注意事項
*ホラー系が苦手な方は閲覧を控えた方が良いです
*流血シーン有りです
*感想やアドバイスがありましたら、書き込んでくれると嬉しいです
*なりすまし、暴言、荒らしは厳禁
きっと対面することはないであろう人物に、憎しみを密かに抱いていたら、気付けば中学三年生になっていた。
樹里のこともあって、頭の中が小倉光貴への憎しみで埋まることはなくなったが、それでも私はその存在を忘れてはいない。
でも、恨みを晴らすチャンスも無いのだから、いい加減に忘れたかった。
一応兄も事件の原因を作ったのだから、悪いのは小倉光貴だけとは言えない。
しかし、毎日視界に入る仏壇の兄の写真が、私を苦しめていたのだ。
「なあ、もしかして髪染めてる?」
新学期に、席に座ろうとした私に話しかけてきたのが、海斗だった。
席が近い彼は、顔立ちはそれなりに良い方で、おちゃらけた笑みが印象的だった。
「染めてないけど」
胸元まである自分の髪をいじりながら、私は答えた。
「去年日焼けして髪が少し茶色くなったから、そう見えるんじゃない?」
「なるほど。たまに廊下とかで見かけたけど、お前って派手なイメージあったから、染めてんのかと思った」
初対面でお前呼ばわりされたことにカチンときたが、派手なのは否めない。
今年から受験生ということもあり、メイクは薬用リップのみにしたし、手首にアクセサリーをつけるのもやめたのだが。
「ていうか、あんた名前何?」
お前呼ばわりに対抗してあんたと呼んだが、彼は気に触った様子を見せることもなく、口を開いた。
「小倉海斗」
途端に、私は激しい動悸がした。
私の視線は、彼にしか注ぐことが出来なくなる。
「どうかしたか?」
氷のように冷たい私の視線に気付いたのだろうか。
彼は心配そうに、私の顔を覗き込んだ。
慌てて私は、首を左右に振った。
「な、何でもない」
兄を殺した人と名字が同じだけで、取り乱しそうになった自分を、私は諫めた。
小倉なんて名字の人は、全国にたくさんいる。
このくらいで、勝手に彼の印象を悪くしてはいけない。
私は逃げるように、彼から目を逸らした。
「お前は?」
「……西尾樹里」
「へー、よろしくな」
当初、私は彼に対して実に理不尽な不信感を持っていたが、それは最初だけだった。
清廉潔白とまではいかないが、努力家で人柄の良い性格や後輩に慕われている姿は、私のもやもやとした感情を全て取り払った。
気付けばお互い仲良くなっていて、昴達とも喋るようになった。
だけど、そんな平和な日々は長くは続かなかった。
出会いから半年以上経った昨日、私達は海斗の家で勉強会をすることになっていた。
試験間近、受験勉強も本格的なこの時期、お互い教え合って学力を高め合うことが目的である。
海斗から必要なものは全て貸してくれると聞いたため、あの日は皆手ぶらで行くと言っていたが、私は海斗と家が近いため家には帰らず、そのまま彼の家にお邪魔した。
既に私服に着替えていた彼は、制服姿の私に少し驚きながらも、快く私を迎え入れてくれた。
両親が共働きの彼の家には私と海斗しかいなく、誰もいない無駄に広いリビングには違和感を覚えた気がする。
すぐに私は海斗の部屋に案内され、彼は皆の分のお菓子とジュースを取ってくるために、いったん下に降りて行った。
暇になった私は、何気なく彼のシングルベッドに手を突っ込んで、男子中学生がこっそり持ってそうな本を探していた。
その行動が歪みを生じさせた。
「何これ……」
私は手に取った赤い本のようなものを開いた。
それは卒業アルバムだった。
しかし、これは中学のである。
しかも、私達の学校ではない。
彼の両親のどちらかのだろうかと、思ったが画質からそれほど昔ではない可能性が高い。
では、これは誰のアルバムだろう。
そして、何故彼は自分のではないアルバムを持っているのだろうか。
海斗が戻ってきたら、早速聞いてみよう。
そう思って、アルバムを閉じようとした時だった。
私の視線は運悪く、ある人物を捕らえてしまった。
それは、生徒一人一人の写真だった。
端にクラスと組、生徒の写真の下にはその生徒の名前が記載されている。
そこには、間違いなく『小倉光貴』と記されていた。
その上には、穏やかそうな男子が映っている。
いじめられていたとネットの記事に書かれていたせいか、勝手に陰気な容姿を想像していたが、その考えは180度変わった。
まだあどけなさを残しつつ、着実に大人らしくなっている顔立ちは、そこらの芸能人よりは上だろう。
他のページを捲ってみるが、そこには友人らしき人物達と楽しそうな笑顔で映っていた。
集合写真でもクラスメイト達と肩を組んだり、流行りのポーズをしたりしている。
彼が友達と上手くいっていたことは、明白だった。
ということは、彼が兄にいじめられていた原因は、彼の人格的な問題である可能性は低い。
あくまで偏見だが、人懐っこくて優しくて誰とでもすぐに仲良くなれそうな雰囲気だ。
「……ってそんなことどうでもいいじゃん!」
小倉光貴がどんな人物であったか、大体掴むことが出来た今、最大の疑問が降り注いだ。
海斗と小倉光貴は、何か関係性があるのではないか。
もしかしたら、知り合いからアルバムを貰って、その知り合いのクラスメイト、または同じ学年にたまたま同じ名字の小倉光貴がいたという可能性だってある。
だけど、見過ごすことが出来なかった。
私は他にも卒業アルバムはないかと、ベッドの下に再び手を伸ばすと、それに似た感触があった。
引きずり出したそれは、卒業アルバムではなく、よく見る家庭用のアルバムだった。
なんの躊躇いもなくそれを開く。
そこには、小倉光貴しか映っていなかった。
突然の目眩で倒れそうになったが、それを堪えるしかなかった。
最初のページは、小学校低学年くらいだった。
卒業アルバムに比べたらとても幼く感じるが、それでも彼の面影はある。
間違いなく本人だ。
ぱらぱらとページを捲ったその時、今にも叫ばずにはいられなくなった。
「何でここにいるの……!!」
高学年くらいのページだろうか。
そこに、確かに兄と小倉光貴が映っていた。
仏壇の写真とは比較的に地味な外見だけれど、やはり顔立ちから兄であることは間違いない。
次の瞬間、部屋のドアが開いた。
「何してんだ……?」
海斗は勝手にアルバムを広げている私を見て、お菓子やジュースを載せたお盆を持ったまま、唖然としていた。
「……どういうこと?このアルバムは何?」
「それは……」
海斗は言葉に詰まる。
お盆をミニテーブルの上に置くと、彼は卒業アルバムの方を手に取った。
その表情は、悩んでいるようにも見えるし、悲しそうにも見える。
いつもポジティブな海斗とは思えないほど、憂いを帯びていた。
「小倉光貴って誰?海斗と名字同じだよね?何か関係あるんでしょ!」
少し興奮を抑えていたが、語尾にそれが現れてしまう。
海斗は躊躇するように何も言わなかったけど、やがてか細い声を出した。
「多分、俺の兄弟にあたる人」
「【多分】ってことは、確定じゃないの?」
「知らない。俺が小さい時、この人によく遊んでもらったんだよ。だけど、年長くらいになった時、そいつは俺の前に現れることはなくなった。記憶が曖昧だから、それが自分とどのような関係だったのか、確かな証拠は掴めていない」
「じゃあ、このアルバムは?」
「小五くらいの時だな。自宅で友達とかくれんぼしてて押し入れに隠れたんだけど、たまたまこの二つのアルバムを見つけたんだ。で、興味本位でまず家庭用のアルバムを覗いたら、そいつがいたってわけだ。不思議と顔を覚えていたんだよ。衝動的にそれを自分の部屋にこっそり持ち込んで、それから毎日のように眺めていたよ。卒業アルバムに記載された名前から、そいつは自分の兄弟かいとこ辺りに該当する人物だってことは理解した。だけど、そのアルバムが俺の自宅にあるってことは、兄弟である可能性が高い」
思えば、海斗は小倉光貴と顔が少し似ている気がした。
たれ目がちな愛嬌のある目、筋の通った鼻、小さめな口。
徐々に目の前にいるのが海斗ではなく、小倉光貴である気がして堪らなかった。
少しずつ、私の理性という盾が破壊されていくのを肌で感じた。
「……その人の居場所、知ってる?」
「知ってるわけないだろ。親はずっと、俺を一人っ子として扱っていたんだ。そいつが親と正常な関係ではないことくらいわかっていたよ。だから、親にも話さなかった。今そいつが生きているか死んでいるかすらわからない」
自分から質問にしたにも関わらず、回答する彼の口を今にも塞ぎたかった。
話している内容が気に触ったのではない。
まるで、海斗が海斗ではないような錯覚に陥りそうだから。
「大体、何でそこまでこのことにこだわるんだ?」
別にいいでしょ、あんたなんかに言われたくない。
「ベッドの下に手を突っ込んだだろ?残念ながら、アルバム以外何も入ってねーよ」
うるさい、うるさい、黙れ。
「もうこの話はいいだろ、そろそろ皆来るだろうし」
勝手に終わらせないでよ!私の話はまだ終わってない。
「あ、もしかしたらさっき玄関の鍵を閉めるの忘れたかもしれない。ちょっと玄関行ってくるわ」
ちょっと待って!行かないで!人を殺しておいて、勝手にどこかに行かないで!!死んで、死んで、死んでよ!!
一瞬の催眠状態だったのかもしれない。
気付けば、私は海斗を殺していた。
近くにカッターで、海斗の背中を刺して。
途端に後悔の念が私を襲った。
なんてことをしてしまったのだろう。
バレたら、絶対受験受からないよね。
入るのは高校じゃなくて、少年院かな。
私の乾いた笑いが消え去った瞬間、部屋のドアが再び開いた。
「美子!」
そこにいたのは、私服に着替えた樹里だった。
ああ、そういえば皆来るんだったっけ。
自首しようと思ったけど、樹里に警察のところに連れていかれるのも悪くないかもしれない。
この時、私は完全に正常ではなかった。
樹里はこの惨状を認めると、私の両肩を掴んだ。
八の字の眉は、私を心配しているように見える。
「……美子が殺したの?」
「……うん」
「そっか……」
私から手を離すと、樹里は海斗の死体をじっと見つめた。
最初に死体を見た時、普通だったら叫び散らすくらいパニックになってもおかしくないのに、静かに私の方に駆け寄ってきたのを見ると、樹里らしいなと思う。
大人しそうな見た目に反して、怖いくらい物怖じしないその性格は本当に変わらない。
あの夏の日もそうだった。
大事な何かを食い殺されそうな幻覚は、今でも覚えている。
しかし、今はそんな彼女の不気味さが頼もしかった。
この時から、私は次の瞬間樹里が言うことを予測していたのかもしれない。
「誰が殺したか、バレないようにしよう」
そう言って、樹里は平然と背中からカッターを抜き取った。
手に赤い液体が付着するが、彼女は顔を少しも歪めることはなかった。
「でも、自首した方が……」
私が言い掛けると、樹里はゆっくりと私の身体を抱き締めた。
そして、耳元で囁く。
「私は美子のために言ってるんだよ?このままじゃ、美子は警察行きだよ。そんなの嫌だよね?受験勉強だって頑張ってきたのに、大事な時期に今までの苦労が水の泡。それに社会に戻ることが出来ても、皆からは偏見の目で見られたり、嘲られるかもしれないよ。ろくな人生歩めないよ。美子はそうなりたいの?」
私は真っ先に首を振った。
洗脳のような樹里の言葉には、決して逆らうことが出来なかったし、実際そうなりたくない。
「……わかった。そうしよう」
私が返事をすると、樹里は私の背中から手を離した。
そして、右手の小指を突き出す。
「これは、私と美子だけの秘密」
なるほど、指切りか。
私も小指を出してそれを絡めると、幼い頃もこんなことをしたことを思い出した。
あの頃は、もっと小さな秘密だった気がする。
親に黙って公園の犬にパンをあげたり、樹里と一緒にタイムカプセルを埋めたり、点の悪いテストを隠したり。
きっと初めて持った秘密は小さくて、最近持った秘密は大きい。
というか、今では秘密が多すぎて最初の秘密など忘れてしまっていた。
大人になるって、こういうことかもしれない。
昔は本音で話していた樹里にも、いつの間にか言いたいことが言えなくなっていた。
それによって、どんどん秘密は増していくんだ。
指切りげんまん
嘘ついたら針千本飲ます
指切った!
「つまり、殺したのは私。樹里は私を庇っていただけ」
真実を全て吐き出した美子の表情には、疲労が表れている。
残ったのは、重いこの空気だけだった。
そんな中、唯奈がおずおずと口を開いた。
「……何で樹里はそんなに美子のことを庇っていたの?そこは正直に警察のところに行くべきだったんじゃ……」
「友達なら正しき道に導かなきゃいけないだろうけど、私は嫌だった。私は、美子を守りたかった」
「樹里……」
樹里も美子も、先程よりは表情が和らいでいた。
いや、美子の場合は何もかも放棄したような無表情と化しているが。
だが、美子の心情が変化しているのは、手に取るようにわかる。
「美子は確かに、人を殺してしまった。だけど、私はそれを一切咎めない。それに、一人だけ取り残された犯罪者の美子が見てられなくて、私も共犯者になることにした」
その瞬間、樹里は口の端を吊り上げた。
彼女の目は、彼等を捉えていないようにも見える。
「それに、人が疑心暗鬼になる瞬間が見たかったから。さっきみたいに極限状態に陥った時、人はどうなるか肉眼で確かめたかった」
樹里の唇は、再び真一文字に戻った。
しかし、彼等は彼女への恐怖を拭うことが出来なかった。
1cmでも樹里に近付こうとすれば、今すぐ殺されそうだったからだ。
だが、それを僅かに忘れさせてくれたのは、女性の一言だった。
「……運命過ぎて笑えないわ」
途端に女性は蓮からカッターナイフを奪い、それは美子の首に狙いを定めた。
一瞬の出来事である。
何が起こったかわからなかった彼等は、ようやく事の重大さを理解した。
だが、時は既に遅し。
「な、何してんだよ!!」
「やめて下さい!」
女性は強く美子を抱き締めた状態のまま、彼女の首にカッターナイフを押し当てていた。
まるで人質のようである。
いつ自分が殺されるかわからない美子は、暗くてもわかるくらい顔を真っ青にし、口をぱくぱくさせている。
女性は美子を睨むように見つめた。
「ここだけの話。私ね、美子ちゃんや海斗君のお兄さん達と元同級生なんだ」
「え!?」
先に反応したのは、美子だった。
自分の危機よりも彼女の衝撃的な発言の方が、彼女としてはショッキングなものだったのかもしれない。
「最初は全然そんなこと知らなかった。だけど、美子ちゃんの話を聞いて全部わかったんだよ」
「だからって、何で美子にそんなこと……」
珍しく動揺を見せながら、樹里が言う。
「あのさ、美子ちゃん。美子ちゃんはお兄さんを美化し過ぎなの。正直言って、彼奴は悪魔だった。元同級生の私からすれば、あんな奴殺されて当然よ」
「何であんたなんかにそんなことわかるの!」
美子がキッと睨み返す。
「海斗君のお兄さんが美子ちゃんのお兄さんにいじめられていたのは知ってるでしょ?だけど、彼奴は他のクラスメイトにも色々迷惑をかけていた。他の殺されたうち二人の女子と二ヶ月後に行方不明になった子は、彼奴に弱味を握られていたの。事件が起きた年の年度初め、私は殺されたうちの一人の女子と仲が良かった。だけど、彼奴や彼奴とつるんでいた奴等のせいで、その子は弱味を彼奴に握られた。それを全く知らなかった私は、彼女を助けることが出来なかった」
「じゃあ、何で今そのことをあなたが知ってるんですか?」
「事件から一週間後、現在行方不明になった女子から全て聞いたの。その子も殺されかけたけどなんとか助かって、事件の真相を聞き出したんだ。結局、その子も消息不明になっちゃったけど」
「……つまり、あんたは大嫌いな奴の身内である私が憎くなったってわけ?」
挑発するように、美子がにやりと笑った。
それにつられるように、女性もまた口角を上げる。
「あんたも同じでしょ。同じ理由で海斗君を殺したんでしょ」
「……だったら何よ」
「兄妹揃ってろくでもないね。小倉兄弟もとんだ災難だわ」
美子は神妙な顔つきになると、小さくため息を吐いた。
「はぁ……そう。で、あんたは私を殺るつもり?」
「そうだよ」
「馬鹿みたい。私を警察に突き出す方がよっぽど賢明じゃないの?受験生だし、私の人生台無しに出来るよ。親を泣かせて学校の皆からも嫌われて世間からも白い目で見られる。それでも良いの?ここであんたが私と同じことをすれば、あんたが地獄行きになるけど本当に良いんだ?」
「……うるさい!!邪魔すんな!!」
美子を憎悪のこもった瞳で睨みつけると、カッターナイフを彼女の首に刺そうとした時だった。
女性のカッターナイフを持っていた手が止まった。
そして、女性の目はある場所に釘付けになった。
彼等の視線も同様に。
「……ドアが開いた?」
震える唯奈の声。
ギギギ、という耳障りな音とともに、風に吹かれたようにドアがゆっくりと開いたのだった。
「どういうことだよ……」
昴が頭を掻いた。
すると、昴の横を誰かが一瞬で通り過ぎていった。
女性だ。
カッターナイフを持ったまま、彼女は何も言わずに全力疾走で教室を出て行ったのだ。
「何なんだよ、あの女……」
蓮が呆れを含んだため息をつく。
「大丈夫?美子」
「大丈夫だよ、樹里。怪我はないけど……なんか色々衝撃だった」
「私もまさか海斗のお兄さんの元同級生が目の前にいたんだからね」
「おいお前ら。呑気に話してないで、俺らも逃げるぞ!」
蓮がドアの前に立った。
少し困ったように彼等は黙るが、やがて意を決したように頷いた。
https://ha10.net/novel/1531730581.html
新作です。是非読んで下さい。
運命過ぎて笑えないわ。
私の首にカッターナイフを押し当てる直前に女が発した言葉を思い出した。
それはこっちの台詞よ。
事件について熟知している人物に出会うなんて、想像もしたことなかったのだから。
月光を頼りに校舎を歩きながら、つくづく自分の運命を呪った。
人を殺した感覚。
殺される側の感覚。
そして、知りたくなかった兄の本性。
優しい過去の兄に執着し過ぎたのかもしれない。
記憶の断片で本当の兄を補正して美化していただけなのかな。
……結局、誰が一番悪いんだろう。
その疑問に辿り着いた瞬間、先頭にいた蓮が音を立てて床に倒れ込んだ。
「蓮!?」
「おい、大丈夫か!?」
蓮の後ろにいた昴が蓮の身体を抱き起こした。
が、もうダメだと瞬時に悟った。
蓮の口から出された真っ赤な血と輝きを失った瞳は、私達を混乱させるのに充分すぎる材料だった。
私は汗でべっとりとした拳を握りしめて口を開いた。
「ヤバいよ、私達このままじゃ殺されるかもしれない!早く逃げよう!!」
「殺される……?」
「だって、今の蓮の死に方見た!?悠也だって!!この校舎は呪われるんだよ!!悠也が言ってた都市伝説はきっと本当なの!!」
「この校舎に足を踏み込んだ奴は死ぬってやつ?」
「そうなんだよ!だから早く逃げよう!」
「だけど……」と蓮の死体に目をやる昴。
悠也の死体だって教室に置いてきたのに、そこまで構ってられない。
「今はそこに置くしかないでしょ!後で警察に言って運んでもらおう!」
「でも」
「昴は死にたいわけ!?私だって死体を放置して出たいわけじゃないけど、自分の命を守るためなんだから仕方ないでしょ!」
「……わかった」
そう言って、私達は急いで走り出した。
ゴミや枯葉、散乱した椅子や机のせいで足場は悪いけど、歩いてる暇はない。
得体の知れないものが私達に襲いかかろうとしている。
そんな予感が鳥肌を立たせた。
とにかく今は先頭にいる昴の姿をただ追いかけるしかなかった。
「着いたぞ」
昴の声とともに、私の頬を冷たい風が撫でた。
視界に入ったのは、満点の星空。
どうやらたった今、昇降口を抜けて外に出たらしい。
ああ……出れたんだ。
急激に込み上げてくる七分の安心感と三分の不安が入り混じって、涙が出そうになる。
「とりあえず、これからどうする?」
そう言って振り返ったが、見覚えのある姿が見当たらなかった。
……樹里がいない。
「樹里は!?ねえ、唯奈、樹里は!?」
声を荒らげて問う私に、唯奈は慌てて答えた。
「私の後ろをついてきたはずだったけど……」
唯奈が言い終える前に、私の足は自然と昇降口に向かっていた。
「おい!」
「美子!?」
驚く二人の声を無視して、陰気な校舎に戻った。
乱れた呼吸を整えず、一階の事務室辺りを探し回る。
「樹里!?樹里!!」
私の声が廊下に響き渡った。
だけど、私の声に答える者は誰もいない。
「ねえ、樹里……樹里!!」
一階の階段のそばに寄ると、ふと違和感を覚えた。
階段で丸くなった一つシルエット。
角度を変えて見ると、シルエットは窓からの月光を浴びて、姿を映し出した。
「樹里!!」
そこにいたのは、階段で倒れている樹里だった。
寄って抱き起こすが、蓮と同じくとても生きているとは思えない状態だった。
「樹里……」
彼女の服にこびりついた赤い液体を気にせず、彼女の身体を抱き締めた。
どうしてこうなったんだろう。
私はいつどこで間違えを犯したんだろう。
こんなはずじゃなかった。
海斗を殺さなきゃ良かった。
海斗は何も悪くなんかなかったのに、一時的な幻覚と怒りに任せたばかりに。
「ごめんなさい……」
この謝罪は海斗へなのか、死んだ皆へなのかわからない。
だけど、私の中に後悔という言葉が渦巻いているのは確かだ。
嗚咽混じりの声で、抱き締める力を強くした。
その時、雷が落ちるように激しい頭痛が一瞬だけ私を襲った。
「いった……」
その瞬間、ある違和感が湧いてきた。
それが何なのか、わからない。
だけど、誰かが私に【思い出して】と警告しているような気がした。
「あ、美子!」
校舎から出ると、唯奈が私に駆け寄った。
項垂れる私に、唯奈は察したように俯いた。
「昴は?」
「……それが気付いたら、どこにもいなくて」
まさか昴まで……。
「どんどん皆いなくなってる……」
自分で呟いた言葉は、よりこの場を冷感させた。
「唯奈は……いなくならないよね?」
「うん、絶対生きて帰って」
彼女の言葉に、私は苦笑した。
「それを言うなら、生きて帰ろうでしょ。その言い方だと、私一人生き残るみたいじゃない」
「あ、そうだね……」
その瞬間、私はある違和感を覚えた。
あれ……?
当たり前だったのに、当たり前じゃなくなった感じだった。
まるで魔法が解けたよう。
それは徐々に私を不安にさせていく。
認めたくはないけど、自分が異常でない限り、この感覚は間違いじゃないだろう。
私は人差し指で目の前にいる【少女】を指差した。
「あんた……誰?」
指を差された【羽柴唯奈という友達だと思い込んでいた】その少女は、目を見開いた。
「私?……唯奈だけど」
「……違う!私のクラスに【羽柴唯奈】なんて子はいない!!ましてや友達でも知り合いでもない!!」
唯奈は口を真一文字に結んだと思ったら、穏やかに笑った。
その笑みは、私を戦慄させた。
彼女の黒髪が風でふわりと舞う。
「……バレちゃったか」
「あんた、何者なの!?」
気付けば、私達の中に唯奈がいた。
彼女は自ら名前を名乗ることもなく、私達は紛れ込んだ彼女を普通に【友達の羽柴唯奈】として扱っていた。
違和感なんて何もなかった。
だからこそ、この少女の存在の可笑しさに気付いた今、彼女が恐ろしくなった。
「もしかして……皆を殺したのもあんたなの!?」
「違う!それは違うから!!」
「じゃあ誰なの!?」
「それは……」
「ほら言えないじゃない!!人の記憶を操作出来るんだから、人を殺害するのも簡単なんでしょ!!」
「確かに私が皆の記憶を操作して、【羽柴唯奈】として皆の中に紛れ込んだのは事実だけど……」
「【唯奈】としてなら私は信じていたけど、今のあんたは何も信じられないから!!どうせ私のことも殺しちゃうんでしょ!!返してよ!!返せ!!皆を返せ!!」
「殺さないから!!私を信じてよ!!」
必死に説得する彼女から、私は全力疾走で逃げた。
彼女は私のことを殺しに来るはずだ。
彼女は私が街の方に逃げると推測するかもしれない。
だから、私は迷わず校舎の背後に聳え立つ山を目指して、草木が生い茂る道に足を踏み入れた。
本当は今すぐにでも家に帰りたいけど、そうもいかない。
雨上がりのせいで足場が悪く、白いスニーカーが茶色く汚れ、靴下にも染みていきそうだ。
冬なのに冷や汗が収まらない。
だけど、後ろから少女が迫ってきていると思うと、足を止めることが出来なかった。
夜はまだまだ明ける気配がない。
今は一体何時なんだろう。
すると、視界に一人のシルエットが入った。
木に寄りかかっているその人物は、私の姿を認めると、手を振ってきた。
昴だ。
「昴!」
「大丈夫か、美子!!」
「私は平気。昴はどうしてここに?」
「いや、その……お前も気付いたか?唯奈が本当は俺達の全く知らない奴だったってこと」
「私も気付いたよ」
「で、ここに逃げてきたってわけか。俺も怖くなって、もしかして殺されるんじゃないかって思ったから、見つかりにくいこの山道まで逃げたんだよ」
「……ねえ、あの子が皆を殺したんだよね?」
「わかんないけど、その可能性は高いと思う」
そう、と答えると、私は星空を見上げた。
今夜は今まで生きてきた中で一番長い夜だろう。
今までは学校に行くのが面倒くさくて、夜が長くなればいいのに、なんて願ったこともあったけど、今は早く夜なんて明けてしまえばいいのに、と調子のいい願望を夜空に込めてしまう。
さて、これからどうすればいいか。
しばらくはここで待機していた方が良いけど、空が白み始めたら家に帰った方が良いかもしれない。
いや、警察に行く方が先かな。
海斗のことはきちんと説明するべきだろうか。
親には泣かれるくらい怒られるだろう。
受験には響かなきゃいいな。
クラスの皆からはハブられるかもしれないけど、あと数ヶ月で卒業だし、まあいいか。
昴もいるし。
昴は普段はあまり目立たないけど、凄く頼りになる。
自己中心的な蓮の考え方を、さりげなく私達のためになるように誘導したりしたことだってあった。
温厚で優しくて、見た目だって悪くない。
そう思うと、危険な状況にも関わらず、真夜中に男子と二人きりでいるのが急に恥ずかしくなった。
寒いのに頬が熱くなる。
その時、私は微かな温もりを感じた。
開いた口が塞がらない。
昴に抱き締められたのだから。
「昴……?」
「……ごめん、しばらくこうさせて」
全身が熱くなった。
別の意味で汗が額から落ちてくる。
「う、うん……」
さっきから、感情が次々と入れ替わっている。
怒って、悲しんで、怖がって、ドキドキして……。
まるで、四季を巡ってるみたいだ。
期待しちゃっていいのかな、これは。
だけど、再び大きな頭痛が私を襲った。
その瞬間、例えるならピンク色だった私の心は真っ白に変わった。
突如、腹部にちくりと痛みを感じた。
それは、頭痛よりも何倍に刺激を受けるものだった。
昴が私の身体から腕を離すと、私は土がぐちゃぐちゃに濡れた地面に仰向けに倒れた。
視界がぐるりと変わる。
十秒足らずの出来事に頭がついていけない。
「兄妹揃って、本当に最低だな」
歪んだ笑みを向ける昴の手には、ナイフが握られていた。
ナイフの先端は月の明かりで、鈍く光っている。
そして、彼は静かに私の前から去っていった。
……どうして。
「だから言ったのに」
どこからか、あの少女の声が聞こえてきた。
「私は皆を殺してない。むしろ、助けたかった」
ああ、やっぱりそうなんだ。
ごめんね、犯人扱いして。
でも、結局あんたは何者なの?
聞きたいことは山ほどある。
だけど、声を出す体力なんてなかった。
「皆の中に紛れ込んでいたのは私だけじゃない。昴もだから」
やっぱり。
刺される直前、私は私を抱き締めている男に少女と同様の強烈な違和感を覚えたけど、あれは正解だったんだ。
「校舎に入ったのは美子、樹里、蓮、悠也だけ。羽柴唯奈と森永昴なんて人はいないよ」
意識が少しずつ遠のいていく。
お願い、早く私が知らないこと全部話して。
「皆を殺したのは昴。そして、その昴の正体はあなたが憎んでいた小倉君」
小倉光貴が?
何であそこに……。
「小倉君は例の事件で私達人間を恨んだの。その激しい憎悪によって、彼の生霊があの校舎に潜むようになったんだよ」
生霊?
いきなりオカルト系の話なのね。
「彼自身はまだ生きてるけど、どうだろう。生霊がいるってことは、とても正常な状態じゃないはず。あなたのお兄さんに相当精神的にやられたから、社会復帰は難しいかもしれない」
十年経った今でも、か……。
彼奴、本当に何を思ってそこまで小倉光貴を追い詰めたんだろう。
「生霊とはいえ、実の弟の死体を目の当たりにしてショックだったんじゃないかな。私もびっくりしたよ。死体が小倉君の弟だったんだから」
……だろうね。
…………ていうか妙に小倉光貴のことをよく知ってるけど、何なの?
……もう、無理かも、意識が……。
「あ、そうそう。私の正体気になるよね」
……ごめんなさい、海斗。
……ごめんなさい、皆。
…………樹里のこと、いっぱい利用して裏切ったのに、私のことを守ってくれたのに、私は樹里のことを守れなかった。
……挙句の果てには、この子の言葉も信じないでいたら、このザマだ。
……ごめんなさい……そして、ありがとう……。
「私の名前は___」
視界に眼鏡をかけた二つ結びの少女が入った瞬間、私の意識はなくなった。
「またダメだった……」
2年A組のベランダから、私は街の景色を眺めていた。
群青色の空に浮かぶ星々の横では、東から明るいグラデーションが帯びている。
空が白み始める頃の夜空は、写真に収めたいくらい美しい。
向かいから寒々しい風が吹くけれど、私は何も感じなかった。
もう、私は死んでいるのだから。
「まさか、友村さんがここに来るなんてびっくりしたな」
事件の後、彼女は真っ先に生き残りの私に問いただしてきた。
私が知ってることを全て話すと、彼女は西尾君を激しく憎んだことは確かに覚えている。
だけどまさか、西尾君の妹を殺そうとしてしまうくらいだとは思ってもいなかった。
彼女もきっと、小倉君に殺されてしまっただろう。
何せ、この校舎に入ってきた人物で無事に生還した者はいないのだから。
勿論、小倉君の仕業だ。
小倉君本人は無意識だろうが、彼の生霊は何人もの命を奪った。
姿を変えて訪れた人物の記憶を操作して、彼等の中に紛れ込み、やがて殺していく。
そして、それを阻止するのが死んだ私の役目だ。
私が死んでから約一年後にこの学校は廃校となり、その数年後には肝試しでここに訪れる者がいた。
私も小倉君同様に訪れた者の年齢に応じて姿を変えて、彼等の中に紛れ込みつつ、これ以上校舎にいるのはやめよう、と止めていた。
だけど、誰も私の言うことなんて聞かなかった。
止める役になりやすいように、敢えて弱虫な性格を演じていたけど、効果なんてなかった。
皆死んでいった。
その上、姿を変えても魔法が解けてしまうように、いつか紛れ込んだことがバレてしまうのだ。
七年前くらいだっけ。
確か、バレた時に『この中には生霊が紛れてて、そいつがあなた達を殺そうとしている』って忠告した瞬間、彼がその場にいた全員を殺してしまったこともあった。
つまり、私の正体がバレても小倉君が殺そうとしていることを私が口外してしまえば、その時点で生きている人が全員死んでしまう。
だから、美子にも誰が皆を殺したか言うことが出来なかった。
しかも、私が紛れた中に毎回姿を変えた小倉君がいることにも、強烈な違和感を覚えた。
彼はほぼ毎回、温厚で優しい性格を設定している。
……いや、おかしくなる前の性格に戻ったと言った方が正しいだろう。
それにしても、今夜訪れてきた中学生集団は異例中の異例だった。
たいていやって来るのは肝試し目的だが、彼等は死体を隠すためにやってきたのだ。
しかも、死体は小倉君の弟、殺した犯人も分からないまま。
美子という女の子が西尾君の妹だと判明した時、開いた口が塞がらなくなってしまった。
「そういえば、もう十年か……」
昨日、あの事件から十年経った。
多分、友村さんが悪天候にも関わらずわざわざここに立ち寄ったのも、十年前の出来事を回顧するためなのかもしれない。
そんなことしなければ、生きていただろうに。
まあ、私が言えた口じゃないが。
私だって十年前、小倉君を裏切らなければ、今生きているはずだ。
私は世間では行方不明とされているらしいけど、実際にはとっくに死んでいる。
江川さんのお墓参りに行った日、崖崩れに巻き込まれて。
家族や友人にそう伝えたくても、幽霊という存在になった今、伝えられるわけない。
小倉君から守るために姿を変えて、人々に接する時以外、私には誰も話し相手がいない。
だけど不思議と、孤独は感じなかった。
寂しさや虚しさにいつか精神を崩壊されてしまうのではないかと懸念していたが、どうやらそれは杞憂だったようだ。
生前からこうなることを教えられていたみたい。
「あ……」
空に現れた美しい朝焼けに、思わず感嘆の声が漏れた。
もうすぐ夜が明ける。
今夜はまた誰かやって来るだろうか。
今度こそ、何かが変わるだろうか。
まあいい。
今度こそ、私が彼から守るから___
[End]