いじめっ子に人権は無いと言う奴について。

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30:ムムメ:2021/07/22(木) 22:10 ID:7xc



人間の平等や自由、尊厳などを保護する人権という装置は、確かに正義の位置付けに妥当する概念だと思う。現に、人間の陰惨な歴史・戦争を解決する根拠になってきたためだ。
だから、人権という考え方を正義と見なし、いじめっ子を悪と断罪することや、いじめっ子に対してのいじめを悪と断罪することができる。

しかし、人権そのものではなく、人権保障という概念はどうだろうか。
人間がために保障するという人権の固有性は確かに存在する。では、なぜ刑法が採用されているのか?
それは、人権の固有性を無視して、人権侵害を行う例えばいじめっ子のような人間もまたいるからだ。
つまり人権は、人間であるという根拠で普く保障するけれど、内在制約説などの根拠で制限もするということが分かる。ただし、人権制限の決定権のおもな主体は司法となっている。

司法が殺人犯に人権制限をする。ただし、死刑にはならなかったとする(現にそうした判例は存在する)。
その場合、殺されてしまった人間は、実質的に生きる権利のみならず、基本的人権が永久的に侵害されたことになる。対してその殺人犯は釈放後、社外的地位の損失程度で、人権固有性により人権が保障され、自由が回復する。さて、ここで考えられることとして、人権保障を行う法というものによって、公平性が本当に確保されているのか?という問題である。
公平性という正義論でよく扱われる概念で考えてみると、殺人犯の殺し方や人の尊厳の踏み躙り具合によっては死刑にすべきであるという意見も現にある。なぜなら、法による公平性は疑わしいからだ。

ここで先の問いに戻る。
法により、公平性が本当に確保できるのか?
言い換えれば、法により、正義は補完できるのか?
答えはイエスと同時にノーであると思われる。
極端に言えば、法には公平性を積極的に実現できない。ゆえに正義を語る参考物にはなっても、全面的な根拠にはならない。法は社会秩序を維持する上で、いじめという行為を捉える上での、一つの見方でしかない。おかしい、だとか、おかしくない、だとかの見方には絞れない。


ムムメ:2021/07/30(金) 22:40 ID:.eg [返信]


議論の路線からズレないためにも、上記に書いた主張を前提として、この議論について考えてみたいと思う。

そもそも、この『いじめっ子に人権はないという人間について』というテーマだが、>>25などにあるように、その根拠が近代論的な観念が存在していると思われる。つまり、理性や論理を重視をする合理主義的立場である。
ところで現実としては、いかなる卑劣に及んだいじめっ子でも問題無用で、公平性を担保できない法という装置に、自由を回復させてもらえる。それについては、>>30で話した。反証があるのであれば待つ。
さて、法律が厳密に組み立てられた論理だとしたら、やはり>>25にある主張は、近代の合理主義的立場なのではないのだろうか?

近代合理主義の特徴は、物事を抽象化し(その過程で具体的性質をそぎ落とし)、普遍性に価値を置くことである。その一方で、具体的である人間の心を軽視し、人間個々の具体的な性質を無視する傾向がある。
その捨象という傾向が、レモン氏の思想にも若干あるのではないのだろうかと身勝手ながら分析させていただく。というのも、正しいもの = 法 と限定し、他者の非法的な意見を正しくないもの、おかしいものと、真っ向から否定的に捉えていたからだ。
それは論理を最上に位置づけ、感情、心理、衝動など、近代においてはしばしば軽視されてきた(現代ですらあるのかもしれない)具体物を無意識に、優先順位の低い位置に置いてきたからではないだろうか。

ここでもう一つ、法の問題点について指摘しておく。
あらゆる法が欲する平等という概念は、人間の個々具体的な在り方を排除して、人間の共通事項のみを取り出して、点のようになったそれらを並べて、高みから、みんな同じだと宣言するものだ。それが、今日あらゆる法の基底に流れている前提概念だと言えよう。

つまり、法という観点から、いじめっ子、いじめられっ子を議論するならば、権利や自由を中心においてでしか語れない。さらに問題を発展させるのであれば、法は、いじめを始めとする人間関係における人間行為を捉えるだけの能力がない。

というわけで、解決策を提示する。
非現実的かもしれないが、いじめという人間行為を捉えるには、まず、いじめ行為一般について語るのではなく、個々具体的ないじめ行為として分解し、社会学、心理学などでもって一つ一つ分析し、正義論など哲学、倫理、そして何より個々の人間の感情や体験でもって再総合して、初めて理解に至れると思われる。

そんなの不可能じゃないかと思うかもしれないが、そもそも、いじめ行為の是非を決定するには、それほど複雑な問題で、是非を決めるには困難を極める作業であるからだ。


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