>>20
結局言いたいこととしては、「人を傷つけるのは悪いこと」ってことなら、既に答えてある。
分かりやすく、もう一度答えてやるが、人を傷つけるのは必ずしも悪いことじゃない。
むしろ、人間はある程度の暴力性は必要な生き物なんだよ。
例えばネットに限らず、陰口、悪口、揶揄、皮肉、いじめ、マウント取り、お笑い、一般化いじり(Twitterでよく上がってるやつ)は日常茶飯事。
こうしたものには、人を傷つけ、人の心の何かを毀損するから、大小あれど、暴力的である。
でも、こうした暴力性が人間を成り立たせているのだから仕方がない。
マズローのなんとか欲求ってやつをみると分かりやすい。人間は、社会的位置付けによって、言葉で自分の位置付けを調整できまいかとあくせくする動物であり、この目線で人を見れば、「陰口、悪口、いじめ、マウント取り」は社会欲求を満たす手段の、一形態でしかない。
それで陰口、悪口、いじめ、マウント取りなんていうのは、自分の社会欲求を都合よく、場面に応じて、満たしてくれる手段であって、
そして、それぞれが果たす役割は微妙に違う。
プレステのボタンと一緒で、ボタンによってそれぞれ機能が違う。
で、古代から現代に至るまで何百年、何千年とその手段を使って人類は心を満たし、成り立ってきたわけだ。
お前は、「悪口によって傷つく人を守るために、悪口禁止」と言っているけれど、
こっちからすれば、「それは無理。だって人間は暴力性を自分の心のために使うのだから」としか、ありのあるがままを答えるしかない。
仮にもし、悪口を禁止できたとしても、それは抑圧的状態であって、全員が仮面を被る状態であって、表面的で、演技みたいなやりとりを通じることしかできなくなるだけ。
しかもさ、余談だけど、悪口ってすごくわかりやすい表現だと思わないか?
さりげない無視とか、気づかれないようないじめ行為、人間関係をかき混ぜる分かりづらい暴力行為と違って、明確に相手を不快にするための、「記号」なんだよ。
それを奪うということがどういうことなのか、もう一度よく考えろ。
A
「他者から不当な扱いを受けるかもしれない」「自己の社会的な位置付けが底辺へ下落してしまうかもしれない」
こうした不安や恐怖の心理が作用する状態になることを、「傷つく」と呼ぶ。
そしてここまでから、導き出される傷つく条件というのが二つ。
一つは、悪口を言われて傷つくプロセスの中には、自己を認識する他者の存在が必ずあること。
もう一つは、悪口という評価を下された自己を、他者が認識すること。
決して「悪口を言われた」だけで傷つくわけじゃない。必ず他者がいて、それを他者が認識することで、傷つくのだ。
しかし、悪口を言われた自分を、そもそも認識する他者がいなければ、どうか。
ネット掲示板の場合、基本的に他者はリアルの自分を特定することができない。
特定ができなければ、認識もできない。
ネット掲示板で得られるのは基本的には、せいぜい「掲示板上での名前」「文体」「アイコン」などといったもので、リアルの自分は特定できない。
だから、個人の特定性の観点を除いて、ネット掲示板で悪口を言われたとしても、リアルの自己を他者が認識できないのだから、
リアルの自己の評価が脅かされず、傷つかないと言える。
このことについて、おそらく>>30では、「悪口の対象が自分だとわからないなら言われてないのと同じ」と表現したのだろう。
しかし、リアルの自分を特定されなくても、傷ついたことがあると言う人もいるかもしれない。
それは、ネットで創り上げた架空の自己と、そのネットの自己を認識するネットの他者という虚構があったからで、
傷ついたのは、ネットの自己の方である。
だが一般人は、あくまで ネットの自己 < リアルの自己 という優劣性を含んでいることを強調させてもらう。
たとえ、ネットの自己が傷ついたとしても、修復能力は早く、短期的で、さらにはゲームのサブデータみたいに消しては創りというやり直しが効く。所属団体もリアルと違って、容易に変えられるし、自分自身で容易に団体を創ることさえできる。
だから、一般人にとっては、ネット掲示板等で創り上げたネットの自己が、悪口によって毀損されても、永久性はないと言える。
あくまで>>12で示したように、ネットの掲示板の悪口は短期的暴力性である。
したがって、ネットでの作品や作品の信者に対する攻撃もまた、短期的暴力性であり、それぞれの自己が永久的な損害を被ることはない。
※ネットが舞台となる歌い手や配信者は、リアルの自己 = ネットの自己という等式が成り立ち、優劣はないから、彼らに対するアンチは、永久性があるのかもしれない。
兎にも角にも、そういうわけで結論としては、ネットでのアンチにおいて、単なる悪口は短期的暴力性であり、永久性はない。
そして悪口とは短期的暴力であり、修復が効き、むしろ人間にとって必要な活動なのだという次にの段階に続く話は、>>23や>>27なんかの上記で散々述べた。
一方で、単なる悪口ではなく、個人の特定性が加わった場合の悪口は、
悪口を言われるリアルの自己と、その自己を認識(特定)できる他者という関係性が成り立ち、
その結果、そのリアルの自己の社会的位置付けを永久的に毀損しうる可能性があるから、してはならないことになる。
そんなわけで、>>12の主張や>>27に移行する。