こんな私的な悩みに真剣に考えて下さり嬉しいです。ありがとうございます。
>>2
はい。周囲の方が全てを理解し、合わせてくれるとは思っていません。周囲の人にとっては、私の生い立ちなんて関係の無いことです。ですから確かに、変わらなければならないのは環境でなく私であるのは、サビぬきさんの言う通りです。
ですが、様々な第三者の視点からこのことを判断していただきたいのは、『親のせいだから』と思いたいからではないのです。
今後の人生で、恐らく性格のことで苦労することがあります。そして悩み、辛さや不安で中々立ち向かうエネルギーの出せないときに、責任の所在をあやふやにしていたばかりに、『親のせいだから私は動かなくていい』という楽な逃げ道に駆け込んでしまわないか心配なんです。今のうちにはっきりとした答えを見つけておけば、『自分のせい。だからやっぱり立ち向かわなくてはいけない』、『親のせいだが、私が変わらなくてはならない』というふうな、大袈裟に言ってしまえば覚悟を決められると思ったのです。
ですが、親の影響もある、と読んで安心した自分もいたので、そういう、楽になりたいという思いも、スレを立てたときにあったかもしれないです。マシな人生を送れると言っていただいて、ちょっと元気が出ました。意見を参考にさせていただきます。
サビぬきさん、ありがとうございました。
>>3
スタートする地点を探る、とまで深くは考えられていなかったですが、変わっていくための糸口を掴むためにも、確かに役立ちそうだと気付かされました。
@資質というのは盲点でした。誰のせいでもないということですね。確かに、子供は結構分け隔てなく誰とでも接しますし、拙い記憶なんですが大人数のグループで遊ぶ機会も多かったように思いますので、その中で培うことも出来たと思います。
A問題点の躾の仕方について考えてみました。過度な暴力や教育はありませんが、やはり、弟との差別化はどうなのだろうかと思います。弟は成績があまり良くなく、学校で問題を起こして帰ってくることもあって、そのせいか、用事を優先的に任される、何か話してもほとんど無視される、と扱いが雑です。それとも、どこの家庭でもこんな具合でしょうか? 兄弟の差別化はあるものですか? 資質の可能性、とおっしゃるように、暗い性格なので過剰にその差に反応して怯えているだけかもしれないのですが。Bも同様に、過剰反応かもしれませんね。
友人からの影響についてですが、少し判断しにくいです。中学時代に、私の主観から言うと自己中心的な子と2年半くらい一緒にいまして(離れればよかったんですが物凄く小心者だったんです)、彼女の言葉がぐさぐさ刺さったりすることが多かったのですが、それも私の疑り深い性格が、勝手に言葉を悪いように解釈したのかもしれませんし……。なので、猜疑心について、拍車をかけたのは友人との付き合いがあるとしても、根本的には母親が起因ではと、今はどうしても思っています。ですが、過去の友人との付き合いは、まだもうちょっと詳しく考えてみなければならない所です。
深く分析していただいたことで、新しい考えに気づくことが出来ました。自分では辿り着けなかったと思います。そして、サビぬきさん同様、前向きに背中を押してくださったことで、ポジティブに考えられそうです。
千三さん、ありがとうございました。
兄弟の差別もかなり一般的だと思います。
大抵の親は、上の子(長男・長女)に対して下の子よりも良い子であることを強く要求します。
場合によっては、下の子を基準に考えるので上の子は親と同じ立場であるかのように扱いがちです。
(上記の傾向が多いとは思いますが、それが正しい親の在り方かどうかはまた別ですけどね。)
友人関係については、影響を受けるのは一番近しい友人だけではありません。
他の子の言動や別の子同士の関係性なんかを見ながら学習している面もあるはずです。
単純に記憶に残り易いのが近しい友人との記憶なだけだと思います。(小さい頃に言葉の意味をいつ覚えたのか記憶に無いのと一緒ですね。)
猜疑心については、(失礼な言い方ですが)今までの友人の数自体があまり多く無さそうなので、これから友人が増えることで若干解消できると思います。
経験値を高めることで、相手を理解する力が身に付くので、どこまで信用できるかを判断できるようになるかと思います。
知識や訓練で、スクールカーストの上から2番目の層と同じぐらいのコミュ力は身に付くので、頑張ってみる価値はあると思います。