誰もいない一つの教室の中。
そこには、風花 百合香がいた。
常に冷静、同時に冷血な彼女が。
そこに、一つの影が。色で例えれば、黒。
2字の言葉で例えれば、下衆。
「会長………お会い出来ましたねェ………」
そこには、痩せ細り、目にはくまが。
完全に狂人と化していた、片原 拓也が。
「………誰かしら?」
百合香にとって、どうでも良い手駒。
それどころか、足を引っ張るだけの塵の顔など、記憶する必要もなくなった。
「俺ですよ………生徒会、片原 拓也………へへへへ………」
「本当に覚えのない人ですから、立ち去っていただけないかしら。」
「覚えて………ないい?」
「ええ。」
「駄目じゃあないですか会長!」
拓也は机を蹴り倒し、百合香へ歩み寄る。
じりじりと、じりじりと、少しずつ距離を積める。
「俺のことを忘れちゃ、会長は駄目ですよ。
俺が、貴方のことを一番知っていて、貴方の理解者ですから。」
まさにストーカー。
拓也はやや後退りする、百合香へ歩み寄る。
色欲な目をして。
(>>183の続きとなります。間が空いてすみません;)
「おー、ここにおったんか! 探したで!」
スパーンと窓が開け放たれた音と共に、場違いなほど明朗な男子の声が百合香と拓也の間を分かつ。二人が音と声の発生源の方を振り向くと、そこには廊下側の窓から教室の中へ身を乗り出す倉敷良の姿があった。驚きのあまり、それまで百合香へ向けていた執着心はどこへやら。突然の乱入者の登場に拓也は言葉も出ないまま、ひたすら目を白黒させる。一方、百合香は良のこの登場方法に慣れているのか、あるいは彼女の肝が最初から据わっていたのか。大した驚きも見せないまま、いつもの愛想よい笑顔を良に向けた。
「あら、倉敷くんじゃない。何かご用かしら?」
「せやでー。でも今はお取込み中やったみたいやな。後で出直すわ」
「構わないわよ。私はただ、この部外者さんに絡まれて困っていただけだから」
「か……会長? 冗談言わないでくださいよ、俺とあなたの仲でしょう?」
「折角なら倉敷くん、部外者さんをここから摘まみ出してくれる? そうすれば邪魔者なしにゆっくりお話しできるわ」
「会長!?」
拓也の声など最初から聞こえていないというように、百合香は彼の発言に一切反応しなかった。よもや意中の生徒会長から、自分の存在を明確に無視されるとは思わなかった拓也は、その顔を真っ青に染める。
今まで長らく抱き続けてきた狂おしいほどの恋慕の情を、会員と役員という間柄もろとも呆気なく切り捨てられた。百合香のすぐ近くで発した悲痛な叫びも、彼女の耳には届いているはずなのに返事は全く返ってこない。そもそも先ほどから百合香は、自分の姿さえ視界から故意に外している。片原拓也という人間を間接的に、かつ徹底的に否定する百合香には最早、言葉通り取り付く島もない。そんな彼女の薄情な態度は、十分すぎるほどの絶望を拓也に叩きつけた。
どうして百合香に相応しいはずの自分が無視を受け、彼女と無関係同然のあいつが普通に認知されるのか。理不尽だ。不条理だ。不公平だ。こんなことはあり得ない。あり得ていいはずがない!
自分の想いを裏切られたと思い込んだ拓也は、しかしその憎悪を百合香ではなく良に向けた。この思考が公になっていたなら、あり得ないのはお前の八つ当たりだと十人中十人に指摘されていたことだろう。どちらにせよ、自分の一方的な感情を俯瞰視することもせず、拓也は通りすがり同然の良に殺意が籠った眼差しを向け――。
「何言うてんねん。こいつ、百合香ちゃんとこの役員やろ? 全然部外者やあらへんがな」
「そうなの? 学園に迷惑をかけるような子なんて、生徒会に入れた覚えはないのだけれど」
「ひっどいなー。そんな『お前なんぞうちの子ちゃうわ』みたいな、おかんの定番台詞っぽいこと言わんといてな。二年坊が可哀想やろ。なあ?」
「……へ?」
敵視した相手から返されたのは、同情の態度と援護の言葉。予想外だった良の反応に拍子抜けした拓也は、思わず彼の顔を二度見する。その視線に気づいて向けられた笑みには、やはりマイナスの感情は一切感じ取れない。意外な人物が自分の味方についたという事実に、拓也は戸惑いを隠すことができなかった。
一方百合香は、自分が定めた邪魔者の定義を他者に否定されたためだろうか。彼女の貼り付けられていた笑顔が、僅かだが不服そうに萎んでいた。
(続く)