――この学園は、女王に支配されている。
【主な内容】
生徒会長によって支配されカースト、いじめなど様々な問題が多発した白羽学園(しらばねがくえん)。生徒会長を倒し、元の学園を取り戻す為に生徒達が立ち上がった……という話です。
【参加の際は】
好きなキャラを作成し、ストーリーに加えていただいて構いません。
ただし、
・チートキャラ(学園一〇〇、超〇〇)
・犯罪者系
・許可なしに恋愛関係や血縁関係をほかのキャラと結ばせる
は×。
また、キャラは「生徒会長派」か「学園復活派」のどちらかをはっきりさせてください。中立派もダメとは言いませんが程々にお願いします。
キャラシートは必要であれば作成して下さい。
【執筆の際は】
・場面を変える際はその事を明記して下さい。
・自分のキャラに都合の良い様に物事を進めないように。
・キャラ同士の絡みはOKです。ただし絡みだけで話が進まないということの無いように。
・展開については↑のあらすじだけ守ってくださればあとは自由です。
・周りの人を不快にさせないように。
>>197 ……?
199:文月かおり◆DE:2017/10/09(月) 20:12>>197 あ、い、いつでも!大丈夫です!
200:ABN 六月第一月曜日/講堂→E組教室:2017/11/28(火) 22:25 見慣れたブレザーが姿を消し、夏用の指定シャツが目新しくなった、六月最初の白羽学園。その日の全校集会は、ある一人の生徒の訃報から始まった。
「既にご存じの方もいらっしゃるかと思いますが……。先日、二年生の木嶋京子さんが、入院先の白羽病院でお亡くなりになりました」
百合香が神妙な顔でそう告げると、生徒たちの間にどよめきが走る。以前の失踪事件と少し前のニュースによって、京子の名前が不特定多数に認知されていた分、動揺する生徒の数もひとしおだ。その中には、かつて白羽病院を訪れた麻衣も含まれていた。ついこの間、自分があの場所にいたときには、少なくとも生きてはいたかつての同級生。彼女が帰らぬ人となった衝撃は、まだ若い麻衣にとっては強烈なショックだったのである。
そんな麻衣を含め、同じ白羽学園生の訃報にざわめきを抑えられない生徒たち。しかし百合香がスッと手を上げれば、すぐさま彼らは口を閉じ、彼女が立つ演説台に視線を向ける。
「木嶋さんが発見されたニュースを聞いたときには、例え時間はかかっても、彼女にはもう一度学園に帰ってきてほしいと思っていました。しかしそんな願いが叶うことなく、このような形でのお別れとなってしまったことが本当に残念でなりません。せめて皆さん、彼女のために黙祷を捧げましょう」
彼女の言葉に促され、生徒たちは無言で俯く。麻衣も彼らに倣い、黙って目を閉じた。今に限っては百合香の演説も響かない、しんとした静寂。いつも以上に張りつめた空気が麻衣の胸中に呼び寄せたのは、哀悼ではなく後悔の念だった。
当時は京子が衰弱していたため早々に諦めたものの、あわよくば彼女が回復次第、革命仲間に引き入れられればと思っていたのだが。しかしその可能性は、京子の顔を見ることもなく潰えてしまった。
もしあのとき、いばらの反対を押しきってでも京子に面会していれば、彼女を自分たちの仲間に引き込むことができただろうか? それが無理でも、失踪事件の真相、延いては百合香の目的や本性に繋がるような手掛かりを得ることはできたのではないか? 会話すら難しい状態だったとしても、京子の状態そのものから分かることがあったのではないだろうか?
次々と膨れ上がる後悔に耐えかねて、麻衣はふっと目を開けた。しかし黙祷時間の一分はまだ経過していなかったようで、周りの生徒たちはまだ下を向いている。一足先に顔を上げてしまい、人知れず気まずさを覚え。だが一度やめた黙祷をやり直すというのも何となくばつが悪く。とりあえず時間まで頭だけは下げておこうと思ったそのとき、斜め前方に自分以外にも頭を上げている人物を見つける。
「……?」
生徒から教師まで、講堂にいる全ての人間が俯く中。一人だけステージ上の女王を見上げていたのは結城璃々愛だ。彼女と麻衣の立ち位置上、こちらが頭を上げたことに向こうは気づいていないらしい。百合香のお気に入りである彼女なら黙祷を無視しても大して咎められないのだろうが、それはそれとして人の死を悼む素振りも見せないのは不謹慎だ。――と思ったところで、麻衣は璃々愛の表情筋が歪んでいることに気付く。
横顔が覗く程度の角度からであるため、彼女の表情の全容は分からない。それでも、璃々愛の口角が異常に吊り上がっている様はしっかりと確認できた。かつて京子に手酷くいじめられていた璃々愛からすれば、彼女の死はこの上ない吉報なのだろう。普通に考えれば笑みの理由はそれで結論がつく。しかし麻衣の推測はそこで止まらず、ある一つの疑念を胸中に抱いていた。
(続く)
(続き)
病院で聞いたいばらの話だと、京子が失踪する前日、璃々愛は彼女を呼び出していたという。その呼び出しが、一連の失踪に関係しているとしたら?
彼女の残忍さを鑑みれば、復讐のための抹殺程度なら璃々愛は容易く実行するだろう。もしそうだとしたら、当時の璃々愛はなぜ京子を呼び出したのか。そしてその一件が、どのように失踪事件と繋がるのか――。
「ありがとうございます。お直りください」
講堂に再度響いた百合香の声で、不覚にも麻衣は肩を跳ねさせた。今度こそ黙祷開始から一分経過し、周囲の生徒たちがぞろぞろと頭を上げていく。璃々愛を凝視していた様子を誰かに目撃されていないかどぎまぎしつつ、一先ず佇まいを直すふりをした。
「さて。悲しいお知らせはこのくらいにしておいて、そろそろ本題に入りましょう。今月の中旬には期末考査が控えていますね」
期末考査。その単語が挙がった途端、苦々しい空気が講堂内に満ちた。勉学が義務とされる学生にとって、テストというのは不可避の恒例行事である。だがテストに意気揚々と挑む生徒というのは、どの学校でも少数派の存在らしく。会長の手前、不平不満をあからさまに見せることこそないものの、やはり生徒たちの全体的な気落ちは否めない。そんな彼らの盛り下がりは、次の百合香の発言によって大きく変動することになる。
「最近、D組とE組の成績が低下しています。クラス分けの基準が成績である以上、学力に差がつくこと自体は仕方がないでしょう。しかしそういった事情を差し引いても、やはり二組の成績は白羽学園に相応しいと言えません。ですので、今回の期末考査では――」
――規定の点数を修得できなかったD組とE組の生徒には、夏期休暇全返上の補習を受けていただきます。
京子の訃報のときとは比べ物にならない大きな喧騒が、講堂中に沸いた。
◆ ◆ ◆
「ふっざけんじゃねえぞ、あのクソ会長!!」
全校集会が終了し、E組の教室へ戻った晃の開口一番がそれだった。叫び声に近い怒号に他の生徒は顔をしかめるも、その内容自体を咎める者は出てこない。口や態度には出さずとも、彼らの意見は晃とほぼ同じなのだ。そして麻衣も例に漏れず、百合香が宣言した通達を思い出して青色吐息を吐いた。
「規定点数とやらを取れなかったら夏休みなしとか……絶望的だわ」
「全くだ! 学生にとっての夏休みがどれだけ貴重か分かってんのか!? いや分かってるからこそやってるんだな! 畜生かよ!」
「……夏休みを満喫するのもいいけどね。私たちにはもっと大事な問題があるでしょ」
海水浴や夏祭りなど、夏という季節は精力的な行事が待ち構えているものだ。しかし麻衣や晃などに限っては、そんなイベントに現を抜かす暇はあまりない。約一ヶ月間はある自由時間の中で、いかにして反逆の準備を整えるか。そのために麻衣は今年の夏休みをできる限り費やすつもりだった。
それなのに夏季休暇全返上の補習などを受けていれば、準備のための時間は大幅に削られてしまう。しかも学園にいる間は、百合香の息がかかった者の目を常に向けられる可能性もある。より確実な反逆のためにも、そんな事態だけは避けなければならない。
「今回のテストは一件はD組やE組の嫌がらせの他に、私たちの監視も兼ねてるのかもしれないわ。一体こんなこと、生徒会の誰が考えたのよ」
「どうせ結城か会長辺りだろ。つうか夏休みなしって俺たちもだけど、先生にとっても問題じゃね? 労働基準法とか言うのに引っかかりそうなもんだけど」
「裁判所も警察も通用しないここで、現代社会ですら守られてない法律が通ると思う?」
「……だよなあ」
晃と同じ考えに至った教師は少なくないだろう。だが、一般生徒と比べれば幾分か立場が上である彼らも、結局は百合香に逆えない学園内弱者である。異議を唱えても即座に却下されるか、最悪の場合麻衣たち同様処刑対象とされる可能性もある。つまるところ夏休みが欲しければ、D組E組の生徒全員が規定点数をパスするしか解決策は存在しないのだ。
再び溜め息をついた麻衣に続くようにして、晃もがくりと肩を落とした。今の彼らにできることは、現時点では未発表である夏休みへのハードルが少しでも低くなるよう祈ることくらいだ。
ニートの正念場が近づいている。そう夏休みだ。
「まあ、つまらん持論だがな」
虚ろな目で祭壇を見つめている男が語りかけるようにいう。彼は何日も寝ていないからだ、幻覚を見ている。だが疲れはしない。疲れは恨みが取り去るからだ。
血で塗りたくられた写真、引き裂かれた写真、壁という壁に釘で打ち付けられた写真、穴を空けられた写真、そして燃え尽きた写真。その写真に写っているのは生徒会長、風花百合香である。彼はこれを飽きずに行う。
「これをあの女の末路にしてやる」
と呟きながら。
【お久しぶりの亜衣と恵里。今回は亜衣視点です】
「ヒナちゃん、泣かないでよ。大丈夫だって、ね?」
「うぅ……でも、っく、夏休み……っ、なくなっちゃ……」
「でもほら、勉強すれば合格できるハズだって。会長サンもそこまで冷たくないよ!」
「ウチらはDだから、Eよりはマシ。思わない?」
うっわー……。
「てかさ、夏休み返上したら教師もきついじゃん」
「だな。フツーそうだろ」
「……テストのレベル下げてくんねーかな」
「お、めっちゃ名案じゃん!」
「だろー!?」
なんか……。
「D組ってさ、割とみんなポジティブなんだね」
うん、そうですね……。
恵里の言葉にあたしは全力で共感した。ホント、なんであんな楽観的なんだろ。
あの生徒会長のことだから、鬼レベルに決まってる。先生に圧力かけて問題を激ムズにする、とかだってやってしまいそうな人なんだから。
そうよ、それこそ基準がとんでもなく高い――B組の人だって苦労するような点数なのかもしれない。なにしろ、会長さんってば史上最高の天才と名高い(らしい)御方なんだもんね。勉強に関する悩みなんて、ないんじゃないかな。
「それでさ、亜衣。夏休み……どうしよう?」
亜衣が小声で聞いてきた。そうでした、今はふざけてる場合じゃないんでしたね。
「先輩はA組だから大丈夫でしょ? 私たちが受からないと、話し合いできないよ」
恵里の不安そうな顔。顔色はあんまりよくないし、目が小刻みに揺れている気がする。
「ん、わかってる……でも、今回ばっかりは頑張らないとどうしようもないよ。テストだし」
「うん、だよねぇ……私、クリアできないと思う……」
「恵里がダメならあたしも無理。点数同じくらいだもん。あーあっ、なんでこう、上手くいかないかな。やっとイイ感じになったと思ったのに」
ちょっとだけ、という条件つきで協力してくれる助っ人が見つかって。
会長さんの事を知っている人も見つかって。
嬉しいなって、そう思った矢先にコレだ。
運が悪いとしか思えない。
「しかも……もう、会えないんだよね……木嶋京子、先輩」
「……うん。本当に、ビックリした」
そう。1番ショックなのが木嶋先輩の訃報だ。
あたしだけじゃなくて、恵里も、おそらくは板橋先輩も松葉先輩も、仲間になってほしかった人。
直接的関係は無いけれど、それでも。
少しでも知っている人が亡くなるのは……かなり、堪える。
先行きの見えない、そんな6月は始まったばかり。
どうなるのかなんて、誰にもわからない。
誰かが何処かで笑った気がする。
「面白くなってきたね」って。
(生徒会メンバーを確認がてら全員登場させたら、これまでで一番の長文になってしまいました…。恐らく無駄な文が多いかもしれません、すみません;)
「先生の皆様。今回は、私たち生徒会が立案したプランにご賛同いただき、誠にありがとうございます」
部屋の形に沿って、直方形の形に並べられた長机。その上座側に立つ百合香がうやうやしい台詞を並べ、優雅な動作で頭を下げる。続いて下座側に並ぶ教師たちも、彼女に倣うように深々と一礼した。
現在ここ会議室は、職員会議の会場として使用されている最中である。本来なら生徒の立ち入りは原則禁止されているのだが、その生徒が学園内の最高権力者である生徒会長であれば話は別だ。加えて今回は、彼女ら生徒会が考えたある計画が議題に挙がる予定でもあったため、生徒会役員数名の入室及び会議への参加が特別に許可されたのであった。
「いや、いや。生徒会長もご多忙の身でありるでしょうに、わざわざ職員会議にまで足を運んでくださって本当にありがとうございます」
「それほどでもありませんわ。生徒の皆様の成績に気を配るのは、学園の上に立つ者として当然の務めですから」
「さ、流石生徒会長! 一介の生徒に留まらぬその素晴らしき姿勢、我々教師陣も見習わなければなりませんな! ね!?」
百合香の身長より低い位置にある頭をさらにペコペコと下げながら、小太りの男性教諭は積極的に彼女を持て囃す。加えて彼のおだて文句に花を添えるように、他教師たちからの喝采が会議室に湧いた。賞賛の渦中にいる百合香は相変わらずの微笑みを浮かべながら、台詞以外に謙遜の態度を見せることはない。
たった一人の女子生徒を、全教師が囲んで過剰に誉めそやす。彼らの光景は、白羽学園における生徒会長と教師間のヒエラルキー崩壊をありありと表現したような有り様であった。残念ながらこれらの異常性を指摘できる蛮勇の持ち主は、この場に存在しなかったが。
「……先生、会長を持ち上げるのも構いませんが、そろそろ本題に入りませんか?」
「ああ! すみません神狩書記、私としたことが……! ど、どうぞ続けてください」
「全く。それでは皆さん、先ほど配布した資料の内容をご確認ください」
教師たちによる賞賛の嵐を、美紀が冷たい声色でぴしゃりと制する。豪雨のようだった拍手が止み、小太り教師が萎縮したのを確認すると、教師たちに配ったものと同じ紙束を手に取った。一枚目の中央には、大きめのゴシック書体で資料タイトルが印されている。
――『下位学級学力補完計画』。
漢字のみで組み立てられた題名は一見厳格さを覚えるが、要は百合香が全校集会で宣言した、D組とE組が対象となる無茶振り考査のことである。集会当時、「規定の点数をクリアしなければ夏休み全没収」という簡易的だった説明要項は、複数枚のプリントに渡る長い文字列に清書されていた。そんな資料の一枚目を全職員がめくったタイミングで、美紀は説明を続行する。
「最初のグラフを見てもらえば一目瞭然ですが、D組とE組は他三組と比較すると、平均点が著しく低いことが分かります。学力別でクラス分けを行っている以上、下位に属する生徒が出てくることは仕方がありません。しかしそれを加味しても、これは白羽学園の一員としてあるまじき成績です」
美紀の目線が、下位二組の授業を担当する教師たちにちらりと向けられる。彼女の無感情な目差しを、自分たちの教育方法に対する無言の叱責だと捉えたのか。教師たちはいたたまれなさそうに俯いて美紀から視線を逸らした。そんな彼らの胸中はいざ知らず、美紀はこのグラフの作成者である椎哉に次の説明を一任する。
「では、上位三組と下位二組の差を作っている要因は何なのか。統計と分析の結果、僕たち生徒会は一つの結論を導き出しました。『D組とE組には、白羽学園生としての自覚が足りない』のだと」
「白羽学園生としての、自覚……?」
「おや。この学園で教鞭を取っている先生方が、そんなことも分からないと?」
「い、いいえ!? 滅相もございません、十二分に承知しています!」
「……ならば構いませんが、ね」
ぽろりと疑問符をこぼした女性教師に嫌味な笑みを送れば、鬼教官を前にした二等兵兵士のように背筋を伸ばして緊張する。どうやら教師たちの畏怖は百合香だけではなく、彼女が直々に統べる生徒会自体にも及んでいるらしい。師としての威厳が欠片も見えない女性教師の無様さを、椎哉はフッと鼻で笑った。
「白羽の名を背負う生徒たる者、ただ高い成績だけを修めればいいわけではありません。定められた規律を重んじ、隣人を思いやり、正義と平和を何よりも尊ぶ。そういった方こそが、白羽学園生として最も相応しい生徒なのです。……そうでしょう? 北条副会長」
「素晴らしい。満点の模範解答だよ、安部野くん」
正しく絵に描いたような、理想的な椎哉の回答。それを聞いた智はパチパチと軽い拍手を送りながら、満足げな笑顔で二、三度俯いた。
「その点、今のD組とE組は残念ながら、白羽学園生の理想像には程遠い。D組の生徒は勉強より処刑活動に力を注いでしまっているし、E組に至っては最下級であることに甘んじて、勉強そのものを諦めている生徒も多い。だからこそ下位の二組には改めて、白羽学園生としての自覚を持ち直してもらわなければいけない」
「……それが、今回の学力補完計画ということですか?」
「その通り。勿論、学力の上昇も目的の一環ではあるけれどね。具体的には……」
教師の正答にたおやかな笑顔を浮かべながら、智は百合香に目配せを送る。以降の重要な説明を託された彼女は、今一度目前に並ぶ教師たちの顔を一瞥すると、おもむろに口を開いた。
「勉学における向上心が見受けれない方……つまり、考査当日に欠席したり、考査の途中で退場したり、答案を白紙で提出したりした生徒は、いかなる理由があっても全員処刑対象に定めます」
「!?」
一拍の絶句。そして間を置かず、教師たちの動揺が会議室に溢れ返った。
努力しない生徒を罰すること自体は分からなくもない。しかしその罰が処刑というのは度が過ぎているのではないか? また、やむを得ない事情で欠席や考査を放棄した場合はどうするのか? そして処刑対象が大量に選出された場合、生徒間ヒエラルキーのバランスに問題はないのか?
教師たちの疑問や抗議は、常識的な観念から見れば当然の声だった。だが彼らの正当な主張も、百合香の決定を盲信する悪魔にとっては煩わしい騒音に過ぎない。
「アンタたち勘違いしてない? そもそも処刑制度ってのは、不真面目な奴らを反省させるための決まりでしょーが」
「確かにそうだが、それとこれとは話が違うだろう! 一度考査に参加しなかっただけで即処刑なんぞ、いくらなんでもやり過ぎじゃないのか!?」
「じゃあ全員参加するようにアンタたちが頑張ればいいじゃん。例えば病気や喪中の生徒でも、教室まで無理矢理にでも引きずっていくとかさ?」
「結城!! お前、人としてやっていいことと悪いことが――」
「そうだ、かいちょー! どうせなら考査サボった奴の担任も連帯責任ってことで、まとめて処刑対象にしちゃおう?」
「あら、いい考えね璃々愛ちゃん。確かに生徒たちだけじゃなく先生方にも、白羽学園の一員として自覚を持ってもらった方が公平だわ」
「!?」
墓穴を掘った。璃々愛に口答えをした体躯のいい教師の顔には、後悔の二文字が大きく書かれていた。
昨今のアクの強いバラエティ番組でも、これほど非情な罰ゲームは行わないだろう。しかしどんなに冗談染みた意見でも、百合香が一度賛同してしまえば、それは決定事項とほぼ同義になるのだ。追加発案の巻き添えを食らった下位組の担当教師たちが、璃々愛に抗議した大柄教師を恨めしげに睨んだのは言うまでもない。
「じゃ、そーいうわけだから。先生たちもせいぜい頑張ってねー♪」
「いじめるのもその辺にしておきな、璃々愛さん。罰則の内容だけ決めたって話は進まないんだし」
「はいはーい」
不服そうに口を尖らせながら、生返事を返すと共に教師いびりを渋々切り上げた璃々愛。生徒会の中でも突出した奔放さを見せる彼女に、真帆は辟易の溜め息をつきながら議題を本題に戻す。
「さて、考査に参加しなかった人の扱いは一旦置いといて。次は合否判定の規準や、不合格だった生徒の処遇などについて説明します。二枚目の資料を見てください」
彼女の台詞を合図に、紙を一斉にめくる音が会議室に再び響く。他の役員が白羽学園生らしさや処刑の詳細について執拗なまでに語った分、真帆は学力補完計画の説明をなるべく簡潔に済ませるように努めた。
――今回の期末考査ではD組、E組の生徒に『規準点数』を設ける。規準点数を一点でも越えれば合格、同点以下なら不合格とする。
――合否判定は本試の一度きりとし、やり直しは認めない。追試などで規準点数を満たしても無効とする。
――合否の結果は各生徒へ個別に発表する。不合格となった生徒は、夏期休暇全返上の全日補習に必ず参加すること。
――不合格の生徒が一人でもいれば、担当教師は自らの夏期休暇を返上して補習を務めること。
――考査を無断欠席した生徒、答案を白紙提出した生徒、不合格かつ補習を無断欠席した生徒は、白羽学園に相応しい学習意欲がないものとして処刑対象とする。
――上記の理由によって処刑対象となった生徒の担当教師は、連帯責任として同じく処刑対象とする。
先ほどの二の舞にならないよう、教師たちは要項の中に異議や疑問点があっても文句をこぼすことはしなかった。それでも理不尽な詳細を改めて説明されるたび、彼らの口から憂鬱な嘆息が流れる。そうして真帆の説明が一通り終わったところで、若い教師がおずおずと手を挙げた。
「あのー。結局のところ『規準点数』って、一体何点になるんですか?」
「ああ。それなんだけど、具体的な点数の発表は考査が終わってからになります。何せ今回の規準点数は『各学年のA、B、C組内の最低点数』になるので」
「はあ……。しかしどうして、そんな手間のかかりそうな方法を?」
規準点数が何たるかの回答は分かった。だが他組の最低点数をなぜ合格ラインとしたのか、その意図はピンと来ない。そんな疑問符が晴れない若手教師の様子をクスクスと笑いながら、百合香は自分たちの狙いを解説し始めた。
「最初から具体的な数字を提示しては、その点数さえクリアすればいいと考えてしまい、必要最低限の勉強しか行わないでしょう。逆に規準点数を明確にしなければ、どれだけ勉強すれば合格できるのか全く分からない。つまり、妥協できる余地を取り上げれば、全力で勉学に励ませることができるのです」
「な、なるほど。でもそれなら非公開で合格点を決めておいて、考査が終わってから公表しても同じなんじゃ……?」
「確かにその点については、先生の言う通りですわね。ですが、先ほど安部野くんが仰ったことを思い出してください。白羽学園の生徒として相応しい自覚とは一体何なのか」
「……ええと、つまり……下位組の学力を高めるために、上位組にも協力してもらう、ということですか?」
「まあ、それで及第点ということにしておきましょう」
間違いではないが完璧というわけでもない、若手教師のしどろもどろな回答。自分たちの意図を中々汲みきれない彼の戸惑い顔に、百合香は嘲りを混ぜた苦笑を向ける。
「今回の学力補完計画は、飽くまで下位二組の生徒が対象です。だからといって、上位三組に何も施さないというのは些か不公平でしょう。ですから上位組の皆さんには補習などの処罰こそ与えませんが、規準点数――最低点数を一点でも上げるよう、互いに切磋琢磨していただきます」
「全員で協力して学力を磨き合えば、上位三組の成績が上がる。そうすれば規準点数も自ずと上がり、下位二組が目指す目標も高くなる。結果として、学園全体の学力が向上する。一石三鳥でしょう?」
百合香の説明に付け足すよう、彼女の後に美紀が補足を続ける。それでようやく若手教師の疑問符は納得に変わった。それから僅かな間の後、小太り教師の大袈裟な拍手が会議室に響く。
「いやあ流石! 落ちこぼれの二組だけではなく、生徒全員の成績にまできちんと目を配ってらっしゃったとは! 素晴らしい、素晴らしいですぞ生徒会長様!!」
小太り教師の世辞を皮切りにした、本日二度目の大絶賛。会議に似つかわしくない過剰賞賛の嵐が吹き荒れる中、百合香は彼らをたしなめることもなく黙ったまま微笑んでいた。
◆ ◆ ◆
「……切磋琢磨か。はっ、物は言い様だな」
会議室から少し離れた廊下にて。百合香を絶賛する喧騒を聞き流しながら、法正は一人毒を吐く。
生徒同士の協力や学園全体の向上など、耳障りのいい言葉を選んではいるが、結局の本質は下位組の合格ラインを悪戯に引き上げるだけの嫌がらせだ。
上位組に処罰は与えないと百合香は言ったが、それは生徒会による公式処刑に限った話。例え上位組に属していてもその中の最下位では、他の生徒から軽蔑の対象と見なされる。それどころか、もし下位組に点数を抜かれたとなれば、上位組の恥さらしとして処刑に近しい冷遇を受けることになるだろう。
ゆえに上位三組の生徒たちは、自分の成績が規準点数となることを回避するため、点数向上に躍起になる。結果、規準点数が下位組の実力から遠退き、下位組および教師たちの夏期休暇全没収の可能性がより強固になるのだ。
あの悪逆非道の女王のことだ。恐らくは以上の展開を想定の上で規準点数を定めたのだろう。彼女らしい利口で卑怯なやり口だと、法正は胸中で百合香を罵倒した。
そのとき。廊下の遠くから、バタバタと慌ただしい足音が近づく。目線だけでちらりと見やれば、そこには忌々しい元友人の姿があった。
「法正じゃねえか。こんなところで何やってんだよ。会長の出待ちか?」
「ただの見張りだ。むしろ出待ちはお前の方だろう? 拓也」
「まあな! どこぞのホラ吹きに乱暴だのストーカーだの言いふらされた分、今度こそ積極的に活動して『汚名挽回』するんだぜ!」
「……そうか」
『汚名挽回』では汚名を取り戻す、つまり自分の評判を落とすことになる。拓也の誤った四字熟語に法正は気付いたが、指摘はせず敢えて黙っておくことにした。前回の暴力デマ事件があったにも関わらず全く懲りていないところを見ると、同じ過ちを繰り返して自爆するのは目に見えているのだから。
目の前の元友人が『どこぞのホラ吹き』であることも知らず、得意気な自信を見せる拓也に法正がある種の感嘆を覚えたころ。複数人が一斉に椅子から立ち上がる音が聞こえてきた。すると法正は、用が済んだとばかりに踵を返し、早足で会議室から離れる。
「おいおい、もう帰るのかよ。会長のご尊顔は拝まねえのか?」
「……俺は隠れ生徒会だ。一緒にいる場面を見られたら面倒だからな」
百合香を偶像扱いする拓也を内心で嘲笑しながら、捨て台詞を残して法正は姿を消した。直後、彼と入れ違いになるようにして会議室から百合香が退出する。その途端、待ってましたと言わんばかりに拓也は彼女のすぐ側へ接近した。腰と頭を低くしながらも顔はしっかりと百合香の方に向け、興奮で息を荒くする様はさながらお預けを食らった犬だ。
「お疲れ様です、会長! ささ、長時間喋りっぱなしで喉も渇いたでしょうし、これから一緒にお茶でも――」
「ちょうどいいや、片原クン。この資料のデータ、学園のPCで修正して印刷しといて。全校生徒分、今日中にね」
「は? そんなの結城がやりゃあいいだろうが。自分が会長にべったりしたいからって舐めたこと言ってんじゃねえぞ」
「アンタそれ盛大なブーメランだって分かってる!?」
茶会という名目のランデブーは、璃々愛からつっけんどんに言い渡された雑用によって早々に出鼻を挫かれた。無礼な腰巾着相手に易々と引き下がるわけにはいかない。拓也は往生際悪く、自らの障害となる璃々愛を言い負かそうと口を開いた。のだが。
「片原くん。私も璃々愛ちゃんも、これからまた忙しいの。どうかお願いできるかしら?」
「はい! 会長のお頼みとあらば喜んで!」
雑用依頼を百合香が代弁した途端、傍目でも分かるほど明確に態度が変わる。そして璃々愛が差し出していた資料を半ば引ったくるように受けとると、あっという間にPC室の方へ疾走していったのであった。
ある程度は予想通りとはいえ、ここまであからさまに豹変すると思わなかった璃々愛は、呆けたように口をぽかんと開けて拓也が走っていった方角を眺める。そんな彼女の後ろでは百合香が、悪戯が成功したときの子供のような含み笑いを湛えていた。
「いやあ、あそこまで綺麗に手のひらを返すとはね……。ありがと、かいちょー」
「私の方こそ助かったわ。ここのところ、また彼のアプローチがしつこくなってね……。どうやって追い払おうか毎回考えてるのよ」
「あんなデマが散々流れたってのに? よっぽど恥知らずなんだね、片原クンは。……それか、誰かが油でも注いだ?」
「まあ、彼についてはどうとでもなるから、今は後回しでも大丈夫よ。それよりも璃々愛ちゃん。一つ『お願い』があるのだけれど」
『お願い』というキーワードと共に、百合香の笑みが深くなる。それは先ほどの悪戯染みた軽やかなものではない、何かを企むような酷薄なものだ。そのキーワードを聞いた璃々愛も、百合香の意図を察すると彼女と同様に表情を歪めた。
「人の長所を見つけることができるというのは、素晴らしい才能の一つだわ。だからといって、ところ構わずただ誉めればいいというものでもないと思うの。特に、大事な会議の最中には、ね?」
「分かるー。そんなにご機嫌取りしたいなら、もっと場所を考えればいいのにね」
「ふふ。そうね。本心はとっても大事だわ」
「あっ、アタシはいつも本気だからね!? あんなのと一緒にしないでよ、かいちょー!」
「勿論分かってるわ。璃々愛ちゃんは私の――」
いつしか『お願い』が他愛もない雑談に移り変わり、百合香と璃々愛のじゃれあいが始まる。実の姉妹のように仲睦まじい彼女たちの顔からは、先ほどの酷薄な笑みはすっかり消え失せていたのだった。
◆ ◆ ◆
翌日。会議で百合香を積極的に持て囃していた小太り教師の評判が、一夜にして地に落とされていたのはまた別の話。
【戸塚彩美視点でいきます】
『白羽学園掲示板 *生徒用
期末考査、正直どう思う? (204)
201 D組。 ないないないない!ほんとヤバい。受かんないかも
202 りぃ 私も。あ、誰が合格点教えて。情報求む!
203 俺ッ! え、だれも知んないんじゃね?
204 咲だよ! たぶんそう 生徒会は知ってるだろうけど
合格点予想!当てた人ラッキー(かも?) (138)
135 Bくみ♪ えっとー、じゃあ前回の平均点で
136 lala クラスごとに違うのかな?
137 スレ主。 前回の平均点知っている方名乗って!
138 ないわぁ 2-Dなら知ってるよーん
書き込む 新スレ作成 もっと見る>> 』
「へぇ。期末考査か……懐かしいなぁ」
スマホ片手に独り言。
誰にでもなくつぶやいた声は、電車の音によって搔き消えていった。
この掲示版は、後輩の真帆ちゃんに頼んで、生徒用のページを閲覧できるようにしてある。
何気なく覗いたその掲示板は、期末考査の話題でいっぱいだ。どうやら風花ちゃんたちがまた何かやったらしい。
書き込みから推察すると、基準点が設けられたようだ。
達成できないとどうなるのかはわからないが、とりあえず、とんでもない罰があるのだろう。あの風花ちゃんのことだから、ひどーいお仕置きに決まってる。
ま、あたしはOGなので口を挟むつもりはない。白羽学園生らしく勉強に励め、と言うしかない。
それよりも、1番重要なのは……8月の…………。
最寄り駅で電車を降りて、徒歩で自宅へ。ちょっと時間はかかるが、最近運動不足気味なので我慢する。
掲示板を閉じ、ある人物に電話をかける。3コール目で応答があった。
『……何の用でしょう』
僅かにいらだっているような声につっけんどんな言葉。だが、ずっと前にこの態度が通常運転なのだと知ってから、全く気にしていない。あたしは、割と切り替えが速い方だ。
「用がないと電話しちゃダメかな?」
にひひ、なんて意地悪く笑うと、相手は溜息を返してきた。
『駄目です。無駄な行動は慎むべきでしょう』
「相変わらずだねぇ君も。なんか心配」
『あなたに心配される覚えはありません。それより、用がないのなら切りますよ』
心配してあげたのに素っ気なく返された。本当に変わってないな、と苦笑した。
「用ならあるよ。期末考査、風花ちゃんは何してんの?」
聞くと、相手は数秒黙った。そして、誤魔化すように言った。
『……あなたは部外者でしょう。あまりこちらと関わらないでくれると嬉しいのですが』
「関わるよ。これからも、いっぱい。全部分かるまで」
『全部って……もう過ぎたことです。意味がありません』
「あるよ。ていうか、君だって調べてるでしょ。文句言わない」
『…………』
あ、図星。
『……この話は、後日改めて。日程は後で決めましょう』
「はいはーい。んじゃまた」
笑いをかみ殺しながら通話を終了…………して気づいた。
「期末考査の、聞いてなかった……!」
うわ、マズい。笑いと後輩の話術(?)にうっかり流されてしまった。
うあああ、と頭を抱えながら歩くあたし。
きっと誰がか見たら、奇人と思うに違いない。
………………くそ、してやられた。
【番外編:天本さんちのお年玉事情】
※本編とはあまり関係のない季節ネタです。
※千明が非常識です。
※一応理由はありますが千明の家庭環境がやたら特殊です。
※不都合などがありましたらお気軽にご報告ください。
本編より時間を巻き戻して、二年前の冬休み明け。独裁女王がまだ一介の生徒会役員にしか過ぎず、白羽学園も処刑制度がない平和な学び舎だったころの話。
ぬくぬくとした休暇が終わりを迎え、制服越しの寒気に毎朝晒される平日が始まる。進学校の一員であれば心機一転勉学に取り組むべきなのだが、しかし彼らも学生である前に人の子。極楽だった冬期休暇のまどろみを忘れることができず、エンジンが中々かからない生徒も少なくない。そんな怠惰な生徒にとってお年玉というのは、過ぎたる年末年始の大事な忘れ形見であり、物欲や遊楽の充填をエネルギーとするやる気スイッチでもある。――最も、その金額が期待していたものより貧相であれば、逆に落胆に追い討ちをかけることになったりするのだが。
労せずに得られる毎年恒例の大金は、得てして年始明けの話題に挙がりやすい。合計でいくらもらったのか、何に使うつもりなのか、むしろもう手をつけたのか。他人の懐事情自体は学生に大した価値はないものの、休暇中のブランクを埋める共通の雑談テーマとしては大いに役立つ。そんな中、当時最盛期だった広報部部長天本千明は、学園新聞のコラムに使う全校生徒のお年玉事情を集計していたのだった。
「へー、彩美先輩は二万円くらいか。学園平均の半分かそれ以下だな?」
「親戚は普通にくれたんだけど、両親がね……。もうバイトして稼いでるなら必要ないだろうって」
「そいつぁ世知辛い。将来設計のためにお金稼いでるのに、稼げるからお預けってのは酷い話だぜ」
「仕方ないよ。二人の言うことも理に適ってるし、それに安定しない職業を目指す以上、いつまでも親に頼りっぱなしじゃいられないもんね」
「かーっ、泣かせるねえ! 流石将来を見据えてる作家の卵は心構えから違う!」
一説によると、一人の学生が受け取るお年玉総額の全国平均は三万円ほどらしい。一方、広報部の調べによる白羽学園生の総額平均は四万円から五万円。恐らくは一般学生より優秀な成績を収めている分、褒美としてお年玉が増額されているといったところだろう。だが、そういった傾向があるにも関わらず全国平均よりも少ない金額しかもらえなく、しかしそんな結果に文句ひとつ言わない彩美のストイックな姿勢に、千明は自らの額を叩いて大げさに感嘆した。そんな彼女に反して、そこまで誉めそやすことでもないと彩美は肩を竦める。
「そういう千明ちゃんはどうなのさ? そっちも報道関係者って夢があるんでしょ」
「あたし? ここに入学してからはゼロよ。去年今年と記事を書くのに忙しくて、まず故郷に帰れてないし」
「ああ、そっか。確か君、実家を出て一人暮らししてるんだっけ」
「ま、その代わり現物支給ってことになったんだけどね。現金は郵送じゃ送れないから、その代わりにということで」
にんまりとオノマトペが聞こえてきそうなほどににやけながら、千明はスマートフォンを操作すると一枚の写真を表示させた。そこに写っているのは、四枚のプロペラと一台のビデオカメラがついた機械。電子工学には詳しくない彩美は一度首を捻るも、分野外なりのおぼろげな知識から機械の名称を導いた。
「これって……撮影用のドローン?」
「ピンポーン! それも高解像度、長時間稼働、長距離飛行と三拍子揃ったスグレモノ! ちなみにお値段はニーキュッパ」
「ふーん、つまり三万円くらいってこと? ドローンの相場とかはよく分からないけど」
「ノンノン。五桁じゃなくて六桁。二十九万八千円」
「にじゅうきゅうまん!?」
全国平均の約十倍に当たる高価格に、思わず彩美は絶叫した。いくら正月というイベントがあったとはいえ、とても学生に買い与えられるような値段ではない。それだけドローンの相場が高いものなのか、あるいは千明の親戚の金銭感覚がおかしいのか。どちらにせよ学生には大金に等しい価値のドローン写真を、彩美は目をまん丸にして見つめていた。
(続く)
(続き)
「いやあ、あたしはもっと安価なやつでいいって言ったんだけどさ。お爺ちゃんお婆ちゃんたちが「どうせ買うならより良いものを!」って制止も聞かずに買っちゃったんだよ」
「だからって二十九万は高すぎない!? 「良いもの」のレベル追究しすぎだよ!」
「でもうちじゃあ毎年こんなもんよ。なんせ一人辺りのお年玉こそ普通の金額だけど、それが何十人分と集まるからね。多いときだと五十万くらいは行ったかな」
「き、君の親戚って一体どうなってるの……」
まず孫一人に親戚数十人という比率はあり得るのか。あり得るとしたら天本家の家系はどうなっているのか。第一ブレーキを掛けようと思った親戚は誰かいなかったのか。子供に総額五十万円を毎年与える天本家の親戚。規格外の彼らがあまりにも想像つかず、彩美は思わず眩暈を覚えたのだった。
恐らくこれ以上の展開は、自分がついていける領域ではなくなる。そう思った彩美は千明の話を理解できているうちに、話題の方向転換を試みた。
「……そ、そういえば。なんでドローンなんか買ったの? 撮影なら普通のカメラでも事足りると思うけど」
「普通の撮影なら、ね。しかしより上質の記事を書くには、既存の機器じゃ痒いところに手が届かないこともある。試行錯誤すりゃああるものでもどうにかできるだろうけど、そんなことで苦労するくらいなら積極的に最新機器を取り入れて、取材や執筆の方に労力を回したいのさ」
「なるほど。コストを代償に提供物の質を上げるのは理に適ってるね。で、そこまでして取材したい記事って?」
「ふっふっふ、よくぞ聞いてくれたな先輩!」
待ってましたとばかりに、千明は愛用のマル秘ファイルから数枚の原稿を取り出す。学園新聞のプロットであるそれのタイトル部分には「今を時めく美少女優等生! 一年A組、風花百合香の素顔に迫る」と大きな文字で書かれていた。ゴシップ雑誌の見出しにも見えるような文章に、彩美は眉をひそめる。
「風花ちゃんの特集記事? 珍しいね、千明ちゃんが誰か一人をクローズアップするなんて」
「そうかい? 個人特集なら今までにも何度かやってきたぜ」
「でもそれって、大会や学校行事で賞を取った人とかでしょ。確かに風花ちゃんは主席レベルの成績だけど、それだけで特集を組むことって今までなかったじゃん。それもこんな大々的に」
白羽学園において高学力とは全生徒が遍く目指すべきであり、また到達できて当然の目標であるとされている。そのため通常の成績優良者は、教師や他生徒から称賛されることこそあれど、公的な賞を受賞したり名誉を広報されたりすることはほとんどない。在学中に得られる恩恵はせいぜい、考査の成績順位表で先頭を飾るか、卒業式の送辞あるいは答辞で代表に選ばれる程度だ。
そして千明も学園の校風と同じく、これまで高学力の生徒を特集したことはなかった。一応「成績上位者に聞くテスト勉強のコツ」というコラムで成績優良生をインタビューしたことはあったが、それは飽くまで勉強法に焦点を当てた記事であり、彼らの名誉広報はやはり二の次であった。だからこそ彩美は、今回千明が執筆する記事に違和感を感じたのである。
「確かにその通り。でも今回は特別中の特別さ。なんたって風花ちゃんのことを知りたがってるニーズが大勢いるからね! 需要に応えるのは供給側として当然の義務だろう?」
「そりゃあ、そうかもしれないけど……。ニーズって具体的にどこから?」
「大多数は新聞のアンケートからだね。今年度の夏くらいからもー要望がうるさくてうるさくて。それに先生たちからも風花ちゃんを特集してくれって直々に言われてんのよ。なんでも白羽学園の模範生として、もっと名前を広めてほしいんだと」
「へえ。そこまで人気者なんだ、風花ちゃん」
(続く)
(続き)
成績は常にトップクラス。整った顔立ちに浮かぶのは絶えない笑顔。育ちの良さを物語るような穏やかな性格と洗練された立ち振る舞い。その上一年生にして生徒会役員を務める愛校心。確かにこれだけの要素が揃っていれば、彼女の情報をより知りたがる読者が出現するのも頷ける。加えて学園を経営する教師陣からすれば、才色兼備な百合香は白羽学園の名を広める宣伝塔としてこの上ない適役なのだろう。
そこまで考えて納得しかけた彩美は、しかし自分が抱いた当初の質問を忘れていなかった。千明に向けていた目を怪訝なものに変え、彼女を睨む。
「で、風花ちゃんのインタビューに、なんでドローンが必要なの」
「それはほら、あれだよあれ。綺麗なものが芯まで綺麗なことってあんまりないじゃん? その辺のギャップ萌え? も余すことなく伝えるべきかな、ってね」
「……まさかとは思うけど、風花ちゃんのプライベートを盗撮でもするつもり!?」
「なーに心配しなさんな。何も臭わなきゃあ最初から使わないさ。臭わなきゃね」
「それって逆に言えば、怪しいと思ったら使うってことでしょ!? やめてよそういうの、一応生徒会の可愛い後輩なんだから」
「分かった分ーかった。未遂の時点でここまでバッシングされるんだったら大人しく諦めますよっと」
――君は全く分かっていない。ドローンの使用中止こそ宣言したものの、その理由が真の問題点を理解していないような千明の回答に彩美はため息をついた。
うら若き婦女子からすれば、知らない間に自分の姿が記録媒体に写されるというのは大抵嫌悪感を覚えるものだ。千明も同性であれば、盗撮される不愉快さには容易に気付くはずなのだが。あるいはそういった常識的な観念さえ忘れるほどに、千明は百合香の素性を明らかにしたがっているのだろうか。
「……千明ちゃんさあ。本当に周りから言われて、風花ちゃんを取材するつもりなの?」
「そだけど、なあに? 読者のリクエストにホイホイ応えるなんて主体性がないとか言っちゃう?」
「そうじゃなくて。千明ちゃんの取材の動機は本当に、みんなにリクエストされたから『だけ』?」
目の色は怪訝なまま、彩美は千明の顔を真っ直ぐに見つめる。元より千明は一度興味を持った事柄に対しては、僅かも妥協せずとことんまで真相を追い求める気質の持ち主だ。そして今回の百合香の取材も、断念したとはいえドローンを用意してまで根掘り葉掘り調べ倒すつもりだった。ということは、千明は百合香に対してそれほどまでの強い興味を抱いているということだろうか? そうだとしたら、一体彼女のどこに?
真剣な表情の彩美にキョトンとしていた千明は、ややあって彼女の質問の意図を理解すると、にいっと鮫のように口角を上げた。
「一つだけ付け加えるなら。広報部部長の勘、ってやつかね」
「ねえ、マジで頼むよ! あたしたちの仲でしょ?」
「んなこと言われたって、私にも学園での立場ってもんがあるのよ」
「そうだよ! わざと手抜いたのが生徒会にバレたらどうするつもり!?」
「そこは一蓮托生ってことで! あたしたち友達じゃん! ね?」
「はあ!? 我が身がかわいいからって馬鹿なこと言わないで!」
異例なる期末考査の宣言により、学園中に衝撃が走った全校集会の翌日。日を改めて告知された、規準点数とその詳細――『下位学級学力補完計画』の内容は、C組以上の上位学級とD組以下の下位学級の溝をより深めることになった。
元より学力が自分の身分を表す白羽学園において、成績で区分された学級間の交友は乏しい。上位組の生徒が地下人の学力不足を嘲笑し、下位組の生徒が殿上人の傲慢無礼を軽蔑する。双方が険悪な敵意を向け合うこの形態が、白羽学園における学級関係の基本形だ。そんな冷え切った学び舎の中でも、別学級同士でありながら個人的な交友関係を保っている生徒は幾組か存在した。学級同士を隔てる学力差や偏見を超え、育まれた友情が少なからずあった。
そこで下位組の生徒は、ここぞとばかりに上位組の友人を当てにしたのだ。親愛なる自分たちのために今回の考査の規準点数、つまりA組〜C組の最低点数を下げてほしいと。だが個人間の強固な絆も、学園内の地位を人質にされては塗り壁程度の脆さしかなく。上位組の生徒は揃って下位組の頼みを断った。いくら友人のためとは言え、一歩間違えれば自分の名声や人権に関わる成績を損ねることはできないと。
彼らの交渉の最終結果がどうなったのかは各人各様ゆえに割愛する。それでも大なり小なりの禍根が両者に残されたのは間違いないだろう。とかくかくして、上位三組と下位二組の亀裂は以前にも増して広がったのである。
閑話休題。美術室特有の大きな工作机を挟んで向かい合っているのは、美術部部長の倉敷良と、美術部部員兼生徒会役員の結城璃々愛。ひょうきんな性格の持ち主として知られている二者にしては珍しく、真剣な面持ちでじっと互いを見つめていた。
「璃々愛ちゃん……。それ、ほんまに正気で言っとるんか?」
「勿論。むしろ逆に聞くけど、アタシ何か間違ってる?」
「間違うとるとか合うてるとか、そういう問題とちゃう! これは俺の魂にも関わる案件なんや!」
「そうは言われてもさあ、忠告自体は前からずっと聞いてたでしょ。それを無視してきた良にいの自業自得じゃん」
「せやかて、やってええこととあかんことがあるやろ!! こいつばかりは確実に人としてアウトやで!」
「…………あのー。先輩方」
飽くまで自分のプライドを譲らない良と、生徒会として非情な決定を押し通そうとする璃々愛。二人の論争は平行線で、いつまで経っても終結する気配がない。そんな膠着状態にいい加減痺れを切らしたのか、このやり取りを傍観していた一年の美術部員が口を挟む。横槍を刺してきた後輩を璃々愛は煩わしそうな表情で見やり、良は縋るような目で彼に食いかかった。
「一年坊! 芸術家の卵たる者、ときには規則に囚われんと型を破る必要かてあるんや! 同じ美術部員の男として、自分やったら分かってくれるな!?」
「い、いいえ。というか僕は、結城先輩の意見の方が正しいかと……」
「うええええええええ!?」
後輩の回答にさほど時間はかからなかった。てっきり自分の意見に賛同してくれると期待していたらしい良は、返ってきた真逆の返事にあんぐりと口を開ける。味方を募ろうとしてあっさり振られた良を、璃々愛は当然のように鼻で笑った。
「ほーら。一年の奴だってこう言ってるんだから、潔く諦めなさいってば」
「ぐ、ぐぬぬ……! しかしまだや、俺はこんなところで妥協するわけには……!」
「良にいは一体何と戦ってんの。とにかく、いいからさっさと観念して――」
「おーい、倉敷はいるか……って、げっ。結城かよ」
(続く)
(続き)
がらりと扉が開く音と共に、美術室へ新たに入ってきたのは片原拓也。どうやら良に用事があったらしい彼だが、入室早々己の恋路の障害である璃々愛が視界に入り、あからさまに不快そうな顔を見せた。一方、拓也の人間関係に疎い良は、その不快感に着目することもなく、今度は彼を自分の味方につけようと必死に縋りつく。
「来たった! 救世主! ちょっと後生やさかい助けてくれや拓坊(たくぼう)ー!!」
「え? あ、はあ!? 救世主!?」
「片原クンか……まあいいや。アンタからも生徒会として良にいに何か言ってやってよ」
「いやいやいや待てよ。お前らは何の話をしてるんだ」
話の内訳も説明されず、璃々愛と良の板挟みにされかける拓也。自分は用事があって美術室まで足を運んだというのに、それを済ませる前に事情も分からない二者の対立に巻き込まれるのは溜まったものではないと、まずは詳細の説明を要求した。彼の求めに真っ先に対応したのは良。
「あんなあ拓坊、璃々愛ちゃんが酷いねんて! 考査期間中は美術室で絵描いたらあかん言うんやって!」
「は? テスト中の部活自粛は別に普通のことだろ」
「へえ、良かった。片原くんもその程度の常識は弁えてるんだね」
「俺が非常識人みたいな言い方すんじゃねえ! で、なんでそんな当然のことでギャーギャー喚いてんだよ?」
生徒会長をストーカーした張本人――体裁上はデマ扱いだが――が何をとぼけているのか。そんな侮蔑の念が込められた視線を璃々愛は拓也に投げかける。しかし彼の犯歴はこの場の問題とは無関係なため、それ以上の指摘はせずに事情の説明を続けた。
「その当然を、良にいは白羽学園に入学して以来一度も守ったことがないの。今までは及第点をギリギリ取ってたから、先生たちも注意はしつつ黙認してたんだけどね」
「えっ、マジで!? ずっる!」
「でも今回のテストは、白羽学園生としての自覚を取り戻してもらうって目的もあるでしょ? そんな名目のテストをやる手前、流石に例外を見逃すわけにいかないじゃん」
「そりゃあ倉敷が悪い。潔く諦めるんだな」
「嘘やん! お前だけは味方でいてくれる思たのにー!」
「うっせえなあ。テストが終わりゃあまた部活やれるんだろ? たった一週間くらい辛抱しろよ」
「ああ、それなんだけどさ」
絵画が恋人だと形容しても過言ではない良にとって美術部断ちは確かに堪えるだろうが、その期間は決して長くはない。少しの期間だけ自分の欲求を我慢すればいいだけなのに、なぜここまで往生際悪く駄々をこね続けるのか。拓也が思い浮かべた疑問は、璃々愛の補足説明によって解決される。
「良にいだけ『今回のテストでA組からC組の平均点を超えられなかったら、卒業まで部活全面禁止』ってことになったから」
「…………へ?」
――当てが外れた。璃々愛の台詞を聞いて目が点になった拓也の頭に、真っ先に浮かんだ言葉がそれだった。
考査期間中の部活自粛命令を再三無視してきたツケだと思えば、提唱された良の処遇は妥当と言えるだろう。だがこの処罰内容は、拓也にとって非常に都合が悪かった。なぜなら拓也はD組。『下位学級学力補完計画』の対象者だ。決して勉強が得意とも好きとも言えない彼からすれば、自分が越えなければならない規準点数はとにかく低い方がいい。だからといって普通の上位学級の生徒に頼み込んでも、自分の身分かわいさに点数を下げることはしてくれないだろう。しかし芸術狂いとも称されている良であれば、成績低下に伴う評判低下程度に頓着することはない。つまり彼は、規準点数低下交渉における優良人件なのだ。
だからこそ、規準点数を超えるハードルを良にだけ課されるのは非常に好ましくない事態だった。彼なら上位組の最低点数を快く逆更新してくれると思っていたのだから。
(続く)
(続き)
「な? こんなん鬼の所業やん!? 卒業までの残り約九ヶ月、他の部員が絵描いてるのを指咥えて見とれなんてあんまりやろ!」
「そ……そう、だな。流石に三組の平均点以上は厳しすぎだろ。もうちょっと軽い内容にしねえ?」
「はあ? アンタ生徒会のくせに情け心見せてどうすんのよ」
「べ、別にいいじゃねえか! お前みてえな冷血人間とはわけが違うんだよわけが!」
部活を自粛しなかった分のペナルティを良が受けること自体はどうでもいい。しかし良が規準点数を下げられない事態になることだけは回避しなければならない。折角の交渉計画が始まる前から台無しにならないよう、拓也は必死で良の弁護に回った。やけに躍起な態度の彼を前に、璃々愛は訝しそうに眉をひそめると大げさな溜め息を一つつく。
「あっそう。そこまで良にいを庇いたいなら直談判すれば? かいちょーに」
「なっ!? なんでそこで会長が出てくるんだよ!」
「だってかいちょーも良にいの成績を心配してたんだもん。良にいのことを考えて、敢えて心を鬼にしたっていうのに、冷血人間なんて言われちゃって可哀想!」
「えっ、そうなん?」
「ち、ちがっ! あれは会長に向けてじゃなくて、結城お前に……!」
「あーあ。残念だけど、そんなに良にいのことが大事なら仕方ないね。かいちょーに交渉のチャンスを用意してもらえるよう、アタシが伝えてあげるからさ!」
「ぐっ……!」
先のストーカー疑惑事件によって、現時点で拓也に対する百合香からの心証は底辺レベルだ。ただでさえ最悪の状況なのに、さらに彼女が取り決めた処罰に異を唱えたとなっては、例えその動機が正当でも、今度こそ完全に見捨てられることは目に見えている。規準点数の低下および良の感謝と、百合香からの好感度。二つを天秤にかけたとき、傾く皿は決まっていた。
「……や、やっぱ、会長の言う通りだな? 折角のご好意なんだ、ありがたく罰を頂戴しとけよ!」
「拓坊おおおおおお!! さっきまで味方してくれたのはなんやったんや!?」
「だ、だってほら、言うだろ!? 『情けは人の為ならず』ってさ!」
「正しい意味で使うとるつもりやったらここは助けるところやで!!」
「はいはい、そんなに嫌なら頑張って良い点数取ればいいだけじゃん! そういえば片原クン、良にいに用事があったんじゃなかったの?」
「えっ!? い、いや別になんでもねえよ! じゃ、せいぜい頑張れよ! 倉敷先輩!」
腐っても生徒会役員の一人である自分が、規準点数の低下交渉を試みたと露見しては不味い。良が二の句を告げる前に、拓也は脱兎のごとく美術室から逃げ出したのであった。あっという間に消えた拓也の背中を良は絶望顔で、璃々愛は人が悪い笑みで見送る。
「うわああああああ!! 拓坊の薄情もん!」
「ま、そもそも片原クンを頼りにしようとしたのが運の尽きだったね。というわけで、今回のテスト期間こそ大人しくしてなよ。良にい?」
「嘘やこんなことー!!」
その後、彼の体力が尽きて寝落ちるまで、良の大人げない叫び声が校舎中に響き渡り続けたとかそうじゃないとか。
(続く)
(続き)
◆ ◆ ◆
「キャハハ! 片原クンったら、分かりやすいから本当助かるわー」
百合香の肩書きを出したときの、拓也の動揺顔を思い出しながら、璃々愛は彼の浅はかさをせせら笑っていた。
良への処罰内容を説明して拓也が目を点にした時点で、璃々愛は彼の用事を察していた。さらに拓也が処罰の内容に反論した際、禁止事項ではなく点数を指摘したことによって、彼女の勘は確信へと変わった。もし本当に良の身の上を憐れんでいるのなら、部活の全面禁止の方を緩和するように働きかけたはずだ。しかし、拓也はそうはしなかった。であれば彼が、組も学年も違う良を訪ねる理由は一つ。『下位学級学力補完計画』における規準点数の低下交渉だ。
尤も、規準点数は学年別に定められるため、良への交渉が成立したところで拓也にはなんの旨味もないのだが。恐らくは計画の詳細を熟読せずに、規準点数の概要を大まかに知っただけで先走ったのだろう。
「アタシは別に『かいちょーが直々に良にいへ部活禁止令を出した』なんて一言も言ってないんだけどね?」
確かに百合香は過去に、良の成績や芸術への傾倒ぶりを心配していたことはある。だが今回の考査においては、百合香は良に対して一切の言及を行っていない。先ほどの璃々愛の口ぶりは、まるで百合香が良の処遇を決めたような内容だったが、実際は事実をほんの少し交えた虚言だったのだ。
どうしてそんな嘘をついたかといえば、無論拓也を説得するためである。百合香の望みという大義名分の下であれば、自分の都合もプライドもかなぐり捨てて平伏する男だ。彼女の名を使わない手はないだろう。それに勉学における良の不真面目さには、多くの教師が辟易している。そんな彼の勝手気ままを女王のお墨付きで禁止できると、そのための口添えを自分がしてやると言い含めれば、教師たちは喜んで良の部活禁止案に便乗するはずだ。そうすれば結果的に璃々愛の嘘は真実となる。そうでなくてもいずれ百合香本人が、自分の成績をも気に留めない良の性格を懸念し、何かしらの対策を練っていたはずだ。それを璃々愛が一足先に済ませておいただけの話である。
「とにかくこれで、かいちょーの野望の障害はまた一つ片付いた! ……と、思いたいんだけど」
百合香の障害を排除した直後の彼女にしては、やけに不安げな声色が璃々愛からこぼれた。拓也が良を訪ねて美術室に入ってきたとき、そして良が彼を『拓坊』と親しげな呼称で呼んだときから、璃々愛は言い知れない胸騒ぎを覚え続けていたのだ。
方や、生徒会長を求めるあまりストーカー行為すら厭わない恥知らずの生徒会役員。方や、絵描きのためなら成績も評判も問題視しない芸術狂いの美術部部長。何かに熱狂している以外の共通点など見当たらない二者がなぜ、どうやって、何のために既知関係となったのか。尤も璃々愛からすれば、百合香にさえ被害が及ばなければ彼らが何を企もうとも構わないのだが。他人事で一蹴するにはどうも憂慮が拭えない組み合わせだ。
「……どのみち現時点じゃ、経過観察するしかない、か」
いくら勘が冴えていようと、事が起こらない限りは根拠のない予想にしか過ぎない。ただ怪しいというだけで拓也や良を告発するわけにもいかず、現時点では二人を注意深く見張るだけに留まるのであった。
(続く)
(続き)
◆ ◆ ◆
独裁政治の贄である処刑対象の学園生活は、総好かんという針のむしろとの戦いだ。登校すれば下駄箱や机に悪質な仕込み。廊下を歩けば好奇の目線や聞こえよがしな陰口。授業中にはゴミを投げつけられ、教師によっては教わっていない範囲の難題を無理やり回答させられる。休み時間には理不尽ないちゃもんをつけられ、相手の気分次第では暴力や器物破損などを被ることも珍しくない。
日々そんな仕打ちを受け続けていれば、大抵の人間は必要以上の悪意に晒されないよう保守的な行動を取るようになるものだ。それは革命の中心人物である麻衣や晃たちでさえも同様で。授業中は相手を挑発しないようなるべく無反応を決め込み、休み時間は人気のいない場所へ避難することが、彼女たちの日常茶飯事となっていた。なお、二人に言わせると、自分たちの場合はただの敗走ではなく戦略的撤退ということらしいが。
この日の昼休み前、E組の授業は体育となっていた。通常の授業の後であれば二人一緒に教室を出てその日の避難先を探すのだが、体育や選択科目などの互いが別れる授業の前はあらかじめ避難場所を決めておき、それぞれの授業が終わり次第各自集合するのだ。
自然に定まった取り決めに今回も従い、麻衣は素早く制服に着替えてから弁当を持って校舎の裏手へ向かった。しかし、待てど暮らせど晃の姿は見えず。そろそろ弁当に口をつけなければ昼休み終了までに食べ終わらないくらいの時間になったころ、ようやく晃が麻衣の前に現れたのだった。
「晃くん! 遅かったじゃない……って、どうしたの!? 顔の左側、腫れてるわよ!」
「こんなん大したことねえよ。拓也の奴にちょっかい出されただけだ」
「大したことあるって! お昼用の保冷剤だけど、良かったらこれで冷やして」
麻衣は弁当に付属していた保冷剤を取り出すと晃に渡した。暖かくなってきた気温のせいで大部分が溶けてはいるが、打撲傷の冷却には十分な冷たさだ。晃はそれを受け取ると、殴られた頬にあてがいほっと一息つく。口では大したことはないと強がったものの、怪我を心配され手当てを受けること自体に悪い気はしないようだ。やがて顔の痛みが引いてきたところで、晃はおもむろに会話を切り出した。
「しっかし、なんちゃら補完計画だっけか。一体どうやってパスしたもんだか」
「どうするもこうするも、規準点数が最後まで分からない以上、ひたすら勉強するしかないんじゃない?」
「身も蓋もねえ正論だな。もっとこう、裏技というか抜け道的なものはないもんかねー」
「そう思ったどうかは分からないけど、中にはC組以上の生徒に掛け合った人もいるみたいよ。聞いた話だとほぼ全員玉砕したらしいけど」
「マジで? 気持ちは分からないでもねえけど、せこいことするなあ。……あっ、さっきの拓也がやたらイラついてたのってまさか」
目先の甘い汁を啜るための努力は惜しまない元友人であれば、規準点数の低下交渉くらいは試みていてもおかしくない。そして先ほど振るわれた理不尽な暴力行為からして、彼の交渉は十中八九失敗したと見ていいだろう。拓也からの八つ当たりの理由に晃が思い至ったところで、不意に彼のポケットが振動する。中からスマートフォンを取り出して見てみれば、画面に映し出されていた名前は『天本千明』――彼女の義弟、安部野椎哉からのメール着信だ。
「うおっ、天本……いや、安部野先輩からか。相変わらず姉ちゃんのアドレスからメール送ってるんだな」
「そりゃあ表向きは生徒会なんだから、自分名義での履歴を残すような真似はしないでしょ」
「それもそうか。俺たちも天本先輩名義の方が、まだ言い訳の余地はあるだろうし。……多分」
(続く)
(続き)
意識不明の人物がどうやって文章を打つのかという大きな問題があるが、その解は実際に履歴を盗み見されたときに考えることにした。それに、発覚すれば即アウトの椎哉名義よりかは幾分か言い訳の猶予があるのだから。
それはそうと、まずは彼から送られたメールの内容を確認しなければ。晃は麻衣とともにスマートフォンの画面を覗き込みながら、やや緊張した面持ちでメールを開封した。椎哉のメールはやたら長文傾向にある。
――――
松葉晃さん、ご無沙汰しております。
今回の期末考査では『下位学級学力補完計画』というものが執行されますが、心構えの方はいかがでしょうか? 元C組である板橋さんはまだしも、D組であった松葉さんの成績では些か不安です。もし不合格となってしまえば、反逆の準備に費やせる時間が激減してしまうのですから。
そこでここは一つ、反逆勢力による勉強会を開催しようと思います。名目通りの勉強も勿論ですが、何より皆さんとは今一度顔を合わせて話し合いたいと思っている所存です。日時と場所は追って説明しますが、僕の住まいとする予定です。お互いのこれからのためにも、一度検討してはいただけないでしょうか? 良いお返事を待っております。
追伸:お手数ですがよろしければ、一年D組の白野さんと戸塚さんにもこの件をお伝えください。彼女たちにとっても決して他人事ではないでしょうから。
――――
「べ、勉強会!?」
「しかも先輩の家で!? ちょ、ちょっと想像がつかないんだけど」
「お、俺も……。ってかあいつ、まず住んでる家あるのか!?」
「いや、流石に家はあるでしょ。ホームレスじゃないんだから」
勉強会と言えば通常、仲のいい友人知人が誰かの家に集合し、一つのテーブルを囲みながら勉強を教え合うという和気藹々としたイベントだ。学生が一ヶ所に集合する理由としては確かにおあつらえ向きなのだが、それを提案したのが椎哉となると妙に感心できない。何せ白羽学園における安部野椎哉と言えば、執事と揶揄されるほどの絵にかいたような模範的優等生。自分たちや周囲が知る限りでは、学園にプライベートを持ち込んだことは一度もない。つまり麻衣と晃には、彼の生活臭が一切想像できないのだ。そんな人間味のない人物が主催する勉強会と言われても、正直なところかなり不気味である。しかし。
「……あのさあ、麻衣。こんな真剣な話、振られた側からなんだけどよ」
「な、何?」
「単純にさ……安部野先輩の家、興味ねえか?」
「……ないことはない、かな」
どんな家に住んでいるのか。千明以外の親兄弟はいるのか。普段どんな食生活をしているのか。自室には何が並んでいるのか。生活感が見えないことによる生理的嫌悪感は、その生活感を暴いてみたい探求心によって徐々に蝕まれつつあったのだった。
「断る」
「そこをなんとか!ちょっと手ぇ抜いてくれるだけでいいんだよ!?」
法正は、昼食を軽いもので済ませた後、本をペラペラとめくりながら、D組の生徒の話を断固拒否していた。
この生徒は、前は真面目に勉強していたものの、不良とつるんでの悪ふざけが原因でD組に降格させられた男だ。
「手を抜くだと?俺は物事に全力なんだ。今こうしてここで本を読むのにも、何にも全力なんだ。」
「これでもダメか!?」
生徒は土下座をするものの、法正は見向きもしない。
周りからヒソヒソと声が聞こえるが、法正は気にも留めていなかった。
(松葉晃に秘密の関係をわざと聞こえるように明かしてみたが、生徒会側からの動きも何もない。
となると、もう少し聞かれやすい場所でやるべきだったか……いや、布石は打てた。罪悪感で松葉晃の動きが止まればその程度、むしろ俺に協力を要請するのなら遠慮なく……いや、ためらいを付けるべきか。
おっといかんいかん、考えるのに夢中過ぎて目の前の凡愚を放っておいたな……どうでもいいか。)
法正は生徒を一蹴し、そのまま本を読み続けた。
「うわー一葉くん冷たい……」
「冷血ー」
「心カチンコチン男ー」
周りからヒソヒソと噂されているが、自分たちが交渉されたらどういう気分なんだよ、と思いつつ、法正は本を閉じ、スマホをいじりだす。
学園掲示板を開き、また書き込みをするのだった。
「あ、亜衣! ねぇねぇ来たコレもう神った、神ってるよ!」
「うん恵里、もうちょい静かにしようねー」
階段を降りた先の靴箱近く、恵里が手を振っている。何か白い紙みたいなのを持って。
「えっと、神ってるって、ソレが?」
「そう! 亜衣のトコにも入ってると思う。見て見て!」
「えぇ、何なのよもぅ……て、コレ?」
速足で駆け寄って、自分のところを覗き見た。恵里の隣、1番端。
入っていたのはメモだった。あの、付箋みたいなやつ。
「えっと……えぇぇ!? マジで?」
「ね、神ったでしょ」
「や、なんていうか、ありえな過ぎ……」
安部野先輩の自宅で勉強会をひらくそうです、もしよかったら来て
いろいろ話して、それで勉強しようって
日時は後で連絡だそうです。
板橋、松葉
安部野先輩の家で、勉強会ね……。
「行こう、恵里」
「もちろん!」
恵里は満面の笑みで頷いた。人懐っこいリスみたいに。
「よっし、なら返事しに行かないとねっ」
恵里の手を引っ張って、廊下を進む。目指すは2年生の靴箱。
「え、今なの!? 明日にしようよ〜」
「だーめ。明日の朝1番に読んでもらわないと」
「ていうか手ぇ痛いぃぃぃ」
「えっと、お返し?」
「んなっ!」
そんな感じで、からかいながら歩いて行く。途中、メモ帳とペンを出そうとして、現在あたしは手ぶらだって気づいた。でも戻るのは面倒なので、こういうときは友人を頼る!
「ね、メモとペン持ってる?」
「持ってるけど、ポケットの中。手ぇ離して」
流石、典型的なA型の日本人。ドラえもんみたいじゃん。
「ん、はい」
ポン、とメモ帳と小さなシャーペンを渡される。ありがと、と言いながら受け取った。そして、そのついでにまた彼女の腕を握る。んで、早歩き。
「なんでそーなるかなもー……」
恵里の文句は聞き流す。なんて返事するか考えなくっちゃ。
「っと、板橋先輩と松葉先輩、どっちがいい?」
「板橋先輩。松葉先輩は、ちょっとだけど怖いもん」
たしかに。一理あるかもしれない。
考えていた文面をメモに書いて、最後に名前を。恵里にも頼んで書いてもらう。
伝言ありがとうございます。嬉しいです、喜んで参加させていただきます、とお伝えください。
情報交換はその日にでも。
岩崎亜衣のです ***-****
白野恵里はこちらです ※※※‐※※※※
「ん、じゃあ板橋先輩のトコに投函してっと」
「ねぇ、電話番号まで書いちゃって大丈夫かな」
恵里が心配そうな顔で言った。
「どして?」
「誰かに見られたりしないかなって」
「あー……消す?」
盲点。
たしかに、流出したら大変だ。
「ううん、やっぱいい」
「いいの?」
「誰も見ないと思うし、いざとなったら変えればいいかなぁって思った」
「おー、意外と思い切った対応するねー」
ホント、前の恵里とは変わったな。もしかしたら、ただ仲良くなったからかもしれないけれど。
「女は度胸って言うじゃん!」
「それちょっと違うよ!」
「赤いパンプスで世界を変えてみたぁい」
「あーそれ知ってる! 2巻のでしょ!」
「私、あの女の子好きなの」
「いやそれより写真のさ――」
趣味の話に没頭する、とってもありふれた放課後だ。
【人の電話番号を見つけても、それを拡散しちゃ駄目ですよー】
>>220 同日・放課後 校内 です
222:(0w0) ぶれいど ◆a6:2018/01/16(火) 20:15ほほう、ここがあの小説かぁ……。
223:ABN 同日(六月第一火曜日)/夜/筆崎宅:2018/01/23(火) 21:17 剣太郎は自分のメールアドレスをほとんど覚えていない。というのも、数週間おきにアドレスを頻繁に変更しているからである。
彼が千明の共犯者として学園中に認定されてから、白羽学園生からの脅迫文や罵倒文、出会い系サイトからの卑猥な広告など、悪意あるメールがスマートフォンに次々届くようになった。恐らくは制裁の一環として、剣太郎のアドレスが学園中に流出されたのだろう。そこで彼は自衛のため、自分のアドレスを変更することにしたのだ。だが、それで平穏が得られたのはほんの束の間。数日後にはどこからか新しいアドレスを嗅ぎ付けられたのか、再びメールの嵐に襲われた。
それからというものの、剣太郎は迷惑メールが届くたびに複雑なアドレスを何度も変え、迷惑メールの宛先も受信拒否設定に追加し続けている。そのうち向こうも飽きが来たのか、現在は最初期と比べればメールの数も大幅に減った。それでも時折、未だに粘着質な生徒からのメールが届くことがあるのだ。こんな風に。
――――
明日の夜七時、白羽駅外れのカラオケに来い
俺たちは後で行くから部屋の用意はお前がやれ
シカトしたらどつきまわすからな
――――
「……まあ、別にいいけど」
絵文字も句読点もない粗暴な文面を眺めながら、剣太郎は自室のベッドの上で深く沈んだ。この内容からしてメールの送り主は、自分たちが開催するカラオケパーティーに剣太郎をいじり要員として強制参加させた上、パーティー料金を全額負担させる気なのだろう。相手の名前は書かれていないが、そんなことはどうでもいい。相手が誰だろうと、悪意を以て自分を害してくることには変わりないのだから。
溜め息を吐きながら気だるげに体を起こすと、重い足取りでキッチンへと向かう。そこでは流し台とコンロの前を彼の母親がせわしなく行き来していた。夕飯の支度の途中なのだろう。忙しい最中に呼び留めるのは気が引けるが、それでも最良のチャンスは今しかない。剣太郎は母親の背中におずおずと声をかけた。
「か、母さん。ちょっといいかな」
「なあに? 今、油使ってるから手短に頼むわね」
「じ……実は部活で、また機材が必要になって……その……」
「ええ、また? 先週もそう言って、三万円渡したでしょ」
「そ、そうなんだけど……」
息子の方に振り返った母親の眉間には訝しげなしわが寄っていた。疑問符によって捻り上がった声色の高さに、剣太郎はびくりと体を強張らせる。続く上手い言い訳が思いつかず、目線を下に落としてしどろもどろに言い澱んだ。
今は無き部活を口実にして母親に現金を催促するのはこれが初めてではない。今までにも処刑のための『罰金』などと称して、生徒たちから何度も現金を恐喝されてきたのである。最初は自分の小遣いだけで賄っていたが、回数を重ねるごとにその金額とペースはエスカレートしていき、今では万単位の金額を毎週用意しなければ間に合わないほどだ。
「……どうしても買わないといけないの? その機材」
「う……うん。絶対に必要だって、部長が言って聞かなくて……」
「全く、しょうがないわね。それじゃあお母さんのへそくりから出してあげるわよ」
「…………」
学園でどんな地獄が蔓延っているかなど露知らず。てっきり自分の息子が部活に専念しているものと思っている母親は、やれやれと苦笑しながら今回も剣太郎の催促を了承した。だが、大金をねだった当の本人は俯いたまま下唇を噛み締めている。口内に痛みと僅かな血の味が走るが、そんな痛覚や味覚も構わなくなるほどに剣太郎は自分自身を情けなく感じていた。
(続く)
(続き)
かつて尊敬していた部活や部長の名前を出汁にして嘘をつき、決して多くない親の財産を保身のためにドブへ捨てる。二者の名誉や情けを無下にするような非道徳的行為に、剣太郎の良心は毎回悲鳴をあげていた。そもそも善人の部類に入る彼にとって、他者を騙し不当な利益を受けとることは耐え難い悪行なのだ。
ここまで苦心するのなら、いっそのことあんな奴らの恐喝になど応えなければいいのではないか。そんな策もいつかに考えたことはあったが、少し想定を巡らせたところでそれは実質不可能な方法だと判断した。もし生徒たちの要求を無視すれば、彼らは腹いせとして剣太郎に暴力を振るうだろう。それだけなら彼自身が我慢すればいいのだが、問題はその後だ。
人為的な怪我をあちこちに負った状態で帰宅すれば、両親は確実に傷の原因を問い詰めてくる。最初こそ多少の誤魔化しは効くかもしれないが、いずれは白羽学園で暴行事件かそれに類する問題が発生していると感づくはずだ。そして息子が負傷した原因について学園を問い詰め、それが百合香の機嫌を損ねてしまえば。自分も両親も、家族もろとも無残に抹殺された京子と同じ末路に至ることになるだろう。だからこそ剣太郎は自分のため、延いては両親のために、金を貢ぎ続ける選択肢を選ぶことしかできなかった。
「でも今はちょっと待ってね。晩御飯の支度、済ませないと」
「……ごめんなさい、母さん」
「なんで謝る必要があるのよ。必要経費なんでしょ? だったら遠慮したってしょうがないじゃない」
「そう……だね。……ゆ、夕飯できるまで、部屋で待ってるよ」
事情を知らない者からすれば脈略ない突然の謝罪に、母親は困惑しながらも息子に笑顔を向ける。しかし剣太郎にとっては彼女の微笑みすら、罪悪感を加速させる鋭い刺になった。いたたまれなさが限界を迎えた剣太郎は、首をかしげる母親を残してそそくさと自室に戻る。そして再びベッドへ仰向けに倒れ込むと、狭い布団の上で手足を投げ出した。先ほど重く感じた自重が、さらに増したように感じる。
「……こんな生活、いつまで続くんだろう……」
天井に向かってぽつりと小声で独り言ちるも、勿論返ってくる答えはない。否、答えはとうに分かっている。『自分が白羽学園に殺されるまで』だ。
独裁学園のための犠牲という役割を、自分の命と人生と名誉の完全な死を以て真っ当するその日まで、日常という名の生き地獄で苦しみ続けなければならないのだ。毎日誹謗中傷に晒されながら過ごし、理由のない暴行や恫喝を浴び、あるいは自分が暴行や犯罪行為を強制され、自分や自宅の金を豪遊のために毟り取られ、体力も精神も財産もありとあらゆるものを搾取され、血も涙もない家畜以下の扱いを受けながら、絶望する心すら麻痺するほどに絶望する、そんな日常の中で。
だからこそ翌日、剣太郎はメールの送り主の正体に腰を抜かすことになる。
「いらっしゃいませ。二名様でしょうか?」
「あー、いや。先に待ち合わせしてる奴がいるんすけど」
剣太郎のスマートフォンに、カラオケへの強制参加メールが届いた翌日の午後七時前。そのメールの送り主である不良生徒――ではなく麻衣と晃は、自分たちが指定した白羽駅外れのカラオケ店を訪れていた。
受付で剣太郎の名前を伝えると、店員はパソコンを操作して各部屋の使用状況を調べる。全国的に世帯数が少ない彼の名字は、さほど時間をかけることもなくすぐに見つかった。
「ええと、19号室ですね。それではごゆっくりー」
ドリンクバー用のグラスを店員から一つずつ受け取ると、軽く頭を下げてから麻衣と晃は店の奥に進んだ。
19号室は廊下の最奥近くにあるため、途中にあるドリンクバーも経由すると到着には少々時間がかかる。その間二人は、今回の作戦についての途中経過を話し合った。
「とりあえず、筆崎くんが来てくれて一安心ね。あんな脅迫めいた文章送っちゃって、下手したら怖がって来てくれないんじゃないかと思ったわ」
「仕方ねえだろ? あからさまに協力を頼むようなメール送ったら、処刑の一環とかで筆崎のスマホが誰かに取られたときに不味いじゃねえか。あいつには悪いけど、お互いのためだ」
「……その『敵を欺くにはまず味方から』って考え自体は別にいいんだけど、なんだかまるで病院のときの安部野先輩みたいよ」
「え、マジで?」
「うん。最も、私たちのときは藤野先輩や白野さんがいたからプレッシャーやショックも共有できたけど、もし一人で同じ目に遭ってたら……あれ?」
そうこう駄弁っているうちに、目的の19号室の前まで辿り着いた。だが扉の曇りガラスから見えるのは、暗闇に浮かぶテレビ画面からの映像による光のみ。また、物音もプロモーションビデオの音声以外何も聞こえてこない。まるで人の気配がない室内の様子に、麻衣は首を傾げる。
「おかしいわね。確かに19号室って聞いたんだけど……。まさか帰っちゃったのかしら?」
「それはないだろ。受付からここまで一本道の廊下だったし、入れ違いだったら鉢合わせするはずだぜ。大方便所か何かじゃねえの?」
「でも、トイレに行くくらいで一々照明まで消す? 帰るときならまだ分かるけどさ」
「さーな、多分節電家なんだろ。とにかく席外してるなら外してるで、先に入って待ってようぜー」
訝しげな麻衣とは対照的に呑気な思考の晃は、部屋に入るとすぐに扉の横にあるスイッチを押した。それから一拍置いて室内が明るく照らされ、部屋の内装が浮かび上がる。
誰もいないはずの19号室。しかしそこにあったのは――いや、そこにいたのは。
「うわああああああああああ!?」
「ぎゃああああああああああ!!」
「いやああああああああああ!?」
ソファーの端で深く俯きながら座り込んでいる学生の亡霊――ではなく、照明もつけず一人静かに待機していた剣太郎だった。
暗闇から突如現れたそんな彼にまず晃が驚き、その大声に剣太郎が腰を抜かし、さらに二者の絶叫に釣られて麻衣も悲鳴をあげる。思いがけない不注意から発生した彼らの悲鳴三部合唱は、幸いにも防音性が高い個室の中までに留まった。
◆ ◆ ◆
「あー、寿命三分くらい縮んだ気分だぜ……。なんで部屋暗いままにしてたんだよ」
「ご、ごめんなさい……。先に何かやってると、絶対に文句言われるから……」
「ってことは、照明一つつけるのにすら難癖つけられるってこと? 理不尽じゃない!」
三人が互いの正体を確認して冷静になった後。麻衣と晃は一先ずソファーに腰掛けながら、剣太郎の奇妙な待機方法の真相に憤っていた。
曰く、剣太郎が今回のように不良生徒から呼び出されたとき、何かしらの行動を起こすとほぼ必ず因縁をつけられるのだという。その制限は先に歌を歌ったり料理を注文したりする基本的なものから、自分のドリンクを取って来たり室内の設備に触れたりする些細なものまで。だから彼は真っ暗な部屋の中、二人が来るまで微動だにせず待機するしかなかったのである。
(続き)
「傍から見てたときから思ってたけど、改めて聞くと本当難儀だよなあお前」
「……これくらい、もう慣れたよ。それに今回は俺の自業自得でもあるんだし」
「え? 筆崎くん、私たちに何かした?」
「何かって、二人は覚えてるはずだよ。前に俺、無抵抗の君たちを殴ったじゃないか。今回の呼び出しだって、そのための復讐なんだろう?」
「ああ、そういや……ってか、あのときのこと、まだ引きずってたのか!?」
忘れていたわけではない。二人が処刑対象に定められて間もないころ、碌な抵抗もできないまま生徒たちにいじめ倒され、苦汁を舐めさせられたあの出来事だ。確かにあのとき剣太郎は、周囲の野次に命令されるまま麻衣と晃に暴力を振るっていた。
とは言っても小柄で華奢な体が繰り出す攻撃は大したダメージではなかったし、何より剣太郎があの野次に抵抗していれば、彼自身も酷い目に遭わされていただろうことは二人も理解していた。
「あのなあ。筆崎はあのとき、自分から殴ろうとしたわけじゃねえんだろ? 何の非もねえ奴に復讐なんてするかよ」
「え……そうなの? ……でも、俺が二人に手を上げた事実は変わらないじゃないか。その時点で俺はあいつらと同列だよ」
「確かにね。でも、いじめの加害者ってのは大抵、誰かを傷つけた自覚がないものよ。逆に言えば、今の今までずっと悩んでた筆崎くんは加害者なんかじゃないわ」
「そういうこった。とにかく、俺たちが今日呼び出したのは、お前をボコるとかいじめるとかそういうためじゃねえ。それだけは理解しといてくれ」
「はあ……。でもそれじゃあ、どうして俺を……」
剣太郎からの警戒心はようやく解けたが、今度は自分が呼び出された理由について疑念を向けられる。
本題を切り出すなら今だろう。麻衣と晃は互いに目配せを送り合ってから、今度は自分たちの事情を話し出した。
「単刀直入に言うわ。筆崎くん、私たちと協力してほしいの」
「き、協力って……まさか、生徒会長に立ち向かえって? 無茶だよ、そんなの」
「まあ、その返事は予想してたわ。とはいっても、準備も整ってないうちから即革命を起こすわけじゃない。それ以前に私たち……いえ、全てのD組やE組にとって重大な問題が立ちはだかっているのよ」
「D組やE組……。もしかして、今回の期末考査かい?」
「そう。もしテスト点数がの合格ラインに届かなかったら、夏休み全返上の補習で革命どころじゃなくなるわ。そうならないように、今は一人でも賢い人の頭が欲しいの。例えば元C組のあなたみたいな、ね」
「…………」
「革命自体の返事はすぐじゃなくていいわ。今はただ、テスト勉強に付き合うと思って力を貸してほしい。……頼めるかしら?」
麻衣の切な懇願を最後に、部屋の中に静寂が落ちる。テレビ映像の小さい音声だけが流れる中、二人は剣太郎の返答を待った。
そうして長い数分後、やっと結論がまとまったらしい剣太郎が躊躇いがちに口を開く。
「……分かったよ。テスト勉強くらいなら、教えられないこともないと思うから」
「ほ、本当!?」
「よっしゃあ! サンキュー筆崎、これで俺たちの勝ち確だぜ!」
「まだ勉強もしてないのに気が早過ぎよ、晃くん」
「で、でも、一つだけ断らせて」
肯定の返事をもらい、早速喜ぶ革命組。晃に至っては既に考査に合格したかのようなテンションだ。しかしそんな二人の早合点に、剣太郎は慌てて水を打つ。
「俺が協力するのはテスト勉強までだ。革命まで付き合うことは、できない」
「えー? せめて期末終わるまではもうちょっと考えといてくれよ!」
「……残念だけど仕方ないわよ。去年から会長派の奴らにずっと迫害されてきたんだもの、筆崎くんの気持ちも分かるわ」
「だからってなあ、お前……!」
(続く)
(続き)
かつて所属していた広報部が強制廃部となってから早数ヶ月。百合香の恐怖と権力を十二分に思い知らされた剣太郎が、革命の加勢を拒むのは半ば想定できたことだ。
しかし生憎、晃は単純で直情的な性格の持ち主だった。目の前にぶら下がっている蜘蛛の糸を掴まない理由が、理屈では分かっていても感情では納得できなかった。
「うじうじすんのもいい加減にしろよ!! お前の部長の弟だって、今この瞬間にも生徒会長に吠え面かかせようと動いてるんだぞ!? 部員のお前がそんなんでどうすんだ!」
「こ、晃くん! ちょっと落ち着いて!」
「だってなあ、麻衣! 目の前にチャンスがあるのにビビッて何もしないんだぜ!? 情けないったらありゃしねえ!」
「そうじゃなくて! その、天本先輩の弟のこと……!」
「え? あっ」
勢いのまま椎哉の存在に言及してしまったことに気づき、晃はあわてて口を閉じる。一方剣太郎は、今まで俯いていた顔すら上げて彼の発言に目を丸くしていた。
「まさか君たち……部長の弟さんのこと、知ってるの?」
「あーその。ま、まあな? 筆崎は会ったことねえのか?」
「うん。弟さんがいること自体は部長から聞いたけど、どんな人かまでは知らない。……じゃあ弟さんは今、君たちの革命に協力してるってこと?」
「うーん……まあ、そうだな。一応色々世話にはなってるし」
正しくは協力というより共闘なのだが。しかし初めて積極的な態度を見せた剣太郎の前で、そういった細かな相違を否定する気にはならなかった。
晃の回答を受けた剣太郎は、再び黙り込んで自分の思考に集中する。そして今度は短い数分間の後に答えを出した。
「……ねえ。革命に付き合うかどうかの返事、やっぱり保留でいい?」
「いいの? さっきあんなに乗り気じゃなかったのに……」
「あ、飽くまで保留だからね? でも、部長の弟さんが一緒なら、少しは可能性があるかなって思って……」
「なんだよー。お前もそれなりに度胸あるんじゃねえか!」
「いてっ!?」
剣太郎の声色は、相変わらず自信なさげだ。しかし彼は確かに、他者からの強制ではなく自らの意志で蜘蛛の糸を掴んだ。
僅かながら前進を見せた彼の背を、晃は満足げな笑みを浮かべながら強く叩いたのだった。
「ところで……テスト勉強をするとは言ったけど、俺はどうすればいいの?」
「ああ。場所は大体決まってるけど、日時はまだ未定だな。詳しくは俺たちからまた連絡すっから」
「それともう一つ。当日待ち合わせ場所に集合するときまでに、どうか強い心を用意してきてね」
「? わ、分かった。」
まさか広報部部長の弟が、現生徒会に所属する書記とは思うまい。
剣太郎の度胸がショックで吹っ飛ばないよう、今の麻衣には遠回しな助言を与えることしかできなかった。
椎哉が企画した反逆勢力たちの勉強会は、学園中に下位学級学力補完計画が通告されたその週のうちに開催されることとなった。
主催である椎哉が指定した集合時間は土曜日の朝の八時。平日の登校よりも早い時間に一部の参加者は文句をこぼし、それでも五分前には全員が、待ち合わせ場所の部屋があるマンションの廊下を歩いていた。
「あーあ、何が悲しくて休日の朝っぱらからテスト勉強なんぞしなきゃいけないんだ」
「軟弱ですね、晃。この程度の早起きで根を上げていたら先が思いやられます」
「尤もだけど……。病院のときと言い、どうして彼の待ち合わせはこうも自分本位なのかしら」
大あくびをしながら愚痴をこぼす松葉晃と、しまりのない異父兄弟に鞭を入れる一葉法正。そんな彼の言い分に頷きつつ、自らも眠い目をこする藤野真凛。
「も、もしかしたら前回みたいに、何かしらの事情があってのことかもしれませんよ?」
「どうだろう? 笹川先輩も言ってたけど、あの人って良くも悪くも何考えてるか分からないからなあ」
気が立っているように見えた真凛を嗜めようと、椎哉のフォローに回る白野恵里。対して復活派としての彼を目の当たりにしたことがないため、半信半疑に首を捻る戸塚亜衣。
「四の五の言っても仕方ないわ。どの道行けば分かることでしょうし、ここまで来て私たちに危害を加える真似はしないはずよ。……で、そろそろ心の準備はいい? 筆崎くん」
「こ、心はいいんだけど……。その、お腹の方が……ううっ」
緊張のあまり胃腸の調子が悪くなり、前屈みに腹を抱える筆崎剣太郎。そんな精神的に打たれ弱い彼の体質に溜め息をつく板橋麻衣。
――以上七名が、今回の勉強会に参加する復活派の同志たちである。
「ところで板橋先輩。本当にこの『白羽ハイツ』で間違ってないんでしょうか?」
「うん。確かにここの313号室だって聞いたけど……。どうして?」
「いえ、その……疑ってるとかじゃなくて、単にこの人数で押しかけて大丈夫かなあと……」
語尾をフェードアウトさせながら、恵里は廊下に並ぶ個室の扉に視線を移す。その動作で麻衣は、彼女が何を言いたいのかを悟った。
椎哉が指定した集合場所「白羽ハイツ」は、白羽町に建つ集合住宅の中でもランクが高い方に入る物件だ。マンションの位が高ければ住居面積も広いのだろうが、それでもこちらは高校生が七人。そんな団体が一つの部屋へ一度に訪問するのは迷惑かもしれないという、心配性な恵里ならではの懸念だった。
「いいじゃない。向こうが来てくれって言ってるんだから、遠慮することなんてないわ」
「ふ、藤野先輩……」
「大体あなたは何かとネガティブすぎるの。もっと胸を張ってなきゃ、革命以前に会長派の奴らに舐められるわよ」
「……だからと言って、図に乗り過ぎて出席停止を喰らうのも考え物ですがね」
「なんですって一葉法正!?」
「まあまあまあ。あっ、313号室ってあれじゃないですか!?」
法正の嫌味と真凛の地獄耳による衝突を阻むように、亜衣は少々わざとらしい仕草で近くの部屋を指さした。
彼女の言う通り、扉の横には「313」と書かれた部屋番号のプレートが。さらにその下には、この部屋の住人の名前――「天本千明」の名前も書かれていた。
思いがけない場所で見た処刑対象の名に、七人は一斉にざわめく。その中でも一際目を見開いて驚愕したのは剣太郎だ。
「これって……まさかここは、部長の家!?」
「なるほど。処刑された家主の部屋で、その弟が開く勉強会という名の集いですか。中々の悪趣味ですね」
「でもよ法正。逆に考えりゃあ、これほど俺たちにぴったりなシチュエーションもそうそうねえだろ?」
晃が皮肉交じりに、にいっと口の端を釣り上げる。彼の意見に同意するように法正もフッと不敵な笑みをこぼした。
だがその一方、剣太郎の動揺は傍目でも分かるほど悪化していた。自分以外の六人と部屋の扉をおろおろと何度も交互に見ている。
そんな彼の挙動不審さに気づいた真凛は、何かを閃いたのか少し意地の悪いにやけ顔を浮かべる。
(続く)
(続き)
「ははーん。まさかあなた、部長さんに片想いしてるわけ?」
「なっ!? いや、そ、そんな! 俺なんかが部長に片想いだなんて、お、お、おこがましいです!」
「えっ、筆崎先輩が天本先輩に恋してるって? それは是非とも詳しく聞かせてほしいですねえ〜」
「待って! そんなんじゃないんだって! 勝手に話を広めないでー!!」
先輩の恋愛事情に興味津々な亜衣と、耳まで真っ赤にしながら慌てふためく剣太郎。二人の様子に真凛はクスクスと愉快そうに笑い、しかしすぐに憂鬱な溜息を吐き出した。
「青春ねえ。まあそれも、風花百合香のせいで叶うことはないんでしょうけど」
「そうですね……。仮に筆崎くんが告白しようと思っても、その天本先輩はもう……」
今も病院のベッドで眠っているであろう千明の顔を思い出し、麻衣はやるせない感情を抱える。しかしその返答に、真凛は一度首を横に振った。
「彼だけじゃないわ。あの女のせいで私たちは処刑対象なんてものにされてるし、文芸部の奴らは強制廃部にされかけたし、何よりほとんどの生徒や教師が真っ当な学園生活を送ることさえできてないのよ」
だからね。と一呼吸置いてから、真凛は麻衣の目を真っ直ぐ見つめた。改めて向けられたその真剣さに、麻衣は僅かに息を呑む。
「誰かがなんとかしない限り、白羽学園はこれからも一生狂ったままだわ。全ての元凶である風花百合香を打ち倒すためにも、私たちが頑張らなくちゃ」
「……はい。分かっています」
未だに心の奥底に残る不安を肯定の返事で押さえつけ、麻衣は深く頷いた。そして三者三様に騒いでいる他の五人を見渡すと、深呼吸をしてから声をあげた。
「みんな。そろそろ時間だけど、準備はいい?」
「あっ、はーい! OKです!」
「い、いつでも大丈夫です……!」
「はあ……。俺は構わないよ」
「同じく。問題がないならさっさと行きましょう」
「ああ。行こうぜ、麻衣!」
意気込みこそ個人差があるが、覚悟は全員整ったようだ。準備万端な彼らに麻衣は頷くと、意を決してインターホンを押し――。
「さっきからガチャガチャガチャガチャうるせえんだよクソガキ共が!!」
「!?」
――チャイムが鳴り終わる前に扉を開けたのは、主催の椎哉ではなく、顔を真っ赤にして激怒する大柄な老人だった。
「ひっ!? だ、誰ですかこの人……!?」
「わ、私に聞かれても……! 部屋は間違ってないはずよね、ね?」
「っていうか、なんかすごい怒ってますよ! ど、どどどどうしよう!?」
「おい! 筆崎気絶してるぞ!?」
予想だにしていなかった別人の登場とその怒鳴り声に、一行は完全に委縮してしまう。剣太郎に至ってはあまりの気迫に気を失ってしまったようだ。
目前の脅威にどうにかして対処しようと彼女たちはひそひそと相談し合うが、その間にも老人の怒りは増々沸騰していく。
「人ん家の玄関前で騒いでたと思いきや、今度は人前で何をコソコソ話してんだ!! あ゛あ!?」
「す、すみません! 騒がしくするつもりじゃ……」
「謝罪はいらねえんだよ! まず用があんのかねえのかハッキリしろ! ないならとっととどっかに失せちまえ!!」
「ごめんなさ……じゃなくて、そ、その、安部野椎哉って人がここにいるって聞いたんですが……!」
老人の怒号を浴びながら、それでも麻衣はなんとか彼との対話を試みる。すると椎哉の名前を出した途端、彼ははたと罵声を止めた。そして訝しさが物理的に刻まれたような皺だらけの顔で、老人は麻衣たちをまじまじと見つめる。
「……おめえら、しいちゃんの知り合いか?」
「へ? し、しいちゃんって……?」
「馬鹿言え、しいちゃんっつったら天本ちゃん家の椎哉ちゃんに決まってんだろ。で、結局どっちだ? 知ってんのか知らねえのか」
「し、知り合いです! というか、同じ学園の先輩です」
まるで子供のような椎哉のあだ名に内心吹き出しそうになったが、それは咄嗟に抑えて老人の問いに頷く。
麻衣の回答に彼はほう、と声を漏らすと、おもむろに玄関に置いてあったサンダルを履いて部屋の外に出た。そしてそのまま、扉を閉めて施錠する。
(続く)
(続き)
「あ、あのー。私たち、安部野先輩と勉強会をするために来たんですけど……」
「へいへい、しいちゃんから言われとるわ。ついでにおめえらをしいちゃん家まで送ってくようにもな」
「えっ、そうだったんですか!?」
椎哉本人から聞かされていなかった情報に、麻衣は素っ頓狂な声を上げる。てっきりここが勉強会の会場になるものだと思っていたが、椎哉が計画していたプランは別物らしい。
目を丸くする麻衣と文芸部組の後ろで、この展開を半ば予想していた真凛と晃、法正は肩を竦めていた。
「……まあ、こんなパターンだとは思っていたわ」
「あのさあ……俺、後で安部野先輩に文句言っていいか?」
「いいんじゃないですか? 今回の非は説明を怠った彼に責任がありますし」
「おら、さっさとついて来い。早く乗らねえと置いてくぞ」
小声で交わされる椎哉への恨み節には気づかず、老人は倒れていた剣太郎を米俵のように担ぐとロビーの方へと歩いて行く。老人の振る舞いに麻衣たちは戸惑いつつも、一先ず指示通りに彼の後をついて行った。
◆ ◆ ◆
「うーん……。大きな雲……星が目に…………はっ」
「あっ、起きましたか? 筆崎先輩」
「し、白野さん? うう、俺は一体何を……」
剣太郎が目を覚ますと、そこは緑色の布で覆われた空間だった。また、床は白い金属でできており、彼はここで倒れていたらしい。
千明名義の部屋から激怒した老人が出てきたことまでは覚えているが、それがどうしてこんなところに寝そべっていたのだろうか。訳が分からず首を捻っていると、恵里が布の一方を指さしながら声をかけてくる。
「とりあえず外に降りましょう。他の先輩たちも先に行ってますから」
「え? う、うん。分かった」
恵里が指さした部分の布には長方形型の穴が開いていた。まだ状況をきちんと把握できないまま、剣太郎は一先ず言われた通り恵里と共に穴の外へ出る。金属の床は地面よりかなり高い位置にあったため、小柄な二人は半ば飛び降りるようにして地面に着地した。
両足が地面についたところで、剣太郎は顔を上げてようやく周囲の様子を確認する。そして彼は自分の目を疑った。
「……こ、ここは?」
穴から出た先は、家屋の数もまばらな田園風景だった。360度見渡すことができる山々の緑が目に優しい。道路こそアスファルトで舗装されているものの、白羽町と比較すれば完全な田舎と言っていいだろう。
さらに辺りを見回すと、軽トラックの後ろ姿が剣太郎たちの背後にあった。その後方にはこれまた緑色のマットが張られており、先ほど倒れていた空間はこの荷台の中だったことが分かる。
「あ、あのー、白野さん。俺、あれからどうして……」
「おや、目が覚めましたか。筆崎さん」
「!?」
恵里に声をかけようとしたところで逆に自分が声をかけられ、剣太郎の息が一瞬止まった。彼に話しかけてきたのは、あの百合香が率いる生徒会の一員、安部野椎哉だ。
剣太郎にとっては天敵である存在の登場により、彼はまさに蛇に睨まれた蛙のような状態になってしまう。そんな彼の緊張を解くため、恵里は椎哉のフォローに回った。
「大丈夫ですよ、筆崎先輩。安部野先輩は私たちの敵じゃありませんから」
「へ? 味方って、生徒会の人なのに?」
「ご存じありませんでしたか? 今回の勉強会は僕が企画したものなんですよ。僕を含めた、現生徒会長に対する反逆勢力の皆さんに集まっていただくためにね」
「は、反逆!? ……じゃあ、板橋さんたちが言ってた『部長の弟』さんって、まさか……!」
震える手で椎哉を指さしながら、はくはくと口を震わせる剣太郎。彼が口走った事実を肯定するように、椎哉は黙って害意のない微笑みを見せた。
すると今度は椎哉に、あの老人から声がかかる。先ほど怒声を浴びせられた経験から恵里と剣太郎は反射的に身を固くするが、椎哉だけは臆することもなく親しげに返事を返す。
(続く)
(続き)
「おーい、しいちゃん。全員降りたか?」
「うん。もう大丈夫だよ、風助おじさん。折角休みだったのに悪いね」
「構やしねえよ。全員でぞろぞろ歩いてたら、学園のクソガキ共に見つかっちまうかもしれねえんだろ? だったらこいつらの送迎ぐれえ朝飯前ってもんだ」
「本当に助かるよ。帰る時間になったらまた連絡するから、そのときはまたよろしく」
「……ん? 送迎って……」
剣太郎たちが乗っていた軽トラック。風助と呼ばれた老人の「送迎」という発言。それらを合わせて考えると、自分たちは軽トラックの荷台で運ばれてここまで来たということになる。車の荷台に人を乗せて走行する行為は通常、道路交通法に違反するのだが。
そんな疑問が湧いた剣太郎は、ふと隣の恵里に目線を移す。彼の顔色から言いたいことを悟ったらしい恵里は、困ったような笑顔を浮かべながら立てた人差し指を口元に当てた。今回の違反事項には目をつむっておこう、ということだろうか。
「おい、眼鏡のガキ」
「はいっ!?」
油断していたところに特徴を指定されて呼ばれ、思わず声が裏返る剣太郎。再び怒鳴られるのかと剣太郎はガタガタと怯えるが、そんな彼の不安に対し、風助の声量と敵意は初対面のときと比べて大分収まっていた。
「他の奴らにゃあ既に言ったことだが、おめえは寝てやがったからな。改めて言っとくぞ」
「なななな、なんでしょうか……?」
「一度こっち側についたからにゃ、あの猿山女(さるやまおんな)を徹底的にぶっ潰せ。暴力、知力、権力、財力、なんでもいい。とにかく二度とお天道さんを拝めねえぐらい、ボッコボコのギッタンギッタンのケチョンケチョンにしろ。いいな?」
「……さ、猿山女?」
「それとだ。万が一しいちゃんを裏切るような真似をすりゃあ、俺たちが承知しねえ。分かったな?」
「わ、分かりましたっ!」
聞き慣れない単語の意味するところが分からず、一先ず理解できた部分だけに咄嗟の承諾をする。すると風助はその返答で満足したのか、一度だけ深く頷いてから軽トラックに乗るとそのまま道路の向こうへ走り去っていった。
ようやく嵐が過ぎ去ったと言いたげな面持ちで、恵里と剣太郎は小さくなっていく軽トラックを見送ったのだった。
「さて、他の皆さんは既に中でお待ちです。行きましょうか。白野さん、筆崎さん」
二人が安堵した頃合いを見計らって、椎哉はすぐ近くに建っていた、比較的新しい造りの一戸建てを指先で示す。ここが本日の勉強会の会場となる、椎哉の自宅であった。
「全員揃いましたね」
「おう」
椎哉が剣太郎と恵里を家に上げてから、既に勉強会を始めていた晃たち。
尚、晃はまだ一問も解いていないのだが。
「松葉晃、あなたは真面目にあの女に報復する気はあるんですか?
この程度の問題すら解けないような……」
「法正、いくら何でもお前の教え方は擬音語だらけで理解出来ねえよ。
なんだよドワーンって。数学の公式にドワーンってなんだよ。」
「……始まって早々にこれですか。」
晃と法正が早速噛み合っていないのを見て、椎哉は呆れる。
「つーか、さっきあの爺さん見てたら凄いビビって漏らしそうになったからトイレ行きたいんだったわ俺……」
晃はいきなり立ち上がりながら言う。
「トイレなら向こうにあります」
話題を振る前からトイレに立とうとする晃を見て、椎哉は二度目のため息をつきながら案内。
晃はトイレにスタスタと向かっていく。のんきな人だな……と思いながら椎哉は勉強のためのワークを開く。
法正は既に一人で解いている。
「にしし、案外上手く行ったなこりゃ。」
トイレに行っていた男―
松葉晃はトイレに入って呟いた。
実はこの男、トイレに行きたいなどは全くの嘘であり、完全に下心の塊だった。
「流石に真面目なお堅い生徒会長の側近でも、やましいものの一つや二つでも……」
晃は勉強会で集まっているリビングを通らないように、コソコソと歩き始める。
最早ここまで来るとふざけているレベルだが、椎哉の家の中に何か使える手がかりでもあるんじゃないか、という行動も含まれているのだ。
「ん?なんかやけに開けて欲しくなさそうな魔力が宿ってる引き出しだな……
開けてみるか……よっ」
晃は小さな部屋の中にある引き出しを開けてみる。
その中を見てみると。
「げっ……こりゃ見ちゃいけない奴だっ―」
晃の独り言は、そこであっさりと途切れてしまった。
さ
234:ABN 六月第一土曜日/お昼近く/椎哉の家、小部屋:2018/04/21(土) 08:30 ※話を繋げやすくするため、前回最後の晃くんの台詞と矛盾させた部分があります。
※晃くんが非常識な振る舞いをしています。べるなにさんすみません;
晃が小部屋の机を漁っていたころ。集中力が切れた麻衣は自主的な小休憩を挟んでいた。
ノートから顔を離し、天井を仰ぎ見るように凝り固まった体を伸ばす。そこで麻衣は、ふと違和感を覚えた。
「……ねえ。一葉くん、筆崎くん。男子の部屋って、こんなシンプルなものなの?」
「へ? う、うーん……俺の部屋は、それなりに散らかってるけど……」
「僕はノーコメントで。どうしてそんなことを聞くんですか? 板橋さん」
「ううん、大したことじゃないんだけど……。なんだかこのリビング、やけに殺風景な気がしない?」
麻衣のその言葉で、この場に残っていた面子は改めて室内を見渡す。すると麻衣が口にした違和感の正体を、彼らも共有することができた。
テレビ、時計、ダイニングテーブル、椅子やソファーなど。通常リビングにあるはずの家具が、この部屋にはほとんど置いていないのである。新生活で引っ越した直後のような密度の低さは、どこか薄ら寒ささえ覚える。
「殺風景というか……圧倒的に物が少ないんですね」
「そう、それよ白野さん。もしかして、安部野先輩の家って貧乏……?」
「その可能性はないでしょう。経済的に困窮しているなら白羽学園の高額な学費を払うことは困難ですし、こんな一戸建てに住んでいるのもおかしい。それに今日の勉強会のために、わざわざ家具や飲食物を買い揃える真似はしないはず」
現在麻衣たちは、座布団に座りながら大きめのちゃぶ台の上で教科書などを広げているのだが、それらの家具はつい最近購入したばかりのように真新しい。この状況と合わせると、まるで今日のために即席で調達したもののように思える。
また、椎哉は勉強の合間に召し上がってほしいと、ペットボトルのお茶を人数分と市販の茶菓子を用意していた。金銭的な余裕がなければ、このような気遣いは難しいだろう。
「だとしたら……そもそも安部野先輩に物欲がないとか、でしょうか?」
「確かに安部野先輩って、私用で何かを欲しがるイメージがないわよね……。でも、そんな無欲恬淡な人って本当にいるの?」
「いえ、彼の気持ちは分かります。報復に心身を費やすと、得てして他の物事はどうでもよくなるものですから」
元友人の拓也に傷を負わされたときから、法正は百合香と拓也への復讐に心血を注いできた。それに伴い、今まで興味を抱いてきた趣味や娯楽も些事だと考えるようになったのだ。こんなものに時間や労力を割く余裕があるなら、来るべき日に女王へ大打撃を与えられるよう有意義な行動を取るべきだと。
ゆえに法正にとって、同じ志を持つ椎哉の心理を想像することは容易いことだった。
「もしこの見立てが正解なら、彼もそれ相応の憎悪を抱えているはず。だとすれば、より凄惨な復讐を行うことも夢ではない……。安部野椎哉、共闘相手としては不足ないですね」
「ひ、ひええ……」
改めて理解した椎哉の有望さに、法正の口の端はにやりと吊り上がる。凶悪な彼の表情を目の当たりにした麻衣たちは思わず震え上がったのだった。
閑話休題。
◆ ◆ ◆
「ちょっ、松葉先輩! 何やってるんですか!?」
「うおっ!? ……って、戸塚か。脅かすなよー」
部屋の入口から突如声がかかり、晃の探索と独り言は中断される。しかし自分を見咎めた人物がここの家主ではないことを認識すると、彼はほっと胸を撫で下ろした。
リビングに残っていた参加者たちが部屋の殺風景さについて考察していたとき、不在だったのは晃だけではなかったのだ。彼がトイレに行くという建前でリビングから抜け出したあと、亜衣も外の空気を吸おうと思い席を外したのである。しかしその途中でトイレとは別方向へ向かう晃の背中に気づき、咄嗟にその後を追いかけたのだった。
(続く)
(続き)
「脅かすなよー、じゃありませんよ! 人ん家の部屋を勝手に漁るなんて……」
「仕方ねえだろー。だってあの生徒会書記様の家だぜ? お前だって興味ぐらいあるんじゃねえの?」
「そ、それはまあ……否定しませんけど」
「だろ? そう思うんならちょっとぐらい覗いとこうぜ。ちょっとヤバいもんも見つけたしよ……」
潜めた声と共に引き出しから取り出されたのは、数十通はある封筒の束。晃はそれを半分ずつに分けると、亜衣にその片方を半ば無理矢理に手渡した。押し付けられた他人宛ての手紙を読むわけにもいかず、亜衣は封筒を持て余しながら狼狽える。
「松葉先輩! 引き出しどころか手紙まで読むなんて失礼にもほどが……ああもう……!」
常識的な亜衣の叱責も、野次馬魂に満ちた晃には馬耳東風。彼は自分の手元に残したもう半分の束から一通の封筒を選ぶと、そこ中から便箋をなんの躊躇もなく引き抜いて広げる。
何を言っても手ごたえのない非常識な先輩に呆れ果て、亜衣はがっくりとうなだれた。
「……ん? あれ、この名前……」
頭を下に向けたとき、手元の封筒に書かれていた名前が目に入る。亜衣は少しだけ迷った後、表を見るだけなら問題ないだろうとその封筒を片手に取った。
宛先は安部野椎哉。差出人は「猪高風助(いだかふうすけ)」。後者の名前は、先ほど勉強会の参加者たちを軽トラックで送迎した、あの怒りっぽい老人のものだ。ここに到着した後、彼の素性について椎哉から簡単な紹介を聞いていたため、亜衣も老人の名前を把握することができた。
あんな短気な人物がこんなに大量の手紙を書いたのかと疑問に思い、亜衣はもう少し他の封筒を調べる。すると手紙の差出人は彼だけではなく、他にも複数人から送られていることが分かった。重複して送られている分を除いても、ざっと二十五人は下らないだろう。
その一方。何か目ぼしいものを見つけたのか晃はニヤニヤと笑いながら、今度は数枚の便箋を再び亜衣に差し出す。
「なあなあ、こいつとか大分ヤバいぜ? ちょっと読んでみろよ」
「読みませんってば! 読みたいなら先輩だけで勝手にしてください!」
「そーかそーか、なら別にいいぜ。俺が音読してやっから」
「だーかーらー! ふざけるのもいい加減に……!」
亜衣の制止にも関わらず、無許可で一枚の手紙を声に出して読み始める晃。こうなればせめて文章だけは聞くまいと、亜衣は咄嗟に自分の耳を塞いだ。
しかし人間の手のひらに十分な防音効果はなく、どうしても鼓膜まで届く文節を頭が聞き解いてしてしまう。そうしてある程度まで手紙の内容を理解したとき、亜衣は思わず絶句した。
――――
――拝啓、しいちゃんへ。
あなたが白羽学園に編入して早くも一月が経ちましたが、お元気でしょうか? 薄汚い都会の空気や、図々しい学園の小童どもに囲まれて、心身を崩してはいないでしょうか?
村人たちは毎日のように、しいちゃんのことを心配しています。また、例の風花百合香という小娘への憎しみで、心を乱す村人たちも少なくありません。中には心配や憎しみのあまり、その日の仕事も手につかない人も出るくらいです。
それでも私たちは、しいちゃんに全てを任せると決めました。より確実で残酷な鉄槌をあの小娘に下すため、仇敵だらけの白羽学園に単身で挑んだ、あなたの覚悟を尊重することにしました。ちいちゃんを一番愛していたのも、ちいちゃんが貶められて一番悲しんだのも、弟であるしいちゃん、あなたであるはずですから。
ちいちゃんを愛し、風花百合香を憎む想いは私たちも一緒です。もし何か困ったことや助けてほしいことがあれば、いつでもこちらまで連絡をください。村人全員、喜んであなたに力を貸します。
ですからどうか、己が犯した愚行の重さを、私たちの子供を貶めた罪を、学園という猿山で女王を気取るメス猿とその信者たちにとくと思い知らせてあげてください。
一日も早い白羽学園の没落と風花百合香の破滅、そしてしいちゃんの帰郷を心から待っています。
――――
(続く)
(続き)
「な? あの生徒会長を猿山のメス猿とか言ってるんだぜ。すっげー命知らずだよな、こいつら」
「いや、問題はそこじゃないですよ! それって処刑制度や会長のことが、外の人に知られてるってことじゃないですか!?」
白羽学園が百合香の独裁帝国と化している事実は、主に会長派の生徒や教師たちの不文律によって部外者には秘匿されている。そのおかげで学園は、今日まで大きな波風を立てずに存続することができたのだ。
しかしこの手紙によれば、「村」に住んでいる人々が白羽学園の内情を把握した上、百合香を憎んですらいることが読み取れる。この手紙の背景にどれほどの人々が存在するのかは分からないが、文中で村と言われている以上、決して少なくない人数ではあるだろう。
「あ、そうなんのか。ってことは……た、確かに不味いな」
「でしょう? こんなことが会長派にバレたら……下手をすれば、今まで以上の犠牲が出るかもしれません」
「百合香への復讐は椎哉に任せる」という主旨が書かれている以上、少なくとも村の人間が学園へ直接赴くことはないだろう。だから村人による暴動やそれに伴う混乱は心配しなくていいのだろうが。問題はそれ以外にもある。
百合香に楯突いた者には、もれなく徹底的な制裁が与えられる。その対象は反抗した当人だけでなく、家族や知人にまで及ぶことも珍しくない。もし椎哉が反逆勢力であることが発覚し、彼の背後に百合香を憎む者たちが存在すると知られた日には、村に大量の血の雨が降ることになるだろう。
かつて家族と共に抹殺された、処刑制度の犠牲者の一人、木嶋京子の末路が晃と亜衣の脳裏に浮かぶ。彼女たちの二の舞に椎哉と村人たちが陥るのではないかと、二人は青ざめた顔を互いに見合わせた。
(お久しぶりです、すみません! 書きたいことはあったのですが、なかなかタイミングをつかむことが出来ず……ひとまず、この更新で書けることは書こうと思います)
勉強っていうのは、それなりの環境下ならばちゃんと進むものらしい。文字と式と図形とアルファベットで埋まったノートをパラパラ見返し、恵里はその成果に感心した。そして同時に、たった今まで維持していた集中力が切れていくのが分かった。
―― 先輩に呼ばれて朝早くから、トラックに積まれて誘拐(?)されて、倒れた人を介抱して、よく分からないけれど勉強会が始まって。
周りの人も集中できなくなったようで、思い思いに休憩している。
安部野先輩は別の部屋に行っていて。
松葉先輩はトイレから帰ってこない。
探しに言った亜衣も、やっぱり帰ってこない。
一葉先輩はなにやらブツブツ呟いているし。
藤野先輩と板橋先輩は、お互いの文房具をいじっているし。
筆崎先輩は……相変わらず、ずっと自分のポジションから動かない。
要するに恵里は、ヒマだった。
(うーん……皆さんにお話ししておきたい事があるんだけど……どうしよう、せめて松葉先輩だけは戻ってきてくれないかな……?)
現在この部屋にいないのは3人。にもかかわらず松葉先輩だけは、と考えたのには理由がある。
まぁ、単純なものだ。亜衣には後から話せばいいのだから。
(それに安部野先輩には……あんまり、話したくないんだよね……)
❅恵里視点❅
どうしよう……。
私は頭を抱えた。もちろん、心の中で。
いやいや、分かってますよ、ちゃんと今日中にお伝えしますって。でもやっぱり、いろいろと気にしちゃうんですよ。
亜衣には先に言っておいた方が良かったのかなぁ、とか。
安部野先輩にはちょっと言いずらいなぁ、とか。
松葉先輩に言ってしまっても大丈夫かなぁ。
一葉先輩に何て言われるだろう?
筆崎先輩、また倒れたりしないといいなぁ。
板橋先輩や藤野先輩に、黙っていてすみませんって謝らなきゃ、とか。
そして……
本当に、言ってしまっていいのだろうか、と、今も悩んでる。
「……よぅ」
「戻りました……」
松葉先輩と亜衣が帰ってきた。なぜか顔色が優れない。
藤野先輩たちも気づいたようで、何かあったのか、と質問する。亜衣たちは後ろめたそうな顔をした。語尾を濁らせ、曖昧な返事。
それぞれの場所で過ごしていた先輩たちが、不思議そうに集まってくる。
けれど亜衣たちは、やっぱり言いたくないようだった。暗い顔をして、困ってる。
あぁもう、仕方がない。安部野先輩がいないのだから、ちょうどいいじゃないか。
やけくそ気味になりつつも、私は周囲に呼びかけた。
「あの……休憩中、すみません。皆さんに、お知らせがあります」
みんなが一斉に、私の方を向く。わりと苦手なシチュエーション。
「わたしたち『学園復活派』に、とある人が協力してくれることになりました」
安部野先輩が戻ってきませんように。
誰かに盗聴されていませんように。
この中の誰かが、他人にバラしたりしませんように。
頭の片隅でそう祈りつつ、私は事の次第を話し始める。
晃と亜衣がリビングに戻り、椎哉が小部屋の中を覗いたタイミングは奇しくも入れ違いとなった。そのおかげで三人が一堂に鉢合わせることはなかったものの、それでも椎哉はこの家の家主。僅かに移動した家具や引き出しに気づくのは容易だった。
「何か物音が聞こえたと思ったけど……やっぱりか」
昼食用の菓子パンやサンドイッチなどが入ったコンビニ袋を一旦机の上に置き、その引き出しを開ける。綺麗に揃えて重ねておいたはずの手紙の束は、まるで急いでまとめたかのように乱れていた。
椎哉が昼食を取りに席を立ったとき、リビングから離れていたのは晃と亜衣。二人のうちこんな不躾な真似をし得る人物といえば――。
「……ま、いいか。今日呼んだ人らには見られても特に困らないものだし。むしろこれはこれで……」
客人の無礼に椎哉は眉根をひそめるが、間もなくして何かを思いついたのかクスリと微笑む。すると彼は手紙を何通か取り出し、机の上に置かれていた小さな写真立ても手に取った。そうしてからゆっくりと部屋の扉を閉めると、何事もなかったかのように椎哉もリビングへと戻っていったのだった。
(ほんっっとにお久しぶりです、すみません! お待たせしました、回収です……)
【毎度おなじみ恵里視点】
「私たち『学園復活派』に、とある人が協力してくれることになりました」
と言ったは良いものの、どうしたらいいんでしょう……。
驚き、疑い、好奇心。色々な視線が全部で6組。うわぁ、焦る。めっちゃ焦る。
ていうか、どこから説明するべきなのか……。
「と、とりあえず、聞かせてくれる? 色々気になるし、ね」
板橋先輩のフォローが入る。亜衣は激しく頷き、藤野先輩は身を乗り出す。
「あまり話すの得意じゃなくて、まとまらないし、結構長いんですけど……その、」
「いいから、早く。このタイミングで切り出すっつーことは、あの書記サンに聞かれたくないんだろ?」
「……それは、個人的な思いで、べつにどっちでも、いいっていうか」
「そんなの私だってどうでもいいわ。あの人、一応仲間だし。というか、とにかく話してもらわないと、なにも判断できないのだけど」
「ごめんなさい……」
藤野先輩におこられた。駄目だ、いつまで経っても変われない。変わってない。私は……変わらなきゃ、いけないのに。
「……えーりっ」
「ぇ、あ、亜衣?」
俯いていたら亜衣が肩をつかんだ。そのままぐっと背中を伸ばされる。
「話すと言ったらちゃんと話しなさい、有言実行、だいじ! 話せば、変わるから。学園、あたしたちが変えるんでしょ?」
「……うん、変える」
あぁもう……まったく、亜衣には敵わない。どうして亜衣は、私が言ってほしい言葉を言ってくれるんだろう。こんなにも、的確に。
まるで、そう……生徒会会計の神狩先輩————あの頃の、美紀みたいに。
「私たちの新しい協力者は、3-A、現生徒会会計の神狩美紀さんです……どうします?」
首をかしげて、ちょっとお茶目に訊いてみた。
しばらくの間、リビングには無音の空間が居座っていた。
前途多難。今日の勉強会で解いた国語の参考書、テスト形式ページ大問3の文学的文章、空欄に当てはまる四字熟語を選択するタイプの問題の、答え。
引っ掛けがあることにはあったけれど簡単な問題。シャープペンシルでBと書いて、私は2点を手に入れた。
ちなみにその2つ後の記述を解説してくれたのは安部野先輩である。
新たな協力者についての私の話を壁の向こうで聞いているのも、安部野先輩であるらしかった。
……素直じゃないなぁ。
(長らく更新がなかったので半ばもう諦めていました、ありがとうございます…!)
(スパンが長かったので、文体が本調子ではないかもしれません)
「……は、はあ!?」
最初に無音を破ったのは、晃の素っ頓狂な大声だった。彼は目と口を大きく開けたまま、恵里の方へちゃぶ台越しに体を乗り出す。ずいと勢いよく顔を近づけられ、思わず恵里はわずかに身を引いた。
「ちょっと待てよ! 会計の神狩っつったらバリッバリの会長派だろ? そいつが協力者だって!?」
「悪いけど、にわかには信じがたいわね。あんな風花百合香の腰巾着代表みたいな奴が、そうそう私たちの味方になるとは思えないわ」
「う……。お、仰る気持ちは分かります」
真凛の言い分は間違ってはいない。学園においての美紀といえば、百合香に付き従う忠実な部下の一人だ。さらに彼女と百合香は、子供の頃から親交があった幼馴染同士でもあるという。そこまで百合香に近しい人物が復活派に加勢すると突然言われても、信用を得られないのは仕方ないことだ。
予想していた反応とはいえ、感触の良くない手ごたえに恵里はうなだれる。そんな彼女をフォローするように、流れそうになった話を麻衣が繋げた。
「で……でも、白野さんたちの言うことが本当なら心強いんじゃない? 生徒会の味方が増えるのは頼もしいし、それにあの人なら安部野先輩よりは怪しまれずに済むかも……」
「そうですね。もっとも実際に味方に引き入れるかどうかは、彼女が加担するする理由にもよりますが。確か、結構長い話なんでしたっけ?」
法正は横目でちらりと恵里を見やる。その視線から話の続きを促す意図を受け取り、恵里は躊躇いながらもコクコクと頷いた。反応こそ三者三様であるものの、どうやらこの場の先輩たちは話を遮るつもりはなさそうだ。
「は、はい。そもそもの発端の出来事が、大分昔に遡るんですが……」
再度口を開きながら、リビングの扉の小窓に目を移す。壁の向こうの気配が動かないところを見ると、椎哉はこのまま恵里の話に聞き耳を立てるつもりらしい。恵里は一人気まずさを内心で覚えながらも、美紀が協力者となる経緯を説明し始めたのだった。
(うわああ、本編のみ更新で分かりにくかったですねすみませんっ
なんだか私の伏線にもお気遣いいただいたようで、ありがとうございます嬉しいです*)
【そろそろ慣れたね恵里視点 >>240続きから】
「大分昔に遡るんですが……」
そう、本当に昔の話。具体的に言うのなら、私が生まれた頃からのお話。
それでは初めに、皆さんに爆弾発言をプレゼント。
「まず、生徒会会計の神狩美紀先輩は、会長の幼馴染……ではありません」
チラと亜衣たちを見てみると。
は? という顔で固まっていた。
フリーズすること約3秒。
「え、ちょ、ちょっとストップ。神狩さんて、会長の幼馴染だから会長の手伝いしてるんじゃなかったっけ!?」
「そうだよ恵里! てゆーかあたし、恵里が会計さんと話してるの見たことない」
「正直、スパイとかじゃないか心配ですけど……」
うぐ、と言葉につまる。
「絶大な権力を持つ生徒会長の、幼馴染かつ補佐かつ腰巾着。自分と風花百合香は幼馴染だって、本人が言ってたことがあるけど。実は違いますなんて急には信じがた——
「でも! ほんとです。美紀は私の幼馴染なの! 美紀は、あんな人の手下なんかじゃない!!」
つい大声になってしまい、遮られた藤野先輩たちは変な顔。
「あ、す、すみません……でもホントなんです」
ぎゅ、と手を握り縮こまると、松葉先輩はしびれを切らしたようで。
「あのなー……分かったから早くしてくんねーか? わりと真面目に」
「そうだよ恵里ー。まいてまいて。めちゃ気になってるから」
「は、はい、ではあの、詳細は後日ということで、横槍禁止令でお願いします」
片津を吞んで身を乗り出す観客6名。壁の向こうで音漏れに耳を傾ける招かざる観客1名。
どちらにせよ、重大な話をするのには最高の状況。
私と、私の幼馴染の過去を告白するのなら、せいぜいドラマティックに頑張ろうじゃないか。
そして私は話し始めた。
「神狩先輩の家は、3つ隣のご近所さんでした————」
(美紀さんの過去が更新されるまでの穴埋めとしてちょっと別視点の話を……)
「ごめんなさい。あまりに急な事態だったから、まだ私たちも詳しいことは聞かされてなくて………」
「そう……。姉さんにも分からないのね」
閑話休題。復活派の面々が安部野邸で勉強会に勤しんでいたころ。休日のため人気の少ない白羽病院の一角で、月乃宮姉妹が声を潜めて語り合っていた。
彼女たちの話題は、先日死亡した木嶋京子の死因。それがすみれたち病院側の故意的な医療ミスだろうと百合香から言外にほのめかされ、憤慨したいばらは真相を確かめに姉の元へと赴いたのだ。しかし残念ながらその当ては外れ、いばらはため息とともに肩を落とす。
「ありがとう、いばら。私たちのことを心配してくれて。だからそんなに怒らないで?」
「無理よ。証拠もなしに医療ミスなんて決めつけられたら、病院や姉さんの評判が落ちるのは目に見えてるわ。そんなことになったら……!」
「いばら。落ち着きなさい」
「!」
姉への侮辱で煮え立っていたいばらの頭に、すみれの冷静な一声がかけられた。すっと妹を見据える彼女の目つきはいばら本人のように冷たく、だがその奥に見えるのは大人としての硬い意志。そんな姉の双眼に、いばらは息を飲んでたじろいだ。
「確かに、患者さんからの信用も病院にとっては大事だわ。自分の体や命を預けるところですもの」
「でしょう? その信用を失って、患者が来なくなったら経営が立ち行かなくなるわ。なのに、どうして……」
いばらの言葉に滲み出ているのは、親愛なる姉が社会的地位を失うことへの不安。そんな彼女の声色に構わず、すみれはゆっくりと首を横に振る。
「私たちは、お金や信用だけが目的で患者さんを診ているわけじゃない。本当に大事なのは『患者さんに対して責任を持つこと』よ」
「……!」
(続く)
(続き)
「木嶋さんが本当に医療ミスで亡くなったのなら、ちゃんとそれを公表して謝罪するべきだわ。最初こそ批判や酷評も出てくるでしょうけど、それは私たちの責任。厳しい言葉にも真摯に向き合えば、自ずと信用も回復するはず。むしろ失墜怖さに自分たちの不手際を隠蔽するやり方こそ、病院の風上にも置けないわ」
飽くまで自分自身の保身ではなく、患者の安心と信頼に重きを置く、医療人としての凛とした矜持。不正と欺瞞に塗れたどこかの生徒会長とはまるで大違いだ。
看護師の鑑のようなすみれの言葉に、いばらはようやく安堵の息をついた。
「……そこまで覚悟が決まっているなら、口出しする権利は私にはないわね。ごめんなさい、姉さん」
「いいのよ。いばらみたいな家族思いの妹がいてくれて、私は果報者だわ」
「いやそんな、感動するほどのことじゃないでしょう……」
「ちょっと、月乃宮さん!」
目元を潤ませたすみれがハンカチを取り出し、彼女の涙腺の緩さにいばらが呆れていた、そのとき。
廊下の遠くから重量の重い足音が、月乃宮姉妹の元へどたどたと近づいてくる。その主は二人の顔を見ると、むっと僅かに顔をしかめさせた。
「あらっ、お取込み中? 困ったわねえ、ちょっと急ぎの用なんだけど……」
「島江さん! すみません、もうちょっとだけ待っててください」
子供嫌いに定評のある島江だが、彼女も熟練看護師の一人。普段は若い患者の前でも露骨に表情を変えることはほとんどない。そんな島江がいばらの前で嫌な顔をしたということは、そもそも持ってきた要件が部外者の前では話しがたいことなのだろう。
それに気付いたすみれはすぐに話題を切り上げようと、いばらに一度向き直る。しかしいばらも島江の都合を察したらしく、自分の胸の前で手のひらを横に振った。
「いいわよ姉さん。聞きたいことは聞いたから。それでは、お邪魔しました」
「折角ご姉妹水入らずだったのに悪かったわねえ。またいらっしゃい!」
ぺこりと一礼すると、いばらはスタスタと出口の方へ向かっていく。そうして制服の後ろ姿が廊下の曲がり角で見えなくなると、島江はチッと舌を鳴らした。どうやら先の再訪を期待する台詞は看護師としての建前だったらしい。
「全く、小生意気な小娘が。休日に病院に来るなんて迷惑ったらありゃしないわ」
「す、すみません。妹には私から言っておきますので……。それで、急ぎの用ってなんでしょう?」
本人が目の前にいないとはいえ、嫌悪対象の親族を前に堂々と理不尽な毒を吐く。そんな島江の厚顔さに内心辟易しながら、すみれは適当な決まり文句を用いて話題を逸らした。すると島江は、いら立っていた表情を打って変わって深刻なものに切り替える。
「月乃宮さん、落ち着いて聞いてちょうだい。実はね……」
「…………!?」
――本当に大事なのは『患者さんに対して責任を持つこと』よ。
――木嶋さんが本当に医療ミスで亡くなったのなら、ちゃんとそれを公表して謝罪するべきだわ。
つい先ほど、いばらに告げたばかりの矜持。だが、それがものの数分で実現不可能になってしまったことを知り、すみれは思わず立ち眩みを覚えたのだった。
(何があったのかは勉強会の終わりごろに続きを書きます)
(ちなみに正解は既に設定集スレの方に書いてあるものです)
※過去の時系列について考えていたら少し不自然な部分を見つけたので、そこの補完も兼ねた番外編です。
※テコ入れも兼ねて新キャラが登場しています。今後も登場するかどうかは未定です。
※部活設立についての捏造設定があります。
※京子さんの失踪事件についてそれっぽい推理がありますが、実際の真相と違ったらスルーして構いません。
※色々詰め込んだらまた長文になってしまいました、申し訳ありません。
木嶋京子および木嶋一家の失踪、そして木嶋邸の全焼火災。どう見ても事件性の高いそのニュースは全校生徒たちをにわかに騒めかせた。何しろ白羽学園においての彼女といえば、現生徒会長のお気に入りとなった璃々愛に、かつて陰湿ないじめを行っていた女子生徒。当時の変遷を知る生徒たちはもっぱら、璃々愛が百合香の権力を借りて京子に復讐を遂げたのではないかとこぞって推測を立てた。もっともその仮説の真偽は、今日まで明らかになっていないが。
いずれにせよこの一件を機に、百合香への反目を企てる者がさらに減少したことは言うまでもない。家庭一つを丸々抹殺できるような支配者を相手取ろうと考える無謀者は存在しなかったのである。――たった一人の例外を除いて、だが。
◆ ◆ ◆
「えーん! 剣太郎くん、今日も駄目だったよう」
「いや、俺のところに泣きつかれても困るんだけど……」
困惑する剣太郎に構わず、やや大袈裟な泣きのジェスチャーで会話を切り出してきたのは、女子にしてはかなり大柄な身長と体形の同級生。そのショートヘアと同じくゆるふわとした雰囲気をまとう生徒の名前は『足立八重(あだち やえ)』と言った。
彼女は元々、剣太郎と同じく広報部の一員だった。そして部長の千明が部員たちに自主退部を薦めた際、自らの身の安全を優先して退部を選んだ生徒の一人でもある。その後無所属となった八重は新たな楽しみを求め、広報部時代に培ったカメラワークを活かして『映画研究部』を立ち上げようとしているのだが――。
「だってえ、書類の文字も全部綺麗に書いたんだよ? メンバーや顧問の先生だって十分集めたし、条件はちゃんと揃えたんだよ? なのになのに、璃々愛ちゃんったら『広報部の輩が建てる部活なんて承認できない』って言うんだもん! ひどーい!」
「聞いてないし。……まあ、結局あいつらにとってはそれが本音なんだろうね」
自分の迷惑顔を気にしていない八重にため息をつき、それはそれとして璃々愛の言い分に剣太郎は呆れに似た納得を覚えた。
白羽学園で新たな部活動を設立する場合、部員集めや顧問の確保など、いくつかの条件をクリアする必要がある。そして最後に教師たちの審議を経て校長からの承認をもらえば、晴れて新部活が誕生するのだ。とはいえ学園内の権力者が、この冬から生徒会長に就任した百合香にすり替わっている現状では、承認をもらうべき相手も校長ではなく彼女に代わっているのだが。
そしてその百合香と言えば、今日まで映画研究部の設立を否認し続けてきたのだ。八重が用意した書類や部員数などに問題はないにもかかわらず、やれ書類の字が美しくないだのやれ部員のやる気が見えないだのと重箱の隅をつつくような難癖をつけては、八重の申請をことごとく突っぱねてきたのである。しかし実際のところ以上の難癖は生徒会としての建前に過ぎず、璃々愛が言った通り「八重が千明率いる広報部の一員だったから」というのが本当の理由なのだろう。
「むー。別にわたし、会長さんに反逆しようとか考えてないんだけどなあ。ただ学校生活を楽しめればそれでいいのに」
「足立さんが考えてなくても、向こうはそう思ってるだろうさ。……あるいはそれを抜きにしても、単純に嫌がらせってこともあるかもしれないけど」
(続く)
八重が集めた映画部(仮)のメンバーは、その多くが彼女と同時期に広報部を辞めた部員たちだ。当人たちにその意思はなくとも、生徒会としては強制廃部や部長処刑を理由にした反逆を危惧していることだろう。そんな危険性のある集団を部活認定すれば、部費という名の塩を敵に送ることになってしまう。
それに百合香からすれば、前々から自分の周囲を嗅ぎまわっていた千明の行動はさぞかし煩わしかったはずだ。恐らくその腹いせを千明一人の処刑だけでは晴らせず、元広報部員である剣太郎や八重にまでぶつけているのかもしれない。
どのみち部活承認の否認理由が広報部だというのなら、彼女と同じく元広報部員である剣太郎にできることはない。具体案を出せないのなら、これ以上八重の相談を聞いても無意味だと判断し、剣太郎は座っていた席を立った。
「待ってよう。もう少ししたら期末考査で忙しくなっちゃうから、今のうちに承認してもらいたいのにい」
「やめておきなよ。君は前もって退部したからまだマシだけど、それでも出しゃばり過ぎたら部長の二の舞に――」
「呼んだかーい?」
「っ!?」
噂をすれば影。廊下の外に出ようと剣太郎が手をかけた扉が向こうから開く。そこに現れた人物の姿に――より正確に言うなら、その人物の体の状態に剣太郎と八重は絶句した。
「どーしたんですか部長!? 体中怪我だらけじゃないですかあ!」
「どーしたもこーしたも、毎度お馴染み会長ちゃん主催の処刑大会に決まってるだろ? いやー、みんな面白いほど手加減しないね。はっはっは」
「笑ってる場合じゃないですよ! と、とにかく手当しないと……!」
扉近くの柱に寄りかかる姿勢で登場した千明の体は、夥しい量の傷や痣で埋め尽くされていた。制服も血や泥で汚れ、明確に集団暴行を受けたと分かる出で立ちだ。何より千明本人もかなり息を荒げており、いつもの笑顔も生気が半減しているように見える。
このまま放置していては傷が化膿するか、雑菌が入ってさらに状態が悪化してしまう。それを危惧した剣太郎は、救急道具を借りようと急いで保健室の方に向かおうとした。だがそんな彼の行動に、千明は即座に待ったをかける。
「やめとけ。この学園の保健室に行ったって、『処刑対象に手当は必要ない』って門前払いされるのがオチだぜ。それより八(や)っちゃん、ちょっと撮影頼むわ」
「撮影? あー、分かりましたあ」
千明から差し出された彼女のスマートフォンを見て、首をこてんと傾げる八重。しかしややあってその意味を理解するとスマートフォンを受け取り、ボロボロな千明の姿を写真に収め始めた。最初は全身、次は背面、そして顔、腕、脚、腹部などを詳細に撮っていく。二人の様子を見ていた剣太郎は、千明が何をしようとしているのかようやく理解した。
「ぶ、部長……。もしかして、処刑の証拠を集めるために、わざわざ怪我を?」
「正解。処刑対象ってのは、ある意味じゃ処刑制度の実態に一番近いポジションだからな。これでもっと詳しい被害内容が記録できるってもんだ」
にやりと口角を上げながら、千明は制服についているボタンの一つを指さす。一瞥しただけでは分からないが、よく見るとそれはボタン型のカモフラージュカメラだった。恐らくはこのカメラで、処刑として暴力を振るってきた生徒たちの凶行も記録しているのだろう。
過程の動画と結果の静画。あとは怪我の診断書を揃えれば、暴行罪を立証することは十分可能だ。ただしその対象となるのは、今回千明を痛めつけた一部の生徒のみ。彼らを裁いても別の会長派の生徒が湧いて出るだけで状況はほとんど変わらず、増してや直接手を下していない元凶の百合香を告発することは到底できない。相応の収穫があったとはいえ、千明が掲げる目標を考慮すれば、彼女が被った負傷は剣太郎にとって看過できないものだった。
(続く)
「だからって、ここまで無理することないでしょう! これじゃあ処刑制度を明らかにするとか以前に、部長の体が持ちません……!」
「んなもんとっくの昔に承知済みだっての。それにこの間のあれ、木嶋京子ちゃんっていただろ? その一件を考えりゃあ、この程度のリスクを渋ってる場合じゃねえのよ」
「きしまきょーこちゃん……。ああー、十二月の初めにどっか行っちゃった人かあ。それと部長の目標と、何か関係あるんですかあ?」
全焼した自宅を残し、謎の失踪を遂げた木嶋京子と彼女の家族。京子には処刑制度が適用されていたわけではないが、「百合香の機嫌を損ねる真似をした」という経緯と「原因不明の失踪」という末路は他の処刑対象たちのケースと酷似している。その点に限って言えば彼女も処刑制度に関わっているかもしれないと予想できるのだが、それはあくまで生徒間に流れる噂の範疇。十分な信憑性を確立できない情報では、「処刑制度を白日の下に晒す」という目標の足しになるとは到底思えず、八重は撮影の終わったスマートフォンを渡しながら頭上にクエスチョンマークを浮かべる。そんな後輩の疑問に答えるべく、千明は得意げに人差し指をぴっと立てた。
「まず二人とも。木嶋一家失踪事件特集のワイドショーは見たかい?」
「え? あ、はい。地元ニュースでもそうですが、全国放送の番組でも大々的に取り上げられてましたよね」
「わたしも同じの見ましたあ。京子ちゃんたちの失踪理由とか考察してて、すごかったですう」
「すっげー文字通りの小並感。んじゃ次。その番組の中で流れたインタビュー映像は覚えてるか?」
「えーっとー。ちょっとうろ覚えですが、町の人たちが答えてたのですよねえ? みんな怖いなーとか無事だといいなーとかって言ってた……はずですう」
「そう、概ねそんな感じでした。言っちゃあ何ですが、行方不明のインタビューにしては月並みというか……。あんな特集を組むくらいなら、もっと関係の深い人に取材すれば良かったのに…………あれ?」
はたと思い当たったように剣太郎は顔を上げる。言われて思い返せば、あの特集番組には足りないものが一つあった。自分と同じものに行き当たった様子の彼に千明は頷くと、今度は八重に三問目の質問を投げかける。
「じゃあ八重ちゃん。“白羽学園の生徒や教師が失踪事件のインタビューを受けた話”は聞いたことがあるかい?」
「……ああー。言われてみれば、全然聞いたことないですねえ。同じ学校の人なら町の人より、もっといー手掛かりが手に入るって思いそうなのにい」
「その通り。あたしが調べた限りでも、学園関係者が取材を受けたって情報は見つからなかった。あるいは関係者の方が取材拒否した可能性もあるだろうが、全員が全員完全スルーってのは考えられねえ」
「ということは、残る可能性としては……」
「ああ。“会長ちゃんがマスコミに圧力をかけて、白羽学園への干渉を禁止した”だろうな。もし学園関係者が処刑制度に関わる失言をかましたら、そこから自分たちの所業がバレかねねえだろ?」
最終結論に辿り着いた後輩二人に、千明はにっと笑みを浮かべる。だがその表情は満足というより、苦笑いという表現の方が似合った。
広報部員たちに退部を薦めた際、千明は「百合香は警察や裁判所を無力化するほどの力を持っている」と考察した。しかし実際はそれらに加え、報道機関をも抑えつける力を持っている可能性もある。情報を武器とする千明にとって、この新情報は非常に都合の悪い凶報だったのだ。
(続く)
「公的機関も駄目ならマスコミを当てにしようかと思ってたんだけどな。そこも潰されたとなりゃあ、もはや学園の真実は自力で外に持っていくしかない。だからこそ自分の身を犠牲にしてでも、処刑制度の情報を集める必要があるんだよ」
「……なるほど、部長の考えは分かりました。でも、やっぱり俺は……」
「剣くんの言うことも一理ありますう。命あっての物種っていーますし、死んじゃったらその真実も抱え落ちですよう」
「へーきへーき。だってあと一、二ヶ月もすりゃあ合法的にトンズラできるんだぜ? ボコボコになることはあれど、流石に死ぬことはねえだろうさ」
「トンズラ? 部長、どこかに行っちゃうんですかあ?」
「そんな今生の別れみたいな目すんなって。卒業だよ、そつぎょう!」
三月一日。それは高校生活最後の日であり、学修の日々に有終の美を飾る門出だ。そしてこの日を迎えれば、三年生は卒業証書と引き換えに『白羽学園生』の肩書を失う。つまり学園とは無関係の人間になり、百合香の独裁から解放されるのだ。ついでに言えば、学園外の人間には処刑制度を適用することもできないため、理不尽な処刑生活もそこで終了する。それが千明の考える魂胆だ。
「この学園から逃げおおせれば、会長ちゃんにできることは何もなくなる。部外者まで不用意に処刑しようもんなら、それこそ自分の足がつきかねないだろ? あとは持ち帰った証拠を外にぶちまけりゃあこっちのもんよ」
「なるほどお、だったら本当にあとちょっとの我慢なんですねえ! そしたら会長さんも反省して、映画部も承認してくれるかも!」
「そんなに上手くいくかなあ。それに、木嶋さんについての噂が本当なら……」
楽観的な女子二人に対し、不安げに肩を落とす剣太郎。そのタイミングで時間の区切りを告げるチャイムが響く。その音に気付いた剣太郎と八重は、驚いた様子で時計を見た。
「ああー、もうこんな時間だあ。剣くん、そろそろ行かなくちゃあ」
「うん。でも、部長をこのまま放っておくわけには……」
「大事ねえよ。こんなこともあろうかと、ある程度の救急道具は自分で持ってきた。伊達にこれまで処刑制度を調べてきたわけじゃないぜ?」
処刑制度を理由に保健室を頼れないとはいえ、それでも千明の負傷を放置することはできない剣太郎。彼の心配を察した千明は、おもむろに制服のポケットから自前の包帯やガーゼなどを取り出した。ポケットに入る程度の量しかないため十分とは言い難いものの、痛みを凌ぐための気休め程度にはなるだろう。
「なら良いんですが……。でも、手当してもすぐに動かないで、少し休んだ方がいいと思います。怪我だけじゃなくて体力も消耗してるでしょう?」
「うんうん。部長がここにいることは、わたしたちが適当に誤魔化しておきますう」
「オーライ、そこまでしてくれりゃあ十分だ。二人もあんまり油売ってると他のやつらに怪しまれるぜ? そろそろ行きな」
「は、はい! 部長もどうか気を付けて……!」
去り際の瞬間まで自分の身を案じながら、教室を後にした剣太郎と八重。広報部という繋がりは既に途絶えたにも関わらず、それでもかつての部長として慕ってくれている。千明はそんな二人の背中を見送ると、廊下側の窓の下に身を隠してから壁に背を預けた。ここなら廊下からは死角となって見えづらいため、当分は他生徒たちの追撃をやり過ごすことができるはずだ。
後輩たちの手前平気なふりをしていたが、やはり女子の体に容赦のない暴力は堪えたのだろう。千明は目を閉じたまま、しばらくの間ゆっくりと大きな息を繰り返していた。そしてある程度疲労が癒えたところで、不意に口角をニヒルに歪める。
「……ま。ああは言ったけど、あの会長ちゃんが卒業を待ってくれるほど悠長な性格とは思えねえしな」
皮肉のような独り言を呟きながら、メール機能を立ち上げて新規作成画面を開く。その件名欄に入力したのは『遺言書』の三文字だった。