>>57
だがね、キミの認識は間違っていると思うよ。
あの現場の「津久井やまゆり園」はけっこう年配の入所者も多かった施設だからね‥。
既に保護者が他界してしまっている人も居れば、高齢の保護者が年金生活者である可能性も高い。
>被害者家族は、自身の責任を‥(略)
世間知らずで幼くも思慮の浅いキミのその言葉が、どれほどまでに被害者遺族を傷つけるものであるのかという事を;‥少しは考えてみるべきだと思うよ?
>幼くも思慮の浅い…(略)
第三者には到底、理解できない、
泣く泣く家族(障害者)を手放すしかなかった被害者家族の気持ちも察しろ、と言う情状酌量的な話の件を指しているのかな?
議論板なんで自由な私見を言わせてもらうのならば…
刑法学的に言えば、俺は主観主義説ではなく客観主義説の見解に賛成してる立場の人間。
つまり責任主義ではなく形式主義的に物事を判断している。
いかなる理由があろうとも情状酌量にすべきではない、と考えている。
客観視して「やったか?やってないか?」の形式でしか、判断しない立場を取る。
だから植松は殺人罪
被害者家族においても、家族である障害者を「手放したか?手放してないか?」でしか、養育問題においても判断しない!
この件をハートの問題(主観主義)で語るなら、大切な家族なら、そもそも手放すなよ!としか言えない話さ…?
既に俺が>>59レスで言った通り、今回の惨劇の被害者である「津久井やまゆり園」の高齢入所者の多くは
既に親が(フツーに寿命で)死亡していたり、保護者となるべき身内が存在しない者も多いのである。
当たり前のコトだが、親は子供より先に天寿を全うするのが自然である。
ならば現世に遺してしまう我が子に対して、先に逝く親がしてやれる事はといえば
このような施設に拠り所を確保してやる以外にどんな選択肢があるとでも言うのだろうか?
「恥ずかしいから責任から逃れて目の届かない場所に放りこんだ」だと;‥?
つくづく救いようのない馬鹿なのか、お前はッ!! →ソード