない。一産業が潰れるんでしょ?全く状況が違う。
利益差は競馬だけをやる人間の目安にならない、というか賭博って基本損するってわかっててやってる人の集まりじゃないでしょ。それがなんで別の魅力と結びつくんだ。
それはアルコール依存でしょ。ここでワイン以外の飲み物を持ち出すのはおかしい。
だったら競馬が無くなれば別競技にシフトするよね。
単なる択で競馬をしているとしか。