>>94
ないも同然なんて論理的ではありません。見えないからといって天の川は存在します。アンドロメダ銀河は存在します。木星の衛星も存在します。見えない誰かにとってはないと言えるだろうが、万人にとってないと言えるものではない。
知覚されないものを「ない」と定義づけるのなら、死後の世界を知覚出来ない人にとっては死後の世界はないとする事は出来ます。目撃(知覚)した人にとってはある事になります。あるという人がいるのなら、世界に死後の世界はある事になります。
>大半が頭お花畑なやつか捏造かのどちらかです。
知覚出来る人をお花畑として否定するのは暴論ではないでしょうか。
知覚しなければない事になる。知覚できたらお花畑となる。論理的に破綻しています。
>見えないからといって天の川は存在します。アンドロメダ銀河は存在します。木星の衛星も存在します。
頭が固いなあ。それは今、君が知覚しているからこそ「ある」と断言できるわけ。そもそも有る無しの概念は生物が持つものであって、その生物が知覚しなければ無いものと判断されるんだよ。
>目撃(知覚)した人にとってはある事になります。あるという人がいるのなら、世界に死後の世界はある事になります。
それ、もう言ったよ。
>知覚できたらお花畑となる。
いや、霊現象なんて大半が科学的に説明が付いているのに霊によるものだと言うことはおかしいということ。
知覚というのは体験だけじゃないし。何でこうなったのか謎。
ところでシュレーディンガーの猫という思考実験がありますが、これは観測するまで箱の中の猫は生きているか死んでいるか分からない、というものです。
>結局、「ある」か「ない」かというものは知覚されなけりゃ「ない」と判断される。
伊168さんは>>94でこのように言っていましたが、これは全く科学的ではありません。つまり論理的ではありません。よって私の>>96における指摘は正しい事になります。これは彼の言っていた科学的な証明となるので彼には反論が不可となります。はいえげつない論破。