>>25
今は上司からの飲みの誘いも断りやすくなってるし、身内だけで忘年会などもざらなので、そんなに無理に参加しなければいけない、とはなってないと思います。アルコールハラスメントとか言われるのも嫌なものだし、第一、無理に飲ませるという空気は今の時代には不向きな気がします。
とはいえ、そういう事が全く無いとも言えず、また、年齢が若いほど判断能力が弱いとも言えるので、進められるまま飲んでしまい、結果、事故のリスクが高まる、という指摘は間違いではないでしょう。
人によって適量が違うというのは当然であり、二十歳というのは目安なだけであって、無制限に飲めるのとは別の話であるというのは、十分に理解するべきものだと思います。
>その責任だけを飲む人の良識に預けるのは卑怯だし。
ところで「その責任」は他に誰に預ければいいと考えてますか?
>ところで「その責任」は他に誰に預ければいいと考えてますか?
私はそれは酒類を提供する会社であって、高い酒税を設けている国であって、CMを放送するメディアであって、もちろんそれを飲む人々、その集まりである社会全体も含まれると思っています。
私が先のレスで引用したパラケルススの言葉を用いれば、その物質の毒性はその物質そのものではなくその量が、つまりその量を管理する健康な人の判断力によってのみ、定められるはずです。
ですがその人が必ずしも、その時々に応じて適切な判断をくだし得る保証はあるのでしょうか?私はないと思います。
お酒というのは、すでにご存知かと思いますが、人の思考力判断力を鈍らせる効果があり、お酒そのものがその人の好む好まざるに関わらず、人に間違った判断をさせることがあります。
もちろん、それはお酒を自分の意思で飲んだのだから、あなたの責任と一蹴してしまうのは簡単ですが、「飲み始めて、許容量を超えてお酒を飲む」という決定に、お酒の影響が関与していないとは言いがたいと思います。
また、アルコールハラスメントとおっしゃった通り、残念ながら飲む飲まないという決定が、自分の意思だけでは行われにくいような現実もあります。
話が変わって、たとえばアメリカで凄惨な銃乱射事件が起きたとき、決まって銃規制が話題に上り、そしてこれも決まって、米ライフル協会が「銃ではなく人が...」と言いますよね。
ですが考えてみてください。たとえば包丁で殺傷事件が起きた時には、包丁の規制は叫ばれない。車で煽り運転や高齢者の逆走があって、その人の人格を非難したり、免許の返納を求めたり(これはあまり意味がないと思いますが)する声はあっても、車そのものの是非が問われることはないですよね。
これはなぜか。
それは、包丁や車が我々の生活にとって欠かせないものだからにほかなりません。もっといえば、包丁や車がもたらす害そのものよりも、あずかる恩恵のほうが、ずっと大きいからです。
つまり物事の是非は、その利益と不利益の勾配にやって決定されるわけあって、間違っても利益ないし不利益のみが強調されて下される決定は、適切とはいえません。
私はアルコールなら即ち規制せよまでは言いません。
しかし、その危険性に関してまだまだ周知に至っているとは言いがたく、またアルコールにまつわる失敗を、治療効果がある精神病薬やワクチンに少しでも副作用らしいものが出ると盛んに言い散らすのにも関わらず、ちょっとした誤ちといった感じで面白おかしく報じるメディアの無神経さにも腹を立てています。
お酒はドラックです。日本という国の今という時代において、たまたま認可されているにすぎません。