十数年前の掲示板で、ひと夏だけ流行った都市伝説があった。
三十人分の魂を売れば、魔法の力を売ってくれる人(?)が居るらしい。
1-Bは、クラスの誰かに売られた。
『〜……♪』
爆音で流れる大好きなバンドの曲で目が覚める。
そのまま画面を開いて、大量のインスタとLINEの通知をスワイプする。Twitterを開いて、推しの自撮りツイにいいねとリツイート。
これが私の一日の始まりだ。
私の名前は首藤(すどう)りんね。女子校に通う高校一年生。
周りには男勝りって言われるけど、オシャレすることは誰よりも好きだし、自分では結構女の子らしいところもあるって思ってる。
根元が伸びてきたアッシュのショートヘアを無造作に掻き上げて階段を降りる。寝癖が酷いんで毎朝セットするのに三十分かかる。面倒だしそろそろ伸ばそうかなぁ。
「おはよー」
リビングで食パンを齧りながらスマホを弄る妹に無視されながら洗面所に入る。
眠気と浮腫で開かない目を擦りながら鏡を見ると、
「……?」
何か、今日は顔の調子が良い気がするぞ?
私ってこんなに目でかかったっけ?こんなにまつ毛ばっちりだったっけ?あ、この前買った韓国のまつ毛美容液の効果かな。最近お風呂入る時マッサージしてるし。
「今日は顔のコンディション良いな〜っと」
適当にツイートして、私は学校の支度を始めた。
電車を乗り継いで学校に着くと、友達のしみずを見付けた。
「しみず!」
名前を呼ぶとしみずは気が付いて振り返った。
「りんね!おはよー」
大きなたれ目を更に垂れさせて笑うしみず。私達は肩を並べて歩き出した。
するとしみずはじろじろと私の顔を覗き込み始めた。
「何だよ?顔になんかついてる?」
私が尋ねると、しみずはんーんと首を横に振った。
「りんね、メイク変えた?」
「え、やっぱ思う?今日は何か顔のコンディション良いんだよね〜」
自慢げにスマホの画面で自分の顔を見ていると、誰かに肩をぶつけられた。
「痛った……」
ぶつかってきたそいつを見ると、肩の下で綺麗に揃えられたさらさらの黒髪が目に入った。しみずがふと呟く。
「同じクラスの……」
「ちょっと、ぶつかってきた癖にごめんも無しなの?」
振り返りもせずにそのまま歩いていくそいつの肩を掴むと、そいつは不機嫌そうな顔で私の顔を見上げた。伏し目勝ちの切れ長の瞳に、朝日に照らされて白っぽく見える豊富なまつ毛。向こうが透けて見えそうなほど透明な陶器のような肌。
「……道の真ん中で自分の顔眺めてる方が悪いと思うけど」
そいつはそう言って私の手を払った。そして私の目をじっと見上げた後、歩いて行ってしまった。
「何あいつ」
「同じクラスの弓槻さんじゃない?ほら、出席番号一番最後の……」
しみずはそう言うけど、あんな奴クラスに居たっけ?そう言えばあの黒髪には見覚えあるような気がするけど、いつどこで見たかはよく思い出せない。
「弓槻さんが来るなんて珍しいね……」
しみずは不思議そうな顔をしながら弓槻さんとやらの後ろ姿を眺めている。
「あ、そろそろ行かないと遅れるよ」
スマホの画面を見るともう一時間目が始まりそうだった。私達は慌てて校舎に駆け込んだ。
一時間目は英語だった。一番嫌いな科目だ、最悪。
当たりませんように、当たりませんように、と心の中で唱えていると、運悪く先生と目が合ってしまった。
「答えたそうにしてるね、首藤?」
嫌味ったらしい笑顔で私を見る教師。私が英語苦手なの知っててわざと当ててんな?
「分かりませーん」
答えたところで合ってる訳ないし恥かくだけだから私は適当にそう言った。
「ちょっとは真面目に考えなさいよ?」
教師は呆れながらもそれ以上は何も言ってこなかった。
「じゃあ、……弓槻。分かる?」
私の代わりに答えることになった可哀想なクラスメイトは、どうやら今朝ぶつかってきた嫌味女らしい。
私はちらりと弓槻を見る。
文句一つ言わずに立ち上がって、
「私たちは十年の間友達です。」
どうやら和訳らしき文を答えて、涼しい顔で座った。
「すごい、完璧。首藤もちょっとは見習いなさい?」
うるさいなぁ、余計なお世話だよ。
周りがくすくす笑う中、一瞬だけ弓槻と目が合う。慌てて前を向くけど、弓槻はまるで虫けらでも見るような目で私を見ていた。
やっぱ嫌な奴だな、あいつ。
昼休み。各々がお弁当を広げている中、弓槻はぽつんと一人で座っていた。昼ご飯を食べる素振りも見せず、文庫本サイズの本を読んでいた。
今まで気にも止めてなかったけど、あいつぼっちなんだなぁ。
「今日はオムライスだよぅ」
目の前で嬉しそうにお弁当箱を開けるしみずを見ながら、私もカバンからコンビニで買ってきたランチパックを取りだした。
「しみずってほんとに料理上手いよなぁ」
感心してそう言うと、しみずは照れ臭そうにはにかんだ。
「そんなことないよぅ?ただ好きだからやってるだけで」
「それがすごいんだってば」
私は毎朝料理する気なんて起きないよ。だから買って済ませちゃうし。
「りんねん家は、色々大変だからね……」
「何しんみりしてんだよ、いただきまぁす」
それ以上ウチの話題は出さないでよね。私はランチパックを頬張った。
そう言えば、としみずが私の背後を覗き込む素振りをした。
「何で急に来れたんだろうね、弓槻さん」
どうやら隅で本を読んでる弓槻を気にしているようだ。
「え?弓槻ってずっと学校休んでたの?」
「うん。入学式から数日は来てたけど、急に来なくなっちゃったじゃん。」
へー、どうりで見覚えなかったわけだ。確かに入学式の時にあの後ろ姿を見たような気がする。顔まではよく覚えてないけど。
「ほぼ来てないクラスメイトのことなんてよく覚えてるな」
「だって弓槻さん綺麗じゃん。入学式の時はびっくりしたなぁ、あんな綺麗な人が居るんだって思ったもん」
目を輝かせながら弓槻を見るしみず。
「来れるようになって良かったよね!」
しみずは嬉しそうに笑った。
「お人好しだよな、しみずは」
「え〜?何それ、褒めてんの?」
少しからかうとしみずはぷりぷり怒り出した。
……でも、確かに。弓槻は何だか目を引く何かを持ってる気がする。悔しいけど顔も整ってるし、あの黒髪は本当に視線を引きつける。
「…………」
椅子の背凭れを脇に挟んで弓槻を見ていると、バチンと目が合ってしまう。
「何よ」とでも言いたげな弓槻がまた見下すように睨み返してきた。
やっぱ嫌なやつだな。
放課後。
部活を終えた私は、教室に忘れ物をしていたことに気付いて慌てて戻ってきた。
やば、最終下校時刻とっくに過ぎてる!
幸い教室のドアは閉められてなかったが、真っ暗で何も見えない。
電気を付けると、人影が見えた。
「誰か居るー?」
急に明るくなって驚いたのか、その人物ははっと顔を上げた。
「……あ、」
「あ」
私の机の中に手を入れている弓槻(ゆづき)と目が合った。
「ちょ、何してんだよ?」
つかつかと歩いていき弓槻の腕を掴む。私の机から引っ張り出した弓槻の手には私が探していた定期が握られていた。
「お前、まさか盗むつもりだったのかよ?」
怒りで弓槻の腕を掴む手に力が入る。
「なんなんだよ?もしかして今朝のことずっと恨んでんの?ぶつかってきたのはそっちじゃんかよ」
あんなの根に持ってここまでするか?有り得ない、嫌なやつどころじゃない、サイテーだ。
「違うわよ。離して。」
「言い訳かよ?」
「痛いから。」
「あ、ごめ……」
思わず手を離してしまう。弓槻は顔を歪ませながら赤くなった手首をさすった。
「盗むつもりじゃなかったけど、勝手に漁って悪かったわ。でもお陰様であなたの疑いは晴れたから。帰って」
「は、はぁ?何だよ疑いって?もしかしてこうして他のみんなの机も漁ってたの?何か失くしたならまず誰かを疑うんじゃなくてさぁ――」
ばっと長い黒髪を振り払って顔を上げた弓槻が、キッと私を睨んだ。
「何も知らないなら口出ししないで!自分の身も守れないあなたなんかに――」
そこまで言うと、弓槻は持っていた私の定期を私の胸に投げ付けた。
「私はこのままただその日を待つなんて出来ないから。」
そんな訳の分からない言葉を吐き捨てて、教室から飛び出してしまった。
教室に取り残された私は、落ちた定期を拾っても、しばらくその場から動けなかった。
何も知らない?自分の身も守れない?
何言ってんのかさっぱりだったけど、何故かそれがとても重大な何かを意味しているように思えた。
けどいくら考えても分からない。弓槻が言ったことは何を示してるんだろう。
『〜……♪』
今日も大好きなバンドの大好きな曲で目が覚めた。
が、今日は最悪の目覚めだ。
クラスメイト達と、必死に何かから逃げる夢を見たんだ。
いつも通り授業が終わって帰ろうとした時、いきなり教室が赤く点滅し出して、サイレンが鳴った。教師も居ないから私達は教室を飛び出して必死に逃げた。何かに追い掛けられているような感覚だった。階段を下りるたびにどんどんクラスメイトが減っていって、一階に着く頃には、私ともう一人しか残っていなかった。
そのもう一人が誰なのかを確認するところで目が覚めた。
何なんだよ、もう!
表しようのない不快感に、わざと大きな音を立てながら階段を下りた。
「うるさい!」
リビングで朝食を食べていた妹に怒鳴られたけど、私は気分も悪かったし昨日の仕返しだと思いわざと無視した。
「…………ぶっす」
洗面所に入って鏡に映った私の顔は、昨日とは相反して物凄いブスだった。
大量の泡で洗い流しても、クマは落ちなかった。
コンシーラーを塗りたくり、それ以上のメイクはする気になれずに洗面所を後にした。
電車の中で推しのツイートにいいねとリツイートする。バンドの曲を聞いていると、ガタンと車体が大きく揺れた。
と思ったら、キキーという音と共に急停止した。
『えー、お客様にお知らせします、ただいまこの電車におきまして人身事故が発生しました。……』
そんなアナウンスが流れた。
ざわざわと騒然とする車内。
こんな平日の朝っぱらから人身事故かぁ。学校遅れるかもなぁ。
なんて呑気なことを考えながら、何気なくTwitterを開く。
「……え?」
タイムラインの一番上に表示されたのは、この人身事故の動画だった。
しかも、どうやらこれはただの事故じゃないらしい。女子高生が、自ら飛び込んだらしい。その一部始終が、物凄い勢いで拡散されていたのだ。
動画はタップしなくても勝手に再生される。どうやら反対側のホームから撮っているようだ。
「間もなく二番線に各駅停車……」とアナウンスが流れた後、普通にホームに並んでいたポニーテールの女の子が急に駆け出し、人目もはばからず線路に飛び込んだ。私も毎朝見掛けている制服だった。
ホームに並んでいた人達がぎょっとしてこちらを見たと同時に、電車で画面が埋め尽くされた。
そこで動画は終わった。
「…………」
再び最初から再生される前に私はTwitterを閉じた。
吐き気がする。今、この私の足元に、ぐちゃぐちゃになった女の子が居ると思うと。もしかしたら、その子とは昨日すれ違っていたかもしれないと思うと。
最悪。こんな動画見なければよかった。
…………待って。
私ははっとして再びTwitterを開いた。
そしてさっきの動画をもう一度再生する。
並んでいる人達。
電車が到着することを知らせるアナウンス。
そして、駆け出してホームに飛び込む女の子。
…………え?
この子、アナウンスが入る直前まで、普通に並んでた。飛び込む素振りなんて見せてなかった。
これを撮影してるのは、誰?
どうして、この子が飛び込むって分かったんだろう……。
この動画が添付されたツイートには、「友達から送られてきた!」と書いてある。主のプロフィールを見ると、高校名が書いてあり、プロフィール画像は飛び込んだ女の子と同じ制服を着た二人組のプリ。
……あの子と、同じ学校の人ってこと?
私は思わずカーディガンで覆われた手で口元を抑えた。心臓がバクバクと踊り狂う。
何か知ってはいけないことを知ってしまった気がして、吐きそうになった。
最悪だ。今日は人生最悪の日だ。
何故か私の頭には、昨日の弓槻の言葉がチラついていた。
「私はこのままただその日を待つなんて出来ないから。」
「その日」って何だろう。
「その日」になったら、何が起きるんだろう。
嫌な予感が、する。
結局、電車が動き始めた頃には正午を回っていた。
私は学校に行く気になれなかったけど、家に帰る気にはもっとなれなかったので、仕方なく学校に行った。
「りんね〜!」
教室に入るや否や、しみずが抱き着いてきた。
「大丈夫?りんねが使ってる電車で飛び込み自殺あったって聞いてびっくりしたよぅ」
「あー、」
お願いだから傷を抉らないでほしい。私は抱き返す気にもなれずにされるがままだった。
「えー、まじ?りんねあの電車乗ってたってこと?」
「やば!だから遅れたんじゃね?」
近くに座っていた沙里(さり)と珠夏(しゅか)がニヤニヤ笑いながらそう言った。
「やばいんでしょ、あの飛び込んだ子。魔女に売られたんだって」
「えー、まじ?あの都市伝説まだ死んでなかったんだ」
沙里と珠夏の会話に、私に抱き着いたままのしみずが首を傾げる。
「え、何?魔女って?」
二人は目を真ん丸にして顔を見合わせてから、またにやにや笑い出した。
「しみず知らないの?昔掲示板から流行った都市伝説だよ!」
「何十人かの魂を差し出せば、魔法の力を与えてくれる『魔女』の都市伝説だよ!」
「ええ、何それ〜」
しみずは「怖いよぅ」と言って私の影に隠れた。
「あの飛び込んだ子のクラス、やばかったんでしょ。どんどんクラスメイトが死んでいってたんだって。なのに学校は死に始めてから数日しか休校にしなかったらしーよ。あんまニュースにもなってないし。絶対闇あるよね。」
「それ絶対そのクラスの誰かがクラスメイト売ったじゃん!
魔女は警察とか大統領とか、国の偉い人達とも繋がってるって噂だし。怖くない?うちのクラスも誰かに売られちゃったりして〜!」
きゃはははと甲高い笑い声が教室中に響いた。
「は、はは……」
普通に怖いって。笑えないって。私としみずは乾いた笑い声を出すしか出来ず、そそくさと沙里達から離れた。
「何あれ、本当なら怖くない?」
私が言うと、しみずはうんうんと何度も頷いた。
「でも、ただの都市伝説だよね?今朝のもただの偶然だよね?」
本当に怖がってるみたいだ。確かこの前ホラー映画が流行った時も、一緒に見に行ったらすごい怖がってたし。なんなら泣いてたし。
「偶然だし嘘に決まってるって。もし本当なら大ニュースでしょ、もっと大々的に報道されてるって」
そう言って宥めたけど、私だって怖い。
今もまだ拡散され続けているあの動画の不可解な点と沙里達の会話が、とても無関係だとは思えなかった。
「あくまで都市伝説だし!あんまマジにならないでよ?」
珠夏が怖がるしみずに気付いてそう叫んだ。
「もー、怖がらすなって!」
私がそう返すと、沙里と珠夏は謝りながらも笑っていた。
暗い雰囲気になっていた教室がいつも通り明るくなった。
そんな私達を、弓槻がずっと凝視していたことに、私は気付かなかった。
その夜、沙里と珠夏が死んだ。
それを知らされたのは、翌日のホームルームだった。
沙里と珠夏が死んだ。
昨日まで普通に元気だった二人が。
昨日授業が終わって教室から出ていく時はあんなに笑ってたのに。
信じられないけど、説明する担任の額にはいくつもの汗の粒が浮かび上がっているから、どうやら真実のようだ。
「夜中に二人で川に飛び込んだんだって……」
「二人がいっせーのって叫ぶ声を聞いた人が居たみたいで……」
「そういえばあの二人薬やってるって噂あったしね……」
訃報を知らされてすぐに臨時休校になったけど、クラスメイト達はみんな教室に留まっている。
二人と割かし仲が良かった子は机に突っ伏して声を漏らしながら泣いていた。が、過半数の子は死んだ二人の噂話や憶測で盛り上がっている。
あー、誰も帰ってないけど帰ろっかな。ここに居てもあんま気分良くないし。
「しみず、帰ろ?」
立ち上がってしみずの席に歩いていくと、しみずはこくりと無言で頷いた。
しばらく廊下を歩いていると、私達に続いて誰かが教室から出てきた。
振り返ると、弓槻だった。
つかつかと私たちに向かって歩いてくる。
「な、何だよ」
ずいっと弓槻の顔が近付いてくる。
「あなた達、昨日から何か変わったことはない?」
いきなりそんなことを言い出した。
「何だよこんな時に」
弓槻は表情ひとつ変えないが、どこか焦っているように見えた。
「帰った後も気を付けて。あなた達はあの二人から直接あの話を聞いてしまったから、もしかしたら……」
「何言ってんだよ!脅してんならやめろよ!今あんな作り話にかまってる余裕ないのは分かるだろ!」
思わず叫んでしまった。しみずがびくりと肩を弾ませた。弓槻は表情を変えずに私をじっと見ている。
「あなた、まだ作り話だと思ってるの?」
「……え?」
心臓がどくんと大きく脈打った。
「あれは真実よ。あの二人は、あの都市伝説に殺された。」
「……は?」
どくん、どくんとゆっくりとした心臓の音が頭の中で鳴り響く。
殺された、って何?二人は薬の幻覚症状で自分達から川に飛び込んだんでしょ……?
「あなた、昨日は事故があった電車に乗ってたらしいじゃない。偶然だと思う?身近でもう三人死んだのよ。そして、三人ともニュースになってない。」
弓槻の声がまるで耳から直接流し込められたような感覚になった。
頭が痛い。目の前がクラクラする。
「昨日も言ったけど、自分の身も守れないからあの子達は死んだの。あなただってもうすぐ死ぬかもしれないのよ――」
「やめてよ!」
弓槻の言葉を遮ってそう叫んだのは、私ではなくしみずだった。
「やめてよ弓槻さん。りんねが死ぬなんて冗談でも言わないで!」
目に涙を浮かべながら肩で息をしている。こんなに怒ったしみずを見るのは初めてかもしれない。
「冗談じゃないわ。だって私はこの目で見たんですもの。」
「見たって、何を……?」
上半分はまつ毛で覆われた瞳が私達を捉えて離さなかった。
「このクラスは、クラスの誰かに魔女に売られた。」
弓槻の口から出てきた言葉と、昨日沙里達が言っていた言葉が重なった。
『何十人かの魂を差し出せば、魔法の力を与えてくれる『魔女』の都市伝説だよ!』
『うちのクラスも誰かに売られちゃったりして〜!』
「……本当に、うちのクラスが誰かに売られたってことかよ?じゃあ……」
これからもどんどんクラスメイト達が死んでいくかもしれないってこと?私も、しみずも、弓槻も、だ。
「弓槻さん、見たってことは誰が売ったのか知ってるってこと?」
しみずが尋ねると、弓槻は目を伏せて首を横に振った。
「顔までは見れなかった。でもそいつが着てたのはうちの制服だったし、会話は聞き取れたから『私以外の一年B組全員の魂を』と言ってたのは聞こえた。」
「何だよ、それ……」
絶対うちのクラスの誰かじゃんかよ。
さっきまで教室で泣いてたり噂話をしてた誰かの中に犯人が居るってこと、か。なかなか怖いな。
「じゃあ、急に学校に来始めたのも、私達を助けてくれるために……?」
しみずが尋ねると、弓槻はまた首を横に振った。
「助けるなんてそんな大それたことは出来ない。でも死ぬ前に犯人を突き止めたいと思った。たった一人の願いが叶うためだけに何十人もの命が犠牲になるなんてバカみたいじゃない。私はそんな下らない理由で死にたくない。誰かのために命を落とすなんて屈辱、絶対嫌」
弓槻は忌々しそうに顔を歪ませて片方の唇を噛んだ。
「私があのやり取りを目撃したことはすぐに向こうのやつらにバレるだろうから、私ももうじき消されると思うけどね。」
弓槻は自虐的に笑った。
「どうしてそんなに詳しいの……?」
「……一年前、私の姉も誰かに売られたからよ。」
弓槻はそう言うと、私達の横をすり抜けて行ってしまった。私としみずは止めることも出来ずに立ち尽くしたままでいた。
……ああ、これは本当に現実なのか。
隣でぶるぶる震えているしみずを見る限りはどうやら現実のようだ。
「どうしたらいいのかな……」
「どうしようもないよ。弓槻に、任せるしか……」
私達はきっと何も出来ない。でも弓槻ならもしかしたらほんとに助けてくれるかもしれない。そんな気がした。
「三十人分の魂を売れば魔法の力を売ってくれる魔女が居るらしい……」
その都市伝説は、ググれば簡単に見付かった。関連する記事がいくつもヒットした。
正直調べるのも怖かったけど、少しぐらい検索したところで消されることはないよね。
「あれ?」
一番上に表示されていた有名なネット掲示板のスレッドを開いてみたけど、『このページは存在しません』という文字だけが表示された。
「え、え、え?」
他のサイトやスレッドも開いてみたが、どれも存在していないようだ。
「何、こわ……」
急に背筋が冷たくなった。今は夜中の一時。自分の部屋でベッドの上に座って壁に背をつけていたけど、何だか怖いから頭から布団を被った。
どういうことなんだろう。これじゃこの都市伝説について何も分からない。これ以上深く追求するのは怖かったけど、何も知らないまま死を待つのはもっと怖い。
……そうだ。
Twitterを開く。そして検索欄に『三十人 魂 魔法の力』と打ち込み、検索する。
「……ビンゴ?」
ずらりと大量のツイートが表示された。
『三十人の魂を売れば魔法の力が手に入るって都市伝説知ってる人居ない?』
『三十人か四十人か忘れたけど魂を捧げれば魔法の力を貰えるらしいよ
俺が高校生の時に流行った都市伝説』
『魂売れば魔法の力くれるって都市伝説昔見たような気がするけど三十人って多くね?w
てか魂ってどうやって売るんだよな、作るならもっとまともな話作れよ』
そんなツイートが表示される中、私はふと一つのツイートに目が止まった。
『私のことをいじめてるクラスのやつらの魂を売ったら魔法の力が手に入るかな。三十人どころじゃない、私なら百人は差し出せる』
プロフィールを開くと、どうやら都内住みの女子高生みたいだ。しかも一年生、私と同い年。
過去のツイートを遡ってみると、この子はどうやら酷いいじめを受けているようだった。
「うわ……」
目を背けたくなるようないじめの数々の内容が事細かに書き込まれている。たまにある画像ツイには暴言で埋め尽くされたグルラのトーク画面のスクショや自傷行為の様子が添付されていた。
あれ。これって。
『縫ってもらった〜』と縫合された傷の写真の隅に、ぼんやりと制服のスカートらしきものが映っていた。
「うそ」
今まで何度も、いや毎日見掛けてきたスカートだ。
これは、昨日自殺した子と同じ制服だ。
スマホが手からずるりと滑り落ち、壁とベッドの隙間に落ちてしまった。
「あ、」
慌てて拾おうとベッドを少し動かして覗き込む、と。
画面には、『早く幸せになりたいな』と言う文と、真っ黒なカラコンの大きな瞳の自撮り画像。
ゾッとした。
カラコンのせいで本物の瞳が全く見えないせいだろうか。それともカラコンのサイズが大きすぎるせいだろう。それともこの子の顔色があまりにも青白過ぎるから?
「……違う」
この子が、あの自殺した子の魂を売ったんだ。
『こんばんは。
みなさん今日もお疲れ様です、今日はどんな一日でしたか?
今日も一日のことをまとめようと思います。
今日は上履きに履き替えようとしたら後ろから押されて下駄箱に顔をぶつけた。唇が少し切れて血が出た。
去り際に『邪魔』って言われた。
廊下で知らない子とすれ違ったら、顔を見てくすくす笑われた。一緒に居た子に『今のさぁ……』って言ってたけど、私のことを知ってたのかな。気のせいか、最近はずっとみんなが私のことを見てる気がする。
そう思ってたけど、原因が分かった。クラスの子達が私を盗撮して裏垢のストーリーに載っけてるみたいだ。たまたま田村さんのスマホの画面が見えちゃって、すごい睨まれて、舌打ちされた。
お昼も後ろから押されて、目の前にあった子の机に手をついちゃった。そしたらその子が『うわっ』って言いながら机をさって引いたの。私は床に倒れ込んだ。『きも、触んな』って言われて、他の子達にもくすくす笑われた。
この前クラスの子全員にLINEをブロックされた。なのに通知が止まない。
誰かが私のIDを流したんだ。知らない人からどんどん追加されてる。アカウント作り直そうかな。
寝たら明日になっちゃう。明日になったらまた学校に行かなきゃいけない。
転校したいなぁ。転校したところでまたいじめられるのかな。
もうやだ。
早く死にたいなぁ。』
「うっわ、ひど……」
彼女が毎日綴っていたブログは、どれも悲惨なものだった。私と同い年の子が、毎日学校でこんな目に合ってるなんて。もし私が同じ目に合ってたとしたら、魔女に魂を売りたくなる気持ちも分かってしまう。
「そりゃこれだけ酷いことしてれば魂売られたって自業自得じゃない?」
ふとそう思ってしまった。
きっと電車に飛び込んで死んだあの子も、この子のことを死ぬほどいじめてたんだ。
でも、私は?
私やしみずやクラスのみんなは、何も悪いことなんてしてないじゃない。
弓槻も言ってたけど、他人の願いを叶えるためだけに死ななきゃいけないなんて絶対やだ。
ネットニュースを見ても、飛び込み自殺したあの子や沙里と珠夏のニュースは特に出てこない。
「…………」
この間まで普通の生活を送ってたのに、どうしてこんなことに巻き込まれなくちゃいけないの?
「まぢ無理……」
私はスマホ放り投げて抱き枕に顔を埋めた。
明日から、どんな顔をしてみんなに会えばいいんだろう。
きっとうちのクラスが魔女に売られたことを知ってるのは、弓槻と私としみずだけだ。あ、売った本人も知ってるだろうけど。
他のみんなは、何も知らないまま死ぬのか。大切な人に別れも言えずに、いきなり、死ぬんだ。
「はぁ……」
みんな一気に死ぬのかな。それとも毎日一人ずつ死ぬのかな。
「…………」
体を動かす気にもなれなかった。私はそのまま眠りに就いた。
沙里と珠夏が死んでから三日後。
休校が終わり、またいつもの日常が始まった。
電車もいつも通り動いた。
いつも通りの、朝だった。
学校に入ると、ちょうどクラスメイトがローファーを脱いでいるところだった。この子は確か、綾瀬さん。
「あ、おはよ」
特に親しいわけでもないし入学式後に少し話した程度の仲だったけど、無言で通り過ぎるのも気まずいような気がして、何となく挨拶をした。
「…………」
が、綾瀬さんは泣き腫らしたような真っ赤な虚ろな目で私の胸元を見ただけで、何も言わずに階段を上がっていってしまった。
……そうか。あの子は沙里や珠夏と仲が良かったんだ。
無視されたことに対する怒りの感情は全く浮かんでこなかった。代わりに、大切な人を失ってしまう恐ろしさを知らしめられた気がした。
教室に入ると、先に来ていたしみずが駆け寄ってきた。
「おはよう、りんね」
「おはよ。休みの間、大丈夫だった?」
しみずは頷いて、心配そうに机に突っ伏している綾瀬さんに視線を向けた。
「無理して学校来たのかな。」
必死に声を押し殺しているようだけど、思いっきり漏れている。さっき会った時目が真っ赤だったのは、やっぱり休みの間もずっと泣いてたってことか。
「大事な友達が死んじゃうなんて、耐えれないに決まってるよね」
しみずがぎゅっと私の手を握ってきた。
「……そうだね」
私も握り返した。
授業が始まっても教室はお通夜状態だった。どの教師もどこか憔悴しているように見えた。
暗い雰囲気のままお昼休みになり、私としみずはいつものように対面してご飯を食べていた。
教室では誰も言葉を発していない。私達も何となくその空気に合わせて、無言で咀嚼する。
ちらりと弓槻の方を見ると、立ち上がって教室から出ていくところだった。
「っあ、」
思わずつられて立ち上がってしまった。静まり返った教室に椅子と床が擦れる大きな音が鳴り響いた。みんなの視線が私に集まっているが、そんなことは気にならなかった。私は弓槻を追い掛けて教室から飛び出した。
弓槻は黒髪を靡かせながら廊下を走っていた。
そのまま階段を下っていく。私が一階に着くと、A棟とB棟を繋ぐ通路のドアを開けて出ていこうとしているところだった。
「……!?」
私も続いてドアを開けるが、弓槻の姿は見当たらない。
何で、今確かに……。
「やっぱり着いてきたのね。」
背後から声がして、驚いて振り返る。ちょうど日陰になっていて見えなかったが、腕を組んで柱に寄り掛かる弓槻が居た。伏し目勝ちの目でじろりと私を見ている。
「やっぱりって何だよ、私が着いてくるって分かっててわざとここに来たのかよ?」
何となく見透かされているような気がしてムッとした。
肩で息を整えながら弓槻をじっと見詰める。
「そうよ。」
弓槻も私を見詰め返してきた。
透き通るような瞳だ。
「……聞きたいことがあるんでしょ。」
「……うん」
悔しかったけど、私は頷いた。
私は周りを見渡して近くに人が居ないことを確認した。
「この前、お姉さんが一年前売られたって言ってたでしょ。その時、お姉さんと周りの人は一緒に……亡くなったの?」
ざあっと風が吹き抜ける。弓槻の黒髪が靡いて表情を隠した。遠くの方で誰かの談笑する声が聞こえてくる。
「姉は、教室ごと消し飛んだ」
弓槻はそう言うと、こちらに向かって歩いてきた。日陰から日向に移るとその肌は眩しいほど真っ白に見える。そこに浮かび上がる二つの瞳は、赤く燃え上がっていた。
「家庭科の授業中、爆発事故が起こった。当日欠席していた一人を覗いて、全員が死んだ。」
「それって……」
「その残った一人は、次の日海外に引っ越していった。学校に聞いても、個人情報だからって名前すら教えてもらえなかった。」
そう言う弓槻の声は震えていた。
「姉の場合はそうだったけど、みんないっぺんに死ぬとは限らないみたいよ。現にこの前飛び込み自殺した女生徒の周りでは一人ずつ死んでいったみたいだから。うちのクラスはどっちになるのかしら」
そう言う弓槻の声はもう震えていなかった。
弓槻はくるりとUターンした。
「こんなことを聞いてどうするつもりだったの?あなたも協力してくれるのかしら」
振り向きざまに弓槻はじろりと私を見上げた。伏せられたまつ毛のせいで黒目がほとんど見えない。
「どうせ何も出来ないなら、こんなこと聞いたって意味ないでしょ。」
またあの虫けらでも見るような目で睨み上げられた。ムカついたけど何も言い返せなかった。だってそうだ、私には何も出来ない。
「正直、私はあなたが犯人かもしれないって思ってる。」
「は!?」
いきなり飛び出してきた弓槻の言葉に私は思わず声を上げた。
「何でだよ、この前私の疑いは晴れたって言ってたじゃん。あれってそういうことじゃなかったのかよ?」
「あの時はそう思ってた。けど次の日の放課後、全員の机を調べたけど、誰の机にも何もおかしな物は入ってなかった。」
「おかしな物、ってそもそも何だよ……」
「魔法の力を手に入れた者は、黒い水晶玉を持っているってどこかで聞いたから。でも持ち運んでいなかったみたいね」
弓槻はそう言うと、ドアを開けて後者の中に入ろうとした。
「でもあなたじゃないって何となく分かったわ。」
そう言って、ドアから手を離した。ゆっくりと閉まろうとするドアを慌てて掴む。
「何でだよ?」
弓槻はふっと笑って、
「だって、初めて私の姉の話を真剣に聞いてくれた人だから。」
弓槻は階段の影に姿を消した。
その日からしばらくは、平和な日々が続いた。
少しずつクラスの雰囲気も元に戻ってきている。みんな会話を交わすようになったし、笑うようにもなった。
「綾瀬さん、もう来なくなってから一週間経つね。」
誰かがそう言った。ああ、綾瀬さんが来なくなってからもうそんなに経つのか。
日常が戻りつつあったけど、もう元には戻らないこともあるみたいだ。
「あのぉ、ちょっといいですか?」
ぼーっと宙を眺めていると、誰かにとんとんと肩を叩かれた。
驚いて見上げると、そこには珍しい人が立っていた。
「あ、ああ、えっと……」
「あ、ごめんね、私の名前知らないよね。
湯川です。湯川結(ゆかわむすび)。」
「ああ、湯川さん……」
びっくりした。湯川さんとはこの高校に入学してから一度も言葉を交わしたことがなかったから。今聞くまで名前すら知らなかった。
急にどうしたんだろう。
「むすびでいいよ?」
湯川さんはにこっと笑った。
「じゃあむすびで……」
断る理由もなかったので名前で呼ぶことにした。
むすびは大人しい印象だった。
栗色の髪をゆるく三つ編みにしていて、縁が太い真ん丸の眼鏡を掛けている。いつも教室の隅で二、三人で固まってゲームか何かの話をしているから、正直暗い子なのかと思ってた。
「りんねちゃんとずっと話してみたかったんだぁ」
でもそう言ってにっこりと笑う。むしろ明るい子なのかもしれない。
「え、ええと?」
満足げににこにこしたまま突っ立っているむすびにおずおずと尋ねる。
「話し掛けてくれたってことは、何か用事でもあるの?」
するとむすびは「あ」と声を上げて、またにこにこし出した。
「ごめんね、ただ話してみたいなぁって思ってたから話し掛けただけなの」
「そ、そか」
何か掴みどころがない子だな。
「良かったらこれからも仲良くして?」
「あ、うん、それはもちろん」
「えへへ〜?」
むすびはにこにこしながら制服のポケットからスマホを取り出す。
「LINE交換しよぉ?」
「そう言えば同じクラスなのに交換してなかったね、」
私もLINEを開いてQRコードを表示する。
むすびがそれを読み込んで、私達はスマホを閉じた。
「じゃあ、またね〜」
むすびは嬉しそうにスマホを抱えながら、いつものグループの中に戻っていった。
ここ最近は殺伐とした気持ちだったから、少しだけ和んだ気がした。
何か不思議な子だけど、悪い子ではなさそうだな。
「りんねちゃんって英語苦手なの〜?」
「りんねちゃんって髪の毛短いよねぇ」
「私もりんねちゃんみたいに足細くなりたいなぁ!」
それから、むすびと私は仲良くなって、よく一緒に居るようになった。
……いや、これは仲良くなったと言えるのか。ほぼ一方的に付き纏われてる感じなんですけど。
むすびは何かと私に話し掛けてくるようになった。夜中は毎日LINE送ってくるし、一緒に居ない時も気のせいかずーっと視線を感じる。
「はぁー」
私はむすびがトイレに行ったのを確認して、大きな溜め息を吐いた。
何だろう、ほんとに悪い子ではないんだけど、疲れるってゆーか……。
「りんね、大丈夫?」
心配そうな顔をしたしみずが近付いてきた。そう言えば最近はずっとむすびと一緒に居るから、お昼以外はほぼしみずと話していなかった。
「湯川さん、最近明るくなったよね。りんねとよく話すようになってからかな」
「そー?確かに前までは存在も知らないくらい大人しかったけど……」
「最近りんね達すごい仲良いもんね。」
「見てて分かるでしょー?ほぼ一方的に絡まれてるだけってゆーか……」
「りんねちゃんひど〜い!」
いつの間にか教室の前に立っていたむすびがぷぅと口を尖らせて駆け寄ってきた。そして私に抱き着く。
「ちょっと最近塩じゃない〜?」
「あー、あはは」
最近は疲れ過ぎて嫌な顔を取り繕う気力もなくなってしまった。でもいくら冷たくあしらっても、むすびは傷付いた顔一つせずにずっと絡んでくる。
しみずはそんなむすびに遠慮してるのかお昼休み以外は話し掛けてこなくなったし。今だってむすびが来た途端そそくさと自分の席に戻ってしまった。
その時、ガラッと半開きだった扉が開かれて、誰かがひょっこりと顔を覗かせた。
「湯川さーん?さっきこれ落としてたよ?」
そう言って教室に入ってきたのは、別のクラスの子だった。
「えー?ありがと〜!」
その子がむすびに手渡したのは、
「ッ!?」
私と弓槻が同時に立ち上がる。
「待って、むすび、それ」
ものすごい勢いで弓槻が近付いてきて、むすびが受け取る寸前でそれを奪い取った。
「ちょっと、何するの〜」
身長が低いむすびが飛び跳ねて必死に奪い返そうとするけど、それを弓槻は軽やかに躱していく。
「あなた、これ、どこで手に入れたの?」
弓槻が握っているそれは、確かに真っ黒な水晶玉のように見えた。
むすびは驚いて弓槻の顔を見た。
……何かバレちゃまずい理由でもあるのだろうか。
「どこで、って、それ聞いてどうするつもりなんですか」
むすびは小さな声で早口でそう言った。いつもの語尾を伸ばす特徴的な喋り方じゃなくなっている。
「あなたが答えた内容によっては、私はあなたを――」
「教えないもんん!」
「あっ!」
むすびが無理矢理弓槻から黒い水晶玉をひったくった。そして大事そうにそれを抱えて教室から飛び出した。すぐに弓槻も無言でそれに続いた。
「待っ……」
私も追い掛けようとしたけど、誰かに腕を掴まれた。振り返ると、不安そうな顔をしたしみずがぶんぶんと首を横に振っていた。
「何でだよ、むすび……」
……まさか、うちのクラスを売ったのは、本当にむすびなの?
次の授業が始まっても、お昼休みになっても、午後の授業が終わっても、むすびと弓槻は戻ってこなかった。
心配だったけどずっと待っていても仕方ないので帰る支度をしていると、ふと肩を叩かれた気がした。触れるか触れていないか分からない程度の力加減だったから気のせいかと思ったけど、次に「あのぉ」と小さな声で話し掛けられたから、どうやら気のせいではないみたいだ。
「ええと、岡田さんと倉野さん?だよね」
少しぽっちゃりした細長い形の眼鏡を掛けた岡田さんと、細くてちょっと赤いニキビの多い倉野さん。前までむすびと一緒に居た子達だ。
「え、名前、覚えててくれたんだ」
二人は嬉しそうに目を輝かせた。
二人のことはたまにむすびから聞いていたから話したことはないけど名前は覚えている。
「で、何か?」
二人は「あっ」と小さな声を上げて、「ええと」と顔を見合わせてから話し出した。
「休み時間、弓槻さんとむすびちゃんが揉めてたでしょ。むすびちゃん、多分朝から並んでやっと買ったグッズだから無闇に触られたくなかったんだと思う……」
「数量限定品だったし、取られると思ったんじゃないかな。てか弓槻さんもツイスタ好きだったんだね……」
「え?ちょっと待って。グッズ?ついすた?何それ」
私が尋ねると、二人は目を見開いた。
「ツイスタ知らないの?今流行ってるバトルゲームだよ」
「むすびちゃんが持ってたのはツイスタに出てくる魔法の玉のグッズで――」
いきなり立ち上がった私を見て二人はびくりと肩を震わせた。
「ごめん、ありがと!」
私はそれだけ言って、机の上に置いてあった鞄を掴んで教室から飛び出した。
二人が言ったことが本当なら、むすびは何も悪くない……!
すぐに弓槻に知らせないと手遅れになるかもしれない。いや、二人が出ていってからもう既にかなり時間が経ってるけど……。
取り敢えず私はどこに居るのかも分からない二人を探しに走った。
教室を飛び出したは良いものの、二人がどこに居るかなんて見当もつかない。それにまだ学校の中に居るとも限らないし。
「あ、そうだ」
むすびに電話掛ければいいんじゃん!
何度か呼出音が繰り返されて、ブツリと言う音の後にむすびの声が聞こえた。
『もしもし〜?』
「あ、むすび!今どこ?」
普段と変わらないむすびの声にほっとした。
『一階の通路だよ〜』
「そっち行っていい?」
『うん!』
「じゃあ行くね」
私は通話を切って、階段を駆け下りた。
一階に着くと、A棟とB棟を繋ぐ通路に人影が見えた。
「!むすび」
栗色の柔らかな三つ編みの後ろ姿。他に誰かの姿は見当たらない。弓槻ももう居ないみたいだ。
私は通路のドアを押し開けた。
「むすび!」
私の声に反応して、笑顔のむすびが振り返った。
「りんねちゃん!」
むすびが抱き着いてきたので私も何となく抱き返した。良かった、何もされてないみたいだ。
「むすび、大丈夫だった?ずっとここに居たの?あの後弓槻に何化されなかった?」
私が尋ねると、むすびはふにゃふにゃと笑いながら私の顔を見上げた。
「何もないよ〜?」
「え、でも弓槻だったら……」
弓槻だったら、犯人かもしれない証拠を持っていた人に何も言わないわけないんじゃ?そう思ったけど、いつも通りにこにこしているむすびを見る限り本当に何もなかったみたいだ。
「あの後弓槻とどうなったの?」
「さぁ〜?弓槻さんすぐ帰っちゃったよ?」
「あの黒い水晶玉は?大事な物だったんでしょ」
「あ、もしかして岡田ちゃん達から聞いたんだ?」
むすびの顔からふっと笑顔が消えた。私は見間違いかと思って二度見したけど、表情は消えたまま。
こんな顔をしたむすびを私は初めて見た。
「ダメだよ、あの子達と喋っちゃ」
そう言うと、目の前にずいっとむすびの顔が現れた。
咄嗟にそれを避けた。そして、思わずそのまま後ずさる。
だって、今のは明らかに、唇が触れそうになったから。
むすびはそのままとんとんと二歩ほど進み、振り返って私を見た。そしてまたにこっと笑った。
「あれなら返してもらったよっ。三時間並んでやっと買えた推しのアイテムだもん」
むすびはそう言って、校門の方へ歩いていく。
「またね、りんねちゃん。」
きっと今のむすびじゃなければ、「一緒に帰ろ〜」と言われてたに違いない。
何だろう、今のむすび、まるでむすびじゃないみたいだ。
「…………」
近付いてくるむすびの顔が脳内で再生される。
目を細めて、にんまりと笑った口元。いつもの粘土みたいに柔らかい笑顔とは全然違った。
そして、何故だか私は分かってしまった。
むすびは、私に嘘を吐いていた。
家に帰って、久しぶりにあのブログを開いた。
あ、更新されてる。
ここ最近はパタリと更新されないようになってしまっていた。まるで急にいじめがなくなってしまったようだった。
最新のブログに目を走らせる。
『こんばんは。お久しぶりです、元気にしてましたか?
私は最近、久しぶりに嬉しいことがありました。
いや、最近はずっと楽しいです。死にたいなんて言っていた頃が嘘みたいって思うくらい幸せです。
何でかって言うと。
私はいじめっ子達に立ち向かいました。
そしたら、いじめはなくなりました。
みんな私に謝ってくれて、私に優しくしてくれるようになりました。
でも、やっぱり学校では友達が出来ませんでした。
でも大丈夫です。違う高校の友達が出来ました!
その子にこのことを話すと、『一人で立ち向かえるなんてすごいね』って言ってくれました。
でも、本当は私一人だけの力じゃなかったんです。協力してくれたその人のことを話すと、友達はとても興味を持ってくれました。
明日、その子を協力してくれた人に会わせようと思います。
それが終わったら、一緒にショッピングしたり、カラオケ行ったり、プリ撮ったりしたいなぁ。
今からでも遅くないよね。
今までやりたかったこと、全部やるんだ。
私のブログを見てくれていた皆さんも幸せになれますように。
私が魔法をかけときますね。
それでは。』
読み終えて、私は言い表せない不快感を覚えた。
この子はところどころ濁してるけど、事情を知ってる人には分かってしまう書き方だ。
いじめがなくなったのは、いじめっ子が消えたからだ。
協力してくれた人っていうのは、きっと魔女のこと。
『魔法をかけときますね』は、……いじめっ子の魂を売って手に入れた魔法の力でも使うつもりだろうか。
しかもこの子は関係ない友達まで巻き込もうとしている。魔女に会わせるなんて簡単に出来るの?そもそも会っても大丈夫なの?たくさんの命を奪ってるような人なのに。
更新日を見ると、どうやら今日投稿されたようだ。
と言うことは、この子が友達と魔女に会いに行く日は、明日ってこと。
もしこの子を見付けて、後をつけることが出来たとしたら――?
不可能じゃない。だってこの子の制服は毎朝見掛ける。学校名だって知ってる。場所を調べればすぐにでも行けるはずだ。
ごくりと唾を飲み込む。
手がひんやりとして汗が滲んできた。
「これ以上クラスのみんなが死ぬのを止めるには、やるしか……ない」
ブログが表示されたままのスマホをぎゅっと握り締めた。
翌日。
大好きなバンドの曲で目が覚めて、顔を洗って、制服に着替える。メイクをして、髪をアイロンで整えて、ワックスとスプレーでセットする。
いつも通りの朝だ。
「ねぇ、りん姉」
いつも通り家を出ていこうとすると、リビングでテレビを見ていた妹が話し掛けてきた。
妹から話し掛けてくるなんていつ以来だろう。それどころか最後にちゃんと言葉を交わしたのもいつか覚えていない。
「なに?」
妹が振り返る。あ、久しぶりに顔見たな。何か大人っぽくなった気がする。
そんなことを思っていると、妹が立ち上がってテレビを消した。
「駅まで一緒に行こ。」
「あ、うん。」
ずっと口も聞こうとしなかった妹が、どうして急に?
心臓がどきどきと高鳴る。
家から出ると、しばらく私達は微妙な距離感を保ちながら無言で歩いた。
うう、気まずい。何を話せば良いんだろう。
「…………」
ちらりと妹を見る。
こうして一緒に家を出るのは、お父さんが家を出てってからだ。
妹はあれからずっと私を避けているように思えた。もちろんお母さんのことはもっと避けてる。お母さんが朝帰ってくる時間はずっと部屋に居て、お母さんが寝ると朝の支度を始める。まぁ、私もそうだけど。
お父さんと離婚してから何の仕事をしてるのかも分からないし。
そうだ、家族と話すのなんていつぶりだろう。最近はずっと家に居てもひとりぼっちだった。
「ちょっと、何泣いてんのよ」
不審そうに私を見る妹。いつの間にか涙がこぼれていた。
「いや、ごめん、何か感動した」
「はぁ?バカじゃないの」
「相変わらず生意気だな。」
私が言うと、何故か妹は吹き出した。そして声を上げて笑った。久しぶりに見た妹の笑顔は、生意気だったけど昔と変わらなかった。
あ、やば。また泣きそう。
私はこっそり妹に背を向けた。
駅に着くと、改札で妹と別れる。
「……気を付けてね」
別れ際に、小さな声でそう言われた。
まるで妹に、今日しようとしていることがバレているみたいだ。
「……うん。あんたもね」
私達は、それぞれ階段を降りた。
心臓が高鳴る。階段を下りる足も震えている。
『間もなく二番線に各駅停車……』
アナウンスが流れる。電車が来て、停止する。
やば、今日は妹に合わせて家出たから……。これ逃したら遅刻確定なんだけど!
慌てて残りの段を駆け下りて、電車に飛び込んだ。
「はぁ……」
良かった、遅刻は免れたみたいだ。安堵の息を漏らすと、目の前に居た人に鞄がぶつかってしまった。
「あ、すみませ……」
慌てて顔を上げると、大学生くらいの女の人だった。ホワイトブロンドのボブがふわりと揺れる。
「こちらこそすみません。」
その人はにこりと笑ってそう言ってくれた。私は軽く会釈した。
学校に着くと、見慣れた顔が校門の前に立っていた。煉瓦の塀に背をつけて、まるで誰かを探しているみたいに、通り過ぎる生徒達の顔を確認している。
「あ。」
目が合う。もしかして、探しているのは私?
「待ってた。」
弓槻が、こちらに歩み寄ってきた。
どうして弓槻が私を待っていたのか、何となく予想はついていた。
「むすびと、あの後どうなったの?」
下駄箱で上履きに履き替えながら訊いた。目を伏せた横顔に艶やかな黒髪が垂れている。不覚にも見蕩れてしまったけど、弓槻にじろりと見上げられて慌てて目を逸らした。
「あなた、湯川さんと仲良いの?」
じ、と見詰められて、私は一瞬迷ったけどこくりと頷いた。
「じゃあ傷付くかもしれないから言わない。」
さらりとそう言って、さらりと黒髪を翻して階段に向かっていく弓槻。
「待てよ。言う気ないなら何で待ってたのかよ」
階段まで走っていって尋ねると、弓槻は、
「あなたは湯川さんを友達と思ってないように見えたから。でも違った、だから言わなかった。」
そう言って、階段を昇っていく。
「何だよ、じゃあ私が頷いてなかったら話してたってことかよ……」
そう呟いた私を細長い目で見下ろして、弓槻は無言で二階に姿を消した。
「優しさのつもりかよ。」
あくまでも一人で解決しようとしているらしい。真実を知っている私に頼ろうともしない弓槻に、少しだけ腹が立った。
「ねえ」
休み時間。私が席の前に立つと、弓槻はいつもの表情で、……目だけ見開いて、私を見上げた。
「ちょっと来て。」
無理矢理弓槻の手を掴んで立ち上がらせた。バカみたいに細い手首だ。放課後机を漁っていたのを止めた時は気付かなかったけど、力を入れれば簡単に折れてしまいそうだ。
「りんね」
しみずが心配そうな顔で私を見ていたけど、私はわざと無視した。
ごめん、しみず。しみずだって真実を知ってるけど、そこまで深く知ってるわけじゃない。だから巻き込むわけにはいかない。
私は弓槻の手を引いて早足で教室を出た。
突き当たりの階段の踊り場で、私は立ち止まった。弓槻の手を離すと、弓槻は息を弾ませながら目を細めて私を見た。
「急に何?」
周りに誰も居ないことを確認する。
「魔女に、会えるかもしれない」
私がそう言った途端、弓槻がばっと私の肩を掴んで、
「どうして?」
と私を見上げた。さっきみたく表情はいつもみたいな無表情なのに、目だけ見開いていて少し怖い。
「これ、見て。」
私は弓槻にスマホを渡して、あのブログを読ませた。ツイートも見せて、この子が飛び込み自殺をした子の魂を売ったかもしれないこと、今日この子を見付けて後をつければ魔女に辿り着けるかもしれないことを話した。話し終わると、心做しか弓槻の目が輝いているように見えた。
「すごい、よく見付けたわね」
「いや〜、やっぱ私天才?」
「……でも」
スっと弓槻の瞳から光が消えた。
「魔女に会って、どうするつもりだったの?」
「え……」
弓槻は半ば投げ付けるようにスマホを私に押し付けた。これは癖なんだろうか。
「後をつけて、魔女に会ったら、私達は消されるだけよ。それにもし仮に魔女が話がつく人だったとして、消されなかったとしても、もう売った本人に魔法の力を与えてたら、どっちにしろ魂を売ったことは取り消せない。消されるだけ。」
「じゃあもうどうしようもないんじゃん……」
「魔女に会ったってあんなに大きな力を持った相手に敵うわけないもの。犯人を特定するのを優先した方が早いわ。」
「でも、魔女に会えば何か手掛かりが分かるかもしれない!」
「重要なのは魔女じゃないわ。……そうね」
弓槻は私が握っているスマホをじろりと見た。
「その女子高生に近付きましょ。」
授業が終わってすぐに私と弓槻は学校を抜け出した。向かう先は決まっている。ブログの子の高校だ。
「私立城雲高校だから、ここから三駅で乗り換えて……」
弓槻とスマホで調べながら校門を出る。
ふと後ろに気配を感じたけど、私は気にしないで城雲高校への道を調べた。
普段乗らない電車に乗るのはとても新鮮だ。地上に出ると暖かな太陽の光が差し込んでくる。もう五時近いけど、夏だからまだ明るい。少しだけ眩しい。
人は疎らで、椅子もがらりと空いていたけど、私達は何となく一つのドアの両側に立っている。
ガタン、ゴトン、と、車体が微かに揺れる。
「弓槻」
名前を呼ぶと、弓槻は窓から私へ視線を移す。
「ブログの女子高生に近付く、って、どうやって近付くんだよ」
尋ねると、弓槻ははぁっと短く溜め息を吐き、
「あなたが話し掛けるのよ」
「はぁ?私頼みかよ、弓槻がやればいいじゃん、言い出しっぺでしょ?」
すると弓槻は、
「……友達のなり方が分からない」
俯いてそう言った。
「あー……」
否定して慰めようとしたけど、言葉が思い付かなかった。
『××〜、××〜』
城雲高校の最寄り駅に着いた。
電車から降りて改札を出て、右へ曲がる。ここからずっと真っ直ぐ進んでいけば、私立城雲高校があるはずだ。
「あ、あの子がツイートしてる。
『五時にこっちまで来てくれるらしいから、もうすぐだよね。楽しみだなぁ。』
だって。間に合うかな」
私達は自然を足を早めた。
城雲高校の校舎が見えてくる。私達は次々と校舎から出てくる城雲高生の並に逆らいながら、目立たないように校門付近に向かう。
するとふと校門の向こう側に立っていた女生徒と目が合った。
「…………」
その子は不思議そうな顔で私達をじっと見詰めた。 けど、すぐに視線は足元に戻った。
「あの子かしら」
弓槻がそう囁いてきたけど、画像ツイに映る子とはまるで別人だ。画面に映ったこの子はタピオカみたいな真っ黒で大きな瞳で二重だけど、あの子は三白眼で一重だ。肌の色も、病的な白さと健康的な小麦色でまるで違う。
弓槻に見せると、「違うみたいね」と納得した。
「でも誰かを待ってそうな子って言ったらあの子くらいだよね。もしかしたら待ち合わせ場所は駅なのかな――」
「あれぇ?りんねちゃん?」
背筋が一気に凍り付いた。心臓が一瞬大きく脈打って一瞬泊まった。
ぎぎぎ、と機械的に首を動かして声のした方を振り返る。そこに立っていた人物が、カバンを胴の後ろに持って前かがみになって笑っていた。
「む、むすび……」
にっこりと笑うむすびが、そこに立っていた。
むすびがにっこりと笑って、ゆっくりと私達に近付いてくる。
「なんで……?」
昨日の出来事もあって、私は少し警戒した。
「弓槻さんまで。どうしてこんなとこに居るのぉ?」
むすびは人差し指を頬に添えて小首を傾げる。
「むすびこそどうして?方向逆でしょ……」
「私はね?おーい、水純ちゃん!」
たたた、と校門の向こう側に立っていた女の子へ駆け寄っていくむすび。その子ははっと顔を上げて、嬉しそうにむすびに手を振った。
「むすびちゃん……!」
どういうこと???
「この子達は同じクラス弓槻さんと親友のりんねちゃん!こっちは城雲高の戸川水純(とがわみずみ)ちゃんだよ!」
「親友って」
満面の笑みを浮かべるむすびが、丁寧に私達を紹介してくれた。戸川さんは小さくお辞儀をしてくれたけど、顔を引き攣らせていて私と目を合わせようとしてくれない。
「まぁ、よろしく、ね?」
気まずい空気の中、私はそう言っておいた。
そして確信した。
この子が、飛び込み自殺をした子達の魂を売った張本人だ。
私達は何となく、むすびと私、戸川さんと弓槻で肩を並べて歩いた。
「ちょっと、何でそんなくっつくの」
むすびがぐいぐいと体を押し付けてくる。
「だってりんねちゃん大好きなんだもんん」
「いや、普通戸川さんと弓槻二人っきりにしないっしょ……」
私たちの後ろを歩いている戸川さんと弓槻はさっきから一言も言葉を発していない。それがすごく気まずい。むすびは戸川さんと友達なんだから二人でくっついてほしい。
「でもびっくりだなぁ。まさか水純ちゃんの学校にりんねちゃん達が来るなんて」
どき、と心拍数が跳ね上がる。
「ま、まぁ、ね?」
乾いた笑いを漏らす。
「せっかくだから四人で遊ぼうよぉ?」
「え!?」
いきなり戸川さんが叫んだものだから私は思わず前に転びそうになった。
「なぁに?嫌なの?」
むすびがちらりと振り返って戸川さんを見る。
「でも、そしたらあの人に会えなくなっちゃうよ……?」
「いいのいいの!りんねちゃんとせっかく会えたんだから遊びたいもん」
「う、うん……。ならいいけど……」
戸川さんは納得出来ないようだ。俯いてしまった戸川さんを、弓槻がちらりと横目で見ていた。
やっぱり、戸川さんはあのブログの女子高生で、今日魔女に会わせようとしていた友達はむすびだ。
でもこんな偶然ある?と言うことは、むすびは魔女の秘密を知っているってことになる。そして、戸川さんが何十人もの命を犠牲にして魔法の力を手に入れたことも。うちのクラスが売られたのを知っているかは定かではないけど。
隣で鼻歌を歌いながらスキップするむすびを見る。
戸川さんとむすびをこのまま放っておくわけにはいかない。戸川さんはきっとむすびを巻き込もうとしている。
何としてでも、止めなきゃ。
私達は大通りに出た。するとむすびが大きなビルを指差す。
「ここ入ろぉ?」
「あ、カラオケ!」
ずっと無言だった戸川さんが嬉しそうにそう言った。
「……じゃあ、入るか」
ビルに入ろうとすると、弓槻にシャツの裾を引っ張られた。
「ちょっと。」
「りんねちゃん?」
むすびが振り返って私達を見る。
「ごめん、先入ってて。」
私がそう言うと、むすびは「先受け付け済ませとくね〜」と言って、戸川さんの腕を引っ張りながらビルに入っていった。
「なんだよ」
弓槻は私の胸ポケットを指差して、
「あの子のアカウント、開いてみて。」
そう言った。
言われるままにTwitterを開いて、戸川さんのアカウントを見る。
「!?」
すると、さっきまでなかったツイートが一番上に表示されていた。
『なんかいきなり友達の友達が来て一緒に遊ぶことになった。何で邪魔するんだろう。あの子達も消しちゃいたいなぁ』
「これって、私達のこと?」
スマホを持つ手がぶるぶると震える。
「いつの間にツイートしてたんだよ……」
「さっきあなた達が話してる時、あの子がスマホを弄ってて、少しだけ画面が見えたの。きっとその時ね」
「はぁ……マジかよ」
完っ璧に嫌われてんじゃん。怪しまれてる訳じゃないみたいだけど、どうやら私達を消そうとしてるみたいだ。
「魂売られる前にあの子に魔法で殺されるんじゃないの?」
はははと乾いた笑いが出る。
「これ以上近付くのは危険かもしれない。帰りましょ」
弓槻はそう言うや否や、私の返事も聞かずに大通りへ戻っていく。
「ちょ、待てよ、無言で帰るとか非常識だろ!」
私はどんどん遠ざかっていく弓槻を追い掛けながらスマホを取り出し、むすびに電話をかける。
「もしもしむすび?ごめん、弓槻が急用思い出したみたいだから私らは帰るわ」
『えー?何でりんねちゃんまで帰っちゃうのぉ?一緒に歌おうよぉ』
「いや、ちょっとそれは無理かな」
適当に言い訳すると、むすびがはぁっと溜め息を吐いた。
『……せっかくここまで来たのに戻っちゃうんだね。』
「……え?」
心臓が凍り付く。そんな私を弓槻が横目で見てくる。
『……まぁいいや。また今度遊ぼぉ?りんねちゃん』
むすびはそう言うと、私が何かを言う間も与えずに通話を切った。
「……まただ」
また、一瞬だけむすびがむすびじゃないみたいだった。何なんだろう、その時のむすびは、まるで全てを知っているみたいな感じだ。
……まさか、全部知ってるのかよ。
私は弓槻肩を掴んだ。
「ねぇ!仲良いとか友達だからとかどうでもいいから、昨日むすびと何があったのか教えて!」
弓槻がゆっくりと振り返る。そして私をじろりと見上げた後、ゆっくりと視線を外す。
「……話して何になるの?」
「またそれかよ。最初は話してくれるつもりだったんでしょ?だったら話してくれてもいいじゃん」
「でも」
まだ話そうとしない弓槻に流石にイラッときた。
「一人で解決なんて出来る訳ないでしょ!」
私がそう叫ぶと同時に、信号が青になる。
弓槻がばっと顔を上げると、あからさまに怒っていた。細く形の綺麗な眉毛は吊り上がり、元々細長い目は更に細くなり、桜色の唇を噛み締めている。こんなに感情的な弓槻の表情を見るのは、初めてだ。
「あなただったら出来ないでしょうね。」
「何だよそれ、どういう意味だよ!」
私は思わず弓槻の肩を掴んだままの手に力を入れる。
「……痛い」
弓槻はそっぽを向きながらそう言う。私は無言で手を離し、鞄からルーズリーフを取り出し、端の方をちぎる。
「何してるの」
無視してペンを走らせる。そしてそれを弓槻の手に無理矢理握らせた。
「これ、私の連絡先だから。」
「いらない」
弓槻はそれを私の胸に押し付ける。
「いいから持ってろよ!何でそんなに他人に頼ろうとしないんだよ!」
ムカつく。
「他人に頼って、失いたくないのよ」
弓槻は透明な瞳で私を見上げた。そしてそう言うと、すたすたと信号を渡っていってしまう。
追い掛けようとしたけど、信号は赤に変わってしまった。
通り過ぎる車達の隙間から見える弓槻の後ろ姿は、小さくなり、やがて見えなくなった。
「何をだ、よ」
最後の言葉がやけに気になったけど、あそこまで言うなら、弓槻が一人で解決すればいい。あんなに大口叩いたんだから、相当な自信があるはずだ。
「かーえろ」
……ムカつく。
私はポケットからイヤホンを取り出して、最大音量で好きなバンドの曲を流した。
夕焼けが、痛いほど赤い夕焼けが、私を見下ろしていた。
夜。
『今日は楽しかった〜♪』
戸川さんが、そうツイートしていた。
「ユーザー名、『みずめろ』、か……」
改めて画像ツイを見る。最近のメイクと加工技術はすごいな。
「はー、何かもう疲れたわぁ」
ごろんとベッドに寝そべる。まぁ、後は弓槻が一人で解決してくれるんだから、私はもう余計なこと考えなくていいかな。
最近はしみずともあんまり話せてなかったし、久しぶりに遊びに行きたいな。
ふと、手に握っていたスマホが振動した。
「?」
知らない番号だ、誰だろう。でもどうやら都内からかけられているみたいだ。
「……もしもし?」
何となく出てみると、嗄れた女の人の声だった。
『もしもし。』
「あ、はい。どなたですか?」
『すみません、弓槻の祖母ですけれども……』
「弓槻の?」
思わず聞き返してしまった。どうして弓槻のお婆ちゃんが私に電話を?
『そちらは?』
「あ、同じクラスの首藤です。どうかされたんですか?」
『それがねぇ、さっき孫が――』
目の前が真っ暗になった。
『孫が、交通事故に遭ったんですよ』
息が上手く吸えない。
「あ、の、それで、様態は?」
声も震えた。ちゃんと聞き取ってもらえだろうか。
『それがねぇ……』
弓槻のお婆ちゃんは言葉を詰まらせた。
つまり。そういうことだ。
「そんな、なんで」
『いきなりごめんね、でも弓槻の携帯に唯一入ってた番号だったから。あの子あんまり愛想良くないでしょ?それにずっと学校行ってなかったみたいだし、仲良い子は居ないのかと思ってたの。仲良くしてくれてありがとうね』
「そんな、こと……」
あの後、弓槻はちゃんと私が渡した番号を登録してくれてたんだ。……あいつ、今どきLINE使わないなんて遅れすぎだっつの。
『ごめんね、夜遅くに。』
「あ、いえ」
そこからの会話はよく覚えていない。気が付いたらツー、ツー、と言う音が耳元で鳴っていた。スマホを持つ手がだらりと力なく垂れ下がる。
「何でだよ、何で」
何で、さっき一緒に帰らなかったんだろう。もしあの時無理矢理にでも一緒に帰ってたら、弓槻は死ななくて済んだんだろうか。
弓槻なら、本当に犯人を突き止めてくれる、なんて本気で思ってた。
でもその弓槻は、もう居ない。
「……私が」
私が、絶対に、犯人を突き止めなきゃ。
静かな夜に、二筋の涙が零れた。
『もしもし〜?あ、りんねちゃん!』
「ごめんむすび、ちょっと今から出れる?そっちまで行くから」
『いいよ〜?』
「××区だよね?今から行くから」
私は自転車に股がった。
夏の夜の風はひんやりしている。一漕ぎするたびに頬を優しく撫でてくる。
待ち合わせ場所の公園に着くと、ブランコに乗っていたむすびが立ち上がって手を振ってきた。
「りんねちゃーん!」
私は自転車から降りて、ゆっくりと押しながら近付いていく。
「りんねちゃんから誘ってくれるなんて嬉しいなぁ。どうかしたの?」
「むすび」
私を見て、むすびの表情からすっと笑顔が消えた。
「え、と。どうか、したの?」
きょとんと首を傾げるむすび。
「昨日、弓槻と何があったの?」
「え〜、昨日も言ったじゃん、何もなかったって……」
たははと頬を掻きながら苦笑いするむすび。
「嘘吐かなくていいから。」
私が言うと、すっとむすびの表情から笑顔が消えた。
じっと私を見詰めてくる。眼鏡の分厚いレンズの奥の瞳が私を捕らえて離さない。
「弓槻さんから、何か聞いたの?」
「弓槻が死んだって」
しん、と、一瞬だけ全ての音がシャットアウトした。
再び車の音が鳴り出すと、むすびは歪に口角を上げる。
「何それ、嘘?」
「嘘じゃない。さっき交通事故に遭ったって」
「え、え、え。」
むすびは明らかに戸惑っていた。そりゃそうだ、クラスメイトが死んだんだ。でも私にはその反応すら偽りに見えてしまった。
「だから教えて、むすび。弓槻と何があったのか。
知ってること、全部教えてよ」
「そんな、私は何も知らないよぉ……」
「そういうのいいから。」
私が言うと、むすびは驚いたのか目を見開いて数秒間私を見詰めた後、視線を逸らして、くすっと吹き出した。
「なーんだ、りんねちゃんって何も知らないんじゃん。」
「……ほんとにむすびなの?」
「そんなにいつもと違うかな。寧ろこっちが本当の私だよ。いつもはぶりっ子してるだけだよぉ」
むすびはいつもみたいにふにゃふにゃと笑う。
「私の前ではもう取り繕わなくていいから。だから全部話して。私が何も知らないって、むすびは何を知ってるの?」
むすびは目をうるうるさせて私に抱き着いてきた。
「りんねちゃんは何も知らなくていいんだよぉ」
「は?何それ」
「りんねちゃんは、知って、どうするつもりなの?知ったところで死ぬのは確定なんだよぉ?助かるなんて絶対無理だもん。」
「むすび、やっぱりうちのクラスが売られたこと、知ってんだね」
「もちだよ。でも私だけは助かるから!でもりんねちゃんも助けてあげてもいいよ?ただ私以外の友達全員と絶交してくれたらだけどぉ」
むすびは笑顔で突き立てた親指で私の首のある空間をなぞる。けど私は無視した。
「助かる方法があるの?」
「あるよぉ?」
「じゃあクラスの他のみんなも助けてよ」
「やだ♡」
むすびは一点の曇りもない満面の笑みで、
「だってアイツら全員嫌いだもん♡」
そう言い放った。
「何でって顔してるね。りんねちゃんには分かんないでしょ、教室の隅で、なるべく目立たないように生きてる私達の気持ちなんて」
「そんなこと……」
むすびは笑顔を崩さないまま続けた。
「私だって好きであそこに居たわけじゃないんだよ?入学式の時、ちょっとゲームが好きって話したら仲間に取り入れようとしてくんだもん、あいつら。」
「岡田さんと倉野さんのこと?あんなに仲良さそうだったじゃん……」
「向こうは必死に仲良くなろうとしてきたけど、私は友達なんて思ったことないよ。最初から嫌いだったし。他のあいつらと一緒に居るだけで見下してきたクラスの子達もみんな嫌い。
りんねちゃんは、最初から嫌な顔しなかったから好き。最近は塩になっちゃったけど。」
むすびはブランコを漕ぎ始めた。
キィ、キィ、と鎖が軋む音がする。
「でも、弓槻さんがこんなに早く死んじゃうなんてびっくりだなぁ。執念凄かったもん」
「いつから気付いてたの?」
むすびはんー、と一つも星の見えない黒い空を見上げながら、
「りんねちゃんと星野さんに弓槻さんが話してたのをたまたま聞いた時、かな?」
はぁ、あれ聞かれてたのかよ。
「それから結構影で聞いてたんだよぉ?今日だって二人が学校出ていくの追い掛けてたもん。全然気付かなかったよねっ」
校門から出る時視線を感じたのはやっぱり気のせいじゃなかったんだ。てかそんな前から知られてたなんて。
「じゃあいきなり私に話し掛けてきたのも計算ってこと?」
「計算なんて酷いなぁ。ほんとにりんねちゃんとは友達になりたかっただけなんだけどなぁ」
むすびは悲しそうに笑いながら、キコキコとブランコを小刻みに漕いだ。
「……で、弓槻とは何があったの?」
逸らされた話を戻す。
「弓槻さんとはほんとに何もなかったよ。黒い水晶玉を持ってたから疑われて、ちゃんとツイスタの公式サイト見せたら納得してくれたし。」
「本当?むすび嘘吐いてないよね?」
「うん。」
むすびは即答した。どうやら本当に嘘は吐いてないみたいだ。
でもおかしい。ほんとにそれだけだったら、どうして弓槻は私に話すのをあんなに躊躇ったんだろうか。仲良いからって話さない理由が分からない。
「あのさ、むすび……」
「あ、もう十一時だ。そろそろ帰んないと怒られちゃう。続きは明日でもいいかな?」
突然思い出したようにスマホの画面を見るむすび。
今、はぐらかされた?
「あ、うん、まぁ、そうだね」
流石にいつ補導されてもおかしくないし。
「じゃあね、むすび」
「うん、また明日〜」
明日、か。また臨時休校になるのかな。それとも噂通り普通に、何もなかったかのようになって、普通の日常に戻るだけなのかな。
ニュースにもならないのかな。そしたら犯人はどうなるの?
分からないことだらけだ。むすびはどこまで知ってるんだろう。でも簡単には教えてくれなさそうだ。
「……帰ろ」
夜の風が、酷く冷たかった。
翌日。
「何?うるさ……」
スマホがひっきりなしに鳴っていた。私は目覚ましだと思って画面をスワイプしたけど、それは鳴り止まない。
「ほんと何?」
寝起きで目がぼんやりして画面がよく見えない。
「クラスグル……?」
何やらクラスグルが騒がしい。
トーク画面を開いてみる。
『ねえ!昨日クラスの子が事故ったらしい!
多分ずっと学校来てなかった子だよ。
え、出席番号最後の子?
ニュースで流れてたよね?やっぱ
やばくない?』
私は思わず飛び起きて、夢中でトークを遡る。
うそ。弓槻の事故がニュースになってるの?魔女に売られたせいで死んだんだったら、報道されないんじゃなかったの?
私は布団を跳ね除けて階段を駆け下りた。驚いた表情の妹が私を凝視している。気にせずにテレビをつける。
『昨日、東京都××区の交差点で、高校生が跳ねられました。跳ねられたのは都内に住む――』
がちゃん。私は持ってたリモコンを落とした。その衝撃で勝手にチャンネルが変わる。
でも一瞬だけ見えた。画面に映った「弓」の字が。
「弓槻……」
どういうことなんだろう。間違いなく弓槻は誰かに魂を売られたせいで死んだはずだ。なのに報道されるなんて。事故なんてそう珍しいことじゃないのに、弓槻の死は報道されて、あの女子高生の飛び込み自殺や沙里達のことな何も報じられなかった。絶対におかしい。
「可哀想だね。犯人飲酒運転だったらしいよ」
パンを齧りながらスマホを弄っていた妹がぽつりと呟いた。
「はん、にん……?あ」
そうか、犯人が居るから流石に隠蔽出来なかったのかな。だから今まで魔女の力のせいで死んだ子達はみんな自殺で死んだのだろうか。でもだとしたらどうやって自殺-するように仕向けてるんだろう。魔法の力、なんかが存在するんだから、それも可能ってことか。
じゃあ、弓槻は何で事故死なの?
「……」
昨日の夜、弓槻のお婆ちゃんの悲しそうな声を思い出す。
……弓槻のお婆ちゃんは、大丈夫だろうか。
学校に着くと、教室はいつも以上にざわついていた。
「またうちのクラス?」
「怖いよね……」
クラスメイト達はみんな弓槻の死を知ってるみたいだ。
でも、沙里達の時とは違い、誰も涙を流していなかった。
「りんねちゃん!」
ぱたぱたと音を立てながらむすびが近付いてきた。
「どういうこと?おかしいよね、どうして弓槻さんのことがニュースになってるの?」
むすびは小さな声でそう囁いてきた。
「……分からない。」
私は自分の席に座って頭を抱えた。
「昨日りんねちゃんに弓槻さんが事故で亡くなったって言われた時も、実はおかしいって思ってたの。だって魔女に魂を売られて死んだ子は、みんな他殺じゃなくて自殺になるはずなの。」
「何、それ」
「他殺だとどうしても犯人が出てきちゃうじゃない?だから都合良く隠蔽出来るように自殺させられるんだって。」
「じゃあ弓槻のは何だって言うんだよ……」
「もしかしたら、本当に偶然だったのかも。魔女が魂を抜き取る前に、不慮の事故で死んじゃったってことじゃ……」
「じゃあ弓槻が死んだのは、魔女のせいじゃないかもってこと?」
じゃあ、弓槻はまだ死ぬ必要なかったってこと?妹は飲酒運転のせいで事故が起きたって言ってたっけ。犯人が恨めしい。
「ふざけんなよ、まだ何も分かんないままなのに」
むすびがじっと私を見詰めてくる。鋭い視線に、私はちらりと見返す。
「むすびごめん、放課後付き合ってもらえる?」
するとむすびはぱっといつもみたいな明るい笑顔になり、
「いいよぉ」
嬉しそうに私の手を握ってきた。
放課後。むすびと私はファミレスに入った。
「弓槻さんって、何でこのクラスが魔女に売られたって知ったんだろうね。」
店員にドリンクバーを二つ注文した後、むすびが突然そう零した。
「弓槻は取り引きの現場を偶然見ちゃったらしいんだよね。」
私はおしぼりで手を拭きながら話した。
「え!?じゃあ弓槻さんは犯人知ってたってこと?」
「いや、制服と会話からうちのクラスって分かっただけで顔は見えなかったって。」
「えー、髪型とか声の特徴とかで分かんなかったのかな」
「ずっと学校来てなかったし分かんなかったんじゃない?」
「なーんだ、わざと隠してるんじゃないかって思ったのにな〜」
「弓槻が?」
むすびはにこにこ笑いながら立ち上がる。
「だってそこまで見えたのに顔だけ都合良く見えないなんてそんなことあるぅ?学校で再会したら流石に分かるんじゃない?まぁいいや、とりまジュース取りに行こっ」
「ああ、うん」
言われるまま私も立ち上がった。
……弓槻が、嘘を?
まさかね。
「……そう言えば、むすびは助かる方法を知ってたみたいだけど、何で?」
カラカラと氷を掻き混ぜながら尋ねる。きっとまたはぐらかされると思ったけど、案外すんなりと答えてくれた。
「えー?水純ちゃんの魔法で助けてもらおうかなーって!」
「水純って、昨日の子だよね」
「そ!あの子クラスの子達の魂売って魔法の力手に入れるらしいから、その力で助けてもらうつもりなんだぁ」
「え、まさかとは思うけど、その為に戸川さんに近付いたの?」
おずおずと尋ねると、むすびは純粋な笑顔で、
「もっちろん!」
そう言い切りやがった。
この子、私に話し掛けたのも本当は計算だったんじゃないの?
「どうやってあの子が魔法の力手に入れたって分かったんだよ……」
「ツイ廃なめないでよぉ。りんねちゃんだってTwitterから水純ちゃん知ったんでしょ?あの子鍵もかけないで検索避けもしないでベラベラ書き込み過ぎだよね」
「まぁ、確かに……」
ズズ、とメロンソーダを一口飲む。むすびってほんとにこういう性格なんだなぁ……。
「水純ちゃんのおかげでギャル二人が死んだ時にうちのクラスが売られたんじゃって疑えたし感謝はしてるけどぉ、あの子やっぱいじめられっ子だから暗いし苦手だなぁ……」
「あのさ」
私が遮ると、むすびはきょとんと不思議そうな顔をして首を傾げた。
「むすび、昨日は私達と弓槻の会話を聞いたのがきっかけで知ったって言ってたよね?」
「あ……」
指摘すると、むすびは虚ろな笑顔になった。
「どれがマジでどれが虚言か分かんないけど」
私が言うと、むすびは「あー……」と小さな声を漏らして、何故か泣きそうな顔になった。
「ごめん、昨日のが嘘……。まだりんねちゃんに本音で話しても良いか分かんなくてぶりっ子してた……」
「あ、そ」
「でも今日話したのは全部ほんとだよ!?」
「じゃあ昨日話してた中にはまだ嘘があるってこと?」
「あ、弓槻さんと揉めた時の話はまぁ……」
ごにょごにょと濁そうとするむすびを睨み付ける。
「は?それはちゃんと話してよ。弓槻がもう喋れないからって改変しようとしてんの?」
「ちょっとぉ、そんな怒らないでよぉ……」
むすびは大粒の涙を零した。何、私が悪いの?バレなければ隠し通すつもりだったんじゃないの。無性に腹が立った。
「この前、ほんとはね……」
教室を飛び出したむすびは、そのまま階段を駆け下りて、A棟とB棟を繋ぐ通路に出る。
「待って」
弓槻がむすびの手を掴む。むすびは物凄い形相でばっと振り返り、弓槻の手を振りほどこうとする。
「触らないでよぉ!」
「それ、どこで手に入れたの?」
息を切らした弓槻を、むすびはキッと睨み付ける。
「じゃあ逆に聞くけど、何でそんなに必死になってんですかぁ?」
にたぁとむすびが笑う。
そんなむすびをじろりと見上げながら、弓槻はあくまで冷静に言う。
「あなたがそれを持ってるってことは、あなたが魔女に売った張本人ってことだからよ」
「魔女?売った?何のこと?」
「死んだ二人が言ってた都市伝説よ。あなただって教室に居て聞いてたじゃない。」
むすびは歯を食いしばる。
「あんなの信じてるなんて、あなたも案外バカなんだねぇ。」
「だったらあなたもバカってことになるわね、湯川さん。」
「はぁ!?意味分かんない、てかムカつく!」
「あなたってほんとに可哀想ね。いつも取り繕って疲れないの?ヘラヘラ笑って、誰かに媚びて、よく平気で居られると思う。私だったら耐えられない」
むすびが眉間に皺を寄せてわなわなと震える。そんなむすびを見下ろしながら、弓槻は無表情を保つ。
「あなたに何が分かるのよ。あなただって学校が嫌で不登校だったんでしょ?なら私の気持ちも分かるでしょ?笑って良い顔して何が悪いの?誰かに媚びて何が悪いの?平気なわけないじゃん。そうしないとまたいじめられるかもしれないじゃん。」
目に涙を浮かべながら吐き捨てるようにそう言う。弓槻はそれでも冷酷な鋭い視線をむすびに突き刺した。
「過去に何があったか知らないけど、それじゃどうしてこのクラスを売ったのよ。」
むすびはその問いに一瞬目を見開いた。そしてすぐににやりとほくそ笑む。
そしてお腹を抱えて笑いながら、弓槻の手を振りほどいた。
「魔女に売った犯人は私じゃないよばーか。嘘の情報に流されちゃうなんて、弓槻さんも可哀想だね」
けらけらと笑いながら弓槻を見るむすび。
「魔女に魂を売ったら黒い水晶玉を貰う、って、どこで知ったの?」
「掲示板。もう削除されてるけど。」
弓槻がそう答えると、むすびは更に笑い出す。
「いいこと教えてあげる。その掲示板にカキコしたの私だから。」
「……」
弓槻はぴくりと一瞬目を細める。むすびはそれを見逃さなかった。
「しかもあれ、何の根拠もない嘘だから。あの書き込みすれば、うちのクラスが売られてることに気付いた人を炙り出せると思ったの。きっと“私みたいに”必死になって情報掻き集めてると思ったから。だからこれを落としたのもわざと。全部私の計算。」
むすびはにたりと笑う。
「ほんとに信じちゃうなんて思ってなかった。弓槻さんが馬鹿で良かったぁ」
「あ、そう。でも良かったわ。あなたが犯人じゃないみたいで」
むすびの表情からスっと笑顔が消えた。
「何?どういうこと?」
弓槻は長い黒髪をさらりと翻して、
「だってもしあなたが犯人だったら、『お友達』が悲しむと思って。」
弓槻はそのまま校門を出ていった。
むすびがそこまで話すと、私達の間に静寂が訪れた。むすびは気まずそうに尻込みする。私は膝の上でスカートを握り締めた。
なんだよ。むすびの自作自演だったってことなのかよ。弓槻はきっと私に話したかったんだ。でも私とむすびが友達だと思って言わなかったんだ。
「あの、りんねちゃん……」
私はわざとらしく溜め息を吐いた。
「ごめんむすび、私もうあんたと関わりたくないわ」
吐き捨てるように言うと、むすびは「待って」と叫ぶ。
「りんねちゃん待ってよ、私だって情報持ってるんだよ?協力して弓槻さんの為にも一緒に頑張ろうよぉ」
「は?そもそもあんたが最初から事を知ってるって教えてくれてれば良かったんじゃん。何?今更。白々しい」
慌てるむすびを目を細めて睨む。
……待って。むすびは魔女に魂を売ったら黒い水晶玉を与えられるってでっち上げたじゃない。弓槻がクラスの机を漁ってたのはいつ?そうだ、弓槻が初めて学校に来た日だ。と言うことは、むすびはそれより前から魔女のことを知ってたことになる。
沙里と珠夏が死ぬ前から。
「……むすび」
私がぽつりと呟くと、むすびの肩がびく、と跳ねる。
「また嘘吐いたでしょ」
「ごめんりんねちゃん、違うの」
「違う?あんたが言ったことは違うだろーね。もう良い。私払っとくからむすびも帰りな」
私は立ち上がって、何度も呼び止めようとするむすびを無視して、レジへ向かった。
そしてそのままファミレスを出る。
「……」
ポケットに入っていた紙切れを取り出して、そこに書かれた住所をググッた。
Googleマップに頼って辿り着いたそこは、小さな木造住宅だった。インターホンの前で深呼吸して、音符マークのボタンを震える指先でそっと、強く押し込む。
キン、コン。と硬い音が聞こえてすぐ、ガチャリと重たい音を立ててドアが開く。
「あら」
白髪の、小さな、優しそうな顔のお婆さんが出てきた。
「昨日電話を頂いた首藤です。」
私がそう言うと、弓槻のお婆ちゃんは泣きそうな顔をして、
「あら……」
私を家に入れてくれた。
「わざわざありがとうねぇ、まだ何も準備してないんだけど……」
どうやら私がお線香をあげに来たと思ったらしい。申し訳なさそうにそう話す弓槻のお婆ちゃんを見てると、お線香すら用意しないで来てしまったことがすごく恥ずかしくなった。
「お茶でいい?」
台所に入っていった弓槻のお婆ちゃんに、私は「はい」と小さな声で答えるしか出来なかった。
古びた緑色の床を、オレンジ色の電球が照らしている。小さな小さなテレビと、一人用のソファが二つ並んでいる。真ん中には卓袱台。
ここが、弓槻の家。
「本当にありがとうねぇ。来るの大変だったでしょ。先生に言われて来たの?」
弓槻のお婆ちゃんは二つの茶碗を並べて、私と向かい合うように座った。
「いえ。私が来たくて先生に勝手に住所教えてもらっちゃって。すみません」
私が言うと、弓槻のお婆ちゃんはぶんぶんと手を振る。
「そんなことないわ。むしろそこまでして来てくれて嬉しいもの。あの子にこんな素敵なお友達が居たなんて」
弓槻のお婆ちゃんは、茶碗を両手で包み込みながら寂しそうな目で話し出した。
「私もついてないわね。娘にも孫達にも先に逝かれちゃうなんて」
心臓の辺りがずきりと痛くなった。まるで小さな針を何本も突き刺されたような鋭い、一瞬の痛みだ。
「娘、って、弓槻のお母さんは……?」
聞いちゃまずかったかも、と言った後に後悔した。でも弓槻のお婆ちゃんは嫌な顔一つせずに答えてくれた。
「ゆずかがまだ小学生の時、事故で両親とも亡くしてるのよ。」
「あ……」
そう言えば弓槻の下の名前知らなかったっけ。ゆずかって言うんだ。なんて思った。
「あの子、去年姉を亡くしてから塞ぎ込んじゃってたの。最近どうしてか急に学校に行くって言い出したけど、まさかこんなことになるなんてねぇ……。」
私は思わず弓槻のお婆ちゃんから目を逸らした。
ずっと頭のどこかでは気付いてたんだ。
私があの日、魔女に接近しようとしなければ、弓槻にそのことを話していなければ、弓槻が交通事故に遭うこともなかったかもしれない、って。
弓槻が死んだのは私のせいだ。お婆ちゃんを一人ぼっちにしてしまったのは、私だ。
ぎゅっとスカートを握り締める。
「そう言えば、あなたなのかしら」
いきなり弓槻のお婆ちゃんがそう言った。
「え?」
思わず聞き返すと、
「ゆずかがね、もし私に何かあってグレーのショートカットの女の子がうちに来たら、渡してほしいって言われてた物があるのよ」
「弓槻が?」
弓槻のお婆ちゃんがゆっくりと立ち上がる。そして私は二階に案内された。
入れられた部屋はどうやら弓槻の部屋らしい。ベッドと机しかない、地味な部屋。
「これなんだけど……」
弓槻のお婆ちゃんは、机の引き出しから何やらノートのようなものを取り出して私に手渡した。
ぱらぱらと捲ると、何やら計算式のようなものがずらりと並んでいた。
?何これ。
「あんなこと言うんだから、まるで自分がこうなることを知ってたみたいと思っちゃってね」
弓槻のお婆ちゃんは、私が持っていたノートの反対側を握った。ぎゅっと皺になるくらい強く。
「もし何か分かったら、教えてほしいの。あの子には悲しい思いばっかりさせてたから。ごめんね、あの子と仲良くしてくれてありがとうね。」
弓槻のお婆ちゃんはそう言うと、
「もう暗くなるから帰りなさい。」
そう言って、弓槻の部屋の電気を消した。
「今日は本当にありがとうございました。突然押しかけてすみません。」
玄関でそう言い一礼すると、弓槻のお婆ちゃんは、にっこりと笑った。
「また来てね。」
私はまた一礼して、暗い夜道を歩き出した。
帰りの電車は酷く混んでいた。
「うわ」
スマホを開くと、むすびから何件も着信があった。一瞬ブロックしてやろうかと思ったけど、それは流石に可哀想かと思って辞めておいた。そうしてしまったら、何だかもっと暴走してしまいそうな気がした。
私は通知をスワイプして、イヤホンを耳に押し込んで、好きなバンドの曲を頭に流し込んだ。
翌日。一人で学校への道を歩いていると、前を歩いていたしみずが目に入った。
……そう言えば、最近しみずと全く話していなかった。お昼休みもしみずはどこかに行ってしまって話し掛けられていなかった。
何となく気まずくて気付かないふりをしようと思ったら、しみずが振り返った。
「……」
数秒間目が合う。
「あ」
私が何か言おうとしたのを察してか、しみずは無言で顔を背けた。そして早足で校門をくぐり抜けていく。
「あ……」
もしかして。てかやっぱ怒ってる?
……そっか。しみずをずっと無視してたのは、私の方なんだから。
憂鬱な気持ちのまま教室に入る。しみずの姿はない。数人のクラスメイトが既に登校していて、何やら塊になって話している。
私がその横を通り過ぎようとすると、その中の一人が私に駆け寄ってくる。
「ちょっと」
「何?」
いきなり呼び止められて驚いていると、その子は、
「沙里と珠夏のお葬式の話、誰かから聞いた?」
いきなりそんなことを言い出した。
「え、聞いてないけど」
そう言えば担任からも何も言われてないっけ。クラスメイトなら呼ばれたりするんじゃないのかな。
「そっか、ありがと……」
残念そうな顔をして、その子は項垂れる。艶々の不自然な真っ黒の髪がだらりと垂れ下がる。
「あれ、真中ちゃん、だよね?」
私が尋ねると、その子は首を傾げて頷く。
「髪色変わってるから一瞬分かんなかった」
すると真中ちゃんはにこっと笑って、
「清楚系になりたいなって」
スクランパーがちらりと見えた。
菊池真中(きくちまなか)ちゃんは、比較的沙里や珠夏と仲が良かったクラスメイトだ。いつも日本人離れした色素の薄いカラコンを付けている。ピアスも好きで、両耳はもちろん唇や舌にも空いているらしい。
紫色のロングヘアにティンセルを付けたのが彼女の特徴だったから、黒染めしただけでも誰だか分からなかった。
……綾瀬さんと違って、二人が死んでから、真中ちゃんはすぐに立ち直ってたみたいだった。あれから毎日学校にも来てるし、誰にも弱気な姿を見せていない。元々明るくてムードメーカー的存在だったし、相当無理してるのかな。
「あのさぁ……!」
真中ちゃんは次々と教室に入ってくるクラスメイト全員に同じことを尋ねていた。
けど、誰一人二人のお葬式について聞いた子は居なかった。
四時間目が終わり教師が教室から出ていくと、私は真っ先に立ち上がった。同時に立ち上がり小走りでどこかへ行こうとするしみずを追い掛ける。
「しみず!」
廊下に出てしみずの名前を呼ぶ。しみずははたと足を止め、振り返らずに「何?」とだけ言った。
心臓がどきどきと音を立てる。しみずの表情は全く見えない。私は息を整える。
「ごめん。ずっと話し掛けようとしてくれてたのに、無視してて……」
自分でももっとちゃんとした言い方が出来ないのかと呆れてしまった。でも私がそう言うと、しみずはココアブラウンのボブをふわりと揺らして振り返った。
「……りんね」
そして駆け寄ってきて、泣きそうな顔をしながら私の指先を見た。
「私こそごめんね。最近はわざと避けてたの。私に話してくれないのが悲しくて」
しみずは大きな瞳に涙を浮かべながら、にっこりと笑う。
「私だって知ってるんだから、頼ってくれたって良かったんだよ?」
「あ……」
しみずのその言葉に、どきんと心臓が大きく脈打った。
私も、弓槻に同じことを思ってた。一人で解決しようとして、秘密を共有している私にすら頼ろうとしてくれなかった弓槻に酷く腹が立ってた。
しみずから見たら、私もそうだったの?私も、しみずに同じことをしてたんだ。
「ごめんしみず、ありがとう」
しみずは頷いて、私に抱き着いてきた。
あ、何か、この感じ。懐かしいな。私はいつもみたいに抱き返す。
またあの頃みたいに、楽しい毎日が戻ってきたらいいのに。
私はしみずの腰に回していた腕にぎゅっと力を込めた。
「りんねちゃん」
聞き慣れた声に名前を呼ばれ、はっとしみずから離れた。
その声の主は、教室のドアから半分だけ顔を覗かせ、私達をじっと見詰めている。
「……むすび」
「湯川さん?」
むすびは、大きな三つ編みを揺らしながらゆっくりと私達に近付いてくる。私は何となくしみずの手を握って二、三歩後退った。
「離れてよ!」
そう叫んだのは、私ではなくむすびだった。廊下を歩いていた他のクラスの生徒達が驚いて私達の方を見る。むすびは息を荒らげながら、私達につかつかと歩み寄る。
そしてしみずの手を握っている私の手を掴んで、無理矢理引き剥がそうとし出した。
「ちょっと、痛いって」
私はそう言って腕を振り払った。小柄なむすびの手は簡単に振りほどけた。
むすびは私を睨みながら歯ぎしりする。
「何でまた星野さんと仲良くしてるの〜っ」
じろりと視線をしみずに移すと、しみずはびくりと肩を跳ねらせた。
「……ちょっとむすびと二人で話したいから」
しみずにそう言うと、無言で頷いて、小走りで教室に戻っていった。
私はむすびの腕を乱暴に掴んで、階段を降りていく。
一階の通路に出て、私はむすびの腕を離した。
「何で電話出てくれなかったの?」
むすびは乱暴にスマホの画面をいじくる。爪が液晶画面に当たってカチカチと音を立てている。むすびは私とのトーク画面を見せ付けながら、うっすらと目に涙を浮かべている。
「酷いよ!りんねちゃんも結局そうだったんだ!」
「は?言ってる意味が分かんないんだけど。」
フー、フー、と肩で息をしながら私を睨むむすびは、まるで小動物が威嚇しているみたいだ。
私ははぁっと短い溜め息を吐いた。
「私に何を期待してるの?嘘吐く人となんて関わりたくないに決まってるでしょ?」
「違うもん。私は吐きたくて嘘吐いてるんじゃないんだもん」
「はぁ?言い訳すんの?」
イライラしてきた。もうむすびの言うことなんて何も信じられない。何回嘘吐かれたと思ってるの。
「りんねちゃんまで私のこと突き放すんだ!りんねちゃんとは本当に友達になれると思ってたのに……」
両手で顔を覆って泣き出すむすび。
わかんない。今もまた取り繕ってるの?計算で友達になろうとする子だし、これだって演技かもしれない。
「今まで散々演技されて、嘘吐かれて、どうやって信じろって言うの。」
「それは――」
その時、むすびが持っていたスマホが振動した。
むすびは忌々しそうにスマホの画面を見て、小さく舌打ちした。そしておもむろにそれを耳に当てる。
「……もしもし?」
『あ、りんねちゃん……!』
相手の声がはっきりと私にも聞こえた。……戸川さんだ。
「何?」
『あのね、今日の放課後会えないかなって――』
「何で?」
むすびはイライラしているように見えた。
『この前邪魔が入って会わせられなかったから、私に協力してくれた人に会わせたいなって』
邪魔って。思わず苦笑いした。
むすびはその言葉を聞いてにたりと笑った。そしてチラッと私の方の見て、
「いいよ。でも二人きりは嫌だから、りんねちゃんも呼んでいい? 」
「は、はぁ!?」
思わず声を上げたのは私だ。
『え?何で?』
戸川さんも驚いてるみたいだ。
「何、嫌なの?」
『嫌じゃないけど、その人関係ないのに会わせてどうするの……?』
「関係なくないよ。ね、りんねちゃん。」
むすびは目を細めて笑う。私は無言で見返した。
『わ、分かった……。じゃあ今日は私がそっち行くから。放課後校門で待ってて。またLINEする』
「りょー。」
むすびはそう言って、通話を切った。
「良かったね。これで魔女に近付けるよ」
「これで私が許すとでも思ってるの?」と口から零れそうになったけど、何とか飲み込んだ。
弓槻は魔女に近付いたって意味ないって言ってたけど、やっぱり何か手掛かりが掴めるかもしれない。
ただ待ってるだけじゃ、また誰かが死ぬだけだ。
「……行けばいいんでしょ」
私は自分に言い聞かせるようにそう言った。
授業が終わり、各々が教室から出ていく中、しみずが私の席に来た。
「りんね、駅まで一緒に――」
「りんねちゃん〜」
そう言いながら駆け寄ってきたむすびが、私としみずの間に割り込んでくる。仲良くなったばかりだった頃の、ふにゃふにゃした笑顔で。
「星野さんごめんねぇ、りんねちゃんと約束あるから、今日はいいかなぁ?」
むすびは両手を合わせてしみずを拝む。しみずは引き攣った笑顔でかくかくとぎこちなく頷く。
「うん、それなら仕方ないよね……。分かった」
「あ」
一瞬、しみずが悲しそうな目で私を見た気がした。そのままドアの方へ歩いていこうとするしみず。
「ま、待って」
私は咄嗟にしみずの肩を掴んだ。その途端ぎょろりとむすびが私を見る。
「むすび、しみずも知ってるんだから、三人で行こ」
「だめだよぉ。水純ちゃんはりんねちゃんだけだから許してくれたのかもしれないんだよぉ?勝手に一人追加したら会わせてくれないかもしれないじゃんん」
ほっぺたを風船みたいに膨らませながらむすびはそう言う。
「何かよく分からないけど、私は帰るよ。じゃあね、りんね。湯川さんも」
遠慮がちにそう言うと、しみずは苦笑いしながらそそくさと教室から飛び出してしまった。
残された私に、むすびが腕を絡ませる。
「じゃあ行こっかぁ」
「……何で、仲間外れにしたがるの」
わざとらしくむすびの腕を振り払うと、むすびの表情からスっと笑顔が消える。
「友達が他の人と仲良くしてたら嫌な気持ちになるじゃん。」
「友達に友達が居るのは当たり前でしょ?」
「りんねちゃんって友達のこと大切にしてないんだね。」
眼鏡のレンズが、窓から差し込む夕日に反射して、奥にあるむすびの目を隠した。それがやけに不気味で、私はむすびから視線を逸らす。
それと同時に、頭に血が昇った。「友達を大切にしてない」、その言葉がぐるぐると頭の中を回る。
「何それ。友達がたくさん居たら大事にしてないって言うの?私はみんな平等に好きなだけなんだけど。」
「へー。私はみんな平等に好きになるくらいなら、全員分の好きを一人に捧げるなぁ」
握り締めた拳が小刻みに震える。私は目を細めてむすびを睨む。
「何でそうなっちゃったの?私だって最初はみんなと同じくらいむすびが好きだった。友達だと思ってたし。なのに何でそんな意地汚くなったの?」
私が言うと、今度はむすびが私を睨み付けてきた。
「だからそれは好かれるために思ってないこと言ってただけだってば。りんねちゃんなら私を受け入れてくれると思って素で話してるんだよ」
「好きになるわけないじゃん。」
間髪入れずに言うと、むすびは目を見開いて私を見た。まるでむすびだけ時間が止まってしまったかのように動かない。
「こんな性格ゴミみたいな奴と友達になるわけないでしょ。」
こんなこと言ったらむすびが傷付くかもしれない、なんて、この時の私には考える余裕もなかった。何度も何度も嘘吐かれて、他の友達との関係まで邪魔しようとしてくるむすびが本当に許せなかった。
「…………」
むすびは俯いて口を固く結んだ。
……最悪だ。
私は机の上に置いてあった鞄を掴んで、咄嗟に教室から飛び出した。
むすびは、追い掛けてこなかった。
下駄箱でローファーに履き替えて校舎から出ると、見覚えのある女の子が校門に立っていた。
「あ」
キョロキョロと周りを見回しながら頻りにスマホを弄っている。
「戸川、さん」
そうだ、今日はこっちまで来るって言ってたんだっけ。
戸川さんが用があるのはむすびだし、私が一人で話し掛けても迷惑か。そう思って気付かないふりをして通り過ぎようとすると、戸川さんに肩を叩かれた。
「あ、あの」
おどおどしながら吃る戸川さん。
「あなたが、りんね……さん、だよね?」
私と目も合わせようとしない戸川さんを見下ろしながら、私は必死に笑顔を貼り付けた。
「そうだよ、戸川さんだよね。ごめん、気付かなかった」
そう言って笑うけど、戸川さんは数回頷いただけで何も返してこなかった。
……気まずい。
「あれ、むすびちゃんは一緒じゃないんですか……?」
「何で敬語?同い年なんだしタメでいいのに。」
私が言うと、戸川さんは何故か「ごめん……」と言って俯いてしまった。
「何かむすびと気まずくてさ、もしアレなら二人で行けば?」
「で、でも、むすびちゃんはりんねちゃんも知ってるって……」
「あー、私は別に関係ないから」
「待って、ほんとに知らないの?私、もうあの人に話しちゃったんだけど……」
私は顔を動かさずに横目で戸川さんを見た。怯えているように見える。
「あの人」って、きっと魔女のことだ。私が都市伝説について知ってるって魔女に教えちゃったってこと?この都市伝説について深く知り過ぎた人は死ぬんじゃないの?
「……何勝手なことしてんだよ」
ぽつりと呟いたけど、戸川さんには聞こえなかったみたいだ。
代わりに、息を切らしたむすびが校舎から飛び出してきた。
「水純ちゃん、行こぉ」
むすびは膝に手をついて肩で息をする。そして顔を上げて戸川さんを睨み上げた。戸川さんはびくりと体を硬直させ、二回頷いた。
「うん。取り敢えず、りんねちゃんも来て……」
二人はゆっくりと歩き出したけど、私はその場から動けなかった。このまま着いて行ったら魔女に会うことになる。そしたら私は殺されるに決まってる。わざわざ殺されに行くなんて冗談じゃない。
「……あ。あの人は優しい人だから、心配しなくて大丈夫だよ」
まるで私の心を読み取ったみたいに、戸川さんはそう言った。二人の後ろ姿を見据えながら、私は鞄の持ち手をぎゅっと握る。
そして、重たい重たい一歩を踏み出した。
私とむすびは、学校から徒歩数分の場所にある人気のない路地裏へ連れ込まれた。学校の近くにこんな場所があるなんて知らなかった。
「連れてきましたよ、アリスさん」
「アリ、ス……?」
これが魔女の名前?
鼓動がどんどん速くなっていくのが分かる。私は汗ばむ手をスカートで拭った。
暗闇から姿を現したのは、私より少しだけ背の高い女の人だった。が、頭から上はパーカーのフードとマスクで隠れていてよく見えない。大きな青いクマのイラストがプリントされた黒いパーカーに、網タイツに、ガーターベルト。十センチ程ありそうな厚底のヒールの靴を見る限り、女の人で間違いなさそうだ。
その人はゆっくりと歩いてきて、フードを取った。
しなやかな白いボブがふわりと現れる。
「……?」
あれ。この人、どこかで見たことあるような気がする。こんな服装の人なんて原宿に行けばわんさか居るけど、原宿なんて滅多に行かないし。
「……あ!」
私は思わず声を上げてしまった。むすびと戸川さん、そして白髪の女の人が私に視線を向ける。
「この前、××線の電車に乗ってましたよね?朝……」
むすびと戸川さんは何の話をしているのか分かっていない様子だった。でも間違いない、この人は弓槻が死んだ日の朝、電車でぶつかったあの人だ。
白髪の女の人は、数秒間黙った挙句、「ああ」と笑顔になった。
「あの時ぶつかってきた子だ。思い出したよ。」
ウィスパーボイス、と言うのだろうか。少しハスキーだけど優しげな声だった。
あれ。この人って本当に魔女なんだよね?何百人もの命を奪ってきた人が、こんないい人そうな人なの?
「改めて自己紹介した方がいい、かな。
私は関口アリス。大学生だったけど、この前中退しました。理由は、分かるよね。」
アリスさんは目を細めて首を傾げた。……笑ってるつもりなんだろうけど、全く笑えてない。それが逆に威圧的に感じる。
「水純ちゃんから聞いたけど、二人とも雫萌高校の一年B組の生徒だよね。湯川結ちゃんと、首藤りんねちゃん。」
私とむすびは、同時に頷く。それを確認したアリスさんは、また目だけ細めて笑った。
「残念だね。自分達が死ぬのを知りながら生きるの、辛いでしょう。」
私とむすびは、反応に困って黙りこくった。
「それで。今日呼び出したのは何か用事があるからだよね。二人と私を会わせてどうしたかったのかな。」
戸川さんの方を見てアリスさんはそう言う。どうやら二人はかなり関係が深いみたいで、私の時みたいに吃らずに戸川さんは答えた。
「むすびちゃんが、私がアリスちゃんに助けてもらったことを話したら、会ってみたいって言ったの。りんねちゃんは、むすびちゃんが連れて来て、まぁ、成り行きで」
「そっかそっか。むすびちゃんも魔法の力が欲しいのかな。」
「魔法の力がほしいって言うかぁ〜」
むすびはちらりと戸川さんを見る。私には分かってる、むすびは戸川さんの魔法の力を利用して自分だけ助かろうとしてるんだ。
「どの道もうそろそろ話さないといけない時期になってきたし、二人も冥土の土産に聞いてったらいいよ。
魔女に魂を売ったら手に入る『魔法の力』の本当の意味をね。」
今まで一度も形を変えなかった綺麗な桜色の唇が、ぐにゃりと三日月形に曲がりくねった。
ぞわりと背筋が凍り付く。
「魔法の力の、本当の意味……」
ごくりと唾を飲み込んだ。
「『三十人分の魂を売れば、魔法の力が手に入る。』
表向きではそういうことになってるけど、本当の意味は関わった人しか知らない。
『魔法の力を手に入れる』それはつまり、あなたが魔女になるってことよ。水純ちゃん。」
「私が、魔女に……?」
「そう。魔法が使えたら、それはもう魔女でしょ。都市伝説で言われてる魔女は、欲に駆られて魂を売った人のことを指す。」
焦点の合わない目で空を見詰め、淡々と喋るアリスさん。私とむすびは黙って聞くことしか出来なかったけど、一番驚き戸惑っているのは戸川さんだった。
「水純ちゃんが魂を売った魔女である私も、過去前の魔女に魂を売ったってこと。
次は、水純ちゃんが魔女になって、誰かが捧げた三十人の命を奪う番。」
「嘘、でしょ……」
顎の先からぽたぽたと汗の雫を垂らす戸川さんを見て、アリスさんはくすりと笑う。
「本当にアニメみたいな魔法の力が手に入ると思ったのかな。でも別にプリキュアになりたくて魂を売ったわけじゃないでしょ。魔女に魂を売りに来る人は、みんな『魔法の力』じゃなくて『三十人の魂を売る』のが目的だもの。魔法の力が欲しくて魂を売る子なんて、きっと居ない。」
「そん、な……じゃあ」
むすびは消え入りそうな声で呟いた。その後ぱくぱくと口を動かしていたけど、声は掠れて消えていった。口の動きを見る限り、「水純ちゃんに助けてもらうのは無理ってこと?」と言ったつもりなんだろう。
戸川さんはぶるぶると体を震わせて、くすんだコンクリートの地面を凝視していた。そんな戸川さんを見て、アリスさんはまたくすりと笑う。
「たくさんの命を奪っておいて、幸せになれるとでも思ったのかな。
違うよ。あなたはイジメっ子が消えて救われたんだから、それで充分でしょ。だから今度は別の誰かを救ってあげるの。」
「そん、そんな、私は……」
震える戸川さんの肩をアリスさんが掴むと、戸川さんはびく、と全身を跳ねらせた。
「大丈夫、友達を殺/すのはあなたじゃない。雫萌高校一年B組は、私の持ち場だから。でも私はそれで終わり。」
瞼を伏せて、どこか悲しげな表情をするアリスさん。
「大丈夫だよね、魂を売られた人達は自殺してくれるんでしょ?だったら私は人を殺/すなんてしなくていい……」
ぽつりと呟く戸川さんを見て、アリスさんは目を見開いた。
「何言ってるの。魂を売られた人は自殺/する、なんて有り得ないよ。それに水純ちゃんはもう既に三十人殺してるのと変わりないんだよ。
そうか。水純ちゃんのせいで死んだ子達はみんな自殺で死んだと思ってるのか。
あの子達を殺したのは私だよ。」
さらりとアリスさんは言ったけど、私は耳を疑った。
「え?何、それ」
戸川さんは小さな声で呟いた。
「だから、あなたが売ったあの子達を殺したのは、私。もう忘れちゃったのかな。教室の窓から飛び降りた澤田くんと東さん、除光液を飲み込んで死んだ吉沢さん、お互いの首を絞めて殺し合った大西さんと濱口さん、線路に飛び込んだ内田さん……」
「やめてやめてやめて」
「昨日も鈴木くんがお腹切って死んだよね。あれ、私が切ったんだよ。鈴木くん暴れるし叫ぶしで大変だったんだから。」
「待ってよ、じゃあ沙里と珠夏……私のクラスメイトも、アリスさんが殺したってことなんですか?」
思わず話に割って入ってしまった。アリスさんは私に視線を移し、目だけ細めて微笑む。
「そうだよ。それに、前々からあの二人にお薬あげてたのも私。いつもより飛べるよって言ったら、二人とも飛び付いてきて、ほんとに飛んじゃった。橋から川に飛び込んで、もがいて、流されてったよ。」
「流されてったよ?よくそんなこと言えるな」
「りんねちゃん、怒っても仕方ないよ。私は魔女なんだから、殺さないといけないの。」
アリスさんは沙里や珠夏や戸川さんのクラスメイトを殺していることを、悪いことだと思ってないみたいだ。それどころか、その表情には「私はちゃんと使命を全うしている」という誇らしささえ見える。
「魂を売られた子は元々みんな悪い子だったんだし仕方ないよ。売られるようなことした人も悪いんじゃないかな。」
その言葉に、思わず乾いた笑い声が出た。
「はっ、何が悪い子だよ。私達は誰にも何もしてない。なのに売られたんだよ。おかしいと思わないのかよ」
「ほんとに、何もしてなかったのかな。」
「え……?」
アリスさんは虚ろな瞳で私を捉えた。まるで蛇に睨まれた蛙のように動けなくなる。
「りんねちゃんが気付いてないだけで、ほんとはイジメがあったかもしれないよ。」
アリスさんの口元がぐにゃりと歪曲する。
「は……?」
私が気付いてないだけ?ほんとはいじめがあったかもしれない?
「知ったような口聞かないでよ、うちのクラスのこと何も知らないくせに!」
まるで侮辱された気分だ。何も知らない部外者にそんな風に言われたら腹立つに決まってる。
「さっきから黙ってるけど、どうなのかな。むすびちゃん。」
アリスさんはちらりとむすびを見る。さっきからずっと俯いたままで一言も言葉を発していなかったむすびは、はっと顔を上げて私達の顔を見回す。そしてはははと笑いながら、顔を粘土みたいに歪ませた。
「確かにいじめはなかったけど、岡田とか倉野は話し掛けてもらえないだけで泣いてたような被害妄想強めな陰キャだったし、思い込んで売ったりしちゃうんじゃないの?」
むすびは早口でそう言うと、また俯いてしまった。
「だって。案外自分が周りが見えてないだけかもしれないよ。」
何も言い返せなかった。確かに、私は沙里や珠夏、他のクラスメイトが岡田さんや倉野さんの悪口を言ってるのを聞いたことがある。あの二人はオタクだから、根暗だから、ブスだからって、影で笑ってた。Twitterで「グループワークで一言も話さないのウケる」ってツイートしてる子も居た。体育で同じチームになったら、あからさまに二人にだけ態度を変える子も居た。
でも、それだけで?関係ない人だって居るのに、それだけでクラス全員の魂を売るなんて、そこまでする?
「やられた方の気持ち、私なら分かるな。りんねちゃんには分からないみたいだね。」
アリスさんは私の肩に手を置く。
「考えすぎでも思い込みでも、いじめられた方がいじめだと思ったら、それはいじめなんだよ。」
「何それ。
おかしいでしょ、みんなだって努力してたんだよ。入学してすぐは話し掛けてたじゃん。なのにちゃんと目も合わせないし返答するだけで話を続けようともしてくれなかったんだよ。だからみんな少しずつ離れてっただけなのに、それをいじめって言うの?おかしいでしょ。」
「向こうが傷付いたのは事実。あなた達にそのつもりがなくても、ね。」
「それだけで普通殺さないでしょ。あなたは簡単に殺せるかもしれないけどね」
私はアリスさんの手を振り払った。こんなこと言ったら殺されるかもしれない、なんて思ったけど、ふつふつと湧き上がる怒りの感情を抑えられなかった。
でもアリスさんは怒った様子はなく、目を伏せて短い溜め息を吐いただけだった。
「まだその二人が売ったって決まったわけじゃないからあんま怒らないであげて。」
……白々しい。あんたは誰が犯人か分かってるんでしょ。そう思ったけど、睨み付けるだけで声に出さなかった。アリスさんはそんな私を見てにやりと笑い、ホワイトブロンドのボブをふわりと揺らす。
「てことで。私は今教えられることは全部教えたから。またその時が来たら、簡単な処理の仕方とか教えてあげる。これから頑張ってね。新人魔女さん。」
アリスさんはそっと戸川さんに耳打ちした。
そしてそのまま、コツコツと厚底のヒールを鳴らしながら路地裏の向こう側へと姿を消していった。
取り残された私達は、黙ってその場に立ち尽くした。
「あのさ、むすび、戸川さん……」
私は二人の手を取って、歩道の方へ歩いていこうする。けど二人は足を動かそうとしなかった。代わりにむすびがぽつりと呟く。
「全部滅茶苦茶だ。」
「え……?」
むすびが顔を上げると、涙で潤んだ瞳が髪の隙間から見えた。歯を固く食い縛って、戸川さんを睨み上げる。
「何も知らないくせに間違ったこと教えてんじゃねーよ!私だけは助かると思ったのに、計画が滅茶苦茶だよ!」
「何言ってるの、むすびちゃん……。計画?」
「もう終わったから言わせてもらうけどさぁ。DMで少し煽てたら自慢げに魔女のこと全部話してくれて助かったよ。あんたが魔法の力が使えるようになったって言うから私だけでも助けてもらおうと思ってたのに……。なのに何も出来ないんじゃん。コミュ障で自撮り詐欺で役立たずとかただのゴミじゃん。」
むすびは吐き捨てるようにそう言った。掴んだままの戸川さんの手が一気に汗ばみ、震え出す。
「え、え……?私達友達だよね、むすびちゃん……?」
「はぁ?違うし」
「じゃあ、私と友達になったのは、……私にTwitterで話し掛けてくれたのは、計算だったってこと……?」
「逆に計算じゃなかったらどうしてあんたと友達になるのよ」
「そん、な……」
「ちょっとむすび、言い過ぎだって……」
むすびは今度は私を睨み付けた。そして私の手を振りほどき、スマホを取り出して、物凄い勢いで画面をタップする。
「私だけは死なない、私だけは死なない……。他の魔女は居ないの?」
ぶつぶつと呟きながら指を止めないむすび。隣では戸川さんがしくしくと泣いている。
……最悪だ。私は戸川さんの手をそっと離した。
「あ!」
途端に戸川さんは鞄に手を突っ込む。そしてそこから、鈍く光るサバイバルナイフを取り出した。
「え、うそ」
「何かあった時のためにって持ってて良かった」
涙でぐしゃぐしゃの顔でへらへらと笑う戸川さんから、私とむすびはじりじりと後退る。
「やっと分かった。私がいじめられたのは、全部私が悪いんだ。だから、結局いじめっ子が居なくなっても、私は幸せになれないんだよね。」
「そんな、ことは……」
さっき自分が発してしまった言葉を思い出して後悔した。
「でも、むすびちゃんだって私と同類だよ。ううん、私以上にむすびちゃんはゴミだよ。自分がいじめられて辛い思いしたのに、今度は私に同じことしたんだもん。」
「いじめられてたって言うのもあんたに近付くための嘘だよ。何マジになってんの?」
「それが嘘でしょ。むすびちゃんはほんとにいじめられてた。見れば分かるよ、 この子は私と同類だって」
「黙れ、一緒にすんな……」
「虚言が酷くて嫌われたって感じかな。あとは一人に執着するからウザがられてそうだし。」
「うるさい、お前に何が分かるんだよ!」
むすびが戸川さんに掴みかかる。そのまま二人は地面に倒れ込み、むすびは戸川さんの顔を殴る。相手が刃物を持っていることを忘れてしまうほど、むすびは興奮していた。
「分かるよ。だって――」
スカッ。戸川さんがサバイバルナイフを持った手を右から左へ払っただけで、むすびの頬は簡単に切れた。
むすびの白い顔に赤い線が刻まれる。脂肪のようなものが見える傷口から、赤黒い血が流れ出す。
「いってーな!」
むすびは何度も戸川さんの顔を殴り付けた。白い歯のようなものが弾け飛ぶのが見えたけど、私はただそんな二人の様子を見てることしか出来なかった。
「いじめられる子の気持ちは、分かるよ」
「私をあんた達と一緒にするな!」
「でも、傍観してるだけのりんねちゃんの気持ちは、分からないなぁ。」
名前を出された途端、どきりと心臓が凍り付いた。
「見てるだけのりんねちゃん。今どんな気持ちで私達を見てるの?」
真っ赤でぼこぼこに腫れ上がった顔で私を見て、にやりと笑う戸川さん。ぞく、と背筋に悪寒が走る。
「私、は」
声が出ない。
「ずっとそうやって見てればいいよ。それで取り返しのつかない頃になってようやく気付け」
そう言うと、戸川さんはむすびの胸元にサバイバルナイフの刃をねじ込んだ。
グズ、と黒い血が制服を濡らす。むすびは声も上げずに、ぐらりと横に倒れ込んだ。
そして、戸川さんはすぐにナイフを引き抜き、自らの胸も刺して、倒れた。
「君、大丈夫?」
そう言って誰かに肩を掴まれた。私は反射的にそれを振り払ってしまう。
「顔色悪いし、それ、血じゃない?」
三十代くらいのサラリーマンらしき人が、私の制服を指差してそう言う。言われるままにそこを見ると、確かに白いシャツに数滴の赤黒いシミが着いていた。
「だ、大丈夫なので」
呂律が回らないし、上手く声が出なくて裏返った。サラリーマンは近くの交番を指差しで、「何かあったなら一緒に着いてくよ」と言う。
「ほんとに大丈夫ですから」
私はそう言って、走った。せっかく心配して声を掛けてもらったのに、お礼も言えなかった。
でも、どうせ交番に駆け込んだって、警察に全て話したって無駄だ。どうせ揉み消されて、結局私も殺される。
もうこんなの、どうしようもないじゃん。
無我夢中で走った。学校の最寄り駅を通り越して、知らない商店街を抜けて、知らない駅も過ぎて。
空が暗くなる頃には、私は知らない街の公園に辿り着いた。
肩で息をしながら、小汚いベンチに倒れ込む。砂利とアリンコにまみれても気にならなかった。それよりとにかく、頭の中がぐちゃぐちゃだった。
怒りで抑え込まれていた恐怖の感情が、一気に押し寄せてきたのだ。
ふとシャツの赤黒いシミが目に入る。私は飛び起きて、蛇口に走って飛び付いた。ハンドルを最大限まで捻って、滝のように流れ落ちる水にシャツをさらした。シャツ全体に水が染み渡っていく。シミは周りが少しオレンジ色に滲んだだけで、消えてくれなかった。
「消えろ、消えろ、クソ!」
喉の奥が締め付けられているような感覚になり、一気に涙が溢れてくる。鮮明に脳裏に焼き付いた血の色が、視界を真っ赤に染めた気がして、吐きそうになる。
もうやだ、誰か助けて……!
「あれ?りんねちゃん?」
空耳かと思った。だってあまりにもタイミングが良かったんだもん。私はゆっくりと顔を上げた。
公園の入口から、自転車を押しながら歩いてくる見慣れた顔が見えた。
「ま、真中ちゃん……」
「どうしたのー?」
笑顔の真中ちゃんを見て、また涙が溢れてきた。
「ちょ、えぇ!?」
驚いた真中ちゃんが駆け寄ってくる。蛇口の横に自転車を止めて、しゃがんで私の顔を覗き込む。
「何でもない、ほんと、ごめん」
話せるわけない。
「……そっか。じゃあ無理に聞かない!誰だって人に話したくないことくらいあるよね」
真中ちゃんはそう言うと、私の腕を掴んで立ち上がった。
「私だってあるし!てか冷た、りんねちゃん水被った?」
「あ、まぁ……」
「あはは、それで電車乗ってもヤバい奴だし送ってくよ?」
「え、いいよいいよ」
「何遠慮してるの!ほら、私も早く帰んなきゃだし、はよ乗れ!」
私は流されるままに真中ちゃんの自転車のキャリアに跨った。
「最寄りどこー?」
「××駅」
「意外と遠かったwしっかりつかまっててね!」
真中ちゃんはそう言って一漕ぎすると、ふわりと夕方の冷たい風が頬を撫でた。
度重なるブリーチの末黒染めされた長い髪が、私の顔をばさばさと叩く。あ、枝毛だらけだ。普段は遠くからしか見ないから、何回も染めてる割には綺麗な髪だなって思ってたけど、やっぱり傷んでるんだ。私もまたブリーチしようと思ってたけど、そろそろ辞めないとなぁ。
なんて考えてたら、お腹の底から何かが込み上げてきた。
あれ。こういうこと考えたのっていつぶりだっけ。ずっとクラスが売られたことばっか考えてたけど、ほんとは私、オシャレが大好きなんだ。前は学校から帰ったら、毎晩インスタやYouTubeでコスメやメイク動画を欠かさず見てたのに。
そう言えば、最近は日焼け止めとパウダーしか塗ってなかった。毎朝メイクして、髪もちゃんとアイロンして、それが大好きでモチベだったのに、最近はそんな余裕もなかった。
魔女と全く関わりのない、魔女の存在すら知らないクラスメイトと喋るのが久しぶり過ぎたんだ。話題に魔女や都市伝説のことが一言も出てこないのが新鮮過ぎたんだ。私は真中ちゃんにバレないように、声を押し殺して泣いた。
でも、うちのクラスが魔女に売られた事実は、消えない。
きっと、もうあの頃には戻れない。
「……ウチね、お父さんが居ないんだよね」
いきなり真中ちゃんがそう言い出した。
「だから、そのせいで色々あって、私も中学ん時は毎日泣いてたんだ。」
「あ」
風がより一層強くなる。信号が赤になった横断歩道の手前で、今度は止まった。
「だからさぁ、泣いてる子見ると何かほっとけなくなるんだよね。気持ち分かるから。」
信号が青になる。真中ちゃんは力一杯ペダルを蹴った。
「最近、うちのクラスばっか問題起きて嫌んなるよね。りんねちゃんも弓槻さんと仲良かったもんね。まぢウザいよね、何で私達の友達ばっかあんな目に遭うのかな」
真後ろに座ってるから、真中ちゃんの顔は全く見えなかった。でも声は少しだけ震えていた。
沙里と珠夏が死んでからも明るく振舞ってたから、すぐ立ち直ったのかと勝手に思い込んでたけど、平気なわけないよね。友達が死んだんだもん。それなのに真中ちゃんは無理して明るく振舞ってたんだ。
「……ほんとそれ。何でこのクラスなんだろうね」
ぽつりと呟いたけど、風の音に掻き消されて、真中ちゃんには聞こえなかったみたいだ。
「この辺でいい?」
私の家の最寄り駅の入口で、真中ちゃんは自転車を停めた。私は降りて、真中ちゃんを拝んだ。
「ほんとありがと、助かった」
「いえいえ〜!私があそこ通らなかったら迷惑客になってたんだからな?感謝しろよ〜」
冗談交じりに「明日いちごミルク奢って」とほくそ笑む真中ちゃんを見て、私は思わず吹き出した。
「覚えてたらね。」
「あは。じゃあね、りんねちゃん」
「ほんと、ありがと」
私は自転車に股がって手を振ってきた真中ちゃんに手を振り返した。立ち漕ぎしながら、横断歩道を渡り、真中ちゃんは姿を消した。
あ、やば。また泣けてきた。
私は家路を走った。
家に着いて鍵を開けると、玄関に妹のローファーが脱ぎ捨ててあった。
「ただいま」
小さな声で呟いたけど、部屋に居る妹に聞こえるはずもなく、返事は返ってこなかった。
私もローファーを脱ぎ、揃える気力もなくそのまま階段を昇った。その足取りも鉛のように重かった。
脳裏にあの赤黒いシミがじんわりと広がっていくような感覚になり、私は目を瞑って残りの段を駆け上がった。
手も洗わずに自分の部屋に飛び込み、ベッドにダイブする。記憶を搔き消すように枕に顔を埋めて足をバタバタと動かす。当然消えてくれるわけもなく、次第に足も動かなくなった。
知り合いが目の前で死ぬなんて考えたことなかった。沙里や珠夏や弓槻が死んだのを知らされただけでもショックだったのに、こんなの耐えれるわけない。昨日まで普通に喋ってたむすびや普通にツイートしてた戸川さんが、死んじゃうなんて!
そうだ、二人はまだ生きてるかもしれない!戸川さんが刺したのは、もしかしたら私の見間違いで胸じゃなかったかもしれない。もしかしたら誰かが通報していて、病院に運ばれて、助かってるかもしれない……!
震える手でスマホを取り出し、画面を操作する。そしてむすびとのトーク画面を開いた。
「出て、出て、お願いだから……」
呼出音がしばらく鳴り続ける。回数を重ねる毎に私の心拍数も上昇していく。
「…………」
プツリ、という音と共に、ザアっと雑音のようなものが聞こえてくる。
「!むすび!」
思わず泣きそうになった。私はスマホを縋るように耳に当てる。
『りんねちゃん。』
ドキリ、と心臓が凍り付いた。
電話越しに伝わってきたその声は、むすびじゃなかった。
「……何で?」
声を何とか振り絞ってそう呟くと、相手の顔は見えないのに、にやりと笑うあの顔が目の前に浮かんできた。
『それはりんねちゃんが一番よく分かってるでしょ。』
少しハスキーなウィスパーボイス。
アリスさんが、電話の向こう側で笑っていた。
『りんねちゃん、だめだよ。目の前で人が刺されたら、ちゃんと通報しなきゃ。』
「何であんたが出るの……」
『今ね、警察の人がお片付けしてるから付き添いしてるの。二人の遺体はもう片付いたから、もう帰るとこなの。』
淡々と喋るアリスさん。どうしてこんなに冷静で居られるのか私には分からない。だって、さっきまで目の前に戸川さんとむすびの死体があったはずなのに。
『水純ちゃんも酷い子だよね。せっかく助けてもらったのに無駄にしちゃうんだもの。それに私の仕事横取りするし。』
不服そうにそう呟くアリスさん。囁くような喋り方だから、息遣いまで聞こえてきて気持ち悪い。
スマホを少しだけ耳から話して、私は震える声を絞り出した。
「ああそうかよ、次は誰殺/すつもりだよ。人の幸せ奪うのがそんなに楽しいかよ」
『楽しいって言うか、これが私の使命なんだもの。それに売られた子達の幸せなんて、誰かの不幸の上で成り立ってるものばかりじゃない。』
「だからうちのクラスは何もなかったんだってば……」
語尾が消え入りそうなほど弱々しく呟いた。
本当に、私のクラスにはいじめも問題もなかった。些細なトラブルや喧嘩は確かにあったけど、それは個人個人の問題だったし、クラス全体を巻き込むような問題は一つもなかった。
それにみんな良い子だったし、クラスメイトを売るような子も居なかったはずなのに。なのに何で。
「何が不満だったんだよ……。今からでも取り消せよ」
こんなことをアリスさんに言ったってどうせ「仕方ない」で片付けられると分かっていたけど、思わず口から零れてしまった。犯人が分からない以上、アリスさんにぶつけるしかないじゃん。
『……りんねちゃん。明日って空いてるかな。』
沈黙の末、突然アリスさんがそう言い出した。
「え?空いてるけど……」
びっくりして思わず普通に答えてしまった。そう言えば明日は土曜日で休日だ。でも突然何だろう。
『じゃあ遊ぼ。十一時に××駅に来て。』
「は、はぁ?何でいきなり――」
『ドタキャンはなしね。じゃあ。』
ブツッ。私が何かを言う隙も与えずに、アリスさんは電話を切った。
「はぁ?」
仮にもアリスさんは私のクラスメイトを殺してきた人だ。自分のことも殺/すかもしれないような人と遊ぶわけないじゃん。
と思ったけど、ふと頭の中を過った。……アリスさんの連絡先知らないし、ほんとにドタキャンしたら、逆に怒りを買って殺されるんじゃないか。
「あーもう、クソ!」
私はスマホを枕に投げ付けた。
アリスさんが何を考えてるか分からない。何が目的で私を遊びに誘ったのかも全然分からない。何がしたいの、あの人。
結局私を殺/すなら、さっさと殺せばいいのに。深く関わり過ぎた人は消されるんでしょ?私はまだそこまで真実を知らないってことなの?
……待って。アリスさんが死/ねば、私のクラスメイトを殺/す魔女は居なくなる。そうすれば、もう誰も死ななくて済むんじゃ……?
ドクドクと自分の心臓の音だけが聞こえる。ふと浮かんできた自分の考えにそっと身震いした。
「人殺/すなんて、アイツらと同レベになっちゃうじゃん。でも」
そうでもしないと、きっとまたクラスの誰かが死んで、誰かが悲しい思いをすることになる。
真中ちゃんの悲しそうな声と後ろ姿が浮かんでくる。私と同じで父親が居ないのに、大事な友達が死んだのに、暗い顔をせずに明るく振舞ってた真中ちゃん。あんな良い子まで誰かの勝手な都合で死ぬなんて、冗談じゃない。
このクラスが魔女に売られなければ、沙里と珠夏が薬に溺れて死ぬこともなかった。沙里や珠夏が死ななければ、綾瀬さんが不登校になることもなかった。弓槻が死ぬことだってなかったかもしれない。むすびだって。
全部全部壊されたんだ。絶対に許せない。
「……一刻も早く、クラスを売った犯人を突き止めてやる」
弓槻のお婆ちゃんにもお願いされたんだ。弓槻の為にも、絶対に犯人を――
「あれ」
そう言えば、弓槻のお婆ちゃんから受け取った弓槻のノートって、何の意味があったんだろう。パラパラと捲っただけだけど、中身は計算式がずらりと並んでるだけで、特に私に向けてのメッセージなんかは何も書かれてなかった。
鞄に入れたままだったノートを取り出して、表紙を見る。鉛筆の跡も折り目もない。まるで新品みたいに綺麗だ。端の方に小さく「弓槻ゆずか」と書かれていなければ、完全に新品と見間違えるだろう。
表紙を捲ると、まるでパソコンで打ち込んだフォントのような綺麗な文字が、几帳面に整列している。
なんだこれ。ただの数学のノートじゃん。何でこんなものを私に?
と思いながら一ページずつ読み進めていくと、とあるページの計算式の下に妙な空白が出来ていた。次のページからはみっちりと計算式が書かれているのに。
「?」
よく分からないけど、きっとここで日付が変わったりしたから空けといたのかもしれない。私はそのまま最後のページまで読み進めた。
「……はぁ?」
結局最後のページまで計算式が書かれてただけで終わってしまった。
意味分かんない、あのお婆ちゃんボケてきてるのかな!?
なんて失礼なことを思いながら、私はそのノートを勉強机の上に放り投げた。
そのままベッドに寝転んで、真っ白な天井とLEDを見詰めていたら、いつの間にか眠ってしまっていた。
そして、また夢を見た。
誰かが言い争うような声が聞こえてくる。でも、まるで水中に居るみたいにぼやけて内容は聞き取れない。
ゆっくりと目を開ける。ここは教室だ。多分、うちのクラスの。
目の前で何かを必死に言い合う二人の少女は、ゆっくりと振り返って私を見た。
え、待って。この二人って――
「…………」
さっきまで二人の顔を覚えてたはずなのに、今はもう思い出せない。
遠くの方で、子供の燥ぎ回る声が聞こえてくる。それを頭の隅でぼーっと聞き流しながら、ゆっくりと体を動かす。
ベッドのコンセントに繋がれた充電器を外して、スマホの画面を見る。
九時半だ。
九時半。
九時半?
「やば!」
思わず飛び起きた。
やばいやばいやばい、アリスさんとの待ち合わせは十一時だから、今からシャワー浴びて髪乾かしてスキンケアしてメイクして髪整えて服選んでたらどう考えても間に合わない。
私はベッドから飛び降りて、階段を駆け下りた。
「おはよ。」
駅に着いてホームから出ると、先にアリスさんが待っていた。私は息が切れて声が出ないので、無言で右手を上げた。
「ギリギリだね。今五十九分。」
アリスさんは呑気にスマホの画面を見せてきた。いや、ちょっとは気ぃ使えって。
「はぁ。すみません、遅れて……」
一応相手の方が年上だし、時間には間に合ったとは言え待たせてしまったから謝っておいた。
「いいよ。へー、りんねちゃんの私服、結構好きかも。ピープス系の女の子、好き。」
そう言いながら私の頭から爪先まで眺めるアリスさん。何だか恥ずかしくなって苦笑いする。
「はは。アリスさんは何か雰囲気違いますよね」
今日のアリスさんは、無難なミルクティーベージュのワンピースを着ていた。昨日の原宿に居そうなファッションとは打って変わって、普通の女子大学生みたいなファッションだ。靴もぺったんこで、そのお陰か昨日より威圧感がないし、背の高さも今日は私の方が高い。きっと私が厚底じゃなければ、アリスさんと私は同じくらいの身長なんだろう。
「じゃあ、行こっか。」
「は、はい」
言われるままにアリスさんに着いていく。
「大通りのドトールでいいかな。そこにりんねちゃんに会いたいって言ってる人が来てるから。」
「え、えぇ!?何すかそれ」
聞いてないし!てか誰だよ。
「きっとりんねちゃんもすごく会いたい人だと思うから。」
アリスさんはそう言ってにこりと微笑んだ。あれ、こんな風に普通に笑えるんだ、この人。
てか待ってよ。私もすごく会いたい人ってそもそも誰だし。アリスさんと私の共通の知り合いなんて居たっけ?いや、居たには居たけど、二人は昨日――
「う」
思わず口元を抑えてしゃがみ込んだ。頭がぐらぐらする。目の前に砂嵐のフィルターがかかったみたいな感覚になる。
「りんねちゃん。」
いきなり道端に座り込んだ私を、道行く人達が怪訝そうな顔で見て素通りしていく。そんな私に気付かずに数歩先を歩いていたアリスさんが戻ってきて、私の隣にしゃがんだ。
「気分悪くなっちゃったかな。」
そう言いながら背中をさすってくれる。それでも吐き気と眩暈は治まらなかった。むしろ昨日の会話や風景がフラッシュバックして、余計気分が悪くなる。
「無理、無理……」
「りんねちゃん。あの横断歩道渡ればドトールだから、もう少し頑張って。ね。」
すはぁ、すはぁ、と、自分でも異様な息遣いなのが分かる。
「大丈夫。大丈夫だよ。」
そう言ってアリスさんは私の肩をぽんぽんと叩く。大丈夫じゃないっつーの、と心の中で言い返したけど、それを声に出す気力はなかった。
私は何とか立ち上がって、アリスさんに腕を掴まれながら横断歩道を渡った。
ドトールに入って、アリスさんがケーキとコーヒーを二つ注文する。「窓際の一番奥の席だから、先座ってて。」と言われるままに私はイートインスペースへ向かった。
窓際の一番奥の席、窓際の一番奥の席……と頭の中で唱えながらそこを見ると、女の人の後ろ姿が見える。
あの人が、私に会いたがってた人?そして、私も会いたいと思う人。
全く見当がつかなかったけど、その後ろ姿にはどこか見覚えがあるような気がした。
あんな綺麗な黒髪のボブなんて、知り合いにいなかったはずだ。でもやっぱり、絶対に見た事がある。
あれ、もしかして――
「りんねちゃん。」
ガクンと体が床に崩れ落ちた。他の客が私を迷惑そうにじろじろ見ている。
注文を終えたアリスさんが、私の体を起こして席まで運んでくれた。
「お待たせ。りんねちゃん具合悪いのに来てくれたから、感謝しなくちゃね。」
アリスさんは私を奥の席座らせ、自分は待っていた女の人の隣に座った。
「ありがとう……、あなたにずっと会いたかった。」
その人は優しそうな声でそう言った。座ったおかげで少しずつ目の前がはっきりしてくる。私はゆっくりと顔を上げた。
「っあ」
何で?
私は思わず口元を手で抑えた。
ここに居るはずのない人が、目の前に座っていた。
どうして?何で?どういうこと?
思わず目の前が涙で霞む。
「ゆ、弓槻……!」
陽の光を受けて白っぽく輝く長い豊富な睫毛、同じく艶々と煌めく癖のないストレート。
髪の長さこそ違うけど、確かに弓槻だった。
込み上げてくる涙を必死に飲み込んで、私は弓槻を見詰める。
夢じゃないんだよね?幻覚でもないんだよね?
「ニュースでも報道されてたのに生きてるわけないじゃん」「弓槻のお婆ちゃんが言ってたことはどうなるの?」そう思ったけど、そんなのどうでも良かった。だって、ちゃんと目の前で今生きてるんだもん!
「りんねちゃん。ごめんね」
そう言いながら透き通るような瞳に涙を浮かべる弓槻。でも、ふとその姿に違和感を覚えた。
弓槻の泣き顔を初めて見るから?いや、違う。弓槻は私のことを“りんねちゃん”なんて呼んでなかった。
「ゆ、弓槻……?」
目の前に座っているその人は、見た目は確かに弓槻そのものだった。でも、表情や小さな仕草、話し方が微妙に違う気がする。
「だ、誰……?」
確信した。この人は弓槻じゃない。
どきどきと鼓動が速くなる。
「私は、弓槻ゆずは。ゆずかの、姉です。」
「え……?」
目の前が真っ白になる。
だって弓槻のお姉さんは、一年前魔女に売られたせいで、爆発事故に巻き込まれて亡くなったんじゃなかったの……?
「……ゆずかから聞いてるよね。私は一年前、あの爆発事故で“死んだことになってる”。」
ゆずはさんは、まるで一文字一文字を絞り出すようにゆっくりとそう言った。
「ことになってる、って……?」
「あの爆発事故の日に学校を休んで、唯一助かったクラスメイトと言うのは、私。
そして、あのクラスを売ったのも、私。」
どきんと心臓が大きく脈打った。その言葉の意味がしばらく理解出来なかった。
「は……?」
やっとの思いでその一言だけ口に出すと、ゆずはさんは額にいくつもの脂汗を浮かべながら話した。
「あの事故が起きた後に犯人が引っ越したっていうのも聞いたかな?でも海外には行ってなくて、ずっと日本の施設に入ってたの――」
「待って待って待って。家族にも黙って、死んだことにして逃げてたってことですか?」
「りんねちゃん。そんな言い方だめだよ。」
アリスさんが割って入ってくる。
「いいの、ほんとのことだから。
でも、これ以上お婆ちゃんとゆずかに迷惑かけなくなかったから。私が三十人の命を奪った挙句、更にこの手で人を殺/すことになるなんて思われるくらいなら、死んだことにして姿を消した方がいいって。それが最善だと思ったの」
「何が最善だよ。何もかも間違ってる。あなたのせいでお婆ちゃんがどれだけ寂しい思いしたと思ってんですか?弓槻だって、あなたの仇と思ってずっと――」
そうだ、弓槻がうちのクラスを売った犯人を突き止めようとしてたのだって、元はと言えばお姉さんも魔女に殺されたからだった。それなのにほんとは死んでなくて、弓槻は再会も出来ずに死んでしまったなんて、酷過ぎる。
「何で会いに行かなかったんですか?妹のクラスも売られたことだって知ってたんでしょ……?」
「……言えるわけない。私はゆずかが必死に探してる犯人と同じことをしてたんだから。今更やっぱり生きてて、私がみんなを殺しました、なんて言ってのこのこ出ていけるわけないじゃない」
「それは……」
分からなくもなかった。確かに妹には自分が死んだと思われてるのに、やっぱり生きてました、そしてあなたが恨んでる犯人こそ私です、なんて言い出せない。それは分かるけど、それにしても酷いんじゃないか。
「だったら最初から売るなよ、そうすればみんな不幸にならなくて済んだのに」
ぽつりと呟くと、ゆずはさんは泣きそうな顔で苦笑いした。口元と瞼がぶるぶると痙攣している。
「ほんとにそうだよね。ほんとに馬鹿だと思う。でもどうしようもなかったの」
「…………」
黙ってそんなゆずはさんを睨み付ける。
みんなそうだ。魔女に他人を売った人は、みんな「仕方なかった」って顔をする。
そりゃ、私だって戸川さんのブログを見た時は、あんなに酷いいじめを受けてたら、クラスメイトを売りたくなる気持ちも分かるって思ってた。
でもそれで戸川さんは救われたの?私には根本的な問題は全く解決していないように見えた。だから結果的に――
「っ」
また目眩がする。頭がぐにゃりと弓形に捻り曲がってしまったような感覚になる。
「りんねちゃん。」
「っ、大丈夫ですから」
アリスさんがそんな私に気付いたみたいだけど、私は掌を向けて制止した。
「私は、こんなことしたって不幸が増えるだけだと思ってます。」
「……」
アリスさんとゆずはさんは黙って私を見詰めている。
「りんねちゃんの言うこともすごぉく分かる。でも、私は後悔はしてなかった。」
ゆずはさんは真っ直ぐな瞳でそう言った。
「『かった』?今はそうじゃないってことですよね」
ついつい揚げ足を取ってしまった。言った後に少し後悔したけど、ゆずはさんは頷いて、
「うん。ゆずかのクラスが売られたって聞いて、物凄く後悔した。それをアリスから聞いた時、目の前が真っ白になったの。大切な妹が殺されるって宣告されたようなものだからね」
「助けようとは思わなかったんですか?都市伝説通り魂を売れば魔法少女になれるわけじゃないんだし、別に三十人じゃなくたって良いんでしょ。」
そもそも何で三十人なんだろう。「魔法の力が手に入る」が、売られた人を殺/すだけの魔女になるってことなら、こんな意味もなく人が死んでいくのに何の意味があるんだろう。
「……だめなの。売られた三十人は、全員死んでもらわないといけないの」
「意味分かんない、妹が無意味に死ぬのに平気だったんですか?」
「平気なわけない!でもそう言う決まりなんだから仕方ないでしょ!」
ゆずはさんは半ば叫ぶようにそう言った。
「ゆずはちゃん、静かに。」
アリスさんが人差し指を唇に添える。
「あそこに高校生が居るでしょ。聞かれたらだめだから。」
「え……?」
その意味がよく理解出来なかったけど、ゆずはさんは解ったみたいで、無言で頷いた。
「そうだね。あの子達が消されちゃうとこだった」
「……?」
高校生らしき女の子二人は、随分遠くの席に座っている。真後ろにはお爺さんとお婆さんが座っていて、左斜め後ろにはサラリーマンらしき人も座っている。
そう言えば、さっきからこの人達には普通に会話は聞き取られてるはずなのに、それは平気なの?
「ほんとはりんねちゃんにも話しちゃいけなかったけど、どうせ死んじゃうし。いいよね。」
何やら不吉な笑みを浮かべるアリスさん。
「え、あ、はは」
反応に困る。
「お待たせしました〜、遅れて申し訳ございません……」
そして店員がやって来て、さっきアリスさんが注文していたケーキとコーヒーをテーブルに置いていった。
それからしばらく沈黙が続いた。アリスさんが二つ届いたケーキとコーヒーを、一つは私に差し出して、もう一つを自分の方に寄せた。私は無言で軽く頭を下げた。
「……取り敢えず、食べようか」
アリスさんがゆっくりとコーヒーを啜る。私も無言でそれを真似た。
黙々とチーズケーキを口に運んでいると、ゆずはさんが「そう言えば」と呟いた。
「りんねちゃん、LINE交換してくれない?」
スマホを取り出してQRコードを私に見せるゆずはさん。私は咀嚼しながら頷いて、スマホを操作する。
「あ、私も。いいかな。」
アリスさんもQRコードが表示された画面を私に向けてきた。
私は二人のQRコードを読み込んだ。
って、二人は仮にもたくさんの人の命を奪ってきた魔女なんだぞ。普通に繋がっちゃったけど大丈夫なの?特にアリスさん。
「てか、何で結局殺/すのに連絡先交換するんだし」
何気なく呟くと、ゆずはさんとアリスさんは顔を見合わせてプッと吹き出した。
「何がおかしいんだよ」
「いや。確かに言われてみればそうだよね。」
テーブルの上に鎮座する手付かずのチーズケーキを眺めながらそう言うアリスさんは、どこか悲しげな目をしている。
「仲良くなっちゃったら、殺/す時辛くなっちゃうのにね。」
「やっぱりりんねちゃんも殺/すつもりなのね。」
ゆずはさんにそう言われたアリスさんは、一瞬間を空けて、ゆっくりと頷いた。
「だってそうでしょ。売られた三十人は、一人残らず絶対に殺さないといけない。」
「……でも」
「自分の持ち場じゃないからって私情は挟まないで。りんねちゃんと妹さんを重ねちゃうんでしょ。」
「……はは、お見通しか」
ゆずはさんは自虐的に笑う。
そんな二人の会話を聞きながら、私は残りのチーズケーキを全て口に詰め込んだ。
……二人は人の命なんか簡単に奪えるような人なんだと思ってたけど、どうやら違うみたいだ。そりゃそうだよね、まだ成人するかしないかくらいの年齢でこんなことをしなきゃいけないなんて、平気な訳ない。
二人だって、まさか魔女に三十人の魂を売ったら、今度は自分が魔女になることになるなんて知らないで売ったんだろう。そう思うと可哀想に見えてくる。この連鎖を止める方法はないのかな。どうして魔女になった人はみんな、こんなに律儀に売られた人を殺していくんだろう。二人の会話からして、誰かに命令されてやってるようにも見える……。
この都市伝説についての情報を書き込むとそれはすぐに消されてしまうこと、大量に人が死んでもニュースや新聞で報道されないこと、真後ろに座ってさっきから私達の会話を聞いている大人は無反応なこと。こんなの普通じゃない。
『魔女は警察とか大統領とか、国の偉い人達とも繋がってるって噂だし。』
沙里と珠夏の言葉を思い出す。これはきっと事実だ。そして二人が真っ先に消されたのも、さっきアリスさんとゆずはさんが女子高生に会話を聞かれそうになったらまずいと言っていたことにも関係あるんだろう。
何で?何で高校生に知られたらまずいの?高校生……子供?
「りんねちゃん」
その声にはっとして顔を上げると、アリスさんとゆずはさんが私をじっと見ていた。真ん丸に見開かれた、カラコンが仕込まれているはずなのに、真っ黒な瞳。
「無駄なことは考えないで。そして、今日話したことや“何か気付いたこと”があっても、絶対に他人に話さないで。」
ゆずはさんがそう言うと、隣でスマホを弄っていたアリスさんが、無言でその画面を見せてきた。メモに『りんねちゃんは大人に見えなくもないからここで話せたの。子供が気付いたなんてバレたら、私があなたをすぐに殺さないといけない。だから絶対に誰にも言わないでね。家族にも、教師にも、友達にも、赤の他人にも。』
スマホの画面の奥にあるアリスさんの口元がにやりと三日月形に歪む。初めて会った時に見せたあの笑顔だった。
「……はい」
私は頷くしかなかった。
深く知り過ぎたら、やっぱり消されるんだ!
やっぱり殺/す気満々なんじゃん。……少しはいい人達かも、とか思ってたのに。
しばらく駄弁ってから、私達はドトールを出た。二人の後ろ姿を追い掛けて、涙を浮かべた瞳で思いっきり睨んでやった。
月曜、私は重い足取りで学校へ向かった。
学校の最寄り駅から歩いていると、誰かに肩を叩かれた。驚く気力もなかったので、ゆっくりと振り返る。
「りんね、おはよ。」
「しみず……」
私が力なく返すと、しみずは不思議そうな顔をして首を傾げた。
「りんね、元気ないね?」
「うん、ちょっとね」
しみずはまだ知らないんだ。むすびが死んだこと、ホームルームで聞かされるのかな。また吐いたらどうしよう。
アリスさんとゆずはさんに会った土曜日の夜から、ずっと吐き気が続いている。日曜は丸一日部屋から出られなかった。
むすびと戸川さんの姿が、声が、匂いが、頭にこびり付いて離れないのだ。
「でも久しぶりだな、今日は湯川さん居ないんだね」
「あー」
しみずに悪気は全くないって分かってる。でも思わず叫びたくなった。今はその名前を話題に出さないで。
「りんねと二人で喋れるの、久しぶりで嬉しいよう」
しみずはそう言って満面の笑みで私を見上げてきた。
「そうだね、そうだよ……」
ずっとむすびに邪魔されてたから、しみずと二人きりで喋るのは本当に久しぶりだ。まだ魔女なんかと無関係だった頃に戻ったみたいで、自然と視界が潤んでくる。
「ずっと不安だったの。もし私よりりんねが先に死んじゃったらどうしようって」
長く繊細な睫毛を伏せて、しみずは低い声でそう言った。どきりと心臓が脈打つ。
「都市伝説のこと、まだなんにも分かんないから、頑張って調べてたんだけど……。どれも曖昧な情報ばっかで、何も分からなかった」
「あ……」
そっか。しみずは弓槻にこのクラスが売られたことを言われただけで、後は何も知らないんだ。ほんとは魔法の力なんて存在しないことも、売られた私達を殺/す魔女の存在も、魔女が生まれる連鎖も。
話すべき?と思ったけど、やっぱり大切な友達を巻き込むことになるかもしれないのが怖かった。
「私も、よく分かんない」
私はわざと知らないフリをした。
しみずには、このままで居てほしい。
「今日の連絡は以上。それじゃ」
ホームルームが終わり、担任が教材を纏める。
「うわー、数学まぢ無理!」
「課題やってきた?写さしてよ」
「教科書忘れた〜」
クラスメイト達がざわめく中、私は机の下で握った手をわなわなと震わせた。
何で?担任はむすびの件に関して一切口に出さなかった。クラスメイトが死んだのに、何の報告もなしってそんなことある?しかもむすびが死んだのは金曜日だ。まだ情報が入ってきてないなんてこともないはず。
「……」
どんどんクラスメイトが死んでいくから、みんなを悲しませないようにわざと喋らなかっただけ?私は無言で教室から出ていこうとする担任の後ろ姿を睨み付ける。
「今日はあの三人休みなんだね」
誰かがふとそう呟いた。私は思わず声のした方を見る。
「あー。三人で遊んでんじゃね?」
「真面目そーだからサボらなさそうなのにねw」
「興味な。居ても居なくてもそんな変わらんし」
きゃははと甲高い笑い声を上げながら笑う。私は空白の席に視線を移していく。
岡田さん、倉野さん、むすび。むすびは分かるけど、岡田さんと倉野さんまで休みなんだ。
その時、ふとどこからか視線を感じた。思わず振り返って教室を見渡すと、不思議そうな顔をしたしみずと目が合う。
「どうしたの?」
「何でもない」
私は慌てて視線を戻した。しみずに余計な心配掛けちゃだめだ。
でも、何だろう。何か嫌な予感がする……。
次の日も、その次の日も、むすび達三人は姿を現さなかった。
むすびは当然だけど、岡田さんと倉野さんまで来ないなんておかしい。二人は今まで学校を休んだことはなかったし、サボるような性格でもなかった。
……まさかね。頭の中に浮かんできた最悪の事態を必死に取り払う。
たまたまだよね。だってもしそうだとしたら、アリスさんが私と会った後に二人を……したことになる。さすがにそんな酷い人じゃないよね。うん、ただの偶然だ。
が、ホームルームで担任から解き放たれた言葉で、一瞬で希望は絶たれた。
「えー、突然だが、岡田と倉野と湯川は転校することになった。」
「は?」
一瞬思考がフリーズする。私は思わず口をあんぐりと開けて固まった。
むすびが、『転校した』???
「それじゃー。気を付けて帰れよー」
担任はそれだけ言ってそそくさと教室から出ていってしまった。
「三人まとめて転校なんてある?」
「あそこ仲良かったしクラスでも馴染んでなかったからじゃない?」
「にしても急だよね〜」
クラスがざわつく中、私は一人で机とにらめっこしていた。
むすびは死んでるんだ、なのに転校なんて有り得ない。私はこの目で見たんだもん。
担任は、絶対嘘を吐いてる!
私はすぐに教室を飛び出し、女子トイレの一番奥の個室へ飛び込んだ。
呼出音が鳴るスマホを耳に当てて、カタカタと貧乏ゆすりをする。
しばらくして、気だるそうなアリスさんの声が聞こえてきた。
「もしもし。」
「酷いよ、何でまた殺/すの!」
私はすぐに声を抑えて浅ましく叫んだ。
「えぇ。何のことかな。」
それでもアリスさんはしらばっくれようとしている。
「また死んだんだよ。岡田さんと倉野さんが、転校したことになってる。」
「それはほんとに転校したんじゃないのかな。」
「違う……。むすびも転校したことになってんだよ」
私が言うと、アリスさんは「えっと。」と呟く。
「それはそうなるよ。でも待って。だとしたら岡田さんと倉野さんもそうなるのはおかしいよ。」
「?さっきから何言って……」
その次の瞬間放たれた言葉に、私は耳を疑った。
「だって私、その二人はまだ殺してないもの。」
『え……?』
二人の声が重なった。電話越しにアリスさんの息遣いが荒くなるのが聞こえる。
「私は殺してない。じゃあ誰がその二人を殺したの。」
「それってつまり、誰かがアリスさんの代わりに殺したってことになるんですか……?」
さっきとは違う、自然に脚がガクガクと震え出す。
「そういうことになるよね。」
そう言うアリスさんの声も少しだけ震えていた。
もしそれが本当だとするなら、一体誰が?何のために?
「他の魔女に何か知ってないか聞いてみる。ごめんね、連絡ありがとう。」
アリスさんはそう言うと、私の返事も待たずに通話を切ってしまった。
私はそっと耳からスマホを離し、そのまま膝の上に手を載せる。
魔女にうちのクラスを売ったのは、岡田さんと倉野さんじゃなかった!
心のどこかで疑ってたんだ。むすびがあんな風に言ったのは出任せだって頭では分かってた。でも本当に二人ならやるかもしれない、なんて思ってしまっていた。
何の証拠もないのにクラスメイトを疑うなんてサイテーだ。そして実際に死なないと疑いが晴れないなんて、もっと最悪だ……!
「なんだってんだよ」
ほんとに、うちのクラスが何したって言うんだよ。
暗い気持ちのままトイレから出ると、鏡の前に誰かが立っていた。
「あ」
鏡の前で頻りに前髪を直していたのは、真中ちゃんだった。
やば、いつからここにいたんだろ。今の会話、もしかして聞かれてた……?
「りんねちゃん、教室に鞄置きっぱだったよ?」
真中ちゃんはにこりと笑ってそう言う。
「ありがと。もしかして私の声聞こえてた?友達と電話しててさ」
さりげなく尋ねると、真中ちゃんはポーチからティントを取り出して唇に塗布しながら、
「んー?ずっと音楽聴いてたから聞こえなかったよ」
そう言って自分の耳を指差した。
確かに両の耳にAirPodsが差し込んである。
「ピアスのせいでさ、入れるの大変なんだよね〜」
そう言いながらティントの蓋を閉める真中ちゃん。
「よし!じゃあね、また明日!」
真中ちゃんは洗面台に置いてあった鞄を肩に掛け、手を振りながら階段を降りていった。
「バイバイ」
私も手を振り返した。
「はぁ……」
教室に戻ると、もうほとんどのクラスメイトが下校していた。唯一残っていたのはしみずだった。
「りんね!」
私の鞄を持って廊下に出てきたしみずは、それを私に渡してくれた。
「ありがと」
「うん、一緒に帰ろ〜」
私達は肩を並べて廊下を歩いた。
「はー、湯川さん達がまとめて転校なんてびっくりだよね」
しみずの言葉にびく、と肩が跳ね上がる。それを悟られないように肩を回して誤魔化した。
「転校先も同じ学校なのかなぁ」
笑顔でそう話すしみずを他所に、私の心臓はゆっくりと、どく、どくと音が聞こえる程強く脈打っていた。
玄関でローファーに履き替え、校舎を出ようとした時、ふと胸ポケットに入れていたスマホが振動した。
飛び付くようにスマホを取り出し、縋るように画面を見る。予想通りアリスさんからLINEが来ていた。
「りんね?」
不思議そうな顔でしみずが私を見る。
トーク画面には、『家に着いたら連絡くれないかな。電話したい。』と書かれていた。
「ごめんしみず、用事あったの忘れてたから先帰るね」
「あ、うん、分かった〜」
有難いことにしみずはそれ以上追求してこなかった。私は手を振ってガンダした。
最寄り駅に着いて地上へ出てすぐ、私はアリスさんに電話を掛けた。
『もしもし。』
アリスさんはすぐに出てくれた。
「もう最寄りなんで大丈夫です、何か分かりましたか?」
そう尋ねると、アリスさんは弱々しい声で、
『誰も何も知らないって。それどころかちゃんと私が殺したことになってた。』
「そんな……」
僅かな希望は一瞬で打ち絶たれた。
『もし私じゃないってバレたら、きっと私は処分される。りんねちゃんには先にさよならを言っておくね。』
「そんなのいいから早く犯人を――ちょっと待ってください」
私は電柱の前できょろきょろと周りを見回している女の子を見て、ふと足を止めた。
黒髪のシースルーバングに、軽く巻かれたポニーテール。面識のない顔だったけど、その制服は今まで死ぬほど見てきた。
「城雲高校の子だ……」
『え?』
アリスさんがそう呟く。そしてその女の子とふと目が合った。
「あ」
何故かその子は私を見た途端こちらに駆け寄ってきた。狼狽えていると、その子はいきなり頭を下げてきた。
「すみません、白いボブの女の人の連絡先とかって分かりませんか!?」
いきなりそんなことを言い出した。
「え、えっと?」
白いボブ、って、確実にアリスさんのことだよね。
「困ってるんです、ほんとにお願いします!一昨日その人と一緒に歩いてたでしょ?」
知らないふりをしようとしたけど、どうやら私達が知り合いなのはもうバレてるみたいだ。
電話は繋がりっぱなしだし、ミュートにもしてないからきっとアリスさんにも筒抜けだろう。でもどうしてこの子はアリスさんを探してるの?
「勝手に個人情報教えるのはちょっと、」
「お願いします、信じてもらえないかもしれないけど、友達があの人に殺されたかもしれないんです……!」
この子、もしかして戸川さんに売られた人達の友達?
「それってどういうことですか?」
思わず尋ねてしまう。
「一ヶ月くらい前、友達と駅のホームでティックトックを撮ってたんです。私は反対側のホームから友達を撮ってたんですけど、そしたらその子が急に線路に飛び込んで……。後から動画を見たら、白いボブの女の人が友達のスマホを奪って線路に投げ捨ててたんです。多分反射的に拾おうとして、そのまま……。」
「あ」
あの日だ。私が乗ってた電車で起きた人身事故のことだ。
「警察に証拠の動画を渡しても取り合ってくれないし、焦ってつい友達に送ったらツイートされて、でもすぐに消されたんです。後からフォロワーが多い友達に頼んでまた拡散してもらってもすぐに削除されて。
お願いします、名前だけでも教えてください!」
「な、名前くらいなら……」
別にそれくらい教えてもアリスさんは困らないだろうし。こんなに切実そうなんだから、名前くらいならいいよね。
「関口アリスさんです。でも私もそんなに親しいわけじゃないし、また待ち伏せしたりするのはやめてもらえると嬉しいです」
私がそう言うと、その子は泣きそうな顔で、
「ありがとうございます、突然声掛けてすみませんでした。じゃあ」
そう言って何度も頭を下げて、駅の階段を下っていった。
『勝手に名前教えちゃうなんて酷いよ、りんねちゃん。』
「すみません、でもちょっと同情しちゃって」
『でも別にいいよ。あれ本名じゃないから。』
「は?何それ」
何だそれ、私が嘘吐いたってことになるじゃん。グルだと思われたら嫌だなぁ。
「まぁいいけど。でも大丈夫ですか?顔覚えられてるみたいだし、見付け出されて刺されるかもしれませんよ」
ちょっとだけ脅してやると、アリスさんは「それは困るなぁ。」と笑った。
『それより、問題はりんねちゃんのクラスメイトを殺した人が分からないことだよ。どうしよう、関係者じゃないなら大変なことになる。』
そう言うアリスさんの息遣いは荒くなっている。
「とにかく、どうにかして探し出しましょ。また誰かが殺されるかもしれないですから。」
私はそっと手を握り締めた。
また、探さなきゃいけない“犯人”が増えてしまった。
「えー、古谷が留学することになった。」
「下館と柏木が退学することになった。」
「間宮がしばらく休学することになった。」
「矢田と山本が――」
それから、どんどんクラスメイトが教室から消えていった。その理由は様々だったけど、きっと本当の理由はみんな同じだ。
教室から消えたクラスメイトは途端に連絡も途絶えてしまったので、流石にクラスメイト達も不審に思い始めたらしい。教室の雰囲気はクラスメイトが一人減る度に暗くなっていった。
「何でうちのクラスだけ?」
「絶対おかしいよね……」
「もう半分くらいしか居ないじゃん。」
「何も言わないまま居なくなるなんて有り得ない。それに何でLINEも返してくれないの?」
やっぱりみんなも気付き始めたか。そりゃそうだよね、このクラスばっかり転校や留学なんて絶対おかしいよね。
この中に、全ての真実を知っている、このクラスを魔女に売った犯人が混ざってるんだ。
そして、もしかしたらクラスメイトを魔女のふりをして殺していっている人も居るのかもしれない。
あの子は怖がってるふりをしてるだけ?あの子は嘘泣き?あの子は全部気付いてるかもしれない。
私はクラスメイトを疑いの目でしか見れなくなっていた。
憂鬱な気持ちのままテスト期間に入り、それからは何も起きないまま終わった。
勉強する気にもなれなかった私は、当然最悪の結果をクラスメイトの前で公開処刑される羽目になった。
「首藤、どの教科も最下位ってどうなってるんだ?」
担任は呆れながら成績表を私に渡した。私は無言でそれを受け取り、見る気力もないのですぐにクリアファイルに挟んだ。
もう担任なんて信じられない。他の教師だって、きっと真実を知ってるはずなんだから。
周りの大人も、みんなみんな信用出来ない。
そして私は確信した。
テスト期間は何も起こらなかったってことは、消えたクラスメイト達を殺して回ってるのは、この学校の人間だ。そしてそれは、多分……このクラスの生徒だ。
「誰なんだよ……」
教室に居ることが苦痛だった。
そんな風に思ったのは、生まれて初めてだった。
「すみませーん、首藤さん居ますかー?」
突然知らない生徒がそう言いながら教室に顔を覗かせた。
首藤、って、私しか居ないよね。
「何ですか?」
立ち上がって駆け寄ると、その生徒は「外で呼んでるよ」と言って手招きしてきた。
言われるままに黙って着いていくと、洗面所の前に誰かが立っている。
その子を見て、私は思わず小さな声で尋ねてしまった。
「あの、人違いじゃないですか?」
「えー?でも首藤りんねってあなたでしょ?ほら、連れてきたよ、じゃあね!」
そう言われて振り返ったその子は、にこりと笑って後れ毛を耳にかけた。
「会いたかった。」
そして柔らかい声色でそう言った。
「え、えぇ?」
思わず素っ頓狂な声を上げてしまう。それでもその子は微笑んだまま。
「橘奈那(たちばななな)。同じクラスなんだけど、分からないか」
「ああ、はい……」
名前は初めて知ったけど、確かにこの子は同じクラスの子だ。バージンヘアと思われる漆黒のロングヘアを巻いたツインテールに、茶色い三白眼。下まつ毛が長くて、少しだけ丸い団子鼻。そして目を引く真っ白な肌に浮かぶ、さくらんぼ色のグロスを塗った唇。
間違いない。たまにしか学校に来ないあの子だ。
「ええと、どうかしたの?」
尋ねると、橘さんは恥ずかしそうに口を横に広げて、
「私と喋ってたら首藤さんまで誤解されちゃうよね。後で連絡したいからLINE教えてくれない?」
「別にいいけど、何で誤解なんてされるの?」
そう言いつつスマホを取り出すと、橘さんは大きな目を更に大きく見開いた。
「……え?だって私、みんなに……」
「え?」
しん、と二人の間に沈黙が訪れる。私達はしばらく見詰め合った後、同時に視線を逸らした。
「いや、知らないならいいけど……」
気まずそうにスマホを両手で握る橘さん。
「何かあったの?」
思わず訊くと、橘さんは一瞬間をあけて、あははとわざとらしく笑った。
「な、なぁんだ。てっきりもう気付いてんのかと思ってたぁ……」
「……」
一頻り笑った後、橘さんは深呼吸して、
「私が援交してるって噂、ほんとに知らなかったの?」
にこりと微笑んで首を傾げたけど、その表情にはどこか影があった。
「えん、こう……?何それ、知らない」
「ほんとに?」
橘さんは疑り深く私を見るけど、本当にそんな噂なんて聞いたことなかった。
「その噂ってさ。本当、なの?」
恐る恐る訊いてみると、橘さんはわざとらしく意地悪い顔をした。
「さぁね。でもこれで気付いたでしょ?」
「何が?」
どきんどきんと心臓が脈打つ速度を上げていく。
「私はこの噂を流して私を白い目で見てきたクラスの子達を恨んでるのよ。この意味、分かるよね?」
「な、何で」
声が震える。
「ほんとに知らなかったの?誰かが気付いたら真っ先に疑われると思ったのになぁー。」
橘さんはくるりとUターンし、背中越しに私を見据えた。
「一年B組を魔女に売ったのは、私だよ。」
耳ではその言葉をちゃんと聞き取れたのに、頭ではよく理解出来なかった。
いや、理解したくなかっただけかもしれない。
「!」
気が付いたら、私は廊下に倒れ込んでいた。
ゆっくりと目を開ける。真っ先に目に入ってきたのは真っ白な天井。そして私を取り囲む淡いピンクのカーテン。
「あ、起きた?」
そして私の顔を覗き込むように見下ろす、橘さん。黒いツインテールの毛先が私の顔を擽った。
「カミングアウトしたら急に倒れちゃったからびっくりした。そんなにショックだった?」
そうか、橘さんに自分が犯人だってことを打ち明けられたら、急にフラついて倒れたんだっけ。
覚えてる。倒れる瞬間、この数ヶ月で見た色んな風景が頭の中を過ぎった。
沙里と珠夏の最後の笑顔。魔女に近付くに連れどんどん変わってしまったむすび。私を見ながら自分を刺し殺した戸川さん。泣きそうな顔の弓槻のお婆ちゃん。私に相談出来ないまま死んじゃった弓槻。
全部全部、この子が魔女なんかに売らなければ起きなかったんだ。顔がどんどん熱くなっていく。
「よくそんなのこのこと出てこれたよね。神経疑うわ」
小さな声でそう言うと、橘さんは寂しそうな顔をしながらぐしゃりと笑った。
「もっと。もっと言いなよ。私に言いたいことたくさんあるんでしょ?」
「…………」
何がしたいんだろ、この子。責めてほしいの?それとも許してほしいの?何の為に名乗ってきたの?それにどうして私が気付いてたって分かったの?
「謝れよ。今まで死んだみんなに謝れ。それから今からでも取り消せよ。何で売ったりしたんだよ。」
「……ほんとに何も知らなかったんだね、首藤さんって。」
「だから何が――」
「クラスのみんなが私が援交してるって噂流したんだよ。酷いでしょ、みんなして私を汚い目で見るんだもん。」
橘さんはギリリと歯ぎしりする。
「んだよそれ、私はみんなが橘さんを笑ってるとこなんて見たことなかったけど」
「首藤さんは見て見ぬふりしてただけじゃないの?」
橘さんはにやりと笑う。
「ほんとに知らなかったの?思い出してよ、入学してすぐのこと」
「は……?」
入学した頃なんて、もう半年近く経ってるし覚えてる訳な……
「あ、もしかして、」
私がふと呟くと、それを聞いた橘さんはまたにやりと笑う。
「ほら。『あの子中学の時人の彼氏取ってばっかだったんだよ』って。」
「あ」
確かにそんな話を聞いた気がする。
入学してすぐ、もう既にグループが出来始めていた頃。
『あの子中学の時人の彼氏取ってばっかだったんだよ。』
確かにそんな噂を耳にした。
でも私は、ここは女子校だしそれが事実だとしても関係ないと思ってすぐに忘れてしまった。
それからしばらくして、橘さんは学校を休みがちになった。
「ね。首藤さんは忘れてたかもしれないけど、ずっとずっと私はみんなから避けられて陰口もたくさん言われてきた。……根も葉もない嘘なのに。」
言葉が出なかった。ずっとこのクラスはみんな仲が良くていじめなんて絶対にないって信じてたから。
「じゃあ、ほんとに」
消え入りそうな声で呟いた。
「何で、私に話したの」
橘さんはつまらなそうな顔をしてカーテンを弄る。
「クラスを売った犯人を探してる子が居るって知って、嬉しかったの。私を嘲笑ってたクラスメイトが、やっと反省して謝ってくれると思ってたの。でも違ったね、首藤さんは私を笑ってなかったけど、見てすらいなかったんだからね」
「それは、アリスさんから聞いたの……?」
「アリス?ああ、そう。」
「今アリスさんの代わりにクラスメイトを殺してるのも橘さんなの?」
「……それは残念だけど違うよ。あの魔女も必死に探してるみたいね。まぁ私はみんなが死んでくれれば誰でもいいけど」
「……なんなんだよ」
私は橘さんの視線から逃れるように頭まで布団を被った。
うちのクラスを売った犯人がようやく見付かったのに。なのに責め立てる気になれなかった。だってクラスメイトを恨むようなクラスメイトなんて存在しないと思ってたんだもん。恨んでないのにどうして売ったの?って問い詰めることは出来ても、実際にいじめ紛いなことをされてた子に問い詰めたって「いじめられたから」って返ってくるだけだ。
あれ、私、何でこんなに必死になって犯人探してたんだっけ。ただ見付けて責めたいだけじゃなかったはずだ。もっと大切な理由があったはずなのに――
「……弓槻」
そうだ、元々犯人を必死になって探してたのは弓槻だった。他人の願いを叶える為に死ぬなんて嫌だって思ったけど、実際は魔法の力なんて手に入る訳じゃなかったし。それに弓槻は姉が同じようにして殺されたと思って真実を突き止めようとしてたけど、その姉は生きてたんだから、もう良かったんじゃないか。
「何の為にここまで……」
バカみたいだ。私はどこに向かってこんなに必死になってたんだろう。
「なんかもういいや。早く殺してよ」
疲れた。
みんなで教室で笑い合ったり、友達と休日遊びに行ったり、そんな楽しかったあの日々が返ってこないなら、もういっそのこと死んでしまいたい。でもそれを口に出すことは出来なかった。クラスのみんなから虐げられてきた橘さんにそんなことを言ったら、きっと傷付けてしまうことになる。
「ごめん、首藤さんは何も悪くなかったのに巻き込んじゃって。謝っても許せるようなことじゃないか」
橘さんはそう言いながら決まり悪そうに髪を指にくるくると巻く。その態度に少しだけ腹が立った。
「何だよ今更――」
その時、枕の横に置かれていた私のスマホが振動した。
画面を見ると、しみずからの着信だった。
「……もしもし」
『りんね、大丈夫?もうすぐ授業始まるけどどこに居るの?』
「ああ、今保健室に居る」
『えぇ!?具合は大丈夫なの?』
「うん、もう平気だよ」
そう答えると、しみずは安堵の息を漏らして「良かったぁ」と言った。
『まだしばらく休んでる?そしたら先生に伝えとくけど』
「あ、頼むわ、助かる」
『任せてよぅ』
しみずはそう言ってから、何かを思い出したように「あ」と呟いた。
『具合悪いんだったらちゃんと寝ててよぅ、無理しちゃだめだからね』
「分かったって、お母さんかよ」
『もう!じゃあね!』
茶化してやると、しみずは少し怒り気味にそう言って電話を切った。
「はぁ。」
スマホを胸ポケットに入れていると、私をじっと見ていた橘さんと目が合った。
「何だよ」
「いや。何でもない」
「……?」
何だよ、じゃあじろじろ見るなっての。
「はぁ、教室戻ろっかな」
しみずにはちゃんと寝てろって言われたけど、もうそこまで調子悪くないし。ただの貧血だろうから授業くらいは受けられるでしょ。
「保健の先生は?」
「居ないよ。会議があるんだって」
「ふーん。ごめん、何か付き添ってもらっちゃって。私は教室戻るけど橘さんはどうする?」
一応尋ねてみると、橘さんはうーんと頭を悩ませて、
「私はいいや。ねぇ、首藤さんも一緒にサボろーよ」
どこか寂しそうな笑顔でそう言った。私はその表情を見て、「やだ」なんて言えなかった。
「いいよ。でもサボって何すんの?」
「それは、……待って。静かに」
橘さんはそう言って、カーテンの外に顔だけ出した。
「……何か聞こえない?」
橘さんはそう言うけど、私には何も聞こえなかった。
「待って、これって」
橘さんがそう言った次の瞬間。
耳を劈くような大きな爆発音が、私の鼓膜を突き破った。
思わず耳を塞いだ。体が大きく揺れる。いや、これは校舎自体が揺れているんだ。地震かと思ったけど、その揺れはすぐに収まってしまった。
「何?今の音」
口からやっとの思いで出てきたその声は、震えた掠れ声で自分でもよく聞き取れなかった。
そしてすぐに火災報知器が鳴り始める。
「……避難しなきゃ!」
私は橘さんと一緒に保健室を飛び出した。
廊下に出ると、たくさんの生徒達が流れるように校舎から出ていく。その波に乗りながら外に出て、校舎を見上げる。
「……嘘でしょ」
どうやら爆発音の原因は四階の教室らしい。窓にヒビが入っていつ割れて落下してきてもおかしくない状況だった。真っ黒な煙のせいでその教室の中の様子は全く見えない。
「待って、あそこって、」
隣で同じように校舎を見上げていた橘さんが、その教室を指差す。
「あそこ、今うちのクラスが授業してるんじゃない……?」
「……ヱ」
たった一言発するだけなのに、舌が上手く回らなかった。私は文字にすらならない声を出して、地面に座り込んだ。
嘘だ、そんな。でも確かに今は英語の授業をしている最中だから、あの教室で間違いない――
「早く!早く避難!」
怒声を上げる教師達を見て、橘さんが私の腕を引っ張った。半ば引きずられるようにして校庭へ向かう。
「しみずが、しみず、が、みんなが」
顎が外れそうなくらいガクガクと震えた。そのせいで舌を噛んだ。じんわりと暖かい血の味が口の中に広がっていく。
「ちゃんと訓練の時みたく並べ!1-Bは二人だけか!?」
他のクラスや他学年の生徒達が異様に短い一年B組の列をじろじろと見ている。
「ぅゎぁぁぁ」
私は声を漏らして浅ましく泣き叫んだ。
サイレンの音が鳴り響き、すぐに消火と救助活動が行われる。担架に乗せられ運ばれていくクラスメイト達の姿を見て、私は瞬きも出来なかった。
皮膚が欠けた白い脚や、指の数がおかしい手。呻き声のようなものもたまに聞こえてくる。ずっと見ていたら頭がおかしくなりそうだったけど、目を離すことが出来なかった。
カチカチと歯を鳴らしながら指を噛んでいると、 校庭に消防隊員と小柄な生徒が駆け込んでくる。
「トイレに居て逃げ遅れたみたいで……」
消防隊員は教師に何やら手短に説明して、すぐに校舎へ戻って行った。
がくがくと震えるその生徒の顔を見て、私は思わず息を飲み込んだ。
「し、み、ず」
一文字一文字をやっとの思いで紡いでその名前を口にした。
「……りんね!」
涙でぐちゃぐちゃになった顔を私に向けるしみず。その途端しみずはその場に泣き崩れた。
わぁわぁと人目もはばからず泣きじゃくるしみずに這うように近付く。私も声を漏らして泣いた。
しみずが生きてた。
でも、他のクラスのみんなは?
それから数十分が経ち、他のクラスメイトが戻ってくることはなかった。
それからしばらく休校が続いた。
犠牲者の数は明かされず、当然のようにニュースにもならなかった。ただ申し訳程度に新聞の端の方には載っていたらしく、他のクラスの誰かがストーリーに載っけてた。
あの爆発は誰の仕業だったんだろう。アリスさん?それともクラスメイトを殺して回ってた誰か?それとも橘さんだろうか。
分からないけど、きっと私としみずと橘さん以外のクラスメイトは全員死んだ。学校からは詳しいことは何も教えてもらえなかったから、詳しいことは何も分からないままだ。
「はぁ……」
深い深い溜め息をお腹の底から吐き出した。
ベッドの上から動けない。たまにインスタやTwitterを眺めるだけで意味もなく過ぎていく時間。
「疲れたなぁ……」
天井を仰ぎながら溜め息混じりにそう呟くと、ベッドの隅に転がっていたスマホが振動し出した。
「……え?」
通知画面を見て私は思わず口をあんぐりと開けて固まった。
「な、何で!?」
私は慌ててスマホを操作し、その通知を開いた。
「え……?」
ずっと動いていなかったクラスラインが動いていた。
『ねぇ、誰か居ない?』
そうメッセージを残していたのは、真中ちゃんだった。
「うぅぅ」
その画面を見た途端、私は思わず声を漏らして泣き出した。スマホを両手で握って、液晶画面にぽたぽたと数滴の涙を垂らす。
もうあの時教室に居たクラスメイト達はみんなだめだと思ってた。でも全員が死んだわけじゃなかったんだ。真中ちゃんは生きてたんだ!
私は無我夢中で文字を入力する。
『真中ちゃん、怪我は大丈夫なの?』
何より先に訊きたかったことを送信した。するとすぐに既読が付き、返信が来る。
『スマホ打てるくらいには平気だよ!
個チャ行ってもいい?』
それを見て、私は真中ちゃんとの個チャに返事を送った。
『良かった、今は病院?』
『そ、入院中
何か手術もしたみたいだけど全然記憶ないww
りんねちゃんはどこの病院なの?』
『あ、私は保健室居たから怪我はしてなかったんだよね、』
『そうなんだ!よかったよかった。』
何だか申し訳ない気持ちになった。
『他のクラスの子達から何か連絡あった?』
『今のとこ真中ちゃんだけだよ
あ、でもしみずと橘さんは教室に居なかったから無事だったよ』
そう送った途端、さっきまですぐに返信が来ていたのに、いきなりぴたりと止まってしまった。
どうしたんだろう、既読は付いてるのに。もしかして急に様態が悪くなったとか……?
嫌な予感がしてたけど、私が返信してから三分後に返信が来た。
『橘さんって奈那のことだよね?』
『うん』
『え、あの日奈那学校来てたの?』
『来てたよ、授業には出てなかったっぽいけど』
『何でりんねちゃんが知ってるの?もしかして事故があった時一緒に居たの?』
『え、うん』
何だろう、真中ちゃんの文面はどこか焦ってるように見える。
『奈那、何か話してた?』
『別に何も話してないよ?』
『誰かに何かされた、みたいこと言ってなかった?』
『え、別になかったけど』
そう返信した後に、ふと橘さんが根も葉もない噂を流されたせいで学校に来れなくなった話を思い出した。「誰かに何かされたみたいなこと」って、その話のことだろうか。
真中ちゃんは何か知っててこんなことを訊いたんだろうか。クラスメイトだしあの噂を知らないなんてこともないだろうけど。
『橘さんと何かあったの?』
何気なく尋ねると、真中ちゃんは、
『いや、変な噂とか聞いたことあったから気になっただけ。
ごめん、変なこと聞いて』
と返信してきた。
そうだよね、クラスメイトがあんな噂立てられてたら気になるに決まってるよね。やっぱり真中ちゃんは優しいんだなぁ。
『病院暇だし良ければまた話そ!』
『うん、お大事にね』
私はそう返信してスマホを閉じた。
真中ちゃんが生きてて良かった。もしかしたら他のクラスメイトもまだ生きてる子が居るかもしれない。諦めちゃだめだ!
その時、またスマホが振動し出した。今度は誰かからの着信だった。
画面を見ると、アリスさんからだった。
「もしもし」
『……もしもし。』
少しやつれたような弱々しい声が出てきた。
「どうかしたんですか?」
『りんねちゃんの学校で爆発事故が起きたって聞いて。』
アリスさんはゆっくりとそう言った。そこで私はふと違和感を感じた。
「アリスさん、体調大丈夫ですか?」
『あー、ごめん。最近ずっと吐いてたから喉痛くて声変かも。』
「いや、それは大丈夫ですけど……」
やっぱり。何かいつもと声が違うと思ったんだ。がらがらしていてまるで風邪でも引いてるみたいな声だった。ずっと吐いてたって、体調不良の原因はやっぱりうちのクラスだろうか。きっと毎日死に物狂いで犯人を探してるんだろうな。
『りんねちゃんが無事で良かったよ。他に生き残った人って居るのかな。』
「居ますよ。今分かってるのは三人だけですが」
『そっか。爆発の原因が何で誰のせいなのかは分からないよね。』
「はい、でもうちのクラスを売った子が名乗り出てくれましたよ。橘奈那ですよね。」
私が言うと、アリスさんは小さな声で笑った。
『ああ、あの子ってそんな名前だったんだ。知らなかった。』
「はぁ?黒髪ロングの子ですよ!ツインテールの……」
『取り引きの時しか会わなかったからよく覚えてないけど、その子で間違いないと思うよ。』
「いやいやいやちゃんと会ってくださいよw」
こんな大事な秘密を共有している仲なのに名前すら知らないなんて。そう言えば橘さんもアリスさんの名前を聞いてもピンと来てない様子だったっけ。
『でも一応連絡は取ってるよ。多分りんねちゃんに名乗り出たのも私がりんねちゃんのこと話したからだと思う。やっと誰かが反省してくれたって喜んでたよ。言ったでしょ、案外自分が周りが見えてないだけかもしれないって。 』
「……はい。悔しいけどそうでした」
私がそう言うと、アリスさんはまた小さな声で笑う。
『りんねちゃんって素直だよね。悪意がないって言うか。』
「は?馬鹿にしてるんですか?」
『してないしてない。褒めてるんだよ。だから奈那ちゃんもりんねちゃんのこと許せたんじゃないかな。』
アリスさんは笑いながらそう言う。
「許せたって?」
『ああ。昨日事故があった日にりんねちゃんに会ったって聞いて。『他のクラスメイトはまだ許せないけど、首藤さんは噂のこと覚えてすらなかったから、許したい』って言ってたよ。』
「許したところで、結局私は殺されるんですけどね」
嫌味混じりにそう言ってやると、アリスさんは『そうだね。』とくすくす笑った。
『でもりんねちゃんは殺せないよ。“私はね”。』
「?何それ」
私が返すと、アリスさんは『私はだけどね。』と言ってすぐに話題を変えた。
『そうだ。事故があった時、りんねちゃんと奈那ちゃんは教室に居なくて無事だったんだよね。すごい偶然だよね。あの爆発事故に奈那ちゃんも私も関わってないのに。』
「確かに。あの時しみずにちゃんと休んでなって言われてなければ、教室戻ってたかもなぁ……」
『そっか。その子には感謝しなきゃね。生きてたらお礼言えたのにね。』
「いや、しみずは生きてますよ。しみずはちょうどトイレに行ってたみたいで、もう一人生きてた真中ちゃんって子は怪我はしたけどさっきまでLINEしてましたし。多分他にも生きてる子が居るかもしれないし……」
『そのしみずちゃん、怪しくないかな。』
アリスさんのその一言で、一瞬で全身が凍り付いたように硬直した。汗ばんで滑り落ちそうなスマホを持つ指が上手く動かない。私はもう片方の手でそれを持ち直して、乾いた笑い声を漏らす。
「ははっ、何言ってんすか。しみずがあんなこと出来るわけないっしょ……」
自分でもびっくりするくらいおかしな声が唇の隙間から漏れ出す。まるで五時間カラオケした後の声みたいだ。
『しみずちゃんはりんねちゃんのお友達なのかな。』
「しみずはあんなことしない。それは私が一番分かってますから。会ったこともないアリスさんに疑われるような筋合いありませんよ」
久しぶりにアリスさんに対して怒りの感情が湧き上がってきた。しみずのこと何も知らないのに分かったような口をきかないでほしい。しみずはクラスの誰よりもクラスのみんなに優しかった。橘さんの噂話だって口にしたことは一度もなかった。一番一緒に居る時間が長かった私でさえ、しみずが誰かの悪口を口にしているところなんて一度も見たことがなかった。
『そっか。二人は仲良しなんだね。ごめんね、でも今一番怪しいのはその子だよ。爆発事故の時にたまたま教室に居なかった、なんて都合良すぎると思わないかな。』
「それ言ったら私と橘さんだって怪しいじゃん……」
『でも二人は違う。でしょ。』
「っ」
何も言い返せなかった。
「でももししみずを疑うなら、私は橘さんやアリスさんのことも疑います。」
『でもりんねちゃんは、あの時奈那ちゃんと一緒に居たんでしょ?』
「そんなのいくらでも細工できるじゃないですか!橘さんは教室に戻りたがらなかったし、それって自分は巻き込まれたくないからなんじゃないですか?」
『奈那ちゃんが教室に入るのにどれだけ勇気がいるのか、りんねちゃんには分からないんだね。』
まるでバカにされてるかのような口調にイラついてくる。
「……は?じゃあアリスさんには分かるんですか?」
橘さんと一回しか会ったこともないくせに。名前すら知らなかったくせに。
『分かるよ。私がそうだったから。だって魔女に救済を求めた者同士だもの。会ったことない他の魔女の気持ちだって分かる。』
「んなこと、」
『ごめんね。でも私は私情は挟んでないつもりだよ。それにしてもしみずちゃんは怪しいと思う。充分疑われるような言動をしてると思う。』
「そんなの、アリスさんがしみずと関わりないからじゃないですか。」
『りんねちゃんこそ、友達だからって目を背けてないかな。』
ギク、と心臓辺りに柔らかい何かを突き刺されたような感覚になる。
分かってるし。クラスメイトの誰しもが疑いの対象になりうるって頭では分かってる。でも、それでもしみずは絶対に違う。
『しみずちゃんがりんねちゃんに教室に戻らないように言ったのも、友達だから巻き込みたくなかったんじゃないかな。』
「は?だったら最初からクラス売ったりしないでしょ?」
『何言ってるの、クラスを売ったのは奈那ちゃんでしょ。』
「じゃあ何でわざわざ他の誰かがみんなを殺してってたんだよ」
『……待って。それだよ。何で今まで気付かなかったんだろ。』
「……何言ってんですか?」
『りんねちゃんのクラスを売った子が、もう一人居たってことなんじゃないのかな。』
「そんなの、まさか」
うちのクラスを魔女に売ったクラスメイトがもう一人居るってこと?
「それがしみずだって言いたいのかよ」
『……しみずちゃんか、真中ちゃんか。他に生きてる子がまだ居るとしたら、その子達も容疑者になりうるよね。』
「怖い思いして怪我までしてる子まで疑うなんて無理だよ」
『死んだ子にだって可能性はあるよ。』
「そんなのもっと出来ないじゃん!分かれよ!」
『今は犯人に情けをかけてる場合じゃないよ。』
「……はっ、犯人が見付からなくて困るのはアリスさんだけでしょ。結局死ぬんだったらもう私は別に誰が何してようがどうでもいいし。犯人じゃないかもしれない子を疑うくらいなら何も知らないまま死んだ方がマシ」
息を吸うことも忘れて一気に言葉を吐き出すと、アリスさんは黙り込んでしまった。
「……私は、クラスを売った子は橘さんだけだと思いますから」
『……分かった。でももし他に生き残った子が分かったりしたら連絡して。あの爆発も私がしたってことになると思うから。』
「……分かりました。」
私がそう言うと、アリスさんは無言で通話を終了させた。
苛立ちが残ったままベッドに身を投げ出す。
アリスさんの言葉が妙に頭から離れなかった。
「犯人がもう一人居る」か。
有り得ない話ではないんだろうけど、せっかく生きててくれたクラスメイトや無関係かもしれないのに巻き込まれて死んだクラスメイトを疑うなんて無理。
「はぁ」
クラスメイトがたくさん死んでるのに涙も出ない自分が嫌になった。感覚が麻痺してるのか、自分が他人が死んでも悲しめない人間なのか。
噂が流れ始めたあの時、みんなに「そんな噂話やめなよ」とでも言ってればこんなことにならなかったのかもしれない。
「あー、自業自得だな」
橘さんにとって、噂話をしてたクラスメイトも、見て見ぬふりをしてた私も大して変わらなかったのかもしれない。許してはくれたみたいだけど、クラスを売ったってことは少なからず私のこともよく思ってなかったからだろうし。
もう誰も責められないよ。
アリスさんももう一人の犯人も、さっさと私を殺してくれればいいのに。
「疲れたぁ……」
溜め息と同時に漏れ出した言葉と共に、零れた涙がシーツを濡らした。
けたたましく鳴り響くスマホのバイブレーションで目が覚めた。寝起きの頭に鳴り響くその音に飛び起きてスマホを見る。
「え……?」
夥しい量の不在着信。しかも全部同じ人からだった。
「ゆずは、さん?」
未だに鳴り響くスマホの画面には「弓槻ゆずは」の文字。
「もしもし?」
『りんねちゃん!やっと出てくれた!』
息を切らしたゆずはさんの声がダイレクトに頭の中に響いてきた。寝起きでぼーっとしていた頭が一気に覚める。
「何かあったんですか?」
欠伸をしながら尋ねると、ゆずはさんは慌てた様子で、
『りんねちゃん、お婆ちゃんから貰ったノート、私にくれない?』
いきなりそんなことを言い出した。
「え、お婆ちゃんから貰ったノートって、弓槻の数学の?」
『そう。今からそっち行くから住所教えて』
「ちょっと待ってくださいよ、いきなりそんなこと言われても……」
弓槻がお婆ちゃんに私に渡すように託したノート。ただの計算式が書かれたノートだったけど、弓槻が「自分に何かあったら私に渡せ」って言ったってことは、きっと何か意味があるはずだ。いくら弓槻の姉だからって簡単にゆずはさんに渡せない。
『お願い。あれは元々私のものなの。』
「え……?」
あのノートがゆずはさんの物?
「そんなの信じられませんよ、だって弓槻はお婆さんに私に渡してって言ったんですよ?」
『それはゆずかが私が死んだと思ってたからでしょ。私は生きてるんだから、あのノートは私が持ってるべきなの。』
切羽詰まった様子のゆずはさんの声色に、私はごくりと唾を飲み込む。
「……あのノート、何なんですか」
ゆずはさんにバレないように、音を立てないように、机の上に置いてあったノートに手を伸ばす。ページを捲ってみたけど、やっぱりただの計算式が並んでるだけだった。
こんなに必死になるなんて、そんなに大事なノートなの?やっぱりどこかに何か重要なことが書かれてるんじゃないの……?
目を凝らして必死にノートを見回していると、ゆずはさんが震えた低い声でぽつりと何かを呟いた。
「え?」
私はそれが聞き取れなくて聞き返した。いや、聞き取れはしたけど、頭では理解が出来なかった。
『……お婆ちゃんが、亡くなったの』
二度目の言葉で、それは鮮明に頭の中に溶け込んでいく。
「……は?」
ばさりと派手な音を立ててノートが手から滑り落ちた。
『さっき。買い物中に倒れて病院に運ばれて、私の目の前で亡くなったの。』
「目の前で、って」
『お婆ちゃんに会いに行ったのよ』
「え……」
スマホも手から滑り落ちてフローリングの床にごつりと跳ね返った。
『りんねちゃん?』
小さな小さな声がスピーカーから聞こえてくる。
「す、すみません」
慌ててスマホを拾う。
『りんねちゃんに言われたことがどうしても忘れられなくてね。でもどうしても勇気が出なくて会いに行けてなかったの。来月の二日がお婆ちゃんの誕生日だったから、その日に会いに行こうって決めてたらこんなことになっちゃった。ベッドに横たわるお婆ちゃんに私が認識出来てたかどうか分からないけど、きっと私だって分かってたと思う。『おかえり』って言ってくれたの』
ゆずはさんは震える声でそう言いながら鼻を何度も啜った。
私の心には、ぽっかりと大きな黒い穴が空いていた。
「弓槻のお婆ちゃんが亡くなったなら、もうほんとに私の目的は何も無くなっちゃったよ。ただ死ぬのを待つだけだ」
ははは、と乾いた笑いが出てくる。
「ゆずはさんが生きてて、弓槻のお婆ちゃんが死んじゃったなら、もうほんとに私には何も無い」
『りんねちゃん!』
ゆずはさんの声にはっと我に返る。
『もしかして、お婆ちゃんに何か言われたの……?』
「……弓槻の死について何か分かったことがあったら教えてほしいって言われてて」
私がそう言うと、ガチャンと耳を劈くような雑音が頭に鳴り響いた。今度はゆずはさんがスマホを落としたのだ。
『そんな……』
そして遠くの方でそう言うゆずはさんの声が聞こえてきた。
『馬鹿だ。私馬鹿だ……』
はー、と長い溜め息を吐く。
『りんねちゃんの言う通りだ。最初っから魔女なんかにクラスを売らなければ良かったんだ……』
私は黙ってゆずはさんの次の言葉を待つしか出来なかった。
『もっとゆずかやお婆ちゃんと一緒に居ればよかった。魔女の仕事に専念して家族のことは忘れてたのに。私が死んだことになってから一年間、二人はどんな気持ちで生きてたんだろう。』
語尾につれてどんどん大きく早くなっていく声。
『今更気付いた。何もかも遅い。バカだなぁ……』
自虐的に笑いながら泣くゆずはさん。私は心臓の辺りがギュッと痛むのを感じた。もうこのまま電話を切ってしまいたい気持ちだった。
別にゆずはさんに同情してるわけじゃない。むしろ今更気付いたの?って軽蔑すらしてる。でも何の罪も無い弓槻やお婆ちゃんはそんなゆずはさんが大切だったんだ。なのに。
「弓槻、何で死んじゃったの?あの時死んだのが弓槻じゃなくて私なら良かったのに」
ぽつりと呟いた。
『そんなこと言わないでよ、りんねちゃん。』
ゆずはさんがぐすんと鼻を鳴らしながらそんな言葉を漏らす。……やっぱり、少しだけ同情してしまうかも。
『りんねちゃんは何も悪くないんだから自分を責めないで。』
何も悪くなくない。だって弓槻が事故に遭ったのは、元はと言えば一緒に戸川さんを尾行しようと誘った私が原因だったんだから。ゆずはさんはきっとそれを知らないからそんなことが言えるんだ。
「……ノートは渡します。でも私にもちゃんと真実を教えてください。」
せめてもの償いだ。ゆずはさんはあんなに頼み込んでて、このノートは元々ゆずはさんの物なら、もう返す以外の選択肢はないよね。
『ありがとう、分かったよ。』
「渡すのは明日でもいいですか?昨日は色々あって疲れたので」
『うん。突然ごめんね。住所はLINEで送っといてくれると助かる。じゃあ』
「分かりました。」
私がそう言うと、ゆずはさんは何度も『ありがとね』と言い、電話を切った。
カーテンを開けて窓の外を見る。アリスさんと電話した後、いつの間にか寝ちゃってたんだ。外はもう明るくなっていた。きっと一晩中眠ってたんだ。
ゆずはさんと電話して、久しぶりに弓槻のことを頭に思い浮かべた。
伏し目勝ちの切れ長の瞳に、朝日に照らされて白っぽく見える豊富なまつ毛。向こうが透けて見えそうなほど透明な陶器のような肌。初めて喋った時の不機嫌そうな弓槻の顔だ。
最初は嫌な奴だと思ったし、むしろ嫌いな部類だった。でも実は誰よりも早くクラスが魔女に売られたことに気付いて、一人で解決しようとしてた。弓槻は全て自分のためにやってるみたいだったけど、見方を変えればクラスを助けてくれようとしてたんだ。
弓槻は橘さんがうちのクラスを売っている現場を見た日から、何を思いながら毎日を過ごしてたんだろう。
あの私を睨むように見上げる伏し目がちな目が私をじっと見詰めていた。
頭の中にある弓槻のイメージは、掴めそうで掴めない。
「弓槻……」
弓槻に会いたい。
初めてそう思った。
翌朝、私はインターホンの音で飛び起きた。
「何ー……?」
浮腫んで開かない目を擦りながら、感覚で階段を降りていく。インターホンの画面を覗き込むと、さらさらの黒髪が目に入った。
「弓槻?」
はっとして目を見開くと、そこに映っていたのはゆずはさんだった。
「……ああ、そっか」
今日は弓槻のノートを取りにうちに来るって言ってたんだっけ。
それにしても弓槻とそっくりだなぁ。そりゃそっか、姉妹だもんね。もしゆずはさんが肩の下まで髪を伸ばしたら、ほんとに見分けが付かないかもしれない。
そんなことを考えながら階段を下り、玄関のドアを開けた。
「おはようございます」
「おはよ。もしかして今起きた?ごめんね、確認してから来れば良かったね」
「いいんです、十二時にうちに来るって昨日LINEで約束したんですから。むしろこんな顔と服でこっちが申し訳ないです」
今の私は、完全寝起きのすっぴんに寝癖だらけのぼさぼさの髪。終いには薄汚れた中学のジャージ姿だ。
「りんねちゃんって意外とすっぴん変わるんだね」
ゆずはさんはにこにこしながらそんな私を舐めるように見回す。
「はー!どうせ私は化粧詐欺ですよ。いいですよね、元から美人の人は!」
こんな美人にそんなこと言われたら嫌味に聞こえても仕方ないよな。見た感じ特にメイクしてるわけじゃないみたいだし……。素材がいいっていいよなぁ、とつくづく思う。
「そんなことないよ?私今メイクしてるし、カラコンも入れてるよ?」
ゆずはさんはそう言いながら目を大きく見開く。確かに薄らとカラコンのフチが見える。
「うっそ、じゃあ弓槻もメイクとカラコンして学校来てたってこと?」
割と顔が近い距離で話すこともあったけど、そんな風には見えなかったのにな。
「ゆずかは多分してないよ。あの子生まれた時からほんとに可愛かったから。よく比べられたよ、妹は可愛いのにお姉ちゃんは……って」
はははと少し悲しそうに苦笑いするゆずはさん。
「姉妹だから元々の素材は似てるかもだけど、私はメイクしてもゆずかに追い付けないから」
「そうですか?初めてゆずはさんに会った時、普通に弓槻だと思いましたけどね」
私がそう言うと、ゆずはさんの表情はぱっと明るくなった。
「ほんと!?嬉し〜」
「私なんて二人とは素材から違いますから羨ましいですよ」
「そう言ってもらえると嬉しいな〜。結構コンプレックスだったんだよね、ゆずかと比べられるの。」
また悲しそうな顔になるゆずはさん。普段は弓槻より丸っぽい形の目を伏せると、ほんとにそっくりだ。でも言われてみればマスカラを塗っているのが分かる。
「死んだことにして家に帰らなかったのも、ほんとは帰りたくなかったっていうのもあったんだよね」
そう言いながらヒールの爪先で石ころを転がすゆずはさんを見て、彼女がどういう環境で育ってきたのかが何となく分かってしまった。
私がじっと見ていることに気付いたゆずはさんは、苦笑いしながら両手を合わせた。
「ごめんね、暗い話して。どっか行こっか、りんねちゃんが準備出来るまで待ってるよ」
「いえ、今日は妹も学校行ってて居ないしうちで話しましょ。あんまり外出る気になれませんし。それに……」
誰の目も気にしないで喋れる場所の方が何かと都合良さそうだし。
「……そうだね、そうしよっか」
ゆずはさんもそんな私の思惑を察したのか、素直にそう言ってくれた。
「そう言えばりんねちゃんにも妹さん居たんだね。」
玄関で靴を脱ぎ、それを揃えながらゆずはさんがそう言った。
「やっぱりりんねちゃんしっかりしてるし、お姉さんなんだなぁ」
「全然ですよ。寧ろ妹の方がしっかりしてるくらいですし」
階段を上りながらちらりと妹の部屋の方を見る。
「そう言えば、最近あんまり会ってないなぁ」
私が爆発事故が起きてからずっと部屋に閉じ篭ってるせいだと思うけど。
そう言えばお母さんとも全然顔合わせてないや。毎日帰ってきてはいるみたいだけど。
今私のクラスでこんなことが起きてるなんて、二人はなんにも知らないんだろうな。私が死んだらどう思うんだろう。弓槻や弓槻のお婆ちゃんみたいに悲しんでくれるのかな。それとも私が居なくなったところで二人の生活は何も変わらないんだろうか。
「……やっぱやだな」
もういっそのこと早く殺してくれ。と思うこともあったけど、やっぱり死ぬのが怖かった。自分が死んだ後の世界で、自分を取り巻く環境や周りの人達がどうなるのか、どう思うのかを知れないのは怖い。
「……」
ちらりと私のあとを着いてくるゆずはさんを見る。
ゆずはさんはいいな。自分が死んだ時の周りの反応を知ることが出来たんだから。
「お邪魔します」
私の部屋に入る時、ゆずはさんは律儀にそう言いながら足を踏み入れた。
「散らかっててすみません」
床に鞄や数日前に脱ぎ散らかした制服が落ちたままだった。恥ずかしいな、せめて畳んでおけばよかった。
「いいのいいの、それどころじゃなかったでしょ。」
ゆずはさんは気にしてないみたいだったけど、私は制服を簡単に畳んで隅の方に寄せておいた。
「お茶持ってきますね。」
私はゆずはさんをオフィスチェアに座らせ、階段を降りてリビングへ向かった。
お湯を沸かしながら、髪に軽くアイロンを通して、二重を作ってカラコンを仕込んでおいた。
「すみません、紅茶で良かったですか?」
足で半開きのドアを開けると、ゆずはさんは「ありがとう」と言ってお盆を持ってくれた。
部屋の真ん中に卓袱台を広げて、私達は向かい合うように座った。卓袱台の真ん中に弓槻のお婆ちゃんから貰ったノートを置く。
ゆずはさんはそのノートを見た途端、目をうるうるさせて泣きそうな顔になった。
「懐かしいなぁ……」
か細い声でそう呟いて、よく手入れのされた綺麗な指先でノートを手に取る。
そして慣れた手つきでノートを開く。でもすぐにその表情は固まってしまった。
「……え、何これ」
ゆずはさんは夢中でページを捲る。
「これ、私が思ってたノートと違うんだけど……?」
「え……?」
私達の間に沈黙が訪れる。
「これ、ゆずかの数学のノートじゃない。何でお婆ちゃんはこれをりんねちゃんに渡したの?」
「え、ゆずはさんが思ってたノートって何なんですか?」
私が尋ねると、ゆずはさんは言いにくそうに口をもごもごさせる。
「……私が魔女に魂を売る前に毎日のことを記録してたノート」
「え、じゃあ……」
「考えられるのは、ゆずかが間違えたのか、お婆ちゃんが間違えたのか……。」
ゆずはさんは顎に手を添えてそう呟く。二人共死んでしまった今、どっちなのか確認する方法もない。
「同じ会社の同じ色だからきっとお婆ちゃんが間違えたんだと思う。……じゃあ、本物のノートは」
私とゆずはさんは顔を見合わせる。
「うち、行こっか……」
ゆずはさんの言葉に、私は小さく頷いた。
ジャージから普段着に着替えていると、ゆずはさんは鞄から鍵を取り出し、それを卓袱台の上に載せて睨めっこし出した。
「はぁ。ついにあの家に帰るのかぁ……」
そう言いながら胸を抑えて、少し苦しそうに笑う。
「でも、帰ってももうあそこには誰も居ないんだよね。」
そう言いながら両手で真っ赤になった鼻を包み込む。
「はー。やっぱ怖いな」
「……やっぱり、行くのやめますか?」
少し意地悪く訊いてみる。そんな私を驚いた表情で見上げて、ゆずはさんは悔しそうに笑った。
「……行くよ。」
私達は頷き合って、部屋を出た。
ドアから顔だけ出して空を見上げる。真っ青な空に綿菓子みたいな白い雲がぽっかりと浮かび上がっている。一歩外に出ると、数日ぶりの直射日光に頭がクラクラしてくる。
駅前で捕まえたタクシーに乗り込み、弓槻の家の住所を運転手に伝える。車体が動き出すと、私達は何となく黙り込んだ。ゆずはさんはたまに運転手に道を指示してるけど、私は一言も言葉を発さなかった。
さっきから気になって仕方なかった。本当に弓槻のお婆ちゃんがゆずはさんのノートと弓槻の数学のノートを渡し間違えただけなんだろうか。お婆ちゃん、ボケてるって訳でもなかったと思うんだけどな。でも弓槻が伝え間違えるなんてことはもっと有り得ないと思うし。何となく渡された数学のノートが全くの無関係だとも思えなかった。妙な空白のあるあのページも気になるし……。
モヤモヤしていると、ふと思い出したようにゆずはさんが呟いた。
「……ゆずかは、何で私のノートのことを知ってたんだろう。自分が死んだ時りんねちゃんに託そうとしたってことは、あのノートが魔女に繋がる手掛かりだって気付いてたってことだよね」
「……確かに。弓槻はどこまで気付いてたんだろう」
「ゆずか、もしかしたら私が生きてるってことに気付いてたんじゃないかな。」
じっと助手席に取り付けられた液晶画面を見詰めながら、私は小さく頷いた。
弓槻は何を考えてたんだろう。頭の中に居る弓槻は冷たい目でじっと私を見上げてくるけど、何も言ってくれない。
ねえ、教えてよ。弓槻は何を知ってたの?
「あ、この辺で大丈夫です。」
ゆずはさんがそう言うと、タクシーはゆっくりと道の端に停まった。
ゆずはさんが運転手にお金を払い、私達はタクシーを降りた。
目の前にそびえ立つ、弓槻の家。前に来たのはいつだったっけ。あの時はまだアリスさんやゆずはさんと出会う前で、むすびも生きてたんだっけ。
「……」
心臓がぎゅっと痛くなった。
「はぁ。いつぶりだろ、うちに帰るの」
そんな私の横で、ゆずはさんは大きく深呼吸してそう言った。澄んだ瞳で一軒家を見上げる。
「ただいま」
ガチャリ。
ゆずはさんは、ゆっくりと鍵穴に鍵を差し込んだ。情けない音を立てながら、ドアがゆっくりと開いた。
玄関の前で、ゆずはさんは何度も何度も深呼吸していた。時折胸に手を当てて、「よし。」「行くぞ」などと呟いている。が、一向に家の中に足を踏み入れようとしない。
怖いんだろうな。一年以上放ったらかしにしていた家に帰ってきたんだから。
じっとそんなゆずはさんを見詰めていると、ふと目が合った。するとゆずはさんは申し訳なさそうに苦笑いして、無言で両手を合わせてきた。
そんなゆずはさんを見て、居てもたってもいられなくなった。私は一歩足を踏み出す。
「りんねちゃん?」
私は驚いた表情で私を見るゆずはさんの横を通り過ぎて、玄関に足を踏み入れた。
「お邪魔します。」
そう言って靴を脱いで、きちんと端の方に揃えておいた。
薄暗い玄関の中で、明るい屋外に佇んでいるゆずはさんの方を見る。
「大丈夫です。弓槻もお婆ちゃんも怒ってないと思いますよ。」
そう言うと、ゆずはさんは顔をぐしゃりとしながら笑って、大きく頷いた。
そして家の中に駆け込んでしゃがみ込んでしまった。
「……ただいま、お婆ちゃん、ゆずか……」
弱々しい声でそう呟いて、膝に顔を埋めた。
「おかえり」
小さな声でそう呟いてみた。言ってすぐ何か気持ち悪いな、と思って取り消したくなったけど、幸いゆずはさんには聞こえてなかったみたいだった。
「じゃ、行こっか。」
私達は、弓槻の部屋に向かって階段を昇った。
弓槻の部屋は、相変わらずベッドと机しかない地味な部屋だった。あれから何も変わっていなくて、何故か安心してしまう。
「ゆずかの部屋だ……」
ゆずはさんはそう言いながら私に続いて部屋に入ってくる。体を三百六十度回転させて、部屋全体を満遍なく見渡す。
「なんにも、変わってないんだなぁ」
目に薄らと涙を浮かべて、震える声でそう呟いた。と思ったら、ゆずはさんは部屋から出ていってしまう。
「他の部屋も見たいんだけどいいかな」
ゆずはさんはそう言って、向かい側の部屋のドアノブに手を掛ける。
「……はい」
私はそう言って、弓槻の部屋を後にした。
「ここが私の部屋だった場所なんだ。どうなってるのかな、物置にされたりしてるのかな」
ゆずはさんは少し寂しそうに笑いながら、ゆっくりとドアを開ける。カビ臭い空気が私の鼻を掠めた。
「……わ」
電気を付けると、ゆずはさんの後ろ姿が小刻みに震え出した。ちらりと顔を覗き込むと、ぽろぽろと涙を零していた。
「なんにも変わってない、私の部屋だ……」
そう言いながら、部屋の真ん中まで歩いていく。
弓槻の部屋とは打って変わって、ゆずはさんの部屋はぬいぐるみや写真で溢れ返っていた。
棚には参考書や辞書が並んでいて、ベッドにはたくさんのぬいぐるみが鎮座している。壁に掛けてあるコルクボードには、たくさんの友達と写った笑顔のゆずはさんが貼り付けられていた。
「もしかして、お婆ちゃんとゆずかが掃除してくれてたのかな」
ゆずはさんは机の上を指でなぞってそう呟いた。
「電気だって、私が居なくなる前とは種類が変わってる。切れたらちゃんと取り替えてくれてたんだ……」
しゃがみ込んで声を漏らして泣くゆずはさんを見て、思わず私ももらい泣きしそうになった。二人はゆずはさんが帰ってくるのをずっと待ってたんだ。ゆずはさんが生きてるってことに気付いてなかったとしても。
部屋の中を歩き回ってみると、本棚にも埃は溜まっていなかったし、ベッドのシーツも綺麗だった。お婆ちゃんは、死ぬ直前までゆずはさんの部屋を大切にしてたんだな。
一頻り泣いた後、ゆずはさんは立ち上がり、
「先に私のノートを探そう。」
そう言い、私達は頷き合った。
ゆずはさんが机の引き出しを調べている中、私は壁のコルクボードをじっと見詰めていた。
「……そう言えば、ゆずはさんは何でクラスメイトを魔女に売ったんですか?」
何となく尋ねてみる。コルクボードに貼り付けてある写真を見ていたら、どうしても納得出来なかった。あんなに楽しそうに笑ってるのに、どうしてそんなことしたんだろう。
すると、ゆずはさんは恥ずかしそうにはにかんで、
「あの写真、高二の時のなんだよね。高二までは割と上手くいってたんだけど、三年になってクラス替えした途端悲惨でさぁ……」
そう言いながら、コルクボードの前に立って、懐かしそうな顔をしてそれを眺める。
「あんまり詳しいことは話したくないんだけどね。まぁ、ノートが見付かったら結局知られちゃうことになるけど。
バカみたいだよね、いつまでも楽しかった頃の思い出飾って、辛いことがあったら毎日眺めてたなんて」
笑顔の写真の中の自分を少し憎たらしそうに睨むゆずはさん。
「ごめんね、早く探すね。ゆずかったらどこにやったのよ〜」
そう呟きながら引き出しの中を漁るゆずはさん。その後棚やベッドの下の引き出しを見ても、ゆずはさんのノートは見付からなかった。
「となると、やっぱりゆずかが部屋に持ってってたのかな」
私達は弓槻の部屋へ戻ってくる。
「確か弓槻のお婆ちゃんは、この引き出しからノートを出てた気がします」
私がそう言うと、ゆずはさんが引き出しを開けてみる。でもそこにはもう何も入っていなかった。
「……ないね。ってことは、お婆ちゃんが間違えたわけじゃないってこと?」
「弓槻が何か意図があって数学のノートを私に渡したってことになるんですかね」
謎が深まるばかりだ。何も分からないじゃん。弓槻は一体何を私に伝えたかったんだろう。
「あれ、これなんだろう」
ゆずはさんが引き出しの奥に手を入れた。引っ張り出したのは、ファンシーな水色のペンのような物だった。何だかどこかで見たことがある形をしていた。記憶を辿っていくと、小学生の頃に行き着く。
「あ。それ、昔流行ったシークレットペンじゃないですか?」
「何それ?」
「ほら、普通に書いても無色透明だけど、そのキャップについてるライトで照らすと文字が浮かび上がってくるってペンですよ。懐かしいなぁ、昔秘密の手紙とか言ってよく交換してたなぁ」
思い出に浸っていると、ゆずはさんはペンの蓋を開けて手の甲に線を引いた。
それにライトを当てると、薄らと線が浮かび上がってきた。
「ああ。これ、多分私がゆずかにあげたやつだ。こんなの取ってあったんだ」
「意外ですね、弓槻がそんなの今でも大切に持ってるなんて」
「ね。インクももうほぼ残ってないみたいだし、結構使ってくれてたのかな」
「弓槻って意外と乙女ですね、秘密の手紙とかやってたのかな……」
あれ。
もしかして、あの数学のノートの空白って……!
「ちょっと、それ貸してくれませんか!?」
「え、いいけど、どうしたの?」
私は半ばひったくるようにゆずはさんからシークレットペンを奪い取る。
そして手に持っていた弓槻の数学のノートを開く。
空白のある部分にライトを照らす。弱々しい青紫の光が、ぼんやりと何かを映し出した。私達はそれを目を凝らして読み進める。
『お姉ちゃんが生きてるかもしれない
その手掛かりになるノートが出てきた
お姉ちゃんの部屋の洋服タンスの三段目の左奥に隠してある
あのノートに私が知ってることを全て書き込んでおいた
お姉ちゃんがクラスを売った犯人なの?
真実を突き止めたい
私に何かあったら、あなたに託します』
書道の先生みたいな綺麗な文字でそう記してあった。
私は黙ってライトを消した。文字は一瞬で見えなくなってしまった。
弓槻はもしかしたら気付いていたのかもしれない。ゆずはさんがクラスを魔女に売った犯人だってことも、ゆずはさんがどこかで生きているってことも。
いつから気付いてたんだろう。私にゆずはさんの話をしてくれた時にはもう気付いてたんだろうか。それとも死ぬ直前に知ったんだろうか。
どっちにしろ弓槻は一人で全てを抱えてたんだ。もっとちゃんと協力してれば良かった。弓槻は一人で解決しようとしてたけど、もっと無理矢理にでも話を聞いてれば良かった。
「ゆずか……」
隣でぽつりとゆずはさんが呟く。
「……とりあえず、ゆずはさんの部屋に戻りましょ。」
私がそう言うと、ゆずはさんは力なく頷いた。私達はまた弓槻の部屋を出て、ゆずはさんの部屋に入る。
洋服タンスの三段目を開ける。少し前に流行ったような形や色の服が綺麗に畳んで仕舞ってある。
左の奥の方に手を突っ込んでみると、確かにその感触があった。
それを引っ張り出してみると、ボロボロのノートが顔を出した。
「これだ」
ゆずはさんに渡して中身を確認してもらうと、どうやら今度はちゃんと本物のようだった。
「これだよ。はぁ……」
大切そうにそのノートを抱き締めるゆずはさん。
「お婆ちゃんに中身を確認されないようにわざわざここに隠しておいてくれたのかな。」
そう呟くゆずはさんに無言で頷く。
「お婆ちゃんが、ゆずかに『りんねちゃんにあのノートを渡すように』って言われたから渡したって言ってたの。ゆずかがそこまでして私の敵を討とうとしてくれてたんだって気付いてから、本当に本当に後悔した。だからゆずかがどこまで知ってたんだろうって気になってね。」
ゆずはさんの目付きが変わる。
「……もしゆずかが知り過ぎたせいで意図的に殺されたんだとしたら、黙ってられないからね」
ドキリ、と心臓が大きく脈打った。
今の私は、どう考えても生前の弓槻よりたくさん知ってしまっているから。
そんな私の気持ちを汲み取ったのか、ゆずはさんは慌てた様子で話題を変える。
「……ごめん、このノートはやっぱりりんねちゃんには見せられない。ゆずかが書き足したところだけ後で送るんじゃだめかな。」
「偽装したりしませんよね?」
一応疑っておく。ゆずはさんは目を真ん丸にして、複雑そうな顔で微笑んだ。
「私のことは信じてよ。私は魔女だけど、りんねちゃんのクラスとは全くの無関係だから。それに……」
ぼそり、と小さな声で呟く。
「それに私は、りんねちゃんには生きててほしいし」
そして、今度は満面の笑みで私の肩を叩いた。
「だぁいじょうぶだよ!りんねちゃんは良い子なんだから!」
ポンポンと何度も私の肩を優しく叩く。そんなゆずはさんをじっと見る。どうして今そんなことを言われたのかをよく理解出来なかったからだ。
「ね。だから……」
大きく息を吸って、ゆずはさんは窓の方を見た。
「どうか、ゆずかの分まで真実を知ってね」
午後二時の真っ青な日光が、薄桃色のカーテンから透けて見えた。
私はゆずはさんが手配してくれたタクシーに乗り込み、スマホの画面を見た。早速ゆずはさんから画像が送られていた。
拡大して、そこに映された文字を読み取る。
『このノートを見る限り、お姉ちゃんは三年生になってからクラスでいじめに遭っていたらしい
調べてみれば、魔女に魂を売った人達は、みんなクラス内で嫌な思いをしていたという共通点があるらしい
『魔法の力』が報酬だと思っていたけど、本当は『三十人分の魂を売る』の方かもしれない?
三十人は大体一クラス分の人数。これは』
今まで見てきた弓槻の文字とまるで別人みたいな乱雑な文字。筆記体のように書き殴られているから、弓槻がどれだけ感情的になってこれを書いていたのかが分かる。
そしてふと違和感を覚えた。キリの悪いところで文が終わっているのだ。『これは』の後には何か文が続くと思うんだけど、画像はそこで見切れていた。
「……」
ノートの罫線の数を見る限り、まだ下に続いてるはずだ。
もしかして、ゆずはさんはわざとここまでしか映さなかった?
「……」
不信感が募っていく。信じてほしいって言ったのはゆずはさんの方なのに!
まだ続きありますよね?ちゃんと全部撮してください!
イライラしながらダダダと乱暴に返信の文字を打つ。
「この辺でいいですかね?」
運転手にそう訊かれて我に返った私は、慌ててスマホを閉じる。
「あ、はい、ありがとうございました」
私はそう言ってポケットから財布を取り出した。
「お金はさっきのお姉さんに貰ったから大丈夫だよ。」
「あ、はい……」
私はそのままタクシーを降りた。
それとこれとは別。ちゃんとノート全体を映している写真を送り直してもらうからな。
「いつまで待たせんだよ」
家に帰ってきて、もう数時間が経とうとしていた。外はすっかり暗くなり、妹もさっき帰ってきたって言うのにまだ返信は来ない。それどころか既読すら付かないのだ。
「何してんだよ、このまましらばっくれるつもりかよ」
イライラする。もうゆずはさんのことなんて信じてやんない。
「あー、クソ」
私はスマホを投げ出して枕に顔を埋めた。
そのまま、いつの間にか眠ってしまった。
翌朝、目が酷く痛んで飛び起きた。
「うわ、カラコン入れたまま寝てた……」
最悪だ。目がシパシパする。私は寝転んだまま両目をかっぴらいて両手でカラコンを外した。
「もういいや……」
まだ一ヶ月も使ってないけど、洗うのが面倒だったからそのままゴミ箱に放り込んだ。
昨日の出来事を思い出して、憂鬱な気持ちになった。
少しは信じてたのにな。酷いよ。
「……あれ」
スマホで時刻を確認しようと画面を見ると、同時に通知が来た。アリスさんからだった。
何だろうと思って通知を開こうとしたけど、アリスさんともギスギスしていたことに気付いて憂鬱な気持ちになった。まぁ開くんだけど。
「……え?」
私はトーク画面を見て、思わず目を見開いた。
『ゆずはちゃん知らないかな。
昨日の夜から連絡つかなくて困ってるんだ。
何か連絡なかったかな。』
そう書かれていた。
え、え、え?頭の中がパニックになった。
昨日の夜って、私と会った後だよね?
アリスさんに昨日の出来事を事細かに説明した。するとすかさずアリスさんから着信が入る。
「もしもし」
『りんねちゃん、ゆずはちゃんに会ってたんだね。』
「はい……」
『でも良かった、少なくとも昨日のお昼までは無事だったんだから。何か変わったことは言ってなかったかな、どこに行くとか、これから誰かに会うとか。』
「言ってなかったと思います……」
アリスさんは『そっか。』と小さな声で呟き、ふうっと大きく息を吐く。
『りんねちゃん、落ち着いて聞いてね。ゆずはちゃんがね、昨日の夕方、こんなLINEを送ってきたの』
それと同時にアリスさんから写真が送られてきた。どうやらゆずはさんとのトーク画面みたいだ。
『私は今から違反行為をします。もし明日の朝までにあなたにLINEしなかったら、私はもう居なくなったってことだと思ってください。
短い間だったけどありがとう。そしてどうかりんねちゃんだけは助けてあげてください。』
「……」
言葉を失った。
『きっと、ゆずはちゃんはりんねちゃんを助ける為に違反行為を行ったんだと思う。だからきっと、もうゆずはちゃんは……。』
「違反行為、って何だよ」
自分でもびっくりするくらい声が震えていた。
『……魔女に売られたりんねちゃんを助けようとするのは、重大な違反行為だからね。“向こう”も厳重な処罰を科すると思うよ。』
「それ、独り言ですか?」
『……そうだね。聞かなかったことにして。』
スマホを右手から左手に持ち替える。
「それで、アリスさんはそれでも私を殺/すんですよね」
どきどきと鼓動が早くなる。自分で訊いといて、やっぱり訊かない方が良かったかも、と後悔した。
『……私はりんねちゃんを殺せない。これはゆずはちゃんが友達だから、とかじゃないよ。この間までは殺/す決まりだったけど、そうもいかなくなったから。』
「何それ」
『でももう一人の魔女は分からない。教室で爆発事故起こすくらいだし、一人も助けない予定だったんじゃないかな。』
「は、まだ犯人がもう一人居ると思ってるんですか?」
『だってそうとしか考えられない。それに爆発事故で処理しようとする魔女に心当たりがあるの。実際、りんねちゃんのクラスで起きた爆発事故は、“私がやったことにはなってなかった”。』
「え……」
カタカタとスマホを持つ手が震え出す。
『……佐藤聖羅(さとうせいら)。
私と、ゆずはちゃんの魔女だった人。』
その名前を口にしたアリスさんの声も、微かに震えていた。
確かに、弓槻はゆずはさんのクラスでは爆発事故が起きて、そのせいで犯人以外のクラスメイトが全員死んだんだって言ってたっけ。
「でも共通点はそれだけでしょ?爆発でクラスごと消し飛ばすなんて誰でも思い付くじゃん……」
『爆弾を作れる魔女なんてそうそう居ない。私が知る限り、それを出来るのは佐藤聖羅だけ。』
「でも、」
『そもそもただの一般人が爆弾なんて作れるわけないでしょ。あの爆発事故には、魔女が関わってたとしか思えないよ。
私も奈那ちゃんも知らなかったんだから、少なくとももう一人魔女が関わってるのは事実だと思う。』
「テロとか、そういう可能性はないんですか?」
自分でも何て非現実的なことを言ってるんだろうと思った。でもそうでもしないと、アリスさんの「うちのクラスを売った犯人がもう一人存在する」を認めることになってしまう。アリスさんは「もしかしたらしみずが犯人かもしれない」って言ってたんだ。それも認めてしまうみたいで嫌だった。そんなの絶対認めたくない。
『テロならとっくに大ニュースになってると思うよ。テレビは見てた?どこも報道してなかったでしょ。』
「……」
私は何も言えずに黙り込んでしまった。
『……今から、佐藤聖羅に会うの。』
「え!?」
いきなり飛び出してきた言葉に思わず素っ頓狂な声を上げてしまった。
『急だけど、さっき会って話をしないかってLINEしてみたら、今から会おうって言われて。』
どきどきとどんどん鼓動が早く強くなっていく。
『運が良ければもう一人の犯人が分かるかもしれないね。』
「ま、待って」
思わず私は声を上げた。
「私も、私も一緒に行っていいですか」
掠れた震えた声で尋ねた。冷や汗が額を、首を、背中を伝って落ちていく。
『……それは出来ないな。ごめんね。』
アリスさんはそう言って、短い深呼吸をした。
『もし本当にりんねちゃんのクラスに佐藤聖羅が関わってたとして、もう一人の犯人が分かって、それがしみずちゃんじゃなかったら、それだけは教えるよ。約束する。』
「……分かりました」
私がそう言うと、アリスさんはふふっと笑って、『良かった。』と呟いた。
『そろそろ家出るから切るね。……あれ、何だろう、これ。』
がさがさと何かを漁る音が聞こえてくる。
『ポストに何か入ってた。あれ、これって。』
「どうかしたんですか?」
『うん。これ、もしかしてさっきりんねちゃんが言ってたゆずはちゃんのノートじゃないかな。』
「え!?」
思わず手からスマホが滑り落ちそうになった。どうしてアリスさんの家のポストにゆずはさんのノートが入ってるの?
『うん。間違いない。もしかしてゆずはちゃんが昨日入れたのかな。』
「あの、中身の写真送ってくれませんか!?」
『ごめん、もう行かなきゃ。帰って来たら確認する。』
「ちゃんと見せてくださいね?」
私がそう言うと同時に、通話は終了してしまった。
ちゃんと聞こえてたんだろうか。それともまたゆずはさんみたいにはぐらかされるんだろうか。
……ゆずはさんは、本当に居なくなっちゃったの?それも私を助けるために?
だからあんな意味深な言動をしてたの?
「どうか、ゆずかの分まで真実を知ってね」か。今思い返せば、確かに別れの言葉とも取れる。
「何でだよ。勝手なことすんじゃねぇよ」
ぼそりと呟いて壁を殴った。もう一度殴る。指の第二関節が真っ赤になって痛みが走った。
「はぁ……」
天井を仰いでベッドに寝そべる。
今頃、弓槻はゆずはさんに会えてるのかな。
「……アホらし。アリスさんはゆずはさんが“死んだ”とは一言も言ってなかったじゃん」
そうだよ、まだ生きてるかもしれないし。
でも、もうゆずはさんに会うことは二度と出来ないと言うのは何となく察しがついた。
そう言えば、何でアリスさんは「私を殺せない」って言ったんだろう。この間までは殺/す決まりだったけど、今はそうじゃなくなったってどういうことなんだろう。魔女に売られた三十人は一人残さず死ぬって決まりなんでしょ?
「よく分かんないなぁ、もう」
はぁ、と短い溜め息が出る。
……佐藤聖羅って、どんな人なんだろう。所々声は震えてたし、深呼吸なんかしてたし、彼女を語るアリスさんは、どこか怯えているように見えた。
もし佐藤聖羅が爆弾を作ったとして、もう一人の犯人――クラスの誰かがそれを教室に仕掛けたってこと?今まで不審死してきたクラスメイトも、彼女が殺してきたんだろうか。
「……誰なんだろう」
心のどこかでは、もうもう一人犯人がいることを認めてしまっていた。
もうクラスメイトを疑うのは嫌なのに。私はベッドから這い降りて、Bluetoothスピーカーを取り出し、好きなバンドの曲を大音量で流した。
ドラムやギターの音に交じって、微かに物音が聞こえてきた。私は音楽を止め、大きな欠伸をする。
あ。そう言えば、起きてから何も食べてなかったっけ。
「……あれ、帰ってたんだ」
リビングに降りていくと、食卓の前に妹が座っていた。制服を着たまま、じっと空を見詰めている。おかしいな、この時間に家に居るなんて。まだ一時過ぎだし、学校が終わるには早過ぎない?
と思ってたら、妹は首だけ動かして私を見ていた。
「……あんた、学校行かなくていいの?」
虚ろな目でじろりと私を見る妹。
「あー。今休校中なんだよね。学校で事故があってさ。てかあんたも早退してきたの?」
「ふぅん。いいよね、そっちは楽そうで」
私の質問には答えずに、妹は吐き捨てるようにそう言った。そしてゆっくりと立ち上がって階段を降りていってしまった。
「……何アイツ」
何急に嫌味ったらしいこと言ってんだよ。私何か気に障るようなことしたっけ?今までの自分の言動を思い返してみたけど、思い当たる節はなかった。
私から見たらあんたの方が楽そうで羨ましいんだけど。いいよなぁ、地元の中学だから毎朝満員電車に乗ることもないし、中学生は勉強も楽で。
……それに、妹のクラスは魔女に売られたりしてないじゃん。それだけで充分楽だっつの。
「はぁ……」
別に、ほんとは喧嘩したいわけじゃないんだけどな。同じ家の中に住んでるんだから、もっと一緒に過ごす時間が多くてもいいんじゃないのかなって思ってる。まぁ、ご飯を食べる時以外は部屋に籠りっきりだし、妹はそう思ってないみたいだけどさ。
「はぁー」
大きく息を吸って、それを吐き切るまで溜め息を吐いた。
うちの家族はバラバラだ。弓槻家を見ててよく分かった。
きっと私が死んだとしても、お母さんや妹は何とも思わないんだろうな。
とぼとぼと階段を上る。何か食べようと思ってたけど、その気力もなくなってしまった。
家に居ると息が詰まりそうだ。早く学校始まんないかなぁ。……始まったとしても、もう元の学校生活には戻れないんだけど。
一年B組は、もう四人しか残ってないのか。私と、しみずと、真中ちゃんと、橘さん。四人じゃクラスにならないよね。それぞれ他のクラスに配分されるんだろうか。
本当に、もう四人以外のクラスメイトはもう居ないんだ。まだ信じられなかった。毎日一日の半分近くの時間を共に過ごしてきたクラスメイトの大半が死んでしまったなんて。
あれからクラスのグルラは動いていない。もし他に誰かが生きてたとしても、スマホを見られるような状態じゃないんだろうな。
「酷いよ、ほんと……」
自分達が撒いた種かもしれないけど、何もここまですることないじゃん。今更橘さんを責めるようなことはしないけど、もう一人の犯人が分かったら、責め立ててしまうかもしれない。
「犯人、もう死んでたらいいな」
自分の口から飛び出してきた言葉なのに、自分でも驚いてしまった。誰かに聞かれたわけでもないのに、思わず「違う違う違う」と訂正してしまった。
でもそれは紛れもなく私の本心だった。生き残った橘さん以外の二人は、とても犯人だと思えないんだもん。不慮の事故で爆発に巻き込まれていてほしいと願ってしまう。
「遅いな」
まだアリスさんと電話してから三十分くらいしか経っていないのに、何度もスマホの画面をチェックしてしまう。
きっと今頃、佐藤聖羅からもう一人の犯人を明かされてるんだろうな。
「……はぁ」
部屋に入り、いつものようにベッドに身を投げた。
その日の夜、アリスさんから電話が掛かってきた。
『もしもし、りんねちゃん。』
一日中待っていた着信に、私はすぐにスマホに飛び付いた。
「アリスさん!どうでしたか?」
私が尋ねると、アリスさんは小さな声でまるで溜め息を吐くように笑った。
『ごめんね、遅くなって。ほんとは二時間くらい前に帰ってきてたんだけど、何か疲れちゃって掛ける気になれなかった。』
そう言うその声にも疲労が滲み出ていた。会うだけでも相当気力を使うんだろうな、と思った。やっぱり気になるな、佐藤聖羅ってどんな人なんだろう。
「それで、どうでしたか?もう一人の犯人、分かりましたか?」
『それがね。佐藤聖羅が、りんねちゃんに直接会って話したいって言ってるんだよね。全然無理して会おうとしなくていいからね。断ることも出来るし、ほんとに無理しないで。』
「会います!会って直接話したいです!」
私はすぐそれに噛み付いた。それは、クラスメイトを教室ごと吹き飛ばしたことへの怒りではなかった。「佐藤聖羅がどんな人なのか」ただそれが気になるだけの好奇心だった。後から後悔することも知らず、私はベッドに座りながら身を乗り出して目を輝かせた。
『後から会わなきゃ良かったって、私に八つ当たりしないって約束出来るかな。』
少し元気のない声でそう言うアリスさん。
「何言ってるんですか?私が会いたいって言ってるんだからそんなことしませんよ。それでいつにしますか?」
『……ほんとに、りんねちゃんはそれでいいのかな。』
「さっきからどうしたんですか?佐藤聖羅も私に会いたくて私も佐藤聖羅と話したいんだからウィンウィンじゃないですか?」
『りんねちゃん。』
低い声で急に名前を呼ばれて、私は思わずびくりと体を硬直させた。
『感覚、麻痺しちゃってるのかな。』
アリスさんは、低い静かな声でそう言う。
『そうだよね。殺されるのに怯えて生きて、目の前で友達が死んだり、周りの友達もどんどん居なくなったりしてるんだもんね。そりゃ自分で感情抑えてないとやってけないよね。』
「は、さっきから何言ってるんですか。そんなこと……」
ない、とは言い切れなかった。確かにそうだ、私の感覚は、クラスメイトが一人減るたびに、とうに麻痺しちゃってるのかもしれない。アリスさんの言う通りだ、自分で悲しみや怒りの感情を抑えないと、もっとしんどいに決まってるじゃん。
「元はと言えば私が悪いんじゃないですか。私が橘さんへの嫌がらせに気付かないフリしてなければこうならなかったんでしょ。全部自業自得なんですよ」
だからこの悲しみや怒りを橘さんやアリスさんにぶつけられないじゃん。自分の中に溜め込んどかないと、八つ当たりすることになる。
『……りんねちゃんは、やっぱり優しいんだね。でもりんねちゃんのせいじゃないよ。奈那ちゃんはりんねちゃんのことは許してくれてたし。悪いのは他のクラスメイトでしょ。』
「見て見ぬふりしてた私も、橘さんにとっては噂流してたみんなと同類だったと思いますよ。……そう言えば」
橘さんが人の彼氏取った、とか援交してる、とかデマを一番最初に流したのは誰なんだろう。知り合ってすぐそんな噂を流すってことはないだろうから、入学する前から知り合ってた子なんだろうか。そしてそれは、きっとクラスメイトの誰かだ。……橘さんは、あの噂の発端が誰なのかを知ってるんだろうか。
『そうだね。でも今は奈那ちゃんはりんねちゃんを許してる。それが全てだよ。……それで話は戻るけど、りんねちゃんは佐藤聖羅に会いたい、ってことでいいんだね。』
「何かあんなこと言われた後だと素直にはいなんて言えませんね」
はははと笑いながら私はそう言った。
『ふふ。そうだよね。』
アリスさんも笑った。
「でも会います。私に直接会いたいって言ってくれてるなら私も会いたいですし」
『大丈夫なのかな。相手も魔女なんだよ。それに私やゆずはちゃんと違って、りんねちゃんに殺意があるかもしれない。』
「……私はもう一人の犯人が誰なのか分からないまま死ぬのが一番怖いです。結局殺されるなら、全部知ってから死にたい」
『……分かった。佐藤聖羅にそう伝えとく。』
アリスさんはやっぱり私が佐藤聖羅に会うことに賛成し切れないみたいだった。それが見て取れたけど、私はわざと気付かないフリをした。
アリスさんが佐藤聖羅にLINEを送って返信を待ってる間、私はアリスさんに橘さんのLINEを教えてもらった。
『急にごめん、あの時交換しそびれてたからアリスさんに教えてもらった』
そう送ると、すぐに既読が付いて数秒で返信が来た。
『あー!嬉しい!ずっと話したかった!
ほら、私クラスLINEも入れてもらえてなかったからさww』
クラスLINEは入学式の日にはもう出来ていた。やっぱり、入学前から浮いてたんだ。
私はアリスさんが見てるテレビ番組の笑い声をBGMにしながら返信の文字を打つ。すると、私が打ち終わる前に次の返信が送られてきた。
『そう言えば、真中になんか言った?』
「え?」
頭の中が一瞬フリーズした。私は返信しようと思っていた文を消しながら頭の上にはてなマークを浮かべた。
真中ちゃんに何か言ったかって、どうしてそんなことを聞くんだろう。
『何で?』
『いや、真中から首藤さんに何話したの?ってLINE来たからさ』
「何それ……」
私は思わず小さな声で呟いた。スマホはそんな小さな音でさえ拾ってくれるから、アリスさんに聞こえてしまったみたいだ。
『どうかしたのかな。』
「あ、いえ……」
私は真中ちゃんとのトーク画面を開き、遡った。
『橘さんって奈那のことだよね?』
『うん』
『え、あの日奈那学校来てたの?』
『来てたよ、授業には出てなかったっぽいけど』
『何でりんねちゃんが知ってるの?もしかして事故があった時一緒に居たの?』
『え、うん』
『奈那、何か話してた?』
『別に何も話してないよ?』
『誰かに何かされた、みたいこと言ってなかった?』
『え、別になかったけど』
『橘さんと何かあったの?』
『いや、変な噂とか聞いたことあったから気になっただけ。
ごめん、変なこと聞いて』
真中ちゃんは何でこんなに橘さんと私のやり取りを詳しく聞き出そうとしてきたんだろう。それにどうして橘さんに私に何話したのか、なんて訊いたんだろう。
真中ちゃんとのトーク画面を閉じ、橘さんとのトーク画面に戻ってくる。ドキドキと高鳴る心臓に合わせて頻りに深呼吸する。文字を打つ指先とスマホを持つ手が震えた。
『ねぇ、橘さんと真中ちゃんって友達なの?』
すぐに既読が付いた。『既読』の文字が画面に現れた途端、心臓の音は更に大きく早くなる。まるで私の胸を切り刻むかのような強さで。
『友達って言うか、中学から一緒だっただけだよ』
心臓が凍り付いた。
サンシャイン様のょぅそぉもりこみなさぃ
88:匿名:2021/02/24(水) 11:55 >>87
おめー神小説まで駄文で荒らしてんじゃねーヨ!
え。え。え。
喉の奥から心臓がせり上がってきてしまいそうな感覚だった。指先からサーッと血の気が引いていき、全身が冷たくなる。スマホの画面を捉えた視界がぼんやりと霞んでくる。私は自分の息遣いが荒くなるのを感じた。
『りんねちゃん。』
スピーカーから流れるアリスさんの声ではっと我に返った。そして意味もなくきょろきょろと部屋を見渡す。
『何かあったのかな。』
「あ……」
私はその一文字しか声に出すことが出来なかった。まだ心臓がバクバクしている。
早く返信しなくちゃ、と思ったけど、上手くフリック出来なくて滅茶苦茶な文になってしまう。
どうか私の考え過ぎであってほしい。そうだ、他にも同じ中学だったクラスメイトが居るかもしれないじゃん。それに入学前からSNSで知り合ってたクラスメイトとかも居るかもしれないし!
『首藤さんと真中って仲良いの?』
深呼吸して無茶苦茶な文字列を消して文字を打ち直そうとすると、パッと画面にその文章が現れた。私は思わず口元にジャージの袖を当てて黙り込んだ。この質問の意図が全く分からなかったのだ。
『まぁ、クラスメイトの中では仲良かった方だと思うよ。真中ちゃん優しいし』
最後の一文は無駄だったかもしれない、と思って取り消そうとしたけど、一瞬で既読が付いてしまったので手遅れだった。
そしてまたすぐに返信が来る。
『真中優しいもんね!
高校入ってから一気に垢抜けたし、中学の頃は仲良かったのに差出来ちゃって悲しかったわー』
そんな文と一緒に、ファンシーなキャラクターが悔しそうに涙を流しているスタンプが送られてきた。
あれ。別に二人の間に何かあったわけじゃなさそうだな。やっぱり私の思い違い?それとも橘さんが気付いてないだけ?
「……何考えてんだよ」
「犯人じゃないかもしれない子を疑うくらいなら何も知らないまま死んだ方がマシ」、そう言ったのは私じゃん。
『りんねちゃん、ほんとに大丈夫なのかな。』
アリスさんが心配そうな声でそう言った。
「すみません、大丈夫です」
私はそう言って、橘さんに『そっか!だよね!』と返信した。
『あ。返信来た』
アリスさんがぽつりとそう呟いた。私はすぐに飛び付く。
「どうなりましたか?」
『うん。明後日の夕方なら都合いいって。場所は池袋のカラオケで大丈夫かな。それと一応私も同伴しようと思ってるんだけどいいかな。』
「はい、大丈夫です!」
『じゃあ送っとくね。』
「あの、アリスさん、ゆずはさんのノートの中身って確認してくれましたか?」
忘れられてたら困ると思って尋ねてみると、アリスさんは急に気だるそうな声になる。
『ああ、ごめん。今日は見る気になれなかったからまだ見てないんだ。今度見たら送るよ。』
「明日送ってもらえませんかね、それか明後日直接見せてもらうのでもいいんですけど……!」
『ごめん、中身によってはやっぱりりんねちゃんには見せられない可能性もあるから。だから必ず見せるっていう約束は出来ないな。』
「すぐ切られたから聞こえてなかったかもしれないけど、ちゃんと見せてくださいって言いましたよ、私。何でゆずはさんもアリスさんも私には見せてくれないんですか?元々弓槻があのノートを託したのは私なのに……!」
悔しくて涙が出てきた。私は弓槻が私に残したメッセージすら知れないの?後から出てきたゆずはさんに取られて、元々は弓槻や私を殺そうとしてたアリスさんにも横取りされて。そんなの酷くない?
『でも、知らなくていいことまで知っちゃったら、りんねちゃんが危ないんだよ。弓槻ゆずかがどこまで知っていたかに寄って、彼女がほんとうに偶然死んでしまっただけじゃない可能性も出てくるから。』
「え、弓槻が故意的に殺されたかもしれないって言いたいんですか?」
頭の中がフリーズした。小さな小さな震える声で、頭の中に浮かんできた文字を機械的に読み上げる。
『かもしれない、ってだけだよ。』
「でも弓槻のはニュースになってたし……!」
そうだよ。他の死んだみんなは誰もニュースにならなかったじゃん。あんなにTwitterで拡散されてた戸川さんのクラスメイトの自殺の映像だって消去されたんだし。みんなと同じように魔女に殺されたって言うなら、弓槻だけニュースになるなんておかしいじゃん。
『それ、本当なのかな。私は弓槻ゆずかの事故のニュースなんて聞いたことも見たこともないよ。』
「は?私はちゃんと見ましたよ、テレビで女子高生が轢かれたってニュースで、確かに弓槻の名前が……」
『りんねちゃんの見間違えなんじゃないかな。そのニュースなら私も見たけど、名前は公表されてなかったはずだよ。』
「え……?」
確かにあのテレビ画面を見たのは一瞬だった。でもその前にクラスグルでみんなが弓槻のニュースを見たって言ってたじゃん!
私はクラスグルを開いて必死にスクロールした。あの日のトークに辿り着いて、私は全身を硬直させた。
『ねえ!昨日クラスの子が自殺したらしい!
多分ずっと学校来てなかった子だよ。
え、出席番号最初の子?
パトカー止まってたよね?やっぱ
やばくない?』
弓槻のニュースの話なんてどこにも書いてなかった。代わりに、「綾瀬さんの自殺」についての話題で溢れ返っていた。
「え、何、これ。綾瀬さん自殺してたの?」
小さな声で呟く。
『……綾瀬まどかは、友達が死んだショックで自殺したって聞いてた。りんねちゃん、今頃知ったのかな。』
「は、何……」
全然知らなかったし、そんな話聞いたこともなかった。弓槻が死んだ次の日、クラスのみんなは「またうちのクラス?」って言ってたっけ。てっきりあれは弓槻のことだと思ってたけど、みんなが言ってたのは綾瀬さんのことだったんだ。
じゃあ、私が見たテレビの映像やクラスグルのトークは、全部私の勘違いで幻覚だったんだ……。
「そんな」
私は膝を抱えて腕に顔を埋めた。やっぱり弓槻は魔女に殺されてたんだ!それもアリスさんじゃない、もう一人の魔女に。……佐藤聖羅に?
「ふざけんなよ、お前が死/ねばよかったのに……」
『りんねちゃん。』
「念のため聞いておきますけど、ほんとにアリスさんが殺したんじゃないですよね?」
私は怒りと涙で震える声を喉の奥から絞り出した。
『うん。それは絶対私じゃないって言い切れるよ。』
「……分かりました、信じます」
はー、と大きな溜め息を吐く。
『……りんねちゃん。やっぱり明後日はやめよう。りんねちゃんは少し休んだ方がいいと思う。』
アリスさんのその言葉を理解するのに少し時間がかかった。そしてその間に、アリスさんは佐藤聖羅に明後日の予定はキャンセルしてほしいと送ってしまったらしい。気付いたら、『明後日はなしになったから、休んでね。』というLINEと共に、通話は終了していた。
這うようにフローリングの床を移動して、ベッドへ乗り込む。私はそのままふかふかの布団に身を沈めた。
私、ずっと自分が見えてる世界を自分の都合のいいように解釈してたのかもしれない。弓槻が誰かに意図的に殺されたとしたら、って考えたら耐えられなかった。そこにむすびが「不慮の事故だったのかもしれない」って言ってきたから、そうであってほしくて思い込んでたんだ。
あー、懐かしいな。魔女に売られた魂は神様みたいな人に抜き取られるとか本気で思ってた時があったっけ。魔女に三十人分の魂を売れば、その人は魔法の力を手に入れられるだとか。随分ファンタジーな都市伝説だな、と思ってたけど、実際はそんなんじゃなかった。魂を売った人は魔女になって、また誰かが売った魂を殺していく。ただの負の連鎖だ。
Twitterを開いて、いつだったか検索したあのワードを入力する。
『三十人 魂 魔法の力』。
懐かしいな。あの頃はほんとに何も知らなかった。弓槻に任せてればどうにかなるって本気で思ってた。それくらい弓槻は魔女について必死だったし、執念があったから。
でもそのせいで弓槻は殺されたんだ。
出てきたツイートを読み進めていると、戸川さんのツイートが表示された。
『私のことをいじめてるクラスのやつらの魂を売ったら魔法の力が手に入るかな。三十人どころじゃない、私なら百人は差し出せる』
ツイートもブログも全部そのまま残っていた。飛び込み自殺の動画は削除されたけど、“あくまで都市伝説の話”程度の記事やツイートは消されないみたいだ。
自傷行為の写真やスタンプやモザイクで加工しまくった自撮りを流し見する。戸川さんの悲惨な毎日の記録を見ていたら、やっぱり魔女に売られた子達は自業自得なんじゃないかって思ってしまう。
でも、いじめっ子達が全員死んでも、結果的に戸川さんは救われなかった。結局本人も死んじゃったし、大量の人が死んだのには何の意味もなかった。
クラスメイトが死んだら、橘さんは救われるんだろうか。死んでしまったかもしれないもう一人の犯人は、これで良かったんだろうか。
魔女にクラスメイトを売った子達が、後悔したりすることだけは絶対にあってほしくない。せめて救われてほしい。じゃないと死んでいったクラスメイト達が死んだ意味がなくなる。みんなの命が無駄になることは絶対に耐えられない。
「……」
私は背筋がぞぞぞと冷たくなるのを感じた。今こうしているうちに、生き残っているクラスメイトが危険に晒されていたらどうしよう、とふと思った。爆発に巻き込まれる予定だったのに死にそびれたんだから、魔女はきっとまた殺しにくるはずだ。
「しみず、真中ちゃん……」
私は寝転んだまま枕元に転がっていたスマホに手を伸ばした。
久しぶりに開いた、しみずとのトーク画面。真中ちゃんは病院に居るからまだ安全だと思い、私は先にしみずに電話を掛けた。
「……」
呼出音が数回繰り返され、ブツリという音がする。
『もしもし、りんね?』
数日ぶりに聞いたしみずの声に、私は目の奥がじーんと熱くなるのを感じた。
「しみず……」
あ、やば、泣きそう。てか泣いてる。
『久しぶりだね、りんね』
「うん……」
ずびずびと鼻を鳴らしながら、私は情けない声でそう言った。
『りんね泣いてる?どうかしたの?』
「しみずが何かされたりしてないか心配になってさ。ほら、また危険な目に遭うかもしれないから」
『私なら大丈夫だよぅ。りんねも無事そうで良かったし、真中ちゃんとか華乃(はなの)ちゃんも軽い怪我で済んで良かったよね!』
「うんうん、って……。え、華乃ちゃんも無事だったの?」
知らなかった、真中ちゃんの他にも生きてた子が居たなんて。
『あ、うん、この前LINEでそう言われたから』
しみずはそう言ったけど、華乃ちゃんとしみずってそんなに仲良かったっけ。確かに華乃ちゃんは大人しめの子だったから、ふわふわしてるしみずとは気が合うかもしれないけど、確か個人個人でのLINE交換はしない主義だって言ってなかったっけ。私は入学当初、丁寧にそう説明されて断られたなぁ。もしかして私と交換したくなくてわざわざそんな嘘吐いたりしたのかな。うわ、傷付くなぁ。
『それで用事は終わり?切ってもいい?』
「え?あ、うん」
『分かった、またね』
ブツッ。私の返事も聞かずに、しみずは電話を切ってしまった。
あれ。何かしみず、イラついてる?
普段のしみずなら、私が切ろうとしてもぐずるくらい長電大好きだったのに。むしろいつも私が困るくらいだった。なのにこんなにすぐ切りたがるなんて、しみずらしくない。
色々あって疲れてたのかな。そうだよね、自分が教室を離れてる間に爆発が起きてクラスメイトが大勢亡くなった、なんてトラウマになっても仕方ないしね。しみずはホラー映画で泣くくらいだし、性格も優しいし、きっと物凄いストレスになってるはずだ。
「だからこそ、一緒に話したりまたゲームしたりしたかったのになぁー……」
口を尖らせてスマホをいじくる。
よし、次は真中ちゃんに掛けよう。
『りんねちゃーん!』
真中ちゃんに電話を掛けると、ハイテンションの爆音ボイスが鼓膜を直撃した。私は反射的にスマホを耳から離した。
「ちょ、真中ちゃんテンション高ww」
『ちょうど暇してたから良かったー!話したかったよぉー!!』
病院ってこんなに大声で喋ってもいいものなのか?しかも時間は夜の八時半を回っている。
『個室っていいよね〜、いくら騒いでも誰にも迷惑掛かんないし♪』
真中ちゃんは心底嬉しそうだった。でもふと引っかかることがある。
「個室って、そんなに具合悪いの?」
私が幼稚園児の時ジャングルジムから落ちて骨折した時は、大部屋に入ってたんだけどな。それより酷いってことだよね?そう言えば手術もしたって言ってたっけ……。
『あー、うん、ね。足がちょっとないって言うか』
グギャ、っと胸の骨がバキバキに砕け割れてしまったかのように痛んだ。
スマホの向こう側に居る真中ちゃんの姿を想像したら、声が出なくなってしまった。
『何か壊死?しちゃってたらしくて、仕方なく切断ですよ!厚底もう履けないとか死ぬくない?りんねちゃんなら分かるよね〜』
「そ、なん、だ」
やっとの思いでその四文字を絞り出した。まだ胸がバキバキに砕けている。
『あ、やだなぁ、可哀想とか思わないでよ?生きてるだけ有難いもん、私はそれだけで充分幸せだよ?』
真中ちゃんはおちゃらけてそう言う。
『……あれ、もしかしてドン引きの方?足ないとかきしょって感じ?』
「違うよ!それは違う」
私は慌てて否定した。
「ただ、怪我がそんなに酷かったんだってびっくりしただけ……」
私がそう言うと、真中ちゃんは申し訳なさそうに謝ってきた。
『えー、そんな気使わないでほしいんだけど!まじで!』
「いや、そりゃ使うっしょ……」
真中ちゃんはいつも通りの明るさだけど、それに少し違和感を覚えた。明るいのは明るいんだけど、必要以上って言うか、どこかわざとらしい明るさだ。
『てか病室暇だから遊びに来てくれない??下半身布団とかで隠してればそんな酷い見た目じゃないし!』
「あ」
『……もちりんねちゃんが嫌じゃなければ、だけどね?』
真中ちゃんはそう付け足して、少し自虐的に笑った。
心がぎゅっと痛くなる。きっと私なんかが想像も出来ないくらい辛いだろうのに。生まれた時から今までちゃんと在った自分の体の一部がなくなってしまったなんて、私だったら絶対受け入れられない。そうなるくらいなら死んでた方がマシだった、とさえ思ってしまうと思う。いや、もしかしたら真中ちゃんも心の中ではそう思ってるのかもしれない……。
「行くよ。学校始まるまで毎日行く。学校がもし始まっても、終わったらすぐ行くから。」
『え、りんねちゃん部活あるでしょ?そっち優先しなよ〜……』
「どうせ最近は幽霊部員だったし。真中ちゃんの方が大事だから」
『りんねちゃん……』
魔女にクラスを売られたのを知ってから、そればっかりで部活に顔を出す余裕もなかった。一週間無断欠席した辺りから、廊下で顧問や同じ部活の先輩とすれ違ってもシカトされるようになってた。だからもう、きっと私は退部してることにされてると思う。
私は陸上部だった。足のなくなった真中ちゃんに、部活行くから行けない!なんて言えないじゃん。
「さっそくだけど明日行ってもいい?何時から病院開いてる?」
『あ、面会できるの二時からって決まってるんだよね。で終わりが五時だからその間ならいつでも!』
「じゃあそのくらいに行くね」
『あ!りんねちゃん、あのさ〜』
真中ちゃんから画像が送られてきた。
『この限定フルーツ牛乳、買ってきてくれない?』
「あはは。相変わらず牛乳好きだね」
『ねーお願い!これどーしても飲みたいの!!後でちゃんとお金返すから!』
「分かった分かった、毎日買って行くよ」
『やった!やっぱりんねちゃんしか勝たんわー!』
私達は一頻り笑った後、真中ちゃんが消灯時間になったので電話を切った。
ベッドに大の字になって寝転ぶ。急に空虚感が襲ってきて、一筋の涙が静かにこめかみを伝っていく。
「はぁ……」
私だって死ぬかもしれないのに、私を心配してくれる人は誰も居ないんだな、って思ったら悲しくなってきた。橘さんはもう一人の魔女のことを知らないし、しみずは魔女や都市伝説についてあんまり詳しくないし、真中ちゃんはそもそも何も知らないし。
橘さんは私を許してくれて、アリスさんは「私を殺さない」って言ってたけど、もう一人の犯人はきっとそうじゃない。だから多分、結局私も死ぬ。もう一人の魔女に殺されて。
……佐藤聖羅か。アリスさんは私に休んだ方がいいって言ってたけど、そんなに私と佐藤聖羅を会わせたくないのかな。それに何か理由があるんだろうか。まぁ、ほんとに私に休んでほしかっただけかもしれないけど。
「私のストレスの原因には少しはアリスさんもなってるんだからな」
そうボヤきながら、私は何となくスマホの液晶画面を見る。Googleで「佐藤聖羅」と検索する。
「お」
芸能人や名前診断の記事に混じって、インスタのアカウントが出てきた。
同姓同名の他人かもしれないけど、私はすぐにそれを開いた。
投稿数1045、フォロー247、フォロワー2.4万人……。めちゃくちゃすごい人じゃん!
佐藤聖羅はいわゆる“自撮り界隈”のインスタグラマーみたいだ。いくらスクロールしても、投稿は全てピンの自撮りで埋め尽くされていた。
赤みのある明るめな茶髪のボブで、フチありのカラコンがよく映えるまん丸の大きな目。すっきりした二重幅と幅狭めの涙袋に、ずっと通った高い鼻。尖り気味の犬歯が見える笑顔はすごく可愛い。
「えぇ、めっちゃ可愛いじゃん……」
この人がほんとに佐藤聖羅本人だと限らないけど、私は思わず魅入ってしまった。
こんな可愛い人がたくさんの人を殺/すために爆弾を作ってる姿なんて想像出来なかった。
「……あれ」
ふと、一枚だけピンの自撮りじゃない投稿が出てきた。
「え」
佐藤聖羅の横で不器用なピースを掲げているのは、真っ白なボブの見覚えのある顔だった。
「アリスさんだ……」
今より随分幼い顔付きのアリスさんが映っていた。日付けは二年前だった。
笑顔の佐藤聖羅と、ぎこちなく口元を歪ませているアリスさん。アリスさんのその表情は、初めて会った時の、目元だけ笑っているあの笑顔に似ていた。アリスさんは白いシャツグレーのニットに赤いリボンと、制服らしき服装をしている。
これ、アリスさんが高校生の時の写真?アリスさんは最近大学を中退したって言ってたし、二年前ってことはその可能性もあるってことだよね。二人はこんな前から知り合いだったの?……もしかして、アリスさんが佐藤聖羅に売った時?
投稿の下に添えられたハッシュタグには、『#仲良しな後輩 #可愛い後輩 #大好きな後輩』なんて書いてある。二人は仲が悪いわけじゃなさそうだし、むしろ仲がいいように見えるんだけど。でも佐藤聖羅の話をするアリスさんは、どこか怯えてるように見えたし……。
「……何なんだよ、もしかしてこの二人はグルだったりすんじゃねーの」
有り得なくはないと思う。だって元々アリスさんは私の“敵”だったし。いつからか私に色々頼ったり喋ったりするようになったけど。
「……」
何か気分悪いな。アリスさんのことを信用するのはやめた方が良かったりして。
私はこっそりアリスさんとのツーショットの投稿をスクショした。
翌日、私は真中ちゃんが入院してる総合病院へ向かった。受け付けを済ませ、看護師に案内されて真中ちゃんの病室へ向かう。
エレベーターを降り、真っ白な廊下をしばらく歩く。看護師ががらがらと白いドアを開けると、左奥にベッドがあり、そこに真中ちゃんが座っていた。
私の姿を見た途端、真中ちゃんは目を潤ませて口を抑えた。そんな真中ちゃんを見て、私も泣きそうになってしまった。
「りんねちゃん……!」
看護師がドアを閉めて病室から出ていくと、私は真中ちゃんに駆け寄った。
「会いたかった〜!」
私達は抱き合った。
「てか何気りんねちゃんにすっぴん見られるの初めてじゃない?カラコンだけでもしとけば良かったー」
真中ちゃんはそう言いながら恥ずかしげに両手で顔を覆った。私のメイク後より遥かに整ってる顔でそう言われてもな。まぁ、確かに普段のガッツリメイクと高発色なカラコンに慣れてるから、裸眼は見慣れなくてちょっとびっくりしたかも。
「黒染めしといてよかった!これで派手髪だったら顔負けてたよね〜」
「あは、確かに」
私がそう言って笑うと、真中ちゃんは私の手に握られているビニール袋を目敏く見付ける。
「りんねちゃん、それはまさか……!」
漆黒の目をキラキラと輝かせる真中ちゃん。
「買ってきたよ、限定のやつ。」
「はー!神!これで今日は生きれるわー」
私がビニール袋を差し出すと、真中ちゃんはそう言って両手を拝み始めた。
「え!三本も!しかもグミもあるじゃん!」
中身を見て更に目をキラキラさせる。
「私がグミ好きなの覚えててくれたんだ〜」
「そりゃ、ね。真中ちゃんいっつもグミ食べてたし」
「だよねー!あ、お金払うね。レシート見して〜」
真中ちゃんはそう言って、ベッドの脇の机に置いてあったハイブランドの財布を手に取る。それを見て、私は慌てて制止する。
「お金はいいよ。」
「え?それは悪いよ〜」
「いや、前送ってもらったこともあったし。その時のお礼も兼ねてだから」
「あー!そんなこともあったね!りんねちゃん水被り事件ww」
「名前付けんなよww」
私達は広い病室に声が響き渡るくらい笑った。
「こんなに笑ったの久しぶりだなぁ。看護師さんとか先生と喋ってもあんまり楽しくなかったんだよね。みんな変に私に気使うからさぁ。それに毎晩夢に出てくるんだよね、あの日の光景が」
真中ちゃんは短い睫毛を伏せて、外が見えないように目隠ししてある窓を眺める。
「黒板をノートに写してたら、いきなりすごい音がして、床に倒れ込んだら、足が熱くなって。煙が目に沁みたから一瞬だったんだけど、目の前でみんなの体が宙に舞ったんだぁ」
虚ろな目で何も見えない窓を捉えて離さない真中ちゃん。だらしなく開いた口から、だらだらとそんな言葉を垂れ流す。
そんな真中ちゃんをじっと見詰めていると、それに気付いた真中ちゃんははっとして慌てて両手を振った。
「ごめんね!?」
苦笑いしながら両手を合わせる真中ちゃん。
「ごめん、ほんとに。せっかく来てくれたのに暗い話したくないよね。ごめん、初めて誰かがお見舞い来てくれたから聞いてほしくなっちゃった」
その申し訳なさそうな笑顔を見ると、胸がぎゅっと痛くなった。
「彼氏も事故ったって言った途端既読無視するようになってさ。多分ブロられたし、親も忙しいからって全然来てくれないし……。だからりんねちゃんが来てくれるって言ってくれて嬉しかったよ」
真中ちゃんは寂しそうに笑った。私は冷たくなった両手を、体の後ろでぎゅっと握り締めた。
「真中ちゃん。もし嫌じゃなかったら、事故が起きた時のこと、もっと詳しく聞かせてくれない?」
「……え?」
真中ちゃんはびっくりした顔で私を見た。まさかこんなことを訊かれるなんて思ってなかったんだろう。目を真ん丸にして私を見詰める。
「何で?そんなこと聞いても楽しくないでしょ?……まさか誰かが爆弾を仕掛けたと思ってるの?」
真中ちゃんは眉の間に皺を刻んで更に目を見開く。
「もう聞いたと思うけど、あれはただの事故だったんだよ?事件性なかったって学校の関係者から連絡があったって主治医も言ってたし……。」
真中ちゃんは本気でそれを信じてるんだろうか。何の事件性もなくて、誰も悪くなくて、ただ何かの拍子に何かが爆発しちゃっただけなんだ、って。
「ただの事故だったとしても、真中ちゃんが思い出して辛くならないなら話してほしい。あの時誰がどんな行動を取ってたとか、誰の近くで爆発が起きたか、とか」
「そんなのりんねちゃんが辛くなるだけじゃない?だったら私は嫌だよ」
「私が頼んでるんだよ。それとも真中ちゃんが辛いの?もしそうならもうお願いしないけど」
「そりゃ誰かに話を聞いてほしいって思ってたけど、友達に友達が死んだ時の状況詳しく話すなんて無理なんですけど……。」
口元を引き攣らせる真中ちゃん。
「てか何でそんなこと知りたがるの?まさかクラスの誰かが爆弾を仕掛けたとでも思ってるの?」
「……」
それには私は何も答えられなかった。正直に今クラスの裏側で何が起こってるのかを話すべきかどうか分からなかった。もし真中ちゃんがそれを知ったらどう思うか、どんな行動を取るのか、全く予想出来なかったからだ。真中ちゃんに限ってそんなことはないだろうけど、犯人を探して復讐する、なんてことが起きたら大問題だ。中学生の頃から知り合ってる橘さんも犯人の一人だって知ったら、本当に真中ちゃんは壊れてしまうかもしれない。目の前でベッドに座っている真中ちゃんは、きっともう既に壊れ掛けてしまってるのに。
「りんねちゃん……」
だめだ、これ以上追求したら怪しまれる。逆に問い詰められるかもしれない。
「ごめん、何でもない!私は事件性はなかったって聞いてなかったから疑っちゃってただけ!」
私が笑ってそう言うと、真中ちゃんも少しずつ笑顔になり、
「事故の状況詳しく知りたいなんて言うから、りんねちゃんサイコパスなのかと思ったー!」
「…………。」
私の笑顔は消え去った。
それから私達は、一時間くらいゲームをしたりYouTubeやティックトックを見たりして他愛もない話をした。真中ちゃんの体調を気遣った看護師が病室に入ってきたので、私は帰ることにした。
「また暇な時来てねー!」
真中ちゃんはそう言って手を振ってくれた。私は無言で頷いて、看護師にお辞儀をして病室を後にした。
次の日も、その次の日も、私は病院の近くのコンビニで限定のフルーツ牛乳とグミを買って真中ちゃんに会いに行った。相変わらずゲームをしたりYouTubeを見たり、通販サイトでカラコンやコスメを見たり、学校が再開した時のために勉強したり。
今日も病院に行こうと思って電車に乗り、病院の最寄り駅の改札を出ると、階段の前に誰かが立っていた。
「須藤さん」
その人は私を見た途端こちらへ駆け寄ってきた。そして目を細めて苦笑いする。
「橘さん……」
私達は大きな柱の前で立ち止まった。
「へぇ。真中ってまだそれ好きなんだ」
コンビニでグミを手に取っていると、隣で見ていた橘さんがそう言ってきた。
「中学の頃もいつもそれ食べてて先生に怒られてたよ」
懐かしそうな顔で微笑む橘さん。そんな横顔をちらりと横目で見る。
「じゃレジ行って来るね」
私はそう言ってレジへ向かおうとした。
「待って」
橘さんが私の服を引っ張った。
「これも買って!」
いつの間にか大量のお菓子を抱え込んでいた橘さんが、それを私に押し付けてきた。
自動ドアを通り抜けながら私は静かに泣いた。財布の中から千円札が二枚ほど消え去った。しかも自分のために買ったお菓子は一つもない。
「お菓子くらい自分で買えよ……」
私の横を二つのビニール袋を持って笑顔で歩いている橘さんを思いっ切り睨み付けた。
「だって私お金持ってないし〜」
「は?じゃあ買うなよ」
「だって首藤さんお金持ってそうなんだもん。」
「は、どの辺が?」
「髪も綺麗に染めてるし、服もオシャレじゃん。お金掛かってそ〜」
「まあね?やっぱ好きな髪色にして好きな服着た方が楽しいし。この長さと色キープするためにも毎月美容院行ってるし。」
綺麗なグレーを保つためにも毎日シルバーシャンプーを使っているし。二週間に一回は自分でカラートリートメントで色を入れてる。
「てか別にだからってお金持ってないし!オシャレにお金回すために色々やり繰りしてるんだっつーの」
髪や服装を褒めてくれたのは素直に嬉しいけど。私だってこの見た目を維持するために色々我慢してるんだし。
「私は我慢しても出来ないんだよね」
ぼそりと橘さんが呟く。
「いくら我慢しても、私が自由に使えるお金は出てこないんだよね」
そう言って俯く寂しそうな横顔をチラ見する。
「言われてみれば、学校じゃないのに制服だよね。」
「私服買うお金ないんだよね。親は制服があればいいでしょって言うから。バイト代も全部親に取られるし、自分で買う余裕もないんだよね〜」
「……ふぅん」
こういう時、どういう反応をすればいいんだろう。変に同情するのも良くない気がするし、かと言って茶化していい話題でもないような気がする。私だって家族のことを知られて「可哀想」みたいに言われたら嫌だしなぁ。
「だから援交してるって噂が流れた時もみんなすぐに信じちゃったんだろうなぁ!あっははは」
青い空を仰いで高らかに笑う橘さん。口の端が微妙に震えている。
「で、真中が入院してる病院ってここ?」
橘さんは目の前まで来ていた総合病院を指差しながらそう訊いてきた。
「え、もしかして着いてくんの?」
「え?うん」
私と橘さんは数秒間見詰め合った。
「私も真中に会いたいし。」
「え、じゃあ一応言っといた方が良くない?」
そう言いながらスマホを取り出すと、橘さんは慌ててそれを阻止してきた。
「あー!待って!サプライズしたいから何も言わなくていいよ!」
「でも急に来られても迷惑じゃない?」
「真中と私の仲だもん!平気だって!」
「まーそっか。真中ちゃんも退屈そうにしてるし来られて迷惑なんてことはないか」
「そうそう!」
橘さんは何度も頷いてきた。
「じゃあいっか」
私達は病院の建物の中へ入っていった。
病室のドアを開けて中に入ると、真中ちゃんは嬉しそうに手を振ってくれた。何故か橘さんはドアの影に隠れて出てこない。
「四連勤お疲れ様!」
「何それ、バイト代出るんかww」
「時給0.1円な!」
そう言って笑う真中ちゃん。私はチラチラと何度かドアの方を見る。真中ちゃんからは死角になっていて見えていないみたいだけど、私にはこそこそ隠れている橘さんがしっかりと見えていた。ふと目が合うと、橘さんは唇に人差し指を添えて必死に「シー!」と歯を食いしばっている。
「りんねちゃん?」
頻りにドアを振り返っている私を不審に思ったのか、真中ちゃんが心配そうな顔で私の顔を覗き込んできた。
「あ、うん、なんでもないよ?」
一応橘さんが居ることは秘密にしといた方がいいっぽいし、私は知らないフリをしておいた。
にしても橘さんは一体何がしたいんだろう。着いてきたくせに真中ちゃんに会わないの?
「え、もしかして誰か居るの?」
ギクゥ、っと効果音が聞こえてきそうなほど橘さんが飛び跳ねたので、思わず私は吹き出しそうになった。それを見て真中ちゃんは確信したらしく、にやにやしながら、
「え〜、誰だろ?しみずちゃんとか?」
「あー、いや……」
私は橘さんに「もうバレてるから出てきな」と目配せした。橘さんは立ち上がって、ゆっくりとドアの影から姿を現した。
「え……」
真中ちゃんの表情が一瞬で引き攣り、そのまま固まってしまった。
「何で?」
その表情のまま、ゆっくりと首だけ動かして私を見る。私は目を逸らしたまま片方の口角を釣り上げ歪に震わせる。
「何であんたが……」
橘さんは私の横まで歩いてくると、ベッドに座る真中ちゃんを見下ろした。
「ざまぁみろ、バチが当たったんだよ」
橘さんがそう吐き捨てると、真中ちゃんは目を見開いて橘さんを睨み上げた。
「え」
私はそんな二人を見て愕然とした。
二人は友達なんじゃなかったの?
「これでもう大好きなエンコーも出来ないね。お疲れ」
橘さんは愉快そうに微笑みながらそう言う。
「どういうこと……?」
私は立ち尽くしたまま動けなくなった。
真中ちゃんと橘さんはお互いを睨みながらわなわなと震えている。私はそんな二人の間で狼狽えた。
「え、え、ちょっと待ってよ。全然分かんないんだけど。何、真中ちゃんが援交大好きって何?え、何言ってんの?わけわかんないんだけど」
頭の中が混濁して上手く状況を整理出来ない。呂律も上手く回らない。真中ちゃんが援交?え?何それ。
「りんねちゃん違うの、私はそんなの好きでもないしやったこともないから……」
「はっ、そりゃそうだよね。“優しい真中ちゃん”はそんなことしないもんね。」
弁解しようとした真中ちゃんを遮って、橘さんが鼻で笑う。真中ちゃんは物凄い形相で橘さんを見る。それを冷めた目で見返す橘さん。
「どこのどいつだっけ?自分が援交してるのがバレたからってその子に罪被せようとしてきたの。誰だっけなー、『この子が繁華街で知らない大人と手組んでるの見ちゃった』って濡れ衣着せてきた奴。」
橘さんは制服のポケットからスマホを取り出し操作する。
「やめてよ……」
真中ちゃんは橘さんのスマホに手を伸ばそうとする。もう少しで届きそうなところで橘さんはスマホをサッと頭の上に掲げた。
「あっ」
勢い余って真中ちゃんはベッドから落ちそうになってしまった。布団がずり落ち、色の白い脛が露わになる。
「う」
慌てて真中ちゃんは布団を腰まで持ってくる。そして自分の足がある場所を凝視してガタガタと震え出した。
「ほら、見てみなよ。」
そう言って橘さんがスマホの画面を私に向けてきた。目の前で震えている真中ちゃんを見て、それを見ていいのか分からなかったけど、思わずちらりと見てしまった。
「……」
サラリーマンらしき男性と腕を組んで歩く、セーラー服を着た黒髪の少女が映っていた。
「中学の時のこいつだよ。」
顎で真中ちゃんを指す橘さん。
「待ってよ、これが真中ちゃんとは限んないじゃん……」
画質が悪いのと髪の毛で輪郭が隠れていて、この女の子の顔はよく分からない。確かに雰囲気は似てるような気がするけど、別人かもしれないじゃん。
「真中じゃなかったら何で真中は私が援交してるって嘘吐いたんだよ」
橘さんはタタタとスマホを操作する。そして液晶画面を真中ちゃんの目の前に持っていき、にたりと不敵に笑う。
「今からこれ拡散しちゃおっかな。もう一年前の写真だけど、知ってる子が見たら分かるんじゃないかな〜」
「やめて!!」
真中ちゃんの声が病室に響き渡る。
「そうだよね、拡散されたらマズイよね。一瞬で広まって、完全には削除出来なくなるもんね。あんたが昔やったんだから分かるよね」