>無形的方法=無形力の行使
このような事実を示す判例でもあるのですか?
>手段としてあるのでないとは言えませんね。
到底認めがたい方法です。そもそも銭湯業者には営業の自由があります。共同にしなければならない理由はありません。
>可能性に関して言及しているので、
以下の文句は可能性に関しての言及ではありません。結果の平等→風呂も共同になる、と断じて居ます。「なり得ます」なら可能性の話ですが。
>結果の平等の場合、風呂も共同になります。
>では第三者による一例を
「実は男湯と女湯は混浴です」?私は「実体験」の中身、「それと男湯と女湯では設備や大きさが違うというソースはありますか?」と尋ねたのですが。男湯と女湯は混浴であるというソースは求めていません。
>あなたの主張の前提を否定しているので反論ですね。
有形力は前提ではありません。補足説明です。
それに叩きについての話なのだから、有形力とは読解力があれば叩きの事だと知りえたはずです。
>示していますよ。無形と有形とは反対語の関係であり、無形を有形の内包だと捉えることは傷害罪の内包は暴力罪であるというくらいおかしいと。おかしい理由も説明しています。
ええ私はそれに関してとっくに反論済みです。
>有形力行使だけでなく無形力の行使でも有罪となりうると書いているだけで、無形力行使は有形力行使の一部とは書いていませんからね。
無形的方法=無形力の行使とは書いていませんよ。
>語彙力を付けてください。無形力の行使と無形的方法は同義です。
ソースをどうぞ。
>結果の平等は社会主義的で今まで社会主義国が潰れていった歴史を鑑みれば結果の平等がどれほど非効率的かわかるでしょう。風呂の共同もその一つに過ぎないのですよ。
?
結果の平等では風呂は共同になりませんよ。
>それは機会の平等でしょ。
ああそれと結果の平等に関してですが、日本は機会の平等が原則です。
>人権における平等は機会の平等です。平等には結果の平等も存在します。
存在はするけれど日本においては無意味な話です。君はさっきから空回りしているように思います。
で。>>51の反論はまだですか?有形力云々はこの際お互い齟齬があったと言うことにして、私の主張に反論はありますか?
>このような事実を示す判例でもあるのですか?
同義であるということを説明するために判例がいるのですか?
>到底認めがたい方法です。そもそも銭湯業者には営業の自由があります。共同にしなければならない理由はありません。
でも共同になる可能性は否定できていませんね。
>以下の文句は可能性に関しての言及ではありません。結果の平等→風呂も共同になる、と断じて居ます。「なり得ます」なら可能性の話ですが。
書き方が不味かったですね。
>男湯と女湯は混浴であるというソースは求めていません。
アレを見てそのようにしか思わないならば読解力どころか注意力も欠如していると言えますね。
よく読んでください、差が書かれていますよ。
>有形力は前提ではありません。補足説明です。
有形力における叩きなんですよね。では、前提ですよね。
>ええ私はそれに関してとっくに反論済みです。
そのソースも有形力の中に無形力の行使があるとは書いていませんよね。
>ソースをどうぞ。
無形力=形のないもの
無形的=形のないもの
【方法】
てだて。特に、ある目的を達するための、計画的な操作。
であるので行使と同様に行うこととも言える。
よって同義である。
>ああそれと結果の平等に関してですが、日本は機会の平等が原則です。
日本に限った話をしているんじゃないんですけどね。