聖書こそ真理と確信している者です。
神はいるのか?聖書は神の言葉か?聖書は何を教えているのか?議論しませんか。
私は世界のこと、人生のことにつき、様々な思想を見聞きし、その中に満足するものが見つからなかった為、何年も掛け、自分の知性と感性を傾け、ゼロから独自の思想体系を作り上げました。
それに飽き足らず、理論からでなく、直接的な体験から真理を得ようとも試みました。
しかし全ては虚しいものでした。それは私を幸せにも、より善良な人間にもせず、私は人生に絶望したままでした。
しかし、聖書について深い知識と理解を持つ誠実な人々に出会い、聖書を再考慮してみました。以前は熱心に批判していた聖書ですが、どんなに試みても粗が出ず、むしろ本当に素晴らしいものだと分かり、ようやく真理を見つけたと確信出来ました。
以下の聖句は以前の私を的確に描写しています。
格言3:7
自分は賢いと思ってはならない。エホバを畏れ,悪から離れよ。
コリント第一3:18-21
誰も自分を欺いてはなりません。皆さんの中に,今の体制において自分は賢いと考える人がいるなら,その人は愚かになりなさい。そうすれば,賢くなるでしょう。 この世の知恵は神にとっては愚かなものだからです。「神は,賢い人がその人自身のずる賢さに捕らわれるようにする」と書かれています。 「エホバは,賢い者たちの考え方がむなしいことを知っている」ともあります。 それで,誰も人間のことについて誇ってはなりません。
自分自身の知恵を誇りにしている間、誰も真理に辿り着くことは出来ません。しかし本当に優れた知恵を一度見出したなら、後は全き信頼を持って謙遜にそれに従うことが本当の賢さとなります。誇りではなく謙遜さに中に、本当の賢さを見つけました。