翌日、マッケインは家にいた。本来は休みではないのだが、署長が、
「君はちょっと病んでいる。少し休みなさい」
と言ったからである。彼には、署長に反発する気力がなかったので、言われるがまま、帰宅したのだ。彼は、家に帰ってからというもの、ずっとベッドの上で体育すわりしている。何度も寝ようと、ベッドに入ったが、ついに眠れなかったのだ。
彼のベッドの上には地元新聞の切り抜き記事が置いてあった。昨日の銃撃戦についてだった。マッケインは、テープでくっ付けられたカーテンを見ながら、その記事を握り潰した。外には、記者たちがいるのだ。「銃撃戦に撃ち勝った勇敢なる警官」として取り上げようとしているのだ。先程、握り潰した記事にはケニーが「銃撃戦で殉死した悲劇の英雄」として祭り上げられていた。ネット上にはケニーの死体が投稿されていた。投稿者は、
「画像は警察官のケニー氏。合衆国からの汚職追放を目的とするテロリスト達と闘い、殉死された。私達は彼の勇敢さを敬い、残虐なテロリストを糾弾すべきです」
と言っていた。このコメントは多数の高評価を集めていた。誰もがこのコメントを讃え、そしてケニーやテロリストに言葉を送っていた。マッケインは、コメントを1つ1つ見ていくうちに、顔がどんどん紅くなっていった。終いには、端末を投げ捨てて頭を抱えた。昨日の銃撃戦の動画や画像を多くのユーザーが投稿していた。彼が思っていたよりも多くだった。そしてその全てが、ケニーを弔い、テロリストを攻撃するようなコメントを書いていた。だが、マッケインはこれらに憤りを……否、憤りしか感じなかった。共に闘おうだとか、尊敬するだとか言っているくせに、昨日の銃撃戦では、誰も助けに行かなかったし、誰も悲しんでいなかった。彼らは西部劇でも見るかのように喜んでいたではないか。ネットの上でだけ、神父牧師のように振る舞う彼らに憤りを感じるのは無理もないことだった。ただ、おかしいのは、彼以外に誰も「投稿者に対して」憤りを感じなかったことである。
密かに読んでました 好きです(直球)
>>26の話でケニーが撃たれた後で、メディアやSNSに対する風刺が効いてて痺れました……こういう小説はあんまり葉っぱにないので何だか新鮮です。これからも応援しています。