いじめはいじめられる方も悪い。
性格やら顔やらは言い訳であり、自己変化や一時しのぎで回避はできる。
しかし、今もなお加害者が悪いという意見は後を絶たない。変わるべきは一方でなく双方である。
ええと、まずいじめ自体が『犯罪行為』という事は知っていますか?
よくあるいじめである『カツアゲ』も恐喝に値しますし、殴る蹴る若しくはエスカレートしてからの根性焼きに至っては『暴行罪』です(被害者が抵抗した場合は『正当防衛』。やりすぎると『過剰防衛』になりますが…)
被害者の持ち物を傷つけた場合は『器物破損』。悪口を言ってあらぬ噂を建てれば『名誉毀損』になります
そして、被害者が自殺した際は『自殺教唆罪』及び『同意殺人罪』になります。
要するに『人殺し』になってしまう訳です。
ここまで書いたら分かりますね?『変わるべきは一方でなく双方である』とか言っている場合ではないんですよ。被害者は加害者に殺されかけてるんです。
>>1さんの言っていることは、『通り魔に刺されて死んだ場合、通り魔も悪いが、通り魔のいる道を歩いた被害者も悪い。』って言っているのと変わりないのです。
いじめの被害者になる理由は顔や性格もあるかもしれない。けれど>>1さんの言う『自己変化やその場しのぎ』でどうにかならない事もある。
『その場にいた』『ただ適当に選んだ』それだけで被害者になる事もあるんですよ
加害者は加害者であることには変わりはなく、被害者はあくまで被害者です。
もし、被害者の何らかの要因が加害者を刺激していじめという行為が起こったのだとしても、そこの関係性が変わることはないと思います。
加害者のいじめ行為を悪いこととし、逆に被害者にも責任があると非難するのでは本当のところの問題は解決できないのでは。
おそらく本質的な問題の部分には感情が関わってくるのではないかと思っています。
どちらが悪いだとか、どちらも悪いだとかそういうことを論点にしているところから外れて考えることが大事ではないかと、拙い言葉ですが、今はこういう感じに考えています。