>>15
>人の不幸を喜んだこと
いくらでもありますけど口には出しません
たとえネットでもね、惨めなだけだと分かってるから
ただ、本当に叩きたいやつはどこでも叩いてるよ。葉っぱ天国なんか所詮膨大なネットの海の中の一掲示板にしかすぎないし、挙句めっちゃ過疎ってるでしょ? こんなところにいつまでも住み着いて胃を唱えてる暇があるなら、別の場所へ行けばいいよ。どうしようもなく不満が溜まってる人間は必ずどこかはけ口が必要なのは同意するけど、誹謗中傷することで快感を得る=ストレス溜まったらまた誹謗中傷で発散 みたいなループに陥るのが一番ダメなのよ。
結局言いたいこととしては、「人を傷つけるのは悪いこと」ってことなら、既に答えてある。
分かりやすく、もう一度答えてやるが、人を傷つけるのは必ずしも悪いことじゃない。
むしろ、人間はある程度の暴力性は必要な生き物なんだよ。
例えばネットに限らず、陰口、悪口、揶揄、皮肉、いじめ、マウント取り、お笑い、一般化いじり(Twitterでよく上がってるやつ)は日常茶飯事。
こうしたものには、人を傷つけ、人の心の何かを毀損するから、大小あれど、暴力的である。
でも、こうした暴力性が人間を成り立たせているのだから仕方がない。
マズローのなんとか欲求ってやつをみると分かりやすい。人間は、社会的位置付けによって、言葉で自分の位置付けを調整できまいかとあくせくする動物であり、この目線で人を見れば、「陰口、悪口、いじめ、マウント取り」は社会欲求を満たす手段の、一形態でしかない。
それで陰口、悪口、いじめ、マウント取りなんていうのは、自分の社会欲求を都合よく、場面に応じて、満たしてくれる手段であって、
そして、それぞれが果たす役割は微妙に違う。
プレステのボタンと一緒で、ボタンによってそれぞれ機能が違う。
で、古代から現代に至るまで何百年、何千年とその手段を使って人類は心を満たし、成り立ってきたわけだ。
お前は、「悪口によって傷つく人を守るために、悪口禁止」と言っているけれど、
こっちからすれば、「それは無理。だって人間は暴力性を自分の心のために使うのだから」としか、ありのあるがままを答えるしかない。
仮にもし、悪口を禁止できたとしても、それは抑圧的状態であって、全員が仮面を被る状態であって、表面的で、演技みたいなやりとりを通じることしかできなくなるだけ。
しかもさ、余談だけど、悪口ってすごくわかりやすい表現だと思わないか?
さりげない無視とか、気づかれないようないじめ行為、人間関係をかき混ぜる分かりづらい暴力行為と違って、明確に相手を不快にするための、「記号」なんだよ。
それを奪うということがどういうことなのか、もう一度よく考えろ。